一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レクチャー  トレーニングの実際 20265字 要約付 192

レクチャー  レーニングの実際   192

 

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要約

声と歌唱力のトレーニングに関するガイドです。

以下にその内容を要約します。

目的と理念
声をパワーアップさせ、魅力的にすることを目指すトレーニングプログラム。
声だけでなく、表現力やアーティストとしての基盤づくりを重視。
アーティストが集まり、相互に啓発し合える場をの創造。
声の可能性を引き出し、将来に通用する声を育成。

 

基本理念
声の深さと使い方
声は体から響かせることが重要。
喉だけでなく、全身を使った発声が鍵。
日本人特有の浅い発声を克服するための方法を提供。
基礎から応用へ

一オクターブをしっかり歌えることが第一歩。
高音や低音域に進むのは基礎が固まった後。
声のトレーニングは一朝一夕で身につくものではなく、長期的な成長を前提とする。
個人の特性を引き出す

固定的な基準を設けず、個人のオリジナルな声を磨く。
真似ではなく、自己表現を追求する。

 

具体的なトレーニング方法
呼吸と姿勢
呼吸は発声の基本。深く、安定した息を意識。
姿勢を習得し、身体全体を発声に使えるようにする。
上半身の力を抜き、自然体で立つ。

 

発声練習
「冷たい」「ある」などの具体的な言葉を使って練習。
言葉を深く発声し、音楽的な響きを意識。
一つの言葉や音をしっかりと捉える。

 

音楽的表現
言葉の意味や感情を伝えることを重視。
声の深さと音楽的なフレージングを両立させる。
成長のためのアプローチ
急がず、基礎をしっかり固める。
2,000曲を聴き、200曲を口ずさむ。
日々のトレーニングを継続し、実力を養う。

 

その他のポイント
日本人特有の課題(浅い声、体を使わない発声)を改善。
声を使うことは音楽活動の一部に過ぎず、全体のアーティスト力を高めることが重
要。
自分自身の声を深く理解し、最大限活用することが求められる。

 

結論
このトレーニングは、単なる歌唱技術の向上ではなく、声を通じて表現力を高め、

アーティストとしての基盤を築くことを目指しています。

長期的な視点で成長を促し、個々の才能を最大限に引き出す方法が提示されています。

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アーティストの場として

 

今、ここでやっているのは、グループトレーニングで一時間、あと個人トレーニングが必要な人は三十分という形です。

 

目的は、声をよりパワーアップし、魅力的にすることです。

東京で始めてから、わずかな間にもう2百人を超す世帯となりました。

本もこの分野では唯一ベストセラ—となり、多くのメディアがここを取り上げてくれます。京都も自主運営の形から始まり、軌道に乗り始めたところです。

 

ここはスクールというよりは、むしろ塾、修行の場です。

歌い手や俳優さんなどが来ているわけですが、私はアーティストが集まり、相互に啓発できる場を創る場としておいています。

 

みんなの一人ひとりが持っている最もよいものを引き出して、相互に啓発し合って、次世代の音楽ー音楽だけではないのですがーアーティストとしての基盤をつくれるようなところにしようと考えています。そのうち、発表の場も整えていくつもりです。いわば、21世紀に向けて文化の発進地となればよいと思っています。

 

最初はプロの人しかいなかった上に、みんな自分のステージを持っていたので、そういうものを用意する気もなかったのです。しかし、そのときとは違った意味で自分たちの拠点、発進地が必要だと思うようになりました。

 

今もステージ実習をやったり、実際にステージに出ている人を呼んできたりして、刺激を受けられるようにしています。たとえば、現役のヴォーカリストである外国人などを呼んで、一緒にステージもやってもらうこともあります。もちろん、基本的の歌の前のヴォイス・トレーニングを中心にやってもらっています。

 

今の自分の声ではどんなに歌っても、海外に行って通用しないと思うのなら、まずは声だけでも(歌わなくても)通用するレベルまで引き上げていこうというのがねらいです。あとは各人がその声を音楽なり、演劇なり、そういうことに自由に応用すればよいわけです。

 

 

 

さて、何か聞きたいことがあったら、どうぞ。

本の内容でもよいし、自分のやっていることの悩みでもいいです。

 

「僕はへヴィ・メタルをやっているバンドで歌っているんですけど、高いところになったら、のどがつまるのです。テープを診断してもらったら、典型的な日本人の発声の悪いところが出ていると書かれたのですけど、その辺をもう少し詳しく教えてください。」

 

私の場合は、トレーナーという立場上、音楽や歌そのものを聞いて、よしあしと答えても仕方ないわけです。好みや評価でなく、声の将来の可能性をみるのです。どうしてもへヴィ・メタなどをやっている日本のヴォーカルには、そういう答えが多くなるのです。

 

音楽そのものの判断は非常に難しいことです。音楽や歌の評価をして欲しいというつもりで送ってくる人も多いのですが、そこはプロデューサーの仕事です。私は、責任も負えなければ、仮に「これよくないよ」と言っても、それをつきつめていけば、声以外の手段でも、ものになっていく可能性もあるわけです。

 

そうすると、プロのヴォーカルの声の力と比較してみる。その声のベースの部分で判断せざるを得ないので、そういう点からアドバイスしているのです。

 

音楽と一緒に入っている声が、加工され、その人の本当の声とはまったく違うときも多々あるのですが、声そのものに関しては、大体、判断できます。

声自体のチェックには、いくつもの基準があるのです。

 

特にポピュラーの場合は美しい声よりも、ある程度の強さが必要です。その上で歌に使いやすい声がよいわけです。使いやすいといっても、今、使いやすいということではなくて、将来的に発展していく声がよいわけです。その声で将来可能性が開けていくのか、逆に声とともにつぶれていくということをみていかなくてはいけないわけです。楽々出るような声でも表現でき、歌がものになっていなければ何にもならないのです。

 

優劣はその先で決まってくるもので、声をしっかりと捉えて歌っている人にとっては、プロとしてどのような曲想をもって歌っていくかは、好き嫌いの許される世界だと思うのです。

 

 

「それで、高いところが具体的にどうなるのですか」

 

「いつも声の線が細くなってしまいます。むこうの人とかは、すごい迫力のあるまま上の方まで出るでしょう。それを真似して無理矢理つぶしたような声を出すのですが、すぐにのどがいかれてしまって、それで何かよい方法はないかと思ったのです。」

 

それは発声の問題です。外国人の声というのは、体から出ています。

日本人がのどをつぶして出しているような声とは根本的に違うと思うべきでしょう。

 

たとえば、ものまねのプロとしてやっている人たちが、本当のヴォーカリストと同じように歌えているかというと、あれはあくまでニュアンスをオーバーに表現して似させているだけで、体や呼吸の鍛錬とかで、基本的なことを身につけていないので、あまり体を使えていないわけです。

似せるための表情づけをしているだけです。だから、ものまねはうまくても、自分の歌はうまくは歌えないのです。

 

だから外国人の歌い方を、そのまま真似たとしても、表面的にすぎません。日本人の場合は大体、声が荒れたり、つぶれてしまいます。喉声で無理してまねると、先がないでしょう。

治ったら、元に戻ってしまうので、いつまでもそういう声にならないのです。太くしたと思っても治れば細くなるわけだから本当の声として使えているわけではないのです。

むしろ、その無理が、あなた自身の声を伸ばすことを妨げていることになるでしょう。

 

 

 

「私は、自分の声に自分で納得いっていないから、基礎から習いたいと思っています。基本というのはどんなことなのでしょうか。」

 

-私の根本的な考え方というのは、同じです。

歌に関しては、一オクターブの領域内で、全ての言葉で使えることです。

 

二年制というのは、ある意味では誰もが二年でプロになれる、そのレベルになるなどという大それたことを言っているのではありません。

二年たてばプロに向けての練習が自分ひとりでもできるようになる、それをめざすようにということです。あとは自分で練習していってくださいということです。

 

自分自身のヴォイス・トレーニングは、確立するのではなく、歌とともに育っていくのですから、判断力をつけつつ、自分でやっていけばよいという考え方です。

 

なぜなら皆さんは歌を歌いたいのであり、発声の奥義を究めたいわけではないはずです。歌の世界は発声だけでできているわけではありません。もっと学ぶこと、やらなくてはいけないことがあるのです。

 

そこでさらに発声を深く学ぼうと思う人は残ればよいでしょう。二年間では、本当はベースづくり以外のことは、本格的には、できないし、あまりやらないほうがよいと言った方がよいかもしれません。

 

何か一つのものごとを身につけるのに二年というのは非常に短い期間です。若い人にとっては二年というのは長い期間で、相当のことができると思うかもしれません。でも、基本を固めるのに最低の力しかつかないでしょう。いえ、むしろ、目に見えないところの力がついているのです。

 

私から言わせると、充分にとことんやった人には、その後、10年は課題がつきない、上達し続けるという長きにわたる力を得られる期間だと思っています。

 

二十二、三歳ぐらいになってこないと声自体、安定してこないということもあります。

二十歳前の人のなかには、一時、調子がよくても、安定はしにくい。うまくいくときにはものすごくうまくいっても、あるとき急にガタッと落ちることもあるのです。このときに無理をしてしまうと、後で伸び悩んだり声が出なくなってきます。

 

それが、声がある程度、安定してくると、きっちりとなってくるわけです。

すると、少なくとも昨日はもちろん、一週間前にやったこと、一ヵ月前にやったことがリピー卜できるわけです。だからこそ、その上で表現をする練習ができるわけです。

 

そこからの練習こそがヴォーカルとして最も力を入れなくてはいけない練習なのです。

声にばかり、気をとられ、そういうものを練習として行っていない人もいます。でも、歌をめざすなら、

2,000曲くらいは聞き込み、200曲くらいは口ずさめるようにしておきたいものです。

どうせなら、歌唱に役立つために、課題とするとよい選曲を勧めています。

 

レーニングに関しては急ぐ必要は、ありません。多くの課題をやることよりも一つの課題からどれだけのものを得るかが大切なことです。

 

声楽の世界では、若い時期は教養課程みたいなものです。歴史や文化をはじめ、楽譜を読み込んだり、外国語を覚えたりするなど卜―タル的に進めていくのです。しっかりした練習ができるための準備の期間だと思っていてもよいのです。

 

これには個人差もあります。ポピュラーでは少しでも早く歌う、または表現する経験をつむとよいと思います。他の音楽のパート(キーボード、ギターなど)や女優さんほど早い年齢で決まってしまう要素は少ないでしょう。むしろヴォーカルに関しては、遅いと思っておいてよいのです。ヴォイストレーニングも、形から入って、本格的なトレーニングになっていくまで待つものです。

 

単純に二つに分けると、一つは完全な声のベースづくりです。一オクターブを本当にしっかりと歌えるようにすることです。高い音域からトレーニングを始める人が多いのですが、話しているあたりの低音域から始めて、まず充分に声が使える方向でもっていきます。

 

完成はしなくとも、ある程度しっかりしてきたら、その上に中音域、そして高音へ伸ばしていきます。しぜんとベースの声の上にそういう声が乗っかかってくるものです。ごく普通の生理的な順序立てといえます。

 

あまりに人為的に発声らしい発声として高い方からつくっていくと音楽的には通用しやすいかもしれませんが、あまり長持ちもしないし、そのレベル以上に声が伸びなくなってしまいがちです。

そのために多くの人が声の限界に突き当たっていると思います。音にあてたり、浮いて流れてしまうるような発声では、表現ができないからです。高音、裏声から進めるのは、喉声を外す意図もありますが、低いところでも可能です。

 

若いうちはどんなことをやっていても仲間が聴きにくるので、それが実力だと思いがちなのですが、それはヴォーカルの力と関係なくて、バンドの力だったり、あるいはキャラ、パフォーマンス、音楽の時流にのっているだけだったりするわけです。本当はその時期に基本をしっかりとつくっておかないと先がないのです。

 

多くの人がデビューしたり、コンテストに片っ端から出ています。あるいは認められてバックにスポンサーがついてやっている人もたくさんいます。しかし、結局二、三年でだめになってしまうのです。その本人にそれ以上のものが出てこないからです。そして、ここにくる人もいます。それは経験しただけ有利なことです。

 

しっかりと基礎を固め詰めていないうちに活動に追いまくられてしまえば出てくるものも出てこなくなってしまいます。それでうまくいった人が残るから、ギャンブル的でもあります。

商業主義のブ□ダクションは、また新しい人を捜せばよいのです。これでは、コンパニオンと変わりません。今の日本では、二十歳そこそこの若い人がティーンエイジャーに受けています。そのマーケットが大きいため、いつまでたっても彼らに任せていては何も出てこないのです。

 

とはいえ、そういう人たちがまったく努力をしていないのではないのです。むしろ誰よりも毎日一所懸命練習しています。プロデューサーもついており、自分の欠点、力のなさもよく知っています。

それで伸びないのなぜかを考えてみることです。これはつまり、声の基本がないということなのです。

 

基礎をしっかりと習得せず、歌うことばかりに専念しているからです。

個々の人の器をどちらかといえば、まとめていくのではなくて、器そのものをつくって大きくしていくことが大切なのです。

 

歌よりも歌の基本を学ぶ、歌を学ぶのではなく、歌で学ばなくてはいけないわけです。それから、いろんな課題が様々な形で具体的に出てきます。

それよりも自分の中でどういう世界をつくっていくのか、あるいは音楽を使って、音楽を媒体として何を表現するのかといった方に力をどんどん入れてほしいのです。

 

いろいろなスクールがありますが、そういうところからヴォーカリストが出ないというのは、結局、その先生の歌に関する注意をそれぞれの歌について覚えているだけだからです。うまくいって先生と同じくらいに歌えるようになって終わりです。それでは、仕方がないわけです。

 

ここがアーティストの場という意味は、自分が思いを込めて創ったものしか価値をもち得ないということを前提でやっているからです。まずみんなにあるものを100パーセント、出してもらわなくてはいけない。それを引き出すのが私の役割です。

 

今の力では足りないから、二倍、三倍につけたいなら、常に100パーセント以上の力を出そうと努めることです。そのために基本というものはあります。

 

声を使えるということはヴォーカリストとしての一割の要素にしか過ぎません。残りの九割が本当に充分であれば、この一割はいらないかもしれません。ただ、音楽を考えていったり、アーティストとしての活動をしていく上で、声というのは、大きなヒントにもなるから、大切だと言いたいのです。

 

確実にこれは育ち、鍛えられるからです。他の要素、たとえば、才能とか作曲や作詞の能力というのは、勉強してもどのように開花するか分からないところがありますが、声は確実に出るようになってきます。

 

ヴォーカルのみんなが正しい方法でトレーニングをしたら、レベルがどんどん上がって、才能の世界になってゆくところもあると思いますが、今のところ、日本では、そんなレベルまでいっていないのです。まともに聞ける歌唱は希少価値です。

 

そういう意味では、順番を間違えず、やることをしっかりやって力をつければ、歌えるようになります。本当に歌を人に聞かせられるというのは、とても大変なことですが。

そのためには、ここをもとに、それを補うことを個々にどれだけできるかということになるわけです。

 

理想的には毎日ヴォイストレーナーとトレーニングをすることですが、ポピュラーであるなら、あくまで人に頼りすぎないことも大切です。グループでも教室でも、そこでのことを元にやっていけば、間違いありません。

 

なによりもそういうアーティストとして啓発される精神の場が大切なのです。ですから、たくさん顔を出すことが上達の秘訣です。最初は何かを身につけることが、どの程度、大変なのかということをつかんでほしいと思います。

 

体一つを歌一曲に使えるまでにどのくらいの鍛錬が必要なのかということです。相当なことをやるなかでも、少しずつしか身についていかないことだから、自分自身で相当なことをやると決意し、自分ならやれるということを信じてください。

 

 

 

 

<実習編>

 

もう少し具体的に内容がつかめた方がよいでしょうから、声を出して実際にやってみましょう。

ちょっと立ってみてください。

周りの人に両手を広げてもあたらないぐらいに少し離れてください。

そこで息を吐いてみてください。お腹からです。その息自体をどんどんと深くしていってください。これはとても大切なことです。ベースとなるトレーニングです。

 

私がブレス・ヴォイスといってブレスをつけたくらい、声を出すにも歌を捉えるにも大切なことなのです。スポーツも武道もどの世界でも呼吸法とリズムというのは一番大切なものです。

 

姿勢とか呼吸法などというものは、今すぐここで習得できるものではありません。多分みんながうまく歌えるようになった頃にようやく半分、身についたというようなものだと思っておいてください。

 

姿勢といわず、私はフォー厶といっています。その人独自のものが出てこないことには、正しいフォームなどというのはあってないものだからです。

ただ、ヴォイストレーニングにおいては、ある程度、有利である姿勢というのが当然あるわけです。そこは形から入ります。

 

何であれ、ベストの状態で整えて、ものごとに接することが大切なわけです。ですから、形から入る部分と実から入る部分と両方あってよいわけです。

わけがわからなくてやるのではなく、頭でも理解し、考えながら行うことです。そこで、体を本当に使い込むことです。歌うときにものどを使わず、体からシャウトできるということを一つのメドにしているのです。

 

 

まず、足を少し開いてみてください。最初は開き過ぎると思うくらい開いてもよいでしょう。それで、重心が低く、腰が中心に意識できるようにするのです。

特に上半身に全く力が入らないようにしましょう。ちょうど自然体といわれる形です。

 

まっすぐ、ファッと立ったときに力がどこにも入らない。しかし、安定しているのがよいのです。電車の中でガタンと揺れたり、押されてもふらつかないような感じです。

スポーツの基本姿勢を考えてみてもよいでしょう。

 

とても難しいのですが、毎日やっていると段々と板についてきます。

そのときの姿勢のつかみ方として、このような方法をとっています。

 

まず、両手が下につくくらい、上半身を屈するのです。ただし、頭だけが下におちてはいけません。血が頭にいってしまいます。首、背中、後頭部の線がまっすぐになるように気をつけてください。

 

それから、背筋をしっかり伸ばして、少し体を起こします。背中の線が地上と水平になるのがよいでしょう。そして顎をひきます。そのとき、首や首筋に力が入らないことです。

まっすぐ立ったときの姿勢(立ち姿勢)では、自分で思っているよりも顎をひくとよいでしょう。このとき、背中がまるく曲がっていると顎がのどのところにあたって、つっかえます。背筋を伸ばして顎を引くことがポイントです。

 

立ち姿勢が難しいのは、腰が引けてもお腹が出っぱててもだめだということです。まっすぐ立ったところから腰だけが前に入ります。腰の入れ方というのもわかりにくいものですが、バッティングとか柔道などの感じをつかんだ方が早いかもしれません。腰を入れてという言葉がよく使われますが、まさしく腰を入れなくてはいけないのです。

 

最初は“腰が入る” という意味がなかなか分からないかもしれません。そういうときは正しくイスに座った場合を考えてみればよいでしょう。猫背になってもお腹が出てもだめです。ちょうど高級なレストランで西洋料理を食べるときのような姿勢だと思えばよいでしょう。

 

大体、日本人は胸の位置が下がり、腰が引けてるから、胸は少し高く、ちょっと鳩胸のように上に出すような感じで、ちょうどよいでしょう。

それから、肩の線は少し引いた方がいでしょう。顎は歌っているうちに前に出てくることが多いのですが、絶対に出さないことです。胸よりも引くくらいに思ってそろえる感じでよいでしょう。

 

上半身に力を入れないことです。最初は立ち方一つでも大変なのですが、細かいことは正しいトレーニングをやっていれば、そのうちに直っていきます。

 

 

次に何でもよいのですが、言葉の練習をやってみます。

「冷たい」という言葉を読んでみてください。

「冷たい」

それをなるべく大きな声で言ってみてください。シャウトしてください。

「冷たい!」もっと大きく。

「冷たい!」

無理に大きな声にしようとすると言葉だけ、のどに負担がきているのです。

音域的には、高くしないで話すところでやりましょう。

 

強くするのですが、高い声でなく、太い大きい声にすることです。

「冷たい!」

それを、のどの上にひっかけないで言ってみます。

 

少し普段の日本語の発声と違うでしょう。

「あいうえお、らりるれろ」全部、薄っぺらに前側に出ます。

私がいわゆる日本語に近い声を使うと、皆さんに聞こえにくくなります。

それなら日本語の音声を深く、外国語のようにすると考えた方が早いわけです。

 

深い息、深い声でなくては、役者もヴォーカリストも、表現には使えないのです。

高いところを出すときも同じです。そうでなくては大きな声量にもなりません。

 

最初に声の深さを求めることです。そのためには口先で調整しないことが大前提です。徐々に響きのバランスがとれてきてビブラー卜などにも影響してきます。

 

普通は何年もやっていて、ようやく息や声が深くなることに気付くのです。

それを意図的にセットして行う、ここでの上達の早さの秘訣のひとつがここにあります。

 

最初は、頭声に頼るよりも、胸から下でもしっかりと響くところがあるわけですから、そこを先に使えるようにしていくことです。声というのは響くところをしっかりと捉えておいて、高い声にもっていかないと上にも伸びていかないのです。

 

今まで日本人の歌う声というのは、大体、浅く薄っぺらなものでした。首から上の方ばかり力が入って、のどが疲れてしまうのです。

それを一度、上下に整ったバランスに戻してやることです。

つまり、声になるところをしっかり捉え、あとはそれを邪魔している要素をはずしていくのです。

これが、ここでのヴォイストレーニングです。

 

それではもう一度「冷たい」という言葉でやってみてください。

大きな声が最もよく出るところでやることです。体で表現してください。

 

 

 

次にその言葉にメロディをつけてフレーズにしてみましょう。

レミファミの音程でとってみましょう。

それを好きなキーでやってください。

 

いつもキーは自分で決めてよいです。

一番、自分の声の使いやすいところを使うことです。

高くても低くても構いません。

 

「冷たい」という言葉をつけて言ってみてください。

それをなるべく読むときと同じ感覚で言うのです。

一度、読んでから言ってみてください。

 

「冷たい。♪冷たい」

これが体に結び付いた発声の基本であり、力となっていくのです。

 

 

レーニングというのは、効果を出すために行うものですから、次の日、翌月、翌年と、力が将来に向けて伸びていかなくてはいけないものです。

しかし多くの人は、将来的にはあまり身にならないこと、その日のベストだけを考えた練習をやっているから伸びないのです。

 

それが結果として歌ったときに、ある人は一所懸命に歌っても駄目で、ある人は楽に歌ってうまく聞こえるのかという分かれ目になってくるわけです。プロといっても、日本のプロでは分かりにくいのですが、それでも力の差の根源はこの辺からついてくるのです。

 

「冷たい」というのは、たった四つの音でできている言葉です。

まず、これが「冷たい」という意味をもって表現できることです。

 

それはヴォーカリストは歌手という表現者であることからして当然のことです。ヴォーカルとしての一番根本的な課題です。

 

ここで「冷たい」という言葉を冷たいという感情が伝わるように表現できなくてはいけないわけです。なぜ大切かというと、たとえば、歌にしたときに「冷たい」というのは「冷たい」ということを伝えるための言葉のはずです。

 

外国人が聞いていたら、その人に「これは冷たい」と言葉で言っても「冷たい」というのが分からないわけです。それでもなんとなく、そういう感情、雾囲気が伝えることができるから歌なのです。

ところが、たとえば、外国語で歌うのを聞いたときに日本人がその意味がわからなかったとしても音楽的には、その感情を受けとめることはできるわけです。

 

音楽が言葉の壁を超えるわけですから「あっ、こういう曲だな」っていうのは何となく分かるものです。もちろん、題名やメロディも大きなヒントになりますが。

 

これは英語だから分かるということではないのです。そういう表現、つまり、歌は表情や声のなかに込められた感情情緒を伝えるのだということです。「冷たい」と歌わせると、どうしても多くの人は「ツ・メ・タ・イ」と言葉をバラバラにしてしまうわけです。

 

そうなると表現としても、ヴォー力リストの基本からも、どんどん離れていくわけです。

上達するにつれ、解決しない課題ばかりができて、どうしようもなくなってしまうか、

そういう課題さえ出てこないくらいに小さくまとまってしまうか、

最終的には伸び悩んで終わってしまうことになります。

 

 

ですから、今やって欲しいことは、すぐにできるかできないかは別にする。

先のような簡単な課題からやってみるということです。そこだけで完成度はほぼわかります。これは、まともなヴォーカルリストだったらできます。もちろん、なかにはできない人もいますが。

 

まず、感覚的に捉えてみてください。キーはどこでもよいです。

自分の出した声はよく分からないかも知れませんが、それはあまり感心できることではありません。

録音して聞いたらもう少し客観的にわかるでしょう。

 

「♪冷たい」こ

こでの初歩的な誤りは、声や歌い方のまえにイメージが定まっていないということです。

歌の中でうまく表現したり、感情を伝えるために一番大切な言葉や声自体の魅力を殺してしまっていることです。たとえば、音だけをとる、楽譜だけ見えてしまう歌い方になっているわけです。「レミファミ」というメロディは聞こえても「冷たい」という表現が聞こえてきません。

 

ですから、そこで表現に限界がきます。表情も出なくなって、一本調子の歌になってしまうのです。歌というのは、こういった一つひとつの表現されたフレーズが全部積み重なっている一曲、三分間となっているわけですから、歌うのが大変なのです。

 

ここのノウハウとは、結局、本当に実力のあるヴォーカリストの歌唱の声にする方法ですから、逆に簡単なのです。プロのヴォーカリストがいて、それにもいろいろな手本があるのですが、大体プロとアマチュアで、プロが、ここにきたらできるけれど、アマチュアにはできないことを解決していけばよいのです。

 

それを最初から何曲もの歌でやるから、はっきりしないのです。才能があるとかないといったような不明確なことになります。そこで息を吐くことや声そのものから比ベていくとよいのです。何度やっても一流のプロなら崩れません。わずか一フレーズだけで聞かせるパワフルな声を出し、何十回やっても変わらないでキープすることができるのです。彼らが十倍もできるとしたら、みんなも十倍やれるようになればよいのです。

 

言葉一つ、たとえばプロが「冷たい」とシャウトできるのでしたら、そうできるようにならなくてはいけません。そのようなところを一つずつつぶしていくと確実に早く伸びます。

 

普通なら十年かかるようなところを短期間でやろうというのは相当、無理なことで、無駄にできる時間もありません。表現したいことを表現するのに、最低限必要なことをしっかりマスターしていくしかありません。

 

ですから、このレベルのことでも相当きついはずです。こういう課題を中心にやって、これを何とかマスターすることを目指して欲しいのです。これだけでも難しいです。

これができている人は、プロの実力だとわかるくらい差がつきます。

 

もっと簡単にして「ある」という言葉でやってみましょう。

「シド」の音程で「ある」と歌います。

「ある」という言葉を少し伸ばしてください。

このフレーズが歌の最後だとしてやってみます。

キーはどこでもよいでしょう。

 

たとえば、ここにプロのヴォーカルが一人いて、そこを歌ったら「ある」という表現に何かが出てきます。何か分からないけれども聞かせるものが出せるのがプロです。

そのときにこの言葉の意味合いとか感情移入とか、そこから生まれる世界などというレベルのことではなくて、この「ある」という表現自体が、音についたら、すでに音楽だというところで成立するレベルがあるのです。それがヴォーカルでいう最も基本の力なのです。

 

「♪ア・ー・ル」

これだと「ある」には聞こえなくなってしまいます。

最低限で言葉が通じるレベルで言えなくてはなりません。

 

「ある」を「♪あーる」「♪あるー」あるいは「♪ある」と言い切ってもよいでしょう。

何が違うのかと言うと、日本人ならほぼ全員が間違って「♪アールー」とやってしまうわけです。浅くて薄っぺらな日本語で、そのまま音を捉えていくと、ばらばらになって、どんどん歌いにくくなってきます。

言葉で言うときには「ある」といえるのに「♪ア・ルー」と歌ってしまいます。そこでは体がついていかなくなって、口先になってしまいます。それから声がどんどん上ずっていくのです。上っつらだけで浅くなってしまい、表現力を欠きます。

 

それを解決するには一音のなかで表現してしまうことです。

「心」なら「ココロ」と言わずに「こころ」たとえば、「ソウル」「ハート」というようなつもりでやるのです。音が三つあっても一つのところで捉えるのです。ひとつの表現にもっていってしまう音は一つの音につくと思えばよいのです。

 

「ある」も同じで「♪シド」と考えないで「♪ある」そう言い切ってしまいます。口先でなく、体で切ると「♪ある」というのが、しっかりと「る」で止まります。

「♪アアルウ」こうではないのです。

 

頭の入り方も「♪アー」と流されてはだめです。体から「あ」と言うときのようにしっかりと深い息が入って、そこで「あ」を捉えなくてはいけないのです。日本語の「あ」は浅いから「アー」となりがちです。ここでは体からの声になりにくいのです。ですから、そこで表現できる力をどこまで歌に応用できるかというのが実力だと思ってもよいでしょう。

 

これをさらに簡単にして同じ音で二音にしてみましょう。

(ドド)

どの音でもよいですから同じ音をつけてやってみてください。

プロはこの「ある」だけでも体からシャウトできて、聞かせ、感動させられるわけです。そこが高いところであろうが低いところであろうが、それを伝えられなくてはなりません。

 

その人が全身で三分間、これをやって初めて一つの歌が伝えられるわけです。それでなくては、聞く人は退屈してしまいます。ですから、体中の情熱を歌に入れ込まなくてはいけません。

 

そのためには声が揃わなくてはいけないし、どの言葉もうまく処理ができなくてはいけません。これが技術であり、それを支えることを体でやるべきなのです。

 

口先でいくら「♪アル」とカラオケみたいにやっても、それは基礎力も積み重ねもない上でのテクニックにすぎません。

 

ここのトレーニングがやっていることは、一つのことに集約できます。

全てを一つにそろえるということです。全てとは言葉も、メロディも、音の高さです。

 

たとえば「ある」というのを三つ“ドミソ”にのせて

「♪ある(ド)、ある(ミ)、ある(ソ)」と言ってみてください。

このときに「♪ある、アル、ール」となってしまう人が多いのです。

 

これは音の高さによって発声を変えているからです。本当は同じヴォリュームにキープしなくてはなりません。何が違うかというと上にいった方がヴォリュー厶がなくなっているわけです。体も使えなくなってしまいます。言葉としてもインパクトがなくなってしまいます。

 

ところが音楽的表現からすると、多くの場合は高い方が強く出たいわけです。感情としてもです。もちろん、高い音をピアニッシモにするときもありますが、それは例外です。

低いところで「♪ある」と言えているのが「♪あル」になって、ソで「アル」と、たかだか五度三つの音の間でそれがずれてしまうとしたら、曲一つでは目茶苦茶になってしまいます。

 

全ての音をそろえるということは、まず音の高低に関わらず「♪ある、ある、ある」と言えることです。しっかりと体を使えば、それが全部できるようになるわけです。

 

最初は体ができていないから、体の使い方が同じだと「♪ある、あル、アル」と響きが変わってしまいます。外国人のレコードを聞いてみると、一オクターブぐらいの間では音質を変えているヴォーカリストはいません。

 

日本では、声区のチェンジとか言って、たかだか一オクターブの中で二回も変えるように考えている人も少なくありません。そんなことをやったら、まとまった音楽にならなくなってしまいます。音階ばかりが聞こえてくるような歌になってしまいます。

 

自分で歌っているのを聞いてみてください。そこで、表現よりも音符(音の高さや長さやバラバラになった言葉)が、英語が、リズムが、聞こえてしまうようでは音楽ではないのです。

メロディも音程も言葉も音楽の要素ではあっても、表現するときには感情が表現されるべきであって、そんなものが目立ってはいけません。

 

歌の中でそうなっては、歌ではないのです。言葉の音質を変えて音をとるのは簡単ですが、そうすると、どうしようもないわけです。声域も声量も低中音域でしっかりと太く強くしておいて、そのヴォリュー厶をどこまで上にキープできるかにかかってくるのです。そのまま浅く歌うとヴォリュームがそれ以上なくなってしまうわけです。

 

高音にもっていくときの基本的なやり方は単に高音を伸ばすのではありません。歌を表現するのに充分に使えるヴォリュームを保って、伸ばしていかなくては意味がないということです。

 

もっと声量豊かにシャウトしたいというときの簡単な伸ばし方というのは、今出している声を全て一本にして、もっと深くつくってやることです。すると日本語も音楽的な響きをもってきます。

 

たとえば、「♪あああ」と体の方でもっていくなら、体が強くなった分だけ、いくらでも声が出てくるわけです。そこでブロがプロの由縁である力がつくわけです。これを徹底してやっている世界というのが、声楽の世界です。

 

ポピュラーではそんなに極端に高い音まで伸ばす必要もありません。一オクターブをしっかりとやっておけば、あとはしぜんと響いてくるので、そこで一オクターブ半ぐらい声域が保てるようになるわけです。ですから、基本の一オクターブがとても大切なのです。

 

間違ったやり方では、これはできません。声楽の世界では十年単位の勝負です。しかし、そこまでトレーニングされた高音の共鳴は、ポピュラーの場合では、声そのものを聞かせるわけではないから、直接には必要ないでしょう。

 

ただ、逆に言うと、こういう声楽の基本トレーニングから学べるものはたくさんあるわけです。基本としては、同じなのです。ですから、イメージ的に高いところの言葉をきちんと伝えるには、それだけ体を入れないといけないと覚えておけばよいのです。

 

すると言葉と音楽とが一致してきます。体と心と声とも一体になり、声を出すことが体によって行われるようになります。声の線に体の線がみえてくるのです。

 

 

もう一つは言葉の問題です。

「あえいおう」などという口形のトレー二ングをいくらやっても、アナウンサーやナレーターの発音練習にしかなりません。ナレーションにはよいかもしれませんが、それはヴォーカリストに必要な声の魅力にはなりません。

 

言葉というのは世界中にいくらもあるわけですから、それを浅くて発音しても通りにくい日本語で「あいうえお」と急いでそろえようとするのは、逆にマイナスです。

口を動かさなくても「あいうえお」と聞こえるように全部そろえてしまう方がよいのです。

 

「ある」をしっかり言えないのも「冷たい」が「ツメタイ」になるのも、言葉が揃っていないからです。発音でなく発声の問題です。

 

「ある」なら「ある」と体から一つにとらえなくてはいけません。

「冷たい」「ララ」「ある」どんな言葉でも同じヴォリュー厶感をもって、体から表現できたら、言っていることや話していることがそのまま音楽になっていくわけです。これがフレージングの前提になっていきます。

 

基本は、高さにしろ、言葉にしろ、まず一度、根本的なところで、音も言葉も声もとらえることからです。今、皆さんが出している声は皆さん自身にとってもベストで出るところではないわけです。日本で生活して、何となくしゃべってきて、それで出してきた声です。

 

大きくしなくても、相手にしっかりと伝わる声というのがあります。それが深い声です。それを使っていないから不利なわけです。日本人は、日常的にも大体、自分が一番出る声よりも二、三音高い声を出しています。

 

外国人のニュースキャスターや映画スターを見たら、男性でも女性でも相当、太い声でしょう。あれは低いのではなく、深いのです。大体、外国人は声を小さくしても声が体から出ているから通るので聞きやすい。

 

体から出ていて、のどにひっかからないと顔面にしぜんにひびいてくるのです。その声はしぜんと耳に入ります。ですから、マイクにもうまく入るということです。

 

そこをもっていないと歌の中でがんばっても難しいのです。単に力で大きな声で歌えばよいものではないのです。発声の原理にかなっていることが必要です。

マイクを通して大きく聞こえる声でもあり、そして小さくも聞こえる声ではくてはいけません。両方に自在にコントロールできる力が問われます。

 

ともかく、日本語に関しては全部同じに言えなければならないということを覚えておいてください。

その上で言葉のトレーニングをすることです。

 

 

 

これまで言ってきたことをまとめると、その音が高くなろうが低くなろうが、言葉が「あいうえお」、「ラララララ」、「あかさたな、はまやらわ」であろうが、全部同じように発することのできるトレーニングをすることです。そういう声があれば、適当に「タラララララ」と言っていたら歌になるというようにならなくてはいけません。

 

声をそろえるということのほかに、もう一つのヴォーカルとして大切なことがあります。それはそろえた声一つひとつにヴォリュ—ムをつけることです。聞いてもすぐ「ああ、これはプロではない」と、外国語で歌っている曲も「この人は外国人ではない」とわかってしまうのは、声のヴォリュームとコントロール力がないからです。

 

このヴォリューム感というのが全然ないと「典型的な日本人の歌い手だ」とわかるわけです。でもこれは皆さんのせいではなく、日本人みんながそういう声の出し方をしてきたからです。日本に育って、それを受け継いできているから仕方ないのです。

 

そのデメリットをトレーニングで克服していけばよいのです。外国に行ったら、多くの人が深くて、よく響く声を出しています。親もそうだから、子供もしぜんとそうなっていくわけです。

 

ですから何年間も日本の中で、日本人の声しか聞かないで生きてきたハンディ・キャップを知ることです。外国人との間には、はっきりとした差があると思っておけば間違いないでしょう。

 

すると、今までの声は声として、これから、今まで使ってきた声をより強く歌に使えるようにしていかなくてはなりません。使ってきたと言っても日本人の場合、そんなに大声を上げたりして生きてきたわけではないから、大して使っていないわけです。

よりベストのポジションの声を出さないと本当の意味では変わっていかないでしょう。ですから、それになるべく早く気づいてほしいのです。

 

一流のヴォーカリストを何十人も聞いたらわかります。特に女性はそうです。日本の御婦人方や女子大生あたりの声は外国人に言わせたら、キャピキャピしています。子供っぽくて、かわいらしいなんていうよりも奇妙な発声なわけです。

 

男性の場合も浅くカン高い声のほうがよいというのも、外国人の発声と違います。日本では低くなってかすれていたりすると、それだけで声が悪いということになります。

しかし、そう考えるのは、ほとんど日本人だけです。

 

外国では全く逆で、女性でもセクシー・ヴォイスというのは、もっと太くてしっかりしています。その人間の個性がにじみ出るようなものが、その声に表現されて初めて評価されるわけです。

 

ここのトレーニングでは、どういう声を出しなさいという基準はありません。声はつくっていってはいけないのです。自分のオリジナルに根ざすしぜんの声を発掘し、磨いていくしかないのです。よいということ、効果が上がったことを取り入れていくことです。

 

ですから、個々に違ってもよいし、むしろ、そうならなくてはおかしいわけです。どのような歌をどう歌っていきたいのかを明確にイメージしたほうが効果が上がります。まねるのではなく、自分で再構築して考えていくことでしょう。

 

ですから、今、私が言ったことも、そのように思いたくないところは思わなくてもよいのです。ただし、そう思った方が効果が上がったということを踏まえて、説明してきたわけです。

いろいろと長い間、多くの人を見ていたら、こういう言い回しが一番伝わりやすかったというのが本になったり、トレーニングのノウハウになっているわけです。

だから、それが絶対に正しいというわけではないのです。

 

実際、のどで声を出すなと言っても、声はのどで出しているのですから。それを解剖図的に説明しても、また理解しても仕方がないでしょう。知らないよりも知っていた方がよいかもしれませんが、要はできればよいのです。言葉にとらわれるのではなく、イメージを思い浮かべ、感覚で本質的なことをつかむことです。

 

ここのトレーニングで声を出した方がわかりやすく早いというだけで、それをふまえて独自にマイペースで正しいと思うことをやっていけばよいのです。間違っていたら直します。どちらにしろイメージを自分で常につくり変えていくべきでしょう。自分自身のヴォイストレーニングというのをこれからつくり上げていくわけです。

 

私の本を読むよりも、その何倍ものことを自分について書けるぐらいのヴォイス・トレーニングをつくらなくてはいけません。一番大切なことは、自分があってのトレーニングであるということです。賁任もノウハウも自分でつけていくということです。

 

ヴォイス・トレーナーについては、その人の声の出し方と歌い方ばかり真似て、同じようになってしまったら何にもなりません。今、自分が持っている中で一番いいところを見つけて、それをプロとしての商品価値のつくところまで徹底的に高めることです。これ以外は何も必要ありません。

 

ですから、何か答えがあって、それを受動的に習うという感覚ではなく、自分で精一杯やって、それを出しにくる、この場に問いにくるくらいのことを考えて、トレーニングすることが大切です。

 

全ての声を統一していくということと、統ーしたその声に対して、ヴォリュームをつけていくということを、このようにイメージをつくりながら同時に行うことです。

 

たとえば、「♪ミレド」の音程で、「ラララ」をやってみてください。

キーはどこでもよいです。「ラララ」で表現できるようにしてください。

 

次に「♪ソミファレミドレ」(「ド」をシャープ)でやってみてください。

「ラララララララ」と。

 

「ラララララララ」といきなりやってもできないようですが、歌で問われることは、たとえば、このフレーズがあったら、このフレーズが聞けるか聞けないか、ここに商品価値があるかないかということになるわけです。そうであって初めて、次のフレーズを聞いてもらえるのです。

 

ヴォーカルの音づくりというのは、次のフレーズも聞きたい、また次も聞きたい、その次も聞きたい、帰ったあとももう一辺聞きたいと思わせられるくらい、やらなくてはいけないわけです。これは大変なことですけれど、そうでなくてはお金を払ってまで聞きたいと思わないでしょう。

 

もう一度やってみましょう。キーはどこでもよいから「ララ」だけです。-

「♪ララ」。「♪ラ ラ」となると歌にならなくなります。日

 

本語の「ラ」は、浅くてとても難しい音です。

「ラ」で歌わせると「♪ラララララ」となって、大体あっていないことが多いのです。

みんな「ラ」で発声練習をやっていますが、本当の「ラ」は、もっと深いところでつくらないと表現に耐えられないわけです。

 

発声練習の「♪ラララーラ ラ〜ラ」。そ

こにヴォリューム感が出てこなくてはいけないわけです。ヴォーカリストなら、そこで感情を出して表現していくことが大切なのです。そうしたら、そこがメロディにのっているというような感じになり、しっかりと言った言葉が音楽的に伝わるということになるのです。

 

「ある」の前に「♪たいようが」という言葉をつけてみてください。

「♪ファミミレレミファ」。「♪たいようがある」。キ

ーを適当に定めて繰り返しやって、歌らしく整えてみてください。

 

これを最高音で出したくても、上の方は一オクターブの基本がきっちりできたあとの問題です。あるいは、一オクターブがきちっとできたときには、上もうまくなっているということです。

 

この一オクターブがきちんと発声できるときには大体、歌としてはニオクターブが出ているか、あるいは充分にトレーニングしてよい段階にいっているはずなのです。

一オクターブの中のことを本当に厳密にチェックしていったら、まだまだ多くの問題は出ます。しかし、まずは音程をはずさず言葉で表現をコントロールできればよいとしましょう。

 

 

 

次の課題は「♪そらとうみと」です。

「♪空と海と」と言ってみてください。

次にメロディ(ミレド、ソファファ)をつけます。

 

これが「ミレド、ソファファ」と聞こえてしまうとよくありません。「ソラトウミト」となってしまうと誰も聞かなくなります。大体、そこまで聞いても「ああ、飽きちゃったな」と思うわけです。

 

音楽に入る前に声の判断をしてください。充分な声として声が使えているかどうかをしっかりとチェックすることです。これを一曲のうちのどこを録音しても通用するレベルを目指してください。それを小さくしようが、大きくしようが、高くしようが、低くしようが、自分の使う音域内のことであれば、それが作品として成り立つようでなくてはいけません。そうでないと、本当はその音域を使ってはいけないわけです。

 

言葉もそろえていきます。「そら」がうまく言えないのなら、「青い」でも「ある」でもよいでしょう。何かできるところを一つはもっておき、それと同じようにしていくことです。どこまで応用できるかとい一つトレーニングをすることです。

 

「そらとうみと」、まず、これをしっかりと言えるようになってください。それができたら、メロディをつけたり、もう少し高い音域でやってもよいでしょう。

歌から入ってしまうと十年たってもできないことが自分の一番出るところでしっかりと声を出してやっていたら、ある程度トレーニングを積むことによって、大体できるようになってきます。

 

役者の養成所でも何年かたつとみんなしっかりした声が出るようになります。それを高いところで歌の練習ばかりしていると、いつまでたっても体から声が出せないので上逹していきません。プロの体になれないから、いつまでたっても出せる声も限定されてしまうわけです。

 

つまり、日本人の場合は基本として声を出すトレーニングを充分にやった上で、歌に入ること、歌は応用だと考えたほうが結局早いということです。それから、イメージづくりには充分に力をさいてほしいのです。いかんせん、

 

ヴォーカルになっていくということは、声ばかりどんなに出ても「♪そらとうみと」と言えてても、それを音楽的にこなせる力がなければ、その人が歌うという意味がないわけです。

 

このような場合のヴォーカル的な力というのは、「そらとうみと」という言葉をどのようにフレーズでくくっていくかということです。

「♪ソラト ウミト」みたいにしてしまうと、どこもメリハリが効いていないし、体のためも入っていないから駄目なのです。体で歌うということは必ず深い息で切れるわけです。伸ばそうと思うところ以外、全部切れなければおかしいのです。それがお腹で切れるはずなのです。

 

下手な人は音を全て「♪ソーラートーウーミー卜ー」みたいにやってしまいます。これでは緊迫感も説得力もありません。「そらとうみと」一つとっても「そ」というのをしっかりと入れておいて「♪そらとうみと」というふうになるべく一つのフレーズを大きな流れのなかにつくっていくことです。

 

音をバラバラにその高さごとに発声を変えておいていかないことです。そのようなことから、一オクターブをつくることだけでも結構、大変なことだと分かると思います。

そこにフレーズやその応用的なことを徐々に入れていきます。

毎回、いろいろな課題をアタックするなかで、いろんなことに気付いていってください。

 

根本的に覚えておいてほしいことは、その力が一番基本だということです。その基本なくしてはどこにも応用できないということです。

「これがやりたい」「あれがやりたい」とヴォーカルにもいろいろとありますが、はっきり言うと課題が進まなくてもよいのです。その内容が深くなることが大切なのです。

 

ここでやることは、しっかりと基本をつくっておいて、何かやりたいものがあったら、すぐにその練習に耐えうる力があるようにしておくことです。どのような言葉であってもメロディがついていても、少し練習すると歌らしく聞かせることのできる力をつけておくことです。

 

シャウトしたときに体がしぜんと使えるようになって助けてくれるようにしておくことです。だから最初にやることは、どうやって高い声をつくろうとか大きな声を出そうということではなくて、しっかりとフォームを構えて全てに応用がきくように体にしっかりと覚えさせて声を捉えるということです。

 

野球でいうなら、バットをやたらめっぽう腕の力で振り回すのではなく、腰の力でしっかりとミー卜して返すことです。これを何度も何度も繰り返すということです。体で覚えるには、こういう方法しかないのです。素振りのように何百回と毎日練習していて初めて実践で使える基本ができてくるのです。

每日、試合ばかりしていても、決してうまくはならないのです。

 

何が練習かをよく考えて、本当の練習が少しでも早くできるようにしてください。こんなふうにやっていくと上違するし、下手にステージばかりやっていても全然、変わらないものです。それとともに声や歌について評価できる眼力をつけることです。

そういうことが卜―タルとしてここのトレーニングの目的だと思っておいてください。