一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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海に関する章(II)

 

不意に笑ってみたくなった 誰が悪いと言ったわけでもない 

だけど俺は縛られている  時には自分で自分を縛る 

奴隸のように鞭打たれる

自由を社会に売り渡し 俺は夜が来るまで眠る 

物音一つしないしじまの中で 俺は目覚め 暗闇に泣いた

天井に奴の姿が映る 俺を指さし いつまでも笑う 

好きなことも楽しいことも 奴はすべてをあざけり笑う 

亡霊 幻想 過去 虚像 真実 すべてがぶっかり 砕ける 

俺はそんな海を見てた

ひどくさびしい海だった ひどくさみしい俺だった 

自分が本当は正しいってことを 自分の中で確かめられずに 

たった一つの間違いにさえ 脅え 震え 傷ついている 

海はそんな俺を黙って見つめている 愛してるのか 憎んでるのか 表情のない蒼い瞳

俺もまた海を愛し そして海を恐れた 自分の望みを口にしたとき 俺は思わずつぶやいた

「俺は海に殺される 海に飲み込まれ 息もできなくなる」 

存在 それはいつも脅かされる 

愛するものがそばにいるだけで

作られた笑顔の隙間に見える 長い長い沈黙の声 宇宙線のように 俺の身体をつきぬける

俺は自分の狂気を憎み そして狂気を愛している だけど中身は空っぽだ すべて他人の視線が痛い

俺の体を血が流れる 他人に染まった血が流れる

俺を許せ 俺を許せ

誰に向かって俺は叫ぶ 近くの声が一番遠い 

走る 走る 俺は走る 最後の病に向かって俺はー 

そうすると 俺は海に出たんだ 見たことのない海だった 小さな船が目の前で 俺を海へと誘っていた

俺は現在(いま) 一人海辺に立っている そしてどこまでもひろがる水甲線を見つめていた 何も言わず見つめていた 

俺はこの埸所で 後いくつ星を数えるのだろう

俺はー

 

 

At That Time

 

手を伸ばして拾った 水の底 尖ったダイヤ…

綺麗すぎて気づかなかった 水面に漂う紅いけむり

少しずつ感じてく痛み

このまま侵蝕されそうで 怖いはずなのに眺めてた

たった一人で生きてゆけないあの時 つぶやいたら 

穏やかな未来 約束してくれた

満ち足りすぎて考えられない 無造作に見限られる日 

倒危していく意讖 

掴むことは放すことでも 留まらぬ夢 握りしめてた

あてはまらぬstyle 時に絡まれて 

お互いが見えなくなってゆく

たった一人で生きてゆけない あの時 つぶやいたら 

穏やかな未来 約束してくれた

たった一人で生きてゆけない あの時 つぶやいたら…

(夏風 恋慕)

 

 

無の状態   どうやらうまく書こうという作為がはいると、まるで思うように書けなくなってしまうらしい。これは文章だけでなく、歌にもそのまま当てはまる。前のお腹に余分な力は入れずに、腰のサイドと後ろあたりを使って・・・などと考えているのはまだいい方で、聴かせよう、うまく歌おうと思ってしまうと、もう最悪である。

逆に、さっきの表現は少しできた、と思うときは、いつも、表現することにのみ意識が集中していて、無の状態だ。この「無」こそが重要な鍵を握っているのではないだろうか。無の状態におちている人間は、必ずと言っていいほど、周囲を圧倒する力が、あるように私は思う。そして、受け手側によって感動や共感、あるいは尊敬というふうに形を変えて、伝わっていくのではないかと思う。

 

 

 一流のスポーツ選手を観ていても思うし、鑑賞しているときも感じられる。歌なら2曲歌うときは2曲の間、授業を受けるときは、1時間無の状態をキープできなくてはならない。

少し前、私は非常に不真面目に授業を受けてしまい、先生を怒らせて(あるいはあきれさせて)しまったことがあった。

後でよく考えて、結局、私は瞬間瞬間を大事にしていないのだと患いしらされた。歌うことが生きていることとイコールだと思っていたのに、思うだけで実行できていなかったわけだ。無はそんないい加減な中からは生まれはしない。もっと私自身を磨くところから始めていきたいと思う。 

 

 

 How occasional things can I be patient?  来なかった時期がありましたが、練習がいやになったのではありません。(感情としては「イヤ」なの か?あー、難しい)むしろうまくなりたかったから、出席することによって、混乱して、わけがわからなくなっていたのです。鬱状態だったというのもあるけれど、やはり心理的には、出たいわけですね。精力的に出て、グレードだって、上の方がいいし、うまくなって前進したい。 じゃあそうすればいいじゃねえかというのは、そりやもう、てめえが一番よくわかっているわけだ。

 

 

普通に考えたら、大学受験にしろ、野球選手にしろ、ある程度の型が決まってて、それに突き進めば、その道の立役者になれるわけですね。ヴォーカリストの埸合、それは四方八方なわけでしょう。(その不確定要素が、また、好きなんです。野球にしろ、サッカーにしろ、突き詰めて克服すれば、飽きると思う)いろんなヴォーカリストの声を聴くと、その人たちの表に現れた声があまりにも違うとき、根っこの部分というか、一緒だといわれる共通要素がまだ聞き取れない。だから、いろんな歌をやっていると、自分の声がわからなくなって、体めいっぱい使って、いろんな人のをやると引きずられる感じがするんですね。

バンドで何フレーズか演って、「何だかしらんが、すごいもんがあるぞ。その調子でいってみなよ」ってなことを言われるときもあれば(うまいとは言われないけど)、「なってないな」と言われるときあるし、PAによって、マイクによって、入るスタジオ、その日その日・・・何だかみんな違うようで、もうパニックを起こしていたわけです。

考えてみたら、生身がやっていることだし、機械ってのも、バッチシ正直じゃなくて、車だって、乗りたいときにエンジンが反抗したりするじゃないか。まったく同一のもんは、2度と起きないんじゃないかと考えて、外界に即して、自分を最大限に発揮するのって、えらい大変なことじゃないか。朝は眠いし、飯食えば、腹が重くて、声が出にくい。なんてワガママなんだろう。要するに自分の根性不足なのか。

なんで日本人に生まれてきてしまったんだろう。外国人は、怠惰な生活をしていても、声だけはバッチリ出やがる。不公平だ。

 

 

 質問したいことに限って、うまく言葉に転換できないし、課題や体に入ってくる感覚が深まるほど、文字にしずらいんです。一番ききたいことが、一番うまく言えなくて、ただもどかしい。学校で国語、習ったのにな。そんで電車に乗ってたり、家に帰ってきて、ドッと出てくる。自分も、講師に何から何まできいて頼るのは、育たないと思うから、あまり質問を出さないようにしていたけど、このところ、どうも今までの練習は何だったのかという気がして、書いてみようかなという気になってきた。そして。すごく現実的な言い方をすれば、金銭がその媒介をしていて、すごく負い目があるんですね。ストリートからポッと出てきて、そのまま声が使える人に。

 

 

 日本人は、例えばジャニス・ジョプリンやるのに、段階ふまなきゃならないわけ。完成しちゃえば、いくら踏んでもかまわないけど、その課程で。ものすごい焦りとか不安があるはずで、コンプレックスとの格闘になるんです。体よりも精神が辛くなる。まだまだ、自分は怠慢だ。頭の中では、片一方では、あこがれの情景を描きながら、でも、すっぱいぶどうになってないからいい。年を重ねた飲み屋のオヤジじゃない。自分の悔しさに正直だ。

 

 ステージではトレーニングの片鱗も見せてはダメ。これも辛い。「あいつトレーニングして、ここまでやったのか」っていうのに対して、ジョニー・ロットンがパーンと出てきたら、とにかくスゲエーとなってしまう。だから。私はトレーニングしているところを、人に見られたくない。アンディ・ウォーホルが言ったみたいに、「私は謎に包まれたままでいたい」。芸人なんだから、それでいい。私生活なんか出すことない。

 マイケル・ジャクソンが酸素風呂に入ってたっていい。まあ、一人で地球の資源を無駄にして欲しくないけどな。とにかく、芸に私生活ネタを出されると興ざめしてしまうのは、私だけだろうか。

 

いきなり、パッとステージに出てきて、「あいつは何者だ」、それでいい。有名になれば、マスコミが暮らしぶりをのぞきに来るだろうが、そん時はそん時だ。うまくいかなかったからって、MCでちょっぴり客に迎合してしまうような(日本民族の癖)、ほぼ反射的にやってしまうようなリアクションだって、言語道断とすら思ってしまう。

私の場合、それでそいつの評価が下がってしまう。最後まで、つっぱらかして、帰ってくれた方がマシだ。近頃は、全米を湧かせるヴォーカリストですら、エディ・ウォーターのように、「隣のあんちゃんふう」になっている。

 文化も大衆レベルになってたけど、声だけはちゃんと出る、っていうか、「ヴォーカリストの声」なんだから。私たち は、より高みを、よっぽど高いところを狙ってないと、彼らに負けてしまう。エディ・ウォーターよりは、ジム・モリソンの方が、いい。自らに高い目標を課し、全力で完全燃焼をしていくしか、生きてる実感を見いだせない、というのは、何なんだろう。

愛にえているから、愛の歌を作るのか?アポロシアターでの記念コンサート」最後に、スティビー・ワンダーが出 てきて、「どうしていつまでも黒人差別が、アパルトヘイトがなくならないのか。いつまで僕たちは愛の歌を作り、歌い続けなければならないのか」とう趣旨のことを強い調子でいました。

で、この感動的な場にケチをつけるつもりは毛頭ないのですが、ということは、この世に人種差別のない平等な社会が成立したとき、愛の歌は必要なくなると、そういうことなのでしょうか。

果たして、そんなことはあり得るでしょうか。この世に燈が足りないから、愛の歌は歌われているのでしょうか。多分、スティビー・ワンダーもそこまでは思っていなくて、聴衆への演説効果を狙って、そういうふうにいったのだとは思いますが。でも、これはとても興味ある問題ですね。

 

 私の愛する楽器に「ケーナ」というアンデスの笛があります。田舎に居たころは、ときおりラジオから流れる音楽に魅 せられるだけで、ケーナの形さえ知らなかったのですが、東京に出てきて、いろんな所でケーナを買い求めました。今では手元に30本くらいあります。自分で作ってみたりもしました。その割にちっとも上手くならないので困っていますけれど。

皆さんは、ケーナの音を聞いたことがあるでしょうか。これを聞いた人は、多分、なんて侘しく、物悲しい音色だろう と思うでしょう。今から20年ぐらい前でしょうか、その日本人好みの音色が日本で、いや世界で大ブームを起こしたのです。きっかけは、サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでゆく」でした。日本にも有名なケーナ奏者の、ウニャ・ラモスやアントニオ・バントーハらがやって来ました。「アンデス少年ペペロの冒険」というTVアニメまで作られました。

そして、そのときに必ず語られるのは、「この哀しい音色は、白人によって滅ぼされたインカ帝国の民の嘆きを、インカ皇帝への弔いを―そして、インディオの魂のすすり泣きを表しているのです」という物語でした。

 以下の文章は、中南米音楽の大家・浜田慈さんの著作からの抜粋です。

「たしかに、私たちがケーナの音にまず感じるのは、そくそくとして胸に迫る哀愁であろう。ある人々はこの哀愁を戦いに敗れ、国を失い、異民族のくびきの下に生きる者たちの嘆きとのみ聞いた。これは、まったく正しいだろうか?たしかにそうした境遇が、ケーナのみならず彼らの音楽全般に現れる悲哀の情を一段と濃くした点もあるだろう。しかし、それなら、スペイン人の支配以前において、ケーナの調べはもっぱら陽気で楽天的なものだったのか?一私には、とてもそうは信じられない。それはやはり、魂の優しさと感じやすさをそなえて大自然のさなかに生きる者の、どこにもやり場のない寂しさをたたえていなかったろうか?たとえ今後、インディオ復権が今よりずっと完全な形で成し遂げられ、彼らが平安と幸福を謳歌できる時が来ても、その歌は、ケーナの調べは、やはり今とそんなには変わることなく流れるに違いない、そこに在るのは、人間の惨めさから発する怨みの声である以上に、いつの世にも人間の心の糧となりつづける、根元的な"良い寂しさ”なのだから。このように私が言い切れるのは、ケーナの響きのうちに、ある不思議なおおらかさと豊かさを聴き取るからにほかならない。ケーナのうちでは、人間の心と一緒に、いつも山の精霊(すだま)が共泣きをしている。それにしても、ケーナの声は侘しく深い。」(浜田慈郎著「エル・フォルクローレ」・昌文社より)

 

 「共産主義の立場から言えば、法律とは、支配階級が、一般大衆を―特にプロ レタリア階級を一抑圧・支配するために作られたものであり、警察はそれを行使するための暴力装置である」のであって、 「従って、階級闘争の後、プロレタリア独裁が成り、真に平等な社会が訪れたとき、法律は必要なくなる」という話を間いたことがあります。果たして、そんな社会がやってくる可能性はあるのでしょうか。そんな社会への「移行期間」のはずだったソ連は今はもうこの世にありません。マルクスでさえ、真に平等な社会となっても、いわゆる「悪人」が存在する可能性は否定しないと言っていたらしいのです。

 恐らく、この世に平等な社会が訪れることはまず無いだろうと思います。それは、自分の心のなかを覗けばすぐにわかります。人は、他人より少し幸せになりたい、幸せだと思いこみたい生き物だと思うからです。他人と全く同じであることに耐えられないのです。

「世の中に なべて楽しき 事の無し 隣の貧乏 それが楽しみ」と、ある坊さんの説教会で聞いたのですが、人の心理を言い当てていると思います。人は、たとえ一つの差別を無くすことに成功しても、また別のランク付けをきっと行うことでしょう。

歌が必要なくなると、歌手は生活に困ります。私も楽しみがなくなります。これから、どんなに人類の幸せな日々が訪れても、やはり人間は愛の歌を歌うことをやめないでしょう。

別の問題として、欧米では「普遍的な愛」を歌った歌が多いのに比べ、日本の愛の歌は極めて「現在の個人的な事柄」に絞られる、という想向があります。

 

 とんぼ どうしてもほしい写真集があった。それは、自分にとっては とても高価な本だった。でも、あきらめきれずお金を搔き集めてやっと手に人れた。分類でいうと、いわゆる報道写真のようではある。ただ、その本を読むには大変なエネルギーを必要とするので、頻繁には目を通すことができない。そのかわりに、いまだに意識として残る。精神病棟で過ごす少年のうつろなまなざし。性器に注射でクスリをうつ恍惚な顔の女。監獄の中にいる方が、外よりも安全と判断し、一生そこにいようとする母子。知らない世界が、そこにはあふれていた。

もう一冊大切にしている本がある。実家の押し入れの奥にねむっていた。背表紙もなく、古びて、紙も茶色に変色して いる。たくさんの山積みにされた死体。手足もわからず、苦痛に満ちた顔。人としてではなく、ゴミとして扱われている。首吊りも多くのっている。男、女、子供、老人、妊婦、だれでも一様に吊られている。吊った首は右にたれるが、それとも左にたれるか。人によって、どう違うのだろうか。そんなモノクロ写真に心が動く。それは同情でも安心でもない。ただ、そこに存在していた人がいたというだけのこと。

 

 母方の祖父が亡くなったとき、その亡骸を棺に入れるのに、兄は怖がって祖父には手を触れられなかった。私はその遺体を抱き、目に焼きつけた。両親はかけおち同然のように東京に出てきた。そのためか、なかなか故郷には帰れず、祖父にあったのも十年ぶりくらいで、祖父の顔も覚えていなかった。記憶も、はるか遠いものでしかなかった。家について最初に「お父さんにそっくりだね」と私を見て一言だけいった。その一言を間いただけで、自分がそこにいてもいいのかと、まだ父のことを許してはいないのかと思った。そんな祖父も、翌年に意識が不安定になり、そして亡くなった。火葬埸で遺体が灰になるころ、「敷居が高くて」と寂しそうに言っていた父が、一人で木下に立っていた。様子が少しおかしく、不安になって、慌てて父に駆け寄った。うつろな顔をした父が、私にとんぼの話をしてくれた。「人は亡くなったとき、魂がとんぼになる。あれが、おじいちゃんの魂だよ」と指をさした。そこには、とんぼが一匹、空をまわっていた。そのときの父の胸中に、どんなものがうごめいていたかはわからないまま、父に似ている私は、ただそばに一緒にいた。

 

 数年前、戰争があった。たくさんのアーティスト達も、その戦争に触発されて、いろんな歌を歌っていた。このころの私は、その戦争で人が死んでいくのを、テレビの画面でのことでしかとらえられなかった。そのあとでも、ごはんを食べていた。今は人が死ぬのを映像を通して見て、自分の安全さを確かめるような時代なのか。そんな自分が許せなかった。人はおかしなもので、平和になっておちつくと、争いを求める。争いが続くと、平和を求めるようになる。人間の進歩のためには 戦争が必要であり、戦争で進歩してきたのだと言う人がいる。反対に、そんなのは人間の本当の意味での進歩ではないと言う人もいる。はたしてどれが正しいのかは、自分でもよくわからないでいる。どちらもあっているようにも思えるし、どちらも間違っているような気もする。

 

 私は高校卒業後、アメリカ、ニューヨークへ留学していました。そのころの私は、自由に憧れており、アメリカンカルチャーでもある、Love & Peace、Sex, Drug, Rock & Rollを身をもって体験しようという思いに溢れていました。

その当時は高校を出たばかりで、何も知らなかったこともあって、かなり気ままに適当な生活におぼれていきました。そうした生活の末、行き着いたところは。自己破滅しかけた未熟さと、社会に対する不信という結果でした。様々に悩んだ私は、発想を変える努力をしようと試み、いろいろな本を読んだりして、この世には神というものがいるということについて、真剣に考えるようになりました。

その後、様々な音楽にふれていく中で、人間の力を越えた 世界、特に歌の部分に、そういう未知なる力を感じるように なりました。一時期絶望感に陥っていた私ですが、私にも歌が歌えるのではないかと希望を持つようになり、次第に志すようになりました。

歌うことによって、神様というか、目に見えない、偉大なカ、人間を越えた世界を表現できればいいと希望に燃えています。精神的な勉強も含めて、がんばっていきたいと思います。