くさい芝居、気恥ずかしい歌 291
多くの日本の舞台やステージをみて、私が感じてきたことの大半は、
なんて、くさい芝居か、気恥ずかしい歌かということである。
特にミュージカルなどを見た日には背筋がゾクゾクしてしまい、
腰も厶ズムズとしてしまう。
出演する人が必死に練習してきたことを
よそからどうこう口出す必要はない。
見たい人が見にいき、
満足すればそれでよいのだろう。
しかし、トレーナーとしての評を求められるならば、
この感覚は、つくられたものが、
つくられたままのところで出てしまっているから、
リアリティを勝ち得ていないから、
真正面にみられない。
特に、声に関しては、いつも幻滅させられることが多い。
つまり、身体で体現できていないのである。
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理論の必要性
歌や芝居に必要な声は、少なくとも日常に私たちが使っている声とは違う。不特定多数の人に同時にしっかりと内容を伝えるために鍛錬された声が必要である。
かといって、日常から全く離れた声ではない。
それなのにいかにも稽古でトレーニングしている声の出し方や発声練習のような声で舞台やステージをやっているから、却っておかしくなる。
いうならば、日常の声がとてもよい人のような声を出せるようにすることだと思えばよい。
日本人のなかにはそういう人は少ないが、海外へいくと日常の声が素晴らしい人がたくさんいる。それをめざすのである。
それを短期に最も効率よく習得するトレーニングこそ、真のヴォイストレーニングなのだ。
なかには、自らの感性をもって、独習で得ていく人もいる。
ごくわずかだが、才能に長けた人は、自らトレーニングを発案し、ものにしていく。
声などは卜レーニングしなくとも、歌っていればしぜんとよくなると豪語するヴォーカリストもいる。
しかし、そういう人の声についても、多くの問題があるし、
かりにヴォイストレーナーを利用したら、
より大きな成果があがったであろうことは、言うまでもない。
ましてや、普通の人にとっては、知識や声の習得、トレーニングのやり方を学び、
実践することによって、その人の体に適した日常のトレーニングを発見できるということは、
なかなか一人でできるものではない。
トレーニングは、体を動かして行うのであるが、
それが何のためにどう役立つのかをしっかりと理論で支えておいてこそ、
大きな効果がでるというのが、私の考えである。
なんであれ理論は後付けのところも多いので、
信じない人は、徹底的に疑い、また自分なりに代案をつくっていくとよいと思う。
所詮、恐れるべきことは、理論に実践のトレーニングが伴わないこと、
その状態での理論倒れであって、理論がどう変わろうが、成果がでればよいと思う。
理論自体に対して、さして重きはおく必要など、ない。
トレーナーは、立場上、効果を出すため、普遍的な(一般的にわかりやすく、ある程度の効果が保証されるということで)理論が必要だが、各人にとっては自分に通用する(最大の効果をもたらす)トレーニングがあればよい。迷ったときに、その考え方があるのが大切だから、理論なのである。
従って、こうした理論も自分のベストのヴォイストレーニングをつくり出す叩き台として、ご活用願えればありがたく思う。
何もないよりも叩き台として、まがりなりにも一つのヴォイストレーニングの理論とその実践者が効果をあげている実續は、ーつのシミュレーションとしては、大いに参考になるからである。