レッスン録
ワークショップ 360829
日本語曲フレーズ20 特別レッスン 351230
課題曲レッスン ① 別れの朝
課題曲レッスン ① リリーマルレーン 350408
ーーー
◯ワークショップ
曲調、コードそのものに感じられ、求められる声質があります。次にどうなるかという動きもそこにあらわされています。そのことと人間の感情か一致するから、メロディなり、感情表現というのはいきてくるわけです。
それを声のところのレベルで捉えた方が、シンプルなわけです。
歌の中で捉えようとすると、さらに解釈や構成、展開というのがでてきます。
盛り上げ、サビ、ピーク、はいりかた、エンディングといろんなものになります。
単純にこれをメソッドにして短くしたトレーニングからやりましょう。
音が高いと思う人は、1オクターブ下げても構わないです。半音ずつ、ずらしていきます。「ア」でも「ラ」でもかまわないです。
半分にわけます。Aの人はドの音をとってください。Aの人は全部同じ音におさえていってください。Bの人は今と同じようにずらしていってください。Aの人は、動かさないでください。
このあとのひびき、共鳴の仕方は、もう一つあるのです。
全員が、真ん中に焦声を集めてもらえますか。少し円みたいな形になってください。
同じ音からBの人だけ上がっていって、不協和音になってから落ちつくという形まで、きっかけだけでやってみてください。今のでは、ピアノの力が大きすぎるので、きっかけの音をもっと短くします。ピアノの音が終わっても終わらないでください。ブレスは、どこでとってもかまいません。
Bの人はここだけやってもらいます。(ドレミファソ)
Aの人は動かさないで、今のベースぐらいにやってください。次の音になるまえに音を消してしまうから、ブレスの感覚なのでしょうが、そこをなるだけ1フレーズなくても1回ぐらいの息つぎでやってください。それが最低限のベースです。
音通の和音ではないですから、わかりにくいでしょうが、3音になると高くなってしまうのです。本当は不協和音をもっとくずせた方がよいわけです。自分の中でやっていけばよいです。
AもBもあわせてみて4拍ずつやってみてください。そのときにもう少し肩とか体を柔らかくしてみて、音の中に体をおくことです。
音の世界というのはその音自体を自分の中でつかんで、その振動にのせてだします。
コーラスやゴスベルも誰かがリードとしてだしたところにのせると声がでやすくなります。
そのときに体は充分に解放されていないといけません。トレーニングと考えないで、なるだけ思いっきりだすことです。音をはずすと困るのですが、はずれてもよいです。
一つのフレーズの中にブレスとしてもよいのですが、なるだけ大きなフレーズでだしていくことです。他の人の音は耳で聞くよりも、体で感じてください。
まだ、あわせる必要はありません。ずれがでてきてもよいです。
リズムも音も解放します。少しずつ、体と心をならしてください。
今、一番解放できていないのが、体です。それから心がとまっています。自分を気にしてばかりでいます。それを1回、解き放ちましょう。
カウントは、もっと楽にとってかまわないです。何となく誰かが先にいったら、それを追うような形でどんどんずれていってます。自分でカウントをとらないとだめです。
番号を順番にいってください。奇数と偶数にわけます。円になってまん中に声が集まるようにしてください。奇数の人が同じ音で、偶数の人はあがっていく。特に4音目と5音目が重いような感じです。
奇数と偶数の人で、役割を交代してみてください。
フレーズをもう少し長くします。さっきの2佶です。8拍でやってみます。これ伴奏なしでやりましょう。少し自由にします。
今の音をとってもらってもよいし、変えてもらってもよいです。不協和音をだしているわけですから、基本的に声があわないのはよいのです。みんなが同じ声をだしているのでは何にもならないです。高い音がよい人は高くてもかまわないです。
まだ、体と心がとまっていて、空間が動いていないので自由にします。1、2分自分なりにだしていってください。向きも変えてかまわないです。体も手をのばせるようならのばしても、形も動いてかまわないです。
自分なりの発声練習と考えてもらってもよいです。音の世界で自由になってください。自分の好きな音を2分ぐらい続けてだしてみて、体を全部解放しきってください。
結局、声はひびきとして浮いているものです。当然、歌ですからひびかせて歌います。ただ、そのひびきの元になる芯のところは捉えてないといけないということです。
今までやってきたこと、自分の頭の中にあることを一所懸命やって固めていくあまり、それ以上に体が動かなくなってくる、足が固定されてしまうのはよくありません。
口の中だけであるいは体から声がでてきていても、声自体が浮かなくなってくると、そのへんが中間音域から高音域に関しての音やイメージの問題としてあらわれてきます。
大きな声はだせます。そこで使っている声と歌う声は、若干違います。それが上にいくにつれていろんな要素が入ってきます。揺れも大きくなり、ビブラートで表現が大きくなります。
ここではまだ高い声をどうだすかということは教えていませんが、ベースの声をきちんとにぎっていけば、しぜんとでてくるところが、音声イメージを描けば、オリジナルとしてとりだせるわけです
。最初の「ハイ」や「ララ」も、声としてはオリジルな声です。歌うための声も今までの声とは違うけれど、今までの声の延長上にある声だということでは同じです。
低い声がきちんと固まり、中間音もきちんと固まっていくと、その中に高い音になっていくヒントがあります。それを自分の体や声と使おうと考えて、おせばおすほど、逆にそこからつかめないで上にあがれなくなってしまう。
声楽では声区のチェンジと教えていますが、むしろ、感覚やバランスのチェンジというべきだと思います。ポピュラーの高い声のだしかたというのは、幅広いです。
その人のより深いところで表現したいものがでてこないと、どれを使えばよいのか決まらないのです。
逆にいうと、こう伝えたいというのが徹底してあれば、声はおのずと決まってくるはずなのです。それが根本的な捉え方だと思います。
そのときに低い音とか中間音を鍛えてきたからといって、その中にはまっていってはいけない。そこは一つのきっかけで、そこから浮いてくるものに対して、自由に心を開いて、感じるものを感じて、表現していくのです。
声を一緒にあわせたり、だしたり、自分でその中に身をおいたりするレッスンは大切です。そういうものも同じで、声があります。それをだしてみて密度がでてくると、声そのものがうねりだしたり動いてきます。
初心者は体が部分的にしか動かない。1年ぐらいトレーニングすると、もう少し全体的にくみ取れ、体の中や声を一つにしてだすところまではできるでしょう。
次の段階は何かというと、だしたものが上にいこうとしたら、それに感覚をゆだねることです。☆☆
自分の体よりも、その動きの方を信じることです。自分を信じるがあまり、声が上にいこうとしているのに、それを押さえつけてしまう人もいます。これは、基本的な力がつくまではともかく、あるレベルからは、停滞となります。
声をだすということは、声があって声をだす。感情があってそれを声にするわけです。しかし、声をだしているなかにも感情が生まれてきます。思いっきり泣き叫んでいたら悲しくなってきて、そこから何かのうねりがでてくる。それを一つの音楽、表現として捉えていく。両立させる秘訣です。☆☆
それがことばとか声で伝えている部分と音楽、歌との違いみたいなところです。
日本のヴォーカリストは、必ずしも音楽的になっていると思えないので、そういう部分をここで学んでもらえばよいと思います。
向こうのヴォーカリストはただ、叫んでいるだけ、悲鳴だけ、吐き捨てているだけとか、そういうふうに聞こえるのは、たくさんいます。それが最初の形ですが、そのまま、音楽性を伴っているでしょう。☆
ここのトレーニングというのは、どういう歌をどう歌うというところよりは、それを支える器を大きくしていって欲しいのです。ですから、なるだけ時間をとって欲しいわけです。
何か地の上に足をどかっとおろして、そこだけで歌っているような感じではなく、もっと掘っていって、底の方までいきついて、それが反転浮上してくる、そのままの形でとりだしてほしいのです。☆
そこでとったものを、今度は自由に上の方に上りたいだけ上っていくみたいに感じてほしい、そんなところまで声をゆだねることが必要だと思います。それが声と体の解放です。
声がでて、ひびいてくると、上半身の力が強くなっていますから、どうしても足元がふらついたりしてきます。どんな形になってきても、そこで頑張る方にいくのではなく、そのまま上っていけばよいわけです。それで終わったらおちてくればよいわけです。こういう不安定という感覚はどうしようもないわけですが、それも大切にしないといけません。☆
最初にやっていたことは、安定させることです。「ドレミ」なら「ドレミ」ときちんととっていく。リズ厶もそうでしょう。
違う音を同じにするヴォイストレーニングに対し、同じ音を違うように聞かせるのが、ヴォーカルトレーニングの応用として必要です。
本当のヴォーカリストというのは、そこの中でもう一つ刻んでいて、不安定な要素も含んでいます。不安定なことというのは、人を惹きつける要素があるわけです。
それをどこまで音楽的というところで勝負できるかということです。
そのベースとして安定が必要なのです。☆☆
「AとBにわけます。Aの人は上がっていきます。Bは同じ音でいきます。レガートの場合は、間の音が弱くなってくるので、そこのところは、きちんとやってください。そうでないと途切れてしまうからです。ブレスはどこかに入れてください。声をなるだけまん中に集めてください。みんなの目線より少し上のところに一輪になって相手の声も感じてください。」
次は、意図的に仕組んでみます。曲がはじまる。最初おだやかにはじまる。2分ぐらいの曲だと思ってもらえばよいです。それで盛り上がっていく。
これを、いくつかの音で示したいと思います。
5つの音の曲だと思ってみてください。「ド」から、でだしで、サビ前になって盛り上がってくる。それから「ソ」でサビ。サビである程度つかんだら、エンディングです。
(本当は統一するのはよくないのです。人によって違ってきます。10秒くらいでつかれきってしまう人と、1分ぐらいやらないとつかれない人もいるでしょう。)
それで下がってきて終わるという形です。最後の5音目を聞いたときに終わってください。
前には、ためいきから入っていきましたが、直接、声から入ってみましょう。大体2分ぐらいにしたいと思います。使うことばは何でもよいです。ことばではない方がよいと思います。自由にやってください。
音の高さをとるのではなく、単にキーの合図だけで同じにします。音の合図を「ドソド」と捉えるのではなく、ピアノあるいはメゾソブラノ、メゾフォルテ、フォルティッシモぐらいに捉えてください。同じキーでもよいのですが、わかりにくいので強いところを表わすのに、高くしてみるだけです。
このなかに、歌で伝えたいものの8割が入っています。こういうことをやっておいていくと、とてもよいと思います。
このなかから感情が高まったら、高い音がでてくるはずです。心から感じでそれから歌うことですが、声のビブラート、ヴァイブレーションの中で自分で感じていくと必ず、ここで高くしたい、強くしたいという思いがでてくるはずです。それと音楽が一致するかしないかというのが、センスです。
アカペラでやれば、それが自分でできます。演奏では整いすぎてしまうわけです。
曲というのはここで盛り上げて、ここで落ちるのだということを知ることです、そこからでられないと表現できないわけです。
「ハイ ラオ ララ」という発声練習も、こういうトレーニングが自由にできるためのものです。なかなかそういうトレーニングはできないものです。
例えばコードの違いは、音による違いです。そういうものが統合されて、歌の要素なのです。トランペットが同じスケールをひいて、片方が楽しく歌っているように聞こえ、片方はもの悲しく聞こえる。そこの部分を声でも、どこかで時間をとって徹底して勉強して欲しいのです。
曲から入って、そこから歌うのも一つの勉強ですが、本当は逆だと思うのです。自分が何か悲しいことがあったり、つらいことがあったりして、それが声にでると、歌になります。
確かにそのままでは音楽にはならないけれど、感情表現には、なっているわけです。
それが、もう一つ声の表現で浮き上がってきたところに音楽がでてくるとしたら、基本的な技術がいるのです。そのプロセスを大切にして欲しいです'。
もう少し、プログラムとして与えましょう。
ことばよりも、実際に殴って、痛いとか、つらい思いをさせて悲しいというところでやってもらうのが一番よいのです。日常のなかにそういうことがあった人は、幸いなことで、そのまま、それをだせばよいわけです。
そうしたら余計悲しくなるか、救われるかどちらかで、それが歌い手の条件だと思うのです。
皮膚をどんどん薄くしていかないといけないという世界では、現実には生きにくくなっていきます。
だから歌があるのです。☆☆
3つキーワードを与えます。
一つは悲しい、次が、忘れたい、最後は、遠い。
そういう感じです。正解はないです。
ことばを与えたこと自体が限定してしまっていて申し訳ないですが、これらをふくらませて自分のことばでおきかえてください。それで盛り上がる人もいれば、盛り上がらない人もいる。いろんな解釈ができると思います。
同じ2分の中で音のよる移行ではなく、感情による移行のトレーニングです。
音の高さではなく、どちらかというと強弱で考えてください。表現を強くしたいから高いところに上がっていくのではなく、より大きくだせばよいわけです。同じところで太くだしてもかまわないわけです。それから、落ちついてきたら低くはなりますが、そこまででだしきってきたから、低くなったり、高くなったりするわけです。そこで一つの大きな流れを捉えてください。
生活を歌い上げてもよいですし、過去のことを歌い上げてもよいです。今、感じてくれていることを歌い上げてもよいでしょう。
理性を忘れて、自分がだしている声が、それを助けてくれるか、邪魔するかを感じてみましょう。
まわりの声の感覚も大切です。暗くしていくと視界の他界がなくなり、犬とか狼とかの遠吠えと同じところにおりるわけです。声を思いきりだしたら、そんなに楽しい声には聞こえないです。
歌の本質的な音色というのは、そんなに明るいものではないことがわかるでしょう。
決して今の日本人のだしているような浅いものでもない。深くて暗いものです。
明るい歌を歌っている人たちは、たくさんいて、その音楽は明るいのですが、一流の人ほど音色は暗い。顔で笑って目は笑っていないから、アーティストなのです。そういう本質的なものは、捉えていって欲しい。
みんなだしかたが違うし、音のとりかた、声の出し方、そこでどうあげていくかです。
もっといろんな音楽を聞いていると、旋律とかも自由に動いていくと思うのです。
動かせないのは、足らないからです。そう思ったら、勉強することです。
自分の感情に対して、声の技術ではなく、むしろ音楽的なイメージがないのです。
どうしても追いつかないと思ったら、ジャズでもゴスペルでも何でもよいですが、深いものを聞いてみてその中から学んでみましょう。
気分が一致すれば、2分でも相当疲れるはずです。
一つの作品が終わったという形になると思います。
発声練習やヴォイストレーニングということではなく、作品としての条件、表現の成立をふまえてみてください。
〜体、声からの解放〜
課題1
A、Bあるいは男女にグループ分けをして、それぞれのパートを練習。
「ア」でも「ラ」でも「ゲ」でもかまいません。
ピアノとメトロノームに合わせて、AとBのパートを同時に声に出します。ただし、ピアノとメトロノームはあくまでもリードの役割なので、音が多少、ずれても音程、ハーモニーのレッスンではないのでかまいません。
テンポはだいたい、♩=60〜65ぐらいで、1音を4拍間のばします。
<ポイント・注意点>
〇ビブラートをつける必要はありません。むしろ普通に音をのばした方がよいでしょう。
〇ブレスはどこでしてもかまわないが、途中で音が切れないように、なるべくレガートでのばします。
音から音への移動のときに、ブレスをとって音を消さずにうまくズラしてブレスをとり、音をつなげます。
〇テーマは、「体・声からの解放」、
肩や体に力が入らないように柔らかくして音の中に体をおくようにします。
〇輪になって内側を向いて並び、声を真ん中に集めましょう。
〇他の人の声も聞くというより体で感じて、音のうねりを感じながら自分の声ものせていきます。
音自体を自分の中でつかんで、その振動にのせていきましょう。
〇各自がカウントをとって音・声を出していかないと、はじめに声を出した人を追いかけるような形でズレてしまいます。
〇この課題がクリアできるようになったら、音・リズムを自由にして声を出していきます。
不協和音を出しているので基本的に声が合わないのはかまいません。
みんなが同じ音の高さ、声を出してしまうと密度がなくなってしまいます。高い音を出したい人は高い音を、低い音を出したい人は低い音を出してください。
なるべく音の世界に入り、それを突き破るような形で自由に声を出していきましょう。
〇一番大切なことは、体と心の解放です。体と心の動きを止めてしまわないことです。
心を開いて感じるものを感じ、そして表現していくことです。
課題2
でだし サビ前 サビ 徐々におちつけて 終わりまとめ
〇5音間で感情表現をします。始めの「ド」で曲がおだやかに始まります。
徐々に盛り上り、サビで最高潮に逹し、その後、徐々に下がってきて、この曲が終わります。
この曲は2分ぐらいだと想定します。
<ポイント・注意点>
〇合図としてピアノの音を5つ弾くが、あくまで合図(タイミング)にすぎないので、ピアノと同じ音程にする必要はありません。タイミングをとるために弾くだけなので、同じ「ド」でもかまいません。
わかりやすいように音を高く弾いているだけです。
このタイミングに合わせて、感情表現をしましょう。
キイは高くしたい人もいるだろうし、低いままサビにいきたい人もいるでしょう。
盛り上げ方は音の高低で考えず、強弱で考えてください。
〇ピアノの音(タイミング時)に合わせてみんなの声が途切れないように、一つのフレーズと考えて、なるべくつなげていきます。
〇声を出していくうちに、感情が高まっていくはずです。
声のビブラート。バイブレーションを感じて、心と体を解放します。
〇最後の音(合図)で、急に声を切って終わらないことです。徐全にまとめていきましょう。
課題3
3つのキーワードの設定。
「悲しい」 「忘れたい」 「遠い」
〇課題2のように、2分ぐらいの曲を設定して、1・2・3の順に声で感情表現をする。
1、2、3のことばはふくらませて、自分が感情移入できることばにおきかえてかまわない。
人によっていろんな解釈があるはずなので、自分なりに自由にやる。
〇2分ぐらいの時間の中の作品と設定します。
もし自分が早く終わったら、もう1回やるなり、つなげてみるなどしてみましょう。
〇自分の生活を歌いあげてもいいし、昔のこと、あるいは今、感じていることを歌いあげてもよいでしょう。
理性を忘れて、「自分の出している声」それから、自分の声をじゃまするか助けるかわかりませんが「まわりの声」を感じながら、その中に身をゆだねてみましょう。
<ポイント・注意点>
〇声をつくりすぎないこと
ー
ー
◯特別レッスン
日本のフレーズ特集 日本語曲フレーズ20 ( )はQ盤のNo 351230
プロローグ
タクシーに手をあげて (taxi 鈴木聖美)
月にやるせぬ我が思い つつめば燃ゆる〜 (影を慕いて 藤山一郎)
1(5)恋は私の恋は 空を染めて燃えたよ 死ぬまで私を (恋の季節 ピンキーとキラーズ)
2(7)汲があけたら 一番早い汽单にのって (夜があけたら 浅川マキ)
3(8)別れのそのわけは 話したくない なぜかさみしいだけ (また逢う日まで 尾崎紀世彦)
4(15)あの夏の光とかげは どこへいってしまったの (八月の濡れた砂 石川セリ)
5(21)あなたー あなたー あなたがいてほしい それが (あなた 小坂明子)
6(22)ヘーイヘイヘイヘイヘイ あいつもこいつもあの席を (学園天国 フィンガー5)
7(34)マリーという娘と 遠い昔にくらし 悲しい思いをさせた それだけが気がかり
(五番街のマリーへ ペドロ&カプリシャス)
8(36)何もいいことがなかった このまちで (遠くで汽笛を聞きながら アリス)
9(42)さよならはいつまでたっても とてもいえそうにありません〜(八時ちょうどの あずさ2号で)
(あずさ2号 狩人)
10(44)まるで喜劇じゃないの 一人でいい気になって (迷い道 渡辺真知子)
11(46)すばらしいY.M.C.A (ヤングマン 西城秀樹)
12(50)走り出しそうだから HERO HEROになるとき あーハ それは今〜おまえを離しはしない
(HERO 甲麦バンド)
13(1)(ときは流れ)めぐるめぐる季節のなかで あなたは何をみつけるだろう (季節のなかで 松山千春)
14(3)(この指が届くと信じていた)空と大地がふれあうかなた (異邦人 久保田早紀)
15(7)愛をささやくうたもない 恋人よそばにいて (恋人よ 五輪真弓)
16(9)Want'you おれのかたを (スローなブギにしてくれ 南佳孝)
17(14)今をなげいても胸をいためても〜このまま何時間でも抱いていたいけど(夢の途中 来生たかお)
18(19)せつなくなるだけ Hold me tight 大阪ベイブルース おれのこと好きかあんたきくけど
(悲しい色やね 上田正樹)
19(30)翼の折れたエンジェル (中村あゆみ)
20(45)飲んで飲んで飲まれて飲んで飲んで飲みつぶれて眠るまで飲んで(河島英五 洒と泪と男と女)
<P0INT>
フレーズでの表現
ひびきと芯
ふくらませと切れ
ー
◯課題曲レッスン 「別れの朝」 ①グレード
歌について頭で考えてやると、難しくなってしまいます。ステージで気持ちを楽にして、自分の力を100%発揮することも難しいことです。歌の場合、いったん舞台に立ち、歌い出したら、やり直しがききません。
わずかな期間で、技術や声が身につくのではありません。考え方や感覚が、つかめてくるのです。体が感覚として覚えてくるのです。基本トレーニングのあとに、体にしみこませていくことが大切です。その期間を充分にとることです。
ヴォーカリストの才能、売りものという部分は、音楽性、バンドの人気、ヒット曲、時代などにも左右されてしまうため、判断が難しいところがあります。努力した分だけ、才能が開花するとも限りません。
自分の魅力的なところを、自分自身で気づき、ステージでアピールできるようにしていくのが理想的です。
しかし、意識が働きすぎて、計算が観客に伝わってしまうのでは、よくありません。歌にはなっていても、体が伴わず、表面的になることもよくないです。
体は使うのでなく伴うのです。感性と技術を、いかにバランスよく一致させるかが難しいところでもあり、大切なところです。
ここで、おすすめしているヴォーカリストは、休を使っているのが、声からわかりやすい人たちです。こういうヴォーカリス卜から入ることによって、その技術を体得していくのです。
その反面、才能や感性がおろそかになってはなりません。ミルバなどは、まさに体からのヴォーカリストですが、すべてのフレーズを計算しつくして歌っています。
ピアフは、感情と感性の人です。
勝負できるところは、人によって違いますので、自分の勝負できるところでアピールすることです。しとはいえ、すべてに平均点以上は必要なのです。
多くの人は、煮つまっていくところにまで、特化していないように思います。1年、2年と学べば学ぶほど、歌うことが恐くなり、難しいと感じることでしょう。
単純に、歌えているという感覚でいうならば、トレーニングなどするまえの方が、うまく歌えていることでしょう。それは思い切りと自信があったからです。
学んでいくほど、声や体を使うことに気をとられてしまいます。そういう時期があってもよいとは思います。しかし、もっと心の部分、感性・感覚の部分に気づいてください。そのために体が使えることが必要なのであって、逆ではないのです。そこまでに気づく人はいますが、その部分を煮つめていける人が少ないのです。
いつも、かなり厳しい舞台を設定しているつもりですが、出てくる人が、ずれてしまっている気がします。声や技術に頼りすぎているように思います。与えられた材料から、何かをつかもうとする気概が必要です。
声や声量がなくても、歌らしくみせることはできます。日本での多くのステージでの歌い方がよい例です。ことばを意識するあまり、頭のワク組みのなかで、流れすぎてしまっているような歌い方です。
舞台ばえを考えると、日本のミュージカルや宝塚歌劇団のようなやり方もあることは思いますが、急ぐために、それ以上の可能性をつぶしてしまっていては、もったいないです。声も確かな技術もあっての歌を考えていきましょう。
ことばの問題では、日本語は、一音に一語のせる傾向があるため、フレーズ感がつかみずらいと思'います。そういうこともあって、60年代のイタリア、フランスの曲などを参考曲として扱っています。
日本語でやっていきたい人は、イタリア、フランスの曲の訳詞(日本語)を参考にしつつ、日本の昔の時代の曲を、よいものわるいもの含めて、聞いておくとよいでしょう。
「別れの朝」
この曲で学んで欲しいのは、構成カ、フレージング、声にことばをのせていくところです。歌曲が基本的にもっている構成が入っています。
逆に、日本語を意識して歌っているために、のど声になってしまい、ことばが途切れてしまっているところがあります。そこは、参考にせずに、フレーズを先に考えて、フレーズにことばを巻きこんでいくようにしてください。それには、体の強さが必要となります。声を殺す必要はありません。イメージを描いて、それにそって歌を煮つめてください。
「わかれのあさ ふたりは」
出だしの「わ」で、フレーズをつくります。「わかれの」の「の」が、小節の一拍目なので、どうしても「の」が強調されがちです。ことばから考えると助詞の部分なので、「わかれのお」とならないようにしてください。
フレージングのつけ方は、人によって違いますが、「わかれの」「あさ」と2フレーズにわけるなら、「わかれの」と一息につくりましょう。「わ・か・れ・の」と切れないようにしてください。
音声のイメージを描いて、体でフレーズをつくっていくことです。
「しろいドアを」
「わかれの」のところより、一拍はやく歌いだすことで、構成に変化をつけています。音程をとりにいかずに、体でフレーズを感じて、自分の呼吸、うねりにあわせて動かしていってください。体と息で動かしていけば、そのまま、しぜんと歌になっていくはずです。
「わらいながら かわした」
トレーニングのときに、次のステップをふんでおくとよいでしょう。最初は「な」を深く体にいれておき、次の段階で、やさしく歌ってフレーズをつくることをしておくと、感覚がつかみやすくなります。
「わらいながら」の「ら」と、「かわした」の「か」は、同じ音です。しかし、2番の「なにもいわず」の「ず」と、「あるいた」の「あ」は、一音あがりますので、注意してください。
「いわないで なぐさめは」
このサビの部分で、どこまで体を巻きこむことができるかで、この曲のスケールの大きさが決まります。ここも、トレーニングとして、ステップをふんで練習をしておくとよいでしょう。
最初は、自分が体を使えるくらいの余裕がもてる速さにテンポをおとして、確認しながら倍のフレーズで声の線、体の線をとりにいきます。「いーわ一なーいーでー」という感じで大きくしていくのです。「ない」のところで体を深くいれてみてください。
単に音を良くのばす、のばさないということではなく、要は、深くいれるかいれないか、どうにぎって離すかの問題です。にぎってばかりでも、地面に足をひきずっているかんじになりますし、浮かせてばかりでは、音楽がすべて流れてしまいます。もっともよいバランス感覚をつかんでいってください。
自分で、音を変える前に、感覚がわからなければ一流の人と同じ感覚をもって、自分もやってみようと努力することです。
「いわないで」で全力をつくすから、その次の「なみだをさそうから」が、おちてくるのです。トレーニングの段階では、大げさなくらい、大きくつくっていくことです。
声量も変わらないはずなのに、なぜ、ここまで歌の大きさ、スケールが違うのでしょうか。声の使い方、出し方を、プロのヴォーカリストから感じとってください。
◯課題曲レッスン 「リリーマルレーン」 ①グレード 350408
この歌はマリーネ・ディートリッヒ、ララ・アンデルセン、日本では加藤登紀子さんが、歌いました。
基本的に5番までこういう形です。
第一次世界大戦にドイツとフランスが戦っていたときに、ラジオで、この歌が流れてくると銃声がなりやんだという伝説的な歌です。
「リリーマルレーン」の使い分けが難しいです。全部で10回でてくるのですが、変えないのが、基本であり、それを嫌うなら、根拠をもって、変えないといけません。
アレンジでも5番までもたせるのはきついため、3番から大きく変えています。
「ガラスまどに」
これで、半オクターブです。
声の深さというのは、こういうところで捉えてもらうとわかりやすいです。
ディートリッヒの埸合は、上のところを浮かしているのですが、まずは、浮かさない方がよいでしょう。リズムをつけないで、メロディの線をだして処理するぐらいに考えてください
「ガラスまどに」(シシドレーシ)
ことばでいう感じでよいです。同じ音に「ガラス」ときちんとつけましょう。「ド」の音が一番入りますから、よく入る音に対して高いというよりは強いと考えてください。強いイコール深いと考えます。
「ド」が浮かないようにします。弱いところをひくという考え力はしなくてよいです。どちらかというと強いのをより強くするぐらいに考えると、弱いところにみえてきます。
今、やっていくのは体を使って表現することです。それができた上で、もう一度表現を考えるのはよいですが、最初は体いっぱいで表現するという方向でやってください。リズムから入ることは正しいのですが、この埸合はことばのフレーズから入ってください。
「ガラスまどに」アクセントが「ド」のところにつきますが、それを「ま」に含めます。これが6つの3にならないことです。なるだけ大きなフレーズで一つの方向性をもって捉えてることです。最後にディートリッヒはそらしていますが、これは歌い方で、トレーニングでは真似ないでください。
ことばをどうおくか、リズムをどうとるか、メロディをどうとるかということには、それぞれ表面的にも異なる正解があって、その3つが声の力で一つにならないと一体にならないから伝わらないのです。流れをとるからといって、結果的に流れてしまわないことです。
流れは自分でキープしておきます。流れてしまうと伝わらないことになります。流れは出すのですが、表面的な流れでは、語れなくなってしまいます。今の時点では、まずことばから捉えていくとよいでしょう。
いろんな優先順位があって、歌はどれということがいえないのですが、中間音から低いところに関してはことばを優先してとると考えてよいでしょう。
メロディとリズムは楽譜に書かれていますが、それだけでは伝わりません。
ことばというのは自分の感性で捉えていくことが大切です。それは変えていってもかまいません。たぶん、ことばでやったほうがやりやすいと思います。
ピアノをつけるとどうしても、音程、リズムからとってしまうのです。耳からとりましょう。実際、歌うときに、とりかたで全然、違ってくるわけです。
そのときはリズムもメロディもとりながら、ぎりぎりのところで表現しないといけないから難しいのです。
今はことばを優先で考えるとよいでしょう。リズムとメロディをことばで処理するという技術をもたないといけない。それを最初から同時にやるとどっちつかずになるので、ことばからでよいです。そこにメロディをつけるぐらいです。
リズムというのは、もう一つの要素として、ことばのなかで感じることです。配分になってきますから、順番としては、ことばでフレーズをつくって、そこにメロディで加工処理して、最終的にリズムで合わせていくことです。
これをしぜんに逆の順でとれれば1番よいのです。リズムののっているところに、メロディをやって、最終的にことばをいれるのです。
しかし、日本人でそのやり方をやると、リズムの支えが弱いため、うまくできません。リズ厶が強く入ると、体で強く入らないでしょう。だから、ことばから入ります。
「おとこたちに」
「ち」を気をつけてください。なるだけ「おとこ」というところをひとまとめにやってみます。そのへんは演歌にもよいノウハウがあります。美空ひばりや北島三郎が「おとこ」というときを、思い浮かべてみましょう。
基本的に聞くとよい歌は、ヴォーカリストとしての見本というよりは、役者さんが一つの歌を表現しようとしたときにこういう歌い方になるというところからです。1年目に役者さんか外国人さんのようになりなさいといっています。それはそこの中で処理できる技術だからです。
「おまえのあかい」
「か」で開かないことです。「あ」の中に「か」をいれていく。「あかい」ということばは難しいことばです。「おまえ」といったときに、もう少し体を使っておくと「か」が入りやすいでしょう。
全体的にふわふわとしてしまうのは、感情表現とは違うのです。はっきりと強く言い切っていくとよいでしょう。ことばで、ということは、「おまえのあかい」としっかりといわないと、ドもとっていない、上もひびいていないまま、中途半端なところでのどがしまってきます。
ことばとしてきちんといれた方がよいのです。いれないからフレーズがでてこないわけで、「お」のところからきちんといれます。どういうところからでもよいです。「あ」につけにくければ「かい」のところでもよいです。そこからフレーズをつくっていくわけです。
「つきひはすぎ」
ここのポジションと展開があまいと、どれも浅いところから浅く入ってしまい、「ぎ」できちんとした終止になりません。「ツ・キ・ヒ」みたいになっています。きちんと体からの深い呼吸のところでとめないとだめです。
語尾を雑にすると、こういう曲では致命的になります。ことばをきちんといおうとすると、体からはなれて浮いてしまいます。日本語で「つきひ」ときちんといおうとすると、浅い日本語になってフレーズが切れてしまうのです。先にフレーズを相当強くもっていないとできないものです。
「ガラス」「おとこ」「おまえ」のほうがフレーズとことばを一致させやすいでしょう。それからフレーズをとりにいこうとか、体と使おうとしたときに、今度はことばがいなくなってしまいます。このギャップを埋めるために自分で勉強していくしかないわけです。両方ともとらないところでくせをつけてしまっては、体で歌えなくなります。どちらかからアプローチをしてください。
「ひがともり」
「と」のところにアクセントをつける。「ひ」につければ一番やさしいのですが。「ひがと」を一つの大きなことばに捉えて「もり」を何とか語尾につけるという感じにできればよいでしょう。
「かこまれて」「くちびるに」「ひがのほり」「ひのあさい」などの中で一番やりやすいのを選んで、トレーニングしましょう。
「おとこたちにかこまれて」。
これで7度、ほぼ1オクターブちかくはあるわけです。やみくもに感覚的に歌い方をかえていくのはまずいのですが、フレーズの流れにうまく展開できる感覚は身につけていって欲しいものです。
息の流れもみえますし、とめているところもみえます。ポジションをしっかりとった上で、声をことばにしたほうがよいわけです。
ただ、今それを頭でやって欲しくはないです。それで固定されてしまうからです。体で捉えられるまで待ちましょう。
「ガラスまどにひがともり」
今欲しいのは、1オクターブを同じところでとることです。同じところというのは、ひびきに逃げないで。胸に押しつけないところで捉えていきたいということです。できれば「も」をひびきの位置をかえてもらうのではなく、
例えば「ハイ ハイ ハイ」といっているのと同じ位置です。
「ハイ」でやってみましょう。これ以上ひびかせないで歌詞をつけます。「ともりー」と浮かすと歌の方に流れていきます。体が使えなくなってしまうのです。線は出ていても、その線自体はすでに上にはなした線だから体にもってこれなくなるのです。
「ハイ ハイ」といたときに、この2音目をおさえているかどうか一をチェックしましょう。「も」の音というのは、離れやすいのです。
「まれて」
このへんに関しては、音声イメージです。できる、できないということよりは、今まで歌をくせをつけて歌ってきた人ほど、違った音声イメージでやっているわけです。それは息を入れない声だけのところの呼吸だからです。
「リリーマルレーン」というときのことばの感覚と同じです。これは外国人らしいところです。日本人は、こうはいえないです。深くいうとそこからそのままフレーズに入れるわけです。
強弱のアクセントの感覚が大切です。強アクセントを、どこかにいれないといけない。わからないときは強拍のところで入れていけばよいのです。
そこから自分のことばで勝負していかないといけません。
そのあとは、オクターブぐらいあがっていきますから、高いを出すというのではなく、音の感覚から処理すると思ってください。
今のところ半オクターブをきちんとそろえることを日標にやってください。
「ガガガ」とトレーニングして、「ガラス」ができなければ、練習の意味がないでしょう。
徐々に応用できればよいわけです。フレーズとして自分でもって、配分していくと考えてみましょう。
「ガラスまどに」
1番上の音が1番強くだせる器になってきたら、オクターブ上のドのところまでマスターできたわけです。どこでもバワーダウンしないで、それをきちんともっておくことです。
上をあけたら簡単に音はとれますが、上にひらけないところでとることです。のどをつめることは、覚えないようにしてください。逆のことをやっていたら、しぜんについてくるのです。のどを使っていくからおかしくなるのです。