ステージ実習
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トレーナーコメント1〜3
出演者の感想1〜3
出演者へのメッセージ
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トレーナーコメント1
誰でも整備の行き届いた車に乗って、かっこよくハイ・ウェイを突っ走りたいものです。今回は、整備の行き届かない車が多かったように思います。体のカの使い方などは、人それぞれであっていいでしょう。しかし、自分の体の活かし方に、雑さが見受けられました。
強く声を出そうとして、中高音でのどを締めてしまったりすることをいっているのです。短い音でのどを開いて、徐々に音の長さをのばして練習するといいでしょう。
私は以前から、プロ・ヴォーカルの出す声の出し方に感心を持ってきましだ。
「あのやり方は、結局のどを痛める。きっと終わったら、がらがら声でしゃべるぞとか、「あれでは声の支えがなく、体に無理を強いているから、破綻がくるので云々…」などと、とてもいやらしい近視眼的な見方を持っています。
しかし、それも自分の求める本物の声をつかむためには、必要な見方でもあります。自分に必要な声の情報を振り分けて、頭の中に整理するためです。様々な「見取り方」を身につけるのも、芸の力を得る道なのです。
ざっと気のついた点をいくつか挙げておきます。
ここでは、体の使い方が大きな課題の一つですが、体を入れて歌うか、意識的に入れないで歌うかを決めて、練習しなければなりません。しかし反対に、体を使うことを意識しすぎて、バランスを大きく崩してしまった人もいました。体の準備ができていないのに、その器もないのに、無理な力を入れて歌うからです。これは、私自身にも言えることなのですが。
まったくステージは、いつもながら難しいものですね。歌いにきているのに、歌わしてくれない。作ってきた力を適切に使えないと、許してくれません。歌わないように意識すれば、まったく息の抜けたものになってしまいます。鍛錬することを続け、歌うときになっても、さらに力で勝負しなければならないときの歌は、流麗で楽しい歌というよりも、訓練の一貫といったものになるでしょう。
私は、ここは、それでいいと思っています。それは、今から歌っていくことと同時に、本当に歌うための力を付けている最中であるからです。表現も、心も、姿勢も、呼吸も、発声も、ここでは、しっかりしたものを求めているからです。簡単に言えば、太く作っておいて、細くやればいいのです。苦しんで練習して、楽に勝てばいいのです。
しかし、逆はできないものです。その埸の雰囲気にのまれて、緊張してしまい、普段の力は出せないものです。だから、幾度も繰り返し、その緊張に身 をさらし、思いつく限りの手を尽くしながら、実験を繰り返しましょう。それが後になって、自分を高めてくれます。
こんなことで、精神的にも、生理的にもビビってうまくいかないのなら、そんなものは捨てなさい。そして新しく作り直していくのです。歌えなくてもいいから、自分を磨いている姿だけは、見せられるようにしなくてはなりません。
たとえ、ここで見事に歌い上げることができても、ここはステップにすぎません。世界の場で歌ったときに、初めて一息ついてください。
とりあえず、緊張とうまくつきあっていく方法を、身につけなくてはいけません。難しいものですね。緊張しないと、歌は生きない。緊張しすぎると、体の各部にも影響が出て、スムーズに歌わせてくれない。これは、練習と経験の積み重ねで解決していこうではないですか。
歌は体のことを考えすぎると、息と体のコントロールを、意外と失うものです。体がどれだけできているかなどという、習得度みたいなものは、どんなに必要なところを太く強くしても、歌という縦横無尽なバランスの前では、簡単に機能しなくなることがあります。
また、発声に使う人間の筋肉は、そんなに強いものではないのです。つまり、ここで言いたいことは、体づくりプラス、それをスムーズに使うための練習も必要だということです。
体を鍛えないで、うまく歌うことに移っては、体で息をコントロールすることができなくなりまず。土台の安定しない声では、歌唱の力は、常に半減すると言わざるを得ません。
歌を意識するあまり、 歌につぶされてしまうことがあります。どうしても、うまく歌おうとして、固くなってしまうものです。うまく歌う力がないのに、うまく歌うとすると、破綻が起きて、そのうち心も体も崩れていってしまいます。
しかし、もしうまく歌える力が付いたら、その力を使えるように、コンディションだけを整えればいいのです。それ以上の力はいりません。これが調整です。ここまで来て初めてできる調整です。
努力で勝ち取った、うまく歌うカは、神様からの贈り物です。少しずつししか増えませんが、もしその力が付いたら、今度はそれをうまく出すことを考えればいいのです。
するとその場の雰囲気や、うまく歌えないことを気にすることも忘れて、長いキャリアの中で鍛えた感性が助けて、うまく歌うことに神経が集中してくるのです。これが歌における、精神的な集中なのではないでしょうか。
そのとき、心と体は一体であると感覚しているのです。そうなるまでは、ひたすら練習し続けなければなりません。体のトレーニングを通じて、 喉の隔整や共鳴がわかってくるまで、じっくりと体づくりを進めていって下さい。
今回は、かなり「歌会」的になってきているなぁと感じましたが、皆さんはどう思われたでしょうか。日頃のトレーニングの成果を問う。歌手の登竜門として、が、私の理想です。
出演者の感想
まともに歌えた。歌っていて気持ちが良かった。感情を込めることができた。練習よりも珍しくうまくいった。その原 因は、ヴォーカルに対する認識が深くなった、及び、ヴォーカルの原点に戻ることかできたからだと分析する。本番に強くなった。
ここのお客は厳しいなあと実感したこと。
決めておいたとおりに、言葉を詰められた。目を閉じっぱなしのことが多いが、今日は少しだけ目を開けていた。
心に、冷静な意味で「歌うことができる」という余裕がなかった。
体ができていないと、いざというときにごまかしかきかないですね。声のポジションがぶっとんじゃって、二度とかえってこなかった。
体を使っていない。怠け者のまんまで最後まで歌っているので、パワーはないし、何といいたいのかちっとも伝わらない。あー、ニセモノなんだなあ。もっと爆発できるように、普段から燦発しているようにするぞ!
先生のおっしゃるとおりで、計算だけが耳についたでしょう。後は、全体の声の迫力がなく、普段、何の練習をしているのかと、情けなくなってしまった。
基本に返ること。結局は、集中力が欠けているだけなのでしょうか。
原曲通り、素直に歌っても、フレーズと言葉につながりを持たせられるだけの体に、少しずつでも近づけること。
ここの重苦しい雰囲気を、そのまま歌に出したら、負けだと思う。技術の面では、日頃徹底してやってきて、この場で はコンセントレーションとかに気持ちをもって行くべき。
もう一息、インパクトをつけられたら、もっとよかった。
全般的に、みんな上達していると感じた。俺も誰にも負けやしないぜ。
観客を引き込むということは、なんと難しいのだろう。歌の部分部分で、ほんの少し歌の世界に入り込めるのだけど、 後の90%くらいは、現実を忘れられない。
無意識のうちに音量をコントロールできるくらい、歌い込む。音をはずさない。基本。
終わった後、すぐに映像で見られるのはとてもうれしい。歌っていると気づかないことも、外から見ると、よくわかったりする。
プロのフレーズから抜け出せないのは、歌い込みがたりない からなんだ。悩む前に、練習だーっ。
盛り上げるところで、ためらわずに、もっと押していくといいと思った。
表幡の乏しさ。ほとんどの人が、目をつぶったままでず一つと歌ってしまったり。見ている方にうったえるものがない。 もっと研究できると思う。
トレーナーコメント2
体を鍛えているときだから、体を使うことを意識して声を出すようにする姿勢が大切です。深い息をつかもうと鍛錬しはじめたのですから、何とかその息を生かそうとして歌おうとするのは普通のことです。
しかし、楽に歌うことと、体を使って歌うこととは、それぞれが上手く働かないと、うまく歌えません。つまり、今は体を鍛えている最中なので、なかなか、体をうまく使いながら歌うことはできないはずです。
深い息に声を、フレースを完全に乗せられるまでは、うまく歌えないことになります。でも、体づくりはやらなければ、体は変わりようがないのですから、続けていくしかありません。ここで自分の体と格闘しながら、歌っていくべき時期だということです。
私が、このグレードで見たいのは、自分の体と歌と格闘していく皆さんの姿なのです。うまく歌うために、歌えそうなところで軽く流していたら、歌うポイントは覚えているでしょうけれども。体の方は短期間に変えることはできません。今しっかり鍛えて、将来歌うか、今歌って、将来も同じ声で歌うかを決めなければいけません。
「赤とんぼ」はテンポも遅く、レガートの曲なので、息のコントロールがとても難しかったと思います。スタッカートで深い息をつかまえようとしてしるときに、レガートで歌うことは、逆に、体と息のバランスを乱す結果に終わってしまった人もいたと思います。
ここで息の配分について、参考程度に述べておきます。体を使って、深い息を歌の中で意識的に使おうとすると、胴体の筋肉などで、過度に肺やお腹を閉め込んでしまうことがおきます。緊張のため、あまり呼気することができずに、少ない息を過度の筋肉の締め付けで追い出してしまいます。
これで息が続かない現象がおき、過度に緊張した筋肉が解放されることを望みますが、わずかの間に息継ぎをすませなければならなくて、大して筋肉の緊張はとれないまま、次の息吐きに入ってしまいます。
これには「ロック・ヴォーカル基本講座」の、声づくり編の「深い息をつくるトレーニング」をもう一度、きちんと練習し直すのがよいでしょう。
深い息とは、そう簡単に口の外側へ吐き出せるものではありません。だから、深い息はあたかも体の中に残っていて、歌を歌っている最中は、自然に体の中に残り、効いている感じです。ですから、息をすぐに体から追い出すより、体を使って体に向かって吐く深さが必耍です。
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出演者の感想
つつがなく終わった。リラックスしてできた。トレーニングの成果により、高音の響きを以前よりもとれるようになっ た。(特にイ、ウ)
安定性、声の太さ、息つぎ
歌が全然自分のものになっていない。
集中しきれなかった。
キー設定にしてもそうだが、もっと思い切って、限界まで歌い込めた方がよかった。失敗を恐れている割には、平気で 失敗していて、情けない。
自由曲どうしよう。先日、「レパートリー20曲はないとね」と言われてしまった。人前で歌うには、細かいところまでつめなければならないとなると、手持ちの曲は曲ちょっとしかなかったのだ。先日のライブで も、楽譜見ながら10曲がやっと。青ざめてしまっている。
自分の歌をやれなかった。詞への集中と、気迫が今一つ足りなかった。ビデオを見て気づいたこと→詞の表現が全然ダメだ。だれている。途中でアゴがあがってしまった。声のポジションに気を使うべきだ。
声が震てしまって、何で?と思いながら歌っていた。練習不足だ。
深さと安定性。
結局、喉で歌っているから、こういうざまになる。
もっと体を深く使って、強い体を作ること。
自分のいい歌を歌う。全力を出し切る。独自性の追求。照明のコントロール。
声が不安定。体が使えないのでしょう。声の粒が点になっていて、線になっていない。
今まで何をやっていたのだろう。大学時代からやってはきたが、サークルで学祭や発表会に出るたびに、新曲を不完全なまま歌っておしまい。1曲を大切に完成させていくことの重みを感じている毎日。
課題曲は、哀愁が漂っていてよかった。結構好きだった。自由曲は、課題曲と正反対の歌なのに、哀愁を引きずってしまった。もっと明るく、さっぱりと歌えなかったものかと反省。上映会は勉強になる。
ここをやめるというのは、俺にとって歌うことをやめるかのようなニュアンスを感じる。やめるときも肝心だろうけど、まだ0から1にあがったくらいの声で、今やめたら、も1も10も100も訳がわかんなくなってしまうような気がする。
初めて出たとき、誰かが自由曲で歌っていたのが、確か「赤トンボ」だった。そのとき、「赤トンボ」をこ んなに感勁的に歌える人がいるんだと、ただただびっくりしたのを、今でもはっきり覚えている。私もこんな風に人に感動を与えることができるようになりたいと思い統けて、今日まできたけれど、人の気持ちを動かすのが、これほど難しい とは思わなかった。
「中途半端はいけない」と総評でおっしゃったところに、先生の人間性がうかがえる。だから、いつも清冽な厳しさでみんなに接しているんだなとつくづく思った。その厳しさに落ち込むこともあるけれど、結構素直に耳 を傾けたりする。たぶん優しさが高じての厳しさだからではないかと思う。
私は2曲歌って、こんなに「体全部を使った」と思えたのは、初めてだった。福島先生に、「トレーニングのときの歌い方を、そのままもってきて歌う場ではない」と言われて、「自分は思いっきりトレーニングのままやってしまったな」と思った。でも、こんな風にも歌える自分があったことを確認できたので、大きな収穫だったと思う。
みんなの心が2分間分切れないようにつなぎ止めようと、心がけた。今までだったら間が悪くなってしまうような部分 も、たたみかけていけたと思う。
何を言いたいのかということを表現できなかった。ただ歌っていた気がする。それでは一体、聞いている人に、何か伝わるだろうか?歌を歌うには、体、音程、リズム他、様々なものが必要だ。体を考えると、リズムや音程か乱れる。両立するのは、すごく難しい。
練習があまりできなかったので、覚えるのに精一杯で、曲の中の構成など、曲について考えることができなかったため、とても反省している。日本人なのに日本語の歌が、外国人より上手く歌えなくて、表現するということも、改めて難しいと思い知った。緊張するという面は、今回は少なかったけど、声が浮いてしまっているのが、自分でもわかった。もっとたくさん練習していて、きちんとしたものが自分の中にあったら、また、少しは違ったのではないかと思う。
曲のなかで、まず盛り上げる部分を考える。間をもたせられるようにする。聞いていて、伴奏や、伝えたいことが、聞 き手にわからなければいけない。
今までこんな歌で、人にお金を払ってもらっていたのかと思うと、愕然。仲問だから聴いてくれるけど、プロの声 になるには、まだまだの100乗、いや、1000乗だ。LIVE終了後、すぐにビデオを見るのは、とても自分のためになる。よ くなかったところが、客観的に判断できるから。
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トレーナーコメント3
このヴォイストレーニングは、最後の一つであってほしい。音楽に必要なものを身につけに来る最後の段階。それが声であってほしい。音感・音程であってほしい、リズムであってほしい。
トレーニングの基本的要素の習得度を問われるのは、普通です。プロの登竜門に、さらに近づけるようにしていきたいと思います。
何を、どこへ、どうしていくのか。運営する者も出る者も、関わる人が見たときに、それが見えてくる。その時間にわかってくることが望ましい。
これによって、今までの私たちの活動の反省と成果が浮かび上がってくるようでなくてはならないと思います。全てのトレーニングの総括であることか望ましいのではないでしょうか。混沌であっては好ましくありません。
きれいに歌わせていくレッスンも取り入れていくべきなのでしょうか。
うまく声をまとめていけるようにするレッスンも並行していくべきかなぁと、
つい思ってしまいました。
このヴォイストレーニング理論は、皆さんにとってわかりにくい点もあるかと思いますが(私とてまだ未熟者)世界のいろいろなヴォイストレーニングのメソッドの要素が取り入れられています。
広く、細かくまとめられており、習得していかなければならない要素が、随所にカバーされています。
それに気づくことができたら、あなたは、まだ、一つ広くなって、この卜レーニングに帰ってこれます。
ベーシックなトレーニンクを主な目的とし、トレーニングする者に強い意志と覚悟が必要とされている。さまざまなトレーニング理論のポイントが、メソッドの中に挿入されており、トレーニングを突き進める者には、全体として広く、深く、各々のトレーニングを進行していくように組まれていると言えます。このヴォイストレーニング理論の長所の一つです。
一端離れて、他のトレーニングを覗いてみてもいいでしょう。そしてまた、このヴォイストレーニング理論に、トレーニングの延長線上に帰ってこれれば、それはトレーニングを見直すことであり、本当の意味での練習の重踏が、あなたの身に還元されていくでしょう。
実践力をつけていこうとする中で得られていく知讖が、より大きな視点でトレーニングを見抜いていく力を与えてくれます。我々の目的は、ステージでの実践力をつけることにあります。
そのだめにも、それぞれの成果を出し合って、理解と実力を、自らの力で勝ち取っていく場であってほしいと思います。
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出演者の感想
いつも低レベルなことになってしまうが、意外とリラックスしていたので、表現できていたかどうかは別として、頭の中で情景を思い浮かべたりしながら、歌えた。
鍋にたとえるなら、ふきこぼれないように、中火でトロトロ煮ている感じ。もっとこぼれるくらい、沸騰させないといけないと思う。
ここ一番で体が動かない。効いてくれない。気持ちがほぐれていても、体がほぐれていない。
自分の気持ちと、外の世界の間にフィルターがかかっていて、ふっきって表現することができていないので、もっと裸 になれるようにしたい。
自分で考えたイメージ、情景が半分もできなかった。その言葉に含まれる意味を、もっと吟味しなければ。
他人の二倍の時間歌ったわりに、汗一つかかないというのは、やはり異常だ。いかにちゃんと歌っていないかということの証拠だ。
それぞれの個性がよく出ている。最近よく思うがが、単にうまい人より、オリジナリティーのある人の方に魅力を感じる。その人の人生観や苦労が、歌ににじみでている人は、涙が出そうになる。
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出演者への感想 個別
いい意味で、完璧を目指さない方かいいと思う。間違ってはいけないという意識がすごく強いと思った。前に出て歌うからには、間違っても「すみません」はいらないと思うし、そんなに自分が思っているほど下手じゃないのに。
息の漏れる音がしている。はたしていいことなのか、 悪いことなのか。本人のカラーにあっていれば、何でもありかな。
動きがぎこちないので、歌声のように、迫力ある姿勢でたった方がよいと思うが、どうでしょうか。
気迫を感じない。もっとみんな全力を出しきれるはずだ。
自分のことでもあるが、歌おう、歇おうと、頭の中で色々なチェック(息の深さ、フレーズの流れ、表現…)を気にせ ず、へたくそな歌でも、素直に楽しんでうたった方が、伝わると思う。
ライブなどやっている人は、しっかりと前を向いて歌っているのに比べ、他は下を向いていて、歌か少しも前に出てこない。とっても残念なことだと思う。スタートラインにも立っていないようで、はがゆい気持ちで一杯だった。
志の低い人を見かけるたびに思う。自分の意識もまだまだ低い。目を閉じて聴いていると、恐ろしいほど声の線が見えてくる。歌っているときの表情や、体の勁きも、何となく浮かんでくる。先生がいつもそうしている理由がわかったよう な気がした。
10の中で、悪いはどうでもよいから、1を見て、認めていかないと始まらない気がする。
一部を除いて、みんなそうなのだが、うちにこもって歌いすぎている。歌はみんなに向かって歌うものだと思う。高音に無理がある。キーの設定に気をつけましょう。
ちょっと歌を崩しすぎているかな?と思われる人がいた。私を含め、どうしても浅い部分が出やすいので、気 をつけましょう。
見ていて、どんな歌であれ、人の歌う姿はいいものだと思った。感動とか、すごいとか、そういうことじゃなくて、とてもいいものだと。それをいつもプロとして歌うという基準でしかみれなかったのは、つまらないことだった なと。自分が歌っている姿は、ここまでいいものなんだろうか。そのことについて、もっと考えてみようと思う。
みんな、それぞれの印象が強かった。やっぱり上の人は声がよく出ていた。びっくり。ギターはすごく楽しくてGOOD。 アカペラも、緊張感が気持ちいい。
「いそしぎ」が渋い!
歌の紹介や、「巨人の優勝、おめでとう」など、観客とのコミュニケーションがあってよかった。
「マイウェイ」、以前と比べて、声がすごく出るようになった。MCがうまい。慣れている。ギターが上手で、あの笛のようなのがよかった。オリジナリティが出ていた。
スペイン晤の 「マイウェイ」、初めて聴いたけど、ノリがよくて楽しかった。マイクなしで、あれだけ声が出せてすごい。
発音がきれいで、自分の表現を持っている人なので、自分らしさが出ていた。南さん→会場を盛り上げて、 楽しませてくれた。
やはりすごい。マイクなしで あんなに声が出て、人を惹きつけるとは。自分もあのくら い、声を出したい。
声が伸びやかで、聴いていて気持ちよかった。ギターと友進で、自分の世界を作っていた。
アカペラにもかかわらず、私がマイクで歌うよりも、ホールに声が響いていて、力の差を強く感じた。声 のポジションが深い。
前よりも中音が前に出てきてよかった。口をそれほど大きくあけなくても、言葉がちゃんと聞こえていて、だらしない発音になってしまう私としては、うらやましかった。
華と誠実さの両方がある、人に届く声だと思う。
自由曲で、安定した実力がわかる。
高音部、低音師とも、どちらかが悪いということもなく、サビでも堂々と声を出していて、力強かった。
体が1つの楽器化しているのですね。とてもGood。歌訶が入ると、どうも張り上げすぎのような気がして…。でも勉強になった。
自由曲の後半がよかった。何か、伝わるものがあった。
独自のものがあると思う。言葉により、フレーズが変わったりしていて、ある意味で、歌の原点に近いも のがある。
前にもまして、声が深く、広く、自然で、気持ちよくなったと思う。
とにかく、声がたっぷり出ている。
安心して聴ける。「今日は何をしてくれるんだ?」という期待がある。声量とパワーに脱帽。
自由曲は歌い込んだんだろうなと思った。歌は歌い込まないとダメだなと思った。
体と声、表現のバランスがよかった。しばらく見ない間にすごみが増した。
みんなの中で一番声が大きい。しかも完璧に自分のスタイルを持っている。何がやりたいのか、はっきりし ている。
若干独りよがりな印象を受ける。
腰をくねらす動き。
ちょっと突っ走りすぎるところかあるので、そこが難だが、でも逆に魅力になっているとも言える。
歌が上達した。歌の何たるかを表現できるようになったと思う。
よい見本を目標に、ふつうに練習すれば、当然のごとく上達するということを、絵に描いたように見せてくれた。本物のシャウトを見せてくれた。今までの彼の中で、ベストだろう。参考になった。拍手。
いつもながら情熱的で、個性がよい面として出ていると思う。
上のクラスの人、声が体にはいっているのがうらやましい。
いつも斬新な曲を聘かせてくれる。
以前一緒に話したとき、子供のころの遊びの中の歌、母親の子守歌、童謡といった類の歌に魅力を感じる、 というようなことを力説していたことを思い出した。華やかなステージの上で、ライトを浴びて歌うのだけが歌じゃない と、思い出させてもらった。
すべての人の胸の内に、神と呼ぶべきものがいる。人の 数だけ、神か存在しうる。究極の声のポジションも、もしかしたら、そこなのかも知れない。そんな気がする。
オリジナル曲から主張が伝わってくる。過去のいくつかの曲も含め、共通したメッセージを感じた。このままの方向で曲を作っていってほしい。次回作が楽しみ。
私には全然ない、声の迫力がある。長くのばして歌ったりとか、歌い方にも幅があ る。
間を長く取っていましたが、私はこの曲を知っていたので、心の中で、テンポを合わせて、コードが流れていたので、間が持ったということもある。しかし、よく知っている曲を、ああいう風に変えて歌われると、イメージが変わって、いやになることもあるが、そうは思わなかったので、参考にしたい。また、最後の、ハミングの部分も、単なる付け足しになっていなくて、雰囲気があってよかった。
課題曲、よかった。自由曲は何でも0Kっていう、場数やら、精神的なものが感じられた。
自由曲の歌い方に、魅きつけられた。詞の世界が伝わる感じ。私もこの人くらい、強いものを出したい。
しばらく見ない間に、ずいぶん太い声になって、びっくり。努力してるんだな。
歌を聞くと、こういう方向で表現したいんだなというのがわかる。バーンと声が太く出るようになったら、個性が生きて、きっとすごいと思う。
ほっとする。暖かいものを持っている人だといつも思う。あの場に立って、こういうことを感じさせるって、なかなかないと思う。
体のノリが結構すき。
息つぎの音までも、音楽になっている。ムダがない。あやかりたい。
演劇を見ているように、状況が浮かんでくる歌い方でよかった。勉強になった。役者のようだった。
雰囲気がいいなと思った。きっとジャズとか好きなんでしょうね。リズムに乗って歌うと、もっといいだろ うなと思った。何人かの表情で、いいなと思うときがあった。雰囲気のすがすがしい人もいた。
POWERと迫力って、このことだと思った。向かってくる強さがあって、いい。
声のパワーが前とは全然違っていて、びっくりした。自由曲もしっかり歌っていたし、そうとう練習 したね。
以前に比べて、ずいぶんと表現したいことが表面に出るようになったと思う。
素直に気持ちが出ていた。歌の主人公の気持ちに共感できた。
最初から最後まで、しっかりと歌っていた。
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