一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

課題曲レッスン「チャオチャオバンビーナ」「アルディラ」「水に流して」  473

課題曲レッスン「チャオチャオバンビーナ」「アルディラ」「水に流して」  473

 

 

 

「チャオチャオバンビーナ」

 

課題は、文字を読まないで覚えて行うようにしてください。

 

「そらのかなたになないろの」

ここまでおぼえてください。バンビーノというのは男の子で、バンビーナというのは女の子です。この場合のチャオは、こんにちはではなく、さようならという意味です。

 

音はほとんど同じです。

「ソソソソソソソソ ソラミミミ」

全部ソですから使われている音は3つです。

 

「そらのかなたに」

ことばをいうつもりでいってください。練習のときにまわりとあわなくてもよいと思ってください。合唱の練習ではないのですから、それぞれのフレーズで言うことです。

 

日本語はどうしても一音節に一つ、つきますから、7つの音になります。これを2つの音節ぐらいにわけて、同じ音にします。意味が伝わるように微妙にずらすことです。日本語は、そのままでは、ピッチも長さもそろってしまいます。

 

実際のことばというのは、高低アクセントですが、日本語はピッチがあまり変わらないです。動きにくい場合は、動かさないといけません。ピッチと音の長さを変えてください。

表現しようと思ったら変わります。ことばで表現し切ると変わるはずです。どこかが長くなって、どこかが短くなり、どこかが高くなってどこかが低くなるのがしぜんです。

 

ことばでいってみてから音をつけてみてください。なるだけことばに近くいえるようにします。メロディがついていますから、それを両立させるために体を使うように考えてください。

 

どこか自分で表現を入れるところを決めて、そこに体を使います。日本語にしないのではなく、より日本語の原理を守っているわけです。正直にことばでいっているとおりにメロディにのせてみるのです。

 

たとえば楽譜に4分音符が4つついているからと長さを均等に歌っているような歌い手は、外国にはいないのです。音符が、2倍になったら2倍伸ばすのは、日本人だけです。言語のせいです。

 

ビッチもソのフラットとファのシャープは厳密には違うわけです。当然のことながら、ピッチが甘くなってはいけないのですが、流れにフレーズでコントロールすればよいということです。

 

ビブラートは、基本的には同じ周期でまわるものです。大体、1秒に5、6回という周期があって、しぜんに処理できるようになったら、心地よい揺らぎがでてきます。高くなれば半音近くぶれてきます。

 

声が全く揺れないのは聞き苦しいものです。感情なのですから。

コンピュータには、できないのはそういうところです。自分の感覚の中で音程とリズムを捉えましょう。テンポで捉えてリズムをわけてということは、今からでも覚えるとよいでしょう。

 

 

「たにー」

ひらいてしまうのではないです。「た」でも「に」でもよいのですけれど、最初の「そ」と同じ、元のところに戻すことです。

 

「きれいな虹がかかるとき」

自分の中でことばがいえれば、メロディになります。このへんがメロディ処理の基本です。同じ音がついているので、却ってやりにくいのです。いろんなアクセントのつけ方があっても、歌の場合はどうでもよくて、ただその流れが出てきているかです。

 

そのへんは自分の音声のイメージで捉えていくことです。日本語がその音声のイメージになかなか、そぐわないのですから。歌に気持ちから入って欲しいというのもそういうことです。

 

「きれいな」

「きーれーいーなー」と伸ばしていくと、どんどん平たく伸び、まとまってしまうのです。

日本語の歌は、すぐにそうなるわけです。

それをたての繚を深くしてヴォリュームでメリハリを大きくとっていくのです。

さらに「きれいな」と聞こえるように配分していきます。そこまでの支えには体の強さがいるわけです。☆

 

たての線をとるのには、「ハイ ララ」と深く入れて、そのハイがたての線で底のところだと思ってください。声楽などでは「ララ」のひびきの方で「ラララララ」と何年も続けていたら、そのひびきも集まり胸の方におりてくるというプロセスです。

 

ここのヴォイストレーニングは、鍛錬して、声がつかめる時期を早めようとします。表現も考えて、ことばの方からとっています。

胸の声のポジションを元より深くしていって、解放できれば上の方にひびきがのってくるのです。

そうしたらバランスによって、どちらでもとれるようになります。結果としては同じです。☆

 

ここは、まだ解放されていないプロセスをみて、声楽の大半、ポピュラーのほぼ全部のトレーナーから、批判されるところです。トレーニングがプロセスであり、バランスが一時崩れることを容認できない人が多いのです。☆☆

 

 

「ドレミレド」であれば「ミ」のところでより深くします。体の使い方としては2倍、3倍と考えてもらえばよいでしょう。ブレスも同様です。ヴォーカリストのカとは、そこにどのくらい盛り込めるかどうかです。長く伸ばしても仕方がないのです。

 

「そらの」と深く入れたら「かなたに」と放し、しぜんと次に進めるのです。それに近いことをフレーズとして練習しているのです。

 

 

「むねのなかには」(ドドシシシシ)

ドーシと、二つの音がこのなかにあるのですが、プロのを聞いたときは、音程も何もつけようとしていないで、ついているのです。ですから、しゃべっているだけぐらいに聞こえるわけです。その感覚が正しいのですが、自分で行うと、うまくできないものです。音程が出てしまうでしょう。

 

日本人と外国人の声のベースの部分で捉え方が違います。これも一つ、きちんと声の芯にぎることによって、その動きで、先に展開させているわけです。☆

 

ことばでそれを一つか二つのフレーズで捉えるようにしてみてください。それを捉えないとメロディになったときに足をとられてしまいます。完全に握って、コントロールしていくことです。

 

たとえば「ラ」をつけて、これも2音節ぐらいのフレーズで処理する。

体で二つぐらいに聞こえるようにもっていくことができたら、このフレーズが処理できるのです。

 

「チャオ」が「チャアーオー」とならないようにします。

ここにフレーズ処理が必要なのです。

ことばに感情をこめて吐き出すと、そのままフレーズになる感覚です。

 

「チャオ チャオ バンビーナ」

だらっといわないようにします。あくまでことばをいって、感情を伝えるのです。「バン」「ビー」「ナ」と呼びかけが、わかれたら最悪です。楽譜に依存しないことです。一つのフレーズのなかに保っていないとなりません。

 

一つのフレーズを横の方に長く伸ばすのでなく、たてにメリハリをつけて「バンビーナ」といった方がよいのです。そうでないと歌に入ったときに、間伸びしてしまうのです。横の方に伸びるまえに、たての線を自分の中でとっておくことです。

 

「むねのなかにはあめかふる」

あまり離しく考えないで、そのままに表現してください。せりふ表現から徐々に日本語を音楽的に処理することを覚えてください。

多くの人は、「ふ」で浮かしてしまうのです。降るは、「ふうるう」でなく「Fuる」です。

イタリア語ならもっと深くとれるのですが、日本語でないところで「には」を深くきちんと処理したら「あめ」がスムーズにいえるでしょう。

 

 

 

 

 

「アルディラ」

 

「アルディラ かがやくほし アルディラ いつでも」

 

「アルディラ」とならずに、そこに自分でフレーズをつけていかないといけない。

アル、デ、ラ、伸ばさず、分けて言って、それでも一つの息の流れの上におく、その分、体を使わないといけない。そうでないと「ラ」がばらばらになってしまいます。

そこできちんと「ラ」と、とめる、とめたあとにデミッシッシエンドをかけないと乱れます。

その上で「アル、ディ、ラ」となります。

 

もとより原意もアルディラという女の子の名前などではないのです。

歌を聞いて、そこまで捉えられるくらいの耳をもってほしいものです。

 

「ペルメ」というのは、違いのわかりやすいところです。

日本人は上に響かせてシャウトできないのです。

彼らが、何でこの高いところで体に入るのかというと、感情を逃がさず、声を体でにぎっていくからです。

 

全部歌ってしまうことのないように、歌わされてしまうのではなく、語りが歌になるという感じです。☆

そのために、自分の呼吸と最終的に一致させないといけないのです。

呼吸の上にことばをいうようにおいていく感じです。

 

 

 

 

 

 

 

「水に流して」   350404

 

何年も勉強しても、声が全然、出ていないというのは、珍しいことではありません。声を出すトレーニングをしていないなら当然です。

音程、リズムやことばの滑舌のトレーニングなら、2〜3年もたてば習得できます。でも、正しいだけでは使えません。

その意味でリズムから強弱アクセント、メリハリを重視して、ことば、せりふの表現から入るのも、よい方法です。そこでは、それなりに圧縮した声、ヴォリューム、つまり声量を必要とされるからです。☆

 

楽譜に書かれていることを正確に歌う、ことばに正しく音をつけて歌うことは、早くうまくなりますが、声は変わらないどころか使いにくくなることが多いです。つまり、声力をつけることからは、遠回り、あるいは、その機会を失います。☆

 

正確にとれる人ほど、あるいは音楽をまじめに勉強してきた人ほど、バランス重視でまとまっていきます。まとめようとするから、それが上達だと思っているからです。

つまり、その状況を表現力で破れなくなってくるわけです。☆

 

小さな声でていねいに歌う歌い方を覚え、歌えるようになるわけですが、それでは、実際のステージに通用しません。日本の場合は、内輪の歌芸から生じたので、さほど声量をあげません。

外国であれば、野外、街中などで、相当な声量を出すところから入るわけです。

なら、日本人も、野外での、大道芸人、物売り、香具師に原点を見出そうと、私は考えたのです。ガマの油売り、バナナの叩き売りの類です。☆☆

 

そこまでの大声を出しても声で通じるだけの技術、それを呼吸にしてしまうところまで、一流の歌い手はもっています。

ただの大声では、聞けるものではありません。ごまかせないし粗も目立ってきます。センスがなければ、そういう声で完全なコントロールしては聞かせられないのです。

 

 

レーニングをする以上、効果をあげないといけないわけです。ただ泳ぎたいと思ってはじめるのと、オリンピックに出るとはじめるのでは、3か月たったときで、もう大きく違ってくるはずです。

こういうトレーニングに関しては、体にしろ、息にしろ、世界の最高峰の人たちを基本にして、そのイメージを取り込んで、鍛錬していくことです。最初は皆、初心者です。それでも、皆、同じだったとまで、いえないところのある分野ですが。

 

そこから、あとはいきたいところ、そして、いけるところまでいければよいのです。何も2年でどこまでいくかという勝負ではありません。

歌を聞いてみて、その程度で歌えたらいいと思っても、そうはいかないものです。ヴォリュームを絞って聞いたら同じように聞こえますか。大きくしたら全然違うでしょう。

 

 

それだけの基本の体も息も全然、違うわけです。だんだんと聞く授業を増やしているのですが、本来なら音楽をはじめるときに入れておきたい要素です。

それでも大体は、全然、足りないものです。自分の中で、それを広めて深めるしかないのです。

声ができただけでは仕方がないのです。その上に音声イメージがあります。

 

私の毎回の授業にも、ほとんどのルール、正解が含まれています。私でなく、一流のアーティストが示すのです。

それは、どの曲でもこのレベルで1曲歌えたらよいという基本です。そしたらあとの曲は、練習しなくても、前の日に渡されても、最低限には歌えます。

そういう意味でいうと、1曲の中からすべてをとることかノウハウなのです。いくつかのパターンはありますが。

 

1曲を聞いたときに、それが私に伝わらないということは、それが学べていないし、声と歌が一緒になっていないということです。

たくさんの曲を覚えるよりも、何回も元に戻って、同じ曲でベースをつけてください。

多くの人には、本当の課題は、一曲でなく一フレーズです。☆

 

まず音の世界を自分の中でみつめるということです。どうしても表面しかとれていません。表面しか聞いていないからです。☆

ここまで大きくしなくても、普通の音量でも、気づかないと鈍いのです。☆

 

体がついていないから気づかないし感じない。

それなら、そのまま歌っても、そのままやっても、まだ歌唱表現の授業にならないわけです。

でも、聞き取る力をつけていくことでの授業でしょう。

 

できないことはやらなくてもよいのです。やってみて声を壊していくなら、やらない方がましです。大きな声を出すだけなら、応援団と同じです。

声を枯れさせたり、つぶしてしまうことは避けることです。

 

ただし、自分で100出せるものを30や50しか出さなければ、歌にもならないわけなのです。

それとともに100出したときにコントロールできないから、それをコントロールすることを覚えていくのです)。

 

本物を聞いて、これぐらいしか読み込めないとしたら、声より耳の問題です。

でも、体から入っても、頭から入っても、両方から入っても、好きにすればよいでしょう。☆

 

 

何のために歌うのでしょうか。自分の中で厳しい基準をつけないと伸びなくなります。そのまえに伝わらない、そこに無神経になってはなりません。☆

 

大声で出すことよりも体と心を使うことが必要です。息を使うことも必要です。それを集中して一つの表現として出していくことです。とにかく人前に立ったら、しぜんとなるように、日頃から行わないといけないのです。

 

 

歌は、リズムや音程がとれたらよいということではありません。声からです。フレーズをつくって、さらに展開していくことです。

 

何で本物の歌を聞くのかというと、リズムも伴奏もイメージも音の世界も、ここでの表現をとれることなのです。それがとれるぐらいの反射神経と勘と声を養わなければ、それは音楽として成り立たないでしょう。どんな小さな表現の中にも、それは表われます。

 

表現の形態として日本人の場合、あるだけの力をストレートにお客さんの前ではみせないということは、あります。それは音楽の世界だからです。そこで紛らわされないようにしてください。

 

ここのようなトレーニングであれば、ハイレベルのことにチャレンジしては、失敗を繰り返せばよいのです。声をひびかせたり、音と戯れたり、ことばと歌の世界をつくっていくのです。そこから入っていくのが基本的なことです。

 

 

 

「とおいかこの」

音声のイメージでとっていくとともに、声量の中に声域を巻き込んでいくのです。声域を伸ばそうと思わなくても声域が1オクターブぐらい、声のなかに入るようにすればよいのです。

 

それとともに日本語ということを考えていきます。日本語というのは高低アクセントをおいていきます。まず自分がつけたいところで強くいってみてください。

 

「かこの」というより、「か」だけ強くいえば「こ」と「の」はそこにのるわけです。すると次のフレーズにスムーズにいくわけです。フレーズとしてもっておいて、ことばを配分するのです。

 

ことばをとって音声の流れを呼吸の流れのところにおいていきます。それと歌うこととは最初は違うわけです。しかし、音楽のベースです。ことばの語感の音の動きでの音楽性です。☆

 

トランペットかサックスを吹いた人には、よくわかるでしょう。どこかで体を入れて吹かないといけないわけです。全部を吹くわけではありません。吹いているところに音を巻き込んでいかないと先に進まないわけです。

 

聞いている人の方が先にいってしまうわけです。すると、退屈してしまいます。

大体は歌い手の方が先にいかないといけないのです。どこかで強アクセントを入れてそれに音声のイメージを入れます。

 

力を入れるところと弛緩させていくところのバランスの感覚なのです。☆

その感覚を捉えるためには、呼吸を捉えないといけないし、全体の動きを捉えないといけないです。初歩から一つずつとらえていくのが、このヴォイストレーニングです。そのうえで表現の方向を定めていきます。

 

 

 

「とおいかこの すべてをわすれるのよ」

今、行っているのは、役者さんの練習と同じです。かすれさせないで大きな声でお客さんに伝わるようにいいます。そこで感情表現をしてください。

 

こういう歌だったら、6割や7割は、それでもっていけてしまいます。あと3割、音声イメージを入れればよいのです。まず6割、7割が出せるか出せないかというところが課題になります。そこで表現がつかめないかちに、何かが心を動かさないうちに、あるいは、それが外に出たと思わないうちに歌に入ってしまわないようにしましょう。

 

ことばがいえるようになる、感情が入るようになる、そこで音の流れがつくのです。ところが実際にステージをやっていくと音とリズムが先走ってしまい、そこにことばが入れられなくなる。そこに心がおいていけなくなる。形だけになってしまう。

 

だから絶対に離さないところをもつのです。そのためには、離れないぐらいのことを自分の中にもっていないと難しいでしょう。

口先ではどんどんと離れていくような感じがします。

技術上では可能であることが、体では不可能なのです。感覚的に変えていくのです。

 

 

 

「あまいこいの みれんなどはないわ」

 

役者志望ではない人に、役者の能力は期待してはいません。

役を演じる、他人を。それは別の能力ですが、そうした役者の能力は、歌の世界を演じる歌い手に必要です。特に音楽性より、歌詞やパフォーマンス重視の歌手の場合です。

 

自分でも笑ってしまいそうないい方であれば、人にも通用しないということです。

まずステージで、声がなくても、それを表現として通用させる部分があります。

そこに声は必要ないわけです。でも、それは声に反映されます。

 

その発したことばの中にこもっていたらよいわけです。それが必要な部分です。

それとともに声そのものが出る、聞かせられるという部分もないといけません。

 

まず、ことばで流さないことです。そこに体を入れてやる、そこに息を使って行います。

 

フレーズは、自分の自由にしてもらってよいです。

ステージ実習をアカペラでするのも、自分の呼吸に応じてその間をあけていくというのが、大切なことだからです。

その基本ができないうちにリズムやピアノの演奏にのっているつもりでも、それは歌っているのではなく、まさにのっかっているだけです。

 

大切なことは自分が歌っているときに盛り上り、おちて、とまったら、そこにピアノがついて、その間の音のイメージができて、歌と伴奏者の音のかけあいで進むことです。

歌い手が歌っているものに対して、それの呼吸に合わせて演奏がのってくる、そのステップを踏むことです。

 

オペラも、元は一つの曲の1カ所の声が聞きたくて、お客は来ていたのです。そこだけ聞かせられたら、あとはオマケみたいなものでした。

そういうところでいうと、ステージ実習をアカペラでというのも、わかると思います。オペラの原初に戻しているのです。そこで息と呼吸が聞こえてこないと意味がないのです。

 

誰でもいくらでも伸ばせるのです。いくらでも大きくできるわけです。

そこでの表現、それは誰も制限しないわけです。

そういうことを踏まえて練習していってください。

 

 

 

「あまいこいの」

歌うということよりも、先に出した声より2倍、3倍大きく出すことによって、メロディを消化してみてください。メロディが流れてしまったら練習の意味がないです。ことばやフレーズの問題でいうと、頭の音をきちんと入れることです。

 

「あ」か流れているし、「こ」はほとんどいえていないです。ここでつかまないと、どこでつかむのですか。日本語の場合は頭の音がわからないと何をいっているのかわからなくなります。そこで変えないことです。

 

「まいー」そこの前の母音を強めていう。「こーいの」「あーまい」というふうにします。この中で音程、リズムがばらばらにならないように一つの音のフレーズに聞こえるように処理するのです。

 

 

「すべてを」

ことばできちんといえている部分をもつことが第一段階です。次にそれをより大きくしていく。より大きくしていくなかでフレーズをつけていく。一つでもよいです。

「すべ」のなかでもよいから、その中で入れないといけないです。入れるところで入れないとつかまらないですから。いつまでも音楽になっていかないです。

 

結局のところ、自分で判断していくしかないのです。何回もただ繰り返す、皆のなかで繰り返す、そのうち、こだわり、我が強くなって、その人が出てくるなら、1ステップです。

 

「みんなが認めようがどうであろうと、自分の歌はよいだろう」と出してください。

それでステージというのは、もってしまうのです。

それがないと立てないですから。でも、本物か?そこを自分でみつけていくのです。

 

 

今の段階では、メロディやことばによって、あるいはフレーズによって、でき不できに、差が出ていると思います。今日のなかでも差が出ています。時間からみて、20分めのが一番よいとか、その後のは、よくないとかいうように。また、この高さでやると声が保てないとか、そういうものを全部、自分なりに感じ、理解していくことです。

 

大切なことは、もう半年、1年たち、練習を行おうとしたときに、その日のベストにもっていくことができることです。☆

うまくいかないのは、こういう原因だから、こういうトレーニングをしたら修正できる、最低限、今日のベストになるというやり方を身につけていくのです。

 

 

ヴォイストレーニングが身についていると、それらしいことはできますが、本当にその人にあった根本的なことはできないです。それは誰がやってもできません。

 

どうしてもトレーナーには、こうしたいという意向が入ってきます。それが邪魔になります。

本人がやりたいということと、それがぴったり一致することは難しいのです。

このときに、本人が越えなくてはならないのです。☆

矛盾するなかで妥協していく作業では、お互いに共通となる土台を要します。

そこを乗り越えてこそ一人前です。

 

声は正直ですから、基準がないわけではなくて、その人の求めによってそれだけ差が大きい世界なのです。人間ですから、どっちがよいとか悪いとか好き嫌いはあります。

しかし、技術としてみると差がはっきりとしています。

こういう目を自分のなかでもって、仲間の評価ができるようになり、

さらに自分に対して客観的な評価がもてるようになることです。

 

歌の世界が難しいのは、自分が出した声というのは、慣れてくると気持ちよく聞こえてくるのです。吹き込んだ歌や声を聞いてみて、最初はいやだと思っていたのが、夜中まで聞いていたら「よいじやないか」と思ってしまうのです。

 

そういうときは、1週間ぐらいあけて聞いてみることです。そうしたら全然だめなことがわかるわけです。

歌や声は自分に酔いやすいというのがありますから、客観的な技術評価はとても難しいです。

また酔わないとやっていられない世界です。自分が一番よいと思いつつ、足らぬことを知る、そのへんは離しいです。

 

 

「わすれるだけ」

音程をとるときは、合唱団みたいにみんなに合わせようとしないことです。そんなことでは自分の表現が出てこないです。「わすれるだけ」と一人で言いこめていかないとだめです。

 

他の人とはずれることを気にしないでください。はずれないのは、表現できていないと思えばよいです。☆

オリジナルな表現をつくるのです。自分の音をつけると恐いので、みんな合唱団のようになってしまうのです。そろうのは快感ですが、洗脳されるようなものです。

 

自分のイメージを大切にすることです。基本を踏んで、人の音にのらないことです。自分でフレーズを出しておいて、そこから動かしていきます。

 

自分のキィに合わせることを自分でわかることです。声域と関係なく、ベストのところでことばをいうために、それができるところはどこなのかを知り、瞬時にもっていきましょう。

途中で音が狂ってきても体を使ってリカバーしていけばよいし、そういう技術も身につけていくことです。

 

 

今はより体を使うことを考えましょう。常に強く表現をしようと考えてもよいと思います。プロの人たちとの差をすぐにわかるのは無理ですから、それを2音でも3音でもよいです。

その違いなりイメージを学んでいくとよいです。それはトレーニングのイメージでよいのです。

 

そんなふうに歌いたくないという人でも、基本はしっかりと積み重ねることです。必ず変わってきます。

将来に夢がないとおもしろくないでしょう。それを叶えるのが、基本です。

 

プロの人がどういうふうにカバーリングしているかも、盗みます。

やりにくい音やことばも出てくるわけです。それをみせないようにカバーリングする技術があります。そういうことも、次の段階では勉強して欲しいです。

 

 

「あおいあおい」

何でも、自分のいいやすいことばでやりましよう。これだけは通用するというのをもっていれば、何でも1曲ぐらい処理できるようになります。

 

「あおいあおい」

音を2ついっているぐらいに捉えてください。6つにならないようにします。「い」の音は前の音でごまかして発音しない方がよいでしょう。

難しいのは、苦手なところに全部そろって、苦手なところが克服できない限り、歌に入れないということです。

そうかといって苦手な音を練習できないのです。

苦手なものを使うとくせをつけてどんどん表面的にリカバーしてしまい、体でカバーできなくなります。☆

 

のどをあけて声をとるということを優先してください。きちんというところをいったら歌に聞こえるのです。聞いている人は、今、何ていったかと聞き返せません。流れの方が大切です。

 

シャンソンというのは、日本語では、楽諧通りにいかなくて、音の感覚として独特なものをもっていて、とても音楽的でよい材料です。

ことばの歌と言われていますが、フランス語自体もそういうところがあります。

イタリア語も、それがそのまま歌になっているようなものです。

リズムの中にことばを処理していくことが、やりやすいのです。

 

日本人がフランス語を発音するのは難しいので、よいのか悪いのかわかりませんが、口先だけになってしまうことは、すすめていません。

外国語ならイタリア語とかスペイン語が発音でのどを開いていく分には、やりやすいでしよう。

ですから、まず、声、音、それからことばで捉えていくということです。