アーティストなら幅と力を
最近の音楽をやっている人のなかに、自分のワクに閉じこもって自己満足、
かつ自家中毒になっている人をみかける。
音楽をやりたいのだが、忙しい、時間がない、仕事に追われてできない…
こんなことを言う人はきっと死ぬまで何もできないに違いない。
いったい世の中で認められるまでに歌だけができる環境で
時間を目一杯かけて、それをつくり上げてきた人がどれだけいるのだろうか。
少なくとも私はそんなぜいたくな環境で大成したプロを知らない。
明治維新後、戦後しばらくまでは、西欧に行く援助のできる親は限られていたし、
持ち帰るだけで名をなせた人もいただろうが、、。
どのアーティストも仕事や勉強のなかで、雑務に追われる日々のなかで、
ためたものを一気に短い時間を惜しんでつくりあげてきたのだ。
生活のなかの限られた時間で、それを完全燃焼させて、
プロレベルの作品をつくれなくては、そのくらいのパワーがなくては、
プロとしてやっていく資格はない。
無駄と思われる雑務の日常なかで私たちは、人間に接する。
そこで人間を知り、理解し、何かを創り出せる。
なのに、何が音楽だ、何が時間がないだ。
一人よがりにがんばっているつもりの人には、いったい誰に歌いたいのかと問いたい。
自分を待っている人がいるであろうに出ていこうとしない人をアーティストと呼べるだろうか。
その人は音楽に専念してプロを目指しているつもりでも、
大きなもの、人間という相手とそれを超えたもの、
アーティストにとって最も大切なものを見失っている。
そのことに気がつかない。
「私は音楽で歌で身を立てたい」と思うのは勝手だか、
ヴォーカリスト、アーティストというのは、人に伝える仕事であろう。
音楽の才能、声の力だけではない。
人とまみえてこそ、人間であることを忘れるな。
本当にアーティストとしてやっていくのなら。