一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レッスン感想  407

レッスン感想  

 

今日の授莱は、すべてが機械的になりつつある現代人の(もちろん自分も含めて)、物事に対する受けとめ方に対する、自分の感性を磨くための、大切な手がかりになった。

それは音楽だけじゃなく、ほかの色々なことにも当てはまると思うし、あくまで僕らは音楽でやっていこうと思っているがためのことでもないだろう。昔の人々が、魂のこもった音楽や、歌を歌っていたこともすごくうなづける。

今日の授集を手がかりに、表現にとっての音のイメージを広げていこうと思う。

 

両手を腰に当てて、腰を膨らませるようにするのと、息を吐くのを、一緒に(同時に)やろうとトライしていたとき、先生に「肩の力を抜いて」と言われた。言われたとおり、肩や他のところの余計な力を抜き、腰の底で「ささえるように」 続けると、腰にどかんと響くような息の吐き方ができた。 (家でやるときに、体で思い 出すようにしたい)

 

息もれの癖があるせいもあるだろうが、低い音で声になりにくくなると、息を吐き出してしまっている。息を吐き出すのではなく、息を流す(または、胸にぶつける)ように変えてやってみる。思いっきり声を出すとき、かなり体を締めつけている。それは息が細いからだとわかった。楽するためには、息を太くすること。

 

楽器のつもりでフレーズを歌ってみる。流れがイメージしやすい。そこに言葉が伝わるようにおいていきたいが、ギャップが出てしまう。サビの後のフレーズできちんとまとめること…集中力を1曲もたせるのは大変だと思った。最後の方は流れてしまいがち。意味なく間をあけたり、音を伸ばしても不自然。

 

「ハイ、ハイ、ハイ」など、均等に体を使うということ。自分では同じだと思っていても、実際はどうだかわからない。録音してみようと思う。ラララの時、すごく暑くなった。少し汗をかいていた。今までも汗をかくことはあったけど、それほどでもなかったのでビックリした。でも、言葉が変わると全然ダメで、長くなるとよけいダメ。少しずつ、ほんの少しずつだけど、感覚がつかめてきているような気がする。

 

プロフェッショナルな歌を聴いたときに、自分の体に置き換えるようになる。体で考えるより、シンプルに考える。

 

装飾音について、初めて知った。toがそうだとか。注意深く聴けるようにする。

 

 8ビートは4拍子とは違う。自分の体の中に裏打ちのリズムを作れば、うねりが出てくる。さらに、その裏のリズムが複数の人間で共通したとき、ノリが生まれる。

 

口を大きく開けるのが重要なのではなく、口の中を縦長に大きくあけ、下を平らにすることが、喉を開放することなのだとわかった。舌先が歯の裏に当たった状態にするのが難しい。

 

以前よりも声が出ている人がいて、びっくりした。また、声が出るということは、本当に説得力があることだと思った。 

 

単純な4ビートでも、長くやるとずれが生じてくるのは、単に個々の音の連続としてとらえるからで、音の流れ=音楽としてとらえなければならない。

 

3ヶ月くらい前に、同じようなクラスに出たときと比べてみよう。前回は、のど声だろうとかまわずに、大きな声で、めいっぱい表現していた。今は、ポジションを低くとか、のど声にならないようにとか、いろいろ制約を考えてしまって、全然思った通りの声が出ない。

 

先生が言っていた、「ヴォイストレーニングを初めて少したつと、歌が下手になる」というのは、こういうことか。歌にはいるときは、頭の中を空っぽにすべきだと思った。トレーニングでは考えるだけ考えておいて、できるだけ体を使おう。

 

作ろうとしすぎると、かえってよくないこと。ていねいに歌おうとすることが、まだ流れを壊してしまう。きれいなメロディーなので、口先でやってしまいがちだと思った。シカゴの人の歌をよく聴いてみると、迫力があるし、力がある。今日は半分だけ歌ったけど、1曲になると体が持たないから、平坦な歌になってしまう。パワーが足りない。

 

息を吸って、最大限お腹を膨らませ、そして息を声に出して(小さめからだんだん大きく)いく。そのときの体の感覚は、磁石の同極が向かい合ったような感じ。内側から押されるような、ちょっときつい、痛いような。その感覚を忘れないで。それが体で支えている感覚。息は、全部出すというのではなく、体の中で回転させるような。

 

まずたくさん吐く。そしてポジションを下げていき、体の奥から、体の中に向けてはいるようにしていく。最初はたくさん吐いても、密度が低い。それを密度の高い息にしていく。ウォーミングアップとクーリングダウンの重要性と、それをふまえて毎日のメニューに工夫をする。最低音から息になるあたりにある、声の根っこをつかまえる。そして、それを上に逃がさない。さらに下げるような意識を持つ。

 

レーニングの時と、フレーズを作るときの区別。体を使うといっても、「あなたのー」と全部、力で押してしまったら、フレーズにならない。深いポジションのまま、放す。放したときの声も、太く出したらそのまま声になるような声。

 

口の柔軟体操が、すごくおもしろかった。全然そんなの考えたこともなかったけど、そういえば口のまわりのリラックスはとても大事なことなんだと改めて思った。

 

「ハイ」で深くとれるところでも、レガートで膨らませることができない。少し音程があがると、ポジションがあがってしまい、声をぶつけてしまう。ベストのところで音程をあげて、同じポジションで出せるように・・・できなかったら、戻ってそこを深める。カでもっていかないように。レガートの練習。もっと大きく出そうとしてもできない。息吐き、体づくりも焦らずに、確実にする。

 

音楽は不思議だ。イメージ、音程、リズム、この3つが混じり合うと、スケールの大きなものができる可能性がある。1 つだけだと、こじんまりしたものでしかないのにね。そして また、この混じりあったものをしっかり押さえていれば、1 つ1つをビックアップしても、すごく生き生きしてくる。1 人でアカペラで歌うみたいなものが、見つけられた。

 

とにかく壊そうと思う。壊すと、違う自分が出てくるようだ。面白いからもっとやろう。

 

深い息をつくる。息を吸って、自然に膨らんだお腹のまま踏ん張るというのができない。というか、できるようになるのが、まずはじめということを学んだ。

 

「Silent Night」をフレーズで歌うこと。単語に1つ1つ分かれないように、一つの息の中に織り込むことが大切。計算しすぎて、小手先の強弱にならないように、なおかつ、調整すること。息をどれだけ吐けるかが、歌の表現としても、生きてくること。1つの音階を、ある1種類のカラーの出し方で はなく、浮かせたり、細くしたり、「声区」をもつことが、大切だと学んだ。

 

以前から、自分の歌が一本調子で面白くないと思っていたが、この声区と、やはり、どれだけ体から深く息を吐ききることができるかが、大きく関係していると思 った。とにもかくにも、体さえできれば、重くも軽くも、自在だということだ。

 

フレーズでとらえることの大切さ。声に奥行きや表情がたくさんあること。歌はどこで伸ばすかが、ポイントである。プロは、人が次の音を想像するより、長く、深く、息があることで、人を魅きつけること。

 

使うべきところが使えているかどうか、汗の具合でもわかるような感じがした。余計な力が入っていると、疲れはするけど、ちょっと息を吐いたくらいで汗はかかない。下腹部のトレーニング。自分の体なのに、ちっとも自由に扱えない。動きがまだ小さい。

 

声を50出そうとすると、その声を出す50の息が必要で、そのまた50体が必要になる。日本人は口先で処理して声を出すことが多いので、これがバラバラになってしまっている。上手く体と息を使って声を出す感覚を身につけ、声が出せるようにする。 

 

中間音をもっと太くする。思いっきり声にして吐き出す。うまく喉に引っかからないで大きな声になると、体にかなり負担がくる。この負担を何度もかければ、うまくコントロールできるようになれるのだろう。イメージとしては、声の出るとき、上に出ていくのではなく、下に落ちる感じ。

 

息の配分がうまくいかず、言い切ることができない。流れを 展開していかなくてはならないのに、1曲はやはりきつい。 自分なりの表現が出せず、型から出れなかったと思う。1フ レーズで何通りもやってみるということを、もっと積んでい かなくてはと思った。

 

1人で練習しているときよりも、余分な緊張が人ってしまうせいか、下手だ。もっと自信を持って表現しないと。でも結構歌っているうちに、好きになった歌で、よく頭の中を回っているし、口ずさんでいるので、あまり出来とか評価がよくなかったので、ちょっとショック。 

 

この時間でいつも注意されることだが、ダイナミクスの問題!自分では十分につけているつもりだが、聴いている人に は、区別があまり伝わらない。それだけ、自分の身体ができていない、声が出ないということだ。 

 

表にしろ、裏にしろ、長時間やっていると、リズムが乱れる。とりあえず、ア・ウ・イ・オの裏打ちの練習は、家でや りたい。

 

鏡をみながら息吐きしてみると、大きく胸が上下しているのがわかった。音を出しすぎるのも問題。息吐きしてるだけでも、のどが渴いてくるのは、やっぱりよくないのでしょう。

 

声が出ないことが一番の弱点だけど、それを逃げ場所や落ち込む材料にしてはいけないと思った。表面には表れにくくても(声量のなさのため)、メリハリや構成を、もっときちんとたてていこうと思う。

 

音を探りながら出しているー音程。ロングトーンがきちんと最後まで出せない(震えたりするー発声)。1人で(ハモら ないで)歌ってみてもこの状態なので、2人で(ハモって) 歌ってみても、1つのものとして聞こえない、交わらない。 相手の音を聞いて歌えるようにする。そのためには、まず、 自分の音を自信を持って出せるようにしなければならない。

 

言葉を言ってから歌うとき、大きな声で言葉を言おうとする と、声が裏がえったりするが、メロディーをつけた方が、声の「底」をつかみやすい。まだ体が自然にポジションをとらえてくれたりはしないが、歌おうとするときには、つかもうとする習慣が付いてきた。先生のいわれたとおり、たとえ単3度くらいの音程でも、メロディーに気を取られると、感情がついてこなかったりと、もぐらたたき状態である。

 

裏拍とるときに、何となくずれがあるそうで、自分では「合ってるかな」と、よくわからなかったため、指摘していただいて、気がついた。

 

前半どんなに押さえていても、これでもかって感じで後半は 盛り上がっていくので、もう全く、体では扱えなかった。授業の前に、歌った。サビより、出だしの方がずっと難しい。Hold me now, It's hard to say I'm sorry が決まらないことには…と思っていたのに、なんだか中途半端になってしまった。

 

体のささえと、息を吐くタイミングがずれる。合わせないといけない。まだ肩、首にワンクッションおいてから、声を出している。自分でコツをつかんで、ささえてから、ストレー卜に声が出せるようにトレーニングする。中音の時の体の使い方、息の吐き方を、出しにくい低、高音の時に、特に意識していく。よりいっそう支えて、クッと押してあげる感じ で。

 

高い声を出すだけなら、ある程度出やすいが(すごく低い音に比べると)、気がつくと、のどの奥に引っかけるような発 声をしてしまうので、気をつけたい。「ハイ」でできることが「アエイオウ」だとできない。操れる息の量が、まだまだ足りないということらしい。これをよくしていくには、地道な息吐きしかないと習った。

 

歌の1フレーズをしっかり歌として人に聞かせること、しっかり歌として成り立つことが、どれほど難しいか。正直いって、自分は体づくりは毎日やっているが、歌にはほとんど取り組んでいなかったので、すごく参考になった。そして、どれだけ真剣に取り組んでも、1フレーズの言葉の処理、1つの息で行うということなど、まだまだ歌は奥が深いと思っ た。

 

深くとれるときと、その少し上になってしまうときがあり、音程も、ちょっと高いと力が人ってしまうので、放すのがうまくいかない。息の配分もうまくいかず、ギリギリでやっているために、表現にならない。でも、ベーシックなトレーニングで、体をつくりながら、フレーズの練習にも力を入れなければと思った。音程差の少ないところで練習する。

 

まわりの人々の歌の凄さにびっくり。次に控えていたこともあってか、みなさん、自分よりもレベルが上の方々だったので、その人たちのフレージングか聞けたのは、すごく貴重だった。みなさんの熱気、歌に対する一生懸命さは本当にすばらしいと思うと同時に、自分はまだまだ甘いと思った。本当に真剣にやらなくては。

 

言葉によって、出だしがうまくとれないときがある。声のかすれも。「がげぎごぐー」のとき、気をつけていないと、音1音バラバラになることがある。声を出すとき、息がもれすぎている気かする。統かない。これだから、歌の時にフレーズも膨らませられないし、迫力も出ないのだと思った。またちっとも、体力は付いていない。本当に力を抜いて、深く「ハイ」といえたときの声は、それだけで表情がある感じで、自分にこんな声が出せたのかと思う位なのに、歌の時や、普段の声とは、あまりにもかけ離れていること。今、ハイが精一杯だが、広げていきたい。

 

喉に来ているので、重心を下げること。待っている間、ただ立っていると、いきなりできない。他の人は何もしてないけど、落ちつかないように見えても、「調整」をしていきたい。

 

何をするにも、まだまだ鍛錬か足りない。先生がおっしゃったように、柔軟体操も多くして、必死でがんばりたい。

 

声が、体の作品であることが感じられて、新鮮だった。フレーズを歌うのが、空間に筆で絵を描いている気がした。低い声が全然響かないので、真ん中の母音で、出し切ると、後がまとまらない。

 

何々しながら音楽を聴くということが多い最近なので、音楽だけを集中して聴く機会を増やすべきかと思う。16ビー卜 の音楽を聴いたことがあまりないし、今も聴かないので、16 ビートのノリが体に身に付いていない。

 

自分は、今まではほとんど今日のように(たとえば目を閉じて暗くして)、音に集中することを、無意識のうちに忘れてしまっていた。今日これをやったとき、本当に気持ちよかった。心も体も本当にリラックスできた。それだけ体に入り込 んでいるという事だろうか。

 

最近忙しくて、通動の時や、家で何かやっているときにしか、音に触れていなかった。音楽をやっていきたいと思っているのに、それをなにかの足しにしているような感じでは、いけないなと思った。同時に、本当に心から音楽に触れていると、すごく安らいだ気持ちになれることも知った。

 

首の後ろ、眉、舌、アゴに力が人ってしまうこと。深く吐けるとき、カは抜けるが、持続できない。できたり、できなかったり。つまり、まだ全く体力なんてついていない。下腹部が弱い。

 

外国人のような声を1日でも早く出したい。よく映画で感じていたが、俳優、女優さんの声がスクリーンから響きわたる だけで、かっこいいーと思うように、私も1言発しただけで、オッと驚かれる声になるぞぉー。

 

フレージングのことが、初めて理解できた。しかし、歌わないで、話すようにし、その中でリズムを感じさせ、感情が入らなくてはいけない。改めて、歌は微妙であると感じた。

 

「聞こえてくる音と同じ体になる」。これはいろんなことを理解するのに役立つ。目をつぶると、どうしても眉間に意識 が行って、その結果頭に集中力がいって、下に持っていけないので、これから目を開けて、ちょっと前を見て、首の後ろ あたりで支えるつもりでやってみようと思う。

 

たまに変わったトレーニング方法があったら数えて欲しい。(合宿の時の福島先生のトレーニングがとてもよかったので…)

 

先生の「歌っているときは、ヴォーカリストに徹する」という言葉に、目が開かれた。

 

ゴッドファーザー」の曲!!私の一番好きな映画。イタリア語だし、よいのでは。

演奏のみと歌とがあるので、調べて みるので、よかったら、取り上げて下さい。

 

目を閉じて「月の光」と聞くと、幻想的な光景が浮かんだ。その後、頭に浮かんだのは、8ビートのドラムの音だった。リズムのある曲に、どれだけ慣らされているかがわかった。

 

 ずーっとがんばっても、ちっとも変わらなくて、ものすごく苦しかった。でも、最近トレーニングしていて、また少し、 目の前が開けたような気がした。開けた気がしたけど、それは「ハイ、ラオ」の時の感じで、1曲、しかも、体、ポジションのことを気にせずに歌えるようになるための道のりは、すごく遠く、毎日息を吐き続けなくちゃということが改めてわかった。

息を吐くことの意味は、わかっていたつもりだったが、全然甘かった。今わかったと思っていることも、続けていくと、もっと先があるんだろうな。

 

 演劇と歌とは、何かとても共通している。意識の「カベ」を壊さなきゃいけないということも。歌の方が、私はこわい。歌はもっときれいな…感情の結晶だ。役者を見ていると、アマチュアだけに、意識が「甘いな」と思う。もっと「うまくなろう」と思えばよくなるのに…と、先生方も、私たちに対して思っているのでしょう。誰かに「芝居をしてくれ」と頼まれてやっているのならともかく、人前で演じる以上は、ベストを尽くすべきでしょう。なんて・・・ここに通うようになって、私も厳しくなったのかな。それにしても、一歩離れて外から演劇を見ると、自分たちの欠点がわかるような気がする。「もっと、テンションだけでも、ここまではほしい!」と思って、じれったい。完成した!と思っているうちは、進歩はないと、反省した。

 

 歌うこととヴォイストレーニングは、両立できるのか。歌えば歌った分だけ、悪い癖がついて、せっかくのトレーニングが狂ってきて、また、大変になる。でも、実際にやっていかないと、何が必要なのかわからない。思い通りに暮らす。自分を押さえつけた暮らしは声にもよくない。しゃべることがすでに、自分を加工してしまってる。福島先生の声はすごかった。全部の音が、一つの息の流れというか、同じポジションの中に包まれていて、それで全然固い音でなくて、やわらかくて、ぎこちなくなかった。

 

 今自分に一番必要なトレーニングは、基礎体力づくりと気づいた。体力がなきや、息や声のトレーニングをしたくても、体がついてこない。とりあえず、「疲れ切って何もできない」って時間がなくなるように。

 

フレーズを、リズムじゃなくて、息の流れで言うことが難しく、全然できなかった。最終的に、リズムと息の感覚というか、流れというか、これを一緒にするのはとても大事な気がした。自分の息、体の弱さを痛感した。