一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

ステージ実習コメント「星に願いを」「私の神様」 by スタッフ トレーナー 414

「星に願いを」

 

ディズニー映画の長編第2作自にあたる「ピノキオ」(1940)のなかで

コオロギ君がうたった美しい祈りの歌です。

同年のアカデミー主題歌賞を獲得しました。

 

ルイ・アームストロングがこの曲をカバーしたのが、

晩年、68歳のとき、

大のお気に入りの曲だったそうです。

収録アルバムのタイトルが、

「DISNEY SONGS〜THE SATCHIMO WAY~」

 

ディズニーソングをサッチモ(ルイの愛称)流にというその莒葉どおり、

さすがに全盛期のときの声のつや、ヴォリューム感は失われていますが、

言葉の一つひとつに執ようなまでに息を送り込む

独特の「トランペット唱法」は健在です。

 

〈原詞釈〉

星に願いをかけると

どんな人だって

あらゆる望みがかなうの

夢をもっているんなら

どんなお願いだって

欲張りすぎってことはない

夢を求めて

星に願いをかけるならば…

 

運命の女神はやさしいよ

彼女は愛する人々の

ひそかで熱い願いを

すてきにかなえてくれる

 

まるで青空からネジが降ってくるかのように

思いがけなく

運命の女神は 君のところにやってきて

夢へと導いてくれる

星に願いをかけると…

 

日本語歌詞は、今回2種類紹介しています。

映画のなかでうたわれたいわゆるくディズニー版〉とカルメンマキのアルバムに収められているヴァージョンのもの、

後者は、エッセンスはとりいれながらも

原詞からかなり離れて、

独立した詩の世界を展開しています。

どちらの歌詞を選択するかによって、

歌の構成が大きく変わってきそうです。




 

 

「私の神様 」

 

ピアフ晩年の名唱のひとつに数えられる曲、

1960年、オランピア劇場で創唱されました

作詞ミッシェル・ヴォーケール

作曲シャルル・デュモン

「私の神様」は、

初めは、船乗りの歌で

「トウーロン、ル・アーヴル、アンヴェールス」と

港の名前を3つ並べたがつけられていました。

しかし、ピアフは歌詞が気に入らず、

ヴォーケールに書き直しをさせました。

その結果、この名曲が生まれたというわけです。



ピアフの歌に加え、ミルバの歌唱もあります。

ミルバは、若い時分オランピア劇場でピアフの持ち歌「ミロール」を歌い大好評を得ました

その話を耳にしたピアフは、既に病床にありましたが、人づてにミルバに激励の言葉を送ったのです

大感激したミルバは,「イタリアのピアフ」たらんとし、以後、ピアフの作品をライフワークのひとつとしました。

 

〈原詞訳〉

神様、彼をとりあげないでください

もう少しの間、私の恋人を

1日でも2日でも、8日でも

もう少しの間、私に残しておいて欲しいのです

愛し合い 話し合うときを

思い出をつくる時を

神様、そうです、彼を私にゆだねてください

私の人生をほんのわずか、満たしてください

 

神様、彼をとりあげないでください

もう少しの間、私の恋人を

6カ月、3カ月、2カ月、残しておいて欲しいのです

たったひと月でもいい、

始めるときを、もしくは終わりにするときを

苦しむことによって

時は輝きをはなちます

神様 たとえ私が間違っているとしても

少しだけ時間をください

もう一度

 

原詞では、本当の「神様」に

彼を自分の手元においてください

とお願いしているのに対して、

日本語歌詞では

大切な彼が自分にとっては「神様」である、

とされていて、

「神樣」の意味が変わってしまっています。

「モンデュー」という言葉に何を託すのか?

自分の表現する「神様」をきっちり決め

それをきちんと見せてください。

 

 

 

トレーナーコメント  

 

全体的に言えることは、ヴォイストレーニングを深いレべルでとらえていないか、分かっていても自分の体で実践しようとしていないのどちらかであるということです。

ほんとうの歌というものに触れたら、ほんとうの歌を歌いたいと思う。だから声から変えていくことを考える。しかし、それでもできないから器(体・息・声と体と息の結びっき)から変えていくのがトレーニングを深いレべルでとらえる姿勢です。

 

私が求める音はうまい歌でもない。いい声でもない。日夜トレーニングに励んできた練習の成果と体によってそこに生まれ出る輝きです。普段から体を作り統けていないから余裕がない、体もない。

一人で曲をあたためる時間をもっと大切にしてください。

また、体からストレートに歌っていくということは、喉にブレッシャーをかけ声がきれいに出る自由を奪ってでも意識的に体を使っていこうとするのは、将来使う喉の健康によくありません。

体づくりの際は声で全体的なバランスをチェックし、体の一部分に余計な負担がないが警戒していかなくてはなりません