一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レッスン感想  327

レッスン感想  327

 

レーニングを積んでいくうちに、身体の不調などのことも、本当に悪いものか、ほっておけば直るとか、まだ大丈夫だとか、体でわかるようになってくる、ということ。「ハイ」「ラオ」でも、やりやすいものから、ベストの声を探し、次はそれが十回中、十回できるようにしていく。できにくくなったら、また戻る。繰り返しこだわってやっていくと、声に対する判断力がついてきて、先生の判断と一致するようになってくる。

 

できるときとできないときがあり、続けて声を出していると、疲れてのどにくる。体力不足、普段ストレッチは、夜二十分〜三十分しかやっていないので、朝もやるようにする。息吐きを中心にトレーニングし、声を出すことでは「ハイ」にしぼってやる。声がかすれてしまう、特に注意する。

 

他の人の声を聞くのは、やはり勉強になる。判断しやすい。自分のことは、あまりはっきりわからないことが多いが、他の人に対しで思うことが当てはまっているのだろうと思う。声そのものが素敵だと思った人がいた。少しできたような気がすると、つい先へ進みたくなってしまうが、「ハイ」だけでもできたりできなかったりという状態なので、一〇〇パーセントできるまで、こだわって練習する。

 

これくらいできればいいや、というふうにして絶対にやらないこと。Yes!やPlease!Please!Please!とシャウトしてみることをやった。最近、毎回、思っているが、課題をすぐ自分のものにして自分なりに出すのは、とても難しく、先生がおっしゃっていた聞く必要性を強く恩じている。全くの勉強不足なので他の人と同じようにしか出せないし、どうやって変えていいかもよくわかっていない。日々、トレーニングだけで満足しているのではないかと反省した。Yes!というたった一言なのに、自分なりに何かを込めるということができなかった。もっと、常に一流のものに触れるように自分でしていかなくてはならない。

 

音程の上下動を感じさせない歌い方。それはいわゆる歌うということではなく、感情を込めて大声で語りかけることが、フレーズに聞こえるのだということ。

 

ヴォーカリストはヴォーカリストである前に、俳優でなければいけない。メロディをつけたときにことばが死んではいけない。

 

ことばにもともとあるイメージ(味)をより豊かに表現するために、メロディをつけているのだということを思いおこさせられたこと。

 

十回息を楽に吐くために百回やる。ただやるだけでなく、質にこだわる。初めは、バランスなどを考えず深い息をできるだけ吐き切ってまず、身体をつくる。

 

感情移入についての疑問が少し解決したような気がしました。苦手なことに対ずるくやしさだったのかもしれませんが、でもリアルな感情についてはまだまだ、これから道は長いんだろうと思います。うまく言えないけど。

 

タイ、スラー、スタッカート、付点四分音符。タイとスラーの違いがハッキリわかった。また、付点によって、ノリがまったく変わるので、それをすぐに(ノリを)順応させる。

 

自己レッスンでも、出しやすい母音で発声することが多かったが、子音が入ると、上の方で操作し

てしまう。それによって、そのときの声は浅いものになってしまう。できるだけつくらないということ。

 

自分のフレーズに自信がもてなくて、なんとなくそれらしいことをやろうとしてしまう気持ちがあること。その気持ちと戦いつつあいまいなことをやったりすること。

 

ことばを読みこむことによってそのことばが持つメロディを知る。何度も読むと、いろいろにきこえることがわかる。何通りも表現がある。でも、それを表現するのが難しい…自分で何度もやってみる。メロディがついてしまうと、ことばで読んだときのフレーズがなくなって音符を追ってしまう。