一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レクチャー  ヴォイストレーニング入門 12807字 382

 

レクチャー    382

 

ヴォイストレーニング入門

 

 

 

徹底的な基本トレーニングが大切

 

マチュアからプロになろうとするなら、どんな世界でも数年間でできるものはありません。皆さんがトレーニングの場を踏み台として、自分の世界を自分が自身でつくれなければ意味がありません。

 

一般的に、ヴォイストレーニングといわれるものには、共通のものはありません。それがあったらヴォイストレーナーはいらないのです。

ここのトレーニングでは、私が今までの経験からつくりあげたものを一つのたたき台にして、皆さんにそれぞれ自分のヴォイストレーニングをつくり上げてもらうことがねらいです。

 

昔は、ヴォイストレーニング自体を説明することに随分、時間がかかりました。最近は、一部のプロのヴォーカルがやっていることを公にしていることもあって、認知度は上がってきています。

 

ヴォイストレーニングは歌うための一つの技術として必要です。しかし、それだけで歌が歌えるようになるわけではありません。一般に行なわれているヴォイストレーニングは、プロが調整をするためにやるときぐらいしか大した効果はないように、私は思います。

 

たとえば「ヴォーカルは体をリラックスさせれば声が出る」と。これはあたりまえのことですが、本当はその前に踏まえておかなければならないことがあります。

 

プロ野球の選手を例にとりますと、彼らがリラックスして投げたり、打ったりすれば、確かによいプレーができます。しかし、私がグラウンドに降りていってリラックスしたのでは、勝負になりません。

ということは、まず基本的なところができていなければ、いくらリラックスしても無意味だということなのです。

 

 

 

本当のヴォーカルに必要なこととは

 

ヴォイストレーニングは、その人がもっている声の能力を充分に引き出し、目一杯、使うためにするものです。

たとえば、よく、口の奥をちょっと余分に開けることで高い声を出そうとしている人がいますが、それなどは、長期的なことを考えていない、その場逃がれの技法となります。

 

「ア」では、少々、高音が出るようになるかもしれませんが、「イ」や「ウ」はどうなるのでしょう。逆に「ア」がちょっと出るために、口先や喉で加工するクセがついて体を使わなくなり、その人のヴォーカルとしてのより大きな可能性をつぶすことになってしまいます。

 

日本では、それで通じるかもしれませんが、海外ではそうはいきません。どんな国でも、人前で歌っている人の歌はすごいものです。日本には、自称ヴォーカリストはたくさんいますが、声で勝負するヴォーカリストといえる人は、何人も見つけられません。

 

ライブハウスに足を運び、憧れたり,逆にこの程度かと思って、自分もまねて始める人がいます。それは、一見、手短な方法のようでも、実は遠回りなのです。

本当のヴォーカリストに必要なことが何なのかを、なかなか理解できないからです。

 

ヴォイストレーニングは、声と自分に接点をつけます。そのために必ずやらなければならないことです。

今まで、皆さんが出してきた声はつくられた声だと思ってもよいでしょう。外国では言語体系、環境、その他諸々の事情において、歌と日常会話と声が近いところにあります。

 

私は日本では、声を出すと「役者さんですか」と問われることがよくあります。しかし、外国へ行ったら、まわりで話している人の声も大きいし、よくひびくので、目立ちません。

その辺のおばさんでさえ、日本のヴォーカリスト以上に声を出せる体をもっているのです。

 

日常会話で1オクターブの領域を使っている国の人々が、歌のなかの1オクターブを出すのに苦労するわけはありません。

日本人は日常会話では、歌で使える音をせいぜい2、3音出しているかどうかです。ほとんどの人は、厳密に言うと1音も出せていないといってよいかもしれません。

 

外国人のヴォーカリストは、普段きっちりと1オクターブを出している人のなかで、さらに才能のある人なのです。それなのに、日本のヴォーカリスト志願者は、高校生くらいでいきなりそのコピーをやっているのです。それは、操縦技能をもたない人が、いきなり空を飛ぼうとするのと同じくらい無謀なことです。のどを痛め、こわしたり、伸び悩んであたりまえです。

 

 

 

 

声が強くなくては、質の高い練習をこなせない

 

私がこういう活動をしているのは、毎日トレーニングをして、ヴォーカルとしてふさわしい声を身につけていく必要を説くためです。日本のヴォーカリストの練習は、トレーニングになっていないどころか、やるほど、のどを疲れさせ、ときに壊していってしまい、キャリアにならないからです。

 

俳優やダンサーなら、続けている年数を聞けば、大体のレベルがわかります。しかし、ヴォーカリストは,わかるでしょうか。声でわからないどころか,歌でも,どうでしょうか。

10年,歌っている人が3年やっている人よりうまいかというと、決してそんなことはありません。違うのは、ただ何年前に始めたかということです。

 

俳優、声優は、5年くらいたてば、それなりの声になります。それは、声に関心をもち、声を出すときに気をつけ,鍛えてもいるからです。

ところが、ヴォーカリストはやればやるほど声が出なくなってしまうのです。つまり、方向違いの声の出し方をしているからです。

 

マチュアの月1回ぐらいのライブを見て、それをピックアップしてプロデビューさせると、もって1年、早ければ3ヵ月でつぶれて休養を取らせるはめになります。

なぜなら、毎日歌わなければいけないのが、プロだからです。地方講演も含めれば、それこそ寝る間、食べる間もなく、風邪をひこうが睡眠不足であろうが、ステージに立たなければなりません。

 

まず、プロにとって必要なのは、とびぬけてうまくなることではなく、人前に出て恥ずかしくない、最低限のラインをキープすることです。きれいな声が出なければプロになれないということはありません。しかし、声が強くなければプロにはなれないのです。いや,可能性が狭まるのです。

 

 

私のところに歌を吹き込んだテープが送られてきます。プロの領域に達してているかどうかの判断をしてくれというのですが、出だし数秒も聞けばわかります。

 

もちろん、ヴォイストレーニングのレベルとヴォーカルのレベル、そしてステージのレベルでは、全く違います。ヴォイストレーニングが100パーセント完全なら、ステージがよくなるかと言うとそんなことはありません。

 

声をよくしたいとヴォイストレーニングをやるのは結構ですが、歌の一つのツールとして充分に有利に歌うために、と考えることです。ヴォイストレーニングでできることは、ヴォーカルの要素のなかの10分の1に過ぎません。残りは、センス、キャラクターや音楽性、才能に左右されるのです。

 

しかし、ヴォイストレーニングは、確実に一つの武器,キャリアになります。

歌がオンエアされたりCDで聴かれるときは、顔もステージも見えません。声自体に魅力をもち、そんなときでも充分、通じる歌でなくてはならないはずです。ですから、声そのものをできる限り開発しておくことです。

 

声楽の世界での評価でいうのなら、声は40歳くらいでやっと油がのりはじめます。そこまで時間をかけて取り組めるなら、10年単位での勝負ができます。

ポピュラーのヴォーカリストでも、そこまで声にこだわって欲しいものです。しかし、そんな長丁場を実際に考えている人は少ないでしょう。

 

肝要なのは、自分がどのレベルまで行きたいかです。キャンパスで大学4年間、ちょっと歌えばいいという人はスクールで歌を教えてもらい、それを調整するので充分です。そのかわり、プロレベルまでのテクニックとそれに対応できる体が欲しい人に対しては、そういうトレーニングは不毛です。

 

体づくりから始め、プロヴォーカリストとして耐えうる体をもたなくてはなりません。それは、大変なレッスンです。しかし、大変だということは、ありがたいことです。

 

往々にして、ヴォーカルのレッスンはカラオケで発散する程度のことで終わり、大変にはなりません。しかし、本当はレッスンで汗びっしょりになり、疲れて座り込むくらいでなければ、レッスンにはならないのです。

 

劇団では、はいずりまわって動きまわって目一杯,汗をかいて声を出して、練習しているのです。だから、日本では、劇団員の方が声が出るだけでなく、歌もうまかったりするのです。

 

楽器の演奏には練習量がものをいいます。20歳までに1万時間練習しなければ、何をやってもそこからは出てこれないでしょう。なぜなら、それをやっている人がいるのに、20歳を過ぎてからそれに追いつき追い越すのは至難の技だからです。

 

しかし、その点ヴォーカルは恵まれています。10代で、ものすごく歌っていたヴォーカリストが、そのキャリアをその後、活かせるかというと、必ずしも活かせないからです。

 

声帯が充分に楽!器として使える準備ができるのは、20代半ばごろだからです。

そして体力的に限界といっても、またスポーツのように30、40代でなんとかなる世界でもなく、一生、勉強を続けられるのもヴォーカルの魅力です。

 

ですから、歌は一生をかけるに値するライフワークになり得ます。ステージはいつも高い所にあり、それに上がって立つ。

最初は、血気盛んにその繰り返しをしているのですが、自分の歌に対する評価眼力は否応なしに上がってきます。それが続くかぎりはうまくなり続けるのです。

 

で、なぜ多くの人が途中でやめてしまうのでしょうか。それは伸び悩むようになり、昔できたことさえできなくなってしまうからです。自分の限界をみてしまうのです。

ですから、続けることが才能だと私は言っているのです。

 

外国では、40、50歳になっても皆、歌を続けています。日本でそれができない一因は、10代を中心としたファンにもてはやされるものが主流という日本の音楽市場の成熟のなさがあげられます。そこで評価されるレベルのものしかヴォーカルに求められていないので、歌が甘やかされてしまうのです。

 

しかし、時代は変わっていくでしょう。ロックを聞いて育った人が、いい歳になり、本物を待っています。来日ミュージシャンが増え、本物が実際に見られるようになったのもよいことです。

 

自分の目で実際に見てみると、それだけでよいヴォーカリストが世界中にいるのに、なぜ日本が同じレベルにならないかを真剣に考え出すはずです。

日本のヴォーカリストが役者が歌うほど歌えないのは、計算づくで歌うだけだからです。

ヴォーカリストは体で表現しなくてはいけません。

 

 

 

 

ヴォーカルの練習とは何か

 

少なくとも歌うことそのものがヴォイストレーニングになって、歌うことによって声がどんどん伸びていくようなところまではもっていくことでしょう。

歌っているときの声とヴォイストレーニングをやっているときの声は、始めは違います。それを少しずつ一致させていかなければなりません。

 

最初のうちは、すでに歌うためにつくられた歌声になってしまっているために、かなりいいかげんにしか表現できません。リズム、音程、さらにバンドに合わせる方へ神経がとられているからです。

ヴォイストレーニングの目的は、そういうところに気がとられなくてすむように、あたりまえのことがあたりまえにできるようにすることあります。声の扱いに専念するのです。

 

日本でもしっかりした発声を、ほんの一部ですが、クラシックの声楽家の人たちは教えています。しかし、ポピュラーヴォーカルを専門に教える機関では、私が知っている限りでは、ほぼありません。

ヴォーカルスクールでは、教えるというのも、カラオケに近いことをやっているだけです。

 

とはいえ、教える立場としては、とても難しいのです。楽器のパートのように、一流のプロのヴォーカルがよい教師になるかといったら、そんなことはありません。楽器、つまり体が違うからです。

 

プロがどんなに教えたいと思っても、受け手の器が小さければ無駄になってしまいます。先生のせいだけともいえません。カラオケやバンド形態での練習は、確かにフィーリング、感性の練習にはなりますが、その他のことに関しては、ヴォーカルにとっては何もなっていないどころか害になっていることも多いのです。

 

たとえば、ヴォーカルには、徹夜の練習は決してよくありません。スタジオに入って他の楽器演奏者が必死に練習して上達しているのに、ヴォーカルは本当に歌える声を出せないままなので、いつまでも上達しないのです。

そんな調子で練習やステージをこなすよりも、ヴォイストレーニングを15~30分、毎日行う方がよっぽど効果的でしょう。

 

週に1回ぐらいで10年かけて、何十曲ぐらいのレパートリーの歌をカラオケレベルで歌えるようなことをやるのか、それとも歌の出だしだけを聞いてプロだと思わせるようになるのかということです。後者を選ぶのなら、全力で練習することです。

 

 

 

 

個性、オリジナリティを創ることの大切さ

 

「誰々みたいなヴォーカリストになりたい」といってこの世界に入ってくるのはよいですが、それだけでは単なるファンにすぎません。この世界に居続けたいのなら、どう歌うかが問われます。

 

それには、何を歌うか、なぜ歌うのか、自分にとって音楽とは何なのかという問題と真剣に取り組まなければなりません。音楽自体が生活のなかに入っていないと続いていかないのです。

 

バイトをしながらちょこちょこスタジオに顔を出している人よりも、サラリーマンをやって土日だけのバンド練習を10年以上続け、毎年アメリカへ行って本物を見たりしている人の方が質の高い音楽を演っています。要はどこまで真剣に続けているかが問題なのです。

 

売れようと考えすぎるのは、今の日本では損です。アメリカならば、ベースのできた人々が才能で争っている世界なので、それもよいでしょう。うまいのはあたりまえで、それ以上のものが必要となるのです。力がないのが、わかりやすいです。世界では通じなくとも、日本には独自の市場があり,そこそこの実力でも注目されるので、その分、デビューは楽です。

 

歌は、自分が歌うからこそ意味があるのです。ああいうふうに歌いたいとまねるのでは、二番煎じになってしまいます。人の歌を聞いて、あれじゃがまんできない!といって歌うようでなくてはいけません。その感性をものすごく大切にしてください。それがオリジナリティです。その裏にあるのがポリシーになるわけです。それがないとなかなか深まりません。

 

多くの歌が聞いているうちに飽きてしまうのは、なぜでしょうか。伝えるだけの表現ができないからです。結局、何かの亜流でしかないために、今までに音楽上の流れのなかに分類され埋もれてしまうからです。新たに大きな衝撃をもたらさないからです。

 

音楽はクリエイティブなものだから、あ、変わった、と思わせるようなもの従来見られなかったものでなければだめなのです。影響を受けて自分で組み立てていくのはよいのですが、単に亜流になってしまうと、自分の世界がなくなってしまいます。誰かのものまねで一生やっていきたいのなら、それも一つの道ですが、それはプロになることでの方向が違います。

 

どうも日本独特の現象と思わざるを得ないものに高音志向があります。ヴォーカルでもヴォイストレーニングでも高い音が出れば進歩だと思っているのです。だから、高い音を出している人の真似をするのですが、のどやひびきだけで出しているため、線の細い弱い声になってしまいます。あるいは、くせのついた発声になりがちです。

 

ことばのわからない海外の歌に私たちが感動するのは、声、フレーズに魅力があるからです。それによって伝わるものがあることこそ、ヴォーカリストの本当の力なのでしょう。

 

俳優や声優は発声をきっちりやっていき、表情をそのなかに出して完成させます。その延長上にメロディを伴ってあるのが歌です。ことばで伝わる以上の感動が伝わらなければ歌う意味はないのです。ことばなら詩の朗読でも伝わるのですから。

 

音楽が偉大なのは、ことばがわからなくても伝わるものがあることです。ことばをメロディにしたとき、セリフでそれを言うよりも、より情感が出る。これが歌です。

ことばで言えば30分かかることを3分、もしくは一瞬に伝えられるのが歌なのです。それはすごい技術、感情が表現に凝集された世界です。

 

 

 

 

どのようなトレーニングをすべきなのか

 

ここのトレーニングの目標は簡単です。それは、たとえるならば、山で大きな声で「ヤッホー」と言い続け、次の日にも同じことができるようになることです。この程度のことでも、プロのヴォーカリストでできない人が多いのは、情けないことです。

 

私に言わせれば、「ドミソドソミソ」の発声がきっちりできたら、日本では相当ハイレベルです。初心者で、そのようなトレーニングをやっている人も多いのですが、2年ほどかかるほどの難題です。でも、その難しさもわからないまま,スルーしていく。これは、いかにチェックが甘いかということです。こんな高度なことは最初からやってはいけない,いや,できるわけないのです。

 

体のなかから声が出てこないと伸びません。また、そこにその人の個性や主張が出ていないと表現に耐えません。

 

自己流でやっていくと、多くの人は、大きな壁にぶつかります。

本物とは一声、聞いただけで差がついてしまうということと、それが単に何年歌っていても、そのままでは解決できないことだというのがわかるでしょうか。

 

それは、2千回弾いた中学生のショパンの曲が、プロの初見の演奏にかなわないと同じです。その原因は基本の習得度合いにあります。

マチュアのヴォーカリストの練習は、ピアノで例えるなら、1本指で弾いて1曲弾けたらできた、と思っているのと同じです。間違えないで歌えたら終わり、これでは何も身につきません。

 

せめて半オクターブをしっかりとした声でキープできる練習をしなければ、いつまでたってもレベルはあがりません。それを完璧にして初めて1フレーズを聞いてもらえ、次フレーズ、そして1曲を聞いてもらえる可能性も出てくるのです。

 

体をつくっていくということは、楽器を作っていくということです。ヴォーカリストはのどを守るためにもヴォイストレーニングをやらざるを得ません。ステージにはハイレベルのプレーヤーが集まってきます。そこで、しのぎを削るとき、対応できますか。

 

それまで自分がどういうことをやってきたかが自信につながります。バンドで何時間も続けてやってこようと、本当に身につく練習になっていなければ何にもなりません。自分が確実にできることを確実につかんでいく、これが練習です。

 

それをプロレベルにするには、どうすればよいのでしょう。

まず一つの表現を声に出して言ってみます。それではっきり通じるようになったら、その先に一音つけて声にしてみます。そして、音また上げてみる。それができなかったら、元に戻りましょう。

 

常に目標と今の自分の位置との差を把握していくのです。1レッスンが済んで「終わった」と満足しているようでは進歩は望めません。

練習とは、自分で課題を見つけることなのです1オクターブが歌えるようになったら、また元に戻る。

ドの1音だけでも、1時間の練習ができるのです。それができないようでは上達しません。

 

ヴォーカルを聞くときに、私たちは、どこまで高い声が張り上げられているかなど聞きません。体ができていないと、高音から戻る際も中間音でかすれたり、乱れたりして音程が狂います。それをいくら口先で直しても同じです。音程の練習、リズムの練習だけでは、歌はうまくなりません。

 

大切なのは、声をきっちりと出すことです。本来なら、声がしっかりと出ているなかで、音程が正される練習をするのが筋なのです。音程をとることに気をとられて、本来の自分の声を犠牲にして歌うことは、練習とはいえないのです。

 

本当に身につく練習とは、初心者であれば、1曲歌ったら神経的にも身体的にも参ってしまい、倒れ込んでしまうような歌い方をすることです。そのようなベースができて、体で音を調整できるのがプロなのです。

 

声はつくるのではなく、できるまで待たなければいけません。共鳴させるのではなく、ひびくようになるまで待つのです。歌というのも、正しく歌い終わったときにできあがるのではありません。

ある歌に出会って何年後に再び歌ったときに、ある程度できる、といった感じです。

 

毎日毎日、成果が見えるトレーニングなんていうのは、うさんくさいものです。マニュアルをながめているだけでは、歌はうまくなりません。マニュアルは10、20点の人が50、60点になるためのものにすぎないのです。そこまではカラオケ採点機で賄えるほどです。ただ,使い方を間違えないことです。

 

結局、ヴォーカリストは、自分の見えているところ、自分の音楽が要求するところまでしか伸びていきません。ですから、一流、本物に接し続けること,そこから学ぶことが第一のベースです。

まず、本物に接しましょう。本物と同じ次元に立とうとすると、その距離がどんなに遠いかがわかります。それをつめていくことが練習なのです。

 

 

 

 

口先ではなく、体の底から歌うこと

 

一般的なヴォーカルスクールでは発声を、上の方はこういう発声、下はこう、まんなかはこう、と分けて教えます。または、「あ」はこう、「い」はこう、といった具合に発音を区別していきます。

しかし、欧米語なら母音もたくさんあります。「あ」だけでも何種類もあるのです。

 

彼らは、そのなかで深い声で歌うのは、体を使いやすいからです。日本語は「あ、い、う、え、お」すべての音が浅いため、話すことと歌うことが,そのまま、つながらないのです。

 

高い音ばかり出していると、高い音にあわせた声づくりになってしまいます。高いところ、低いところと分けるのは、日本によくある考え方です。日本人は、高音を出そうとすればするほど、のどをつめて声が細くなってしまいます。

 

外国人は、私たちほど、高いところという感覚はもっていないようです。どちらかといえば、あるのは、強弱です。端的にいうと、感情を強く出すか抑えるかです。強く出した結果、たまたま高いところになっている感じです。日本のニューミュージック関係のカン高い声は、案外、特殊だと思ってください。

 

彼らの声をめざして、ヴォイストレーニングでやっても成果は難しいところです。そういう歌い方をしたくとも、基本トレーニングのときには、やらないことです。

 

母親が乳児の話していることを聞き取るように、いちいち聞いてあげなければ伝わりにくい、としたら、そこに活き活きした表現がないからです。

子供が危機に瀕して助けを求めて「お母さん!」と叫んだときは、日本語のわからない外国人が

も聞いて、その声ですぐさま状況を理解することができます。そこに表現があるからです。これこそが伝わる発声なのです。

 

外国人は歌をやたら伸ばしません。それは短く、深い息を使っているからです。そういう条件のもとで行うから、効果も出やすいし,わかりやすいのです。

 

日本語をどう使えばそうなるのかわからなければ、音声の勉強をやってから音楽に入ることです。外国では、日本の漢字の読み書きと同じくらい熱心に発音発声の練習をします。音声の教育が日本にはないのです。それゆえ、ヴォイストレーニングがより、必要となるのです。

 

大きな声を出し続けることによって、発声を支える体が早くでき上がります。野球でいえば、速球,パワフルな球でしょうか。ゆっくりした球をしっかりとコントロールして投げることは、力のある人でないとできないということです。

思いっきり声が出て、歌えるからこそ、口先で出したり、柔らかく表情を変えて効果があがるのです。それをそのまま真似たのでは、ただのカラオケになってしまいます。

 

 

 

 

自分の世界を築き上げていく

 

ものごとを他の人と違った受けとめをして、そこから何ができるのかということが大切になってきます。ロックをするにも、ロック以外の音楽を勉強しないと、ロック自体もわからないでしょう。そのなかにどっぷりと使っているだけでは、出て行けないのです。違うものをもっているから、新しいものを創り出すことができるからです。

 

まわりの人が評価しているのに、自分は評価できない。そこで自分がおかしいと思う必要はないのです。むしろ、誰も気づかないものに、自分が変だと思ったものに、こだわるべきです。そこにあなたの存在の意味があるのです。それがあなたの個性、キャラクターへとつながるのです。そこをはっきりさせていかないと、ヴォイストレーニングの意味もありません。

 

オリジナルを千曲創ったとしても、世界にスタンダードとして残っていくよい曲は、何万曲とあるので、それを比べると、それらは亜流の亜流になってしまうものです。そんなことに精力をかけるよりも、有名なスタンダードなナンバーをどれだけ歌いこなせるか、そのなかでどれだけ自分を表現できるかに挑戦すべきです。

 

採点付きのカラオケ機で、無難に高い点をとる歌など、人の心をもっていけないし、存在価値もありません。プロが10人いれば、スタンダードも10種類のものができます。その11人目に入れるだけ、個性の強いヴォーカリストになることです。

 

日本の音楽を学ぶ場では、そういうこと求めていません。特に歌では。変なことをやると、すぐ眉をしかめられます。

 

ヴォイストレーニングで声のマニアになっても仕方ありません。確かに発声の世界は,それだけでも大きなものですが、凝りすぎて固めていかないことです。

 

日本のアイドルは、高く浅い生理的不快感を伴う声が標準です。海外では、日本でいうところのハスキーヴォイスが評価されています。そこには、ヴォーカルを声の表現者として捉えられる、文化の成熟度がみられます。

 

これからは、本物指向になっていくので、アイドルの歌を追っかける時代ではなくなっていくでしょう。大人の聞き手層も広がります。日本のヴォーカリストは数多くても、歌を聞かせられる人は少数です。皆さんにはよいチャンスだと思います。

 

もう一世代たてば、日本も外国人並に才能で勝負する世界になり、生まれつきの才がそれを左右するようになるかもしれません。しかし、少なくとも今の日本では、基本を踏まえて歌えるだけで充分、通用するからです。

 

 

 

 

本物の声を見つけ、育てる感性を

 

バンド活動は相変わらず隆盛ですが、自分たちのヴォーカリストを本当にハイレベルに伸ばそうとしているメンバーはほとんどいません。それは、ヴォーカルのことがわからないからです。彼らはオリジナルのキィで、今すぐに歌えるヴォーカリストを探すのです。それに合わせるように練習していてはだめです。

ヴォーカリストは基本的に一人です。伴奏がなくてもステージをもたせるだけるの力量がなければいけません。バンドに乗っかっていてはだめです。

一流のヴォーカリストを頭の中にたたき込んでいる人やそうなりたいと本気で願い、なれると思っている人は、そういうところで間違えないでしょう。

そういう人々は、ヴォーカルスクールのレッスンに3回、通えば、それが10年やっても不可能だと気づくはずです。本物を聞いていれば、そういう上っつらのみ、習えば、できる世界じゃないとわかるからです。

 

自分一人の力で、1曲3分間、ことばをつなげて何千人の人を魅きつけていかなければならない責任の重大さを考えたらいい加減な練習はできないはずです。

ここのトレーニングはその場を提供しています。

 

しかし、ここでも自分で伸びていかなければどうにもなりません。自分でつかみ取っていくしかありません。ヴォーカリストでなく単なる声のよい人に終わってしまっても仕方がないのですから。

 

毎日トレーニングをしていく上で、自分をコントロールすることは重要です。体が鍛えられて楽器が違ってくるから、今のベストの声と2、3年後のベストの声は当然、違います。

 

私は、ライブハウスへ足を運ぶと、1曲目の出だしで「このままここで1週間歌い通せるか」ということで判断します。たいていは、このステージでさえ最後までもつかな、と思うくらいです。

本当は「皆さん、今日は来てくれてありがとう」MC一つの声が、もう商品になっていなければ、プロとはいえないのです。

 

体のなかは自分では見えないし、自分の声を生で聞くということは、一生できないわけです。だから、ヴォイストレーニングは、トレーナーと自分で一緒に創るものなのです。

 

声を録音し聞いてみて、いやだなと思った人は、体の上の方、顔や口の内でつくった声で歌っている人です。完全に体から出ている声というのは、「誰もがいい声」と思える共通のものです。

 

あらゆるスポーツと同じく、ヴォーカルも腰が大切です。そこを中心に自分の体を使いこなさなくてはなりません。しかも、その人の気質、筋肉のつき方、強さなど、独特のものをつきつめたやり方でやります。そのため、教科書通りの方法などというものはありません。

 

ここのトレーニングで楽で苦労のない日々にはならないでしょう。いろんな悩みが、より早く出てきます。それは時間をかけてやっていくことでしか解決できないことです。

 

自分なりの考えへのこだわりは必要ですが、その前にその対策にこだわることが正しいかを吟味しなければなりません。誰にも認められない変なことをやって終わっていくことがないように、本物を感じる力、感性の力をもたなくてはいけません。

 

これが必要な本当の声だというのを見つけだすのも感性の力です。すると、徐々に「腹の底から声を出す」ということがどういうことかわかってきます。千ぐらいの声を出せば、一つぐらい使えそうな声が出てきます。それに磨きをかけるのです。練習は、高低を分けて考えてはいけません。相手にきっちり伝わる大きな声を出すことです。

 

バンドの8割は、つくるためでなく、こなすためにやっているのです。クリエイティブなことをやろうとするのは、孤独な作業です。

ヴォイストレーニングとて、1→2→3→あがりというような、スゴロクのようなものではありません。前に戻っては繰返し、それは、自分が求める限り永遠に終わりせん。

 

しかし、しまいにはそこに生き方が全部、表われると思うのです。自分が辛くてもそういう方法をとれば、やった分、確実に差が開きます。他の人が気づいて始めれば、またその間に引き離す。そうして何年もやっていれば、まわりに誰もいなくなるでしょう。

 

それにすべてを賭けきるんだという執着心をもち、時間をかけて身につけていったら、その価値もわかります。その分、何かを犠牲にしているわけですから、そう簡単には手放せなくなります。

 

音楽には、さまざまな世界がありますが、歳とともによりよい世界を創っていくことが大切です。あなたはもちろん、誰でも歌がうまい方がいいはずです。聞かされている方はもっと、そうです。それなら、お互いの意味のある関わり合いをしましょう。

 

最近の日本人は、声がますます浅く弱くなってきているようです。

それなら、まず、声をうまく使いこなしている人、たとえば八百屋の呼び込みの人を尊敬することからまず始めましょう。

 

最後に、一番、考えて欲しいのは、始める時期ということです。ここには、本当に来たいとき、解決のつかないときにこそ来て欲しいのです。

何ごとも、基本的なことを、体に習得させるには、ある時期、集中して、それにかけなくてはいけません。体を使える技術やその心も学ばなくてはなりません。じっくりと考えてください。