一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レッスン録 「赤とんぼ」 403

レッスン録 課題曲

 「赤とんぼ」①(A0・ Al) 

 

この歌が難しいのは、同じペースで4番まで続いていますから、それをどのように構成するかということです。

それなりに試みもみられたのですが、ぴったりはめていかないといけません。

音楽では、決まった型をくずすときには、余程気をつけないと逆効果です。いろんな試みがあれば評価します。ただ原曲を越えることができないのなら、最終的に原曲にもどして発表せざるを得ないでしょう。

 

さまざまな試みから得られたニュアンスを何とか歌に還元できるのであれば、表現されたものがかなり違ってくると思います。

楽諧は同じでも感じ方が違うと、微妙に表現の中で変化があらわれてきます。はまるものに関しては、きちんとはめた中で、どこまで展開できるかということです。

音階は、四七抜き(ファとシがない)で、日本らしい日本語でつくられた日本の音楽ですから、朗々とした発声で歌うのは無理があります。



童謡や唱歌の歌いかたを間いて育ってきたから、もう少し、そちらによると思いましたが、そうならなくてよかったと思います。歌がよほどうまいが、わかっている人は、それでも聞けますけれど、普通の人が歌ったら退屈してしまう歌い方になりかねないです。そこで、どういう表現をするのかということです。

アカペラでは、もうひと工夫が必要でしょう。うまく型にはめたまま動かせることができれば、もっとおもしろくなったのではないかという感じがします。

 

これは、ことばがきまらないと、だめになる歌です。

特に語尾の、とんぼの「ぼ」いつのひかの「か」なども大切です。メロディックな歌ですから、構成がきちんと出たかどうかが一番のわかれめだと思います。

 

表面をなでるように歌うのは、小学生の合唱団でもできます。

その違いをヴォーカリストとしてどう出すかというのが、今回の課題です。

 

ことばで考えるよりも、絵で描いてみればいいと思います。風景が見えてきます。次に演じてみるのです。何かを動かさないとわかりにくいです。過程をふんでいくと、立体的になります。

 

一番大切なところは、このメロディから何かを感じて、どう伝えるかという部分です。

自分の世界の中に持ちこんで完全に歌をつかむこと、そして、その型をいぶし銀みたいに磨いていかないと、評価されるだけのものにはならないでしょう。

 

単にきれいな声で歌ったら、 きれいな世界があらわれる歌ではないです。いろんな解釈もありますし、今と時代も違います。本当は、今だからできる何か新しい表現を出してもらえればよかったのではないでしょうか。 



自由曲も含めて、表現に関しては精一杯、つくる試みはトレーニングでやりつくし、歌うときには極力、つくっていかないことです。

その人が自分で考えた試みは評価していますが、はたしてその試みをきちんと煮詰めて消化してきたかとなると、そう、うまくはいきません。

 

ステージは、それが通じるかどうか自分にはっきりわかるものです。人と違うことをやるには、パワーが必要となります。人とは違うことをやる場がステージです。

 

そのまま読むなということではなくて。小手先でやってはいけないのです。ここでは大きな 試みをしてもらいたいです。自分の空間があるわけですから、ちっぽけなことでなく、最大限に大きなことを自分でやってみようとすることです。

 

全身をかけても「もう息が吐けないのだ」「声がここまでしかないのだ」「ことばがあそこまでだ」というギリギリのところまでやれば、何か伝えられるものがあるのです。そして、力不足もわかります。

 

体を使ったものに関しては、少々、音程やリズムがおかしくなっても、息がとぎれても、それは作品になりえます。大きな動きで、うねりや方向性でもっていくのです。なりえる可能性を探ることが、課題です。

 

その上に本当のセンスや展開が入るべきで、先にセンスや展開で歌っていこうというのは、所詮、本埸の レベルでは通用しないと思ってよいです。

 

ここは誰もがしっかりと聴いてくれるというあたたかい場です。

しかし、同時に冷たい視線に自分がさらされます。

それをホットにできることが、その人の力です。

 

自分だけの思い込みでは通じません。汗をかいて、熱くなってその熱を少しでも伝えようとしていること、ステージをホットな空間にすることの稹み重ねが大切です。

 

奇抜なものでもどんどん実験してほしいし、理解不能の変なものを見たいと思っています。これも支える力がないと伝わりません。100パターンぐらい練り込み、今回はこれで勝負すると相当練り直してこないとできないでしょう。

 

何よりも集中力が必要になります。3分間でも、体力、集中力をもたせるのは大変です。

歌の世界だけではなく、何事においてもタフさというのは必要になります。

 

眠くなって意讖もうろうとしても、ここに人ったらピンとする芸人魂みたいなものです。当然のことながら、最後まで一瞬のスキもなく演じきらなければいけないです。

 

演じきるというのは、自分がだすものをだしきって、それで終わりです。終わりもせず、集結もつけないままで動けるのは、歌の世界に入り切れなかったからです。当然、お客さんはひきつけられないです。

 

一つの世界をつくりだせたなら、そこからすぐには動けないです。

一曲を歌い終えて、間もなくすぐに次の曲に入れるなんて器用なことができるわけがありません。



常に、戦ってないとだめです。ここは全神経を集中させて、戦う埸でよいと思います。同時にやすらぐこともやらなければいけないのですが、体力の面も含めて、結局、技術のなせることなのです。

 

ヴォーカリス卜の体をもつことです。

ステージで崖っぷちに立ったようにやっている人もいますけれど、今はそれでもよいでしょう。追いつめられると何かがでてきます。

 

全体的に、少しうまくまとめてやろうという傾向がでている感じがするので、大きい試みができるような選曲をしてもらった方がよいです。絶対に伝えたいものを統一して、自分をだしてもらいたいものです。

歌を伝えるなり、自分自身を伝えるなり、歌う理由があってそれではじめて歌っているのだという、存在感が伝わることを望みます。

 

                                              



 

レッスン録 課題曲

「赤とんぼ」②(All・All)



今回は、ことばをきちんと処理するということと、オリジナリティがみえるかというのが、一つの期待でした。これだけ多くの人間がいて、同じ歌を歌うのですから、当然、違ってこなければいけないと思います。

ゆったりとしたフレーズなので、声なり呼吸なりを通じて時間の間隔、場面の移動、流れの密度みたいなものが、もう少しでてきてもよいのではないかと思います。

 

課題曲の選曲には、皆、いろいろ不満があるのでしょうが、皆が自由曲で選曲するのに私も不満があるのと同じようなもので、おたがいさまです(笑)。



そこで感じたものを伝えられればよいのです。自分なりにどんな解釈しても、歌詞をかえてもよいといっています。ただ感じるところから、伝えて歌わないといけないです。課題が何であれ、つきつめて何かを発見し、それを表現し、そういうなかで歌を深めるということです。

 

全体的にみて痛々しいというか、暗いというか重いですね。この場を突き破るぐらいに表現して欲しいものです。といっても、何も大きな声をだせというのではなく、場の中にとけこもうとか、存在不明にならないことです。

 

この雰囲気の中で歌うのは大変だと思いますが、二通りあってよいと思うのです。ここを凍てつかせるような歌い方や、みんなによけられてしまうような歌い方をする人もいます。

中途半端はよくないです。どっちでもやるなら徹底してきちんとやることです。それは一つの力です。理解できないものでもよいのです。



舞台では、まず聞いている人を元気にさせることです。人はどんなに暗い表現でも、のまれてしまうと、力を感じます。病人をも元気にさせるのが歌であって、死なせてはなりません(笑)。

 

はっきりいって疲れます。疲れ方が心地よくないです。元気になって倒れるならよいのですが、具合の悪くなる疲れ方です。

 

レベルを問うているのでなく、一人ひとりが自分のできるベストをもってくることができていないからです。サービス精神という意味からいっても、プロの歌い手レベルからいっても、みんなが思っている以上に、大きなことをやっています。

 

人を退屈させないことも条件です。 これでもか、これでもかと繰りだしていけばいいのです。最終的にここで印象を残していけるかどうかです。次におよび がかかるのか、それとも、もういいと判断されるのかということです。



印象に残るというのは大切なことです。それは歌だけの話ではないです。気づかい、心配り、すべてにおいて、まだお客さん側の人が少なくないようです。

 

リズムや音程などの問題もありますが、いつもの問題として、流れがない、キレがないです。派手になることではなく、何をしたいのか見えるようにという意味で、です。

ぐいっと引きつけるか、ぶっとはすか、どっちかぐらいに単純にしてください。考え込ませないでください。

 

声の技術とかは考えても、仕方ないのです。実験の場ということであれば、何もしないよりは何かしてもらった方がよいと思いますが、歌いこなすだけでは意味がないのです。

歌が口先になってくると、声の支えがなくて、伝わるものも薄まってしまうのです。

 

主人公意識をもち、そして自立していることです。ここの場合は、自分の世界をつくる気になればいくらでもつくれる はずです。誰もモノを投げませんし、ストップもかけません。

 

歌詞を忘れた人に歌詞をよんであげるような互助精神めいたものは見せて欲しくありません。そこまで自分たちを落としめないように、と思います。

こういうのは、アーティストシッブでなく、単なるおせっかいです。歌詞など間違おうと忘れようと、舞台が揺るがないでもたせるくらいシャキっとしてくだ さい。



 他のステージと違うことは、ここでは自分と作品と表現のことだけ考えて一所懸命やってもらったらよいということです。

この人はどこまでいくのだろうという可能性をみせてください。歌での完成度は問うていませんし、どういう形で歌おうが、発表会ではありませんから細かい注意はしません。だから、自分でわかって欲しいのです。 

 

声に関しては、こわごわ使っても仕方ありません。あるものしか使えないわけです。それで、通用できるところまでやっていくことです。



ヴォイストレーニングの判断基準を何かいろいろ複雑に考え過ぎていると思うのです。パワフルに歌おうとトレーニングをしにきて、前よりパワフルでなくなったら何のためにやっているのでしょうか。

 

当然のことながら、そういう時期もでてきます。2オクターブだして歌っていた人が、2音、3音でチェックされて、それも正しくないといわれているわけですから。

しかし、前に戻るわけではないのですから、違う意味で前以上のことができるはずなのです。それができなければ、トレーニングの意昧自体がないと思います。



重さというのも、つきつめていけば軽くなっていきますし、暗さもとことんつきつめれば、明るくなっていきます。そういう要素があります。

中途半端で、使えるところまでいっていないから、よくないというだけです。あとはレッスンでがんばっているのが、ここであらわれるかどうかです。

 

基本的には人に頼らないで、自分の判断でやっていけばよいと思います。最高のものをめざし、熱意をかけていけばよいのです。

逆にがんばっているつもりとか、レッスンにたくさんでているという形だけになる方が怖いです。

レッスンにでられなくとも、何か内的にためておいて、それをこの埸で爆発できれば、何かしら表現力にはなります。

 

1曲なら伝わるけれど、コンスタントには伝わらないのでは、はったりやおどしになってしまいます。でも、そういうものを積み重ねていくと、態度、顔つき、歌などにあらわれてきます。そういうところをみています。



レーニングをしていることがあたりまえになってしまえば、毎日のレッスンでなく、そこで何ができたかに価値をおくようになります。何ができたかが全てです。今でなくともいずれ、何ができていくかに注目しましょう。

 

なるだけ大きく望んでください。それがここでできること、最高に与えられるための条件だと思います。

どんなにやっても充分といわれるものの半分にも満たない、ふところの深さがここにはあります。

 

二年で、その2、3割もわかれば相当、早い方でしょう。他の舞台だとお客さんには、あまり大きく望まれません。外国でやると、ここで通じることは最低条件になりますが、日本の場合はさほど望まれないです。

 

そうすると、自分が望まないと何ともならないです。大きく望んだら、どんどん身についていきます。そういう面で一流のものをたくさん聴くようにしてください。



まだ体の中で歌っているような、体のそこにものすごく何かがたまってきて、それがでてきているというエネルギーみたいなものが感じられないのです。

 

中には「うまくならないよ」「声が身につかないよ」と悲痛に叫んでいるような人もいましたけれど、それはそれで感じています(笑)。

みんなが 悩んでいるようですが、要はトレーニングなどしなくても歌えるものだよというところに戻れば、そんなに難しくないの です。

 

まず、評価しようという気にさせないでください。間いていて手もちぶさただから、つい評価してしまうのです。本当は評価されるというのはおかしいのであって、聞こうという気にさせる。いや聞かせてしまうだけでしょう。

 

そのために は、ここに立ったとき、どうすればよいのかということです。あんまりここに圧迫されないように、どんどん重くなってくる感じがします。

V検が重いのは、お客のはずの私のこわばった表情のせいでなく、歌い手であるはずのみんなの厚化粧の仏頂づらのせいです(笑〉。

 

人間の味みたいなものがでてくれば、それはそれでよいと思うのです。

「赤とんぼ」でも、もう少し歌を愛するというが、つまり、とんぼさんを大切にしてやらないとだめだと思います。




ポピュラー、ジャズなどいろいろ聞かせてもらいましたが。歌ってしまっています。その前にだいぶ段階があるのではないかと思います。技術が伴っていないから、それなりに練習し、思いを入れつつも、表情にあらわれてこないというのもありますが、もう少し大切にできそうな感じがします。

 

私やトレーナーの一見、ぶっきらぼうでありながら、一端、歌うと動きだす顔やホッペのやわらかさを少しは見習ってください(笑)。

 

別に人間性がどうとか、小難しく歌を理解しろとはいいませんが、伝えること、それから3分間もたせることの難しさは感じてやって欲しいと思います。

ことばでいうより、歌の方が難しいのですが、ことば自体の表現にかなわないのであれば、歌うということを考え直さないといけないです。

歌にするからみんな悩んでいくのですが、本当はもっと自分の声があるのだと自僧をもってやることです。

 

声やことばを聞いたら、全くやっていない人より、皆、力をもっていると思います。そのために何もできなくなるというのは、おかしな話でしょう。

自信をもってください。これだけあれやこれやいわれるのは、半分は、精神面のことについてなのです。完全ということは全然、考える必要はないです。

 

むこうのヴォーカリストと比べてなぜできないのだろうと、悩むのでなく、自分の中に歌を自分でみつけていくのです。余計なことで悩む必要はないです。

どんどんと難しく捉えていくようなところがあります。要は人の心を動かして、聞く人に応援してやろうと思わせればよいのです。

 

ことばに音楽がつくと、いかに難しくなるかは知っていますが、比べてみたら同じことです。よいことで悩むのはよいけれど、「声がでないから歌えない」「ここでまともな作品がみせられない」というのは悩むほどのことではないです。そういうふうに考えてもらって、がんばってください。