一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

「黙して身を惜しまず、ただ待つ」 十訓 合宿を終えて 361

 

「黙して身を惜しまず、ただ待つ」  361

 

自分と同じレベルの人の評価は、あてになりません。

いくら集まって、とやかくいっていても、同人誌みたいなものです。

そんな井戸端会議のようなことをする時間があれば、一人モクモクとトレーニングすることです。

 

アーティストの分野では、信頼するに足る人の一言が全てを超えるものです。

 

音楽も形をとるとわかりやすいのですが、そこまでの過渡期に、才能や将来性を見るのは、よほどの人でないと不可能です。

 

ですから、基本の器として,可能性の大きさとして、声で判断していくアプローチがあるでしょう。

 

一年たったら、また一年、同じペースで上達するには、2倍以上やらなくてはならなくなります。

三年目、四年目と、力が、内に秘められていき、パワーアップされてー、ようやく外に現れ出るのです。

頭でいくら考えてもだめです。

声を出し惜しむ人にはいつまでたっても、真の技術は身につきません。

 

身につけるということは、体につけるということです。

全力で出し切ることからです。それができればよいのです。

そうしようとしたときに、できない、足らないと感じ、力のなさに気づくから、そこの部分が力としてついてくるのです。

全力で表現しようとしたときに、全てわかるのです。

 

表現することを念頭においてはじめて、より強くしたり、高くしたり、伸ばしたり、メリハリをつける必要がでてきます。

そのようにしようとしたときに、必ずできないところが表れます。

それを直すのでなく、その理由のところ、つまり、体の力をつけるところで補えるのを待つのです。

 

自分で完結させるまで高めていくことによって、レッスンが生きてきます。

人は何を聴きたがっているのか、小細工抜きに体で表現していくことです。

聴いている人は、決して馬鹿ではありません。

 

歌の世界をどうつくりあげていくか、

歌い手の人生を自ら引き受けるのかという選択がくるでしょう。

そのへんはまた、いずれの機会かにか触れましょう。

 

 

 

十訓

 

身につくかどうかのどちらかで中途半端はない。

 

違うことを恐れるな。やらないことを恐れよ。

 

正解は自分となる。短所が長所と思えるまで、長所を伸ばせばよい。

 

失敗は成功するまで続ければなくなる。

あきらめたとき、やめたときが失敗となる

 

才能とは続ける、モティベートできる力である。

新しい課題を発見し、それを解決しようと努力する力である。

 

最も楽しいのは、何かをつくる過程である。

また、そういう人間、アーティストの集まる場で存在を認められることである。

 

ひとつを得たら、それで充分すぎると感謝せよ。

相手にすべてを求めるな。

不満はすべて、自分に向けよ。

 

人の言うことを聞いて、あたえまえの人間になるにも努力、苦労はいる。

ならばもっと創造的なものに向けよ。

 

自分が変だと思うな。

変のなかに才能も個性も自分の売りものもある。

 

わがままも我道をいくもよい。

しかし、実力あってのものと心得よ。

 

 

 

 

軽井沢合宿を終えて

 

ここ自体は「Be Artist アーティストたれ」という形でやっています。アーティストというのは、表現し続けなければいけません。その大変さを、少しでも身をもって感じてくれたならよかったと思います。

 

ここにきて、1年経っても2年経っても、なかなかスタートラインに立っていない人がいます。このままでは困ったことで、耳と体を使う大切さに気づいてもらう、そうしたらスタートが切れます。

 

今回の合宿は、昨年に比べるとかなり楽な形で構成してありました。

本当の意味でいうと、「We are the world」だけで3日間もつだけのものを皆が出してくれればよいわけですが、まだまだ無理なようです。

 

常に皆自身が本番の意識でのぞんでいかないと、いつまでたっても本番が来ません。これは、皆で力を合わせてそうしようというのではなく、個人個人の意識の持ちようです。

 

合宿参加連続の人たちは、というと、昨年の合宿よりもうまくいかなかった人もいたようです。これはここの難しいところです。

自分の器が大きくなった分だけ精神的なもの、クリエイティブなものが出せなくなってきます。

昔と同じ精神、クリエイティブさで歌ってしまうと、大体小じんまりまとまって、非常にインパクトがないものになってしまいます。

かえって、初めてのときのように無我夢中で緊張して歌っている方がインパクトはあります。そういう面では、昨年の合宿と比べて客観的になれたのではないかと思います。

次からは、一人のスターとして参加してもらいたいものです。

同じ仲間同志、温かい眼差しを、先輩も後輩もない世界ですが、先に入った人は後に入った人に向けてください。

 

合宿の材料としては、充分な内容であったと思います。

こちらで与えられる材料というのは、1つくらいです。通常のレッスンであれば1つの中から少ししか取り込めないところを、合宿では、その材料の中から100くらい取り込んで欲しかったです。

軽井沢という地に来たことで、何かまた別の面で気づいたはずです。

 

私の感想はというと、単純です。皆が感動したところで私も感動したし、私が感動したところに皆も感動したと思います。では、その部分は何かということです。

 

人それぞれ好き嫌いがありますから、もう一度見たかったところもあれば、もう見たくないところもあるでしょう。簡単にいうと、見ていて応援したくなるところということです。これは大きな要素です。

うまいけど応援したくないや、というのはファンができていく条件になりません。

へただけど、こいつを支えてやりたいという人がいれば、それは可能性があります。

人を引き付ける要素というのは、歌のうまいへたではありません。そういう人を結構、見ることができたのではないかと思います。心にジーンとくるものがありました。

 

合宿は、力をつける期間,時空にあって、力のついたことを見せにくる場ではありません。

歌の中の喜怒哀楽というのは異様な世界です。モノトークあたりも異様な世界です。もとより芸能の世界というのは異様なものが、まったく異様と思われないへんなところです。世間の常識では判断できないようなところがあります。そこにおかれても自分の世界を守らなければいけないし、見せつけなければいけないのです。

 

ですから、ここの場で見せるということは、同じ仲間の温かい視線の中にあって、非常に恵まれているわけです。もしこれが、他の国の人々の前や難民キャンプでとか、例えば私が前に100人座っているとしたらどうでしょう。でも、そこでできなければ本物ではありません。

 

合宿で自分が見せたことを、あんなこと、やらなければよかったと、あとで後悔する人もいるようですが、結論からいうと、それを2年間の中でたくさんやった人が一番、得します。得るものが大きいのです。自分の魂が揺さぶられるということでは、苦しかったこと、あんなことをやらなければよかったということを自ら体験すること、早く深いところのものをつかめるのです。

 

楽しかったことというのは、栄養になる場合もあるし、またそれをやりたいと思います。しかし、自分が成長してくると結構、魅力がなくなってくるもので、あの程度の楽しさでは満足できないということになってきます。

去年あれくらいのことをやって皆に受けたから、となると、今年はその2倍受けないともの足りないというようになってきます。カがついてくるとともに、欲が出てくるからです。

 

なぜ役者になりたいわけでもないのにモノトークをやらされるのかというと、そこで自分でもわからない自分の心がモノトークで表現されるからです。その表現されたものこそ歌の魂であるからです。

 

今回は大目にみましたが、はっきりいうと2分間という限定の中でおさめられなかったのは甘いです。そして、問うてください。

その2分間の中でやった以上のことを、今まで一曲の歌の中でやってきたのか。☆

 

モノトークの中で、この人はこう歌をやっていきたいのかと気づかされたことが多くありました。すると、この人は今まで私の前で何を歌ってきたんだということになります。

それを声で表現する。歌で表現する。音楽で表現するのではないかということです。

今回のモノトークは、そういう深いテーマで、取り組んでもらえて、よかったと思います。

 

 

私の方で、今回テーマとしてあげたことは「体とこころ」ということでした。

テーマのひとつの「体」ということでは、体の動きの中で細胞で感じる。そこに声、音楽を表現することです。

そしてもう一つは「こころ」の動きです。いろいろな心の動きを体で表現する人は役者に、歌で表現する人はヴォーカリストであるわけです。「こころ」が動いて表現するのです。

 

できればこれからの時代は、歌って踊れるヴォーカリストを目指して欲しいと思います。海外のヴォーカリストの多くはダンスなども消化しています。そういう意味では、ダンスというのは、ミュージシャンとパフォーマーであるヴォーカリストに基本となる部分だと思います。☆

 

 

ここ自体の、行く先が決まっているわけではありません。

辞める人は辞めさせて少数精鋭で縮小していこうかとか、

もう少しオープンして、ダラーッと続けてみようかとかいろいろと考えています。

 

このように気まぐれな形で運営していてはいけないと思っていますが、それ以上に、皆の中でアーティストの場としての思いがどんどん出てきて、それで成り立ってくれればよいと思います。

 

皆は、たまたま、ここのオンボロのタクシーに乗ったというだけで、前の車でも後ろの車でもよかったわけです。結局、人間はそんなに自分が嫌いなところには行きません。

ここに所属していることも、自分の今の職業も、この場で定められたことをやらされているわけでもありません。行く先も行く道も自分で決めることです。

 

ここというタクシーもガタガタしていて、時には希望者の乗車拒否をしたりします。

タクシーですから、皆が行く先を決めてくれなければいけません。

他のタクシーに乗ろうが海外に行こうが、行く先をきちんと指定すれば、ある程度は連れて行ってもらえるはずです。

 

ここを信用してもらうのは結構ですが、頼らないほうがよいと思います。

ここが自慢できることは、いつも混沌としていて、整理されていないことです。

また常に壊さなければいけないと思っていまることです。

 

ステージに出ての毎回毎回、言い訳が見えます。演出ならばよいですが、言い訳ぐせは取っていくべきです。なんの効果もありません。単に時間の浪費とその人の価値を下げることになります。

 

「私は、仕事をする力もなくて毎日ダラダラとしてるんですが、雇ってください」といっているようなものです。

そんなことをいうのではなくて

「雇ってください」「私はこんなことができます」というのがこの世界です。

 

力をはったりでも増して見せないと損な世界です。

これは素直に自分を出すこととは別のことです。

 

全体的な感想としては、いろいろな人がいて、いろんな動きがあり、

この合宿もよかったのではないかというかんじです。

とりあげた作品そのものに関しては学ぶための素材だと思ってください。