一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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俺だけのメリークリスマス! 鈍色の雲に覆われた十二月二十四日、俺は仕事の郁合でJR大宮駅を訪れた。駅の構内の広場にて俺はフトある場面に出くわした。どこかのラジオ局のチャリティーショーが催され、特設のステージの上ではまだ二十歳そこそこの女性演歌歌手が曲を披露していた。

エラソーに俺はエラソーにその女の子の歌をエラソーに分析し始めていた。(う〜ん、さすがにコブシの聞かせ方がうまいな。音程も悪くない。でもやっぱりだよな。俺達ロックシンガーとアイドル演歌歌手の違いはここら辺だよな…)エラソーに一人で納得して三十メートルも歩き過ぎた時、俺はある点が気にかかり、突如ステージの方向に走り戻った。(あれっ、あのステージ、バックバンドついていたっけ?)そして案の定、彼女はカラオケをバックに歌っていたのだった。

何を言いたいのかと言うと、俺らはライブをやる際、色々なこだわりを持っている。バンドを組んでいない自分を例にしてみれば、「ギター一本じゃ俺のスタイルじゃない」とか「こんなステージでロックが出来るか!」etc。

実際二年前、ギター一本でライブハウスをまわっていた頃、まばらな客の前で「ああ、俺の本当にやりたい音楽はこんなんじゃないんだけどなぁ」といつも迷っていた。そしてそんな活動に無意味さを感じ、それ以来ライブからは遠ざかっている。店のマスターからは「こんな調子でやっているんなら、さっさと音楽から足を洗った方がいいヨ」などと言われたが(馬鹿野郎!こんな歌声喫茶みたいな所で俺のロックが歌えるものか!)と心の中でつぶやいていたものだ。

だが、その日見た歌手は確かにカラオケをバックに喉声で歌っていたものの自分に与えられた場所において最高のものを表現しようとしている。そして百人はいただろう見物客(きっと彼逹はファンではなく、何気なく立ち止まって見ていた人の方が多いハズ!)は義理もあっただろうが暖かい拍手を送っていた。

高慢な哲学(?)とも言える言い訳をして何もしない自分と与えられた状况の中でベストを尽くして歌う演歌歌手、一体どちらが真のミュージシャンであるかは、あえて結論付けないが、果たして二〜三人の客の前で全てを出し切れない奴がどうして何千人もの観客の心を魅了できるというのだろう…。

私はこだわりを持って生きる人間が好きである。こだわりを持つがゆえ、悩み傷ついてしまう人問もまた好きだ。しかし、そうした状況の中においても前向きに考え行動する人間こそ一番素敵だと思う。

長嶋一茂がどんなに打てなくてマスコミに馬鹿にされようとも少なくとも彼はプレーヤーである。TVの前で鼻クソをほじくりながらエラソーに批評してる奴より何千倍もエライのである。出来る事なら一茂よりも素質に恵まれ、なおかつマスコミの罵詈雑言にも屈しず黙々と自らのピッチングを追求する桑田のごとく、したたかに生きたいものだが…。

「また一人でステージに立ってみようかな」そんな危険で、しかし熱い想いがフッと頭をよぎった。そう思えるまでに二年かかった。随分遠回りだったような気もするなぁ。また昔のように横ッ手張りとばされるかもしない。でもやっぱ、俺はプレイヤーいやロックシンガーでありたいよ…。

街中、クリスマスに浮かれてる「クリスマスなんて、デエ嫌レーだ!」とヒネる事すら忘れ、今日が何の日かも忘れかけてた俺だが、欠けていた真のロックスピリッツを教えてくれた演歌少女に、そしてそんな場面に巡り逢わせてくれた天に心から感謝したい。今年も淋しい!?クリスマスではあるが、神様から最髙の贈り物をもらったような気分で、足どりも軽く、冬の寒空の中、私は家路に向かった。

 

 

アフターフロント—演奏会鑑賞シリーズ 番外編 お正月特番「春風亭柳昇

アンリルネルノルマンノルロウシャノムレ(早口言葉である)。

で、いきなり“反則攻撃”である。「春風亭柳昇」…言わずと知れた日本で唯一“柳昇”といえば、日本広しといえどこの人ただ一人である。

といって別に柳昇が唄を歌った訳ではない(まあ、カラオケ屋にでも行けば歌うかもしれないが)。

落語である。

時は年の瀬も押し詰まった十二月はクリスマス。ところは港ヨコスカ米軍基地隣。八百円の木戸銭払って、月に一度の落語会。前座に三組侍らせて待ってましたの真打登場。

-“じじぃ”である。予想を根底から覆すほどにはるかにとんでもなく“じじぃ”なのである。まさに前世紀の遺物、ほとんど『触れなば折れん』の風情である。しかし…

思い返せば、ちょうどひとつき前、地方誌の情報欄で見付けた“柳昇”の文字。「八百円で本当に柳昇が来るのか」。渦巻く疑惑。疑念の嵐。

しかし、来た。相模の国の片田舎、三浦半島の首根っこ、横須賀はダイエーの四階、特設ステージ上に落語界の至宝、落とし話の御意見番、生きながらえたシーラカンス、大東和戦争の生き証人…あの“柳昇”がその姿を現したのである。

感動的だったね。生の柳昇がしゃべるんだよ、ほんとにこれが。別に古典をやる訳でも、まして新作を披露する訳でもなく、ただしゃベるだけなんだけど…違うんだな、前座なんかとは。もう出てきて座布団に座ったときから断然違う。座っただけで“場”雰囲気を掴んでしまう。お客におもねろうとしたり、まして余計なことを言って、お客の反応を伺ったりなんぞはしない。柳昇がそこにいるだけで、ことの総てが整ってしまう。

『生涯、捕手』なんてぼやきのおじさんがいたけど、落語家は『死ぬまで現役』…棺桶入る前の日まで高座に立てる。ってことは“じじぃ”になればなるほどよくなっちゃう-、“芸” が研かれちまうっていう道理だ。こりゃ、かなわない。やつぱ“じじぃ”にはかなわない。

とにかくだ、なにが凄かったかって、もうこれが“停電”につきる。ホントなんだって。

やってた場所ってのがダイエー前、シネマスクエア…まあ、『映画館』だな。急場の髙座にいい加減な照明あてて…スーパー裏駐車場特設リング、FMWストリートファイ卜“大仁田”出てこい!のノリだと思ってもらえばいい。そのリング上で突然照明が切れたと思いねい…

一瞬の“間” だ。そして…

「え〜、映画でしたらここで“おしまい”となるところですが…」

う〜む、やっぱり“じじぃ”にはかなわない。

なんだか幸せな気分だったよ。まあ、日本広しといえどもアカの他人を幸せな気分にさせることの出来る年寄りってのは、あと、かの高名な無形文化財“きんさん ぎんさん”を残すのみと言っても“過言”ではあるまい。

落語。

いまや、テレビでもNHKか、さもなきゃ深夜枠でしかお目にかからなくなってしまったこの“古典芸能”しかし、こいつは…・『隠し家』、こりゃちょっと大いに侮れないぞ、諸君ってね。

さて、というわけで、

皆さん、今年こそはXXしようと思ってるに違いない。

うん、なら大いに張り切ってXXしていただきたい。

しかし、『人生は長い』のだ。急がばまわれ。急いではことをし損じる。待てば海路の日和あり…だから、何が言いたいかというと、そうです『めざせ、“柳昇”!』 (けどなあ、一人八百円で、百人お客がいたとして八万円だろお、それを単純に四人で割ったとしても二万円。足代だ会場費だって差っ引いたら…。ほとんどこりゃ“ボランティア”だね。実際、言ってみりゃこれが本当の『老人福祉』(…おあとがよろしいようで。)

 

 

(月並みですが)昨年一年を振り返って

 私は昨年五月にここに入り、ヴォイストレ—ニングに励んできました。最初のうちは、なかなかペースも掴めず、自主トレもままなりませんでしたが、ここ二、三ヵ月でようやく目覚めが出てきたようです。

振り返れば昨年は音楽的には大変充実した一年だったと思います。一昨年まで自分中心にやってきたバンドが活動停止となり、もっと自分自身を向上させるべく、今までよりレベルの高いバンドによるトレーニングも始めました。とにかく、今までがいかに甘かったかということを昨年は痛感しました。どちらも自分にとっては、大変プラスになり、刺激になっています。

年末は仕事もないので、この間にいろいろと練習して今年はより自分に厳しくがんばっていこうと思っています。

                                              

 

全国巡業ロックヴォーカル便り

このコーナーを執筆しようと思うが、何書いたらいいのかよくわかんねーんだよな。わかんねー事も書けねぇしさ。とりあえず、俺のわかる身近なROCK、しかもかなり片寄ったものかもしんねぇけど、まーこの辺からやらしてもらうべーかなって感じでヨロシクだぜ。ハニー。

っつーわけで今、ここ東京で一番ホットでクールでクソッタレなバンドってーなわけなんだけどよ。アンチノック系で演ってたり、Dollやら何やら読んでる奴ならみんな知ってると思うけどな。

何つったって、十月出たばっかのCDがもう完宪しそうだっつーかんな。凄えぜ奴等は。

で、今回、十一月に行った「WEST JAPAN Tour」についてのレポートを送ろうと思う。

 

西日本のライブハウス、人間、食物はこういうものだという事をみんなに伝えられたら幸いだ。ちなみに俺はBRATSのVo.ひろしだ。漢字で書くとこうだ—寛。

十一月九日(月)PM十一時。機材車に乗り込み、いざ大阪へ。ラモーンズの「サムシング・トゥ・ドウ」をBGMに早くも地図を忘れたことに気付き、東名高速の入口をさがすという波乱の幕開けでこのツアーは始まった。

十一月十日(火)目が覚めると(俺は一人でイビキをかいて爆睡していたらしい)この日の対バンの奴が迎えに来てくれていた。車から出ようとしてドアを半分開けたが、閉めようかと思ったほど大阪は極寒の地であった。でも悪いから出た。とりあえず、「ナイストゥミーチュー」みたいな感じで待ち合わせをして別れ、PM三時プレイ初日の梅田ギルドへ。せめーんだ、これが。モニターもねぇし。

「まっ、いいか。」って感じでリハを終え、隣りの駅の銭湯へ。服着てっと何てことねーんだけど脱ぐとバリバリ目立つンだよなー。特に銭湯なんかだと。肩から手首まで、バラが咲いていたり、死神やコブラかいるからさ。番台のオバちゃんまでのぞきに来るし。参った参ったって感じでギルドへ戻る。

この日は「FLY THE FLAGS」と俺達だけで、俺達がトリ。

PM八時。ドラムの1、2、3、4の合図とともにピッカピッ力の照明。三曲終わって我にかえるとせまいフロアーは人で一杯。OH!GREAT!MC 後何が何やらわからぬまま終了。

気がつくと控室で、濡れたタオルを顏にあてていた。

「ミーティングするから。」と言われ事務所へ。

ブッキングマネージャーから「メッチャカッコええやん。」と言われ、まずまずのギャラをもらい、あなたに逢えて良かった状態となった俺達はみんなで打ち上げへ。

その後、暴動の起きた西なり地区で筋金入りのルンペン逹と一夜を過ごす。GREAT! COOL!

十一月十一日(水)神戸SHOUT。はっきし言ってレベルが高い。他のバンドのリハ見て感じてしまったのは初めてだ。濡れたぜ。先っちょだけ。

横もあり、奥行きもありで、一曲目からイキっぱなしのハシャギまく。Baのまもるなんかバスドラの上からジャンプして転んでゲラゲラ笑ってたぜ。計り知れない奴だ。客も七〇〜八〇はいたかな。一部のアホ面下げてる奴等以外はみんなノリノリ&ギャハハ状態。ラストまでハイテンションの凄さまじいライブであった。あー今夜はグッスリ眠れそう。

THANX MY GOD アーメン

十一月十三日(金)「もつ鍋に日本酒なんて言ってる様じゃ、素人。もつ鍋には焼酎の水割りが一番たいね。」と福岡人に言われ、その通りにしたらその通りだった。うまいな、もつ鍋は、うん。

その後、居酒屋で飲んでると店員にサインをねだられ、ちょっしたヒーロー気分。

VIVA LA BRATS

十一月十四日(土)音がいいな、ここビブレホールは。タイトっつーか、しまってるっつ—か。俺らみたいな音にはピッタシ。ライブはってーと…。FUCKIN’!まっ、こんな日もあるさってとこかな。よお、福岡ピープル、俺達を甘く見んなよ。乞う街期待 あばよ。

十一月十五日(日)PM一時。福岡発東京行きの中、メンバー四人はそれぞれの思いを胸にツアー最終地点へと向かうのであった。

「ったく、こんな時間まで寝てやがって、本当に明日までに東京着くのかよ。バカ共が…。」

十一月十六日(月)ツアーファイナルの日AM五時。渋谷だぜ!やっと。

迷って京都まで行っちまった。SHI―!でも、でも、やっとホー厶タウン。あーうれし。帰って寝よ。

PM九時 屋根襄

遂にファイナルのスター卜。1、2、3、4で頭ん中真っ白。超気持ちいー。耳、手、性器、全ての器官が解放されたって感じ。そして約五十人での大乱痴気骚ぎは「あっ」という間に幕を閉じたのであった。

というわけで、昔から人がエビと言えばウニ、野球と言えばサッカーと、アンチに徹していた私ですか、うまい物はうまい、カッコ良いものはカッコ良いと身をもって思い知るハメになったこのツアーで、「そんなの当たり前じゃねーか。」と開き直り、ヘソ曲げてる今日この頃です。御気分いかがでしょうか?[CD発売中](ただ今売り出し中 )

 

 

「私はこう思う」今、私には自分自身を見つめて思うこと、またこれから先もこだわり統けたい事かあります。それは、「心こそ大切なれ」です。これは私の人生の師の指導の言葉であります。実に当然なことですが、私にとっては奥深い一言なのです。

「心」、それは声と非常に関係しているものと思えてなりません。なぜなら声の発露を追い求めれば、深くて広い内面的なもののように感じられるからです。

例えば、その心を表したバイオリズムが挙げられます。これは日常生活と切っても切れないのではないでしょうか。ボルテイジが下がっているときは生命力を始めとする身体全体のどこかが調子を崩しています。そんなときは何をやってもうまくいかないし、落ち込んでいるときの声は湿った感じで聞いてはいられません。逆にボルテイジが上がっているときは物事を冷静に受けとめ、実行に移しやすいものです。そして、何かやりきったとき、成就したときの声には張りがあり、歓喜して自然に歌っていることがあります。

このときの声は誰が聞いても気持ちよいでしょうし、楽しいと思います。が、しかし、人間の「心」は一瞬にして変わるものだと私は思っています。すなわち、自立精神を鍛え、何事にも負けない思いと物事を継承する意志を持つことが大事なのです。

要は歌を唄う人、楽器を操作する人すべてに言えることは人間性であり、人格を創りあげいくということです。

また、歌や音楽は言い方を理えれば、「素直な心の表現」だと思うのです。そして「索直な心の表現」は人に伝え、共感を確かめるための芸術だと私は思います。

最後に自分自身の発声において、私が心がけたいことは腹式呼吸は当然「上手に」ではなく、「丁寧」に基本に徹するということです。

                                             

 

関西支部佐藤先生のレッスン初体験

「今日のレッスンの時間を…。」

「君は何を言っているのかね?」

電話をした私に佐藤先生の厳しい言葉が返ってきた。「すみません。」

先生の許しを頂いて私はすぐ先生の自宅に向かった。そして初めてのレッスン開始。この日の内容は、

  1. 姿勢を正す
  2. 自然に息を吐く練習
  3. ピアノに合わせて声を出す(オーオーオーオーオーで)で練習

姿勢については問題なかったのだが、息を吐く練習、声を出す練習がうまくいかなかった。この練習の時は前腹をへこませてやるように指示された。前腹をへこますと声の支えがなくなってしまうような気がして不安だった。私には練習の意味はわからなかったのだが、いつものようにそれなりの意味が後から出てくるのだろうと思い、精一杯やった。そしてあーでもない、こーでもないと思ってやっているうちにこの日のレッスンは終わってしまった。

レッスン後、私は佐藤先生に習ったことを無駄にせず、自分自身のトレーニングの中に活かしていこうと決心した。このようなしっかりとした基礎の上にしかプロフォーカルへの道は開かれていないと信じているからだ。今の私には多くの課題があるが、すべてを自分にとって意味のある価値のあるトレーニングにしていきたいと思う。

 

                                         

夢を大きくもって歌いたい 僕はここに入門しているが、何を隠そうドラマーなのだ。マイナーなコンテストで優勝し、NHKBSヤングバトルでは東京代表として全国大会に出場したバンドのドラマーである。

そんな僕がここに来ているのは、バンドで歌う曲があるからでもコーラスが上手くなりたいからでもない。歌手になりたいのだ。少し前までは「いつかはヴォーカリストになりたい。」と思っていたのが、沢田研二の歌に魅せられ、家などで歌う時問が増えるにつれて歌うことが人生最大の喜びとなってしまい、今すぐにでも歌手になりたくなってしまったのだ。

一年程前からべースを弾く楽しさを知り、将来ベース&ヴォーカリストになろうと決意はしていたが、歌の喜びを知ってしまった僕にとって歌手になることは“将来”とか“いつか”という問題ではなくなってしまったのだ。今のバンドが大したことなければ、好きでなければ、今までみんなでがんばってきたことなど少しも気にとめないのならば、つらい思いなどせずにとっくにやめているだろう。今僕達を応援してくれているライブハウスが、三月頃のライブに業界関係者を集めてくれることになっている。その結果が僕の人生を少し左右するかもしれない。

歌うことは本当に素暗らしいし、楽しい。大好きな歌を一人で思いきり歌っているとウキウキしたり、“いい歌だな”と思って嬉しくなったり、悲しい歌の時は悲しくなったりする。声が体に響いているとそれだけでも気持ちがいい。声を出していると、くだらない余計な事などしなくて済む。

のどを痛めたり、風邪をひいたりして歌えない時、声が思うように出せない時、人生の喜びの九〇%を失っている気がする。

何十時間歌っても、どんなに大きな声を出しても、のどを痛めないようになりたいと思う。

人前で歌うのはもっと好きだ。人前で歌う時は“良かったー”、と思わせたいから気合いが入るし、楽しくなってくる。だからその気になったら誰が見ていようが、恥ずかしくなんかないし、そんなことを言っていられない。少しでも自信のなさが出たり、緊張してるとか恥ずかしがっているのがバレてしまったら、聴いてる人は“良かった”とは思わないのだ。 

あと、人前で歌っている時、聴いてくれている人が楽しそうだったり、曲のイメージに浸ってくれるととても嬉しい。十二日も最後のサビを歌っている時、ニコニコしている顔を見つけて、僕はそれだけで楽しくなってしまった。これが武道館や東京ドームだったら、像は僕の歌を楽しみにして来てくれた何万人もの笑顔から幸せをいただくことが出来るのだ。なんて素晴らしい!そんなことを考えると、やはり後ろでバンドを支えるドラマーでいるよりも、お客さんと接することの出来るヴォーカリス卜、シンガーになりたいと願ってやまないのだ。

もしも近々バンドのデビューが決まったとしても僕がシンガーに転向する日はそんなに遠くはないだろう。その日まで僕はバンドを続けながらも歌手としての自分に一層磨きをかけるつもりだ。もしも人間の能力というものが飛躍的な進歩をとげることが出来るのならば、半年以内にでも選抜テストを受けたいと思っている。しかし、言うのは易しである。情熱を失わず、夢を大きくもって、のどを痛めずにがんばってゆきたいと思う。

                                              

 

歌を歌う時、最も表現をしやすいKeyにして歌うということはとても重要なことであると思う。

このことからふと思いついたが、何事においても人は自然体であるとき、自分の内からあふれるパワーを最も効率よく表現し、形にすることが大切なのではないか。

その表現するものの形によってパワーの変換は大きく変わってくる。自分の力を最大限に発揮できるように、表現するものの形を変える必要がある。

そして、その自然なまま溢れ、表現されたものは本物であり、その本物で勝負していかなければならないと思う。それがオリジナリティーということの一つのヒントではないかと感じる今日このごろ。

                                             

 

ここと私 私がどうしてここに入ったのかというと、本に書かれた事がほとんど全て今まで私が抱いていた疑問に答えを出すものだったからです。ですから、私はここに対して詳しく言うと、その方法論的なものに対しては疑いを持ったことはありません。

ただ、日本の歌諾曲やロックを聴いて自分もあのようになりたいと思ってここに入ってきた人にとってはどうでしょうか。私は洋楽をあまり聴かない人に「声」についてどんなに言葉をつくして説明しても理解には限界があると思います。そしてその前段階として、ここの研究生の中においての位置というものも、いまいちはっきりしていないのだと思います。

そしてさらにこれは私個人が実際におかれていた状況なのですが、「自分も尊敬するアーティストのようになりたいのだが、まだその人のお客さんでしかない」、また、「何をどうしたらいいのかわからないが、とりあえず、本にあった通り声を強くしておくことは第一段階として必要だからここに入りたい」という動機、すなわちその段階時期にここに縁ができて入ってきた人はいないでしょうか。

さらにもう一つ、本音を書いてしまうと「確かにこの方法でプロの声がつくられる。しかしそれだけ耳のいい先生のことだから、音楽的な才能がある生徒とない生徒は見分けがつくだろう。すると才能のない生徒はある生徒のための資金的なサポー卜としかみられないのではないか」と思ったこともありました。でも先生のお話を聞かせていただくにしたがって、会報にあったように「才能」ではなく、「意気込み」であることが自分の中に浸透してきた気がします。—少し私個人の話が多くなりましたが、そういったまだアーティストに片足も突っ込んでないような時期にここに入らせていただいた私には先生にとつて「情けない」質問をする研究生の気持ちがわかるような気がしたので、一言書かせていただきたいと思いました。

私は「格言」のようなものを尊重するところがあるのですが、「火のないところに煙は立たない」などと言われるようにここに対して一つでも反発や不信を表す言動が持ち上がったとすれば、それを全てその発言者の落ち度として片づけてしまうのは、少々納得がいきません。

私は「トラブル」というものの原因のほとんどを占めるものは「コミュニケーション不足」だと考えています。そして私のような不器用な生徒が他にもいるとすれば、せっかく先生が大事なお話をされても相手が理解しなければ何もならないと思います。私は幸せにも何度も同じような内容の話をしていただくことが多かったので、理解はできたつもりではいます。

あともう一つ言いたいのは、私はわからないなりにも出席して何度もお話を間いたり、自分で確かめたりしながら、アーティストの言葉の意味をやっとわかりかけてきました。でも、もし「アーティスト」というものに対して、先生と全く同じ考えを持っていたら、そんなに何度も同じ話を聞いたりすることなく、いくら早いスピードでも一回で理解して、その次の段階に移っていたかもしれません。

つまり、何を言いたいかというと、私は自分では、年月をかけて、ここに所属させていただいたおかげで、「お客さん」から「出演者」に頭が切り換わった、つまり「成長をした」と言いたいのです。私は「人は変われる」、そして「変わる時期、環境というものがある」という言葉を信じています。 その価値観に基づいて、以上のこと、そして以下のことを述ベさせていただいています。

そうすると、私はこのここが本当にアーティストを目指す人のために、その一役を担うものでありうるためには、今まで私が長々と主張をしてきた「充分なコミュニケーション」と「時期」というものが大切だと思うのです。そういった意味で、最近のような会報はとても私には励みになっています。

それから「時期」ということについて、会報の中に「効果が出るまで待たなければいけない時期がある」という言葉がありましたが、ちょっとばかり効果が上がっただけの私が言うのはたいへんおこがましいいことではありますが、ここはそういう「体で覚える」ことであるだけに「待て」という言葉はできるだけ繰り返してほしいと思いました。     

本来、自分で先生の本を繰り返し読むのが筋だと思いますが、こういった会報や先生たちからの直接の励ましを受けられることは研究生であることの大きなメリットの一つだと思うのです。