一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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前に紹介した four play。ラリーカールトンではなく、リーリトナーの間違いでした。失礼しました…。

 

エンターテイナーと何か? もちろんダンスや歌に人並みはずれた技量を持たなくては話にならない。しかし、最大の要諦は、その技を生かし観客に限りない幸福感をもたらすことができるかどうかである。「ああ、今夜はほんとうにいいものを見た。活きていてよかった」と心から思わせ得るか否かである。

ライザ・ミネリ  ツアーパンフより~ 

彼女のステージは安心して見ていられた。何度、感動して涙が出たことか…。そして、ステージが終わり、私は幸福感でいっぱいで、とてもやさしい気持ちになれた。まるで魔法にでもかけられたかのように…。

 

世界陸上選手権の女子800m走でキューバのキュロットという選手が金メダルをとった。彼女はバルセロナオリンピックでも銅メダルをとったというすごい人なのだけれども、実はその一年後、そう今から2年まえに全身の70%以上をやけどするという重傷を負い、そのとき、お腹にいた彼女の子供をも失ってしまうという地獄を味わった人なのである。もちろん70%もやけどを負ってしまったのだから、まさに死ぬ寸前であったと言えるだろう。しかし、彼女はなんと、その事件と子を失ったショックからまだ2年しかたっていないのに、2年間に7回の手術に耐え、金メダルをとってしまったのである。彼女の体のほとんどの部分にやけどのあとが残っていて、とても痛々しく思えた。とても感動的でした。彼女のライバルのムトラ選手は彼女のことをこう言っていました。

「彼女の後ろには神様がついていた。もう誰もが彼女がグランドに立つとは思っていなかったが、彼女は、再び戻ってきて、そして金メダルをとった。彼女の背中には神がいる。」金メダルをとったキュロットはなんともう一回、この大会が終わりしだい手術をするということです。彼女のプロとしての精神、人間としての強さ、本当にすごいものだ。そして、彼女がどうしてそんな大けがをしながら、800mという過酷なスポーツを毎日毎日練習し、金メダルをめざしたのか、その精神をよーく私も考える必要があると思います。自分の歌の精神のために…。

 

夏休みの宿題に追われているのですが、人間学という授業のレポートを書いていて、本の中からこんなのを見つけました。

「実存するとは、脱目的、超越的なあり方で、自己が未だあらぬところのものであるように、また自己が現にあるところのものであらぬように、自己を成らせていくことである」

私は「未だあらぬところの声が出せるように」、「現にある声ではあらぬ声を出せるように」、自己を成らせていかねばなりません。

 

ずっと奥の方からふつふつとわき上がってくる想いを久しぶりに味わった。とてもカッコいいと感じるものを観た。眼光鋭く無表情だが迫りくるものがあった。負けないように、私は「手紙」の返事を書きたいと思った。

 

会報の福島先生の話を読んだりして、ここのところ思うのは「発信することをやめてはいけない」ということだ。ここにおいて、それはこのアテンダンスシートで伝えること、あるいは、歌で伝えることだ。「伝える」というと相手があることになるし、確かにいろんな人、たくさんの人に何らかの形で共感してもらえたら嬉しいけれども、何より自分のなかに残したい。

 

自分が確かに生まれて、生きているのだということを、自分で感じたい、確かめたい。悲しいことに、生きていると感じるのは、嬉しいこと。楽しいときよりも、つらく苦しい、痛みを伴うときの方が多い。よく思うのだけれども、普段、会う人会う人に自分をいちいち説明などしないし、こういう人間で、こういう境遇に育ったなんて言わないから、それをたった1曲に込められないだろうかと思う。もちろんその人の人生が走馬灯のようになんてムリだから、何かしら伝えられないかなと。

私が言う「歌はその人自身だ」というのは、そういうことだし、福島先生がおっしゃるのも、そういうことではないかと思う。それがしたいがために歌う気がするし、できると信じている。自分が聞いてきた、見てきたアーティストに垣間見た気がするし、ウソでも夢を見せるのがアーティストだと思う。

 

週末は、スポーツ番組がたくさんあって、各々感動のドラマが生まれている。北海道のマラソンの有森さん復活、それと辰吉丈一郎の復活。どちらもファンなので嬉しかった。特に辰吉は、試合後のコメント「こんなにもたついた試合で喜ばないで欲しい」というプロ根性に、心が洗われる思いだった。まだまだ私は甘い。自分にもっと厳しくしてもいいんだと納得した。

 

来なかった(来れなかった)8ヵ月の間に、私のなかでいろいろと考えさせられた。でも、どれもこれもマイナス(ネガティブ)な発想にしかならなかった。私のなかの「一番」をなくせば、どんどん落ちていく…。今、また復帰できて、トレーニングしていることがウソみたいです。まずはこのままがんばって一緒に入った人たちに早く追いつこうと思います。

 

伝えたいことが本当にあるのだろうか? 自分にそれだけの深みがあるのだろうか? 人間としても未熟な自分の話を、誰が聞いてくれるのだろうか。「どうせ大したものにならないわよ」と家族に言われたことがある。そうかもしれない。ただ言えることは、私以外の人にとって、価値のあることかどうかはわからないけれど、自分にとって価値のあることであれば、それでいい。それが一番大事だ。なぜなら、私は私の人生を生きねばならないから。借り物でない本物の自分の人生。

 

福島先生から伺った合宿の話について思ったことは…。他人から与えられた場所、環境においてでなければ、集中、リラックスができない、ということではダメだということ。どこにいても、一人でもそういう場をつくれなければいけない、と思った。

 

最近、家で集中、リラックスのトレーニングをやっている。リラックスといしのは、ただダラーッと力を抜くのではなくて、たとえば猫が寝ころがっていても、人がワッと近づくとサッとかまえる体制になれる状態。リラックスと集中のできている状態を考えて、試行錯誤しているところ。

 

人の歌を聞いて、思わず涙があふれてしまうときがある。それはいつも歌っている人の真実が、私のなかに飛び込んできたときだ。このごろ、ゴスペルを聞いたとき以外で、そんな状況になったことがなかった。けれども、最近、そういう歌を歌える人と知り合った。その人は路上でブルースを歌っている青年で、お世辞にも「うまい」とは言えない。でも彼の歌には真実があり、心をつかまれてしまった。彼は私にないものをたくさんもっていると思った。というより私ももっているのに、いろいろなもので被い隠してしまっているものを、むきだしにしているのかもしれない。

 

ときには殴りたいと思った人を殴ったり、ののしったり、蹴ったり、刺したり、本当にしてしまいたいという衝動にかられることもある。ガラスをぶち破ったり、大切な紙を破いたり、抑え込んで内側でもんもんとしたそれらの想いを別の形で表わして発散させなくては。そのことで自分が深く傷つき、えぐられるとしても。

 

毎日毎日、いろんなことを考える。毎日毎日、何かに気づく。毎日毎日、感動すると少しずつ少しずつ、心が豊かになって表情にも出てくる。毎日毎日、少しでもトレーニングしていけば少しずつ、歌というものがわかってきて少しずつ、夢に近づいていける。その毎日を無駄にしてはいけないなあ。もったいない。時間というものは不思議なものだ。ずーっと前に進んでいきたい。

 

横尾忠則さんの自伝を読んでいるが、三島由紀夫と出会い、自宅にての食事に招待されたところを読んで、とてもワクワクした。前も書いたが、私は横尾さんの考え方がとても好きだ。

 

フィギュアスケートのNHK杯が始まった。フィギュアスケートは基本的にスポーツなので、数分のプログラムの中には、決められたジャンプなりステップが必ず入っている。だが同じことをやっているのに、できあがったものは各人、全く違ってくる。内容をこなすだけの人、ひたすら美しいだけの人、何らかの印象をしっかり残していく人、ドラマを創り上げていく人…。私の好きな選手は、その人らしさという、絶対的なカラーをもっている人だ。ただきれいなだけでは心は動かない。ただ、どうしてあそこまでくっきりと自分のカラーを浮かび上げられるのだろうか。その人の迫力とかムードとか、どうしたらその人に宿っていくんだろう。

 

2年ぶりに友人に会った。彼は音楽事務所に勤めながら、プロデュースの勉強をしている人ですが、2年の間にいろんなことを経験していた。いろいろ話を聞いて、ミュージシャンとアーティストの違いや、結局いくら練習したところでよかれあしかれ、形にしないことには卑怯者で、いつまでもシコシコやってろと言われた。いろいろ語り合って、自分自身、すごく考えさせられたし、こういう友人がいたことに感謝している。

 

やっぱりすごい人の声には線が通っている。いろいろCDを聞いてみたが、ここを超える声には出会わなかった。

 

秋、冬のドライブ。冬の東京・横浜・湘南海岸の景色はとてもステキで、春、夏の比ではないと思う。その気で窓の外を見れば、なかなかのインスピレーションがもらえますヨ。

 

本当の意味でプロフェッショナルな人というのはすごい。技術を努力で手に入れ、魅せ方を知っていて、常に向上していく。自分のためでありつつ、お客さんのため、ファンのために全力投球する。プロとしての自信とプライドと共に、謙虚な部分ももっている。黙々と毎日、積み重ねるべきことを続けている。だからプロというのだろう。プロフェッショナルというのだろう。

 

わーっと走り出したい気分。ようやく体が元気になってきたようです。が、途中で息切れして立ち止まることのないように、今年は健康管理に充分、気をつけたいと思います。

 

たとえば玉ネギだ。表面の好みが似ているから、ちょっと話でも聞いてみようと徐々にその人の核心に迫ると、もうあのうすい茶色のところをつるりとはがせば自分とは相いれない人というのが、私には子供の頃からわかる(感じる)というところがある。心の奥の玉ネギの芯のところで共感できない人というのは、興味もないしその場限りだ。でも私はズルいので、あからさまにはその人の前でひけらかさない。上っ面なことにはいつも優柔不断でいる。今日、本当に不思議なくらいウマの合う友だちと電話で話していて思った。

 

私の趣味は暇なとき、大きなCD屋に行って試聴することです。最近、聞いていてつくづく思う。なぜ海外のアーティストたちは、いとも簡単に歌えるのか。しゃべってるのと同じ感覚、しゃべりをリズムにのせて歌ってるみたいだ。その上、声も自由自在。まるで声のことを気にせず楽しんで歌ってる。私は「歌」と構えてしまうから、歌えないのか、声が思うようにでないのか。これから歌うように人と話そうかな。

 

私がここに入ったばかりのときは「私はズバ抜けてやる!」とひたすら思って、肩にとっても力が入ってましたが、月日が経つにつれ「ズバ抜ける」ということが、いかに難しく“カコク”なものということが、ひしひしと感じるようになりました。だから今は、自分にとって今、何をしなければいけないのか、ということを考えて、そんな肩に力を入れずに、少しずつ破っていけたらと思っています。だらけてる!って言われるかもしれないけど、先を見すぎて、落ち込むより、今、現実におかれている状況を受け止めて、最低限のことから始める方が気持ちも楽になるというよりは、落ち着いて見つめることができると思います。それに、第三者的にも見れるから、そんなにストレスを感じずに過ごしている毎日です。

 

 

食生活に気を配っています。一人暮らしなので野菜はしっかりとるように心がけているのですが、肉、魚の方が反対におろそかになっていました。そこで最近は、魚料理にも挑戦しています。魚は肉よりもとっつきにくかったけど、安いし、栄養面でもGOODです。牛乳とヨーグルト+プルーンは毎朝、とるようにしています。睡眠時間も考えるようになりました。今日、食後にボケーとしていて「もし歌をやめてしまったら私の生活はどうなるだろうか?」と思いました。

 

よく考えてみると、私のしているさまざまなことは、何かと歌に関連しているし、暇があれば息とか声とか歌のことを考えてるし、出会うことすべてから何かの「ヒント」になるものを探そうと無意識のうちにしているような気がします。歌のことで悩んだり考えたり、何かを節制したりすることがなくなったら、一体どうなるんだろうか-想像もつきません。だけど、私にはそうする可能性もあったのです。たくさんの可能性の中から、私はこの道を選んで歩いています。そう考えると、なんだかとても不思議な気分です。もしかしたら、隣の家のお姉さんがヴォイストレーニングをしてたかもしれない、それですごくうまくなっていたかもしれない-もしかしたら、私はキャピキャピ女子大生をしていてダイエットしてたばこ吸って、毎晩アルバイトしてたかもしれない-でも今「ハイララー」とか「アオイアオイ」とか言っている-。そのへんにあふれているたくさんのたくさんの可能性のなかから、私は今の生き方を選んでいるのですね。たった一つのことが私の生活すべてに影響を及ぼしている-そしてたった一つのことに、私の生活すべてが影響を与えているのです。そして私は、そのたった一つのことに好きこのんで振り回されながら、こうして生きています。

 

プロではないが、いいバンドがいるというので見に行った(メタルバンド)。それぞれのバンドからいろんなことを学ぶことができた。3バンドともよかったのが気力、気迫、音、フレーズに対する執着心、集中力!! それからヴォーカリストに関しては、音楽、歌をやるのではなく、音楽になる歌になる、同化するということ。そうなっている人が2人いた。感動した。いかに自分が世界に入れるか。なりきれるかということが大切か痛感した。世界に入りきってその世界を築いている人は、音程の悪さ、歌のヘタさをも超えてしまう。みている人に何かを伝えてしまう。みている人にヘタさを問題にさせない説得力がある。私にあれだけの気力、執着心、集中力があるだろうか? それを伝えられるだろうか? みていて自分のいたらなさに少し悲しくなった。もし私が音程を狂わすことなく歌がうまかったとしても、彼らよりも劣ってしまうだろう。彼らの方が遥かに魅力的だと思う。それから、みんな歌はそれほどうまくなくても、シャウトできていた。どうしてあんなに激しく強くシャウトすることができるのだろうか…。男の人の方が胸に入りやすいとはよく言われるが、そんなこと理由にしたくない。シャウトできるところまで声を、体をもっていくしかない。やればできると信じたい。

 

魅力的に思わなかったバンドがあった。それはなぜなのか考えてみた。自分たちでは一所懸命、気力を出してがんばっているという感じではあるが、その気力が自己満足で空回りしているのだった。オリジナル曲もあまりいい曲ではないこともあるのだろうが、やはり大きな要因は、空回りの方にあったと思う。気力、気迫というのはもちろん、一番初めになければいけないものだとは思うけれども、それだけでも通用しない部分もあるのだと思った。自分の思いを伝えられるだけの技術もつけておかないといけない。それからこのバンドをみてて感じたことがもう一つ。お客さんとは、魅力で巻き込んでいく、ひきつけていくものであって、無理じいしてのってもらおうとか、拍手してもらおうとかそういう方向に強制してはいけないということ。そういう意味で、このバンドに関してはシラケてしまった。やはり実力-歌そのもの、自分自身が放っているもので魅きつけなくてはいけない。そういうものが出ていれば、お客さんは自ずとしぜんに巻き込まれていくはずである。楽曲面に関しても、それぞれのバンドでいろいろと参考になった。

 

イントロはカッコよくても、なかなかヴォーカルのメロディラインがよくないことが多い。歌が始まった途端、つまらない曲になってしまう。しかし、このことはセンスによる問題が大きいし、私もクリアできない部分である。これはもう、たくさんいい曲を聞いて学んでいくしかない。今日、このライブは、私が忘れかけていたというか、ヴォーカリストとしてアーティストとして持ち続けなければいけないことを思い起こさせてくれた。足踏みしている場合じゃない。前に進んでいかなければ…。

 

 

最近、昔の会報を読むのに凝っています。初めて読んだときと今とでは、感じ方が全く違います。そういえば、会報だけじゃなくて、すべてのことに関して、私は前とは全く違う視点で、ものを見ているような気がします。

 

もうわかっているはずさ。本当は何が大切なことなのか。何をしたいのかわからずに、何となく浮かない顔して生きてたあの頃。そんなあの頃でさえ、本当はわかっていたんだ…。あきらめは捨てろ!! 恥も捨てろ!! 「自分なんて…」ということばは禁句だ!! 夢に走り始めた私を、とがめる人もいる。だけど、あの頃より私、地に足つけて生きてるぜ。大切なことは「自分」になること。そして「自分」を現実のなかで具現化すること。「人間」になること。そのための日々がやっと始まったんだ。「自分を信じて」そう友だちに呼びかけていたように、今度は自分に呼びかけて!! 

 

 子供の頃から映画や芝居が好きだった。両親が共働きで、私はよく祖父に遊んでもらった。その祖父が映画をみたり自分で8m/mをとったりしていたせいか、私も物心つく頃には映画をみるのが大好きとなっていたのだ。また、祖父のとった記録フィルムの上映会があると決まって、私がナレーター役をやらされた記憶がある。私も声を出してしゃべるのがとても好きだった。私はなぜか日本の映画より外国の映画を好んでみていた。彼らの低い声はとても迫力があり、リズム感があった。やはり、彼らのまねをして過ごすこともあった。全然似ていないのだが、どこか彼らの声の魅力から抜け出せなかったのだった。今、私は役者を志すようになった。子供の頃の記憶は恐ろしい。当然のように私は一つの思い込みがある。役者は“声”が命。どこかの広告コピーに似ているのは時代の偶然としておく。とりあえず、声と私の縁は深い。

 

 

 TVではニュース番組が流れています。今夜もお金に関するニュースが続いていて、家族といっしょにそれを見ていた主人は「我々のコツコツ稼いだお金は、一体どこへ行ってしまってるんだろう? もっと恵まれた暮らしがしたい」そうつぶやきました。その内にTVの方は次の話題へと移り、「人間の足跡一つ分の地面のなかにどれだけの生命が存在しているか?」というレポートが始まりました。そして、それと同時に家族の話題も明日の貴重な休日をどう過ごすか? ということへと変わっていきました。遊園地はもう飽きたという子供、そろそろ車を買い換えたいという妻、ゴルフの誘いをことわったことを強調する主人の話し合いは不思議とまとまり、その頃にはTVの方ではもう先ほどのレポートは終わっていて、天気予報のコーナーになっていました。明日の天気は晴れと言っています。「我々のようにコツコツと頑張る弱い庶民のことを神様はちゃんと見てくださっている。」そう言って、家族は眠りにつきました。

 次の日、家族が出かけた先は、他の人たちでいっぱいでした。雲一つない休日の空、まさに神様はすべての人々に平等でした。2時間以上も並び続けて、まだパーキングにも入っていません。段々つのるイライラは、当然のように状況を説明して回る案内係に向けられていきました。案内係の方も、同じことに答えてばかりで、こちらもかなりイライラしてきていました。決まった職にも就かずいつまでもフラフラしている割にはニュース番組なんかをしっかりと見てはうんちくをたれるのが好きなその案内係は、無意識の内に「人間の足跡一つ分の地面のなかにどれだけの生命が存在しているか、あんた方はわかっているんですか?」ことばにこそしなかったものの、そういう視線を露骨に送ってしまいました。

それがマズかった。たかだかアルバイトの若僧になめられたと思った主人は、次の瞬間、もう案内係の顔面を殴っていました。そして「せっかくの休日が台無しだ!」とものすごいスピードで走り去って行きました。後部座席から身を乗り出していた子供が、あまりの勢いに手にしていたアイスクリームを落としてしまったほどです。鼻っ柱を殴られた案内係の目からは、涙がボロボロと流れ落ちています。走り去った一台分だけ、やっと前に進むことができた後ろの車からは、昨日の例のニュース番組のレポートが「人間の足跡一つ分の…ではなく、車一台分の地面のなかにどれだけの生命が存在しているか? だったなら、こんなことにはならなかったかもしれないのに…。」というささやきが聞こえています。

いつの間にか地面には蟻が集まっていました。子供が落としていったアイスクリームのところと、そしてどういうわけか案内係の目からこぼれ落ちた涙のところにも、です。しかし、それに気づく人など誰もなく、車の行列は延々と続いています。

 

 

PM7:30 ただ今、国立音楽大学の演奏会に来ています。何曲か終わりましたが、あまりくるものはありません。確かに上手なのだけれども、伝わってくるものが今のところあまりありません。私の耳が悪いのだろうか。おっ、森公子のような太った女の人がでてきた。なんか体格で期待させられてしまう。あっなんかこの人、表情がいいぞ。なんかうるうるとしていてなんか今にも泣き出しそうな、それでいてやさしそうな表情をしているぞ。-そして歌いはじめた- あっ太い声だ。太くってやわらかい声だ。あっさっきまでの人たちとは違うぞ。声にまるで表情があるようだ。ただやっぱりカレーラスとかの声に比べると、ひびきがたりないような気がする。でも間近でこんな人の声を聞けてよかった。

次にあるピアニストがでてきました。この人のピアノはとても魅力的でした。だんだんピアノの音に表情がでてきて、この人の気持ちがそのままピアノの音になって表われているようだ。間のとり方がすごい。弾いている姿がなんとなく、夜叉(やしゃ)のように見えてくる。なんか夜叉が舞いながらピアノを叩いているようだ。おーこんなにも人間の姿が変わるものなのだろうか。というより、どうしてこんなにもピアノを弾いている女の人の姿が魅力的なのだろうかと思いました。なんかピアノと人間の一体感を感じました。

 

 

 

愛する人

 

あのやさしい光に風に

身をあずけて

今少し瞳閉じよう

名にの疑いもなく

信じられた

注がれる愛情

支え、守る腕

 

今もそこにふり注ぐ光

渡る風

眠る、愛する人

あなたなしの家族なんて

故郷なんて

考えられないから

あなたを忘れない

いつか私が

あなたを包む風になる

あなたを導く光になる

その日を信じて

 

 

 

「歌にたどりつくために」 結局、僕がたどりついたのは、歌が歌として成り立つ前の感情、声、音楽が音楽として成り立つ前の音、響きだった。生成するその瞬間が最も輝く。目に見え耳に聞こえる前のどろどろした混沌の豊穣の中に全てがある。どんな形を持ちたいのだろうか、どんな熱や光を発して外に触れ固まるのだろう。僕達はどうしても形を欲しがり形でしか理解できない生きもの。言葉、音。

「どんな形においてもその形になろうとする時、その形はあなたに愛されているからその形になれる」どんな形も恐れないでそれはうまれてくる。僕達はうまれてくる。僕は何故!って言いたい。

僕の形に何故って。どうしてうまれてくるのかききたい。そして選択肢を与えられる前にもどりたい。命名される前に。歌と呼ばれる前に。歌手と呼ばれる前に。知識と記憶に染まる前に。何も知らないんだと。得ることが進歩でないんだと。

でも削るためには何て多くの事を必要とするのか。自然や赤子になるためには、巨大になる事と削り落としていく事がいっしょなのだ。だからまちがいをしたり、何かを失っていくのはあたり前であって傷つき落ちこむ。形を欲しがりそれを信じるものとそれに問いを発するものと。ルールを作ったのはうまれたものでなく、うまれたものを捨てたり拾ったりする世界だ。

世界を敵にまわす。まわせない。自分がいた外だけが見えている。自分がいると信じこんだ外だけを考えている。衣服は脱ぎすてることができる。だが裸が恐いのだ。いや体が、肉体が恐いのだ。命そうだとも僕達は一番恐ろしいものを発せられるのか。一番こわれていくものを。なんてこわれやすい。だけど同時に世界もこわしていく。こわしていく力。

「世界を止めろ!」稲妻は一本のしっかりした柱ではない決して。ゆらぎ、波、あまりに不安定な激しさ。震えている。今、僕は地に足をつけたいと思う。でも言っておきたい。「奈落は大地に触れている 真の奈落は大地の上にある 僕の足が僕の知る最も深い底を築きあげている」

僕は移動する奈落になるはずだ、さらに。もっともっと肉体を恐れていい、自分を恐れて言い。恐れなければならない。この世の至上の喜びは何か自然にきいてみればいい。破壊。そして何がうまれてくるのか知りたい。破壊された僕達の肉体は命は真に知りたいと思う。僕達の欲望だ。うまれてくるのが何なのか誰なのか。自分がうまれるのだ、うまれたいのだ。最初の欲望、最大の欲望。気づいている。あまりに縛られしびれさせている。欲しがったから逃げれない。自覚することが業になる。だから喜びと哀しみは同時に生まれ同じもの。いつだって同じものなのだ。形を欲しがった。自由になりたかった。矛盾の相剋。自由になるためにか。僕がやっていることは矛盾の相剋。やらなければならない。

真実のためにではなくて、やらなければならないという事が真実で、それが知り得ること。欲望に縛られているから、そこから自由になりたいけれども、本当の自由はうまれたいと思うその欲望だと思ったから。

「さらさなければならないのは僕達がまだ産ぶ声を欲しがり また産ぶ声を記憶からひきだそうとする。」歌は業の起源であるなら当然、宿命と呼ばれるだろう。「歌手は死ななければならない」(レナード・コーエン

僕の降りていった地獄巡りが唯一の道とは思わない。あなたの歌がどこの道から来てどこへ行くのかはあなたが答えられるはずだ。でも僕はどんな人の歌でも、真実を感じる時まるで同じ生成の道、喜びをそこに見るのだ。人間ってものが自分以外にもいると感じる、つまり一人じゃないって事を。僕は一人だと感じることは多いけれども決して一人ではない。何が正しいかなんてのは問題にならない。自分はまちがっていない。自然はまちがったことは決してしない。僕達は自然になりたい。僕はまだまだ自然になれない。相剋と葛藤、怒りと緊張、形以前のもの源初への憧れ、身についてしまったもの、その執着、全部力になればいい。それが僕ならその時輝くためにかけよう。それ以外のやり方を知らない。僕が受けとめたもの掴んだものにまちがいはない。今、僕がたどりついたもの。産みの苦しみ。それ以外のやり方を知らない。歌手にはならない。なりたくない。歌手だと呼ばれればいい。僕が歌になるのだ。名前ではない。らしさ、仕方、約束を捨てなくてはならない。誰かにとっての歌ではいけない。僕こそが歌なのだ。だから歌手なんて呼ばれなくてもいいのだ。

そんなことよりこうでしか生きれないと思う謎。僕は一体何をしているんだ、僕は一体誰なんだ。それが一番思える場所を探せ。何をしているのか誰なのか一番忘れる瞬間を。謎の真只中に。

「一番遠いものが僕の中にしかない」のだから。選んだものは選ばれる唯一つ。僕の声に道 僕の声に昇る 垂直の地平線 重力の歌 昇化の歌 そうだいつでも知っているものだ。

「おまえの教える歌は欲望ではなく、やがては成就できるものへの求めでもない 歌は存在なのだ」(オルペウス/リルケ

 ※「 」内の言葉は、僕の歌詞より。順番に「存在の形」「炎と羽」「あなたの瞳に僕の歌を」「さらさなければならないのは」「一番遠いもの」 

最後に僕にとても多くのものを与えてくれた福島先生に感謝いたします。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

おすすめ

 

 

ジェイソン・ベッカー(ギタリスト)のCD

うーん、うーん、期待しつつも哀しいものが…本当に聞くことができるかな。

 

Sue Foly「BIG CITY BLUES」

彼女のギターを中心とする“音”が「ざらっ」としていて気持ちよく、ずーっと聞いている。はっきりいって歌は下手ですが、「これが私よーっ!」って感じで、それも気持ちよくて元気が出る。

 

ケーブルTV

MTVでアンプラグドを欠かさず観てます。

 

映画『レオン』

会報によかったと書いてあったので、ビデオでみた。フダンは「涙がでるゾ でるゾ」っていう前ぶれがあるのに、レオンではいきなり泣けた。切ない映画は苦しいけどいいナァ。教えてくれた人に感謝したいです。

 

モスクワ合唱団

体が深くてMaxの音量になると、体のなかが大きく空洞になっているのが目に見えるようだった。ppの支えもすばらしかった。ひびきがフェイドアウトしていって、指揮者の手と同時に静寂が訪れる様は『目には見えない、けれど確かに存在する』という類のすばらしさに酔いしれるばかりだった。

 

岸野組(芝居)

ミワアキヒロさんのライブ

 

ハイキング

山の空気は都会のものとは全く別物で、体のなかまでクリーンになった気がしました。山に向かって“ヤッホー”と叫んだら、本当に“ヤッホー”と返ってきたので、何だか嬉しかったです。自然はいいですね。

 

「ASIAN JAPANESE」という本

この本(この旅)で著者が異国で出会う日本人たちの孤独が痛いかんじがする。早く先を読みたいです。

 

CLUB ASIAというイベント

イ・ジン、ツイ・ジュンという中国の2アーティスツとディック・リーと日本からはザ・ブームが出演した。去年もこのイベントをみたけれど、アイ・ジンはすごく歌がうまくて(うまくなっていて)舞う姿も妖精のようでよかった。ツイ・ジェンはすごいパワーだった。ディック・リーはすごいエンタティナーで。自分もアジアのアーティストとして、将来、こんなふうにアジアの他の国のミュージシャンと交流したいと思った。

フォーバレーでライブ。

 

トヨタカップ(サッカー世界一決定戦)

日本女子プロレス

ワールドスパイス(レゲエ、ブルース、アフリカンポップ)

ヴァン・ヘイレン

ホーミー

 

御岳山と御岳渓谷

歩いた。とても空気がおいしいのに、ここは東京都、なんか変な感じ。まだ紅葉はちょっとだけだったけど、かえでの葉っぱ、きれいでした。生まれて初めて手打ちそばを食べた。これがそばなの? という感じだった。そば湯も飲んだ。

 

「オールディーズ ベスト20」のVol.4~10

衝動買いしてしまいました。これまでスペシャルで教わった曲も全部、入ってました。Vol.1~3も含めると、全部で200曲になります。できるだけ覚えたいですが、とりあえずリズムと英語を体に慣らしていきたいと思います。

 

身毒丸」、

ヴェルディレクイエム」、

「World Saxphone Qualtet & フォンテラバス」、

BJORK」、

「MAMA I WANT TO SING」、

グランドスラム

 

バリオホール(水道橋)でのタブラトゥーラのライブ

 

「MAMA I WANT SING」

 

世良正則が「別れの朝」

このシングルを出したのですが、そのレコーディングでドラムを叩いていた人と知り合いになりました。世良正則はドラムよりも5m後ろに下がって歌っても、ドラムの音に負けないくらい声量があったそうです。スゴイ!!

 

矢野顕子さんのコンサート

彼女の曲を自分にひきつける力がすごいと思いました。誰の曲を歌っていようが「矢野顕子」なんですよね。誰にも真似できない一つの世界を作っている。

 

帝国劇場「シーラヴズミー」

見に行く。いとしの市村さんに会える。

 

中近東の歌い手

奥の深さ、長さや声の揺れは、英語圏の歌手よりすごい気がする(平均して)。自分はサハラ砂漠の上で聞かせてもらった。

 

セカンド・ネーチャー

先日、FMラジオで曲がかかり、とてもいかしていたので、早速CDを買いました。「リンダ・ルイス」という人のニューアルバム「セカンドネーチャー」

久々に“胸がときめく”CDに出会いました。全体にアコースティックを基調とした軽いタッチのサウンドで、何よりもすばらしいのは、5オクターブといわれるリンダの声。キュートな歌いまわしと透明感のある歌声で、とても45歳とは思えません。特に高音がよいです。

 

映画「プリシラ」のテーマ曲

すごく気持ちよくて気に入っているのですが、誰の曲か知らないっす。今度、調べとかなくっちゃ。

 

灰谷健次郎「少女の器」

灰谷健次郎の作品は文章はとてもやさしく書いてある。にもかかわらず、その後ろには、とても多くのことを秘めていると思う。簡単に読めるからこそ、本当の意味を把むのは難しい。この「少女の器」の中心人物たちのかわす会話には舌を巻いてしまう。優しさをもとにして真実の追求をそれぞれのやり方、ことばで他人と関わっている。こんな刺激的な人間関係を私もつくりたい。

 

タイの男性アーティスト、ジェットレイン

なかなかかっこいい。タイのアイドルらしいのだが、歌も踊りも曲もかなりよくできている。タイのポップスはけっこうレベルが高いが、音は完全にアメリカンミュージックなので、東洋らしさはない。タイという国が欧米指向なのを知って、私はちょっとさみしい気がした。

 

池袋メトロポリタン「人間燦々」写真展

映画、音楽、美術、芸能など日本文化のさまざまな分野で活躍する人たちを活写したものです。泉谷しげる笠智衆、船越桂(彫刻家)、引田天功などの写真とメッセージから成っていました。103人もの芸術家、思い思いのことばを言っているのに大切なポイントはみんなどこか似かよっていました。一つのものに徹底的にこだわり、自分にはこれしかなく、それをやる自分はこうなんだというものを、表現するものこそ違ってはいても、強烈に感じさせるあの目。私もあの目になりたい。世間の知識や自分、孤独と闘い続けている人々。「強い」と思った。何物(者)にも頼らず自分の足で自分の尺度をもち生きてきた(いた)人々。私もそうありたい。徹底的に自分にこだわって、自分の歌にこだわって、自分の心のひびきが相手の心にひびくように。万人に通じる音楽はきっとそういうものなんだと思う。「SOUL」だと。私はまだまだ全身を使って声を出すことさえできてないケド、そんな歌を歌いたいと、103人の目とことばをみて思いました。

 

アニタ・ベイカー「コンポジションズ」

木の実ナナ

美輪明宏

 

「平安と宴と給祈り」

声明が聞けるらしい。

 

Joe Henderson「DOUBLE RAINBOW」

アントニオ・カルロス・ジョビンの曲。

Joe Henderson本人のテナーサキスフォンもさることながら、ハービーハンコックのピアノが私は好きです。

 

シェイブ・オブ・ブルーというオムニバスのジャズのCD。

そのなかのジェリコの戦いを歌っている女の人(名前忘れました)の声が、もろ男の人みたい。ベースとヴォーカルだけなので、ヴォーカルの人の声の深さ、正確さがよくわかります。

 

トゥーツシールマンス(ハーモニカ)、

シェ-ンベルク。

 

VALLE「POPSONG」NADEGE「nadege meets nadegee」

ハウスっぽい。どちらもフランスのアーティストです。やはり、日本のアーティストより雰囲気があります。ただ、名を残すには、やはり何か(声以外のもの)が足りない気がします。ロックだけとかいう人は、1枚持っていてもいいのでは? パリにいたときを思い出しました。

 

映画「全身小説家

小説家・井上光晴の日常を、ひたすら追っかけたドキュメンタリー。ただ、忠実に映している映像。しかし、私は泣き、笑い、感動した。なぜだろう。野茂の特集をTVで見たときと同じような感動におそわれた。一つのことに賭けた生きざまに、私は心打たれたのだ。私は自分が恥ずかしいのだ。中途半端な生き方しかしていない自分が。「とにかく好きなことしなさいよー。ほんとに。好きなことすればいいんです。」と画面の井上がどなる。「全身小説家」「全身野球家」「全身ヴォーカリスト」「全身銀行員」…なんでもいいのだ。余分なものを削ぎ落とし、何かに賭ける人生を、私は絶対みつけるぞ。

 

キャロルキングの“つづれおり”のCD

「君の友だち」という曲

感動的な詞だけでもすばらしいのに、メロディがそれにマッチしており、とてもよい曲。コード進行も泣かせる。

 

SAM & DAVE「The Best of SAM & DAVE」

言わずと知れたR&B界、最高のデュオ。「Hold on I'm Comin'」「Soul Man」などおなじみの名曲も最高に気持ちよいが、結構スローな曲になると、ゴスペル調に歌ってくれる。これがまた気持ちよい。あさることなく聞ける一枚だった。

 

トルコききょうという花

近頃、花やさんでよく見かける。ほんのり先が紫の白い花びらが、異常な存在感で私の目にとびこんできた。全体は何気ないかんじの花だが、りんとして強くはかなく美しい。女優さんで言えば、ジュリエットビノシュのようだ。

 

レニークラヴィッツの新しいアルバム

いろんな感じの曲が入っていて、恋愛もの、今のロックを批評するもの、宗教の大切さの曲など、詩が奥深くていいアルバムです。

 

喜多郎の“古事記

日本人の感性がもろに出ているアルバムだと思う。聞いていると、思わず涙してしまう。

 

「ジャップ」というファッション雑誌

よくある「流行の服」雑誌ではなくて、読んでいてなんかブレスヴォイスのことを思わせるような雑誌です。音楽にも言えることだなと思えるような、ファッションという芸術にこだわりをもった雑誌です。

 

ピーター・ブルックという演劇の演出家の本

「死守せよ、だが軽やかに手放せ」と書いてあった。

 

山本秀史のアルバム

シングルになった曲以外の曲がよかった。6曲もカッコいい曲が入っていた。この声。この声が、やる気なく手をふっていたあの姿が、限りなく優しい笑顔が、全部なつかしい。ソロでがんばって欲しい。

 

STEVIE WONDER「CONVERSATION PEACE」

これは間違いなく、スティビーのベストだと思える(なんで売れないの、昔ほど)。僕は歌を聞くとき、声と同じくらい音を聞くのだが、イントロから音の表現が見える。音の表現とは、カッコいいか悪いか、耳に残るか残らないか、雰囲気があるかないか、そういう点で手元に長く置いておきたいアルバムだ。やはり、歌はイントロからよくなくちゃ(ワザとのときは別として)。

 

オペレッタ“天国と地獄”での中尾ミエさん

たたずまい。インパクトがあった。歌と台詞が変わらない主人公の2人、すごいと思った。

 

ANA BELEN」

スペインの女性ヴォーカル。フラメンコ調の激しいものを想像して買ったのですが、ジャズ、ロック、ポップスとフラメンコ音楽を融合させたような新しい音で聞きやすかったです。

 

「今日は死ぬのにもってこいの日」

ナンシーウッド著  金関寿夫訳((株)めるくまーる)

この本のいいところは、インディアンが語ったものを英語でナンシーウッドという人が書きとめた、その英語が載っているところです。もし、このナンシーという人がインディアンのことばを一度、英語に訳しているとすれば、そこでまず少しはズレがあるだろうし、それを読む者が誤解したとなると、大変なことだけど、それにしても、この出版社の名前がなんとなく間の抜けた感じなのがいやだ。なぜ「まーる」と伸ばすのか。なぜひらがななのか。「めるくまーる」ってなんなのか。

 

映画「レオン」

切ないストーリーが続き、エンディングの曲が始まって、終わっても、じゃーじゃー涙が出てきた。映画館でみたら、大変なことになってただろうなあ。孤独と愛と純粋さが強く感じられた名画でした。映画も音楽もマジでステキなものだ。

 

オリックス・ブルーウェーブイチロー選手の特番

前にお父さんが「イチローくんがオリックスの寮に入るとき喜んだのは“自分の部屋が素振りができるくらい広かったこと”」とおっしゃってたのですけど、絶対、今も素振りをしているような気がします。スゴイ人です。

 

チーフダンスwith矢野顕子さんのコンサート

見に行く予定ですが、今一番のオススメです。

 

「牛への道」

宮沢章夫著/新潮社 まずタイトルに(むむっ。)と魅かれ、カバーに出ていた著者のプロフィル、1956年静岡県生まれ、を読んだ時点で手にしてレジに向かっていた。エッセイ「牛への道」。くだらないことが小難しく書いてあっておもしろい。私はふだん大事なことをやさしいことばで書いてあるものを読むことが多いので、逆にこの本は新鮮でした。県人と知るだけで興味をもってしまう。村意識でしょうか。名字が“みやざわ”というところも気に入りました。

 

Phil Perry「Pure Pleasure」

ファルセットヴォイスの魅力いっぱいのこのアルバム。プロデュースもこの上なく、ぜいたくなアルバムです。ファルセットヴォイス、ヘッドヴォイスの極みといった感のあるこの人の声。たどりつきたい一つの世界である。ときにVestaとのDuetソング「After the Love has gone」は、すばらしい曲です。

 

マクドナルドの「ベーコンチーズダブルバーガー」

この名前、長くて言いにくいのが嫌い お肉が2枚で、ベーコンとチーズが1枚ずつ入ってる)が、今日から新発売です。190円です。味はまあまあだと思います。

 

ピンクフロイド

音の広がり、音空間の大きさがすばらしい。

 

NHKの大河ドラマ

「秀吉」は竹中直人さんなので、是非続けて見ようと思います。

 

映画「不滅の恋-ベートーヴェン-」

ものすごーくよかった。映像も音楽もよく、何よりストーリーが完璧で、この感動状態は久しぶりで、しばらくボーッとしてしまった。

 

CD「Super Percussion of India」

キングレコード  同じアジア人だろうか、このリズム…。

 

タブラトゥーラ」というバンド

リュートやリコーダーなど、古楽器のアンサンブル。高円寺のカトリック教会でのコンサートで、私の血はぐるぐるまわってしまった。タンバリンの音色の美しさに、私の目と耳が混乱し(鳴っている音と目にしてる楽器が、今までの自分の知っていたものではなかったから)、かつ、興奮した。そして教会の音響のよさにびっくり!(メンバーの人もMCで言ってた)  全くの個人的な体験だが、インドの寺でも日本の神社でもバリ島でもカトリック教会でも、音楽はやっぱり興奮するものだった。宗教的な音楽って“鎮静”や“リラクゼーション”じゃなかった。「踊り出したい!」そう思うのは、私だけじゃないと思うのだが。そしてやっぱり、音はナマに限る。そう思います。絶対。

 

フレディジャクソンのコンサート

ものすごく歌がうまくてびっくりしたのですが、特にすごかったのが彼のアカペラです。“YESTERDAY”をアカペラで、しかもスツールに腰掛けていたのですが、ビートルズの曲があんなにエモーショナルでソウルフルに変わるものかとびっくりしました。自分の体が震えているのがわかりました。

 

元コンディショングリーンのカッチャンの声

よいと思う。尾崎紀世彦プレスリーとの3人に共通点を感じるので、3人の歌を入れたテープをつくって、繰り返し聞いている。

 

CD「世界音楽紀行・西アジア東欧の旅」

イラン、グルジア、トルコ、ブルガリアギリシアハンガリーなど。音だけの曲もあるが、声は伸びやかで息が長く深い。それぞれの国の歴史を踏まえてきた音楽に思える。

 

喜納昌栄(昌吉のお父さん)  

二人で競演してるのを見たが、ソウルフルだ。

 

NHK大河ドラマ「秀吉」

竹中直人さんの極端なまでの全身での表現に、体が震えてしまった。あれほど、人間の喜怒哀楽を巧みに表現できる人がいるだろうか。思わず泣いてしまった。

 

NHKソリトンSIDE B”  

毎回あまりテレビでは見られないようなアーティストがゲスト出演しています。

 

“Kyoko”

村上龍監督の映画だ。その全編にキューバの音楽が流れていた。チャチャャチャやマンボーもあった。あんなにヒューマンティック(人間的)なリズムがあるのかなーと思った。南方のリズムはとてものりやすく好きだ。脳が軽くなる。

 

 

ラジオのトーク番組で、芸劇の人が言っていたのだが「昔はセリフを棒読みすることから始めたが、近頃は棒読みしないで初めから感情をつけている」  あまりいい傾向ではないと言うのだ。もっと読み込めと言うのだろう。もっと深いものをすくえというのだろうか。

 

週刊新潮の「ギャラリー寅吉」

戦後まもなく活躍されたプロゴルファーの中村寅吉さんが書いていらしゃるページで、私が見たのは、96年の2月8日発売のもので、「昔と今のトレーニングのやり方の違い」といった感じの内容である。「昔のやり方は、理屈でなく実際に体で何かをやって体に身につける」という内容で、筆者自身の体験も具体的に書かれている。

 

パットメッセーニ

最近よくTVに出ていて嬉しいですね。

 

マライヤ・キャリーの“One Sweet Day”  

英語をことばから歌にもっていく感じが学べる。特にアカペラバージョン。英語も音だけマネてたら、イミが伝わらないから…。

 

東宝のミュージカル“SHE LOVES ME”

観客に挑戦してくるものが何もなかったので、何も感じなかった。コミカルさ、悲しさ、踊り、笑いetc.どれもどうにもならないほど中途半端だと思った。涼風真世の存在感は際だっている。

 

フジテレビアナウンサーの露木さんの講義

一時間聞いた。アナウンサーの生の声はかっこいい(でも最初からこんな声ではなかったそーだ)。「ことばについて」のお話だった。テレビで見るよりステキな人でした。

 

映画「黙秘」

涙が出すぎて、コンタクトまで流れてしまった。だから途中から右目がボヤボヤで見るのがちょっとつらかった。右手の指でずっとレンズをもってたら、カラカラに乾いてしまいました。

 

映画「ひまわり(SUN FLOWER)」

じっくりと観た。この年になって初めて、今までとは違い体が震えた。ソフィアローレンはええ女やね。

 

「ベッドミドラーII」(アルバム)

洗練されているとは言えないが、生の話し声のように歌っている。1つのフレーズが、実際の会話のなかの一言なのでは、と思えるほど生に近くて、ドキッとする。今は役者をしてるらしい。

 

マヘリア・ジャクソンの“マヘリア”、

ジョー・ターナー

NHK衛星放送の三国志のテーマ曲。

 

遺作となったフィリス・ハイマンのアルバム

よく聞いています。彼女はその後、自殺したのですが、そのアルバムのタイトルに“I Refuse to be Lonlyy”、悲しすぎるのですが、そのタイトル曲は、まさに彼女の命の限りの熱唱で泣けました。

 

大日本サービスシステム・フィットネスルーム。

現状は、社員対象でオープンしていますが、近いうちに一般開放する予定。たぶん、他よりも低料金だし、混んでないと思いますので、是非、会員になって遊びに来てください。尚、プールはもう一般開放されていますので、こちらもよろしくお願いします。何気に宣伝してみました。市ヶ谷駅から徒歩10分くらいです。

 

マクドナルド亀有店

グランドオープン

この日は200万円売りたいらしい。駅から0分、4階建てらしい。私は10日の日にヘルプに行く。

 

TBS「ねないで×××」

このまえは、バンドということで、ドラムの村上“ポンタ”秀一さんがゲストで出ていた。頭をガツンと殴られるようなことばばかりだった。とにかくよかった。

 

サンディさんの新アルバム「ワタシ」。

ブラジルっぽくサンバやBOSSAなど入っていてよかった。私の心はここしばらく、こっちを向きっぱなしだ。

 

いとしのエリー」のカバーをしているプタターズ

最高!

 

黒人霊歌集“NEGRO SPIRITUALS”BARBARA HENDRICKS

とてもあたたかみのあるソプラノだと思いました。子守唄のようにとても心地よいです。

 

吉祥寺の「TIPICO」という楽器屋

各地のあやしい楽器がいろいろ売ってます。下は「羅宇屋」というカレー屋。

 

日本テレビの夜のニュース「きょうの出来事」のキャスター、

桜井よしこさんの番組最後のコメント。鋭い指摘が完結にまとめられていて、それでいてあたたかい人間性が伝わってくるので、大好きです。落ち着いた声と嫌味のないスマイルが魅力。

 

恵比寿ガーデンプレイス

渋谷パルコのある通りに食べに行った。両方ともクリスマスのイルミネーションがきれいだった。

 

永六輔の「大往生」

死と病気がテーマです。おもしろおかしく、一日で読めます。美しく死ぬには美しく生きなければならない。美しく生きるには、いつも死を身近に感じている方がいい。そのために遺言を書いてみるのもいいかもしれない。私もそう思えたので遺言を書こうとしたが、未だ実行に移していない。心残り(友人へ連絡するなど)が多すぎて、それを先に片づけたくなってしまうからだ…。

 

ロネッツ

「Be My Baby」すぐに買ってしまった。調べてみると、プロデューサーのフィル・スペクターという人がキーマンらしいので、その人のアルバムを聞いてみるつもりです。

 

「M.S.G」

後期のヴォーカリストのロビン・マッコリーは、とても伸びる声の持ち主であると思う。一応、お勧め。

 

TV東京、土曜 シネマ通信

日本のプログラムらしからぬおもしろさがあります。

 

映画「ショーシャンクの空に

超GOOD。男の友情はやっぱりステキだ。人間と人間のつながりは複雑だけどシンプル。みんなも生きているうちに感動いっぱい味わおう。かつ自分のアートで世の中の人を感動させよう。

 

映画「ストレンジ・デイ」のB.G.M

耳に残る。

 

雑誌「0-24」

黒人の男性が黄色のスーツを着ていたポーズが心ひかれるショットだった。

 

「不滅の恋、ベートヴェン」映画

音楽を生み出す、すさまじいエネルギーを感じた。ベートヴェンのことばに「生き方や考え方ではなく『真実』ただそれだけが音楽になる」にとても感動した。人を感動させるのは「真実」なのだ。苦しみや葛藤を乗り越えて生まれるものこそが、本物なのだと思った。

 

「gomme」というブランドの服

マキヒロシゲさんというデザイナーが作っている。「作った人」を感じさせる。

 

映画「ショーガール

サクセスストーリー、ショービジネス界を作品化したものでは「フラッシュダンス」や「コーラスライン」などあるが、本作品はいわゆる、「芸能界」と野心家ダンサーの物語で、作り手にあたたかい視線は与えられなかったようだ。

 

「X-ファイル」、「ピュア」、「秀吉」、「たけしの万物創世記」、

この4つは絶対はずせない。

 

Tina Turner

みて泣いた~。好きなアーティストの映像や音源は、思い入れもありまして。Tinaの綺麗な顔がすごく素敵。昔の映像と比べると…(もちろん、メイクやライティングのことをいってるんじゃないですよ)。

 

 

アメリカ、ニューメキシコ州を走るROUTE66。

歌になったり映画の舞台になったりヘミングウェイが「老人と海」を書いたり、ネイティブアメリカンの人たちが今も動物たちと地に足をつけて暮らしていたりする。果てしない道の写真を見ていると、車でぶっとばすというより、自分の足で自分のペースで歩いてみたいと思う。

 

U2「ZOOROPA」

そんなに新しくないけど、このなかに「STAY」という曲があり、これは自分が人生で一番つらい時期によく耳にした曲で、内容も深いし映像もみえてくる。ヴォーカルのBONOの歌詞の世界も好きだし、エフェクト、ガンガンかけても、シンプルさを崩さないU2サウンドは好きだ。もちろん声も好き。

 

WOMAD横浜という音楽のお祭り

ナイジェリアと韓国とマリ共和国のアーティストのステージを観た。私がいいと思ったのは、マリ共和国の人だ。韓国の70歳くらいの老人は歩くこともおぼつかないが、この日出演した人たちのなかで、一番声はよかった。ナイジェリアの人はよくなかった。でも、会場の日本人に一番うけていたのは、ナイジェリアの人だった。

 

ネーネーズ「コザdabasa」6曲目と8曲目、

泣けます。結構、いいアレンジャー、プロデューサーがそろうと地方地方しないもの。すぐ沖縄と分かるけど、でもそれだけじゃない。いろんな場所に行きたい願望のある人には耳に留まるでしょう。それにしても沖縄の夜は、空気は長く、ゆったりしていたなあ!(人も)

 

クラプトンのコンサート

久しぶりの洋楽のライブ。ステージは、これ以上ないほどシンプルで、MCもなく、一曲歌っては「THANK YOU!!」と行って、また次の歌となる。客も立ち上がるわけでもこぶしを振り上げるわけでもないけれど、会場全体が曲に酔っていた。こういうステージがあったんだと、ハッとした。声とか発声に関してはわからない。

 

エンヤのニューアルバム

聞くとなぜか神々の世界というかメッセージみたいに聞こえる。特にシングルは強くそう思います。とても気に入っている曲です。

 

カザフスタンの歌姫、Yuduz Usmanovaの「jannona(ジャノーナ)」

ドイツのBlue Flameレコードより。

 

森雪之丞さん、

ジャンジャンで詩の朗読と音楽の融合のようなライブ

詩人が自作の詩を朗読する会(SHOW)は、もっと行なわれたらいいのにと思う。ビートの時代のように。

 

活動報告

 

新宿シアターアプルでミュージカルの公演をやります。「うわぁ」という感じです。

 

マイケルジャクソンのバックダンサー兼振り付け師のレッスンを受けた。とてもレベルの高いレッスンだった。世界のスーパースターと仕事をするプロの人は何が違うのか? 気づいたことを書きます。まず顔つき。モデルのようにかっこよかったんだけど、そんなの抜きにして、りりしいと言うか、絞まりのあるきっとした顔だった。次に体型、鍛えた彫刻のようなNICE BODY。ダンスの面ではスキがなく、余裕がある(自分がつけた振りだからあたりまえかもしれない)。絶対「素」に戻らない。で、最後にテンションが高い(2時間のレッスンずっと)。これらのことは歌においても、共通するんじゃないかと思った。

 

2週間振りにジャズダンスに行ったら、先生に全然練習していないことを見破られてしまった。何でもやらなければやらないだけダメになる。自分に厳しくいかなければいけないなー。

 

新しく始めたバイトで、声をたくさん使った。料理屋なのだが、とにかく活気が大切とのことで「いらっしゃいませ」から「ありがとうございます」まで、とにかく元気よくという方針だ。みんな、よく声が出ている。自分も、こんなにしぜんな発声ができるのに…と思った。いかにふしぜんに、いかにも発声練習などと気取ってやっていたかがわかった。

 

地元の市民劇団の練習がつまっているけど、初心者でも芝居にかける(生活、時間、気持ちなど)すべてをささげるに従い、格段にうまくなっているので驚いた。私も真剣に取り組まなきゃと襟を正す思いです。

 

札幌でコーラスライン(四季)を観ることにした。とても楽しみである。

 

東京メトロポリタンTV(MXTV)にて、俺のストリートでのライブ活動が放映されることが決定した。

 

ファンの人から電報が届いた。「“HAPPY MERRY X'MAS”を聞きながら楽しくクリスマスを過ごしています。よい歌をありがとう!!」  25日、家に帰ると留守電に「HAPPY BIRTHDAY TO YOU~♪」と沖縄のファンの人から、誕生日を祝うメッセージが入っていた。本当に歌を歌い初めてよかったと心から思った。