一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

鑑賞レポート    566

鑑賞レポート    

 

 

モータウン25】

 

モータウンということばすら知らなかった。作曲家たちの話のなかに「時代を反映し、大衆の声を曲にしていった」ということばがあった。スティービーワンダーの歌詞からは、黒人のおかれていた状況を「大丈夫さ、何もひくつになることはないんだ」と励ますメッセージが伝わってくる。

 

何を表現したいのか、それが明確だからこそ伝わってくるのだと、彼らの歌を聞いて感じる。私は何を表現したいのだろう…。レイチャールズもそうだが、スティービーのピアノもたたきつけるように弾いているのに、その歌に非常に合っている。どうすれば自分に合うピアノの弾き方がみつかるのか。今はただ、練習あるのみ、としか答えはでない。

 

 

エルトン・ジョン

 

私が今まで記憶していたエルトン・ジョンの声とは、ずいぶん違っていた。思っていたより、ずっと野太い声だった。というより、今まではあまり声に注目してなかったからよく聞いてなかったのかもしれない。すごいと思うのは、ピアノを弾きながら歌っているところ。私自身がめざしてるのが楽器を弾きながら歌うことだから、すごいなと思う。

 

ジョンの弾き語りがあたりまえになりすぎて、一視聴者になってしまえば、なんのことはないが、あんだけリズムにのってピアノを叩きながら声を出すのってやはり大変だと思う。声だけにひきずられてもダメだし、ピアノが優先してもだめである。「自分の中心にいる」という感じがなかなかできない。そして、やはりあたりまえだが、1時間のステージを飽きさせない(ダンスやその他アトラクションなしで)という力は、やはりさすがだと思う。

 

 

 

【メイキング・オブ・三大テノール世紀の競演】

 

夢物語のようだった。何て人間の声はすばらしいのだろう。約200人ものオーケストラにたった3人のたった1人の声が先頭を立っていくなんて…。あんな大きなとニニニころをその人の声で溢れさせるなんて、あんなたくさんの人々を動かしてしまうなんて…。ビデオを観てよく思うのだが、そこにはいつも愛に満ち溢れた温かいものを感じる。人の声って人の歌って何てやさしく力強く、切なく、そしてものすごいパワーを秘めているのだろう!!  約200人を背負って指揮をしていた人の集中力と体力にも感心させられた。心にたくさんの愛を…たくさんのやさしさを…。

 

「ドレミファソファミレド」のピアノに合せてパバロッティが発声すると、その声の迫力にびっくり。歌う人によって、こんなに違うなんて!! 時が“ボワン”と大きく広がった。ただすごいとしか言い表せない。いくら大きいといっても、たかが人間の体。その体のなかからなぜあんなに大きい声が出てくるのだろうか?! 彼らの声を聞いていると、日常の時限から浮かび上がってしまう。“声に神様が宿る”とは、ああいうことを言うのだろう。

 

声楽のジャンルの枠を超えて、あの声には本当にすごいとうなづけた。そしてもうひとつ印象的だったのは、3人がとても楽しそうだったこと。特にパバロッティの愛嬌には、とても魅かれた。歌うことを心から愛し、そして決して気を抜かない。真剣な日々の鍛錬があるからこそ、解放されるステージが存在するのだろう。ただ声を出すというのではなく、命を込めて声を発する。その気合いが人々を魅了していくのだと、彼らの声から学びました。

 

 

 

【エマーソン&レイク、パーマー】

 

これはジャンルにわけるとプログレに入るのだろうか? 初めはどうもなじめなかった。めちゃめちゃに弾いているだけかと思ったのだが、しかし、ピアノ、ドラム、ベースの3人はぴったりと合っている。演奏してる本{人たちは、すごく気持ちいいだろうと思う。息と息がぴったり合ったときのあの快感が「バンドはやめられない」と思うところだからだ。

 

ベースの人が歌うメロディは心地よくて、難しそうな(!?)バックと対照的だった。このプログレなのか、アコースティックなのか(よく聞くとクラシックのような気もする)わからない演奏を聞いていると、サイケデリックな画面の効果もあったのか、途中記憶がなくなった。好む好まざるに関わらず、いろいろ参考になると思う。

 

「ことばのないメッセージ」私にとって音楽といえば、何より「歌詞」だったけれど、ことばのない音楽に人々が耳を傾け、そして熱狂していた。彼らは何を見ていただろう。限定のない自由さ。ことばにできないビジョンを見ていたのだろう。生まれてくる音に体が揺れはじめる。たとえば静かな音ならば、心は夕暮れになる。それはいったい、なぜなのかとずっと思っていた。

 

「音」は人間の何を揺さぶっているのだろう? 今までは頭で考えることが多かった私だけれど、「音」のみ、ことばなしのメッセージにそれは通用しない気がした。何にもとらわれず「持って生まれたもの」それだけに戻れとことばのないメッセージは言っていた気がする。

 

 

 

MOTOWN APOLLO

 

知らず知らずのうちに、私も一人の観客になっていた。楽しさにパワーにすごさに、いつの間にか引きずり込まれ、最後には拍手までしてしまい、思わず「アンコ-ル」と言bチてしまいそうになった。そこには一人ひとりがまばゆいくらいに輝いて、しかもその色がすべて違う。ある人は炎のような真っ赤であり、ある人は空のようなブルーであり、ある人は透明であったりする。

 

印象的だったのは、サムハリスの歌ったオーバーザレインボーだった。今まで聞いたのとは違ったものがあった。その一曲にかけている意気込みが痛いほど伝わってきた。生き生きとした若いパワーを感じた。何だかドキドキした。自分が舞台に立っている気分になった。

 

最後にデュエットした女性がものすごくパワフルで観客が全員立ってしまう気持ちがわかる。私も「すごい すごい」と言っては笑顔がこぼれてしまった。声のパワーは本当にすごい。すべてを動かす力がある。そして、私がそれぞれに感じた色は、その人の魂の輝きだったのかもしれない。

 

 

 

エルトン・ジョン

 

思わず、間違えたのかと思った。はじめに映し出された映像がなんと、バイオリンなどのオーケストラだったからだ。しばらくして本人が登場、この衣装はもしかして、モーツァルト? クラシックに疎い私にはよくわからないが、なんとなくそんな感じだ。とにかくお客さんへのサービス精神が旺盛なことがよく伝わってくる。ピアノを弾きながら、ときどき観客の方へ顔を向けるところなどもそうだ。

 

サウンドの面、メロディメーカーとしての才能のすばらしさには、いつも感心させられる。とくにバラード、歌詞の意味なんて私は全然わからない。けど…どうして映画のシーンのような情景が浮かんでくるのだろう。特に「僕の歌は君の歌」は、イントロを聞いただけで心洗われるような、そんな気分になってくる。やっぱり音楽は不思議だ。

 

 

 

【マドンナ】

 

マドンナは努力家だと改めて感じた。あれだけステージの上で動き回っても、声が途切れたり聞こえなかったりということが全くない。英語の発声のためもあるかもしれないが、きっと彼女の鍛えられた肉体ゆえの声であろう。彼女が、コンサートの合間に走り込んだりしている写真をよく目にするが、その努力と根性には敬服せざるを得ない。芸術に関わる者は甘えを捨てなければならない。

 

マドンナの気迫が伝わってくるコンサートである。彼女は、このツアーを始めるにあたってかなりのリハーサルを重ね、プレッシャーと戦っていたという話を聞いたことがあるのでが、ライブのできで評価されるアメリカならではの逸話である。踊りながら歌っているのに息一つ乱れない、乱すまいとしている。このプロ根性、体の強さは見習うべきである。

 

彼女の体はかなり鍛えてあるようだ。

マドンナの低音域は声が太く、中音域以上は甘えたような声であるが、この違いは何なのだろうか? 最後に笑い声が収録されていたが、とても魅力的だった。笑い声でさえもまるで“違う”ことがわかる。

 

 

 

【マイケルボルトン

 

笑ってる…。少年のように笑ってる…。それにつられて笑ってる私…。運がよかっただけじゃない。努力によって積み上げられた実力が今のマイケルボルトンを輝かせている。お客さんにいつも最高の歌を歌うんだと言い切っていたプロ意識に頭が上がらない。

 

 ヴァンジョンソンとのデュエットは最高だった。完璧だ。行き当たりでやっているのではなく、練習に練習を重ねて、そして2人の息を重ねて2人の心を重ねて歌っているようだった。マイケルボルトンは、何でもムキになって負けず嫌いだ。何か少し似ているかもしれないと思った。そして何よりも愛に溢れている。素敵な人に出会えてよかったと思う。

 

先日、自分のやっている音楽の大先輩の演奏会を聞きに行った。歌詞をよく理解してもらうためにとコンピュータを使った字幕を入れての演奏だった。その後、このマイケル・ボルトンをみた。字幕は入っていなかった。日本人であり、英語の歌詞の意味がわかるわけはないのに、マイケルボルトンの歌をいつもいいなと思う。この感じは何なのだろう。声も我々の常識からするとノイズの多い、とてもクリアーとはいえない声。しかし、心にひびいてくる。客席でサックスとの掛け合いの歌がある。サックスのひびきを包み込みそうな彼の声。観客が熱狂するのは、何も歌詞の意味がわかるからじゃない。声のなかにある心のヴァイブレーション、波動というべきものに、何かが共震してふるえ出すのだ。そんな感じを受けた。

 

 

エルヴィス・プレスリー

 

プレスリー、感心したのは独特なスタイル。足でリズムを取るのが彼流。声も低音でひびいていて、若い人に受けて当然という魅力をもっている。

エルヴィスは「いろいろな歌を小さい頃から聞いていた。最初に聞いたのはカントリーだ」と言っている。やはり、プロになる人というのは、それなりに歌を聞いてきている。

 

 彼はR&Rを歌うことで世界の若者に貢献してきた反面、社会からは害だとされてきた。その逆境とも戦っている。彼の生きざまは、押さえつけられた若者たちの代弁、自分自身であろうとした反逆児だと思う。しかし、それもあの歌声とスタイルの上に立ってのこと。やはり、彼もスターである前に、一人の歌手であった。歌うことの実力があってなおかつ、あの魅力。なるべくしてなったスターです。

 

 

美空ひばり

 

私は美空ひばりを観ながら緊張した(もちろん、いい意味での緊迫感だが)。さぞかしその場のスタッフや観客はピンとはりつめた空気を感じたことだろうと思う。自分の持ち歌以外をよくあそこまで歌いこなせると思う。理屈でなく心で理解していたからなのだろうか。

 

君恋し」の低音部分はゾクッとした。自分がちゃんと何をどう歌いたいのか、ということをわかっているから、持ち歌の歌手にもつられずに“オリジナル”な歌になるのだろう。それからほんとに歌というものは時代と切り離せないものだと思う。戦後のあの時期にあの日本に、登場すべき人が登場したかと思うと、現実や時代をナメている自分が恥ずかしい。