一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レクチャー  322

レクチャー  322

 

毎日ここにきて一時間練習して一、二年すると、いろんな意味では勉強になるでしょうけど、それだけでもまだ全然足りないと思います。

月に何回でもここにきた上で自分でもしっかりやっていくことが大切です。

別に声が出せなくっても構いません。本当は時間や回数ではないのです。

 

最初は自分の声の判断がつかないし、不安に思うでしょう。

でも、ここに出ていると、そのなかでほとんどの迷いは解消するのです。

すると、本当の問題が見えてきます。

 

自分の声は分からない、ただ他の人の声とか、出し方はわかりやす。

その注意を受けているところなどは、とても参考になります。

ヴォーカルとなるとともに、自分の最良のヴォイストレーナーになっていくのです。

 

スポーツ選手もトレーナーではないけど、少しずつ、自分の体の管理はできるようになってきます。

本番に対してどう取り組むとよいかも、わかってくる。それを相談する役がトレーナーです。

 

 

プロになると忙しくなりますから、レッスンの機会も少なくなります。

だからといって、回数の問題ではないのです。

ただ現実には、回数を多く来てる人が延びています。

毎回顏を出す人が、2年経つと相当に力を伸ばしています。

 

前は月に好きな回数来て自分でやれという考えだったのですが、

16単位というものを設定しました。

何か目安がほしいということであれば参考にしてください。

 

結局、利用した方が得です。利用せずに、うまくならないといっている人もいるみたいですが、それはおかしいのです。

最初は、わからないというのも、正しいのです。

大切な時間を使う以上は死にものぐるいに習得してほしいのです。

そういうポリシーの元でやっています。

 

まだこちらの意識のレベルと皆さんの意識のレベルが大きく違うのですが、

そこができてきた人が上のクラスにいるので、見てください。

必ずしも世間でいう歌がうまい人が上にいるわけではないです。

苦労してそういうものをきちっと身につけてきた人が上にいます。

そういう人は、歌う以前のところで説得力が違います。

 

ここでは、一年目のクラスと二年目のクラスを並べて、

みんなにどっちが二年目だと思うと聞けばそれで分かると思います。

しゃべらなくても顏つきで分かります。そこに本人の地とか個性とかが出てくるのです。

あたりまえのように思われるかもしれませんが、そういう音楽スクール、ヴォーカルに関しては、どこにもありません。

 

 

私は、レコード会社とか、プロダクションともやってきました。

単に有名にするだけなら、テレビとかコンサー卜とかに出る人とやった方がよいわけです。

ただ、そういう人は、結局、数年で終わってしまうのです。

ヴォー力ルのことを突き詰めてやる必要を本人自体も感じていないからです。

ドラマやタレントに転身するのも、元々、そちら向きだったのです。

 

ヴォーカルは、そういうところからでるものではないというのが、私の考えです。

でも我ながら、一ヶ月二ヶ月目の人には、親切になりました。

前はいきなり突っ込んで刺激を受ければよいかなと思っていたのですが、

内向的な人には、出づらくなるみたいなので、軌道にのるまでは、

トレーナーのアドバイスも含めてプロセスを説明しています。

 

最初は、課題を作ってもらいます。

みんなに主張してもらいたいです。

いろいろたくさん発言する人が、一番伸びます。

こういう場というのは、そういうものなのです。

 

自分が受け止めよう一番多くのものを学ぼうとしたら、

こういう場に一番たくさん出て,一番たくさん出せば、一番学べます。

 

目一杯、出力してみるのが,ここでは許されています。

アングラ劇団,同人誌、芸術グループ,つまり、習作の場,期間、機会です。

たくさん投稿する人もいます。

いろいろな面でアプローチしてくる人もいます。

こういう曲があるので皆に紹介してほしいとか。

 

ここのライブラリーとして、さらに世界中の本や音源を揃えていこうとしています。

量だけはありますが、私が推薦するものをおいていくかたちです。

スクール的なサービスでは、ありません。

 

とはいえ、

みんなが言ってこない限り、来ようが、来なくなろうが、

何しようが、本人の自由意志のところで、

大人としての扱いをしていきたいと思っています。

 

この他に、通信教材とかテキストとかは、今まで出たのとは別に、トレーナー,スタッフと作っています。今年も四、五冊出します。

100人いると一つの授業を全員に与えることができません。

特に私は、同じ授業を繰り返しません。毎回,新たにつくっています。

 

だから、なるべく記録して公開していった方が、授業に出られなかった人にもよいでしよう。

私以外のクラスは、先にテキストを渡し、できるところまでやってきてもらってからクラスに出てもらうようにしていきたいと思います。時間ももったいないからです。

 

 

前はすべてのクラスを一緒くたにしていました。するとレベルが違うことと参加する人が毎回違ってきますので、刺激的ですが、質が落ちます。

今はグレードに分けました。分からないことはどんどん直接に聞いてもらいたいと思います。

 

私の方でここを勧めることはありません。二年を自分の人生の中のどこで取るかということを考えるのは、本人です。ここにきてみて、二年経てば何とかなると思って、何とかなった試しはありません。途中でそういう人は抜けていくと思います。

 

今、ここで何が財産になってきたかというと、メンバー自体の意識のレベルが高くなり、その中でお互いに刺激を受けられるようになりつつあるということです。アーティストというには,まだ程遠いかも知れませんが、投稿数や合宿の記録をみると、だんだんと望むような人が集まってきています。お互いの刺激を受けてそれぞれがいろいろなものを吸収しようとして動きだしている感じがします。

 

V塾は三年目です。以前は個人レッスンプラスグループという形でした。月に平均して4名出して4名入れるというかたちでした。年間96名体制でした。それが私の個人レッスンの限界だったのですね。

今はそのころから比べると、トレーナー、スタッフのおかげで、5倍以上の人数ですから、ずいぶん変わったと思います。

 

 

 

芸というのは、話の内容の外に中身があります。

私がいる。あるいは人間がいる。仲間がいる。そして、その場にきたら、少しずつ変わっていくのです。例えば今日の皆さんの最大のノウハウは、私のこの声を聞いているということです。これを一年二年と続けると、自分の声も自分の身体にとって理想的になるように細胞が変わっていくということなのですね。芸事はそこです。話している内容ではありません。

 

ここの場合、プロも全くの初心者も高校生も、最初は同じです。

考え方が分からなくても、「ハイ」「ラオ」「ララ」と、やっています。

「何をやってるんだ、この授業は」となるので、会報や本で詳しく説明しています。

 

頭も感性もクリアにすることです。授業の形態は生徒の人数や要望によって順次変えています。

レッスンは、こう考えてください。

例えば私がプロの野球やサッカー選手になろうと思って、こういう場にきたとします。で「打ち方を教えてください」と言って、フォームを直されたとします。それで翌日からプロになって通用するのかということです。

 

こういう場でわかりやすく導くことは、簡単です。例えば、姿勢のチェック項目では、二十くらいあります。しかし、それを一つひとつどんなにチェックしても根本的な解決にはならないということです。それは一時的な満足にはなりまずが、最終的に自分が歌えたときにできているのが身体、姿勢もです。

 

今、正解はないわけです。できないのです。例えば、王さんのバッティングフォーム。一本足打法は基本的なフォームからは、はずれています。しかし、彼に限っては、安定するところまで鍛えてあるので正解になってしまうのです。

 

ポップスも似たようなところがあります。そこでできてしまった本人が正解になってしまいます。その人がのどが強くて、のど声で歌っていても、のどがつぶれなくて歌えるなら、それでよいケースもあります。もっと正しい発声をしている人以上に声に魅力があるとするとそれが正解になってしまう場合もあるのです。みんながみんなそうではなくて、それとは、反します。

 

確かに正攻法というのはあります。ただ最終的には、自分がつきつめていったものが正解になります。そのためには、つきつめられるような頭と体の使い方ができなくては、行きづまってしまいます。

そうならなお、本物の答、つきつめてもつきつめても、さらに奥の深いところの求められる正解を、私は示しているのです。

 

そして、それは本人の感性が磨かれ、身体がヴォーカルとして鍛えられてくると本人の求めていくべきものと一致していきます。正解はその人間の中にありますので、声とか息ということでいうと、最終的に歌ができたときのものが正解です。できている人がどんなことをやってもよい。寝ころんでも「あー」といえば歌っても通用するわけです。

 

スポーツなど人間のやることは、みんな腰が中心です。ヴォーカルだけ違うということはありえません。日本語は、のどが中心になりやすいのです。日本語は発声したときに、楽にことばになることばです。外国語はそうではなくて、唇や舌を使って、抵抗があるので身体から、相当、息をはかないと表現できません。

日本人の英語が英語らしく聞こえないのはそのせいで、発音は正しくても、発声が違っているのです。英語は相当身体を使うことばです。だから腰を使って、身体をつけて表現するのです。

 

ピッチャーでは、フォームをきちんとつくって、投げることが求められます。いくらコントロールがよくても、それが弱い球であれば何の意味もないのです。プロを目指すのであれば速い球を投げなくてはならない、そこでパワーが必要となってきます。

 

声も同じようなことがいえます。バッティング同様、まず飛ばさなくてはならない。力をつけていったり、量をこなすことによって、技は後からついてきます。誰にも負けないような豪速球が投げられるようになったときには、コントロールもついてくるのです。

 

ストライクが入ればいいということではなくて、ストライクの中のどこにいれるかというところまでコントロールできなくてはならないのです。バッターでいうと、ここに球がきたら絶対にホー厶ランが打てるというところを持ってなければならない。そこまでがベースの卜レーニングです。