一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

学び方特集 /ヴィジョン、対比表、語録  561

学び方特集    561

 

学び方特集 

ヴィジョン (続)BV座について

研究所のヴォイトレーニングとスポーツの対比表

語録 寺山修司ほか

 

学び方特集

 

(1)書を捨て、自ら発信せよ

 

 文章として価値のあるのは、誰もがいっていることではありません。それはすでに皆、知っているから、言っても誰も新鮮に思いません。かといって、誰もが思いつかないことでもありません。それは読んでも理解されず、受け入れられないからです。誰もが知っていることわかっていることでありながら、とり出せなかったもの、それが共感を得るのです。

 

つまりはアイデアと同じです。

となると、半歩、時代や人の先をいくような感覚でとり出されたものが最もふさわしいといえましょう。

 

 その多くは、他の人が思うのと全く逆のことのように見えて、気をひき、その上でしっかりと他の人を説得できるものです。全く間違ったことをいっても、受け入れられませんから、バランス感覚は必要です。一見、全く逆でありながら、その裏づけ、理由を聞くと、納得できるとしたら、その展開こそ、文章表現の真意といえましょう。これは、映画、ドラマ、推理小説などで使われています。

 

 難しく考える必要はありません。そもそも、この世にありとあらゆるもの、無から生じたのではなく、誰かが思いついて新しく生み出したのです。そして、誰かの支持を受けて、残ってきたものです。

 時代がいかに進み、いかに多くの本や情報がでてきても、新しく語るべきことはなくなりません。

 

 そして、よくよく考えると、多くの人は、いつも、同じことを違うことばでいっているだけなのです。それにも関わらず、私たちは違うことばを聞かないと、その同じことを学べないのです。

 

 あなたが生まれ、この世に存在する限り、あなたには伝えるべき内容があり、それは価値のあることなのです。他の人がいっていることの受け売りをやめ、本質を自分にとり入れつつ、深め、自分のことばで考え、思考を磨いていかなければいけません。

 そのために、文章を書くべきなのです。

 

 

 

(2)夢をかなえる

 

 どうやってなれるかなど、人に聞いているうち、願っているうちは無理です。

夢は人にかなえてもらうものでないからです。あこがれから自分の夢をどうふくらませていくか、力をつけ、人に認めさせるためにどうすべきかを考えましょう。

 

自分の演技、スタイルも必要です。他の人にあわせてやっているくらいではどうしようもありません。他の人が追いつけないくらいやってはじめて、少し差がつきます。

 

 あなたが人生でひきずってきたものに光をあてましょう。すべてを声に出しきりましょう。

 

 レッスンより、まともなごはんをとるなら、やめた方がよいでしょう。トレーニングは、若いうちだから徹底して打ちこめるのです。たくさんの勉強する時間が必要です。

 

しかし、あわてないことです。ある時期、人より一所懸命生きたとか学んだ、働いたという自信があとできいてきます。一人前になるのに十年以上かかる世界ですから、いろんな道があってもよいのです。

 

ただし、受け手としての能力もそうですが、それ以上に送り手としての能力を磨くことが必要なのです。基本トレーニングのあくなき繰り返しの上にしぜんに表現のベースになるものが出てきます。そして、そこからが勝負なのです。

 

 

 

(3) 情熱、意欲、パワー、絶対にゆずれないという思い入れがありますか。

 

○自分を信じることと、信じ続けるためには、人の10倍のトレーニングが必要です。

○やりたいこととできることは、違います。いつも、できることをつみあげていくしかないのです。

○人生のなかでいろいろひきずっているものを、すべて歌に出せるのは特権でしょう。

楽天的で、かつまじめでなくてはつとまりません。

○コンセントレーション(集中)とリラクゼーション(解放)を得ることです。

 

○マイクと八方に集中する力が同じに必要です。

○絶対、いて欲しいと思ってもらうためには、人に何かを与える絶対的な力がいるわけです。

○頭の回転よく、きびしい人間関係でやっていけることです。

○やりたいことはしなければならないことより、パワーがいるのです。

やめるのはいつでもやめられるからです。それで誰も困らないからです。

そうでなくなって、やっと一人前です。

○要は、瞬間に永遠を出せるかです。

 

 

 

(4)語録

 

 できたら、右からスタートして欲しいけど、左にいる人は右へ行ってください。

 

○与えられるもの  与えるもの

○お客         表現者

○わき役        主役

○生徒         先生

○子供         大人

○学校         舞台

 

 いつまでも、左の気分でいる人は困ったものだ。

早く、右の気分で過ごして、その上で左になっておくれ。

左であって右であれば、尚よい。

つまり、右の力があって左にみえること。

さらに左より右へいって戻らないでよいものもあげとこう。

 

○アマチュア    プロ

○友人       ライバル

○遊び       仕事

○消費者      創造者

○クレーム屋    解決者

○非責任者     責任者

○アイデアキラー  発明家

ブラックホール  光明

○男の子、女の子   男・女

 

 学べなくなった人は卒業です。二年間はそれを問う期間です。

それ以上いる人は、人を歌(声-ヴォーカル以外の人もいるから)で感動させることを問うことです。

 

ここで一度もそれができず、卒業する人は、表現を職にする必要はないでしょう。

学べなかったのです。自らの可能性を問えなかったのです。

 

だからほかでやるのは、自由です。私は自分の責任外に出てもらい、ほっとします。

5年後、10年後…! そのままでは、あなたは卒業できない。

本当の意味で入学できなかったのだから。

 

仮に、声、技術が得られて、それでそうでない人よりも何も人前で与えられないなら、

あなたはいったい、何を学んだのですかと言われるでしょう。そうならないように! 

 

 

 

(5)うぶ声

 

 たかが、歌、声、ピアノ、サッカー、競馬-わめいたり、声出したり、指で叩いたり、球を足で蹴ることが、馬を走らせるだけのことが-。たかが…だけのことに終わらない。

 

 繰り返し繰り返しのうちに、どうしてこんなにも、美しく人の心を捉えるものになるのだろう-。

感動、心が動くことの長い長い遺伝の最先端に僕らはいて、できたら、それを受け継ぎ、つくり出したいと願うから、僕らは選んだ、ここを。

 

人類の最先端は、新しく生まれてくる子に追い抜かされても、やがて必ずここを去る日がくるまで人類のたくさんの吐き出した息を、誰よりも僕は吸い込み、吐き出すよ。

この世にすっ裸で誕生したとき、命を与えられてあげた声を、君はもうあげないのかい。

もっと大きな声が出るのに。生きているのに。犬でもほえているのに。

 

 

 

(6)言ったこと、聞いたこと、やること

 

 いつも会報を皆は愛読してくれているようだ。

言ったことを聞いてはくれる、

でも、やらなければ本当に聞いたことにならない。

 

たとえば自己投資せよ-わかっている人は、今月、出した私の本を読んでいる。

どうしてそのぐらいのものごとに取り組む気迫、ハングリー精神(飢え)がないのだろう。

 

つい先頃までは、「基本講座」一冊しかなかった。

彼らはそれをボロボロになり、ページ数を覚えるところまで読んだ。

私も昔、別の本を何十冊もそうした。

それがあたりまえのことなのだ。

 

何かここにいるうちに、NO.1、only1のことをやることだ。

手元にたくさんの材料があるのに生かせない。

その甘さが直らぬ限り、道は開かれないよ。

 

 人の2~3倍以上かけて10倍とろうとするのが、

プロの学び方だということを覚えておくことだ。

 

 

 

(7)主体性をもつとは

 

 レッスンがつまらないのもおもしろいのも、場があることが、大切なことなのです。

善処すべきなのは“あなた”なのです。

 

つまらない表現しかできないから、つまらない。

ここがつまらないといって、つまらなくしているのが“あなた(たち)”であり、だから、入門科なのです。

 

おもしろいのは自分たちが表現できる(あるいはできるようになってくる)からで、

そういう人たちにとっては、そうでない人たちがつまらないのです。

(しかし、ここはそうでなくなるためのトレーニング場でしょう)。

 

 もっというなら、トレーナーの力は“あなた(たち)のような人”が限定しているのです。

トレーナーは、技術のあることで、すでに意味があります。

技術は人からプレゼントされて、おいそれと身につくものではないからです。

 

トレーナーや仲間がいる場のあることが、ここの価値です。

しかし、本来はあなたのいることがここの価値であるべきなのです。

少なくとも、そのことさえできずして、つまらないような判断をするのはやめなさい。

 

 

できていく人はできていくことで(それしか意味がないでしょう)、他の人にこんなつまらなくやらず、私のように楽しくすごくやれよーと叩きつけていくでしょう。それができない自分の力をつけなさい。

 

このような頭を直さない限り、芸ごとは身につきません。自分の器でしかものをみることができない人は、学ぶ資格を与えられても、何も得られないということです。

 

あなたは、同じ器のなかの人と、こんなことについてチャラチャラひけらかして腐らせず、私にぶつけてきた点で救いがあります。早く気づくことです。

 

 ただ、その責任を、私のアプローチの仕方にしているうちは、問題以前なのです。

舞台(ステージ)に出たものがそこで「私、どうしてこのせりふをいうのだろう」といっているのと同じことです。

 

あなたは観客席もしくは、劇場のなかにも入っていないのです。私が60分、演じて、あなたたちは1分も演じられなかったのです。[あなた(たち)の時間であるにも関わらずです。]

 

そのくせに、舞台のなかの一員のような気になって、「正当化しない、反省する、殻に閉じこもっている」といった媚(こび)(といっても、その意味も今はわからないでしょうが)を売っているのです。

 

自己啓発セミナー(それでも別によいと思いますが)からもたった一つも学べない人に、それ以上の何を与えよというのでしょうか? さらにいうなら、自己啓発(この回答もほとんど自己啓発レベルそのものです)をさせているのが、あなた(たち)なのですよ。

 

自己啓発できていない人には、そうであってしかるべきでしょう。(そういう人は、まず自己啓発セミナーにでも行ってから、きて欲しいものです。そういう方の仕事は、歌心もアーティスト精神もない人をヴォーカリストにしようとやっている私などよりも、よほど社会の役に立っているのです。)

 

 私のことばを絶対的にしているのは、あなた(たち)だということを、自分の文章から気づくことです。「なぜ、おっしゃるのか」これを問いを投げかけた相手(=私)にいって何の意味があるのでしょう。それは問いに気づき、自ら答えを求めていくことがトレーニングという場で、主体性の放棄でしかありません。

 

なぜ反省するのですか。なぜもっと自分を正当化しないのですか。こんな卑屈な態度で自ら人(私)を権威にまつりたて否定してみることに何の意味があるのでしょうか。

 

“あなた”に、ここで述べているは、研究生であるというだけでの、一抹の期待があるからです。私が愛情と誇りをもって運営している場に今、いるからです。

 

届かないならそれでよいのではありませんか。(ここは幼稚園ではありません)。私は場をもち、投げかけるだけの役割です。もし届くことが“あなた”にとって必要なら勝手にとりなさい。

皆そうしてきたし、そうしているのですから。

 

 

 

(8)表現がリアリティをもつか

 

 反省は大いによし、ただ終わったあと(幕の閉じたあと)の言い訳は、しなくても結構。(全員にそんなことをされては、私も大変です。自分のを聞いてという甘え(きっとそういうなかで育ったのでしょう)を断ち切ることです。

 

事実かどうか本当のことかどうかは、どうでもよいのです。そこで出されたものが、真実、リアリティをもっているかどうかだけが問われるのです。

 

自分が正しいと思い、ものごとを判断するのは構わないのですが(きっとそれでこれまで通じてきたし、まわりはいろんな意味で黙っていたのでしょう。私も次からは、このレベルのことには黙ることでしょう。)そのために多くのことを学べずにいるのです。

 

もっと、たくさん本を読んだり、すぐれた作品や舞台をみてください。そうでないと、スタートラインにずっと立てません。

 皆さんも思うことをどんどん出してください。必要あらば、ていねいに答えるつもりです。

 

 

 

(9)芸と金と価値

 

 はっきりいって、君らはここで研究すれば歌えるとでも思っているのだろうか。

俗世と切り離された真理探求の場で清く貧しくつつましくやっていれば、何か自分に宿ると思っているのか。ここは修道院ではない。

 

 アーティストの精神の向こう側に天国がある、はずはないだろう(そういうヴォーカリストたちは夭折した)。そこまで降りてはじめて、少なくとも今の皆を見ている限りでは、もう少しはものの本質に近づけるだろうということだ。身銭を切ることにおいて得られたものは体に宿るのには、身銭を切った痛みを味あわないからいけない。

 

 本質を観る力とは、その人の生きている様、生き様、生活、価値観と切り離せないからだ。金とは価値のやりとりの現実である。

 

リスクを覚悟したギリギリの瀬戸際で、今の時代、日本で自分という商品をいかに高く売るかということを見るところから、自分の価値も生じてくる。現実に生きて客がいるから形も決まり、舞台ができるわけだ。世の中で現実に生きている客ほどに闘っていない人が何を彼らに伝えられる?

 

 歌うことがストレス解消や健康のためなら、それはそれでよい。他の仕事をしっかりとやることだ。そのことで歌もよくなる。少なくとも高級クラブのカラオケで歌っているサラリーマンの5人に1人はここの多くの人よりうまく、50人に1人はここでも声をのぞけばトップレベルに立てる。

それが現実であり、彼らもまた現実を生きているからだ。

 

歌や表現を仕事(プロ)といって恥じないまでに高めたいなら、本質を今の時代にとり出さなくてはいけない。そのためには、今を生きていなくてはいけない。

 金は力、価値につく。少なくとも、その時代を生きていない人のやることに誰も金は払わない。客の気分も店に払うがヴォーカリストに払われていない、そんなところが日本の現状だろう。

 

嘘や偽りは続かない。金はシビアである。隣のオバサンが手づくりでケーキを焼いたのを、近所の人に「おいしい、売れるわよ」と言われて店を出してどうなる。ただでおいしいものも、いくらかでもとるならプロである。おいしいのがあたりまえでそうでないなら、誰も買わない、続けては買わない。金を出してまで食べるほどのものでないからだ。

 

 同じことである。お情けで来てもらい拍手をもらってどうなる。プロになりたいと言っている人には、金にならない歌はやめることだ。金にすることができたら、その金で好きにやれ。

一人の客もいない(仲間や近所の客しかいない)のに、歌の真実なんてことばを使うな。真実を見ようとしてばかりいて目がくもるのは、金に目がくらんで痛いめに合うよりも、さらにたちが悪い。

 

金は現実である。そこにある欲も現実である。少なくとも、それらは人の心を捉える。どうして、名声や金や異性や人間らしい欲にひかれて、歌わない-? 

人間のきれいなところばかり、上からみて「これが恋愛の理想的な姿ですね」なんて歌って、何が伝わる。そんな修道院よりは、刑務所の方がよほどアーティックだよ-。

 

 

 歌があるから、他に何もいらない-それは他に何も見ていないだけだろう。めんどうだし、子守歌っていうお母さんのお腹にいたい甘ったれた子供と同じだ。いい加減、目をさませ。大人になれ。

 

いいかい。ここは、外では思いっきりわがままでどうしようもない奴らが、ここで嘘がなく素直な心になり、霊性を取り戻すためにある。どんなにリスクを犯して冒険して傷ついても、ここでやったこと、やっていることで自信を取り戻せるためにある。

 

 表現するということは、傷手を負うものである。単に生きていれば何にも言われないものを静かな(だからこそ、よくない)現実に波紋を起こすのだから、その覚悟がなければ人前に立つ仕事など選ぶべきでない(でも、それがたとえどんな仕事でも、あなたの存在だし意味なのだよ)。

 

外での評判を気にして客にこびて受けることをねらうなら、アーティストなど名のるな。ここで全力でやれなくなり、歌や表現のピークを保てなくなってやめていく人はいるが、それで外で伸びる人はいない。業界の甘いことばでつく自信など、一般の人に通じない。

 

 金は正直、自分がやっていなければ同じ月謝が高く思えてくる。歌を素晴らしくするのは誰でもなくあなたなのに-。自分の力をもっと信じてあげなさいよ。死ぬまでその声、体、顔なんだから、もっといとおしんで輝かせてやりなさいよ。あなたが少しほほえんだら、皆が幸せな気分になるまであなたが変わっていったら、そこに歌が聴こえてくるんだよ。

 

 歌は確かに現実を生き、今を生きている人には真実であり、その価値は金に比べるものではない。いうまでもなく私より大きな金を動かせる人は世界に何万人といるが。それは他の人がすぐ受け継ぐこともできる。しかし、体に身についたものは、そうでないから、尊い

 

受け継ぐだけでも、先人を超える努力がいる。しかし、尊い芸を牛丼一杯分の金にさえならないほど卑しめている人には、まず他の人に金を出したく思わせよと言いたい。そこがスタートだ。

でなければ金を自分にかけろ(もっとシビアに真剣に毎日、使えよと言いたい)。

 

 私が声を聞く、私に声を聞かせること、ピアノの音やCDや声をあびること、それがすでに最高のレッスンになっていること、それさえわからず、「見本みせてください」とか、「歌い方を教えてください」というほどに、君らは鈍感になったのか-。

 

 

 

(10)あなたってなんだ?

 

 いつも寂しく思う。ここを変えているのがあなたでないことを。

表向きの形がどう変わっても、それは変わったということにならない。

同じものに本質が宿るように変えることだ。

 

 皆は何でも早く理解し決めつけようとする。歌や声だけではない。息も体も気分も感情も、時代や社会も。

今日はきのうのままではないのだよ。それをもっと感じられ、もっともっと表現できるようにするために、基本の型やフォームがあるのに。そこに埋もれてどうする。

 

 世の中が汚れ、金も汚いなど思うのは、現実をそうみるあなたの眼のくもり。

だから歌をやりにここにきたというなら、ここはエセ宗教団体と同じだよ(いやそういった彼らでさえ、もっと厳しい修行をしている)。

 

 確かな価値を求め、得ていくということは、変化すること。あなたが変わることで世界のあり方も変わり、あなたの表現がそこをつなぐことだよ。

その先にある世の中は今と違うものではない。金も同じ、人間も同じ。世の中も同じ。(世の中が冷たいと感じるのは、世の中があなたに冷たいと感じているから。あなたが世の中に熱く表現できないから、だけ。ギブしないでテイクはない。)

 あなたのつけた力があなたを変え、まわりを変える。そのときの一瞬一瞬が真実なんだよ。

 

歌を創造せよ!

客を創造せよ!

 

自分自身を創造せよ!

 

Be Creative!

Be Artist!

 

 

 

 

ここに貼ってあるのは、次のことばだ。

 

 

「あなたがきて ここが変わらなければ

あなたってなんだ? 

君がくることで このときがもりあがらないなら

君ってなんだ?!

あなたがいないことで 何も変わらなければ

あなたってなんだ?!!」

                             

 

 

 

 

 

           

ヴィジョン

 

 

(続)BV座について

 

「この場だけが正しいのではないし、あなたが正しければあなたのいるところが正しい。」

 

 BV座から、ここ3ヵ月で二人のメンバーが引退した。

一人は最初からアーティストの才があったし、もう一人は、まじめさとひたむきさで取り組んで、声や技術をあるところまで得ていった。

ところが、レッスンの場に出なくなるにつれ、その表現は才能を欠くものとなり、声や技術だけに負うものとなった。私が主として、先月、BV座について、述べたのも、彼らのためであった。

BV座の終わるたびに言いたいことを伝えつくしたのちのことである。

 

 この場は入るのも去るのも、当人が選び、学び終えたもの、やりつくしたもの、もう学べなくなったものは、おのずと意味を失い去る。私は一切、ひきとめない。

やめるときになって、この人はこんなにも何もわかっていなかった、上にあげたのはかわいそうなことをしたと気づくことが度々あった。

 

 私は学んできたし、学んでいる。この世の中、学ぶべきことが多すぎて手におえないし、先人たちがやってきた100分の1もできず、人前に立つことになっても赤面する思いである。

もっと学びたいというより、学ばなければという恐れに、表現の闇の深さをみる。

いつも学べているのだろうかと疑問に思い、全然学べていないことに愕然として悔しがっている人生であった(いつも思いのまま表現できないのだから)。

しかし、ここ3年、学ぶことを人に教えることの難しさを何よりも学んでいる気がする(ホント、皆さんのおかげだ)。

 

 学んでいると思って信頼していた人が結局、2~3年のうちの1年そこそこしか学べていなかった(そういうときは、レッスンによく出ているし、気迫でわかる)ことがわかる。2年目に2倍、3年目に3倍学べといっても、多くの人は、少しできてくると、他の人に比べて安心したりうぬぼれ、井の中の蛙となる。

(日本から世界に通じるヴォーカリストがでないのも、業界(プロデューサー、トレーナーも含め)もそれをめざす人も、他の世界からは考えられないほど志が低いからに過ぎない。)

 

 結局、入ったときには一生、歌っていくようなことをいって、1年くらいがんばるけど、そこまでしか気力も体力も自分へのプライド(多くの人がもっているまわりの人に比べてちょっとできるからどうだといった小さなものでなく、本物のアーティストとして恥ずかしくないレベルに絶対、上がるという自分への信頼、他人への謙虚さ、素直さ)をもちあわせるに至らっていない。

 

 私がBV座へあげたために、ここでの役割が、単に出ることになってしまった何人かの愛する仲間の志を、今日はこういう形で皆に伝えようと思う。

何かが育ち、できあがっていくには、いろんなステップや役割があり、私もあなたたちもそういう多くの人のやってきたものの上に支えられて、ここにある。

それをくみとり受け継いでいくことも、この場とともに、この場であろうとなかろうと自らのなかに価値を有するべき人であって欲しい、それがあなたの義務と思うからだ。

 

いい加減、ここにばかり価値をおいて去る(私にばかり学ばせて、自分は学べずに行く)のは、やめて欲しい。

ここに価値をたくさん与え(私もそうしている)、そしてたくさんもち返って欲しい。

 

こはちっぽけな井戸だけど、本人に力があれば世界中のものがくみ出せるようには、微力ながら、してきたつもりである。現実の世界より、厳しくも甘くも、あなた次第で変わるシミュレーションの場なのです。

 

 

 

 

 

 

 

◯研究所のヴォイトレーニングとスポーツの対比表

 

ステップ

ヴォイストレーニン

スポーツ(バスケット)

自分のやってきた スポーツ、芸

0.イメ ージ

全体の構図をみる

一流のプレーに堪能する

 

1.準備

体力づくり/柔軟

準備体操/柔軟体操/ランニング

 

2.基本トレーニン

息吐き、体を使う

腕立て 腹筋

 

3.特化トレーニン

音程/パルス

カニさん/ボードあて

 

4.ルールのためのトレーニン

楽典(読譜)/音惑/リズム感

パス/スクエアパス/ドリブル

 

5.基本プレー

ハイ→(ポジション)/ララ→(共鳴) /なんて→(ことば)/

オーシャンゼリゼ→(フレーズ)

ランニングシュート/フリーシュート/ドリブルシュート/1on1/3on3 (フォーメーション)

(フォーメーション)

 

6.プレーのための

応用トレーニン

音感 音の高さ、伸ばす、強くする

リズム感 /声/

アレンジ フェイク、アドリブ

マンツーマン、ゾーンディフェンス/ポジション/リバウンド//

パスカット/フェイク

 

7.応用プレー

歌/ステージ

5 on 5/ゲーム

 

8.上達の秘訣

歌/ステージ

バスケット/水泳/流れ

 

 

 

 

 

 

 

◯語録

 

寺山修司

 

寺山修司から高校生へ」(学研)

 おすすめいただいた本なので読んでみました。

 

「向上」「進歩」はない。「変化」のみ。(石おのと核兵器

幸福とは、たけだけしいもの。守ることでなく新しい価値を創造すること

滅びたいものは形をもつべき。形がないものは滅びない

自分を好きになれないのは、エゴチズム。自分を好きになることが世界を好きになること

想像を捨て、現実を手に入れようと思うことは、思想をもたずに実践するようなもの

「小さな手」-? なぜ大きな手でないのだろう

難物へぶつかれ。

 

女ばかり追いかけず、なって頂戴大物に(畠山みどり

知識による支配の否定

変わるのでなく、どう変わるかが大切

きたないものを愛せる人でないと、やさしい人間になれない

ワークショップ-肉体/想像力/造語訓練

思想をもたないものは、方法ぐらいもつことだ

同じことをいうのは、鳥が同じ声でなくようなもの

(一つの理念を達成されるまで何度でもいう必要)

 

 

愚痴や怠惰を悩みと言って書き募る高校生に

寺山修司は、そんなこと考えている暇があれば

ラソンをしろ  100メートルを全力で走れ  ラジオ体操をしろ

と怒ります。

 

この手の答えが2つ出てしまったとき、

寺山はこの学校(連載誌上の)を閉じます。

 

「私がこの学校に求めているのは」と寺山は言っている

「『出会い』であり、『関係』であり、好奇心を満足させてくれるような『対決』なのだ」

もうこの学校では、そんな『出会い』は望めないと思ったのかな。

 

 

 

江原正史さん(声優)

 

『オバサンが舞い始めますとね、これがいい女なんですよ! スッと目線を振られたりすると、思わずドキッとして周りを見回すでしょ? 若くてきれいな娘は他にもたくさんいるのに、いちばん綺麗なんですよ。そこで「芸」って違うなと思ったんです。「表現」というものが何か? 表現は素材だけじゃないんだ。それをコントロールしながら、しかしコントロールしていることは感じさせないように素材につけて提示されたものなんだ、と思ったんです。

 いい素材とか色々なシチュエーションとか、とにかく僕はそういったものを一生懸命、見に行きましたね。やはり「一流」を観るべきです。最初は僕も「どれが一流なのか、何がいいのか」なんてわかりませんでした。でもとにかく見続けていくうちに、だんだんわかってくるんです。ここが違うんだな、ということだ。僕も最近ようやくなんとなくわかってきたような気がしますよ。

 「ものの価値がわかる」ために、最低限必要なものってある。「いい絵を見なさい」とか「いい音楽を聴きなさい」とか呪文のように。「デザインをするなら、まず自分をデザインしなさい」本当にいいデザインをしようと思ったら、自分の生活からデザインしていかないと、一線を越えられない。

 有り金をはたいてわざわざ高い店に入ったことがありますよ。何かを表現しようと思ったら、そういう勉強も必要。ハイエンドから今度一回、ローエンドを見るんです。これが大事なんです。この間を行ったり来たりすると、生き方が変わってくる。

 まず感動する気持ちを自分のなかで再確認して、それでは感動するものを作るにはどうしたらいいか? という視点から入ったほうが長続きするのではないかと思います。

 「僕だったらこうする、私だったらこうするわ」と思ってみる。じゃあ自分はどれだけできるか? ということを一回、VTRで撮ってみると、自分の表現力がわかります。それを知ると、もっともっと自分を磨くことができる。』

 

 

 

鴻上尚史さん「表現でメシを食う」ために必要なこととは

 

 モームの言葉で、

「作家は、テーマを書き尽くすんじゃない。素材の方が作家を見捨てるんだ」という言葉があります。

 テーマを書き尽くしたと作家が思うことがあるとすれば、それは作家が現実を生きてないだけ。

 だから書きたいことがない、ということは、現実を生きてないという(厳しい言い方ですが)ことかもしれません。

 

天才…あなたは、その思いのたけを文章に書きつけます。野球で言えば、直球です。

で、それがそのまま、本となり、映画となり、演劇となり、受け入れられるなら、あなたは、間違いなく「天才」と呼ばれます。

 

カーブの曲線…書きたくてたまらない自分の思いを、あえてねじ曲げ、カーブの曲線によって伝える。そして、このカーブの曲線のことを「表現」または「センス」と呼ぶのです。

 

動機…つまりは、動機がはっきりとあるのに、それより、その表現方法(スタイル)が、過剰に評価されて内容がないと見なされるような作家のことです。

 

 どんな曲線・カーブを描くかということが「センス」そのものであり、それは、自分で見つけるしかないということなのです。本当は、直球で投げたい思いを、あえてカーブにするのです。自分の思いを見つめ、裏切り、裏切り過ぎず、大切にし、大切にし過ぎず、「表現」へ一歩一歩近づくのです。

 

 

 

横尾忠則さん

 

「アーティストにとって、アートは仕事ではなく生活そのもの。

日記であっても絵画の制作と区別することはない」

「いちいち天使にお伺いを立てていたら、自分のためにならない。

今は、天使の教えが吸収されて、自分の思う通りに行動しても

天界の意思が実行できる状態だから必要ないんです」

「人は知性に頼り過ぎ。何故と考えすぎない方がいい。

自分に起こることを素直に受け入れることが大切」