一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

ステージ実習コメント      294

ステージ実習コメント      294

 

 

「枯葉」

「バラ色の人生」

 

ここでは、内面を磨き、力をつけるのに全力を傾けるトレーニングの場です。

いずれ、劇団のように、テーマをもって、そこから全てが始まるというスタンスをとっていきたいと思います。

最近、ここに来ればすぐうまくなるという『噂』が、でまわって誤解が生じているようですが、二年ですべてできるようになるなど大きな間違いです。ニ年たってやっと練習ができるようになるのです。

 

今日は比較的良かったです。あまり期待していないと、案外見れるものですね(笑)。

自由曲も課題曲も、いつも皆がどうしたいのかが、あまり見えません。今日は、方向性が見えてきた人もいます。でも、どうしたいのかが分からない人の方が多かったような気がします。

 

そこは、私がどうこう言うことではなく、時間をかけて、自分で見つけていけばよいと思います。「こうすれば売れる」というものに合わせるようなヴォーカリストをつくるつもりはありません。

一つでよいので聞かせどころが見えてくればいいのです。

 

ここのグループレッスンでは、主に4フレーズくらいしかやらせていませんが、その4フレーズができたら、全部もっていけるのです。一つもないよりは一つはもっていなくてはならないということです。何度も何度も練習をして、本当の聞かせどころを完全に修得してからではないと、歌は落ちついてきません。

 

この実習では、流してしまわないことです。ステージでは、流す歌い方もありますが、カラオケみたいに歌うのはよくないのです。

今は練習期間中ですから、もともと完成度は期待していません。うまくまとめて無難に済まそうというよりは、冒険をして、ぶち壊して、次のきっかけを見つけようという立場で取り組む方がよいと思います。

 

音程やリズムが狂ったりすることは決してよいとはいえませんが、ここではそれ以外のものに関して、各人のいいところをできるだけ出しましょう。

 

何か伝えようと、人前に立つときは、表情や目線にもっと気をつけるべきです。皆、自分だけの世界で完結してしまって、見ている人を構っていないという感じがします。今のところ、歌は、見てもらうのではなく、見せつけてやるものであってよいと思います。

 

ヴォーカリストには、検定などないのです。なのに検定されてしまうというのは、見てもらうという立場に立ってしまっているからだと思います。

人間と人間、しかも、歌い手と観客ですから、見せつけてやるべきです。客をひきつけて離さないという欲が全然見えません。それぞれのステージでは、やっているのかもしれませんが、検定に出ないというのはおかしいです。検定と感じさせない表現を出せばよいのです。もっと執念をもち、念をこめてください。

 

 

課題曲が終わった瞬間に、そのまま、すぐ自由曲に入れるなどというのはおかしいのです。一所懸命やったら、全く違うものを歌う場合、その間に何かを変えないと歌えないはずです。それができてしまうのは、結局、どちらも歌えていないということです。

自由曲は好きな曲、自分で選んだ得意な曲なのですから、「ようやく自分の時間だ、ここからが自分の世界なんだ」という景色が、見えてきてもいいと思います。☆

 

課題は、『枯葉』や『ばら色の人生』などのように、しばらくはシャンソン、ジャズ路線でいこうと思います。これらの曲を一生歌っていこうという人はあまりいないでしょうが、これらの曲から何かを学ぶかは大切なことです。比較することで学びやすくなるでしょう。

 

歌は、芸であり、アートですから、一曲、二、三回歌って仕上げたので、早くできて得したというものではありません。かけた時間の分だけ得をするのです。

こなした曲数ではありません。一曲にかけた時冏が多ければ多いはど、他の人には見えないことに気づいてくるはずです。そこに執念が宿るからです。

今は、たった一度のステ—ジ、一曲のために、一年近くかけることです。じっくりと準備してほしいと思います。

 

自由曲でさえ歌詞を見ながら歌うというのでは、評価以前の問題です。それで聽いてくれる客はどこにもいません。客を引きつける努力をする前段階として、用意すべきことはきちんとしなくてはならないと思います。

 

歌のメリハリに関しては、ピアノに乗るのではなくて、ピアノを引つ張っていくような感覚をつかんでください。一流のヴォーカリス卜を見るとわかると思います。

流れについてもそうです。息は吐くとしぜんに入ってきます。

声も同じです。表情も思い切りつくると、次に反動が生まれます。☆

 

仏頂面の日本人ですから筋肉が動きにくいでしょうが、客は、まず表情と衣装を見ます。衣装までは言いませんが、表情くらいは、もっと磨くべきだと思います。顔をもっと柔らかくしましょう。ルックスどうこうではないのですが、みばえで決まる所もあるからです。

 

課題にあった二拍三連を覚えるのに、カウベルをコンコンたたくことも有効ですが、いろいろなジャンルのものを多く聞いて、つかんでいくことが大切です。たたいて覚えただけでは、声の表情や、質感は出てきません。

 

コードがマイナーからメジャーにかわりますが、それも、多くの歌を体に入れて聞いていたらしぜんとできてくるものだと思います。マイナーには弱い人が多かったようです。

 

形として覚えていくべきこともありますが、それだけでは、固まってしまいます。ヴォーカリストには、少しのくるいは許されますから、その範囲内で、より大きく表現することを考えましょう。

 

歌とは、どういうものなのかを考えてみてください。

あなたがヴォーカリストなら、一声を発したとき、一曲の歌の中で、何かが起こらなくてはなりません。

日常生活では感情をむき出しにすることはあまりないでしょうが、スタジオでの感情表現くらいは、早くできるようになってほしいと思います。

 

歌詞なども書いてみるとよいでしょう。単に数行ではなく、その裏に何百枚も重ねられるくらいの想いがあってほしいと思います。

どんな歌も、一度壊して、もう一度自分なりに置き換えることをやってみてください。

そうしないと、日本語の場合は、曲に乗っかってしまい、ヴォーカリスト不在になりがちです。あなたを、あなたの想いを伝えてください。

 

ーー

 

同じレベルの人たちとトレーニングができる方がいいと思い、グレ—ドをつけました。あくまでも、今の時点で相対的に決めたものです。

練習をさぼったり、声が出なくなってきたら、落ちます。気にせず、またあがってきてください。

実力や意欲などのほかに、在籍期間や出席日数なども考慮しています。それは、コメントが理解できる程度の差です。

 

所詮、大した差ではないので、「なんで自分はここなの。」と思わないでください。声のみ出る人、歌いこなしだけうまい人などというふうにそれぞれの持ち味を見て、足りないところをより効果的に習得できるようなグレード基準にしていきたいと思つています。

 

音程の問題では、単に音程だけが合っているのでなく、そこにいかに質感を入れられるかということです。音程やリズ厶を崩してはいけないのですが、そこに何かを加えるということについては、全くできていないと思います。これこそ、声を身につけなくてはできないことなのです。

 

二年近く出続けている人は乗り越えてきたものがある感じがします。上司がバカなときほど部下は育つものです。ここも、福島英のV塾ではなく、私などあてにせずにがんばってほしいと思っています。

グレードというニンジンに皆が寄ってくるのではどうしようもないのです。真剣にアーティストの実験場として利用してください。お互いでの切磋琢磨の場、私が存在感がなくなるのが、最良なのです。

 

 

 日本人のヴォーカリストの場合は、声が出てもいろいろな面で考えなければならないことが山ほどあるのです。声や音楽的基礎のほかの、八割は、それです。

一人でやっていくことが前提ですが、一人の力ではなかなかできないことも、大勢のパワーか宿ると早くできることは確かです。

 

最初は、個人レッスンよりもグル—ブレッスンの方が、気づいたり、学んだりすることが多いと思います。ただし、一人ひとりがしっかりやらなければ、仲良しクラブになって群れてしまい、安易な方向に流れていきます。

カのある人は常に孤立、孤高を恐れません。カラオケ同窓会にならぬように、気持ちを引き締め直してください。上のグレードほど、私は手を掛けなくなるので、しっかりやってください。

 

 

皆さんの歌を聞いていると、苦労しているなと思います。歌で苦労しているのではなく、いろいろなことで苦労しているのが伝わってきて、人間らしくなってきたなと思います。

笑顔も泣いた分だけ良くなるといいます。バックグラウンドにそれがないと、人前に出るものは弱くなるので、苦労している人がヴォ—カリストとしての資格を持てると思えばいいと思います。

 

今の日本は裕福で、そこでクリエイティブな状態、精神的な飢饑状態でいることは難しいものです。外国では通りを歩いているだけで問題か転かってきて、そこから歌うべきことも出てきます。日本ではそういうことがないので、できるだけ苦労してください。

 

レーニングはベストを出していくというのが基本です。十回やってみて一回のベストを、そしてその一回に合わせて九回のベストを求めていくことです。ベターで妥協せず、ベストをつきつめてやっていくのが練習です。ここはまだまだ甘いようです。

 

一曲を一回歌えたからといって、ここで歌い、無事に過ごしたというのはアーティストではありません。一回でできたというのは損なことです。

何度も同じことができること、あるいは、人の半分しかできなくても百回歌うことのほうが得るものも大きいのです。時間をかけた人のほうが得るものも大きいのです。

 

このなかで、自分が一番練習してきているという自信を持ってステ—ジに立ってほしいのです。

自ら精一杯のことをやってここにくることを要求します。

逆に精一杯やってきたら、他の人のことが、よくみえてくるものでしょう。