レッスン課題曲 293
『ばら色の人生』『枯葉』
多くのプロのアーティスト(よいのも悪いのも)の歌があります。よく聽いて、同じ曲で勝負できるカ、応用力を、そしてどんな曲がきても自分なりにもっていける力をつけてください。
その力は基本ができていないと出てきません。自分の持ち味だけ、つまりど真ん中に球が来たときだけしか、ホームランが打てないというのではまだまだなのです。基本の上に応用力をつけてはじめて、いろいろなことができるのです。
一曲の歌の中から、一つ気づく人より、十気づく人の方が学んでいることになります。体については、使えている人、使えていない人がはっきりと見えます。
息は思い切り体から吐くと、それだけ入ってきます。使うとそれだけ反動がきます。そういう生身の体で捉えてほしいと思います。
感情も生にして外に出してほしいと思います。ここではあまり着飾らないでください。今は、裸になったものが勝ちです。服装を野暮ったく重ねてしまうとあとで動けなくなってしまい、伝えるものがなくなってしまいます。
人間を感じさせたら勝ちです。なかには人間を越えてそれ以上の存在になるような人もいます。息づかいが聞こえる、声が聞こえる、そしてしぜんに体が自分のところによってくるというような身体感覚が大切です。
これが、時代と共に失われつつあるようです。ものすごいプロのヴォーカリストより、その何倍もの値打ちのある「かけがえのない一人の自分」がここにいる、という次元から出発してほしいと思います。
ステ—ジに立ったら変わらなくてはいけないのです。「待ってました」という感じを湧かせるぐらいでなくてはいけません。それが実績です。
ここで皆を湧かせるくらい、実績を重ねてください。
そうしたら、ここもステージと同じ、いや、それ以上のものになります。本当のライブは外でなく、内に求めなくてはなりません。今の日本のライブハウスなど目標にするなと言いたいくらいです。
自分のなかで問題を見つめて凝縮してください。そしてステージ実習では、思い切り開放してみることです。たかだか二十人くらいでも(一人でも相手がいれば、コミュニケーションの空間になる)、その相手に対して働きかけができないといけないのです。
多くの客がいるから頑張るのではなく、一人でも相手がいるのなら、その空間の中で何が変えられるかを考えましょう。これだけよい客のいる場所というのは他にありません。ライブハウスに行っても、まともに歌を聞いてくれているわけではありません。あなたのがんばりを賞賛されて、終わりでしょう。
皆さんは客であり、アーティストでもあるのですから、単に感心していてはいせん。よいものをどんどん入れていきましょう。
お客さんの中には辛い想いをしてきた人もいるかもしれません。そういう想いに対して、何かを伝えていくというのが根本の姿勢です。
ここには世界中の誰よりも一所懸命やっている人、生きている人がきていて、自分はその一員だと胸の張れる場にしてほしいと思います。
この場にたくさん与えた人が一番得をします。
ここに宝探しに来ても、むだです。宝は皆のなかにあります。それを自分で磨いていくのです。
それを他の人に与えていくことです。
それで損をすることはないのです。それを歌で与えるのが、ヴォーカリストではありませんか。☆
自分が与えることによって自分が一番勉強できるのです。そうして得たものは絶対に失われません。ジャズやゴスペルをジャンルといったものも部分ではなく全体として捉えてほしいと思います。
その歌い手を通じて、一つの歌の世界や人間の世界のような大きなものを見てください。
印象派の絵を単に風景画として捉えるのではなく、そこに凝縮されているものを見抜くことです。
どこで歌おうと、私たちには日本人というルーツがあります。何かを伝えるため、ここをつきつめてほしいと思います。
歌のなかにはその人の一つの人間観や世界観がみえてくるべきです。
ここで一回こなせたというだけでは、自分のなかで高まっていくものもなく、前と変わりません。
それでは、歌い続けるのに疲れてしまいます。目には見えなくても、昔とは比べものにならないほどになっていれば、自分のなかで実感としてつかめてきます。
人間としての勝負どころを、歌や音楽を通して表現するわけです。ここまでやってきて、できたものをまた壊してみることです。それを恐れてはいけません。それが創造の苦しみであり、そこから生まれたものをみるのが楽しみなのです。
これまでやってきたことは、壊していくことです。全て壊しても何か残ります。それを手掛かりにして、またつくりあげていくと、創造のパワーが大きくなっていきます。
五十できたのなら五だけ残して後は壊す。そして次はそれを百にする。残っていく1割の部分こそが、確実なものなのです。☆
どこの誰よりも、一所懸命やっている人だけが集い、ここを本当の意味でのア—ティストの活動拠点(ホームタウン)にしていってください。
一人のアーティストが全てを麥える、そんな人が数名いたら、日本のヴォーカル界も変わります。
それであってこそ、皆が必死に実力をつけていく意味もあるのです。
おたがいの価値観を認めあい、ここで認められたら、世界に通じるという次元で(少なくとも、そのへんのライブハウスなど超越して)、切磋琢磨して、本物となっていって欲しいのです。
考え、思想、精神は本物のアーティストと同じ、一流のヴォ—カリス卜の感じ方をもてるように、がんばってください。
331219
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課題曲レッスン 「アンジェリータ」
『アンジェリータ』
アンツェリー夕 今も呼ぶよ
アンジェリー夕 アンジェリータ
アンジェリータ いずこ行きし
アンジェリータ アンジェリータ
1.月だけが輝く夜の大地を
われらつわものが敵前上陸
われらを迎える青い月の中に
貝殻を握りしめて泣いている女の子
※アンジェリータ 今も呼ぶよ
アンジェリータ アンジェリータ
2.つわものは夜明けに進むアンツィオ
われらの行く手に朝の太陽
われらを慕って共に進む子供
楽しげに歌いながら歩いている女の子
*(くり返し)
3.音もなくわれらは進むアンツィオ
辺りのしじまが突然破れた
われらが見たのは血にまみれた子供
固く握った小さな手には四つの貝殻が…
*(くり返し)
アンジェリータ いずこ行きし
アンジェリータ アンジェリータ
アンジェリータ アンジェリータ
アンジェリータ アンジェリータ
「アンジェリ—タ 今も呼ぶよ(シラソソ シラソソラシ)」
アンジェリータという名前は、外国語だからといって発音が難しいわけではありません。アンジェリータのリータに特に気をつけなければならないようです。
「アンジェリータ」を一つの流れの中に入れて表現しましょう。これは、まずはことば上の問題です。シラッソになっていて、上から入るわけですから、そのまますぐ入れると思います。
音の質感をキープすることも大切です。今ここでやることは声でことばを伝えようとするときに、それ自体が感情表現として生きることです。口先で上のほうに逃げていくと、発声ばかりしか聞こえません。何年たっても何も伝わらない歌にしかならないのです。
この曲は反戦歌ですから、反戦気分を出すとまではいかないまでも、必ずその中に感情がなければなりません。
ことばだけで伝わるのなら、「アンジェリータ」一言でいいのでに、なぜ歌わなくてはならないのかということです。わざわざ「ア〜ンジェ〜」と伸ばすわけですから、音楽にするときにはそこに当然パワーをもってこなくてはならないわけです。
ことば一言で言ったときより大きなパワーがそこに必要なのです。体がついていて、それと同時に感情が伝わる、そこまでできて、基本レベルということになるでしょう。それから音楽的なセンスをもってアンジェリータという中に何か違う呼びかけ方を見いだすという課題に取り組んでいって欲しいと思います。
自分の最高域の最大音までできたらオクターブ下げてやってみます。のどに負担をかけると痛めてしまいます。ことばが生きて聞こえる人は少なく、基本的に発声以前の問題が多いようです。
ことばのところできっちりと「アンジェリータ」と出せるようになるまでは、歌に移らないことです。
合唱団のように口先で遠回りに歌らしくつくろうとするより、「アンジェリータ今も呼ぶよ」で、どういうことが伝わっているかを知り、それをしっかりとさせるごとが歌の上達の秘訣です。たかだか三度ですから音程がとれないということもないでしょう。
多少、緊張感が伝わる人がいても、八割方は何もそこには出てこず、間合いか悪い捉え方をしています。一つの課題を与えられたら、自分なりに加工してセンスを磨くことです。
ジャズやブルースをやるとわかるのでしょうが、「ア〜ンジェリ〜夕〜今も〜呼ぶよ〜」という、均一的な歌い方はことばで伝えるべき感情を全て壊してしまいます。
朗読でも、いま/も/よぶ/よと一本調子では言いません。音にとらわれないようにしましょう。
「ぶ」「よ」「も」は口のなかでこもりやすいようです。
日本語の助詞の使い方は特に難しいので、演歌なども参考にするとよいでしょう。音声やフレージングやセンスは、ゴスペル、ブルース、へヴィメタなども聞いて磨きましょう。「いまもお呼ぶうよお」ではなく、「いまも、呼ぶよ」です。そういう日本語の処理の仕方を覚えていってください。
「アンジェリータ いずこいきし(シラソソ シラソソラシ)」
これはイ行の練習です。フレーズをいくつかのバウンドの流れのなかでいかしていくとよいでしょう。
「アンジェリータ 今も呼ぶよ アンジェリータ(シラソソ シラソソラシ ラソファファ)」
統一した音色をキープするなかで流れを失わないこと。さらに組み立て、立体的にメリハリをつけていきます。あまり細かく小さく区切っていくことより、どこで大きく出し、聞かせるかを考え、そこにことばの関わりをどのようにもっていくかをイメージすることです。それができれば、単にフレーズを全部つなげても歌として聞かせられるレベルにはなります。
「アンジェリータ今も呼ぶよアンジェリータアンジェリータアンジェリータいずこいきしアンジェリータ」(シラソソシラソソラシラソファファラソファファ)
音楽的に処理して、ことばが区切られ別れる場合は別ですが、この場合はことばが四つのフレーズで別れすぎないようにしてください。
「月だけが輝く(ドドド ミミミ レ ドドド)」
言葉がしっかりと体から言えた上で処理していきます。
表現としては、フレ—ズの中で「月が出てきて輝か」ないと、どうしようもありません。
「夜の大地を(ドドファ ドレミミ)」
「オーオー オーオー(ドドファ ドレミミ)」
「オーオー」のところはうまく処理しないと口先で軽くなってしまいます。お腹からきっちりと切ります。ここは低音部もどこまで太い声で言えるかが問われます。あまり音符にのっかっていかないことです。日本語的に処理していかずに、しっかりした声しっかりとしたイメ—ジでもっていくことで。そのなかで日本語の特聲つかんでいってください。
英語で歌っている人もいますが、外国のヴォーカリストの英語での感覚と違い、口先だけになってしまっている人が多いので、注意してください。
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「ばら色の人生」(La vie En Rose)
「あなたゆえのわたしよ〜(ミミレ ミミレ ミミレファミ)」
これは「わたーし ゆえーの あなーたよおー」にならないようにしてください。
「わたしゆえのあなたよ(ミミレ ミミレ ミミレソ)」
「あなたゆえのわたしよ わたしゆえのあなたよ」
そのまま音を日本語に当てはめられません。楽譜に当てはめて歌うより、自分なりに加工してください。四つにぶつ切りにして単調にならないように、一つの流れに入れて統一感を出じてください。基本的な攻め方は三つあると思います。
ことば メロディ センス。
「あなたゆえ」とことばで言ってから、次にメロディをつけてみましょう。レベルによって、メロディを切り気味にしてみる、少し伸ばしてみるといった段階を踏んでいくとよいでしなう。
聞いている人は「あなーた」や「ゆーえ」と流れていないか、「あなた」の「た」が言えているか、ことばが一つのフレーズにはいっているかどうかなどをチェックしてください。
もう一つはそこに体が見えるかどうかということです。体から出せる声をなるべく生かし、その感覚を一度つかんでおいてください。言葉は、例えば「ババボビブ」でも「ララレリリ」でもいいのですが、同じ太さで音声を統一しなければなりません。
一つの言葉を繰り返してやってみるのも練習になります。
例えば「あおいあおいあおいああ」などのようにして、完全に体で引っ張ってみることです。この場合も、ぶつ切りにならないように、また、上に流れていかないようにするなどの点に注意してください。
体でつかんでおくことです。体をトランペットのように思い、音声(声音)だけで勝負できるように捉えることです。声、ポジショニングは、とても大切です。「ハイ」「ララ」でやっているところでもっていくことです。
皆さんは、はじめの「ラララ」で息も体も使いきってしまい(あるいは使えないままで流し)、残りの部分を上のひびきを使って逃してしまっています。そのため、聞けないものになっています。たかが三度のなかですから、声を完全にものにしておかないと、それ以上の音域にいったときに全て、口先だけのものになってしまいます。
それなりに、体も練習で強くなっていくはずです。強くなるような歌い方をめざし、トレーニングを積んでください。この音にきたときになぜ自分がだめだと言われるのか、今はわからない人もいるかもしれません。
そういうときは、外国人のヴォーカリストをよく聞き、あわせて歌ってみてください。音のヴォリュー厶感や厚み、音質(太さ)などが、はっきりとわかるでしょう。あるいは、日本語歌唱との違いを見ます。
ヴォイストレーニングは、ステージの上の表現とは違います。プロとしてふさわしい卜レーニングの前の、プロとなるためのトレーニングです。歌いこなす前の歌をつくる、声や息を充分に使い切って、一つのものにまとめるトレ—二ングです。
歌には、もっとひびきやいろいろな脚色が必要になってきますが、それを行うための絶対に必要なべーシックな部分は同じだということです。