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以前、読んだある本のなかにこういう説があった。「人を歌わせるのは、ことばが生まれるより以前の原始的な情動である。それなくしては、すべての感覚器官(歌に必要な肉体的機構)は、正しく(歌う声を発するという方向へ)機能しない。また一方で、それだけでは動物のおたけびと一緒で音楽にはならない。したがって知性も必要ではあるが、最も困難かつ不可欠なのは、原始の情動を、歌い手自身がいつでも思うままに喚起できることである。(自分で要旨をまとめたので正確ではありませんが)」
このことを、ミルバを観ていて思い出した。彼女は、たとえどんな体調であれ、同じことの繰り返しであれ、その都度、彼女をつき動かす強い情動が生まれ、それをエネルギーとして、彼女のもつ技術やセンスがその都度、統合され、新しい瞬間を迎えているに違いない。
情動とは、まさに先生がたびたびおっしゃっているモティベーションというやつではないだろうか。
「歌が歌いたいから。歌が好きだから。」なぞとたやすくことばにできるような安っぽいものではなく、意志や理性ではどうにもならないような何かを、遺伝子のなかから呼び起こせたときにしか、本当の意味での技術などないのではないか。反対に、それがあれば、たとえ技術はお粗末でも、聞き手の動物的な本能を揺り動かすことぐらいはできるのではないか。
ごくごくまれにではあるが、自分でも不思議なくらい声が出るようなとき、その自分の声にあおられて声をコントロールしようとする意志をもった自分ではなく、自分ではない何かが歌っているような、それに励まされ押されてさらに身体を震わせるような、私はそんな経験をしたことがある。そういうときは本当に幸せである。反対に声がでないときは、それを何とかしようとするばかりで結局、歌でも音楽でもない、お約束通りに声を出しただけのものになってしまう。
だが実は、そういうときこそ(声の出ないときこそ)自分のなかにある「何か」の強さが問われるに違いない。その何かを自分で呼び起こし、引き寄せること、それが今の自分に最も欠けているのではないかと感じている。もちろん、技術を身につけることを二の次にはできない。
子供の頃、駅前に傷痍軍人がいた。カセットで軍歌を流し、汚い軍服を着ていて、片足がなかった。そこでジッと座って動かない。この人はどうしたの、と聞く必要はなかった。誰が悪いのか、この人はどうなるのか、ということよりも先に、見せつけられた命のうねり。その痛みはこの人のものなのか自分のものなのかわかるはずもない。ただ、まわりの人がどうして知らん顔で通りすぎていくのかが解せなかったことを思い出す。傷痍軍人は歌手ではないし、私は傷痍軍人にはなれない。そんなことはわかっているのだ。この国で暮らしていると、自分が日本人だなんて考えもしないし、考えずにすんでしまう。でも広く世界を見ようとすれば、自分の内側を見ないわけにはいかなくなる。私は自分のことを何も知らない。自分の周りを素通りすることはできない。傷痍軍人のように、伝えたいことやことばにならない叫びは、私の生きているこの国で形にしたいと思う。そうしなければならないと思う。傷痍軍人のあの姿は強烈だった。でも本当は、もっと私の気づかないような小さなことのなかにも、苦痛や深い喜びがあるに違いない。私はそれをキャッチしたい。キャッチしたものを投げ返すのが歌だ。車のなかで聞いてもらえなくても、すごくいやな感じだと思われても、強く残って忘れられないような歌が歌いたい。それがそのまま自分でありたい。
「…だから私は世界でたったひとつ、自分の歌を歌える」世界中が苦痛で一杯なのに、私はすべてのことから逃げ回っていた。そういう自分を自覚してもいた。でも戦えなかった。悲しいふりも楽しいふりもいとも簡単にやってのけ、誰もがそのくだらない嘘を真に受ける。「あなたがうらやましい」なんて言う人さえいて、そんなときが何よりみじめだった。私には何もないのだから。それが知れることや否定されることだけが恐ろしかった。私は死んでるに違いないという恐怖は限界にきて、私は自分のことばが欲しかった。どうしても生きているということを確認したかった。歌を選んだのは、一番好きなことなら耐えられるかもしれないというへっぴり腰だったにすぎない。とにかく戦う場所が必要だった。
福島先生の本に出会い、ここへ来て、おまえなんかダメだ、やめてしまえと言われるならそれでもいいと思った。自分の力で呼吸したい一心だった。思った通り、そこは私の嘘が通用しない初めての場所だった。自分を正視しないわけにいかず、想像以上に自分の醜さとか弱さを思い知る。その代わり、私はことばを少しずつ取り戻し、体には血が流れていった。血のなかには「振り」じゃなく、ずっと大声で叫びたかったことがあふれている。それは私のものなのだ。それを形にすることで自分を確認する。だけど、まだ足りない。どこまでいけばその一瞬に触れられるかを、私は体のどこかで知っている。私は私であり続けようとして、戦っている。だから世界でたった一つ、自分の歌を歌える。
「私にとって歌とは何か」こうやって昔のことを思い出していると、どうしていつも人が死んだり自殺したり気が狂ったり娼婦になったりする歌が歌いたいのかが、少しはわかる。私自身は、何の波風もない生き方をしてきて、ヒンシュクをかわないように体裁よく過ごしてきた。苦労も知らない。本当は自分はものすごくはみ出た人間なのではないかと思っても、攻撃におびえ「いや、自分は何をしても並の、サエない人間でしかない」という楽な言い訳に落ち着く。実際、死ぬほど人を好きになったこともなく、燃えるように何かに熱中したこともない。そんな自分に、歌なんか歌えない…私の最大のコンプレックスだ。何も感じない暮らしの下で、私の魂は泣き叫んでいたことだろう。ここから出して欲しい。私は生きてるんだと泣き喚いていただろう。私の頭がそれを押し殺してしまった。なんで歌うのか、何が歌えるのか、おまえは誰なんだと思い続け、ようやく少しずつ見えてくる。安全な国で何不自由なく暮らしながら「私は生きているんだ」と叫ばなければいられない私。私はただ私でいたかっただけなのに、それは封じ込まれ、大人になったらもうその方が楽になっていた。今はもう、おびえてはいない。自分の足で立っているからだ。そうなると、川が決壊したみたいに、私は押し殺してきたことばを投げつけたい衝動にかられる。だから私にとって歌は、自分が血を噴き上げることができるかどうか確認する手段です。
自分をどれだけ出しきれるか。他の人ではない自分自身をさらけ出す。その手段として気がついたら歌っていた。そして、もっともっと表現したくてその物足りなさを感じて、強い声をもちたいと思う。そういった好循環がやむことなく続いていくなら何も意識しなくとも、そこに個性は現われているでしょう。そもそも個性とは一体、何でしょう。ただ単に、今までになかったようなことをやってみせて驚かせることでしょうか。確かにそれもそうかもしれませんが、それでは今までになかったこととは、何を目安に誰を目安に決めるのでしょう。たとえば私たち日本人のほとんどの人の知識にないような国や地方の深い森の奥に何百年も前からその土地の人々が歌い続けている音楽を、東京のホールか何かで演ってもらったとすると、多分、多くの人はめずらしがって興味深く聞いてみるでしょう。逆の場合も同じでしょう。日本に古くから伝わるような歌を、外国で演ってみてもらえば、珍しがられて少しは受けることもあるでしょう。このように、人々がこれは新しいとかこれは古くてだめだなどという境目は、非常に個人的なそれまでの経験に含まれているかいないかというあやふやなモノだと思います。それがために、同じ国の中の出来事でも何十年も前に流行ったことが、それを知らなかった世代にもう一度、流行るなどということが起こります。したがって、新しいとか古い、今までにあったとかなかったなどと(人々が思っている)ということが、個性的であるということで直結するはずはありません。
オリンピックや世界陸上競技大会の、それも100メートル走やマラソンを、なぜ人々の多くはあれほど興味深く見つめるのでしょう。まあ、新記録が出るかどうかの期待以外に何もないかも知れませんが、自分にはどうもそれだけでは説明がつかないように思えてなりません。あの選手たちは、ただ走っているだけです。歩いたり走ったりという行為は、これほど古いモノはないくらい、昔っからやっていることです。しかし、より速く走るために、人生をすべて注ぎ込んで走る選手たちの姿は、寝ボケた目でボヤッと見ていない限りは、どんなに大勢で走っていようときっと一人ひとり個性的なはずです。こういう運動競技と、歌うことのそれも芸術面においてのことについて引き合い出すのは甚だ無理もあり、歌唱における運動生理学的な部分とだけくらべていると思われて誤解されかねませんが、自分はここにおいて発見した目標は、うまくことばや文章で表わせませんし、またうまくそんな方法で表わす必要もなく、思うように声で表現できていればよいのですが、あえてここに書くなら、今述べたような世界に答えがあると思っていましたし、今もそうです。そして自分以外のメンバーも、きっとそういう基準で他人を評価していると。
誰かが、今までに知らないような演奏をし、驚いて、ただただ唖然としてしまった。一度目は、私たちの目から曇りを取り去ってくれたという点で、ものすごく貴重な価値があると思います。しかし、複数回、それに準ずるスタイルで勝負してきた場合、今度は観る側聞く側が、もう驚かなくなっているのだから、その分、冷静に前回よりも本質を見通してあげるようにしなければいけないと思います。
いつまでも何でもカンでも同じ温かな拍手を盲目的に送るのならば、何を信じてよいのかわからなくなってしまいます。
私たちはまだ、自分がお金を払ってやっと歌わせてもらえる身です。できていなかったときにはそれなりの評価をしてあげられるようにならなければと思います。そして、ここにおいての基準は、絶対あると自分は思っています。変なたとえ話になって申し訳ありませんが、自分は小学生のとき、いやもっと前から大学時代の半ばあたりまで、非常にプロレスリングをよく観に行った時期があります。そうしたなかで、一つの団体が力をつけて人気をあげていく真っ最中の試合内容は、どれも共通してすさまじいモノでした。迫力がなければ話になりませんから、当て身系の技から投げ飛ばす技まで、本当に2階席の後ろまで音が届くくらいに思い切り仕掛けているのがわかりました。しかし、ある程度、人気が落ち着いてしまうと、その頃の試合内容の技やその順序のパターンだけが形骸化されて、気づけばひどいモノになってしまっていました。自分は生意気にも、中学生や高校生の時々、目がひねくれていたせいか、そういうことを割と早く感じとり、どこどこの団体はもうだめだとか言ったりしていましたが、こういう嫌な状態にここがなってしまわないようにしたいと思います。
私たち一人ひとりがしっかり判断して、盲目的に他人をほめ殺したりしないようにしなければいけなかったのに、先にそのブレーキを福島先生にひかせてしまったのではないかと思っています。この集まりのなかのしっかりと取り組んできた人たちだけが、でられるというBV座に先生が来なかったことを、もっと重大に受け止めなければいけないと思います。
ここの歌を聞きたくなくなるようにしてしまったことを、本当に一人ひとり重大に考えなければならないと思います。わたしたちは、みんなあの場では、自分が歌った上で他人のも聞いているわけですから、目の前の人は純粋にはお客さんではなく、唯一の歌わない(これはもちろん、その場におけるごく単純な物理的な意味で)お客様である先生に、20人近くも寄って足を運ばせられなかったのです。その上で「笑っていいとも」の客みたいなのりでやっていられるのは、よっぽどの大物かその逆かのどちらかです。自分はこのことについて、本当に真剣に考えなければ、いままでのことがすべて無に帰してしまうと思っています。
ヴォーカルトレーニングの本を読ませててもらっている内、電車のなかでも読んでいたのですが、理由はよくわかりませんが泣きそうな感覚になってしまったんです。今まで受けてきたレッスンなどにそった文章を読んで「ん、そうそう。これやったんや。」とわけのわからんことを心で繰り返し、トレーニングでのおしりの引き締めのように、精神的にもおしりの穴が引き締まるのを改めて感じたように思います。
自分は今まで数十回、レッスンでみていただき、そしてここに入ろうと思うきっかけになった「ロックヴォーカル基本講座」と今回の本の前編である「ヴォイストレーニング」の2冊の、しかも極めて初めのページの方のトレーニングを元に、自分のメニューを模索してきて今に至っています。そしてそのトレーニングを繰り返していて、決してもうこのメニューは今日で卒業などとばかなことは思えません。
一番わかりやすい例として「息をなるべく長く吐いてみましょう」というようなトレーニングに、終わりなどあるはずのないことは、誰にもわかることだと思います。そして、かなり長く吐けるようになったとしても、その吐いている内容を追求していくところにも、少なくとも今の自分は終わりなど見えません。「ハッ」や「ハイッ」の息吐きにしてもそうです。正直言って、何度か勘違いして「さぁ、そろそろ次のトレーニングに進もうか」などと浮かれて、気がついたら決して体がきつい方向へいってないことになっていたりもしました。
しかし、そんなときは必ず先生に見透かされて、それなりの評価をちゃんと下していただいてきたと思っています。そしてそういうことを何度か繰り返している内に、戻るべきトレーニングが今続けているこれだと思えて、そうして続けています。
今回の本のなかの「…そして半音ずつ上げていく。それができなかったら元に戻らなければなりません。そして、常に目標と今の自分の位置との差を把握していくのです。1レッスンが済んで「終わった終わった」と騒いでいるようでは進歩は望めません。
練習とは、自分で課題を見つけることです。1オクターブ歌えるようになったら、またもとに戻ります。ドの音1音だけでも1時間の練習はできるのです。それができないようではプロにはなれません。」と。
自分は昨年、甘えたことで先生に相談にのってもらいました。まぁ本当に痛かったのですけれども、これとて先生がおっしゃって下さったように、クセにならないように細心の注意を払わなければいけないと思います。そして、もっと効率のよい体の使い方に到達するまでに、まだまだ距離があることを思い知ったときですから、今回の本の、先に抜き出した部分を肝に命じたいと思いました。
今やっているトレーニングを、半オクターブ、いやそれこそ1音で、もっともっと完璧に近づけいけば、その他のどんなパターンのトレーニングも、声に感じてすぐにできるはずです。このトレーニングはできるとかやりやすいけど、こっちはできないやりにくいなどというのは、そのできていると思っている方も実はできていないだけなのですから。そして、次のトレーニングに移るのではなく、他のトレーニングを体の力で巻き込んでいけるように努力を続けたいと思います。
こんなテレビドキュメンタリーを見たことがある。それはハワイのフラダンス大会と、それにのぞむひとりの女性フラダンサー、そして彼女のコーチである男性のフラ研究家のドキュメントだ。番組は、彼女らが大会出場を決意し、実際に出場を果たすまでを描いているのだが、その中にこんなエピソードがある。
フラというのは、我々は観光用のそれしか知らないが、本来、祖先や神、自然や精霊と通信する、たいへんスピリチュアルなもので、したがって伝統というものを大切にする。主人公の女性ダンサーとそのコーチは、ダンスのテーマに、ある島の海岸を選んだ。そこは彼らの民族ゆかりの地で、その海岸の風景をテーマに、踊りを作ろうというのだ。ところが、大会の期日が迫るというのに、もうひとつうまくゆかない。もちろん振り付けはすべて完成し、猛練習を積んでいるのだが、何かが足りない。もうひとつ確信が持てないのだ。やがて彼女らは、自分たちがテーマに選んだその浜辺を訪れてみる。そこで初めて、自分たちの考えていたものと違うその風景に驚く。話に聞いていたものとは違う、伝説とは違う、実際の浜辺の風景に接するのだ。ふたりはフラを新しく練り直し、その海岸で踊ってみることにする。そしてそれを土地の古老たちに見てもらう。意見を聞くために。静かな海岸で、彼女は踊る。古老たちがそれを見つめる。
やがて踊りが終わり、彼女は老人たちに意見を求める。どうだったでしょうか。どうお感じになりましたか? わたしたちの踊り、まちがっていますか? するとひとりの老婆がこう答えるのだ。何も心配することはない。立派な踊りだった。素晴らしかった。何よりもご先祖様が喜んでおられる。お前は、お前が踊っている間だけ、この浜辺の風がとまっていたことに気づいたかね? それはご先祖様がここに来ておられた何よりの証だ。迷うことなぞない。お前の信じたとおりに踊るがよい。その言葉を聞きながら、若いフラダンサーは、ぽろぽろと涙を流す。そしてその背後では、コーチの男性も、目を真っ赤に泣きはらしているのだ。美しい光景だった。彼女たちにとっては、きっと一生忘れられない至福の瞬間だったろう。
テレビを見ていた私も、思わず目頭が熱くなった。そして私は自問する。私は今までの音楽人生で、いや人生そのものの中でも、こんな瞬間を迎えたときがあっただろうか。自分が何故歌うのか。何故音楽をやるのか。それを考えるとき、私はいつもこのフラダンサーのことを思い出す。なぜなら彼女は、自分がフラを踊ることに、なにひとつ疑問など持っていないからだ(表現の内容には悩んでも)。彼女は言うだろう。それはフラがハワイ人にとって大切な伝統だからだ。そして私はハワイ人であり、そのことを誇りに思っている。だから私がフラを踊るのは、当たり前のことなのだ。
自分の芸能についての揺るぎない確信というのは、主に、いわゆる「ワールドミュージツク」系のミュージシヤンたち、例えばキユーバのソネーロ、ブラジルのサンビスタ、ドミニカのメレンゲやアメリカ南部のザディコ、ケイジャン、テックスメックス、あるいはブルーグラスやアイリッシュ・フォーク、ジプシーのギタリストやファドの歌手たち等々…
彼らは一様にこう語る。それはわたしが○○人だからだ。それが我々の伝統だからだ。それをやるのが私の運命だからだ。私が伝統を伝えるのだ。何故私たちは悩むのだろう。いや何故考えなくてはならないのだろう。歌う意味を。音楽することの意味を。
十年ほど前になるが、アメリカのキューバ音楽専門レーベル「SARレコード」が、マニアの間で話題になったことがある。ラインナップのほとんどがいわゆる“ソン・モントゥーノ”という、言わばキューバ音楽の基本中の基本。私も何枚か持っているが、この「SARレコード」、どれもこれもみな、ものの見事な「金太郎サウンド」なのだ。つまり、どのアルバムを買っても、どの曲を聞いても、どこに針を落としても、同じテンポ、同じリズム、同じサウンド。尋常なことではない。だいたいラテン系の商売は、ハナっから工夫というものが欠けているのが相場だが、それでも例えばニューヨーク・サルサなら、さまざまなタイプの曲をうまくちりばめ、メリハリをつけて聞く人を飽きさせないようにするもんだ。ところがこの金太郎レコード。アメリカのラテンシーンでは大ヒットだったのだ。しかも次々発売されるアルバムのほとんどが。なぜこのワンパターンが?!
このことに関して、ある人がこんなふうに書いている。(河村要助≪サルサ天国≫)『これは、アメリカのキューバ人のコミュニティーの中で、日常不可欠なサウンドなのである。これらのアルバムが作られている対象である人々にとっては、いくら聞いてももっと聞きたいサウンドであり…(後略)』 つまりはこういうことだ。キューバ人にとって、“ソン・モントゥーノ”のサウンドとリズムは、生活必需品だということだ。なかったら困るのである。生きていけないのである。つらいときも、悲しいときも、どんなに疲れていても、このリズムで踊れば元気がでる。生きていける。このことに思い至ったとき、私は直感した。「そうか! それは日本人にとっての“お米”(ごはん)みたいなものなのだ」と。
日本人はお米がなかったら生きてはいけない。むろん、そうでもないという人もいるだろう。しかし、たいがいはそうだ。だから「私はお米が好きで」とは、あまり言わない。言うこともあるが、少なくとも「レバ刺しが好きで」とか「ねぎとろが好きで」とか、そういうレベルでは言わない。いくら食べても飽きることはない。毎日だって、なんなら毎食だっていい。あってあたりまえ。なかったら困る。いや、生きていけない。数年前の米不足のときは、もう少しでパニックだった。生活必需品とはそういうものだ。日本人があったかいご飯を食べるとき、しばしば「日本人に生まれてよかった」と思うように、キューバ人は、ソンのリズムで「生きててよかった」と思うのだろう。
ここで私は考える。日本人にとっての音楽とは、お米のように、あるいはキューバ人の“ソン”のように存在しているのだろうか、と。否、そうではあるまい。それがジャズであれロックであれ、演歌であれオペラであれ、日本人にとって必需なものではあるまい。あるいは民謡や、小唄長唄のたぐいだってそうだろう。それを必要としている日本人なんておそらくどこにもいやしない。そんなことはない。ワタシは○○音楽が死ぬほど好きで、毎日聞いている。なかったら生きていけない…・という人もいるだろう。しかし、それは違うのだ。あくまで個人の域を出ない、例えば「××亭のカレーが好きで…」と言っているようなもんだ。日本人は米が…と言うのと、ワタシはカレーが…と言うのでは、どだい意味が連う。個人のレベルではないのだ。カレー云々は、所詮、嗜好品にすぎない。そうなのだ。日本人にとって音楽とは(日本の伝統音楽であっても)つまり嗜好品なのだ。どうりでパッケージばかりはうまく作ってある。産業としても華やかだ。それも当然だろう、本当に必要としている人たちがいないのだから。どんな音楽もあっという問に取り入れて、売れセンに仕上げるセンスは、「シェフのお薦め創作料理」といったところか。
ハワイのフラも、キューバのソンも、みなそれぞれ必需品として存在しているのだ。なるほどミュージシヤン(あるいはダンサー)に、強い確信があるわけだ。フラダンサーの涙は、単に個人の喜びではなく、個人を超えたものと触れあう喜びだったのだ。どうりで私にそんな体験があるわけはなかった。では、なぜ日本人は必需品としての音楽を持たないのか。あるいは、失ったのか。社会思想など、その手の本を何冊か読めば、答えらしきものはいくらでも見つかるだろう。
つまり日本人は、自分たちの文化に冷淡で無頓着だったということになるのだろう。しかし問題なのは、そんな我々日本人が、どうやったらあのフラダンサーのように、自らの芸能に、強いモチベーションを持てるか、ということだ。答えは、ある意味では簡単だ。我々の袋の中には「嗜好品」しか入っていない。それは「生活必需品」つまり先祖からひきついだ文化としての音楽を持たないということだ。言いかえれば、個人を超えるものとの回路を持たないということだ。
であれば必然的に方法はひとつしかなくなる。つまり徹底的に「個」を探り、そこに立脚するしかない。しかし、これは容易なことではないと思う。実際に行なうには。なぜなら「個」と言うものは、たいへんにあいまいでとらえがたいものだからだ。我々はよく「個性的であれ」と言われ、また自らもそう望むが、そのわりにたいした個性にはお目にかかれない。音楽や芸能に限らず、しばしば「個」の自由を大切にする環境より、伝統的な、滅多なことで自由など許されないような環境の方に、よりユニークな「個性」が育つことが多いようにさえ思う。おそらく「個性」というものは、そういうものなのだろう。伝統など、「個」を超えたものに下支えされてはじめて、充分に根を張れるものなのだろう。日本人は「個」がなく、「集団」ばかり…とはよく言われるところだが、本当のところは、支えるものがないから、つまらない、画一的な「個性」しか育たないということなのかもしれない。
私は歌いたい。それでも音楽をやりたいのだ。あのフラダンサーのような至福の時を得ることは至難の業だろうが、嘆いてばかりはいられない。たとえ袋につまっているものが、雑多な「嗜好品」ばかりでも、それしかないのだ。そに立つしかない。そのためには、自分のなかに、深く深く潜ってみなくてはならない。私はどうやら歌いたがっている。なぜ歌いたいのか。何を歌いたいのか。自分のなかに這いつくばって探すのだ。例えばこんな作業を始めている。自分の好きな曲。あるいは好きだった曲を、片っ端から掘り起こしている。ここ数年のものではなく、生まれてからの、だ。
「日本人は生活必需品、つまり先祖からひきついだ文化としての音楽を持たない」と書いたが、沖縄にはあてはまらない。沖縄では、現在でも伝統音楽がいきいきとしていて、それを誇りに思っている人が多い。若いロックやポップスのミュージシヤンと、ベテランのウタサー(唄者=民話の歌手)との交流や共演も多く、音楽的には、本土(ヤマト)より、ずっとレベルが高い。もっとも「ヤマト」とて、ごく地域的には、こうした音楽のあり方が残っているところもあるのではないか。(例えば河内音頭や津軽三味線などはどうなんだろう?)興味のあるところだ。こんなことも調べてみたい。
『この世とみずからの中に、なお混沌としてある、重い闇を抱きながら、あるいはむしろその故にこそ、一切を浄化し、肯定し、確かな唯一のことはソレのみであると思わしめる、深い安らぎに満ちた<美>にあこがれています。』「ある死刑囚との対話」より 。
看護婦をしていると、いろんな声が聞えてくる。同じ人からの真夜中の頻回のナースコール。眠れない、ここが痛い、毛布がずれた、お小水、挙げ句の果てに、お腹がすいたからりんごむいて。さすがにむっとして、他にも患者さんはたくさんいるんだから、もう少し慎んでもらえませんかと言った私のことばに、あんた、それでも看護婦かと答えたその声。アルコールの禁断症状が出て、家に帰る、家に帰ると叫ぶ声。抗癌剤の点滴を受けながら、このままこれでちゃんちゃんなのかな、と言った同世代の声。無菌室から出ることを許されない患者の、ああ、もう一度外の空気が吸いたいといった声。思い通りにならない体を抱えて、自らの不幸をつぶやきながらも、なお生きる意思を乗せた声。心に染みついて離れない声が、ときどきよみがえる。
最初に歌われた歌は、口ずさまれた歌は、悲しみの歌だっただろうか、喜びの歌だったろうか。悲しみを土台として、その悲しみからたち登ってくる喜び、感謝の思いからひっそりと歌われたのではないか。リズムも音程も定まっていないその歌を、涙を流しつつ口ずさんだのではないか。あふれ出るその思いに声をのせたのではないか。歌を歌として感じられないとき、いつも思う。何かが創り出された裏には、それが生まれ出ずにはいられなかった思いがあるのだとすれば、少なくとも、つまらないと思いながらたいした感動もなく創られたのではないのだとしたら、もっと曲の前に謙虚にひざまずき、歌が姿を現わしてくるまで待つべきではないか。自分が壁を作っているがために、歌が姿を現わしてくれないのではないか。
ある曲を示唆され、歌う場所を与えられると、強引にその歌を自分のレベルまで引き下げてしまう。引き下げたことすら気づかず、こんなもんでいいかと自己満足してしまうことを最も恐れなければならない。それでも感動できる歌に出会いたいと耳が探してしまうし、どこか私の全く預かり知らぬところに『美しきもの』が潜んでいるのではないかと、きょろきょろしてしまう。
私の好きな作家に辻邦生という人がいるが、エッセイ、フィクション、歴史物語、ともに好きである。彼は作家として世に文章を出す以前より、いろいろとものを書いていたという。最初のころは感動の高まりを、これだと思ってことばを選びつつ書いてはみるものの、自分で読み返してもどうもしっくりこない、ちぐはぐな感じがする。それでも彼は、文章の鍛錬に、毎日毎日書き続けた。そして気づいてみたら、感じたことが大体の形で即、ことばがはまってくるようになったという。心とことばが近づいたという。そこに至るまでの、地道な基礎の積み上げを思う。日毎と鍛錬は余計なものをはぎとってくれるのだろうか。大切なものを見極めさせ、他を切り捨てる術を教えてくれるのだろうか。
歌には、正確に言うと、歌う人によっては、シュッと引きつけられるけれども、そしてきれいな声だと思うけれども、何かを吸い取られてしまう歌い方と、うまいのかどうなのかわからないけれど、何かを与えられたような気になる歌い方があると思う。最初は私の好みなのかと思っていたが、やはりこちらが消耗させられる歌い方がある。信仰生活においても、『証し』というものをしゃべったり書いたりするが、同じように、文章もまとまっており、そうか、こんな苦労をしてこの人はここまで来たんだというのはとてもよくわかるが、ただ苦労話で、どうも本当の意味での『証し』をしているのではなく、自分自身の『証し』の方が強く伝わって、どうもしっくりこないときがある。そのしっくりこない感じを歌を聞いていても感じるときがある。
こんなこと書くこと自体、非常に不遜なことかもしれないが、ただ自分を表現しようとして表現する以上に、もっと真実の自分を表現する方法が他にあるのではないかということだ。もっと言うならば、表現しようとしている自分のもう一つ奥に、本当の何か『美しきもの』がひそんでいるのではないか。そしてそれに近づくには、大きな自分を抱えていては到達できないのではないか。
私にとってのその『美しき物』を感じさせるエピソードが二つ。一つは、ペテロがイエスに対して、あなたは私の救い主、キリストですと告白し、あなたのためなら命も棄てますと誓ったとき、イエスはペテロに向かって、あなたは今日、鶏が鳴く前に私を三度、知らないと言うだろう、と宣言する。もちろん、ペテロは(たとえ他の人はそうでも)私に限って絶対にそんなことは言いませんと否定する。しかし、イエスが逮捕され、尋問を受けている最中に、周りの人からあなたもあの人の仲間だと言われて、思わずあんな人なんか知らないと言ってしまう。しばらくして、また同じことを言われて、再度イエスを否定する。そして三度目、また同じことを言われて、ペテロはあなたが何を言っているのかわからないと激しく否定する。そのとき鶏が鳴き、イエスが振り向いてペテロを見つめられた。そのときのイエスの目はどんなであったろう。悲しげだったのだろうか、恨めしげだったのだろうか、絶望の目だったのだろうか、いえいえ、私は絶対にそうは思わない。愛情にあふれた慈しみ深い目だったと確信している。
もう一つのエピソードは、その後、その同じペテロがネロ皇帝の時代、迫害の嵐のなかで、多くの人を導きながらも今、ペテロを失っては最後の拠り所がなくなってしまうのでせめて、もう少し迫害の波がおさまるまでどこかに潜んでいて欲しいという皆の切なる願いにおされて、ローマを離れようとしていたときに、ふと見ると、キリストが前を歩いている。思わず、主よどこへいかれるのですかと問うたペテロに『汝、我が民を棄つるとき、我ローマに往きて再び十字架に懸けられん。』と答えたイエスの目はどのような目であったか。なにゆえ、人をうらやみ、うとましく思うのか。なにゆえに、自分を嫌悪し、あるいは我を忘れるほど傲慢になるのか。なにゆえ、あなたを誉めたたえたそのすぐ後に、このようにあなたを否むのだろう。一日のうちで何度、あなたを知らないと拒んでいるのだろう。すべてを見通されたイエスの目には、人の愚かさ、弱さ、甘さ、そのすべてが見えていたと思う。それでも私たちを許し、信頼し、愛し尽くしてくれたその思いに触れるとき、この一つの道を歩むしかなくなるのです。この道しか歩めなくなるのです。その道を歩むことによって、多くのものを切り捨てなくてはならなくなっても、あるいは多くのものを背負わなくてはならなくなっても、その道を歩むしかなくなるのです。それでも愛されていると確信できるからです。そのあふれ出る喜びをどのように現わせばよいというのか。
イエスはその道の歩み方を命をかけて教えようとされた。まことに教える、指し示すということは、己をかけ、ここに己をかけるのだという覚悟をもって導き、恐れを感じながら不安を感じながらも、愛し信頼し、信じて待つことによってペテロという奇跡が起こり数々の先達によって支えられてきたのだとすると、やはりとぼとぼとその道を歩まざるを得ず、このまま一人で終えることになっても喜んでいけると思うのです。ただ、その道を身誤ることのないように。その目の曇ることのないように。ともすれば、自分の思い通りに神の思いを動かしてくれるように祈ってみたり、自分の責任をともなわない空祈りをしてみたり、あるいはもう面倒くさいから背中を向けてみたり、それでも祈らざるを得ず、賛美の歌を歌わずにいられないのだったら、歩み続けるしかないではありませんか。『しもべは聞きます。主よ、お話しください。』
2月の会報を読んで、「学んだこと」という部分にみんなそれぞれ学んだことが書いてある。もちろん過去の自分が“学んだ”ことも。そのことが身につかないのはどうしてだろう。身についていても授業中のフレーズの自分の番のときやステージで出せないのはなぜだろう。なぜなのかどうしてなのかわかっている分、自分に腹が立つ。
自分自身に問うてみる。「本当に歌が必要? それともこれまでその道で食えるようになるまで努力したから乗りかかった船ってやつ?」「どんな歌が歌いたいの?
師匠から『お前は俺にちっとも似ていない』と言われて悩んだとき、それを考えた? さがした?」
一番、基本的なところで自分に正直に答えを探すべきだと思います。40にして惑わずといいますが惑ってそして最初のところ、しかし元の自分とは格段に違うレベルで、またスタートを迎えることはよいことだと思えます。
外人の先生のダンスのレッスンを受けると表現力、表現の仕方の違いを感じる。彼らはしぜんに踊ってる。体の内側も踊っているように見える。私はいかにもつくっているみたい。わざとらしくなってしまう。表面だけで踊ってて奥が中身がなく感じる。何かが足りない、違うんだよぅといつも思ってしまう。
駅からの帰り道で梅が咲いているのを発見!! 一年で一番好きな春がもうすぐそこまで来てると思うとうれしいです。
ぜんぜん関係ありませんが、久しぶりにはいたジーパンがきついのは、きっと気のせいです。
ある人からもらったバースデイカードに“今日この日にあなたが命をさずかったことを神に感謝して”と書いてくれてあった。いざというとき、ふいうちのようにうれしくなることを言ってくれるこの人の存在を、私も神に感謝したい。
通えば通うほど、自分がだんだん素直になっていき、以前よりももっと音楽が好きになり、歌に感動している自分を感じている。通う前の私よりも、自身がついてきた気がする。暗い奴、不器用な奴、それはそれでいいんじゃない。それがわるいこととは誰も行ってはいないんだし、思われなくたっていいことなのさ。これが意味あるのか…なんていうのも考えなくたっていいのよ。意味がないものだったら、最初っからないんだから…。ん、ちょっと歌のこととはずれちゃったケド、最近つくづく、そう感じている。きっと今まで私が過ごしてきた生活やつらいこと、悲しいこと、もちろん楽しかったことは、これからの私にとってぜったいプラスになることだろう…いや!そうさせるのだ。去年よりも、もっともっと素直になりたい、あらゆることに感動していたい。
いろんな人と物からありったけのパワーをちょうだいしたいと思っている今日、この頃です。
こんな私を見たら「20才こえたらもうオバさーん」なんて、絶対言わせないわよ!!<つぎのことばで声をできるだけ長くする>腰から出すというのをイメージしながら出すと、本当にきついです。私の場合は、5秒ぐらい同じヴォリュームで出せればいい方です。一つひとつ、ゆっくりとしたペースでストレッチをしながらトレーニングしています。息だけだと、別に肩も変な力とかが入らないんだけど、声にするとどうも…。声を出すときは息で言ったときの感覚をイメージにしているのに…集中が足りないのかな。
幸せな人にしか人を癒す(幸せにする)ことはできない。傷くいた人は人を傷つけてしまう。哀しい人は他の人と哀しみを共有できる。
はじめの頃、福島先生のおっしゃることばの意味がよくわからなかった。だけど授業中に先生のことばを書きとめて後で読んでみたことがあって、そのとき授業でわからなかったことが、後で読み返すことで理解できたのだ。そのときの感覚がまるで難しいクイズが解けたときのように嬉しかった。それ以来、ノートをつけるようにしている。
負けたくない。自分自身に…。
最近、私は音楽を「楽しむこと」「感じること」を忘れているような気がする。今まで「明日はV検だ」とか「明日は~の授業だ」みたいなことを考えて「やんなきゃ…」みたいな、どっか苦痛を感じていたような気がする。でも、ある日ふっと考えたとき、「なんで私は、自分の好きなことに“ゆううつ”になってるんだ?」と思い、何かこんなのって変だなと思った。今まで、自分の大好きな曲を聞いたときのあのワクワク感とか、ものすごいフレーズを聞いたときのショック感みたいなものを忘れずに、授業のときもそうだけど、毎日の生活にもその気持ちを大事にしていきたいと思いました。
何も言えなくなってしまうほど、スゴい表現を今まで一度も見たことも聞いたこともない。でも今までよいと感じてきたものは、やっぱりその人の生きることへのパワーが伝わってくるものだった。うまいへたよりも“命”だった。きっと私の命からは、今は何も生まれないだろう。それがとても素直な自分への感想だ。
ボランティアを始めた。近所の脳性マヒの赤ちゃんのリハビリのお手伝いだ。タウン誌で募集をしていたので電話をしたら思ったより近くだったので、すぐに行くことにした。うつぶせに寝かせた赤ちゃんの手足を動かす作業を5分やって15分休みを6回(2時間)繰り返すのだが、赤ちゃんの抵抗する力も働くのでけっこう疲れる。一カ月前に始めたそうだが、全く曲げられなかったヒザをときどき自力で曲げることができるようになったそうだ。たくさんの人々が交代で関わっている。一人の障害のある子を多くのお母さんたち(お姉さんも!)がみんなで育てることができるなんて、ステキなことだ。まだ1回しか会っていないが、私もその子の成長を一緒に見守っていきたい。
ある会社の社長さんが“アマはバランスにこだわる プロはバランスにこだわらない”と言っていた。もちろん一つの見方でしかないと思うが、最近そのコトバの意味が理解できてきたような気がする。
「人のことばに惑わされるな」という福島先生のことばが胸にしみます。もっと自分のトレーニングに集中すべきだと思いました。いろんなことを考えなきゃいけなかったりもして迷ってばかりいる。とにかく自分の信じるようにやるしかない。結局はそれしかないのに、うだうだ言っているのは、甘えかもしれませんね。「自分は人の何倍も時間がかかるのだ」と思ってやるしかないですね。/
先生の新刊に「2年で練習の土台にのる」ということが書いてあって「そこでようやくマイナスからゼロになる」とおっしゃっていました。そうか、私はやっぱり急ぎすぎているんだなと思い、今ちょうど1年だからこの倍かけて今より聞けて自分の声を判断できるようになればいいだなと思いました。そのためにも、今は間違うことを恐れなくていいんだなと思いました。
マライヤキャリーがデビューするまで約10年間スタジオにこもりっきりで人前で決して歌わなかったという事実を模範としている、と言い訳をする。
お金を得るためには働かなくてはいけません。何のために? やりたいことをやるために…。でも、そのお金を得るための時間がやりたいことをやる時間にくいこんできて…。だけどそれは言い訳。やっていない自分への言い訳なのです。限られた時間に集中してやることだって可能なのだから。
最近、狂牛病という病気がイギリスの牛たちの間で起こっていて、これが人間に感染することがあるということで、イギリスの議会では10万頭もの牛を殺すことになったらしいですが、まぁ、いろいろな事情があることはわかりますが、やはり“動物の命も人間しだい”なんていう悲しいしくみがあるということが悲しくてなりません。もしこの世のペットが犬や猫でなく、ぶたや牛であったら、彼らの扱いはこんなにもひどくなかったのでしょう。
“オレは切羽詰まった生き方がしたいんだ!”と歌い叫んだのは、レイチャールズであり、ジョーコッカーでもあるが、最近その通りだと思う。
ここでの授業はすべて、歌のための授業であるし表現のための授業だということを忘れていたように思います。発声の訓練でもピッチリズムの授業でも、ただそれをこなすだけでなく、「自分の表現、心」だという意識を持ち込めたら、感じること気づくことももっと多くなるのではと思いました。まだ「自分の世界」がハッキリ見えていない私にとっては、そういう気持ちでいることがとても意味あることだし、ここでも会社でも家にいても、どこにいてもそういう気持ちをもっていようと思いました。
バレエの先生に、がむしゃらにやってもうまくはならない。本当に上達したいのなら、自分をよく知ろうとしなさいといわれた。その通りだ。
布袋さんの音楽雑誌に載っていたインタビューと、大槻ケンちゃんのエッセイと、雑誌「サライ」に載っていた96歳の俳人、永田耕衣さんのインタビュー
同じことが書いてあった。“生まれたからには一人ぼっちでも家がなくなっても悲しくても辛くても 死ぬまでその命を燃やし尽くすこと それ以上でも以下でもない”というようなこと。くだらないことで悩む私は、大好きな3人の表現者の共通する発言に大いに元気づけられた。
ピンクの雲を見た。空がこんなにきれいなんだから、きっと神様はいると思った。
伊達とグラフのテニスの試合 試合というと戦う相手がいて勝ち負けがあってというものだが、今回のこの試合のように、延々と競り合って簡単に勝負がつかないのは、結局、自分と戦っているんだなとつくづく感じさせられる。おたがいがおたがいを刺激しあって、まだ見ぬ自分(限界を超える)を見てやるという気迫と喜びが、それを見ている(観戦している)人を感動させるんだなと思った。その気持ちは、誰もが心に秘めているものだから。
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私が東京に来て初めて見た舞台は、あるダンスのコンクールでした。「聞えますか、私の心」という高校生の作品を見たとき、はじめて鳥肌が立つ感動というのを味わいました。こんな感覚があることにとてもびっくりしました。自分も舞台に立つ方になりたいと思いました。それから田舎にはなかったミュージカルの世界に触れました。この人たちは人に感動を与えるために練習しているんだと思ったとき、とてもうらやましかったです。
それまで私は、陸上の長距離走という記録と勝負の世界にいました。だから、こんな素敵なものがあったんだという驚きと喜び、今まで知らずに触れずにきてしまったという悔しさを感じました。いろいろ回り道してきたけれど、やりたいものをやろうと決心しました。3月からバレエを習い始めて、とても姿勢がよくなり、少し自信がついてきました。今度は声を出すことをできるようにしようと思っています。ここへ来て、先生の声がひびいていることに本当に驚いて、声も磨けばいろんなことができるんだとわかり、自分もがんばろうと思ったのです。
「人生と山登りの関係について」“自分は何をするために生まれて来、そして何をすべきなのか?
あるいは、たった今現在、何をするべきなのか?”等しく人がみな抱く疑問に違いない。山の頂上を見ずにめくら滅法、歩いていては、つい には高みに登りつめることはできまい。しかし同時に“その二歩”“今のその一歩”を踏み出さねば決して高みにはたどりつけまい。人の人生とは山登りに似ている。
たった今ここで、その安逸に身を沈め、楽しさを味わう。それもまた結構。しかしそれだけでは、本当の楽しさ、山の頂上に立ったときの醍醐味、トップを極めたという満足感は得られまい。しかし同時に、山登りの一歩一歩を楽しめなくては、山登りはついにはただ一つのつらい仕事になり果ててしまうだろう。近道、一本道だけが道ではあるまい。道が一つのはずがない。道中にふとたたずんで草花の美しさを愛でてもよかろう。
私は迷っているらしい。真実は常に二つあるように思われるからだ。その二つの真実はお互いにせめぎあい、あやういバランスを保っているように見える。この世に何一つ確かさなどはない。それが人間の世だ。井の中の蛙大海を知らず。されど空の深さを知る。井の中の蛙こそが人生の達人か、はたまた大海に遊ぶイルカが人生の達人か、それは誰にも決められまい。自分がどうした道を信ずるか、それのみが人の人生を決定すればよいのだ。
日記 最近、体をもって確認しつつ、まだいつもできないこと。気を飛ばしてことばを出す。歌を伝える。全身からお客さんに入っていく、気を飛ばす。それは自分自身がクリアで何も自分をとめるブロックがなく、全身が風通しのいい筒のようになってないとだめだ。自分のなかにゴミやカス、ホコリがたまっていては邪魔になって飛べない。他のヨコシマな思いは捨てる。
「伝える」ことだけに全力を使う。何を伝えたいのか、どう伝えたいのか、それによって聞いているお客さんにどんな反応、感応を起こさせたいのか。よく見せたいとか目立ちたいとか、雑念はとにかく捨てること。早く離れた一番後ろのお客さんが、まるで私とすぐ差し向かいで話しているかのように感じてもらうには? 人を楽しませるってホントに大変。捨身の覚悟が要る。自分がしんどいからここでやめとこうとか、この辺にしとこうとか、一切通用しない。他人を楽しませるのだから、自分の苦しさより観客の気持ちを優先させるのが前提。
私はまだ自分の体をいたわってしまう不届き者です。お金をもらった分だけ返せない未熟者です。芸人には程遠い。一人で舞台に風をおこすエネルギーは自分の手で自分のなかからつかみ出すしかない。
偶然、シタールというインドの楽器の演奏会を見ることができた。森岡という日本人が弾いていた。正に「天の声」のような音色だった。音楽好きですかとか、何を表現していきたいですかとか、なぜシタールなのですかとか、疑問は全く起こらなかった。今までここで問われたり自分で問うたりしてた私とは、何て世界が違うんだろう。シタールなんて楽器は初めて見たし聞いたので、それでもめずらしさになぜシタール?って聞いてもよさそうなのに、演奏を見た後は何も言えなかった。ものすごい必然性をしょってるように見えた。
少し話したけれど、高知の田舎かインドで生活してるので、大阪の人ゴミを見て「こんなに人がたくさん集まってて、今日はお祭りでもあるんかなと思った」って言ってた。お好み焼きを食べる普通のおじさんだった。彼の演奏は、自分の心のなかの神様にひざまづいているような神聖さにあふれていた。私は自分のなかにつもったホコリが掃除された気がした。
「顔」 庭で育てたアマリリスが、血の色をして巨大な花を咲かせた。育てたといっても、朝早くに水をたっぷりやって、あとはじっと見つめてあげるだけ。私は±リリスが、血の色をして巨大な花を咲かせた。育てたといっても、朝早くに水をた っぷりやって、あとはじっと見つめてあげるだけ。私は、わざとらしい寄せ植えなんて嫌いだから、雑草も育って伸び放題なのに、アマリリスは人の顔の大きさくらいになった。以前、特殊なレンズで花の芯をアップした写真を見たら、あまりにグロテスクに美しいので、花の本当の顔を見たような気がした。どんなに小さな雑草についた花でも、よくよく見れば外見の可憐さとはほど遠い。不気味で艶めかしい顔をしている。花のトゲなんて、ちょっときつい化粧をしているみたいなもんで、見かけの派手さや色合いも関係なくて、本当はこのいやらしさが花を美しくみせているんだと思う。私はいつもドキドキして鼻先をつけてのぞく。花屋さんは咲きかけがきれいだからと、いつも蕾のものを渡してくれるけど、私は咲きすぎて開ききってしまった無防備な花の方がずっと好きだ。潔いから。ぎりぎりの命だから。
子供の頃はすべてのものが「顔」に見えて向かってきた。私は、そういう目をなくしてしまった。空には顔が浮かんでくるから、星はちょっと見上げるだけじゃだめ。庭にころがってじっとしていないと。自分の身体が空に向かって浮いていく気がしてくると、普段は決して見えないようなごく小さい星まではっきり見える。そして星の向こうに、大きくいろんな人の顔が浮かぶ。声が聞こえる。すると、ことばではなくて魂が会話するんだということが信じられる。私はその声を信じることができる。だから私は恐れない。
友だちは、心から望んで子供を生んだ。月が満ちる前に8ヵ月あまりで生まれたその子は、口唇口蓋裂という障害をもっていた。体重は1500グラムにも満たず、口の真ん中から鼻にかけて裂けているのでミルクもろくに飲めない。手術を繰り返せば、成人する頃にはよくなるそうだが、この障害がつらいのは、赤ちゃんの顔に障害が見えることなのだという。一歩、病室を出れば化け物を見てしまったかのような視線を浴び、その悔しさが今、私を生かしているのだと彼女は言った。私はこの友だちの子と同じ障害をもつ超未熟児を見たことがある。保育器に入れられ、移動するところだった。赤い小さい肉の塊。でもその子の顔を見たときに、挑戦的な誇らしさを感じて私はひるんでしまった。かわいそうな子にしてしまうのは周りなのだ。これはいたいけな小さき者なんかじゃない。かわいそうでなんかない。傍観者になり逃げ回って生きている、または死んでいる恥ずかしい私の顔を正面から見据えているような強さ、生きているんだと誇らしく言い放っているような力。高笑いさえ聞こえてきそうな、そのくしゃくしゃの顔を私は忘れない。
無表情というのは、いつかテレビで見た、子供時代にいじめを受けて社会生活ができなくなり、家に引きこもって過ごしているという、あの若者たち。顔立ちは大人なのに、ぽかんとして表情がない子供なのだった。親に虐待されている子供が示す症状の一つに「凍りついた凝視」というのがあり、痛いはずなのに無表情のままになる。それは自己防衛本能だそうだ。ぞっとした。どこかで見たような表情、彼らの顔は私がいつもしていた表情。私の周りは誰も気づかなかった。私は生き生きと充実して生きてますという仮面をつけるのが天才的にうまかったから。いじめとか虐待という明確な理由はなかった。道徳的なことを、さも道徳的にしゃべって安心するという種の、心の無表情だった。
人がむしゃむしゃものを食べる口もとを見るのが好きです。ばりばり噛んで飲み込むとき、たまらなく親しみを感じるので。
目つきがきついとか、とっつきにくいとか言われます。そんなこと言われても、笑えって言われても、目をつり上げて何度もコケながら歯をくいしばって走っているようなときに、どうやって笑えっていうのよ。
どろどろになりたい。気違いになりたい。毒々しくなりたい。それができない半端な自分の気弱さを憎んだり、救いようがないなんてうじうじしながらも、のたうち回ることを望む。地に落ちて地底にめり込んだような気がしても、のたうち回るってのは、こんな程度のはずがない。これじゃ話にならないと思うと、どうにでもなる。無表情だなんて嘘だ。自分を壊し、いけないことをしましょう。鏡のなかの顔は険しくても、その奥に潜む魂が震えることを知りたいのだから。
走ることを初めて半年になる。その前は歩くことを続けていた。小さい頃から体力のなさでは群を抜いていた俺だった。 あらゆる病気にかかりつくし、いつもいつも劣等感の固まりだった。神様は不公平。世の中は弱肉強食。それは、間違いようのない事実だけれど、じゃあ逆境に泣き続けて終わればいいのかと自問自答ばかり。そうじゃないだろう。ここという機会を得て、自分の色を塗り替えるチャンスだと気づいた。人に比べて2倍も3倍も意気地のない自分を、人の生き方はそれぞれなんていうことばでごまかしてきた。もうやめろ。てめえの一生をそんないじけた根性で終わらせる気か。そんなふうに言うもう一人の自分に「いいや、違う!!」と言うことができた。走ることになんて全く縁がなかった。
ただブレスのトレーニングには体力が必要だし、何をするにもそれがないと話にならない。人に何かを与えるためにパワーがいる。自分より怠けている人間に誰も耳を傾けはしないだろう。人より強くあることはなんてしんどいことだろう。でもそれを続けられないのなら、へたに夢なんてことばを使わないことだ。別に手段にはこだわらない。具体的に必要なことから始めようと思った。自分に必要なことさえ手に入れられない人間が何を語れるのか。そう叱咤しながら走る。まだまだ思うようにペース配分ができないし、3日続けて走れば死人のような顔をして「しんどいー。」と愚痴をもらしてばかりいる。でもいつか、学生の頃にはクラス中でいつもビリを争っていた自分が、1番になれる日を思って走る。
ここは基本的には技術を勉強するところだけど、そのなかで自分をどう描いていくかは本人の責任だ。一所懸命にやっていれば必ず報われる?
そんなふうには思わない。でも何もしないよりは「マシ」なのだ。同情も偽善もないよりはマシなのだ。
みんなが馬鹿にして鼻で笑うようなことを、自分でも「絶対無理」という言う名前の箱に入れていることを引っ張り出してやろうと思う。それができたとき、ここにいる意味が成立する。鏡に映る自分に指を突きつけて「ほら! 負けなかっただろう、ざまーみろ」と言える。そのとき他の誰よりも俺は強くなっているはずだ。そんなふうに考えさせてくれた、ここにとても感謝している。心からのありがとうを言います。
今、山林のなかにある小さくて誰も人がいない神社の前にいます。都会にいると、もう今が春で次に夏がやってくることなんて全然わからないくらい、時間というものが早く流れていってしまうけれど、こういうところにいると、今が春なんだということをつくづく感じます。たとえば「ホーホケキョ」と鳥(ホトトギス)が鳴いていたり、モンシロチョウがとんでいたり、名も知らぬようなきれいな花が咲いていたり、なんかとてもなつかしいタンポポがとても気持ちのよい花だと感じられたり、猫が陽射しを避けて日陰をとぼとぼと歩いている姿を見ると、ああ、もう夏になるんだと感じる。なんか日本ていいところなんだーと感じます。そして日本には、日本の山林にはやっぱり神社が合うなと思います。
フランスなどには教会が似合うように、この日本という大地には神社がよく似合う。それと同じように音楽というか特に歌にも、その土地や国のしぜんや生活が合う歌というのが、根本的にはあるのだと思います。たとえば、アマリアロドリゲスの音楽(歌)を、そして声を聞いていると、ポルトガルの人々や家々や稲というか小麦畑が一面に広がっているイメージを抱くことができるし、フラメンコなどを聞いても、スペインの人の生活や闘牛などを思い起こす。
その国の土地や自然、特に生活はどんどん変わっていくので、歌も変わって当然なのかもしれないけれど、今、僕がいるような神社や山林がまだ残っている限り、そして先祖がこういうところで暮らしていた事実がある限り、その土地に合う歌という音楽は存在していると思う。
だからといって、日本に似合う音楽が演歌だなんて全く思ってもいないし、現に今僕が座っているこの土地から縁かの音なんてまるで匂いもしない。ただ水の流れる音と鳥の鳴く音と虫(特にはえ)のやっかいな音と、ほんの少しの車の音だけがあるのみである。最近、鳥の鳴き声なんて聞く心の余裕なんて全然なくて、狭い心でしかいなかったけれども、こういうところにいると落ち着けるし、自分がやらなくちゃいけないことが見えてくるし、いろいろ考えられる。
孤の中から 生めるように
明るく、力強く、優しい何かを
発せられるように
もう一人の私へ
いつも 伝え続けたいものを
創り出せるように
届けられるように
“I don't understand”
“But”
“I can feel it”
そんな何かを
生めるように
のどは枯れてる
体もくたくたなのに
心が眠れない
命が叫んでる
この悲しみを伝えて、と
この愛しさに気づいて、と
憎しみもいらだちも
刃物のような心も
すべてを越えて
歌って欲しいと
命を感じて欲しいと
愛して欲しいと
愛せるはずだと
眠れない
鼓動だけ聞こえる
炎だけが見える
命を枯らして
叫べ、わめけ
泣いてみろ
怒鳴ってみろ
生きた心を見せろ
生きた己を感じろ
生きよ!