一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

表現することの意味  関西支部特別20-2 17889字/要約付 201ほか  

 

学ぶこと、練習すること、表現することの意味     201

 

要約

 

これは、学ぶこと・練習すること・表現することの深い意味を

特に音声楽やパフォーマンス技術における追求について検討したものです。

 

◯優秀さとは察する能力

他が何を求めているのかを先回りして観察し、行動する能力。

素直で気配りができることが、他人の感情を冷静に見極め、結局は自分の表現力を高める基礎力となる。

 

◯学びと気づき

教師や指導者は直接、答えを考えるのではなく、生徒が自ら気づいて待つべきだ。

真の学びは、挑戦しながら得られるものであり、簡単に与えられた知識では成長しな

い。

 

◯練習の重要性

身体を使った練習と表現が、芸の進歩に直結する。

質問は口ではなく、体で行動、

そういう体を得ることで、初めて意味を成す。

無駄のようでも最善の努力、挑戦が、芸の器を決める。

 

 

◯表現の美学

音声とフレーズは密接に組まれており、統一した音声が自由な表現を可能に

します。

発声は、ブレスと声帯という要素が、調和していることが鍵。

プロの技術には、共通点と独自性が共存し、それが聴衆の心に響く。

フレーズや音色の統一感、音声の使い方を研究し実践することで表現力を

磨く。

特定のフレーズや響きを分析し、繰り返し練習して習得する。

 

 

◯練習の段階

息漏れ、舌の力み、響きの統一など、課題を段階的に分けて乗り越える。

練習の最後に得た感覚を活かすことがプロの精神。

 

具体的には、以下のような実践が有益です。

 

他人のフレーズを観察する力を養う。

目標を立てて、段階的に計画を立てる。

時間をかけて自分の芸やスキルを磨く。

「黙々とやることで上達する」練習と努力の重要性。

 

表現者としての成長を目指す人にとって、多くのヒントを与えま

す。また、音声以外の他の分野でも応用可能でしょう。

ーー

 

優秀な人とは相手が仕事をしやすいように計らえる人のことである。相手がしてほしいと思っていることを先回りしてやれる。相手がタバコを吸いたいと思うときにタバコが、水を飲みたいと思うときに水が出せる。ドアを開けたり、邪魔にならないように機敏に行動する。一言でいうと素直で心配りがきくということである。

 

そのようなことを経て、人の気持ちを読むことができるようになる。人の喜怒哀楽が自分のことのようにわかり、しぜんと動けるようになる。人の心がわかるから、自分の芸も磨かれていく。

相手に喜んでもらえると、結局、得になる。それを文句や愚痴を言うと、どこかで損をする。

 

たとえば先生を聖人君子であってほしいと思うからいけない。完全な答えなどあるわけがないから、そう思うと大して返ってこない。たくさん話せたり、教えてもらったから、自分の身のためになるということではない。真実のことは口で質問して口で答えてもらってわかることではない。

 

まともな先生なら答えない。気付かせるまで待つ。まともな人なら聞かない。気付くまでがんばる。だからコツコツと時間がかかるものなのである。クリエイティブとはそういうことだ。一つひとつ手とり足とり馬鹿丁寧に教えてもらっても、こうして育った人は絶対にあるところから負けてしまう。本当に育てたければ、よい先生は見離すかのように距離をとる。それを詰めてきて初めてひとつのことばが身につくようになる。この繰り返しである。

 

教えてもらえないのに、やりたいからこそ、いろいろと努力する。方向違いのこともやってみる。そして一つひとつ気付いてくる。この無駄な努力にどれだけ時間を費やせるかが、その人の芸の器を決めてしまう。

口で質問ばかりしたり、どうでもよい細かなことに文句ばかりいう人は、こういう芸を習得する姿勢が全くできていない人である。心を入れ替えてほしい。

 

そうでないと先生は、口先で答えるようになる。こういうことがいつまでたってもわからない人は以前はお断りしていたか、最近はもう少し長い目でみようと放っておくことにしている。結局、あなたが損する。教えることより教えないことに忍耐のいる世界だということは知っておいてほしい。

 

唯一すべきことは体で質問することだ。ここまでやったということをわずかな練習時間のなかでどれだけ全身で表現しアピールすることができるかだ。

体で質問してもらえたら答えられる。体で質問できるということは、口に出さずとも身をもって伝えられるということだから、ようやく答えるに値する本当の質問になるわけだ。答えを体で受けとめられる力がその人についたということだからだ。

 

お客さんがみるのは、あなたが口先で話すキャリアとかトレーニング法ではない。あなたの体から、どう表現されるかということである。だから、体をつかってどのくらい深いところまで先生や自分や宇宙やアー卜と対話して自分の答えを出してきたかというところが肝心なのだ。

 

ここはアーティストの集まる場、学校ではなく、自らの習得する場といったことを忘れないでほしい。

それに関わらず、頭ばかりで考え、頭を悪くし、身につかないように自らしている損な生き方をするな。

黙々とひたすらやるときから、人は本当の上達をしていく。

学ぶこと、練習すること、表現することの意味を考え続けてほしい。

 

 

 

トップアーティスト フレーズテクニック研究  by 関西支部 スタッフ  205

 

 

このコーナーでは、一流のヴォーカリストの特に優れているフレーズを厳選し、解析してみたい。

どの分野でも、プロになるための訓練というのは相当に大胆であり、かつまた厳密である。皆さんは、取りあげられた題材に凝縮されているプロの技術が手に取るように意識することができるまで幾度も耳を傾けて聞いてほしい。

その際に注意すべきことは、一体どこまでがプロとして共通の力であり、どこからが本人の独自性なのか、という問題である。まずそれには、大まかに二つの可能性が考えられる。

第一に骨格や肉付きによって発声する音色の相違。第二に、あるフレーズをどう処理するのかという感覚の相違である。

 

主としてプライベートレッスンでは前者、グループレッスンでは後者に主眼が置かれていることは言うまでもない。ところが同時にこの二つが非常に密接なかかわりを持って表現の一対を成していることも忘れてはならない。二つが密接であるからこそ、そこに終始一貫した一定の関係が発生する。二つの事象の間に一定の関係が生じるための条件とは何だっただろうか。それは二つのうち少なくともどちらかが定数的に存在していなければならないということである。この一見、数学的とも見える定理は非常に重要な意味を持っていることがお分かりだろうか。

 

つまり、二つの事象が両方とも不安定でゆらゆらしていたとしたら、そこには何ら一定した関係法則は見つからない。それを数量的にグラフ化してもランダムな点が散在するだけで、高校のときに教科書で見たような美しい一次直線なり多次曲線は生まれないわけである。あの様な美しい関係が生ずるのは、少なくとも一方が一定の秩序を保っていなけれ域ならないのだ。

 

ここで、声とフレーズの問題に戻ってみよう。この二つが美しい線を生み出すためにはどちらかが常に定まった一貫性(普遍性と言ってもいいだろう)を保っていなくてはならない。フレーズの場合は常に自由自在であることが求められるから、この埸合、しっかりと一貫していなければならないのは、まさしく声そのものであることがわかる。

 

一貫した声とは何だろうか。答えは簡単である。声というのも、ブレス、声帯、という二つの事象の関係から生み出されるものである。この二つが純粋に生み出す音こそ、まずは本人の最も本質的な声の元であると考えてよい。

 

言いかえると、この密接で美しい二つの関係を不定分子によって邪魔してはならないわけだ。不必要な舌の力みや、声帯への意図的操作などはすべて悪質な不定分子であり、二つの秩序ある関係を妨害するものなのである。そして我々は、あらゆる手段を使ってこの無数の不定分子を追い払うことに注意を注がなくてはならない。そうして得た最も純粋でストレー卜な声を使って自在にフレーズを描けるようになるのを目標として設定しよう。

 

目標を設定したら、あとはそのための攻略作戦を実行していくのみである。

 

 

 

今月の題材

 

『索顔のままで』—ビリー・ジョエル

 

これは七八年度のグラミー最優秀歌曲赏を受賞した佳作である。すでに数多くのアーティストがレパートリーに加えて愛唱しており、それらを見つけてオリジナルのビリー版と聞き比べるとおもしろいだろう。

スタンダードナンバーを複数のアーティストで聞き比べた場合、少なくとも二つの楽しみがある。一つは各々のオリジナリティによって生ずる表現の違いを楽しむこと。もう一つは、個性豊かなアーティストのなかの誰に歌わせても必ず共通している部分を発見する楽しみである。一口に共通点と言っても、それは息つぎの位置であったり、頑としてヘッドヴォイスに逃がさないフレーズであったり、効果としてやわらかくぬくに決まっている終止であったりと実に多様であるが、ここに見のがしてはならない点がひそんでいる気がしてならない。つまり、人間の共通感覚に確実に訴えてくるプロの技術というのは極めて適切な位置に用いられているのだということである。その結果、高い確率で特定の位置に特定の表現法が集まることになる。素人は他のことに気をとられて表現どころではないから、歌うたびに平気で内容にそぐわない処理をしてそれでも笑つていられるわけである。

 

さて、そこをふまえてもなお、プロ連中が強い独自性を保っていられるのは何故だろうか。実は、これこそがこのコーナーの大きなテーマのでもある。今後、回を重ねるたびごとにこの問題にふれて考察してみたい。

 

現段階では、二つの可能性を予想している。

 

第一に、一つの概念に対するアプローチ法の相逹。例えば「嫌悪」という概念を考えて見よう。ある女が男に対して、「あなたなんてきらい」と言ったとする。この「きらい」というのを「嫌い!」と表現するのも可能だが、「キライ♡」と表現するのも現実的である。解釈者の経験、パーソナリティが複数のアプローチを生み出すわけである。またプロならば複数のアプローチを状況に応じて使いわけられる技術が要求されるであろう。

 

第二に、潜在的音色による、耳ざわりの際と表現分野の傾向性。この論点に的をしぼるにはオペラがわかりやすい。テノール歌手に悪役は似合わない(と多くの人が感じる)し、バス歌手には愛と希望に満ちて意気揚々としている好青年の役は似合わない。悪人にも好青年にも人間としての基本的な感情は共通に備わっているはずなのに、聞き手が音色によって歌い手のキャラクターや、それに伴う表現の傾向性を分類してしまう。確かに、テノール声で「ようし!」と言うのとバス声で「ようし!」と言うのとではまるでニュアンスが違う。

 

そう考えると、我々は生まれながらにして、あるキャラクターを連命づけられているのかも知れない。しかし歴史を見ても、周囲を見回してみてもわかる通り、人間の個性というのは多様性に富んでいるものである。

 

さて、曲の訳詞を充分理解し味わってから曲を通して聞いてみよう。

まずビリーの声を聞いて、レギュラー二年目をむかえた人の多くが、「深い。これなら高音域で相当のシャウトが可能なのではないか」という印象を持つはずである。正しいヴォイストレーニングの経験のない人の印象は全く逆であろうが、特にHR・スラッシュ志向の方はこの手の声に対する抵抗感を一度払っておく必要がある。

 

実際、ビリーが自分の持ち曲に使用している最高音は編ベてみた限りではなんと上のBである(ファルセットは除く)。しかも強烈なチェストヴォイスシャウトなので荒い音色なのに独特の聞きやすさがある。彼の最高音が出てくるのは『ナイト・イズ・スティル・ヤング(ビリー・ザ・ベスト) 』のエンディング。その他、シャウトのまま歌いあげる『ステイト・オブ・グレイス(ストームフロント) 』などもプロ級の声を知る上で非常に参考になるだろう。

 

今回、取り上げた『素顔のままで』には露骨なシャウトは一回も現れない。それどころかこの歌は、ビリーの曲中で最も低いキーの歌のうちの一つなのだか、やはり随所にスーパーシャウトの可能性をにおわせる部分があって興味深い。中音域での鉛の粒がつまっているような質感、そしてそのままの質感のまま、高、低へと自由に声をはなっているシーンをじっくりと堪能して頂きたい。

 

まず、一七秒目のbeforeという語に注目してみよう。この“be”の部分が実は下のA音で“for”の部分が真ん中のFシャープだということをあなたは信じられるだろうか。なんとこの一語のみで六度以上の開きがある。

 

このフレーズを取り出してみよう。

“You never let me down before”

この中で最も高いのは「never」のverの部分で、前述の最低音“for”よりもちょうど一オクターブ上のA音である。遒当に音もちらばっていてしかもちょうど一オクターブ内での処理だから非常に有効な研究材料である。

 

まずは響きの聞き取りが先決である。母音がハッキリと響いている箇所が八ヶ所ある。You never let me down before傍線の部分がそ八ヶ所である。八ヶ所ハケ所すべてがほぼ同じ質の響きで統一されていることに特に注意してみよう。(ただし、ビリーはレコーディングバージョンで、このフレーズ最後の“fore”の部分を息でぬいている。しかし、そこまでがぬかりなく胸についているものだから非常にそれが印象深い効果をあげている。あるアメリカ人女性ヴォーカリストのバージョンでは、この部分をぬいていなかった。)

 

このフレーズの母音は、ひとつひとつが音階を激しく異にしているにもかかわらず、内容上、どうしても淡々と表現せねばならないので、響きをふぞろいにするわけにいかない。

響きの統一を意識するため何度もこのフレーズに挑戦してみよう。三十回程トライしたところで次の点をチェックしてみることが必要だ。

 

 

1.「まくり上げ」をしていないか。

各母音の発声時にそれぞれに対応している音階をピタっと捕らえられているだろうか。「ネヴァ」をきっちり二音で発音せずに「ネヴァアー」となっていたり「ビフォ」が「ビフォオー」になっていたにしては練習にならない。

 

2.舌に力が入るあまり子音の発音時にもたついたり、雑音が混じったりしていないか。

舌やくちびるは特に母音の発声時には脱力しているのが理想である。そして子音発声時に必要な瞬間だけ必要最小限の動きが行えるよう訓練したい(佐藤先生のレッスン生はこの点を相当訓練される。)どうしても舌に力が入って困る場合は、数度、思いきり舌を前にペロンと広げ出して、根っこの部分をのばしてやると効果かある。

 

3.“never”から“let”に移行する瞬間に息もれがないか。

しっかりと息読みをして、均ーで深い息を終始一貫して体で引っぱれているか確認してみよう。この練習は福島英氏が強調している重要なものの一つである。当然、トレーニングを毎日やることの意味を軽視して一日でも怠るようなことがあってはならないが、独自にアレンジをして、様々な音階、強弱にわたって訓練しておくのも大切である。どんな時も無駄な息をもらすまいとの心構えを常に持つことによって、フレーズに対する集中力も増すであろう。

 

何十回もトライするうち、響きや音程などに対する判断が増え自分の中で厳しくなってくるのが自覚できるであろう。そこで、様々な問題点を解決するためにテーマを区別しておくのは有効な手段である。

 

一段階・息もれだけに注意を集中して数十回トライしてみる。

 

二段階・舌のリラックスだけに注意を集中してトライ。背筋をのばしたまま少し足首から前傾してみる。舌をリラックスさせるには同時にアゴのつけ根もリラックスする必要があることを確認する。この二つがリラックスすると、舌はだらしなく歯の前にせり出してくるが、そのまま体のカだけでトライすると「声の重さ」か実感できる。

特に“me down”にさしかかる際、低音を出そうとして余計にノドを下げてしまいそうになるが、負担はすべて腰回りにあずけよう。この瞬間から体にあずけた重みに最後の“before”の終止までしばし耐えねばならない。途中で腰回りや直腸の筋肉の緊張を弱めたり放棄するのは、再び首から上の力を借りなければならない原因となるので御法度である。

 

三段階では一、二段階を十分にこなしたあと、響きの統一に全ての神経を集中し、現能力でのひとまずの完成を試みる。(完成を試みることは非常に大切だ。やりっぱなしで終わるのではなく、やってみて得たいくつかの感覚を最後に思い切り総動員して使ってみることによって、ただの練習を「価値あるもの」に変換しようとするプロの精神が養われる)

 

さて、ここまでやると、一分十九秒目から出てくる“oh, what will it take till you believe in me”あたりのフレーズを聞くだけで、プロと自分との差が具体的に見えてくることだろう。

ここは、この曲中で最も強い声で表現されているフレーズの一つであり、ビリーの本領が発揮されている超難解のフレーズである。

 

自分の最も得意な高さでトライしてみるとつくづく思い知らされるだろうが、このフレーズにおいて使用されている極めて強い三ヶ所の声は一昼一夜で手に入るものではない。冒頭の“oh”の部分と“believe”の“ie”の音である。そして“me”もいくぶんやわらかく処理されてはいるが、同じ質で統一されている。この三ヶ所は突拍子もなく現れるものではなく、一息の線の上に乗ったまま、真っすぐに耳に飛びこんでくる。そして“believe”の直前の“you”に注意してほしい。

 

ここまでの息は、実にしっかりとセーブされていて、この“you”にたどりつき、そして“believe”につないでいく瞬間、全くもれがないのである。“you”が発音された直後、bの音につなぐためいったんしっかりと唇がとじられて、しかも呼気圧は殺されていないから、唇を開いた(というより、はじいた)瞬間に極めて純枠な響きの母音が飛び出し、次の “li”へと流れていく。ここでの子音“l”と“i”も同じように鮮やかに処理されて、見事な響きを生み出している。そして息つぎのないまま“in me”までアッサリと持ちこたえている。この“in”の直前で一度流れが止まっているのは、“believe”が発音上無声子音終止であるためである。

 

我々日本人の発想では“bu”というように母音uを含むのが普通だが、この場合、前歯で下唇を軽くかんで“v”という無声子音で処理されている。普通、L、M、N、R、Zは有声子音で声の振動を伴うため、しばしば母音が聞こえるが、それ以外の子音は無声子音である。ただし、vに関しては有声の場合も多くあり特にラテン語系ではその傾向が強いらしい。(英語は非ラテン語系である。)

 

さて、このフレーズは、最初に取り上げたフレーズのおよそオクターブ上で歌われていることも付記しておこう。プロは、あらゆる音域にわたって声質がそろっており、高いところはその分体を入れて強く表現するために高低を感じさせられぬまま聞かされてしまう。トライする際は無理のないキーから始めていくのがよいが、最終的には一曲を通して歌ってみることも大切である。

 

なぜなら、そのことによって一曲をマスターすることの難しさを再認識するし、自分の懸命にやったフレーズの意位づけをいろいろ考慮するようにもなるからである。部分は全体の一構成員であるからこそ生きてくるのだ。アーティストの発表していくものは、いつも一つの完成体であることを求められている。すべて自分の賣任でやる以上、部分にも全体にも通じていなくてはならない。

 

現時点での実力はともかく、この高い完成度を求めていく心構えが、今後のトレーニングをより気合の入ったものにしてくれることは確かである。このコーナーではミクロの視野で歌曲を追求していくのだが、これはあくまで、マクロの完成度を高めるための手段にすぎないのであることを肝に命じておくことにしよう。

 

 

 

 

 

投稿  208

 

 

自国離れ こんなことを書いたら、笑われそうだが、私はここに入ってこの二年間、旅行に行けなかった。トレーニングをしない日、というのが全然想像できなかったから。このごろやっと、トレーニングの内容が単純明快になってきた。日本にいて、自分でも、声を鍛えられることは、私にとって、大きな意味を与えてくれた。最近、人々が海外へ行く理由を考える。日本は何でもあるような国だから、海外へは、物ではない何かを求めていくのだろう、と。実は、私はもう、海外へ行く時を決めてある。

それは、私が(外国語を身につけた上で)言葉の違いを越えてコミュニケー卜できるのではないかと思えるようになった時。そのような自分になれたら、本当に嬉しい。

 

 

近況/心境報告 桜が似合う季節となろうとしています。そして又入学あるいは入社シーズンでもあるので、何となく志も新たに頑張っていこうという気にもさせられたりする今日この頃です。

時が経つのも早いもので、僕がこのトレーニングをかじりだしてから、かれこれ、年月を自分なりに振り返ってあえて四文字熟語で表してみると、「暗中模索」でやってきた「紆余曲折」の道のり、であったような気がします。そしてその道のりはこれからも、もしかしたらこれまで以上に険しいものであるのかもしれません。それに対して、正直なところ、ものすごく不安な自分がいるのも事実です。だから、それはもうただやるしかないのかもしれません。

僕は毎日、出かけるときはほとんどの場合バイクに乗っているので、人の迷惑を顧みずトレーニングをしています。フルフェイスのヘルメット中から「ハイ、ララ」とか「あおい、あまい」とか言いながらバイクを飛ばしていても犯罪になる訳でもないし、一日のはじまり(起きてすぐのときは無理はできませんが)と一日終わりはその一日のうちでも最も気分的にハイな状態でもあるので、自分にとっては安全運転以外のすべてのことを忘れてトレーニングに集中することができます(ただ停車中に息を吐く練習をしているとまわりの人に薄気味悪がられることが多分にありますが)。とは言うものの、冬の問は乾燥しがちだったこともあって、思うように声を出せたり出せなかったりして一寸した迷いを感じたりもしています。

それでもただやるしかない、と僕は思っています。それが暗中模索で、右も左もよく分からず、うしろを振り返ってもどれだけ進んできたかさえも分からない状態であろうとも、やるしかないのだと僕は思っています。そういうのはいずれ見えてくるものなのでしょう。そして自分がどれだけ進んできたかと同時に、その先どれだけ進んでいくのかということも。今の僕にはこれからまだまだやらなければならないことばかりだろうけれども、一歩一歩前進していきたいです。

僕はクイーンのフレディ・マーキュリーに憧れて、単純にフレディのようになりたいという思いからバンドのヴォーカルの真似事のようなことをはじめた人間でした。一昨年、フレディが死んで以来、言葉に表現できない感情をヴォーカルというものの中に注ぎ込むようになりました。言葉に表現できない感情-強いて言えばフレディがステージ上あるいはオフ・ステージでみんなに与え続けていたメッセージ「人生を楽しめ(ぶっちやけて言えばそういうことになると僕は考えています)」を音楽、とりわけヴォーカルという手段で僕も自分なりにみんなに与え続けていきたいと思っています。今のところは「紆余曲折」の道のりの「暗中模索」状態ですが、フレディ・マーキュリーのようになりたいという、自分にとっては大きな夢を、追い続けたいと思います。これからもみなさん、夢に向かって頑張っていきましょう。

 

 

春がやってきました。木の芽時になるといろんな考えが頭の中にポコポコと芽生えてくる今日この頃、“自分が何者なのか?”そんな頭が痛くなる程、索朴な疑問をどこかで又気にしている自分に気付いてしまいます。それを知るためにきっと人はいろんなことをやってみたくなるのでしよう。又それがいろんなことをするパワーにもつながっているような気がします。私の場合は“自分”を知るキーワードの一つに“歌”というのはどうも関わりがあるような気がしてしまうのです。自分の声や歌というのは私自身よりももっと私に正直で、変に力んで生活してるとノドも病んでしまいます。この“変な力み”を“前向きなパワー”に変えてノド声をなおし、素直で自分で自由に操ることができる歌唱を身につけ、又いろんな自分を見つけるような歌や私らしい歌を歌えるようになりたいと思っています。(ちよっとうんちくくさくなりましたが。)春先なので少し自分に気合を入れるつもりで書いてみました。

 

 

歌うことの理由 私がここと、自分が歌いたいということの関係を、どうとらえてここに入ったのかということを書いてみたい。まず、私が、歌おうとしたきっかけから考えてみると、ちょうど6年ほど前、私は、受験生であったが、その頃の自分には、自分を表現することや、人との関係をつくっていくことが、私の歌うことへの原動力、または、きっかけとなっている気がする。この頃は、近所の犬に吠えられたりしながら、家で一人、歌っているだけだった。そうこうして、大学に入ってからは、音楽サークルでのバンド活動を始めるに至った。人前で歌うことによつて、他人の私に対するイメージや、自分の自分自身に対するイメージを壊し、そして塗替える。始めは、そんなことが楽しかったし、かなり一人よがりではあったと思うが、足ががたがたに震えようが、人前で歌うことで、それに代わる、自分の実になるようなものや、その時、その場所にいる人達と共有できるものが、手に入いるように感じていた。しかし、どうしても、おもいっきり声を出して練習をすると、声を涸らすことが多くなり、これではどうしようもないと思った。だから、上手くなりたいというよりも、まずは、感情のままに、ギャーギャー叫んでも、歌い続けられるようになりたいと思った。その中でしか、自分の表現したいものを見つけていけないのではないかと思うし、きっと、なによりも、中途半端な声で歌っていては、自分が楽しくはない。このように考えてここに入った。徐々にではあるが、体を使うということや、声の芯みたいなものもわかってきたつもりだ。これからも、声に磨きをかけなから、自分の世界を、どこまで他人に対して開いていけるのかを、自分を肯定し、自分に疑問をつきつけ、一つ一つ試していきたい。歌うことへの衝動を忘れずに。

 

 

芸人魂 ここを通じて一番感じたのは、プロの芸人とは他人のために創作活動をする事、またこれまで歩んできた人生、内容がそのまま問われるという事です。最初レッスンを受けたころは、とにかく大きな声か出したいと思っていました。他の人と同じ課題をやりながら少しでも大きな声が出た時は、嬉しかったものです。しかし自分の声の幅や表現力のなさを感じはじめ(今でもそうですが)福島先生のお話の様に「言葉を話す事」を大事にしようと思いました。たとえば自分の勤務先での「お早うございます」「いってらっしゃい」などのあいさつ(かけ声!?)は生き生きと表現されているか、また他人に自分の声はどう聞こえているのかを考える習慣も、身についたと思います。これからも変わっていくであろう「ヴォイス」に出会えるのが楽しみです。

 

 

只今実験中 僕は18才で高卒後、大手企業に無事就職し何の不安も危険もない人並みの人生を過ごすように親・身内・友人など周りの人間は思っていた。僕自身も最初はそうありたいと思って就職したような気がする。

小学校の頃から音楽は好きで中学、高校とバンドをやり、働きだしてからもソロ活動をしてライブハウスなどで唄っていたが、それを自分の生活の一部、いや今では生活の半分を音楽に費やすようになろうとは夢にも思わなかった。それも才能、実力が伴い将来の展望も明るいと言うのであれば全く問題はないのだが、残念なことに才能や実力などいまだに実感として感じたときは一度もない。ただ満足感、充実感というものを一番感じさせてくれたのが音楽だった。

遲すぎる出発かもしれないが26才で会社を退職しすぐにギター一本持ってアメリカへ、三ヶ月という短期間ではあるが、ストリートミュージシャンをしに行った。勿論、収入を得るためではなく、これから先続けるであろう音楽のためにいわば精進と興味、好奇心で出かけたのであった。「無知、無謀は若さの財産である。」と誰か偉い哲人が言ってたと記憶するが全くその通りだと思う。

むこうでは一泊10$程度の安宿ばかり泊り歩き3日毎に長距離バス(グレイハウンド)で移動を繰り返しておりあっという間の3ヶ月だった。ストリートミュージシャンとは聞こえはいいがカッコ悪いものである。誰も聞きたいと思わない唄を、好きな場所で勝手に唄ってあわよくば小銭を恵んでもらおうという乞食に近いものである。

毎日そんなことをしていると、たまに心優しい人が拍手をくれたり、ギターケースに小銭を放り込んでくれたりする。しかし、たいがいは目の前を無視して索通りされるもんである。ヘタクソだから、当り前、ふり返らせるパワーが足りないからである。そんなことは予想していたから全く落ち込んだりはしなかったが、まざまざと現実を見せつけられた日は「あて情けないのー。」と溜息ついて酒を飲んでぐっすり眠った。

勿論、こんなことをして明るい未来があるとは思えない。ただ自分が納得出来るやり方、理論的に大間違いでも、今の自分に最も合った方法、それだけが充実をもたらしてくれると思ったし、実際にそうだった。

これからも変わりなく音楽を続けるだろう。天性を持たない者が生きていけない世界かもしれないが、たまたま迷い込んだ世界である。その中で頑張る事、貫く事すなわちこれは即人生そのものである。迷い込んだ世界がたまたま音楽だったというだけで、それがたとえば大工であれ板前であれ、同じように今の自分で生きてるであろう。

エエカッコせず自分を貫くことが一番苦しく一番幸せであると思いたい。(疑問も残るが。)

ええ年して次元の低いことで悩み続けるだろう。慢性的金欠病に苦しむだろう。この道でどれだけ自分らしく生きられるか。只今実験の真際中である。この実験の途中結果は、後日報告したい。それでは皆様、ご機嫌よう。

 

ーアクティブな同志を得て誇りに思います。評論家など仲間に必要ありません。

放浪体験は我々に何を示唆してくれているでしょうか。(スタッフ)

 

 

思いたったら吉日 この場に触れることができたのは、福島先生の“ロックヴォーカル基本講座”という本を見つけ買い読んでいるうちに福島先生の意見や指導にものすごく共感し、納得させられました。

そしたら、京都でレクチャーがあるというので是非いってみようと思い、レクチャーに行きました。

その時は先生の話に圧倒されて、ただただすごいなーというだけで終わってしまいました。

そしてYAMAHAに行くようになり、一年間YAMAHAでがんばりました。私はその時高一でこんなものかなーと思っていました。やっぱり初めた時と終わった時では、一日も休まず行った結果は出たと自分では思っています。“すばらしい”とはいえないのは、もちろんなのですが…。決してこの一年は無駄ではなくて…いろいろ学ぶ事、たくさんありました。ここにいってなければ、福島先生のすごさも、より分かることはなかったと思うし…。

そしてライブを2、3回程やりました。正直バンド自身、そしてヴォーカルとして満足はぜんぜん出来なかったのですが、できてないのですが、いつもいつもどこから出てくるのか、私じゃないと駄目という自信はいつも消えずに心にありました。もちろん、今も、めちゃくちゃあります。なぜだか不思議です。(今の自分に自信があるわけでもないのに)でも自信だけでは絶対駄目で努力して努力してつかみとるものだとあたりまえだけどそんなあたりまえを強く強く感じ、このままでは駄目だと思い…。

いつもいつもそうじをしても、何故だか、大切にのこしていたここの資料を思いだし、思いついたが吉日だと思いすぐ電話したら来週にレクチャーがあるというのでラッキーと思い、向かいました。それまではもう東京までの交通費どうしようとか思ってたのですが、どうにかなるやとか思ってたら関西にもあってラッキーでした。

そしてこれから一所懸命にレッスンに励もうと思ってます。行き語まって悩むとか、できないとかで悩まないです。人間はなりたいと思うものになれるのではなく、“なれる”と思うものになれるもの。自分か認めるものしか現れてこないし、ここまでやと思ったらここまでだし、できると思ったら絶対できる。そう強く感じます。信じてます。人は結果をみるものですよね。結果は原因のうちにあります。だから後悔しないようにがんばるだけです。皆さんもこうして集まってこられ、何か一つの大きな縁だと思います。

 

 

やはり好きな道を 歌がうまくなりたい、もっと深い声量のある声か欲しいと思っていた私にとって、書店で目に止まった一冊の本の内容は東京へ出向いても先生の指導を受けてみたいと思わせるものでした。思いきって連絡を入れてみて京都でレッスンがうけられる事がわかり、本当に自分に続けていくだけの強い意思があるのかを自問しながら、やはり好きな道を歩いてみたいという気持ちで決意しました。少しずつ勉強していくにっれ、しなければならないこと、できていないことが山のようにでてきて、一歩一歩の積み重ねだとわかっていながら自分を甘やかさず、また卑下せずにこつこつと努力を重ねる難しさを感じています。自分に期待を持って本当に納得できる声で歌える日を目指して頑張っていきたいと思います

 

 

やっとスタートラインに 「自分の声が分からない。」これが今までの率直な想いだった。どういうことか?自分の声をすぐにハッキリとイメージできないのである。どこに力を入れて声を出せばいいのかわからずただやみくもに歌ってきた。何人かのヴォイストレーナーにも習ったが、なかなか充実感のある練習というものに出逢えなかった。そう今まで自分は本物のヴォーカリストを目指すとは言いつつ、その練習さえまともには知らず、そしてやっていなかった。ここに来てやってスタートラインに立てた気がする。何よりもまず、自分の声と言葉を自在に扱えるようになって初めてプロの最低レベルに到達できると思う。

 

 

 

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おすすめ

 

 

 

ジェームス・力ーン

 

 “ゴッドファーザーの長男が歌っておどる”ピンとくるだろうか。彼は、ソニーだ。ゴッドファーザーの長男、あのソニー役の俳優である。血の気の多いコルレオーネ家の長男ソニー役が、あまりに強烈で信じられない人が多いだろうが、実際、歌はメチャウマなのである。我が国では、歌わせてもまずいし、だからと言って名優どころか大根役者にもなれない芸能人がブタほどいるけれども、本場では違う。歌える。おどれる。オスカーまで獲ってしまう。

こいつはスゴイ。ジェームス・カーンは本物だった。子供の頃から音楽の訓練は受けていたらしく、ミシガン州立大学を中退して本格的に俳優を目指し、21才の頃にはオフ・ブロードウェイの『ラ・ロンド』で初舞台を踏んでいる。並じゃない。

家にこもって、ラーだの、アーだのやっていて報われるものか。身につけ、発表し、判断されよう。そう思わされる。

『フォー・ザ・ボーイズ』

ジェームス・カーンが見事な歌と踊りを見せてくれる佳作だ。ベツド・ミドラーまで出ている。

信じられない。ソニーは彼が演じていななんて。いや、こっちのジェームス・カーンこそ信じられない。まあ、名歌手が大根役者なワケないよな。

 

 

大賀典雄

 “ソニー社長・大物の生き様” この男だ。とんでもないことをした男は。あのCBSレコードやコロムビア映画を買収してしまった大賀典雄である。

「まるでゲームをしているようでしたね。どうしたら利益が出るか、どう宣伝費を使えば最も効果的なリターンがあるか。徹底的に会社と自分をそういう状態に追い込んでいくのが本当に楽しかった。」

後にこう語っている。自分一人でCBS侧の交渉者と対等にわたり合って、ジャケットのデザイン、タレントの選定から伝票のチェックにいたるまでをこなし、ライバルメーカーからの徹底的な攻撃を受けながら、十年後に業界トップを獲得してしまった。日本でただ一人のジエット機プライベー卜・ライセンスの取得者も彼である。

彼の朝は早く、朝六時になると寝ていられないそうだ。しかも、夜中に必ず一度起きて趣味の勉強に三時間を費やす。朝、床から出ると朝食まで強烈な集中力で再び必要な勉強を始める。自宅とは限らない。今や、ソニーの社長である大賀典雄は、常に世界各地を飛び回っているのだ。各国の要人とわたり合って十一万の社員を食わしていかねばならない。彼がソニー入社のきっかけとなったのは、創業者・盛田昭夫の熱烈なスカウト作戦であった。ソニー会長・盛田氏は、彼の何に着目し、懇望して杜長に抜擢したのだろうか。

大学はなぜか東京芸大音楽学部の声楽科専攻という特殊なコースである。抜群の成績で声楽科、大学院の専攻科を通じて首席で卒業。NHK交響楽団の舞台などでバリトン歌手として活躍後にベルリン国立音楽大学へ留学し、なんとここも首席で卒業。モーツァルト生誕二百年祭国際コンクールに入賞するなど、本場ヨーロッパで華やかなスポットライトを浴びていた。

そんな彼に学生時代から目をつけていたのがソニーの盛田氏だったのである。

盛田氏は、あの手この手で彼をソニーに入社させようと手をつくしたが、大賀氏は「サラリーマンになって組織にしばられるのは嫌だ」と拒み続けた。結局は、オペラの舞台を続けながらでもいいから、とまで盛田氏は妥協して九年がかりで口説き落としたのである。

そのくだりを、盛田氏は『メイド・イン・ジャパン』という自著で書いている。

昭和三十四年、盛田氏がソニーを世界企業へと伸し上げる第一の商品となったトランジスタラジオの販売店を物色するために欧米を旅行することになった。この時、大賀氏を誘い、いよいよ九年間の“下工作”の総仕上げにかかることにしたのである。決行の場は、イギリスのサザンプトンからNYへ向かう、当時、世界一の快速船として有名だった「ユナイティッド・ステイツ」号の船上だった。盛田氏は、その船上の四日間、大賀氏を口説き続けた。

以下『メイド・イン・ジャパン』「メイド・イン・ジャパン」からの抜粋である。

<その旅の間、われわれは大いに歩き、食ベ、語り合った。大賀は上背のある、分厚い胸をしたよく響く声の持ち主で、その美声でわがソニーを批判し、私はその言葉に大いに興味を持った。彼は容赦なしだった。「あなたのところにはエンジニアがずいぶんいますね」と彼は言ったが、その声の調子から褒められているのではないことはわかった。「エンジニアたちが始めた会社ですから、彼らの発想からすれば、当然自分たちが経営し続けるべきと思っているでしょう。しかし外部の人間から見ると、経営は旧式ですよ。」

それは初めて耳にすることであり、私はハッとした。われわれは自分たちを大胆不敵でユニークな経営者だと自負していた。しかし、外からどう見えているかは知らなかった。たぶんわれわれは、オールを上げて一休みの恰好に見えただろうし、十年以上も会社を経営してきて、いささかの時流にもおくれていたかもしれなかった。彼はとうとうと論じた。私はついに口を開いた。

「よろしい。君はうちへきたまえ。そしてそのうち、経営陣に加わるんだ。」

彼は私の術中に陥ったと私は思った。しかしなおも大賀は、芸術家の自由を失いたくない、机にかじりつくサラリーマンにはなりたくないと言い張った。会社で働いてもコンサー卜だってできると私は言い、何とか話はついた。>

与えられた役職は、いきなり放送用テープレコーダーの第二製造部長というものであった。大賀典雄、二十九才のときである。

盛田氏の期待に応え、複数の要職を与えられながらも、大賀氏は約束通りオペラ公演やオーケストラのソリストとして全国を飛び回っていた。しかし、そんな生活に無理が生じてくる。あるとき、こんなことが起こってしまった。

広島で「フィガロの結婚」のオペラ公演があった。大賀氏の役はアルマビバ伯爵、もちろん主役級の役である。

公演は夜だったから、昼間は地元の中国放送局に録音設備の売り込みに行った。気がつくと、もう開演まで時間がない。出番は一幕から四幕までぎっしりある。大急ぎで駆けつけて、なんとか寸前にすべり込んだ。三幕まで無事終了。ところが、朝からの疲れが出て、舞台袖の長椅子でうとうとと寝込んでしまったのである。

ハッと気付くと、自分の歌うべきメロディが聞こえるではないか。もう間に合わない。あわてて、本来でるべき袖と正反対の袖から舞台へ飛び出したのである。それを見たドイツ人指揮者や共演者はビックリ。観客には気付かれずにすんだが、彼自身はひどくショックで、さすがに面白くなってきたビジネス一本に絞ることを考え始めたという。

決定的だったのは、NHK主催のテレビ・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」の時である。最終稽古日のこと、社を出ようとしたら、組合がストライキに突入し、ピケを張って、彼は出られなくなってしまった。仕方なくNHKの担当者に電話して事情を話すと、「コーラスが二百人、才―ケストラ百人が揃ってあなたが到着するのを待っているのです。ヘリコプターを回しましょうか。」結局、それも不可能で、ぶっつけ本番で舞台をするはめになったのである。たくさんの共演者にも迷惑をかけてしまった。

この時をさかいに、彼はビジネス一本に専念することになった。

ソニーに逸材を奪い取られた声楽界の長老達は、貴重な人材を失ったと嘆いたという。

しかし、大賀氏本人は、それまで夢に見ていた舞台の世界よりもさらにスケールの大きな、国際舞台の主役の道を選んで歩んでいったのだ。

(参考文献/『進取の精神』上之郷 利昭/『メイド・イン・ジャパン、わが体験的国際戦略』盛田 昭夫/『朝日新聞』)

 

 

 

近藤房之助

 “ジャパニーズソウルの評価” 客席を見回すと男性、それも三十歳位の人がとても多い。いったいどんなステージなのかわくわくしながら待っていた。

近藤さんは今から十七年前に「ブレイクダウン」というブルースバンドで京都を中心に活躍していた人で、ロバートジョンソン、マディウォーターズなどシカゴブルースのコピーを主に演奏し年間百ヶ所も全国をまわっていたそうだ。何でもドライヴインや喫茶店でも演奏したそうで、その時の経験より、足、腰をきたえられたと聞いている。ライトバンでのツァーは十年間続いたらしい。

やがてバンドの演奏が始まった。このバンドはJIGOT’Sといって「魯鈍」という意味らしい。編成はDr・B・G二人・Pf・Key・Per・そしてSaxという華やかなものだ。パワフルで落ち着きのある演奏ぶりにびっくりした。ややあって房之助さん登場する。リズミカルな「ブルドック」という曲を唄う。のっけからファンキーな唄声に思わず足でリズムをとってしまう。何か、ねばっこくしかし“ファン”と突き抜けた明るさがある。次々とダンサブルなナンバーが続く。ローリングストーンズやビートルズの曲もある。この人は何を唄ってもこの人の唄になってしまう。

「戦争反対の唄です」と、ジョンレノンの「イマジン」を唄い出す。この間、自然に手が前に出たり横をむいて演奏のキューを出していた。音楽って本当に自由でしなやかなものなんだな、と思った。自分(ヴォーカル)がステージを自由に動かすこと、これを見た瞬間強烈なメッセージを受け取った様な気がした。彼のパフォーマンスは頭の中にしっかり残りその後、自分のステージングでも大いに役立った。とにかく他の日本人でのライヴでは得られないものを教えてくれた。

後半は、房之助さんの十八番—ブルースナンバーだった。彼のギターソロで「スイー卜リトルエンジェル」が始まる。私はブルースはよくわからないが、このフレーズを聴くと何となく熱っぼくなり座っていられなくなる。うーん渋いなあ。でもどうして二連のスローブルースは、こうも熱っぽくなるものか?ブルーノー卜は本当に生理的に働きかけるのか?

最後は「ユーアー・ソービューティフル・トウ・ミー」で締めくくる。何人も力バーしているこの唄。近藤さんが唄うとリアルな人間関係が見えてくる。英語だがストレー卜に意味が伝わってくる。あまりにも自然でリアルなので唄の中のヒロイン(!?)がうらやましく思えてくる。何回ものアンコールにこたえていた房之助さん。あっという間に三時間となっていたライヴであった。彼のライヴには特徴があり、終了後打ち上げか行われ観客も参加できるものとなっている(私はまだ行ったことがないけど面白そうだ)あれから二年近くたったが何度となくステージを見に行き、毎回のタフな姿にはびっくりさせられる。先月三月のステージでは途中酸欠状態らしく座りこんでしまったが、あの“ファン”と突き抜けた声は我々を魅了し、正に体を張った圧巻のステージングだった。ちなみに今まで四枚のソロ・アルバムは、全部ライヴ録音なのだ。もし機会があれば彼のライヴに出かけてみて下さい。歌は生ものだときっと思う事でしょう。