一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

ステージ実習コメント     544

 

ステージ実習コメント    544

 

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入①グレード コメント 351019

ステージ実習コメント  ③   351018

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入①グレード コメント 351019

 

はっきりいうと、ここのレッスンにこようとこなかろうと、舞台で観客を魅了できればよいのです。それがいかに難しいかを知り、本当の力をつけるために、ここのレッスンはあるのです。

 

人前に立って歌うということは、何かを与え、その間をもたせるだけの力が必要です。発声、技巧、体というよりも、歌という条件のなかでの表現力が要求されます。練習と舞台の本番でやることは、同じでありながら全く別のものです。

だからこそ、基礎のトレーニングと同時に、最初からステージ実習もおいているのです。☆

 

舞台度胸をつけてもらうとともに、本番でどんな状態におかれても通用する力をつけることです。

それには、自分のトレーニングの段階でも、常に、もうこれ以上できないというほど、自分で煮つめてくる必要があります。

 

基礎が固まらないのに、歌えないというのは、甘えです。基礎など生涯かかっても、どこまで深められるかわからないものです。

逆に考えるなら、基礎などなくとも、歌手は歌っているのです。

なら、基礎を深めつつ、その段階段階で、それなりに作品を切り出す、そういう力も大切でしょう。☆☆

 

 

ステージ実習では、自分の呼吸にあわせる、自分の呼吸をつかむために、アカペラで歌っています。

大きなスケールで自分の呼吸を使えるようにしていくことが、本当に歌えるようになる基本だからです。

 

ライブ実習になると、リズム音感、間合い、音の間隔なども含め、伴奏者や観客とのコミュニケーションでの呼吸まで含まれます。

 

バスケットでいうと、ステージ実習のone on oneに対して、ライブ実習はthree on threeといったところです。☆☆

 

 

モノトークは、作文力をみているのではありません。

内容は何でもよいから、音声によって伝わる度合い、声の力で伝える表現力をみるものと考えてください。

言語の意味が理解できない外国人にも、その声を聞いてどんなことを言っているのか、その人の口から発せられた感情が伝えられているかどうかという基準です。

声、体できちんと音声を伝える力を養うのが目的です。

 

ノウハウをつかむときに、レッスンや実習など、人のいる”場”に出るというのは、とても大事なことです。もちろん、そこで終わらず、そこで行なったことを自分でフィードバックして、煮つめていくことが、大切です。

 

 

ステージでは、今から完成させて、まとめようとしなくてよいです。存在感とインパクトをどう残すかに挑むべきです。無難に終えてしまったら、何のために、2、3分間の”場”にきたのかわかりません。

 

体と精神をこめて全力をつくしてやってたら、1分間でも相当な負担のはずです。その1分間をどこまで一所懸命やれるかです。歌という2分間の作品に全力を出しきれる状態になれるまで、表現を練り込んでいくと考えてください。

 

 

ここのグループレッスンでは、60分いて、10秒のフレーズ、3回出して終わることも少なくないでしょう。そこで勝負できない人に、2、3分という長い時間を与えているのです。

 

ステージをふんでいくごとに、型に押しつけて自分が生きていないようにみえるのは、よくありません。”場”に出たときに、人からやらされているというような受け身の形がみえたら、おしまいです。

どんな”場”であれ、自分で出た以上、出るということは、自分をアピールするということなのです。

 

実績がないなら、全力でアピールする以外、どうやって認められるのですか。

また、プロであっても、ここでは、そういう肩書きではみられません。

出したもの、作品がすべてです。

 

 

客は、その人の芸、歌がみたいのです。その人の本質的なもの、何か価値があるものが出てくるところがみたいのです。

このことは、2年たたなければ、できないことではないです。

今、出そうとしていなければ、2年たっても出ることは稀でしょう。

 

本人が、出そうとしているかしていないかの問題だからです。スタンス、姿勢です。

表現したいものがなくて、ヴォーカリストになりたいというのは、おかしな話です。

でも、理由は問いません。そのうち、突きつけられるでしょう。

 

日頃、自分のなかで蓄積されたものがステージで表現されないといけません。

つまり、蓄積していないと出てこないでしょう。☆

 

 

皆さんなりの人生のなかで、それなりに、蓄積されたものがあったから、私のレクチャーを乗り越えて、ここに来たのでしょう。20年ほど、生きてくれば、今の自分にも表現するに足るものは、必ずあるのです。

 

ただ、本人がそのことに気づいていない、あるいは、その表現の仕方がわからないのです。そこは待ちます。ここは、プロダクションでもオーディション会場でもない。

 

何年かたったら、表現できると思ったら、それは大きな間違いです。

今、もっている表現を出し切り、また、それを創り、繰り返していきます。

 

他の人に価値を認められるには、血のにじむような努力が必要です。

今、全力で自分を表現できなければ、いつまでたってもできないと思わなくてはなりません。

ただ、それを支える技術に関しては、やるだけ身についていくし、今までできなかったことができるようになるかもしれません。

 

舞台で自分の出せるものを全力で出しきって、足らないものに気づき、それをうめていくということを絶えず、追究して、生きている人は、たくさんいます。

そういう人たちと同じ以上の毎日を重ねていけば可能になるということです。☆☆

 

日本では、欧米ほど、厳しい基準にさらされていないので、現役で舞台を続ける人も、結構、早く頭打ちになります。歌手など、デビューの後、力が伸びる例が、稀なほどです。

その足りない部分を自分で煮つめていくこと、それができたら、本当のキャリアになります。

 

 

 

初回ステージ実習は、残念なことに、課題を消費するだけで、多くの人が何も残していないように思います。自分にとって価値のあることが、この瞬間、この場で表現できるようには、どうすればよいのかを考えてください。

 

モノトークは、作文の朗読で終わらないようにしましょう。与えられた材料にきちんとこだわってください。煮つめていくこと、執念やこだわりがなければ、とりあげた意味がありません。材料を材料のまま、出さない、あたりまえですね。☆

 

今の状態で、煮詰める時間がないというのは、理由になりません。プロになるつもりなら、もっと時間などなくなります。この時点で何百回も読みこんでくるのは、あたりまえなのです。それがあたりまえ、それでも足らないと思える人だけが、残っていける世界なのです。

 

他の人と同じだけやっているのであれば、いつまでも、だらだらと時がすぎ、年齢をとっていくだけのことです。それを選び決めているのは、あなたです。

ここにいることは、特別なことでも何でもありません。ここは求める人には全てオープンにしています。あなたは、何かをつかもうとしてここにきたはずです。

 

多くの材料から、大切なものを貪欲にとっていってください。あなたが伸びていけば、私たちが見本をみせる必要もなくなり、よい”場”ができ、作品の交換ができます。あなたが見本になるように、そのなかの一人、いやお手本になるくらいの意識、自覚をもってください。

 

モノトークは作文カ、文章力を問うているわけではありません。文章としては、立派に書けている人はたくさんいます。しかし、きれいごとでは説得力に欠けてしまいます。ことばが自分のもので、かつ等身大でないと、心の叫びにはならないです。

 

自分で消化できていないと、通用しないのです。ことばだけが、立派でも飾りにすぎないのです。このことは、技術とは、関係のないことです。人前に出す価値が何かを自分に問うてください。

ここのトレーニングメニューもまた、材料の提供です。何か与えられるものであると思います。

ノウハウなどと思って、そのままの形で受けとろうと考えると、違ってしまいます。

 

ノウハウというのは、自分だけのものです。与えられた刺激に対して気づき、自分なりのやり方をつくりだすことです。この研究所には、見本や理想、めざしているもの、型などはありません。そこがわかりにくいでしょうが、もっとも秀れたところなのです。

 

みなさんの質問は、他人依存のものが目立ちます。人の意見としても、自分がそう思わないことなら、やらないことです。なぜ自分で、納得できないことをやるのか、私にはわかりません。でも、こういうものの理解の仕方が、人から、いわれたことばにひっかかって動けないのは、パワー不足です。

 

先生方のいうことやテキストのことばのところで捉えていては、どんなにやっても、トレーニングは成り立たないです。その先のため、です。そういうことをわかってください。

 

あなたは、そのために現場にきているはずだし、少なくとも体や声で示されているのをみているはずです。☆

そのことと、ことばとが違ったときに、ことばの方をとってしまうのは、愚かなことです。

 

ことばで定義した方がイメージしやすいという部分があって、ことばは使われます。しかし、それは、そのことばを使っている人のインデックスにすぎないのです。

 

体で実践してみて、その反応を体で感じられた人が、本やテキストに書いてあることばをみたときに、こういうことなのかと、あとで、自分なりに考えてまとめるのに利用できるくらいのことです。

”自分なり”の気づきがないと、人のことば、人のノウハウだけからは何もできていきません。

 

ことばの裏側にある”感覚”を、自分の体でイメージでつかむことです。もっと想像力を働かせてください。声に関する基準を、人まかせにしないで、自分の判断基準をもってください。

 

 

人の説明を聞けば聞くほど、自分でわからなくなり、できなくなってしまいます。それなのに、聞いてわかったふりをするのは愚かなことです。

正しいものは、あなたのなかに、あります。ことばにした瞬間、うそになります。

 

ここで出しているものは、材料です。自分によいと思ったものを、取り入れてください。自分でおかしいと思ったものはおかしいと、直感を信じて、自分で試していきなさい。あなたの方がおかしいことも多いですが、自分で確認する、そこを大切にしてください。

 

ともかく、一流を聞き、感じ、その刺激に反応していく感覚を自分に取り込むことです。自分が反応できた感覚にこだわり、それを体と結びつけることです。人がこだわらないことでも、自分がどこまでこだわれるかどうかが、その人の才能であり、その人が表現できるかどうかのわかれめです。

ここやトレーナーがいうことより、自分が信じられるようになってください。

 

基本のトレーニングとは、一つのことを同じことを、繰り返し徹底的にやることです。声に、体に、表現に徹底的にこだわることです。それを受けた人が何かを動かして、心や行動に結びついてはじめて、表現になるのです。そこまで強く、働きかけなくては、人の心に何か残したり、伝えたり、感動させたりすることはできません。

 

場に出たら、今の自分の最大限の力を出しまくることです。自分のできることを出しきったとき、芸になっていないのがわかるとともに、芸になるものがわかってきます。今は、声が足りないとか、のどを閉めていて技術が伴わないとしても、あたりまえです。しかし、逃げないこと、そこで出そうと思い、出すという行動をしなければなりません。

 

場に出続けながら、トレーニングを続ける集中力と持続力をもち、自分が表現することが価値だと思える人は、残っていくでしょう。たとえレッスンで混乱しても、わからなくても、どんなに嫌でも、出続ける実績だけは積んでいって欲しいと思います。

 

アテンダンスシート、レッスンレポートも出し続けることです。こういうことによって大きな差が生じます。昨年より、どれだけ書けるようになったのかが、目にみえるあなたの力でしょう。

 

あなたが伸びていけばよいのです。

すべてにおいて同じことをやっていては、同じレベルから抜け出せないものです。

毎日、今のあなたでできること、あたりまえのことをやることです。

それさえやらず、何ができるというのでしょう。

 

すべてを人よりやって、ようやく、人より半歩、先にいけるのです。

上達していったら、そのレベルを保つための努力しなくてはいけないでしょう。

人より上をめざそうとしていたら、甘くなる余地など、全くないはずです。

そのために、もっともっと、精神的にシビアに貪欲になっていってください。

 

 

 

 

ステージ実習コメント  ③   351018

 

 

 

ちょうど1年から1年半くらいの時期は、ようやく土俵にのれるかどうかのときです。このあたりから、こだわっていける人と、そうでない人とがわかれてきます。

今までにやってきたことが実を結ぶかどうかということよりも、そのときにこそ、一所懸命、方向性の枠が広がって、かなり敏感になっていかないと、あとで形としてできてこなくなります。

 

声だけできてくると、歌にしたときに、体で押していくようなことにもなりがちです。そういう時期があってもよいとは思いますが、歌にしたときに相当、気をつけないと、歌がつくりもの、偽りになってしまいます。つまり、力技で通じてしまうかのように思ってしまうからです。☆

 

今までは、自分の声があっても、そのままでは作品にならないために声を深めていく、体を使って声を出すことをしてきました。音が高いからと、ポジションをずらすということはせずに、音域・声量を一つの声から捉えなおし、一つにもってくるという考え方でやってきました。最終的なところまで、この線上でやってもよいです。

 

しかし、役者や声優になるのではなく、ヴォーカリストとして声を歌にしていくのであれば、押したりひきずる部分だけでなく、浮いてくることも必要です。

音楽とは、高音域に上がってくるものです。そこで、ことばのフレーズからひびいてきたのなら、そこに感覚をゆだねて浮いてくればよいのです。その感覚を否定せず、声を体をゆだねていくことです。

 

深く芯をとる部分と浮いてくる部分のバランスが必要です。そのバランスを得るためには、声の芯を捉える基本のトレーニングを意識しておく必要があります。自分で、このずれを把握していくようにしてください。

 

浮遊感がないためというのは、音楽性、コードの感覚(和音)がないようなことと思います。よい歌は、アカペラで歌っていても、必ずバックに伴奏が聞こえます。☆

そのあたりも、少し考えてみてください。セッションしているのか、音楽と、です。

 

 

ステージングについても魅せていくことが必要だと思います。舞台として成り立っているかどうかを問うのです。観客を魅きつけることです。感情や体でステージをカバーするのはよいですが、録画された自分のステージを客観的にみて、何が違うのかを考えていかなければなりません。

 

レーニングでやっていることと、ステージにおいてみせるものは同じではありません。ステージでは、声そのものよりも気概をみせて欲しいです。ステージでは、気持らを前に前に出していないといけません。最初からひいて、魅きつけようとしても、無理だと思います。

 

ステージにおいて、自分が何を表現したいのか、伝えたいのかを、もう一度、よく考えてみてください。舞台で自分の表現したいことを自由自在にできるようにするために、声のトレーニングが必要なのです。

 

声のことをステージで気にしなくてもよいように、声のことをやっておくのです。表現するために歌っているのか、単に体を使いたくて歌いたいのか、考えてみてください。

 

歌には、感性、センスが大切です。声というのは、いくら身につけても感性をもちあわせていなければ使えないものです。世の中で、これだけコンピュータなどが発達してくると、技能における価値は、なくなってきます。

 

このことは楽器だけに限った話ではありません。音響がよくなって一般の人でもカラオケでうまく歌えているように聞こえることを、考えてみてください。そういう中で何で勝負するのかというと、感性の部分でしかないのです。声を身につけるということは、感性を磨くためでもあるのです。

 

音楽をやっていこうと思っているのなら、感性が残る歌を歌っていかなければ意味がありません。声を聞かせているものでもなければ、音楽を聞かせているわけでもありません。

ステージになったら、地をはうような足腰の基礎トレーニングの部分を、観客に問うても仕方がないのです。感覚のところで、構成、展開をトレーニングの段階でイメージしておくことです。

 

自分流に曲を解釈してくる前に、その曲のもつ本質をつかんでくる、聞き込んでくることが大切です。その曲が自分の好みにあわなくても、世の中で通用していて受け入れられている曲だということを理解し、まずは、どこでもよいから、よいところをみつけることです。感動することです。

 

そして、一ヶ所でも切り口をみつけたら、その部分を大事にして、ステージにもってくるのです。よいところを学べるのが才能であり、それを自分のものにし自分の表現を出せて実力といえます。

 

もし、曲を変えてくるのであれば、自分に対してプラスになるように勝負できるように変えることです。そして、曲がもっている本質と、自分の本質とを、うまくミックスすることです。

 

結局、歌の世界と自分という楽器のかねあい、作品と自分の感性のからみを考えていくことが、ヴォーカリストの愉楽なのです。このことが、うまくミックスされないと、歌の世界に説得性が生じません。この微妙な感覚をつかんでいってください。

 

 

 

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BV座コメント   351030

 

最近、思うことは、それぞれに歌を練り込んできているが、気と声の部分が一致しているという感じがしないということです。

他のクラスだと、ヴォイストレーニングのときは声が出しやすく、歌う場になると出づらくなるという傾向がありますが、このクラスになると、歌のなかで声を消化してしまって満足しているという逆の傾向になっています。

 

もう一度、原点に戻り、声を腰で引き受けて発する大切さを考えてみてください。

腰がすべての中心で、歌がその部分から出てきているというイメージで発信できれば、もう少しパワーが変わってくるのではないかと思います。

 

マイクの使い方に凝る必要もありませんし、凝って欲しくもありませんが、もう少し、トータルに音響という意味で捕らえ、マイクを自分の味方にできるとよいでしょう。

音色のイメージの重ね方、声の色などを考えると共に、足らない声量の部分をマイクでカバーしたり、声がところどころ途切れないように、次の音に重ねていくという技術を覚えていくことです。マイクの向きがずれていたり、自分の声量に合わないと損をします。

マイクを、よい意味で効果的に使い慣れていけるようにしてください。

 

この前、外国人の「カラオケ選手権」をビデオでみました。彼らに対し、いつも思う点は、歌うときの姿勢と声のヴォリューム感と、歌が好きで好きでたまらないというエネルギーの強さ、それが前に出ているというところです。そこに華やかさをみます。

 

人前に立つからには、いくら練習でできていなかろうが、舞台には前向きで出て楽しまなくてはなりません。自分の気力、気迫のエネルギーが外に向かわなければ、外に表われていきません。中途半端に內にためて出すのでは、カラオケで歌うことと同じことです。

 

内にためていようがいまいが、外に解放していくというステップで歌うことです。歌そのものは、もっと突き放してしまってもよいと思います。内にためた苦しさを観客に伝えても仕方がありません。

 

パワーと気迫だと、単純に考えてもよいでしょう。伝わりゃいい、なら伝えようとすることです。そのためにどうすればよいか、そこから体と心の声のー致を考えていってください。

 

あとは内面的な世界一心に表現すべくものが宿るのを待つしかありません。発声は、タイプライターのようなもので、打てたら打てただけ、歌っている人には気持ちのよいものです。ただ、そのあと芸事として成り立つには、聞く人に伝わる情感が必要です。

 

みなさんは、機域的に発声したときにも情感を出せるようになってきています。しかし、人間的な意昧での情感が、まだ外に表われていないような感じがします。もっと素直になればよいのです。そのあたりを、もう少し考えるとよいでしょう。

 

真実の声がつき、音楽性がついてくると、それが本物であれば、才能に関わらず伝えていけます。伝えようとしなくても、その人の思いや、やってきたことが伝わるのです。そうして、肩の力を抜いても、人々の心を打つ歌が歌えるようになると思います。

 

あなたの人生が、あなたの人としての歌になっていけばよいと思っています。

そのためには、とことんこだわっていくことでしょう。

場所、立ち位置、マイク、ライトなど、すべて、こだわって欲しいと思います。

 

声はヴォーカリストにとって、10分の1にすぎません。その他、トータル的な意味も含め、自分にとっての残りの10分の9のことも考えていってください。声を活かすために、です。

また、センス、リズム、音のイメージなど、一流の人たちのよいところをとっていき、学び続けることを忘れないでください。

 

 

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BV座コメント  351204

 

 

ライブも回を重ね慣れてくると、ステージングのみせ方などにまとまりを出そうとするようになり、器用になってきています。しかし、音楽の表現そのものに関して、自分のギリギリのところでやっていたときの方が、まとまりがなかったとしても、何かを伝えようとする気迫があり、よかったと思えます。

 

もう少し、この時期、直球で勝負して欲しいものです。

考え方、生活の張り、ステージに対する集中度などが煮つまって、おのずと出てくる風格がもっと欲しいように思います。

 

まとまりよりも、パワー、気迫の部分を気力と共に出し続けることを増幅してください。

押すことに対しての引きが弱いです。引くことを考えると押せなくなってしまうので、もっと強く押して強く引く感覚でやるとよいと思います。

 

一流のヴォーカリストと自分のビデオを見比べて、何が違うのか判断してください。

本物との違いは歌のまとまり、ステージングということよりも、パワー、気迫の充満さ、持続性、詰めの厳しさです。まずは、気構えの部分です。

 

ステージをやっていくにあたり、何か一つ、絶対に人よりも突出しているものをもっと共に、リズム感や音感など、その他の要素のアベレージもあげておかないと、通用しません。

いくら声だけよくとも、それが歌になるとは限りません。声以外のことも、もっと自分で勉強して、それぞれの平均値をひきあげておくようにしてください。

 

 

アベレージが低くても、歌として高く評価できる人は、人に聞かせる要素があります。他の人の耳から入って、その心を捉えるものとは、その人のオリジナルのフレーズです。これを節(こぶし、フレーズ)といいます。これがあると、場をもたす作品とすることができます。自分に内面にあるものを、外に表すという部分に関して、厳しい基準をつくり、自分の節を押さえてください。

 

私がここでのライブでみているのは、一つには、基本の上に歌が表われているかどうかであり、もう一つは、作品としてみたときに芸として成り立つかどうかです。

これは難しく考えることではなく、一流のアーティストの作品と並べて、どこまで心が捉えられるかです。

 

外に発信していくという意味から、プロデューサー的な眼も入ってきました。この場をこのまま放映したときに、テレビの画面を他のチャンネルにかえられないのは、どの歌なのかというところをみています。

 

ライブは、そのときの拍手ではなく、今日きてくれた観客が明日もきてくれるのかどうかというリピートで判断すべきです。繰り返してパワーがおちるくらいなら、先はありません。

人前に出る以上は、芸として成り立ってなければ、力がなければ外に出していけません。

 

今の世の中で、第一線で活動している人たちは、何らかの”理由”があるのです。

歌がへたなのにヴォーカルの活動が続けられる人には、それなりの理由があります。そういう部分もまた、もっと勉強し、ヒントにしていく方向で考えてください。

 

力があれば、時代も時間も助けてくれます。少しくらいうまくても仕方ありません。誰もが驚くほどすごくなってはじめて、力というのです。どんどん上を目指して伸びてください。

 

 

ここでやっている1フレーズを自分の作品に吸収していくことさえ、容易でないはずです。しかし、あきらめないことです。

 

難しいのは、常に今を表現におとしていくということと、わからないということがわかるということです。今、感じていることをすぐに歌にあげられることと、そうやっているなかで同時に自分が何ができていないのかわかるということが大切です。

この二つが解決できれば、その人にとってここはクリアできます。あとは、これを個人の問題として、どこまでめざすのかが問われます。

 

このまえ、昔、私も一緒にやっていた劇団をみてきたのですが、ベースのことをきちんとやり続けている人は、伸びていくものだと再認識しました。

ヴォーカリストは役者と違い、まわりの人が厳しく評価をくだしてくれないので、自分で判断していかなければならないところがあります。その評価眼をきちんともち続けることが難しいのです。

 

少なくとも、ここで求めている声の基準は、ヴォーカリストとして歌のうまい役者の数段上のものです。しかし、世界からみると、最低限、必要なレベルです。

 

音そのものを扱っている人、たとえば楽器演奏をよく聞いてください。

ヴォーカリストは、歌い手から学ぶことしかしないのですが、トランペットやサックス、ギターもベースも歌っています。

 

私のコメントは、基本の路線、方向性を示しているだけです。

そこからいろいろと気づいてください。

 

 

 

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