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ステージングのカ 最近、あるアーティストのコンサートに出かけた。ちょっと遅れてしまい、開園の時刻から30分を過ぎていた。最初は、普通に見ていたのだが、次第に曲が進むにつれて、彼のペースに引き込まれているのがわかった。あれだけシャウトしても壊れない声、そして曲と曲とのわずかなMCで発する声の影響力に私は鳥肌がたった。ステージのアーティストを見ていると、一見、何気なくこなして見えるのだが、私の目には、その裏の数えきれぬ努力が同時に写し出されて見えた。また、ほんのわずかなワンフレーズや、ちょっとしたアクションなど指の先まで神経が行き届いていて、見事に決まるのである。このアーティストが表現するもの(声やアクション、それ以外のものも含めて)に対して、すべての責任を彼は負っているのだ。ここに、私はいとも簡単に書いてしまったが、これはとても大変なことであり、同時に大事なことである。私が本当に自分の表現したいものに対して、全責任を負えるようになるには、たくさんの失敗と努力が必要であろう。今日のコンサートでまた一つ、大切なことを学んだ。
テレビで赤ちゃんが泣いているところを見た。ビックリした。体全体を使ってパワフルにでっかい声を出していた。自分も小さい頃、こういう声の出し方ができていたのに、どうして今はできなくなったのだろうと、くやしくなってしまった。今日も赤ちゃんの声のまねをして体から「オギャー」と声を出してみようとしたが、うまくできなかった。きっと昔はできていたことなので、いつかできるようになるだろう。
翻訳家を目指している友人と会い、おもしろい話が聞けた。有名な小説家などが翻訳すると自分の色をつけてしまい、原作者の意図から離れてしまうことがある。「翻訳」とはいかに自分派にせずに原作者と同化して作品に忠実に訳していけるかということなのだそうだ。興味深かった。
近頃思うのですが、「家事」をまじめにやることは、ヴォイストレーニングにとてもいいと思います。「生活」、「労働」「体を一つにする」「タイミングをとる」「姿勢」「謙虚」などなど、学ぶのに最適。黒人が美しいのは、全身で一所懸命、働いてきたからじゃないかと、ぼんやり思っています。
毎晩、僕の部屋に遊びに釆るネコ(♀8カ月)は、僕が「息吐き」を始めると怒って嚙む。「深呼吸」や「ハイ、ララ」では何ともないのに「息吐き」に限って怒って嚙みに来る。寝ていようが、缶詰を食べていようが、すっとんできた必ず嚙む。なぜだかわからない。なぜ「息吐き」ばかり目のかたきにするのだ。
紹介したい詩があるので書きます。
「うんとこしよ」谷川俊太郎
うんとこしょ どっこいしよ/ぞうが ありんこ/もちあげる
うんとこしょ どっこいしょ/みずが あめんぼ/もちあげる
うんとこしょ どっこいしょ/くうきが ふうせん/もちあげる
うんとこしょ どっこいしょ/うたが こころを/もちあげる
「わらべうた」(集英社文庫より)
私の歌に対する姿勢としては、人間としての自分を見せる、人生を見せる、考え方を見せる、生き方を見せる。そして何らかの愛を見せるというのがあります。これまでは感情で歌ってきました。今の自分にとっても一番大事な部分ですが、そこにしっかりとした裏付けをつけたいと思います。それは努力してつかむ、技術です。
最近、息吐きをしていて思い出すのは、大昔参加したスイミングスクールの夏期講習の「息つぎ」の練習。プールのふちに手をつき、顔を水面につけ、腕をクロールの形にひとかきするときに一度だけ顔を上げて息を吸えるというもの。顔が水上に出るのはほんの一瞬。吸い損なうと次のひとかきまですごく苦しい。水をかく、という動き自体、体力と酸素をたくさん消耗するので、どんどん苦しくなり、息つぎのたびにたくさん「吸おう」とする。でも、インストラクターに吸ってはダメだと何度も怒られた。「空気を吐け」と。何十回も苦しい思いをするうちに、息つぎで「吐ける」ようになり、強くはくと吐いた分だけたくさんの空気を体が受け付けることがわかった。体いっぱい必要な空気を体内に入れるには、まず「吐きじょうず」になること。そうすれば意議しなくても体が必要量を一瞬で受け入れる。「吸う」のだ。最近のトレーニングではこの経験に体のビートを感じている。
もうすぐライブなんだけど緊張しちゃって、夜、体は疲れているのに寝れなくて…。胸がドキドキしちゃって。わかります?この感じ。
今日は、尾崎紀世彦さんを見ます。ここに来なかったら、きっと一生、観に行こうとさえ思わなかったと思う。それだけでも私は今の自分が嬉しい。
最近、どうもよい曲(歌)が聞きたくて、暇さえあればCD屋へ足を向けてしまう。
こういうときの衝動買いは、よいアルバムに出会うよい機会のような気がする。
ロスでサックス奏者にヴォイストレーニングをうけていると聞いたことかありますか。
一体、どういうレッスンなんでしょうか。
6月の会報の6ページの19を読んでいて、最近私は、昔気づかなかったことに気づいたり、よい曲だと思わなかった曲のよさがわかったり、ということが多々あるのだが、こういうことなんだなと思った。今は、自分が昔の自分より感覚でわかっていることがあるから、今の自分は気づくことができるんだなと。話は少しずれますが、「感覚」を確実なものとする、保っていくということは、本当に難しいです。
「春季号」の会報、長編を載せてくださってありがとうございました。嬉しいものですね。会報の中で「少し前の自分」に出会うことはとても新鮮な感動である。小さな成長を感じられたり、逆に、今、つかもうとしていることのヒントになったり励まされたりする。それから、人間やっぱり「生きざま」なんだナーと。
今までは福島先生の巻頭言と自分が載っているところだけ読んで喜んでただけだった節がどうもあったけれど、今回初めて、全ての文面がビンビンとんできた。その文章の表面的な意味でなく、その内側の意味や重みが感じられるようになった。私が変わったのか、皆も変わったのか、両方なのだと思うけれど、今までの会報をまた読み返してみようと思う。それにしても、私の生涯の中でも本当にかけがいのない、この歩みを活字として残していただいていることに、感謝の気持ちで一杯です。
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今日、久しぶりに昔録音した自分のバンドのテープを聞いた。昔、どこが悪いのか具体的にわからないが違うと思って考えていたことが、今、何が悪くて魅力のない歌になっていたのかわかった気がした(声が深くないということだけではない)。
会報の前号に「ブルースハープが声に近いと思う」との私のコメントがのりましたが、「呼吸が音になる。その人そのものが音になる。という点で(声に近いと思う)」というのを補足させてください。
今、一所懸命つかもうとしている、体、息、声。それができてはじめて、表現の分野、自分の個性で勝負できると思っている。特にフレージングの授業では、極端に官えば、人と違うことを常にしたいと思っている。1フレーズに自分ならどう歌うかというのを込めている。たくさんのフレーズの集まりが歌なので、一つひとつのフレーズを大事にしなくてはならない。うまくいかずにくやしくて、じたんだを踏みたくなるが、1回1回の自分の声に聞き耳をたてている。他の人のも、とても気になる。自分の耳を頼りにトレーニングに励みたいと思います。
友人に、役者を目指している人がいるのですが、いつも話をしていて思うことは、いつのまにかパワーをもらってしまっているなということです。自分のパワーが劣っているのはすごく悔しいので、次、会うまでには、自分の方がパワーをあげられるようになりたいと思ってます。そのためにも、毎日、たくさんのことを吸収しなければと思っています。何をやるにも、エネルギッシュでいたい。
早くもっと先へberangkat(インドネシア語で出発の意)しなくては。「誰でもいつかは 大地に溶けていく」から。「あの海を渡る」とき、目の前に光があることを何となく知っている。ガムランの音色に誘われ、ケチャダンスのかけ声に背中を押されるように。もう前をみるしかいない。
横田基地のWork Shopに参加してきました。現地の黒人さんたちに混じって歌うことは大変、勉強になりました。以前、福島先生が、外国人のような発声を身につけるには外国に行って、彼らの中で生活してみるのがよい、と言っていた、そのことばの意味が、今はっきりとわかりました。まず第一に、彼らの声は本当に体中がひびいているということ。これが驚いたことに、日常会話さえ、その声だったというごと。一人、バリトンを歌っていた黒人さんがいたのですが、この人の低音はまさにこの声だった。声が大きいというより、声がどこまでもひびいているといった感じが印象的だった。そして第二に、ゴスペルということもあるのだろうけれど、そのことば一つひとつに、本当の魂、本当のメッセージが盛じられたこと、そしてそのことばに共感し、感動しながら歌えることの喜び。歌うことの喜び、歌うことの情熱、そのすべてを肌で感じることのできるサウンド、これを経験できるのはやはり素晴らしかった。そのことばの中にきっと神に対する消えることのない信仰があり、その愛のすべてをさらけ出し魂を燃やしているという素晴らしい感覚。その中に入って自分自身の歌も少しだけ、魂の開故ができたように思えた。体中の殻を破って、魂を開放させることができたとき、本当に天に昇るような喜びを感じた。私は、このゴスペルという音楽に出会えたことを、本当に嬉しく思う。
その夜、BV座があって参加することになっていた。「サイレントナイト」と「アメージング・グレイス」を歌うつもリいたが、「メモリーズ」と「アメージング・グレイス」にかえて歌った。
歌う前に思わず生馬のことを話してしまった。
皆、MCはしてなかったのに申し訳なかったが、どうしても話したかった。歌っている間、何度か涙がこみあげてきた。精一杯、歌った。生馬のことだけを思って歌った。
人生20年…。まだまだやりたいことは山ほど、あったろうに。バイクにまたがって行きたいところもいっぱいあったろう。自分の馬をGIレースに出したかったろうに。5/14(B)GIレース。安田記念はオマエのアドバイスがなかったから、馬券、買えなかったじゃないか。同じく、5/14(日)、母の日におかあさん哀しませてどうする。これからオレが歌うときは、オマエに向かって歌うから、一言も聞きもらさず、聞いてろ。
空の上で、楽しく暮らせ。馬とバイクに夢中になるばっかじゃなく、彼女もつくれ。こっちでの人生、急ぎすぎたから、そっちじゃのんびりやれや。先輩として、最後の命令だ!
仕事埸のカレンダーに5/14(日)オマエ、自分で書いたんだな。安田記念を東京競馬場に見に行くつもりだったか、母の日だから、おかあさんに何かしてやろうと思ったのか…。どっちにしてもオマエらしいや。ただ、オマエの人生までNGにすることはなかった…。オマエの分まで精一杯、生きるよ。精一杯、歌を歌うよ。オマエのことは、決して忘れない。息子の葬式を出すほど、口惜しいことはない…とおっしゃってた父上の言葉とともに…。
―おつかれさま、生馬。―
-Memories-生馬へ
ああ いつか オマエと嗚らしたギター
歌をのせて無邪気にはしゃいだね
ああ あの日 オマエと歌ったラヴ・ソング
今は想い出と流れてゆく
バカな男さ 季節の変わりめにさえ
気づこうとしなかったのは
時の流れが恐いから
ハヤリウタほど華やかじゃないけれど
どんな莒葉でも語れない
オレとオマエの想い出の1ページが
今…幕を閉じる…
ああ ひとり あの娘が聞いてたメロディ
夏の海のように心を離れない
ああ 涙のとまらぬヒトよ トゥナイト
オレにだけ 笑顔をみせてくれ
不思議なものさ 通りすぎれば
記憶に新しいはずの
きのうまでが なつかしい
哀しい時ほど 笑ってみせては
泣かせるセリフをはいていた
そんなオマエの想い出の1ページが
今…ピリオドをうつ…
ああ いつも いつも オマエと歌ったラヴ・ソング
今は…もう…聞けない…
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