一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

ステージ実習コメント   554

ライブ実習コメント②      351218

 

 課題曲は、カンツォーネということで、声の使い方、声ののび、声そのもののパワーが要求されます。そういう意味で、支え、呼吸がこれからのみなさんの課題となるでしょう。原語で歌うことをお勧めします。

 イタリアの民謡ということで、盛り上がり方が重要になってきます。全体的に、一本調子になってしまうので、どの部分を盛り上げたいのか、声の配分、曲の全体的なバランスを、もう少し考えるとよいでしょう。

 また、歌を歌うときは、発声のときそのままの声を使うのではなく、声と音楽の一体化をめざしてがんばってください。(mトレーナー)

 

 

 

 

 今回は、後ろのスクリーンはつけず、映像なしでやりました。耳を養うという意味でも、聞くことは勉強になります。音の世界での判断力をつけていって欲しいからです。

もちろん、ステージの上で観客と目を合せる訓練もしていってください。緊張してしまうのはわかりますが、コミュニケーションをとる上で大切なことですので、慣れていくようにしてください。

 

 あなたの曲のたった一曲、たった1フレーズが聞きたいために観客はいつも聞いているということを知ってください。もっと大胆に流れをつくり、そしてもっと繊細に、細かく時間、空間を刻んでください。普通の時間の感覚ではなく、音楽の感覚を捉えてください。

 

 そのときそのときに全力を尽くしてやるのが、あたりまえです。また次があるなどと甘い考えでステージに立たないことです。自分の歌というものをどう表現していくかということに、もっと貪欲にこだわりをもってください。課題曲であっても、自分の勝負できるスタンスにもってきて歌うことです。

 

 なるべく大きな曲を課題にしています。歌いこなすと考えなくてもよいです。まず、よく聞き込んでくるということと、トレーニング上からみて自分に与えられたとき、どうこなしていくのかというレベルでいろいろ気づいていってください。

 

最初は大きなもの、レベル以上のものに取り組んだ方が、いろんな面で学ぶことができます。簡単な曲だと中途半端に歌えてしまって、自分が理解していないことを知るのが逆に難しいからです。大曲だと、ギリギリのところで歌うしかないので、力のないこと、ない力が何なのかに気づくことも多いのです。

 

今の自分のもっている力を最大限に生かし、与えられたものを解釈して、構成し直して自分の世界できちんと表現していくというプロセスを必ず踏んでください。

 大げさに発声の声で歌うのではなく、もっと自分の土俵-ポピュラーの世界にもってきてください。声を聞かせるだけで通用させるのは難しいものです。リズム感、音感を細かく10分の1、100分の1のレベルで感じとってください。わからなくてもよいですが、わかろうと努力することです。自分で技術的な表現を、煮つめてください。

 

 ステージに立つ回数を増やし、舞台度胸をつけていくようにしてください。そういう意味もこめて、ステージ実習、ライブ実習をしています。

何度もやっていくと、少しずつ慣れてきて迫力、度胸がついていきます。

特に、判断基準が厳しいとわかってくるほどにステージに立つのは恐くなりますが、そういうことが自分の身になっていくのです。

 

 

 

 

ステージ実習コメント  351220

 

課題曲については、大曲をはさむようにしました。今回の曲も、大曲です。

 大曲を課題曲にする理由として、一つは課題曲にすれば、よく聞くことになるし、聞き込むことで勉強になることです。また、中間音から高音にもっていくイメージの部分が、のちに参考になるだろうということもあります。

 

一流の人と同じスタンスでできると考えてもらわなくてよいのですが、その人が、その曲でどこまで大きなイメージでつくって出せるかがポイントになります。

 

 きちんとできている人というのは、身振り、手振りも一つのスタイルとして美しくみえるのです。単に、特殊なことをやっている、たとえば、声ばかりに意識がいくということでは、スタイルやフォームまでくずれてしまっているということです。

 

レーニングの時点で、声がこもったり、ひっこんでしまうのは構いませんが、全体のバランスとして、一ヶ所に力が入ったり、ぎこちなくなっていくのは、修正すべきでしょう。

 

 声については、補強のトレーニングの一環にすぎないので、もう少し全体の把握をすべきです。ステージの上で、悪いくせを出さないようにしてください。自分がのって歌えているときの感覚を思い出してください。

 

 自由になれるように声のことをトレーニングしているのです。声のことをやって動けなくなっては、仕方がありません。ステージとトレーニングは、最初は分けておいてください。

 

 一曲、歌おうとするときに、まずその曲が何を伝えたいのか、どう歌い上げているのかということで、曲を理解するとともに、自分でその曲について考察することです。

 

実際、自分で歌ってみると、いろいろなことに気づくはずです。どれができて、どこができないのかを把握し、自分が勝負できるところが、1フレーズでもあったら、その部分をアピールしてください。

 

自分で自分がわからないまま歌うと、自滅してしまいます。自分のアピールの仕方を知ることは、とても大切です。自分の土俵に歌をもってくるようにしてください。

 

 リズムを変えたりアレンジしたりするのは構いませんが、曲を理解した上でやらないと、メチャクチャになってしまいます。原曲のよさと自分の勝負できるところの接点をみつけて、ミックスしていくようにしましょう。

 

 出だしや、どこかの1フレーズだけでもイタリア語でフレーズをつかんでおいて、その感覚を日本語に置き換えると、感覚がつかみやすいと思います。

 

 実習のみかたとして、私はわからないものに関してはとりあえず、おもしろいというスタンスでみています。そういう形に出していってもらって構いません。

 ただし、いつも言っていることは、早くから歌をまとめないことです。まとめようとしてしまうと、器用にはなっていきますが、打ち破るパワーがつかなくなってしまいます。最初のうちは、インパクト、パワーで押しきれる形をとってください。

 

 そのなかでも、音楽をやっていく上では、かなりのレベルでのリズム感、音感、フレーズ構成力は必要です。声を大きく出すことによって、多少の乱れは構わないのですが、不快なほど、ズレが生じてしまうと、何のための声づくりかということになります。パワーを出すにも、一定のルールやタイミング、コントロールが必要です。バランスに関する繊細さも必要です。

 

 インパクトを与え、既成のイメージを壊すということで、大曲を与えています。ここまで大きく表現を自分の体、耳、心に入れておけば、自分の歌のときに、声を中途半端に出したり、息を浅く吐いたりすることがいかにむなしいかわかるからです。

 

 実習で期待したいことは、表現として強く出して欲しいということです。伝えてなんぼの世界です。弱いと、伴奏もないのですから、伝わらなくなってしまいます。

 それを少しでも伝えようという思いをもって、堂々と、人前では威厳をもってステージに立ってください。音楽の気持ちよさ、楽しさを感じてください。ステージで緊張してしまうのはわかりますが、全身を使って声を出すときに、気持ちよさ、爽快感があるはずです。

 

 ライブでは、発声の完成度からは練習のときの100%は絶対にでないものですが、100%出せるように200%の努力をしてください。たとえ声、体がなくても、人前で歌うことで自分が得ることがあるし、伝えることができるということも覚えておいてください。表現として100%出すということはどういうことなのか、常に考えてください。

 

 もっともっと大きく呼吸し、大きくイメージをもち、大きな声で歌う、いや、大きく歌う、大きく聞こえるように歌うようにしてください。呼吸がみえるような歌い方をしてください。

 日常生活で、いつも音と呼吸を感じ、歌うことがあなたの人生となるよう、生活に一体化していってください。頭で考えるのではなく、体で理解し反応できるようにしてください。

 

 

ステージ実習コメント 0グレード   351222

 

ヴォーカリストとして、アーティストとして求めたいものは、何を媒体としても、表現できること、伝えられることです。

 モノトークで問われるのは、作文力ではありません。内容の問題ではなく、声として聞き手の耳から体に入り、心に届くかどうかです。

 今回、考えてもらいたいことを一言でいうと、今日やったことをすべて白紙に戻すためにどうすればよいのかということです。

 

 青年の主張のようでよかった、ということは、ヴォーカリストとなっていくべき人に必要な要素が何も入っていないということです。器用にこなしていて、表面だけのできすぎという感じです。

 

文章は模範原稿かもしれませんが、どれも他人のことば、他人の感情という演出で、肝心の本人が何を伝えたいのかが、まるで伝わりません。アナウンサーのように、自分の感情を入れずに原稿を読み上げても、仕方ないのです。

 

 聞き手にとって、心に何か起こさせられてしまうように、ドキドキさせてしまうようにしなければ、価値がありません。これは緊張して、思ったようにできなかったとかいう次元の問題ではなく、めざす方向が違っています。

 

本音を出そうとしていないようにみえます。伝えようという意志がみえません。もうこれ以上できないというくらい、やってきて、もっとできるはずだったのに本番ではできなかったときに、やっと自分に本当に足りなかったもの-自分への課題がみつかるのです。その場しのぎで先へいっても、ただ、だらだらと時が過ぎていくだけで、何もみつかりません。

 

 自分を出し、自分のことばで語ることです。早く皆さんの本音がみえるように願っています。他人のことば、他人の感情では、聞いている人どころか、自分自身だって感じることができないでしょう。そんなことをやっている自分をおかしいと思うことです。本音を自分に入れてくるところから始まるのです。

 

 伝えたいことは頭に入れても、体で表現しないと伝わりません。紙に書いてあるものをみながらで伝わればよいですが(紙をみることが新しいスタイルだと伝わるくらいのスタイルがあればよいですが)、単に勉強不足だと思われて誰にも聞いてもらえないでしょう。自分で自分のステージを裏切って、どうやっていくつもりなのでしょう。

 

 早く、自分が何もできないことを気づき、何が必要かをわかって欲しいと思います。中途半端に技術があったり、器用だったりすると、本当の意味での表現力がとんでしまうようです。つくられたもの、借りものは、破壊しないと大きくなることができません。本物に目覚めてください。

 

一つのことを築くときに、どのくらいの量をこなせばよいのかというのは、想像もつかないほど大きいのですが、それ以上に、たくさんのことに気づくことが必要だと思ってください。イメージを大きくもってください。

 

たとえば、一つのフレーズを2万回やれといわれて「2万回もやるのか」と思うか「2万回でよいのか」と思うかの違いです。

 

 研究所にいたら何とかなるわけではありません。ここで一番になるくらいはあたりまえと思ってください。それでも、一流はもっとすごいのです。簡単に追いつけはしないのです。しかし、その距離をみつめ、迫ってください。

 

 最近、自分のことが語れない人が多い気がします。人のことばを借りず、自分のことばを持ってください。自分が煮つめたこと、人よりも何千倍もこだわったこと-それがあなたにとっての正解なのです。それが語りかけるのが歌なのです。

 

 ここのヴォイストレーニングでは、体のなかでつかめるバランスのなかで、真実の声を追求しています。表現するには、全身が動いていないと伝わりません。自分が読んでいても歌っていても、口先ばかりが動いてよそよそしいのでは、もうその時点で人に伝わるわけはないのです。

 

 この場を「自己表現の場」とし、ギリギリの精神をもって、常に「ピークの表現の場」にしてください。ここは自分で自分の時間を充実させる場です。自分を完全燃焼させる場です。ことばを活かすための執念、現実味、真実味が徹底して必要です。

 

 自分の最も大切なもの、たとえばことば一つをそんなに簡単に離せるのですか。たとえば音一つを大切に思っていないのですか。ヴォーカリストにはこれ以上のことを要求されます。

少しでも、この場の空気を動かすために、空間を牛耳るためにどうしたらよいのか、自分に問うてください。

 

甘えがみえてはだめです。1ステージの一曲で、その人のすべての人生が集約されているのがみえるくらい、ステージとして魅せてください。

 曲と自分のやりたいことが一致していなくても、自分の表現力で補う、そこから出てくるものが、その人のオリジナリティです。

 

 課題曲を「赤とんぼ」にしていたときには、このことを期待しました。表面的に歌うには、誰でも歌える曲です。ここから何がみえるか、個性がどうあふれてくるのか、どうつくってきたのかが、みたかったからです。

 

 人前で何かをしようとするとき、そこに確固たる価値をつくり表現できない限りは、相手の人は冷たく暗いのがあたりまえです。それはあなたの力がないからあなたの責任です。

あなたが価値を出し続けていくうちに、相手の心が動かされ、あたたかいものが通い始めるのです。それはあなたの力がついたということです。

 

最初は、このスペースが破れるかどうかです。すべての人生経験を逆境で過ごした方が、人間的にも歌も豊かになることができるかのようにも思えます。

あなたが自らを逆境に追い込むことです。地獄におち、鬼のようにトレーニングすることです。すると、はやく、天使の顔と声がもてます。

 

 中途半端に体に入れたものを出したところで、誰にも通用しません。徹底的に体に、心に入れてきてください。そういう場として、このステージを利用してください。刺激を受け、感動を自分の芸にしてください。志し高く世界をめざしてください。

 

 

 

ステージ実習コメント③    351225

 

 

いまさらですが、大曲を課題曲にしたのは、フレーズが大きく、挑戦してこなせないくらいのものが差がわかってよいだろうと思うからです。一流と同じように歌えるということを期待しているのではなく、自分なりにどう理解し、自分のよさを出すために、どう構成を練り上げてくるのかというところをみたいからです。

 

 ここでみていることは、もちろん声、息の深さもみてはいますが、一つの舞台として、どう表現しようとしているのか、また、その人ができることを歌としても確実にやれているかをみます。できないことは言いません。できるのにできなくなってしまったことや、できるのにやっていないことを指摘します。

 

今回の③は、今年のなかでもひどいできだったと思います。できるはずのことができていない、やろうとしていなかったのではないかと思います。

 

 まず、曲について全く理解していません。自分で理解しようとし、自分なりに解釈を練ってきたのか、煮つめてきたのか、どこで自分を出すのかと、自分が発揮できるポイントを絞ってきたのだろうかと、疑問だらけです。

声や息が深くなってきた人は何人かいましたが、もう少し舞台という意味でステージングをつめて欲しいです。

 

 経験を積むにつれ、舞台慣れをして、自分を解放できていくのは悪いことではありませんが、そのことと緊張感がなくなることは、別のことです。この程度で通じるだろうという気のゆるみがステージ上にも表われていました。今から、自分でワクをつくってどうするのですか。

 

 アテンダンスシートやレッスンの取り組み方をみても、どのくらい勉強しているのか、煮つめてこだわれているのかがわかります。自分で毎日、トレーニングしたことを確認し、ノートに書き留め、心に刻んでおくことです。

 

歌もステージもできていないのに、そのような復習をやらなくて、どうしてやっていけると思っているのでしょうか。毎日の積み重ねの甘さが目立ちます。

 いったい歌や音楽に対し、音感やリズムが流れている生活を身近にもっているのでしょうか。最終目標が、このステージではないはずです。それなのに、ここではまるで3年ぶりに歌ってみたというようにみえます。

 

 取り組み方が、鈍くなってきいてます。一所懸命やっていればよいという世界ではないのです(それはあたりまえです)。せめて、ここにいる2年間で、どんどん皮膚を薄くし、敏感になって体のなかに音を入れていってください。もう一度、初心に戻り、再確認してください。

果たして、このくらいのイメージでしかリズム、音感がとれないのか、この鈍感さが何なのかを自分で再確認してください。

 

 私はいつも、ここの場をあなた一人で満ちさせて欲しい、この場を破って欲しいといってます。

この狭い舞台の大きささえ満たせるイメージが満ちていません。電話ボックスやカラオケボックスほどの広さを満たせぬ歌を、誰が聞きたいのでしょうか。東京ドームを満たすくらいのイメージはもてないのか、もう一度、考えてみてください。

 

 イマジネーションの貧困さは、芸を正しく導きません。舞台に出てくるところから、すでに見られているのです。この場に自分が存在しているところから、気力、個性を集約して出していかなければなりません。人の心に残るものは何なのかを考えてみてください。

 

 ヴォーカリストなら、ことば、音の組み立て方に独特のセンスがなければなりません。スキがあってはなりません。ツメが甘くてはなりません。

 最初にみたときに、そのセンスがある、あるいは、やっているうちにセンスが出てきたと思っていた人が、それを失っていくのはどうしてですか。

 

ここで言っている「センス」とは、努力しているなかで磨かれていくキラリと光るものだからです。努力していないからです。一流の人の歌をみていても、そのなかには空気を変え、ひきこまれてしまう人、次の場へつなぐつなぎの人、退屈させてしまう人というのがいます。果たして自分はどの役割だったのか、今日の出来をみて研究してください。

 

どうしたら、人々の心に残るヴォーカリストになれるのでしょうか。それは逆に退屈なものを考えてみればわかりやすいと思います。一人よがりなもの、中途半端なもの、自分だけしかわかっていないもの…いろいろと考えてみてください。

 

 煮つめてくる期間がなかったという人もいるでしょう。しかし、やってくる時間がなくとも、出たところでどう勝負していくのか考えてもらいたいと思います。表現力、パワーが全くみえないで、歌がだらだらと流れてしまっていて、どの部分にも止まっていません。構成しきってきた、計算しつくしてきた、そしてそれをすべて解放して作品にしてきたというものが伝わらないと、それは退屈なもの以外の何ものでもありません。全体的に雑で、神経がゆきとどいていません。「場」として全体の密度が非常に薄いように感じました。

 

 また自分の体であって自分の体ではない人が多くみられました。自分の心でない人、自分の歌でない人、そろそろわかってください。すべてのべースであるところの体、息、声の表現からそれてしまうレッスン、トレーニングなら、一度、それをすべて白紙に戻した方がよいです。

 

自分の強いところ(センスがよい、ひびきのできていたところなど)まで地面にうずめてしまっています。積み重ねたはずのものが、ベースの線上からそれています。初心に戻って、今まで自分が感動してきたもの、自分の音楽史、自分に欠けているものを見直す作業をし、取り組み方、組み立て方を、一から自分で考えてみてください。

 

 それとともに、自分が刺激をいつも感じていられるように、モティベートが下がらないように、自分自身をそういう環境におくように努めてください。

すべては、自分の表現したいことを、人に伝えるためです。刺激が足らないなら、刺激のあるところへ行ってください。