レッスン感想 387
深い息を吐くというのは、「余分に」すった分を吐くということ。今まで、吐けるところまで吐ききることだと思っていた。ストレッチを授業でやるのは2度目だったので、効果を確認しながらできた。
ブレスの時間になぜ体を使ったトレーニングをするのかがわかった。フレーズを大切に、歌の流れを大切に、歌詞がぶちぶちきれないように歌うこと。
課題が難しかったが、何やら宗教的な宿命的な神々しさがあった。
間の多い曲は、特に発音の悪さが目立ってしまうこと。家でどんなに練習していても、それが出せなければ仕方がない。イマジンのような平らな曲を、どうやって3番まで歌うかが難しかった。適当にレノンの歌い方をまねして、フェイクで歌ってみればいいというものではない。どう歌おうかまだ分からない。
弱点の再確認。
上のクラスの人たちが何人かいて、その声のでかさに驚いた。フレージングという点では、まだまだわかっていないようで、「歌にする」ということをもっと頭に入れていないといけないと思った。
4段階くらいの力の差がある人たちのいた教室で、たくさんの人の声を聞くことができてよかった。実力のある人の声を聞くことは、とても勉強になった。実践としての参考になった。頭で分かっていても、実際に声に出したのを聞くと、よくわかってよい。
短時間で歌の構成を自分なりに組み立てていく手順。この場に来ると、いつもがんばっていこうという気持ちになる。(本当は他に頼らず、自分でそういう気持ちを維持していかなければと思うのだが)「そこがステージなのか、単なる練習場なのか」という言葉を思い出した。いつもながら煮えきらない甘い自分に嫌気がさす。なぜここで恥じらうのか。ここがステージでなかったら、どこがステージなのか。
他のスクールでは、リズム譜を見てやることばかりだったけど、歌いながら実際に体にたたき込んでいくやり方はいいと思う。
尾崎紀世彦の「また会う日まで」をやった。なつかしい曲だが、改めて聞いてみて、この人の体の強さにビックリした。楽々と歌っているように聞こえるのは、体の違いがまずあるということ。自分で歌うと、かなり低く出ても、「話したくない」のところは、体を使えない。すると、次の「なぜか」からがめちゃめちゃになってしまう。出だしのところからきちんと体を使わないと、高いところができないこと。
曲を使った8ビートを学ぶ。最後に歌ったとき、めちゃくちゃなんだけど、ちょっとリズムに乗って回転していく感じがわかった。8ビートもスウィングみたいに、もしかして裏から表にいくのが、ノリになるんじゃないかと思えた。
ビート感を体に入れること。その練習法。メトロノームの音を裏拍に感じるのが大変だけど、それができると急に、リズムが回転するように感じられる。
リズムキープをはじめとして、リズム感の大切さ、自分がいかにできていないかがよくわかった。
音楽がとても深いということ。聞いている人のパワーを与えることにウェイトをおいていたけれど、歌っている本人にも何かとてつもない力がわいてくるものだとわかった。
タイのリズム。移動ドでのソルフェージュ。曲はリズムが大切であること。
歌のリズムとうねり。
リズムのうねりや、歌をリズムの上に乗せることの難しさ。「ツカカカ」のリズムの大事さ。
口を大きく開けて歌う。心で歌うことが大切。
気持ちをハイにしながら、自分をコントロールして歌う。
ピアノにあわせて、適当に声を出すのが、気持ちよかった。自分の出しているメロディは、あまりかっこよくなかったけど。
まず、全体の構成をしっかり考える。メリハリは、声の強弱だけでなく、スタッカート気味に歌う、のばすということをきちんとやる。言葉の感じを大事にすることと、ノリを出すこととを両立するのは難しい。
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息を深くする。深い息が、どのようなものか体でわかるようにし、1秒ごとに吐く息で、少しずつその息に近づけるようにする。
「喉に無理はさせず、体にがんばらせる」との言葉で、今まで、「正しいやり方って何だろう?」と小さなことにこだわっていたのが軽くなった。
自分の耳を鍛える。ポジションが取れた取れないは、最終的には自分の判断になる。喉に負担がかからないよう、息吐きの数をこなし、深い声を作って、そこから広げていく。
声を大きく出すことだけにとらわれて、表現して歌につなげるというヴォーカルとしての基本的なことも常に忘れてはいけないと思った。
腰の固さに意識を向けて1時間通したら、柔らかくなっていくのが実感できた。
大きな声を出すこと。深・太・大が大切。深と太はつなげて考えられたのだが、大をやると他を見失ってしまうような気がしていた。しかし、大をやらないと、深を体験できない。最初のうちは、少々壊してしまうことも恐れずにやるべきだと思った。
言葉と体と気持ちがバラバラになることのつまらなさと、絶望と、向上心。
一つのフレーズの中で、メロディを作っていくこと。言葉を微妙にずらす技術。プロの歌手の歌のうまさ。
ある程度は出した声がよいかどうかわかるけれど、自分でのトレーニングでは、「あれ?今のはどうかな?」というのが多い。レッスンでは、それがとてもはっきりするので、「そうか!」と納得し、これからのトレーニングの目標がはっきりしてくる。
「何も言えずただあの口づけ」という一つの言葉の中で、どういう情景かを自分なりに考えて、それによってフレーズの切れ目や感情を入れる。
4番まである曲だったが、同じメロディのところも、プロは内容に合わせて歌い分けていた。いつも楽譜があればもっと練習しやすいのにと思っていたが、行間を利用するような、楽譜にとらわれない練習こそのオリジナリティの出しやすさ(チェックのしやすさ)に今まで気づいていなかった。
初めて、福島先生のおっしゃっていることが、頭と体で理解できた。今まで理解していたつもりだったが、違っていた。体を思いっきり使って、感情表現をし、体に読み込ませることが重要であることを知ったのが、今日の大きな収穫だ。
音をそろえる練習、フレーズの練習は分けて行う。ごちゃまぜにせず、目的を絞ってやる。ラでやったとき、音が浅く広がってしまう。体に入ったラは、巻かないように聞こえるかもしれないが、きちんと表現がのる。
自分の音で精一杯だと、いいハーモニーは生まれるわけがない。自分のパートをマスターし、その上で、他のパートの人と合わせようと心がけていて、ハモリができる。自分のことで精一杯で、余裕がないので、それぞれのパートが別々になってしまった。自分のパートをすぐに覚えられる音感の良さを身につけようと思う。
シャンソンのような、はり上げない歌の中から表現を学ぶこと。歌を大きくしてはいけない。言葉で表現した以上のものは、歌にも表現できない。三連を崩していろんなパターンを見つける。メロディックな曲は、表現で、勉強すべきところがたくさんある。同じ歌でも1~4番の間に、ずいぶん歌い分けている。それを聞き取る耳をつくっていく。
瞬時に息を吸うのができない。胸で吸ってしまうと、声が続かないので、お腹へ送り込もうとすると、時間がかかってしまう。息を吸うトレーニングがこんなところでも役に立つんだと実感した。
カ行、タ行は深いところに入りにくい。「めぐりあい」の「あ」で浅くなり、「り」ですでに崩れている。基盤となるものをはずさないこと。体で説得力を持たせること。
16ビートにのって歌詞をしゃべるのは、口がまわらないだけでなく、リズムにのるのが難しい。先生はサラッとやってのけてしまう。私もはじめは見事に崩れたけれど、気合いを入れたら何とかできた。でも、リラックスしてできるようにならなきゃいけない。16ビートは聞いているだけでも気持ちがいい。自分の体にしっかり身につけたいと思う。
1曲歌うことの大変さ。2ヶ月以上練習し、アドバイスもたくさん受けることができた。1曲を聴き込んでいくと、後からいろんなことが見えてくる。何度も練習して、アドバイスを受けていくなかで、こういう点に気をつけたり、ポイントを置いたりすればいいということもわかってきたし、自分に力がないにしても、特に弱いのは、軽さを出すこと。雰囲気を変えるところで変えられない。リズムにのることと、声量を出すことを同時にできない。これら細かい具体的なことを知って、つっこんだ練習をすることができた。また、いろいろな人の歌をもっと聞いていくことの必要性も感じた。それもバラバラに流して聞くのではなく、1曲を何度も、フレーズやノリや言葉などのことを考えて、繰り返し聞くことだと思った。そういう勉強が、全然足りない。これも、完成したわけではなく、仕上げるにはまだ何倍もやらないとできない状況。問題だらけで、言われることは大体同じ。それを克服するのは、本当に大変。
ライブがあったからとかじゃなく、どの曲もこういう風にして掘り下げていかなくちゃいけない。曲のおかげで、1曲に対する気持ちが変わった。わかっているつもりでも、実際に自分でやってみないとわかりっこないことだった。特別好みでも何でもない曲だったのに。歌詞がぼろぼろで、穴があくほどやって、今じゃすごい愛着でいっぱい。これで終わりにはしたくないから、密かに練習を続けて、どこかで必ず歌うぞと思った。1番の収穫だったのは、1曲をつめていくことの意味が分かったこと。今後はこの姿勢でやっていきます。
できないところは、わかっていてもどうしてもうまくいかず、何をやっていいのか、何が今一番できることなのか悩んでいたときに、先生は4つのポイントをくれた。これで具体的にイメージし、チェックしながら練習できると思う。歌っているだけでは、声を出しているだけでは、本当の安定したうまさは身につかない。もっと厳しく、ごまかさずに、自分の声を意識しなければと思った。今の私は、ここで歌なんて歌わなくていい…息と声とをもっと深いところで結びつけなくては。
体を使う練習と、歌を実際に歌うときは違うのだということが、やっと今日わかった。歌を歌う時は、余計なことを考えず、音楽のイメージ(意味)をとらえて歌うと、余計な力も抜けるし、割と声も出るし、自然と体も使える。
先生の「応援団になるな」の言葉に、どきっとした。当たり前のことだが、歌は要素として声があり、リズムがあり、音程があり、言葉があるのだ。それが合わさって歌になる。今までは、自分が「声一本」という感じになっていたが、変えなくてはいけない。
声に関して、今まで以上にがんばるのだが、他の要素も考えなくてはならない。プロは、何気なく聞くと、軽く歌っているのだが、自分の体の強さを持ちながら、語るように歌う。そして、フレージングで山を作りながら、この山の後に言葉を入れ、後に伸ばし、その後にもっと大きな山をもってくる。今の私にはとてもできない体の強さを感じた。
歌詞の解釈によって、フレーズの処理が変わってくるということ。自分で歌うときは、よく読み込んで組立をする本物が歌っているのを聞くと、1~4番まで、変えて歌っている。このように自然な歌にならなければいけないが、力のない時には、あからさまに変えているように聞こえてしまう。本物は、一つ一つのフレーズが流れになっていて展開を感じさせる。雑になったり、譜を追うだけの歌い方だと、聞いている方も離れてしまって、もたない。
こういう曲(「The Stranger」は切れが必要だということ。サビの部分は流す部分で、裏声で歌っても、リズミカルな部分がある。声が出ないと説得力に欠けてしまう。16ビートにきちんとはまっていないと、変に聞こえる。
日本語で歌うこと、表現することの大変さ。なまじ日本人で、日常会話が日本語な分、英語など外国語の歌よりも楽に考えてしまいがちだった。
ヴォーカルが、1オクターブ上がっても、そう感じさせないのには驚いた。自分の日本語の歌に対する取り組みの甘さに気づいた。
16ビートのいろいろな拍の取り方。流れるような曲でも、ビートを感じられるように刻んで歌うこと。
ヴォイストレーニングはシンプルだということ。体を使って深いところから太く強くするどい息を出し、その息にのせて声を出すだけというイメージを持つ。後はそれをじゃまするものだけを取り除いていく。息が少ししか吐けないとずっと思ってきた。けど、これからは、息を「多く吐ける、大きく吐ける」とイメージしながらやってみようと思う。できない、できないと思っていたから、できないのだ。
高低ではなく、強弱のメリハリをつけるということ。音が大きくなって盛り上げるのではなく、力強さで盛り上げる。言葉とフレーズの許される範囲で、歌を動かす。多少おしつけがましくても、体を使って表現する。8分割から4分割、2分割、全体へとフレーズを考える。高音の前の音は深くとる。単調な曲を、ヴォーカルの力、センスで盛り上げ、楽曲として作品とし、聴衆に聴かせるというすばらしさ、難しさ。
いろんな人がいて、他の人の声を聞くと、わかりやすかった。よく「力で下へ押している」と注意されるが、そういうことも、他の人の声によって分かる。
言葉を大きなフレーズでとらえること。大きな声が出ても、バラついていると音楽的に聞こえない。
どうしてもたてのりになってしまう。Neverが言えない。
上唇が動いてしまうのが、癖になっている。
覚えていないと歌えない。
声にくっついたいらないもの+αは、何が原因かというと、日頃の生活態度(食事、睡眠、心労、ストレス他)からくるものであって、体力においては、ある程度ついてきたと思うので、精神力においては、ゆっくりなおしていこうと思っている。肩こりについては、自分の、好きで気を使うような性格から来るストレスが多大であると思う。力を入れる(特に高音での発声)と全身の筋肉が縮まっていくのが分かります。こいつをほっとくと、痛い目にあう。深いこりは直るまで相当時間がかかるそうだ。
僕は思い上がりやすい。できた息吐きのスタイルが、そのまま将来にも続けていくべきスタイルと思いこんでしまう。そういう意味では入ったばかりの人々と一緒に息を吐き、その音や、姿勢を見比べると、非常に勉強になる。初心者の人々となんら変わっていない体の動きをみることができるからだ。それが自分の開発すべきところなのだろう。今日は、出る前に、わざとのど声でがんがん歌ってきた。そうしてからここに来てみると、何がのど声で、何が腹声なのかがよく分かる。声を出してかすれていれば、体から声を出していない証拠だ。あまりやりたくはない方法だが、1ヶ月に1回くらい試してみると、勉強になる。
出だしからサビの前までやったが、へとへとになってしまった。まだサビがあるのかと思うと、体力のなさを痛感した。体がなければダイナミックな歌は歌えないことがわかる。今は、極端にトレーニングの時間を増やすことはできないが、よく考えてチェックしながらやるようにと先生がおっしゃっていたので、少ない時間でも、密度を上げながらやっていく。
ビートのある音楽と、日本のフォークのようなビートのない音楽との違いを体感できた。今まで、ビートのある音楽も、テレーッと歌いすぎていた。ビートを出そうと思うと、自分の体を使う。瞬発力とか、躍動とか、静と動の繰り返し。
ここへ来て練習する方が、うちでやるよりも気持ちのはりがあるなと思った。よく来る人の方が早く上達するというのがわかるような気がする。
ほんの少しのずれがとても気持ち悪く、聞いている人はもっと聞き苦しいのだろうと思う。ほんの少しのずれ(音、リズム)を大切に、流さないで、少しずつでもなおしていきたい。
音程が悪い。ソルフェージュをまじめにやってみよう。リズムを手拍子でやる練習を身につけた。自分でイメージを創って、掘り下げて、ワンフレーズごとに歌い分ける努力をしていなかった。全体をイメージしていたことはあったが、個々のStoryは無視していたと思う。
私の歌にメリハリがないのは、リズム感がないこと、フレーズの工夫がないことが原因だと思う。音程よりリズムが弱い。
口でツカカカと言うようにすると、体からのうねりがわかるし、活舌もよくなるあとは、自分の曲のイメージを歌で再現できればいいなと思う。
リズム感がない。もっとリズムを体で感じられなくてはいけない。それを歌に生かしていかなくてはいけない。
喉に負担がかかる。低音部がでない。
もっと自分のテンションを高める必要がある。
最初に、歩きながら自由に声を出すのが、とてもリラックスできてよかった。手と足とでリズムを取ろうと思うと、ずれてしまったので、頭で考えず、体でリズムを取れるようにしたい。
長時間歌うと、声にハリがなくなってくる。
低いところで、無理に引っ張ってしまう癖がある。
深くすることを意識して息を吐いていけば、深くなるはず。1回1回、自分の耳をよくすましてみる。深い息は、口から勢いよくでることはない。だから喉は痛めない。ただ息をホールドできなくて、胸と喉に力が入ることもある。
普段の声の使い方だと、そんなに音ははずさないが、「深い」ところから声を出そうとつとめているときは、とても音痴になる。
自分でやっているだけでは不安なところがたくさんあるが、それは息吐きの数をこなし、体ができてから考えることのような気がするので、今は地道に体をきちんと作りたいと思う。
喉に負担がかかる。低音部がでない。一生懸命アンテナを張っているつもりでも、自分が何に気づけていないかが、なかなかわからないこと。
最近、高音域のところで上に抜く感覚をつかみつつあり、実際、そのように処理すると楽だが、そればかりやっていると確かに高音域の声質は細く、浅いものになってしまうだろうと思う。力むと喉がかすれる。力を抜くとスムーズにというのが、先生に指摘を受けた直後で、体でよく理解できた。
胸は内側から柔らかくしようとしてきたが、腰にはその意識がなく、外側から無理にやっていた。体の柔軟性はすべて、正しい呼吸をすることで同時に習得できるのではないかと希望がもてた。
「ここで出している以上の大きなものを、本番で出すことはできない」というのは、すごくショックな言葉だった。グループだと、どうしても人を意識するせいか、また、1回きりのチャンスの中で、たくさんだそうとするからか、変に意識しすぎてしまう。実際に、たくさんの聴衆の前でやることを考えたら、こんなの乗り越えないと。
強さが足りない。まだまだ吐く息も甘いし、体力づくりも甘すぎる。
「いつか波が消していく」という文でも、「いつかそんなことは波が消してくれるから、元気を出して」と優しく慰めているようにも感じられるし、「そんなのは彼がばぁーっと消していってくれるから、元気を出しなよ」と明るく元気づけているようにも感じる。やはり言葉を伝えるということは難しい。それを自分なりに受けとめて、表現を音にのせるのだから、歌詞の深さを改めて感じた。
レッスンというのは、普段自分の中でわからなかったり、悩んでいることを直接聞いて、それについてアドバイスしてもらえる。私自身身体ができていないから、先生もそれ以上のことを私に言えないんだということを痛感し、たくさん息を吐く練習をがんばらなければと思う。気持ちの中では、あれもしたい、こうなりたい、ここを直さなければ、とたくさんのことがめぐっているが、とにかく地道に息を吐き、それなりにでも、きちんと身体を作ることが、私が今やらなければならないことなので、こつこつがんばろうと思う。
ただ一行のものでも、歌全体の流れ(悄景)があって、その部分の歌詞が生かされるわけですから、自分の言葉として、それを表すというのは、本当に難しいと思った。他の人のを聞いていても、私とは違うように表している人もいたし、言葉だけになってしまっている人もいたし、難しさを感じた。
音を統一する練習量をこなすこと。もっと耳でよく聞いて、確実にそろえていく。「そらとうみと」では、「そらと」のところまでで、ぐーっと体に力をかけきってしまって、うみの「う」のとき、すでにキープできなくなっている気がした。長さや高さも変えてやってみる。あせって走らずに、確実に底辺を広げていく。
全体的に重い、変化がない、発音がよくない(ing)、きつそうに歌っている。上半身に力が入ってしまって、おなかが使い切れていない。もう少し構成をしっかり考えてから歌う。やさしく(おさえて)歌えるようにする。ロングトーンをしっかりやる。
「ハイ」と言うときに、口の中でつくってしまったり、喉に引っかかったり、濁ってしまったりする。先生が、息を吐いたらそれが声になるようにとおっしゃっていたが、今の私には、「息を吐く」「体を使う」「声を出す」ということが、それぞれ意識している状態で、1つのものになっていない。
ただの一行の言葉でも、全体の歌詞の流れからくるその一行であることを考えて表現することの難しさを改めて感じた。
深く声を出そう、ポジションをつかもうと力みすぎると、声がくぐもってしまった。何度も聞いていたはずなのに、今日やっとハイ、ララの練習と、「言葉をそろえて」歌うことのつながりを感じることができた。意識して力んだりせずに言葉がそろえられるような体がほしい。人のポジションも、耳が意識して聞いてしまう。自分もそうだろうが、人はなかなかつかんだ高さで声がでないのが、よくわかった。体ができてないって、こういうことなんだなと実感した。
「恋のはじめ」の「め」がはずれる。まだまだ口先だけで歌っている。
もっと体が使えるようにしなくては。
いかに自分の歌が雑だったかを思い知らされた。フレーズがとれない。体がついていかない。1つのことにこだわると、全体が見れない。歌うことは、人を楽しませることなのか、裏切ることなのか。歌手とは甘い裏切りを繰り返す、大衆にとっての玩具なのかと思ってしまった。裏切りませう。そなたが望むなら。「タリラ タリラ…」。
一つの課題ができると他のことを忘れてしまったり、レッスン中や練習中に集中しきれなかったり…と反省すべき点が多々見つかった。また基本講座を読み込んで、細かな点をはっきりさせなくてはいけないと痛感した。以前から危ぶんでいた、精神面の問題を考えさせられた。漠然とした不安は日、一日と大きくなり、シミのように浮かび上がってくるのに、何が欠けているのかわからない状態が続いた。NHKの「プライム11」を見ていたときのこと。チャイコフスキーコンクールを取材していた演奏家が、参加者たちの「純粋な情熱」(とその人は言っていた)に圧倒されて、その場にいれなくなり、人に付き添われて1回席を立った。オーケストラと合わせて練習できるのは1時間。それまで積み重ねてきたものをすべて1曲で出さなければならない。そういう厳しい状況に何度でも立ち向かっていく姿に打たれたという。日毎に色を濃くし、広がっていくシミが切迫感のようなもの(自分自身に対する危機感と言うべきか)に変わった瞬間だった。
肝心なところが頭からとり落ちてしまうのはなぜか。人が集中力を保てるのは90分くらいだという。その90分以下の1時間を集中しきれないのはどういうことだろう。耳を澄ませば「このままではいけない」という声が聞こえてくる。すべては意識の低さに起因していたのだとやっと悟ることができた。
基本講座を読み直して、なんて、もっと前にやっておくべきだったのに、どうして今の今まで放っておいたんだろう。息吐きをしないと落ちついて眠れないくらい習慣化するのには成功したけれど、必要性ということを念頭に置いていなかった以上、はたして本当に練習していたと言えるのかどうか。
毎日の練習が惰性故だったとは思いたくないけれど、いったい何をやってきたのだろうと思わずに入られない。
今月は毎日のように通い詰めはしたものの、自分自身について考えさせられたことが一番大きかった。来る度に、刺激を受けているのだから、それを大切にして、もっと自分を追い込んでいこうと思う。走り出したら、後は走り続けるだけと思い続けてきたけれど、どこをどう走り、何のために走るか(歌うか)を心に留めておかなくては。
この曲は原曲がEを使う曲で、Eが出てくる盛り上がるところがきついので、1音下げにした。しかしそうすると、今度は低音が苦しくなってしまった。後はいつも思うのだが、キィはあらかじめ決めてくるものだと反省。歌の細かい点のアドバイスとしては、丁寧に歌うこと。盛り上がるところはきちんとキープして、急に落ちない。来月は、もっと歌の内も、自分にしみこまそうと思う。
自分の体の把握による、体の使い方をマスターせねば。現段階では、「腰の曲がり(骨が少々曲がっている)による肩、首への影響が取り去れない状況にあるので、その制約の中で、いかにして自分の体を泳がしていくかということ、肩、首、腰に負担をかけずに、周りの筋肉などを機能させていくかというのが課題である。
メロディのフレーズでとらえることはけっこうできる(感覚でわかる)のだが、言葉の意味などでとらえるのが、とらえづらいので、もっとよく練りたい。練習時に、曲を歌わずとも、体を鍛えておけば、高いところも自然に出る。
最初からずっと、声が広がってしまっていた。お腹を使うのがきつかった。体力的に足りなすぎる。息吐きで体を作るのと同時に、ストレッチや走り込みを毎日少しでも多くやって、もっとタフな体を作る。
ここしばらく運動を減らしてしまい、それがもろに出ているのが、トレーニングするとよくわかる。多少の寝不足は我慢しても、一定の運動をした方が、自分の体は調子が出るし、睡眠をとりさえすれば、体調がよくなるというものでもないということがわかった。
言葉の段階で、「いつか」「きっと」「ふたり」が情けないくらい言えない。ウ行ができない。音の設定が瞬時にできない。
盛り上がりの部分を、高低に頼りすぎている。体が使えていない。読み込みが足りない。ジャズ、シャンソンで、歌の動かし方の勉強をしたいと思う。
他の人を聞いたり自分で歌った後に、本物の人を聞くと、深いところでキープしていることが分かった。出だしの「ア」がとらえにくい。アゴや首に力が入ってしまう。ド・ソと上がるとき、ソでどうしても声が変わってしまう。「ハイ」の方が出しやすいので、「ハイ」で練習する。トレーニングの記録は忘れずにつける。
自信があったのだが、実際はすごく難しかった。
やってて進歩が感じられて、なおかつ幸せになれる。
すごくエネルギーをもらったし、音楽に対するまじめな姿勢を学んだような気がする。
曲のレッスンにはいる前に、心に感じたままで、音を忘れていくことをしたけれど、またやってほしい。
息を吐くことの重要性を再認識。毎日息を吐いて、深くしていきたい。
サラ・ヴォーン。あの体の中で、無駄なく音になっていた。しかも本当にSENSITIVEでまったく無理がなかった。とてもやさしく共鳴して、全身が音楽で、周りの空気も全部音楽だった。
自分でのトレーニングは、だんだん自己判断が鈍ってくるので、月に1度のレッスンで、また感覚をレベルアップさせる。
がむしゃらというのも大切だと思った。頭を使いすぎていると思ったので、現性モードから本能モードにモードを切り替えて、大きく持っていって出そうとした。そうしたら、やはり浅いところだけ使って、口先の息(せいぜい胸のあたり)からの息しか出せていないのに気づいた。自分の体をめいっぱい使ってみたとき、初めて本当の長所・短所に気づくのだとわかった。
リズムがおくれているから、重く聞こえる。声のトーンが暗い気がする。息のコントロールができないから、重くなってしまうのだろう。歌い始めると、音程が気になって、メリハリをつける余裕がない。
体からきちんと声を出すという点では、「あなたは」と「あなたに」と「あなたよ」とでは、みんな頭は「あなた」なのに、最後につく言葉が違って、それに音がついてしまうだけで、声が出しにくくなってしまうので、ことばを声にするということを改めて難しいと感じた。
人がたくさんいて、地べたに座って先生の話を聞いている様子は、客観的に見ると寺子にいるような気分(といっても行ったことないけど)になって、私を含め、みんながほほえましく見える。
合宿ではどうもありがとうございました。数え切れないほどたくさんのことを学びました。これをいかして、これからがんばります。
合宿が終わって間もないのに、合宿に参加していた人たちがたくさん出席していた。昨年は合宿ダレがはやったそうだが、今年は順調なようだ。みんないい顔している。自分もしっかりやらねば!
新聞記者をしながら通っている方、ない時間をうまく使って練習してらっしゃるんだなあ。自分も自宅でちゃんと息をはかなくては。
もっと早く先生に会いたかった。今まで教わったことはもちろん、先生のFeelをまるごと感じとったつもり。それを私の中で消化し、私なりのオリジナルとして出していけたらいいと思います。
グループレッスンは、その日により顔ぶれが違うが、「捨て身」で声を出せる人が多いと高い意識でやれると思った。