レッスン感想 307
天井に向けて「あいうえお…」と言いきる心地よさをはじめてかんじた。「あ・いう・え・お…」と言いながら、宇宙の中でぽつんと存在する自分というものを認識してしまう。そして「今」という時間は二度と帰ることがないと久しぶりに考えさせられた。ところで真剣な顔して生徒のようすを見ている先生っていい顔してますね。
母音の練習の大切さを痛感しました。フレージングのこうようを研究したいので、息を深めると同時に調整できるようにしたい。今日の題材は研究しがいがあった。
ことばのよみ、抑揚。母音に分解して息の流れを保ちのせていく。なあにぃもぉほぉしい(浅くならないように)くぅなぁいぃ 音域を広げるためには、自分できちんと出せるところを確実にしていく。
首と顎に力が入っているのを抜く練習方法(口をだらーとあけたままスタカート)
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ライブを観ているときなどは、しぜんとのっているのに、こういったレッスンではかえって乱れたりする。「枯葉」では、やはりフラットぐせが出てしまった。また、フレーズの出だしや語尾が弱く不安定になりがち。風邪でしばらくレッスンを休んでいたので、少しでも怠ると簡単に身体が元に戻ってしまうことがよく判った。
最近になって息を吐く練習の大切さがよく判ってきました。ただ、下半身に力が入っていたのでそれはあまりよくないということ、また、正座した状態で特に腹部に力を入れないようにすることを教わりました。高音をとるとき、しぜんとのどをしめてしまう(息だけのときも)。声が出る前にまず息だけがもれてしまう。
中声区でポジションが変わってしまう。一フレーズで客を魅きつけられるように。ことばを分解させない。
深い息が体に入っている場合の状態と、今の自分の目いっぱい吸い込んだ状態との差について。
アクセントをつけることが意外にも難しいので驚いた。大きく声を出すことも小さい声でキープすることも難しいです。同時に音感をするのは更に難しいです。
発声の基本的なところを主に学びたい僕にとっては、きょうの授業は、非常に有益なものでした。ちょっと油断するとのど声になってしまうので意讖して、「お腹」から声を出し、いつかは無意識にできるようになりたいものです。
普段、課題にしている、ことばをそのまま歌にすることが、実際に歌ってみると、全然、気をつけてないのだなとわかりました。
ひたすらに自分のやりたいことをやる、すっきりした気分。積極性、遊び心。改めて個性の強い人たちの集まりだと確信した。
歌にはヴォーカリストの数だけスタイルがあるのだということを再確認した。
どんなことばでのトレーニングであれ、同じ統一されたポジションを保てること。同じことばを百回くり返してもバララバラではなく、身体ができていれば(入っていれば)、'同じようにできるはず、ということ。
普段、半音とか、スタカートとか、退屈だなあと思うことをきちっとやるべきですね。やはり、役立つことがあるはず。ラフでした、今まで。
真ん中のドから上のドまでの間に、まだまだ息の流れにバラ付きがあり、声にしたときに特に低い方の弱々しさがバレる。息の練習のとき、ついつい実感の求める先をのどの方に移してしまいがちになっている。もっと、体の方(腰から下)に息の実感がもてるようにしないといけない。それを100パーセントできるようにならなければ、声に変えることがままならないままになってしまう。あと、比較的、出しやすい高さから、ときどき深くしていく過程の内に疲れて集中力をきってしまわないように心がけないといけない。
基本を身につけ、声のポジションをそろえるのは、あくまで、あらゆる技法を使って歌っていく上で有利であるからであり、その上にのせるセンスを自分で磨いていく。
顔と肩に力が入ってしまうときと、ちゃんと脱力しているときは、声が全然違うことがわかった。どうやっても力が入ってしまうのですが、力を抜いてお腹を使うように、これを課題にしてトレーニングしてくる。
声区のポジションが変わらないように。サビにいくまでのフレーズ一つひとつを少しずつ変化させて飽きさせないようにする。
体を鍛えている(腹筋や腕立て、スクワット)ことが、ブレスや声の強さに結びつくように。こうしたいという意識が自分の強化された体で思い通りに出せるように。つまり、そういったことを別々にトレーニングする現在が、必ず一つになるようにする。
常に、この練習は何のためなのかということを頭に入れて、意味を考えながら行なう。
のどを開くこと。スクールでやるようなラララに入っていってよいが、体の下に力をもっていくこと。ラララの三つの文字でも体が離れる。
体がかたい=余計なところに力が入る。今まであまり意識して動かしたことがなかった部分をこれからの練習で動かせるようにしたい。
メロディにひきずられてしまって、イメージがよくわからなかった。メロディをくずして、ふつうに「読む」から「歌う」への移行が、とても難しいので、時間をかけて自分でやってみないと、かんじがつかめない。練習します。
自主トレにおいて、毎日、違った発見があるというか、違った症状(病気ではないので、症状というのもへンですが)です。しかし、上の方の力を抜くということが意識できるようになった。
人数がもう少し多くいるときに比べて、気持ちのノリが悪かったりすることがある。こういうことをなくさないと、意味がなくなるので、気をつけたい。
私の場合、のどに力が入ることにすごく意識がいってしまっていて、息をはくときも、のどの方を気にして、お腹も前の方の腹筋に変に意讖が入ってしまっているようです。お腹をひっこめる、腹筋を使うという外側のイメージよりも、改めて、もっと内側のイメージを一定にして、体で憶えさせる必要があります。息を身体に入れるというイメージをよりいっそうわかりやすく、身体を使って教えていただけるのは、すごくわかりやすいです。
各自がやるべきことをやっていれば、自ずと次へ次へと進んでいけるのであるから、今のようなレッスンは、現在の自分の状態が浮きぼりにされるので、シビアでよいと思います。これにより、単独で練習しているときに、ついつい忘れがちなことを思い出せるのが貴重なことと思います。
前までは、よく、日本の曲をやってほしいとか書いていましたが、やつばり、今の自分はもっと先生が普段すすめるようなものを聞いた方がよいと思ってきましたので、そういうことでお願いします。
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ステージ実習感想
緊張のためか(練習する時間がたりなかったせいもあって)、歌に対する集中力がたりなかったと思います。歌いながら、「どう表現したいのか」など、練習段階ですべきところのことを考えたり、「うまく歌いたい」という欲もあって、自然な表現が何もできませんでした。
練習中、他の人の歌をなるべく聞かないようにしたのですが(あまりにも様々な人の名唱を聞いているので、自分のイメージが沸きにくかったので、日本のシャンソンの歌い方の型から出られなかったようです。
課題としては、声の部分で、ここでやっていることを、少しずつでも、歌のなかに入れていきたいです。伴奏があるといい加減になりがちなのですが、言葉、フレーズの処理をもう少し意識していきたいです。
他の人の歌を聞いていて(特に自由曲では知らない歌が多かったので)、どういう曲かさっぱりわからないことがありました。これは多分、歌の上手い下手や、聞き手との感性の達いとは、あまり関係ないことだと思いますが。あわせ鏡にして、いろいろ考えてみたいです。
シャンソン、カンツォーネは、どうしても懐メロになりがち(シャンソンを聴きに来るお客さんの大部分がそうだし、歌い手もどうしても、それに合わせているところがあるようです)ですが、懐メロとしては歌いたくないです。初めて聞く人に、少しでも何か感じてもらえたらと思います。
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レッスン感想
コードを学んだ。何もかも感動だった。ソのくち、音程のくだり、他、微妙にずれることが気になった。
コードの読みかた、譜面のみかた、リズムをとるときのこと、正確に音をとることを学んだ。半音がとれないので、楽器とやっておく。譜面を読んで読み方に慣れること。でできているつもりで、実はできていない。
音階、音程、リズム、理論違の中で自分の弱い所がよくわかった。特に気になったのは、リズム。トットトとか卜トントとかのリズムでテンポが速くなったとき、叩けなくなってしまつた。三連符のときも、ずれていた。体でまずリズムをとって、それが体の中に入つていき、それから、歌にリズム感がでてくるということを学び、まずは体でリズムをとるようにしようと思う。完全四度とか短二度とかの区別もあいまいだった。音階の下降で、ファ、ソなどで始まるときはくるった。理論は、ひたすら、頭に入れてキーボードで勉強するだけ。
ひきつづき、自分のやらなくてはいけないことが増えて、嬉しいかぎりです。
まだ始めた頃は、何が何だかわからながつだが、先生に授業を受けた後に、練習したものは少しできるようになった。音程などは前よりもほんの少しだがよくなった気がする(前がとてもダメだった)。リズムは基本リズムパ夕ーンは、頭では理解できているのだが、テンポが速くなったり、タイがついてしまうとまたまたわからなくなってしまう。そして、理論はまだ復習していないところがあるので、それをやるだけである。
私は今まで、先生の授業を受ける前は、SA、SB、SCなどは「別にいいや」とか「関係ない」とかで逃げてきたが、先生の授業を受けるようになってから、その大切さ、大事さ、そして何よりも真正面でSA、SB、SCに向きあえるようになった。
このクラスで、音程、リズム、基礎理論移動ド、タイ、基本的リズムについて学んだ。レファ・ラの音がとれない。人につられる。音程を気にするあまり、リズムパターンを無視する。リズムマシーンを感じとれず、リズムパ夕ーンがめちゃくちゃになっている。自分の声をよく聴けない(聴いていない)。少しずつわかってきたような気がしてて、実はまったくダメなことがよくわかった。今はとてもパニックになっている状態。音程もリズムも、理論も息をはくのも、英語の勉強も言葉の練習も、すべてやりたいけど、どこからやったらいいのか。どれも少しずつやっているけれど、みな中途半端になっている。もっと基本的にやらないといけないことに気づいた。すべて弱点のようで気になる。
今回はリズムについては慣れたのかパ夕ーンがよめるようになってきて叩ける。三連符は若干、まだ不安が残る。五分の四拍子もだいぶわかってきた。問題、SBの理論が全然わからないこと。移動ドについてもどこがドだとか、コード名(完、短、長)は苦手とあって今まで無視してきてしまった。少しずつ、手をつけようと思う。音程については音符にドレミと書かないようにして、気合をいれて頑張る。
リズム…基本パターンの組み合わせでもタイがつくことによって雰囲気が変わるが、打てるようになる(ビー卜を感じなくてはいけないことの大切さなど)。移動ドをマスターすることにより、今後、歌を歌う上でキーを変えるのに役立つと思う。リズ厶で、基本パ夕ーン達はほぼ打てますが、タイが出てくると全体が乱れてしまう。ハ長調でも音がとれないことがあるので移動ドの階名読みはさらに難しい。
音程とタイの大切さが痛感できましたが、一人で練習してタイがわかるかどうか不安ですが、先生のいうとおり、いろんな曲を楽諳を追いながら聞くことからはじめて、少しずつ上達できるようにしたいと思います(なんだか少し、壁は厚いみたい)。
一つひとつ全てが大事なことでした。テキストはとにかく役に立ちそうです。移動ドの読譜にしてもタイにしてもとにかく「慣れていない」のがまず第一の敗因という気がします。「慣れる」しかない…「慣れ」ないことには。譜を一目みて「…。」という状態から抜け出せない気がします。
移動ドについて学びました。階名をつけながらでないと音がとれません。ついていくだけで必死。
読諧力はリズム・音程ともひたすら慣れるしかないということが確認できた。練習すればできるし、しなきやできない→あたりまえかもしれないがそういうことだ。
基本リズムパターンを復習できたので収穫だった。音程、移動ドは本当に「横れ」が全てであると思う。自分の体の中で即座にその求めている音を出せるだけのものを漫透させるしかない。今の自分はハ長調の音階の音をとるのがいい所かもしれない。そしてC=ドという固定した簡易書くが強いため、F→「ド」、G→「レ」と声に出してFやGの音を出すのはとても困難に感じる。「慣れ」しかないだろう。
なんとなく基本リズムパターンがわかったかな。基本的なことが何もできていないことを思い知りました。
特に調記号について学びました。今まで教わったこと、知ってたことはそれぞれバラバラだったがつながってきた。リズムのパターンを自分にしみこませる。
メトロノームの正確なリズムを一緒に刻みながらグルーヴ感を身につける。それをしぜんと身体から湧
き出てくるようになるためのレッスン。「枯葉」をカラオケで。リズムで、常々、自分で思っていたことだが、意識するとかえって上半身と下半身の動きがふしぜんになる。
「アクセントもの」は簡単そうに見えて難しかった。この歌は知っていたが、ちょっと符割りがしんどかったので譜面を追っかけてたら終わってしまったかんじ。今度はもっとテンポが遅くて、符割りが単純で、有名な曲を歌いましょうよ。
エーメン、We Give You Praise。頭の中で考えすぎると、リズムは難しくなる。
ここに来るとペースメーカーとなってとてもよいと思っている今日このごろ。自分だけでやっているとどうしてもペースが乱れるのでちょうどよい。
ラララララの中で均等に歌ったらつまらない。ノーン…ノーで入れて、ンではなす。
はじめに勉強してくるとは思いつかなかった。初見でやるもんだと思っていました。ちょっと甘えてたかなと反省してます。
ことばの一音一音は、ベースにアイウエオがあるのだから、アイウエオが全て同じにできるようにしなければならないんだとわかりました。
ことば(感情)―体―流れ、絵でイメージするとわかりやすい。
リズム(うら拍のとり方)、体でリズムをとること、手でリズムをとりながらうら拍で「ラ」ということによって、リズムの流れをつかむことができた。
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