鑑賞レポート 536
【モータウン リターン・トゥ・ザ・アポロ】
とにかく数多くの出演者がそれぞれの特徴を出していて、歌からタップダンスなどまで、さすがアメリカのエンターテイメントだと思った。これには、客の質というのも大きく関係していることと思うが、各出演者がインタビューで「ここの客はおもしろい」と言っていたのが印象的だった。
一番、印象に残ったのはパティラベル。ニュージャージー聖歌隊をバックに体全身で歌っているような、そして歌い終わった後の涙。私も客の一人となって立ち上がって拍手を送りたい気持ちになった。
最後にスティービーワンダーが、飢えや人種差別、無意味な憎しみがなくなれば、愛の歌も必要がなくなると言っていたことばが印象的だった。このようなアーティストの意識の高さ、単に音楽として成り立っているのではなく、その中には大きなメッセージが含まれているのだということを、再認識させられました。
難しい論理を吹き飛ばしてしまう圧倒的パフォーマンスの数々。ここまで一気に押し込まれると(しかも一人ひとり、世界に通用するアーティスト)。もう小手先のことばはいらない。完璧だ。その一言に尽きる。
時代と共に歩んだモータウンのステージ。そのルーツをたどれると同時に、音楽のルーツまで探れる。まさに時代と共に歩んできたステージ。だが、楽しいだけじゃない。世界的グレードのステージを維持できたのは、観客の目の厳しさ、同時にアーティスト意識の厳しさがあってこそ。このことは、各々のインタビューでうかがえる。
気づいたこととしては、共演でのレベルの高いかけ合い。高い技術。そして声がおたがいがあってこそ、かけひきである。本当に心の底から楽しむことができるのは、しっかりとした技術に裏づけをされている上で初めて成り立ち、その発展として歌があるともいえる。
アメリカだからこそ、あの”アポロ”が生まれたのだろう。よいものにも悪いものにも素早く反応する観客。日本では考えられない。昔、こんな話を聞いたことがある。海外アーテイストが日本でコンサートをしたときに、コンサートの間、全く反応がなかったのに、終わりになってから急に盛リ上り、アンコールを求められたのでとても驚いたというのだ。最近はそんな極端なことはないが、確かに日本人はあまり素直に感動を表わせない。また、個人個人の評価より、社会的評価に流されやすいのではないか。「自分がいいと思うから拍手をおくる」という姿勢はあまり見られない。よい音楽を生むことと、よい音楽を求めること、どちらが先かはニワトリとヒヨコのようなものだが、まず、自分なりの価値観をもつことが必要なのだと思う。
特に感じたのは、出演者全員が全く癖のない発声をしているということ。みんなが自分の生まれもった一番よい声を、思いっきり引き出してとてもいきいきと、そして楽しそうに歌っている。なぜ日本人は(特に自分も含めて)、癖のない声、自分の最良の声すら引き出せないでいるのだろう。自分でもトレーニング中にいつもいらだっている。癖がじゃまして声が前に出ていかない。今後の課題がそこにある。
オレは高校の頃、パンクバンドをやってて、けっこう幅広くコピーしていた。でもなぜか、70年代UKパンクの中で、ピストルズだけはアナーキー・イン・ザ・UKだけ。しかも1回キリしか演らなかった。あまりにもお約束だったから。あとはダムド、UKザブス、レアな方ではイーターとか。なぜパンクが生まれたかは一応、だいたいの把握はしていたが、これは今のオレには興味深い。この頃にはない、掘り下げてみようという意欲もあるし、で、一通り調べてからまた書こうと思うが、今時点で思うことは、90年代を生きるオレたちには標的が実に見えづらいということ。過剰に溢れる物質、情報、思想の中で、すべての問いに規定の答えが用意されているからだ。だからそこで満足してしまって、自己満足の内に社会の奴隸になっていることすら気づかない。情報知識と引き換えに大切な知恵という生活知識が養えないからだ。反逆するも何もそれ以前の問題だ。別に満ち足りてんだから。
今、もはやパンクはファッション。一時期、ネオ・パンクが流行ったが、バンド時代の連中すべて、あれだけはクソだということで一致してた。べつにことばで表わさなくともわかっていた。なんて手前ミソはいいとして、要するにそこまでに至る自己内面からの問いが何もない、思想がないのだ。世界に対する疑問が。そのバランスを保ちつつ深めていくことが歌うことの内面からの啓示となるんじゃないかと思う。
ピストルズ誕生の裏には、反体制という衝動性から生まれただけでなく、緻密に計算された商業であり、やはり70年代のロックは奇跡だと思う。そして、彼らのおかげで誰でもバンドができるようになったという点でも偉大だ。
【プリンス・トラスト’89]
[Swing Out Sister(スウィング・アウト・シスター)]
ヴォーカルというより歌手に近く感じた。一つの音節での細かい符割りの処理は、英語的でリズムがよいが、他のヴォーカリストと比べて、息の支えが高い位置にある気がする。それとしぜんな表情というより、顔に入れたぎこちない力で声を殺し、または押さえつけてしまっているように感じた。ちょうど緊張しすぎて固くなっているときの声のように…。まわりのサウンドが、この当時のUKポップ好みのサウンドなので、彼女は人を聞かしつける歌い手として出てきたのではないとはっきりと思える。
何でこのUKでこのグループが売れたかは理解できる。どこでもそうだが、UKは限りなくヴォーカリストよりもサウンド指向なのだ(みんなが声をもっているからかもしれないけど)。そして、この会場でたくさんの拍手をもらっていた。みんなは彼女がどうこういうより、この曲が好きなんだ。耳なれたヒッ卜曲として…。それはそれで、充分に意味があると思う。
[Andy Bell(アンディ・ベル)]
息は深く、それをうまく声に変えている感じ。伸びやかな声で歌っていて、とても楽しそう。[Mica Paris]…すごい声をもっていると思うが、偉大な黒人ヴォーカリストたちのような、その人にしかないもの、その人にしかない声というものがない気がした。SOUL大好きな人はいいが、それ以外の人にはJ-WAVEのBGMになってしまうのではないか。
僕自身、SOULやFUNK、いわゆる黒人発祥の音楽はものすごく好きなのだが、特にSOULの黒人女性ヴォーカリストの歌っている歌というのは、まずサウンドがよく必通っていて(平均化していて)、声も非常によく似ている。これは、声はすごいけど自分では曲を創れないから、イメージも歌うような歌も、どうしても似たようなワクに入ってしまっているのではないか。でもはるかに、日本人社会で生きるより、楽しそうにうれしそうに歌っている。これは僕の偏見かもしれないが、すごいのがあたりまえのように思われてしまう黒人は、損だと思った。特に、誰にもないものを身につける必要性が強いと思う(日本人も違う意味で損だ)。
[Tony Hadley(スパンダー・バレーのトニー・ハドレー)
「Be Free〜」と割と高めの音から入るが、日常会話を歌にしただけという感じで、のどが開け放たれてる感じだ。日本人だと「Free(リー)」だが、彼は「Free(ゥリイ〜)」だった。これも深く入りやすい原因なのだろうか。
[Nigel Kennedy & Shymphony Orchestra(ナイジェル・ケネディとシンフォニー・オーケストラ)
会場全体を音の支配で包んでいる。小さい一人ひとりが、一つのムードをつくるために一つになっている。ここで演奏できる喜びを、静かに熱く感じてるようにみえる。途中で入ってくるペースや曲全体の変化によって、この舞台は一つの線上にある組曲を演じてるようだ。
[Alexander O'neal(アレキサンダー・オニール)]
なんか、出てきただけで何をやってくれるのというか何ていうか、とても雰囲気のある人だ。お固いイギリスの皇室をNight Clubに変えてしまった(下半身は軽いが…)。ブレスの音がすごい。なんと堂々としていることか、息をわざと少しもらしてるような歌い方も、日本人にはキープできないところでキープしているように見えた。
声に個性はあると思うが、ステージを自分のものにしていないというか、なんかオロオロしている感じがして、自分のステージとだぶって見えてイヤだった。(名前はわからないがヴァン・モリソンの次に出た人)すごいと思う。声ももちろんだが、堂々としながら楽しんでる。そして、マイクとハートと声がつながっている感じだ。自分で勉強したというより、歌っていくうちにしぜんに体が自分の声を一番よく聞かせるマイクの距離、使い方を覚えたみたいに、位置が(マイクの)めまぐるしく(小さくだが)変わる。指の握り一つひとつにしても…。高音は圧巻だった。
【サッチモ(ルイ一アームストロング)】
爆発音のような声。誰でも聞けば耳を奪われるだろう。トランペットで有名な彼だが、彼にとってはトランペットも歌も何の変わりもなかったのではないかと思う。彼が最初に始めたという“スキャット”も、まさに体を楽器にしてしまった結果だと思う。強弱の感覚が素晴らしい。あのままマネたら、のどをこわしそうだ。のどがしまるなんてことは、彼には到底、考えられないだろう。
長い間、語り継がれ、伝説になってしまう人は、やっぱり新しい試みをしている。形は何であれ、何に影響を受けても“オリジナル”である。また。常にいろんな人から盗もうとしている。取り入れようとしている。そうやって彼のスタイルができていったのだろう。マネも。消化してその人というフィルターを通して一つの形になれば、オリジナルだと私は思っている。マネと言われてしまうかどうかは、その人の器しだいだと思う。この人のように歌いたいと思うことが、スタートではないだろうか。
【これがオペラだ!】
オペラというと、もうとりあえず皆すごい声量で、近寄り難いというイメージというか先入観があった。今日のLDでその捉え方が少し変わった。蓋を開ければほとんどが恋愛のもつれの悲劇や絶望を歌ったものであり、小難しく考えなくてよいのだな、と思った。ドミンゴ、パバロッティはどんな役のときでも、声のもともとの根っこがすごく太く深く保たれていた。
どの作品も一曲ずつながら、一つひとつ、その世界にキュッとひきこまれる。衣装や舞台などの雰囲気もあるだろうけども。一つびっくりしたのは女の人で、愛のために他の人に身を捧げるというような場面で、まるで楽器のように高音が鳴っているところがあった。歌や声というより音、というかんじで強さと哀しみを内包している、本当に心にひびいてくる切ない音色だった。とにかく、本物をインプットして自分の中に豊かなものを育てて表現に出していきたい。
[B.B.キング】
今までに何度も聞いてきた。そして歌ってきたB.B.キングであるが、映像として見ると、その素晴らしさが何倍にもなって伝わってくる。一つは、彼のギタープレイだ。もはやギターが手先の一部分になっているようだ。軽やかなチョーキングやビブラートはまさに王道をいっている。もう一つの素晴らしき声は、太く、パワフルなその声だ。高音になればなるほどパワーを増し、ポジションの変わらない発声はまさに手本のようだ。そのポジションの深さも並ではなく、マイクの遠さも映像でしかわからない。しかし実際は。10の力のうちの3〜4しか出してはいないのではなかろうか。その力強い声の内にも、まだまだ力を余すような余裕を感じた。
表情は常に笑顔で、非常に楽しんでプレイをしているな、と思わせる。ところがそのヴォーカルそしてギタープレイでは、非常に高度な技術を披露するプレイヤーであると思う。なんといっても、さすがはブルース界の王者と思わせる。
録音状態はとても悪いし、ブルース自体はあまり好きでなかった。以前、日本人のブルースバンドを見たからだ。全然違う。強く感じたのは、叫びだ。シャウト。ジャンルなど関係ない。何を歌っても本物だ。彼らの生活、人間に密着した嘘のない叫びだ。
B.B.の歌は、私にはゴスペルに聞こえてしょうがなかった。荒々しい説教に、皆の祈りに。本当にゴスペルを歌っていたらしい。黒人の人たちの歌の役割は、教会のそれなのかもしれない。場所や形が変わっても。だから本物なのかもしれない。会場のお客さんが、白人の人が多いのに驚いた。「心の声」は、人種を超えて伝わる。
【モータウン25]
終わったときのこの、ぶっとい感覚は何なのか。その迫力は画面をビンビンと音波でゆさぶっているかのようだった。私はこれまで、どちらかというと落ち着いた繊細な歌声を好んでいた。そして、黒人のあの圧倒的な歌唱力というものを苦手としていた。しかし、見る立埸の人間から見られる立場の人間になりたいと思い始めてから、その歌唱力に対する思いは、尊敬(あこがれ?)に変わりつつある。
喜び、苦しみ、悲しみ、すべて(ことばがなくても)。全身からわき出る声で表現できる素蹟らしさ。「うまい」とかそういう気持ちはどこかへいってしまい、ただの現実、あるがままの今の彼らの情熱というものが感じられる。まるで、生まれながらのスターのように。
一番、印象に残ったこと、それはスティービーワンダーの歌の心地よさだ。一教だけスティービーのアルバム(CD)を持ってはいたが、まあまあよいくらいの感想しか持っていなかった。今日、改めて聞いてみると、なんと心地のよい声、そして心地のよいメロディなんだろうと思わず感動して、足でリズムをとっていた。黒人がなかなか受け入れられず、レコードのジャケットにも写真をのせることができなかった時代があったと語られていた。
スティービーも黒人であるが、自分は少しも黒人であることを意識せず聞いていた。スティービーがステージであいさつをしていた。「聞いてくださるみなさんのおかげで自分の夢は実現され、その夢は永遠に続くと…」その気持ちは、とても大切なことだと思う。きっとアーティストシップの原点ともなる部分ではないだろうか。
熱狂に見られる国民性 外国のアーティストのを見て、いつも思うことがある。お客さんのノリである。もちろん、これにはアーティストがのらせる力があるかということもあるんだろうが、どうもそれだけじゃない。よいものを見せられたとき、その感勘を素直に表に表わせるかというお客の表現力にもあると思う。このことに関しては欧米人は、非常にオープンだといえる。
アジアの国では未だに、LIVEでのスタンディングすらメジャーではないと聞く。日本では、スタンディングぐらいはあたりまえでも、ファンクラブご指定の決まった踊りをみんなでそろってやる。わるかないが、これじゃ幼稚園のおゆうぎの延長である。よいものを見せつけられたとき、しぜんにこみ上げてくる感情を表現するコトがヘタくそなのである。これは、国柄でもあるだろうし、だからといって、表現しすぎても困りものだが、アジア人はもっとオープンでいいと思う。
私はずっと、HM/HRばかりを聞いていました。3年前、友だちにボブ・マーリイの“レジェンド”を貸してもらい。CDウォークマンで聞いていると、街の中が一つのリズムに統一されて踊りだし、道ゆく人々の顔がやさしく暖かく写りました。思わず涙が出ました。それは誰一人、わかりあおうとしない冷たい人間関係から、まるで氷が溶けるようにみんなが兄弟のように、大きな家の中の家族のように思えたことです。「ちょっとそこの人に話しかけてみようかな」といった感じです。そこからさまざまなジャンルを聞くようになりました。
そのときの感動が涙がよみがえり、生きる希望と勇気が湧きました。そして、ボブは国民的ヒーローになりたくて歌うのではなく、また、ただ人種差別をうらんで歌うのではなく、一つの神を中心とした人類―家族の平和のために死ぬまで変わらない姿で歌い続けていくところが感動しました。ボブがジャマイカなら、私はジャパンだという気持ちにさせられました。
今世紀最大のシャンソン歌手、エディット・ピアフは1963年10月に47年の生涯を終えた。彼女は自分の人生を“おそろしくも素晴らしい人生”と言っている。まさにその通りである。多くの超悲劇的な運命を背負いながらも、彼女は歌い続けた。愛や苦しみを糧として、彼女は一生を歌い通してしまった。私が彼女の声、そしてあの細く小さな体から感じるものは“生命”だ。私は生きているのよーという気迫というか、輝きを彼女の声から感じる。まさに生命を賭けた熱唱である。
すべてが名曲ともいえる彼女の曲の中でも、際だっているのは“愛の讃歌”“私の神様”“バラ色の人生”の3曲だろう。彼女のもっとも愛したボクシングの世界チャンピオン、マルセイユ・セルダンの飛行機墜落による死を悲しみながらも歌う彼女の“愛の讃歌”には、胸をひきさかれそうになる。“私の神様”も同じだ。あの“モンデュ・モンデュ・モンデュ”というあの心にうったえかける声は永遠に不滅なのだろう。
なぜピアフはこんなにも魅力的な声や表情や表現力をもっているのだろうか。彼女の表情一つが、もう一教の絵ができ上がっているかのように芸術的だ。彼女のすべてが芸術的にさえ見える。このピアフの力を“才能”、“努力”なんてことばで私は言うことはできない。彼女はまさに“神がかった運命”をもって生まれてきたのだろう。多くの地獄・天国を見た彼女の歌はとても魅力的だ。
【大禅問答・法戦】
厳しさに耐えている人間はいくらでもいるのだということを思う。「両親のことを思い出して、夜涙してしまう」と言っていた雲水と、大禅問答の首座をつとめたハタチの雲水が対照的であった。首座に選ばれるのが目橡のひとつだと言っていたこの人は、「自分はまだ小僧なので悟りなんかわからない。ただ毎日の仕事を忠実にこなすことが今の自分の修業」と言い切った。
その目つき、顔つき。ことばが違う。同期くらいであろう他の人たちよりもはるかに決然として潔い。彼らはみんな、なぜここへ入ってきたのだろう。つらい生活が待っているのを承知で来たのだろうし、誰もがみんながんばっている。でもその先に何を見ているかによって、こんなにも違うものなのだ。首座の青年僧には、その姿の中に無限の可能性が広がっているようだった。彼が満足してしまわないかぎり、それは続いていくだろうと思った。どこまで望んでいるのか、その違いがはっきり見えた。
大禅問答の首座というのは、次々に浴びせられる問いに、たった一人で立ち向かう。彼の気迫に触れて、私は無性にうれしかった。うれしかったけど、この人と向き合い、1対1で話して負けないほどのものを私はもっているのだろうかと考えた。彼のような人もまた、たくさんいるのだ。
「形の中に仏が現れる」ということばに、ドキッとさせられるように、遠い世界のことだと思っていた修業僧の生活の中で言われていることばには、何の違和感もなかった。自分はぶよぶよ太って、恐ろしく鈍い座敷ブタみたいになっていないか。こういうことが無意識の姿や行動の中に現れるとしたら、これほど怖いことはない生活とステージは必ずつながっているからである。取り繕うことはできないし、できたとしてもそれは偽ものにすぎない。どこまで求められるか、飛びこみきれるか。
恐ろしいと思うのは、満足してしまうということだ。うまくいけばいくほど、きっと自分が見えなくなっていく。ただ黙って耐えていれば、彼らが高僧になるわけではないのと同じように、そんな自分に満足していて何かできるはずもない。満足・至福とは、とても狭い範囲でのことだと思う。深い想いがあるなら、満足なんてできないはずだ。全部、自分にはね返ってくる。ただそれだけのことである。
【奈良・お水取り】
火の力を発見した。火はいつから「危険なもの」になってしまったんだろう。お水取りの行そのものよりも、燃えさかる大松明に目を奪われっぱなしだった。4万人もの人出。この人たちがみんな火に引き寄せられて集まっているように見えた。マッチの火さえ人を引きつけてしまうのだから。誰でもじっと火をみつめてしまうことがあるはずだ。安全さ、便利さのため。火は生活から追放された。でもみんなどこかで火を求めているんじゃないかと思った。考えてみれば、火にもいろいろある。暖炉の火、いろりの火といえば暖かい感じがする。
私は火というと、暖かいイメージを浮かべることができない。火は激しくて怖くて近寄りがたい。右に左に、怒り狂ったように動く大松明を見ていて思い出すのは、憤怒像だ。よく憤怒像の後ろには、飾りのようにして火が描かれている。中にはちっとも怖くないものもあるが、ものによっては焼身自殺みたいで怖い。のたうちまわっていてくれたら怖くないのに、炎の中で目を見開いて座っているのが私は怖いのだ。あまりに怖いので、吸い込まれるように見入ってしまう。像の後ろに描かれた火ではなく、炎の中の像そのものが火の正体ではないかと思う。
大松明の火の粉をかぶると、その年は無病息災で過ごせるのだという。昔の人にとっては悲願だったと思うが、今では縁起かつぎにしかすぎない。初脂に行ってみんなでお守りを買うようなものだ。だからこそ、1200年以上も盛大に続いてきたのは、火の力があるんじゃないだろうか?火打ち石で起こした松明の火は生きものであった。あの埸で使われているような少量の水は「潤める」という感じだけれど、火はもっと激しい。大松明といったって、柄が良いだけでそれほど巨大なわけじゃないのに、まっすぐにこちらを打ってくるようなものがある。
都会では特に、火事のようなことでもないと火を見る機会は少ない。かまどの火はとっくにガスになったし、タバコだって、みんなライターを使っている。うっかり焚き火でもしようものなら、近所の人や消防署に叱られる。誰もが忙しくてしょうがない。誰も火のことなんか考えない。魔を祓ったり願いをかけたり、1200年前、火の神聖さや力を人々は知っていたはずだ。そのことをみんな、記憶のどこかで覚えているに違いない。もっと派手な松明にしようとか、めんどうだからガスバーナーで火をつけようとか、観光客のウケを狙おうとかしない限り、今だからこそお水取りはすたれることはないような気がする。私たちが火を追いやっても、火の力は消えたりしない。無病息災なんて体裁のことだ。そう思い込んでるだけだ。本当はみんな、生きた火が見たいのだ。
【画家 青木繁】
炎の海。―タイトルから私は赤く焼けている海を連想した。油絵具で描かれたような情熱的な海。その絵を書いた画家の熱い生きざまを。ところが、青木繁はそんなくそ真面目な男ではなかった。自分の欲望を見つめ、理想を見つめ、傲樓であまりに人間臭い男であった。
写実主義の絵画が主流だった時代に、青木の絵はあまりよい評価を受けず、彼はそのプライド故に次第に傲慢となっていく。自分は一段高いところにいる天才だ、凡人にこの芸術がわかる訳がない、と。これはある意味での現実逃避だ。けれど、笑ってもいられない。
愛にも破れ、戦いにも疲れた彼はついに守りに入る。思想などかなぐり捨て、写実の波にのまれていく。ひたむきに隠した弱さをさらけ出し、名声が欲しい、金が欲しいと叫ぶ。ずるずると凡人にかえっていく。が、時すでに遅し。
彼の代表作「海の幸」にはドキッとさせられた。描かれた女性の表情が、彼の思想が、脳裏に焼き付いている。彼の選んだ道は間違っていなかったはずだ。敗北の原因はどこにあったのだろう。自分を省みれなかった弱さだろうか。それとも…。いろいろな思いが交錯する。