一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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マイケルジャクソン・卜ーク・トゥ・オプラ「あなたの肌はなぜ白い」

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マイケルジャクソン・卜ーク・トゥ・オプラ「あなたの肌はなぜ白い」

 

インタビュアーは、オプラ・ウィンフレイ。アメリカで最も視聴率を稼ぐホストである。

2月、“マイケル・ジャクソン・卜ーク・トゥ・オプラ”と題した初のマイケルジャクソンのインタジューが90分にわたって放映された。カリフォルニアの自宅からの中継である。

オプラは「ふだんは質問リストを作ったりしないのですが、今回はさまざまなうわさについて聞いてみたい」と言った。

インタビューはまず、彼の子供時代の話に始まった。幼くしてスターになってしまったために、子供らしい生活をほとんど経験できなかったこと。また、父親は非常に厳しく、暴力をふるうことさえあったことなどを打ち明けてから、彼はその父親に“sorry Joseph”と付け加えた。

最近の様々なウワサに関して彼は、それらが全くのデタラメであることを主張した。

「自分がこうありたいと思わない姿を、勝手にでっちあげられる。とても傷つきます。」

ウワサの中でも最大なのは、彼が自分の肌を脱色しているのではないか、というものである。別の話題でマイケルが、「ぼくはブラックアメリカンだし、そのことを誇りに思っている」と言ったのを受けて、オプラは「だったらあなたの肌はどうしてそんなに白いのか」と突っ込んだ。

すると彼は、これは一種の病気で自分でも全くコントロールできないのだ、

と目に涙を浮かべて話した。

整形手術に関しては、「2本の指で数えられるくらい。ほんの少し」と答え、ハリウッドで整形手術を受けていない人の方がよっぽどめずらしいことくらい誰もが知っているじゃないか、と話し、オプラもこれに賛成した。

このインタビュー後、一年以上前に発売されたアルバム“デンジャラス”は全米チャー卜十二位を記録した。 

 

 

自己紹介

 

福島先生の本に出会ったのは、二年程前の事でした。それまでの私は、歌や声に関するあらゆる本を読み、それぞれの本に載っているいろんなトレーニングを試していました。又その頃、レディスハードロックバンドを組んでいて、月に一回はライヴをしていました。そんなトレーニングや、ライヴ活動をしてるうちに気がつきました。『私には何かが足りない。何かがぬけている…』と。その何かが何なのか、全然わかりませんでしたが…。でも、その何かを見つけなければ私はヴォーカリストとしてこれ以上のびない-と思いました。そんな時、福島先生の本に、出会ったんです。そして確信しました。「これや!うちには声そのもののパワーがぬけてるんや!これしかない!!」それから何回その本を読み返したでしょうか…。頭の中は『パワーが欲しい!客を引きつける力が欲しい!』で、いっぱいで…。福島先生の本のおかげで、ずいぶん私は変わることができたと思います。

でも、ずっと本だけを頼りに練習していると…『本当にこれであってんのかなあ!?何かとんでもない感違いしてるかも…。』と思いだして…。それで、トレーニングを受けに行くことをきめたのです。

一度トレーニングに参加してみて感じたことは、技術的にも得るものも多いけど、真剣な人ばかりの集まりなので、精神的にも得るものが多いということです。本気でがんばってる人を見ると、自分も「負けてられないっ!」と本当に思いました。とってもイイ刺激になります。

イカしたヴォーカリストめざして、がんばります!

 

僕は今、中学の頃の友達とバンドを組んで頑張ってます。きっかけは、中三のお別れ会の一週間程前に友達に「なぁ、お別れ会出ようぜ。」とさそわれてB’zの曲をしました。観客の反応は、あまりよくなかったけど歌ってて思いました。観客が大勢いる中で緊張してたけどそれ以上に歌がこんなに楽しいのか、と思い、それ以来僕は音楽に目覚めました。

その時のメンバーに「バンド組もうぜ。」と言ったらみんな賛成してくれました。今、僕達のメンバーは、ヴォーカル/ギター2/べース/ドラム2/サックス/といった感じです。

中でも僕はおんちでどうしようもなく下手くそなので、ちょっとやそっとの練習ではだめだと思いヴォーカルの本を買いました。そして読んでて思ったんです。この塾ならやってくれる、やれそうな気がする。そう思いました。その日から僕の夢は決まっていました。

それは“アーティスト”になることです。とんでもない夢かもしれませんが、僕は誰よりも音楽が好きです。誰よりも歌が好きです。だからアーティストになりたいんです。この塾ならアーティストという扉までつれていってくれるだろう。そして、その扉を開けるのは自分次第、そう思いました。 

 

歌で思いっきり自分を表現することができれば、こんな素敵で幸せなことはない。自己表現するための手段としては他にもあるけれど、今のところ私には一番好きなものが音楽であるから…。歌をとおして自分自身を追求していきたい。これから一から始めようと思っている初心者ですが、はじめは歌える体を作ることからやっていって、ゆっくりでいい確実に身につけていきたいと思っています。子供の頃はじめて何かを学んだ時のような素直な気持ちであせらず長い目でみてやっていきたい。そして一つ一つ目標をクリアーしていっていつか夢を実現したい。自分自身の無限の可能性を信じて、今を精一杯生きていきたい。

 

中学生の頃、ビートルズを聞きまくり、高校生になるとボン・ジョヴィ、ヴァン・へイレンなどハード・ロック(ポップ・ロック)が好きになり、他にもエクストリー厶、P・マッカートニー、M・ジャクソン、B・アダムス、スキッド・ロウ等をよく聞きます。

四カ月ぐらい前に「ハード・ロックが歌えるくらい、もっと声量が欲しいなあ」と思っていた時に、福島先生の本を読み、ここの存在を知り、レッスンを受けるに至りました。今までは、ヴォーカルの練習を全くしていなかったし、知らなかったけれど、今は、色々な練習法を知ったので、自分の努力でうまくなりたいと思っています。 

 

 

 

午前五時五分は十五分 ベルが鳴る。目だけあけながら一日の事を考える。(急には体が起きないので)ときたまテープを聞く!

五時三十分 昼食、夕食のおべん当ポット(2つ分)ボトルを作る。一般的な朝の用事をする。

五時五十五分 家を出発。京都、山科の自宅から毎時八十キロ〜九十キロ(スクーター)で二十六分かけて建設会社へ(八幡市)

六時二十八分 到着

六時三十分 点呼後(建設現場選定後)佐藤先生からおそわった、いつでもどこでも腹式呼吸をする

七時十分 出発五分前に朝食。現場移動八時十五分or八時三十分or九時から始業。

午前中、十時から十時三十分まで休憩がある場合 十時二十五分ぐらいから腹式呼吸後昼食

十一時五十五分にも腹式呼吸後、一時間昼食の時間を昼ねにつかいます。

午後三時から三時三十分まで休憩がある場合 二時五十五分ぐらいから腹式呼吸後夕食

食事を早くすます事によって夜のトレーニング時間を少しでも多くとれる為!

午前中、午後の休憩がない場合は夜のヴォイストレーニングの時間が一時間三十分ほどずれ込みます。

午後四時四十五分〜五時三十分 帰りの建設会社への車の移動前(終業前五分〜十分にも腹式呼吸)

六時〜六時三十分 家着。すぐにお風呂をわかし(十五分間)明日のお弁当のおかずを買いにいく。or明日の用意。

七時〜八時 お風呂に入る。一日じゅう体を使用しているので、一時間ゆっくりっからなければならない。

ハ時〜八時十五分位から 佐藤先生のヴォイストレーニング(カセット)五十分間

九時位から 福島先生のヴォイストレー二ングカセット。リピー卜で卜―タル、一時間〜二時間の時もある!

レーニング場所:家でやる時は、二時間が限度です。夜十時を越えると近所めいわく!山でやるときは、卜ータル三時間位やるときも時たまあります。木にむかって(グリズリーが両手をあげ、ぼくを今にもおそいかかる思いで(アファーメションをして)死ぬ気で大声を出します。命かけて・・・etc。

雨の日や、寒い日は(のどをいためる)山で出来ないので早く防音ルームがほしいのです。

正直言って曲を歌う時間とか音程、音階、リズム、ここの本を熟読(アファーメション)する時間はあまりないです。段階的に防音ルームが出来れば、日常の生活も(アルバイト)よゆうが出てきて音楽創作活動にもうち込めるのですが!

しかし、今は毎月の最低限先生方にお会いする場で教わったトレーニング内容は、しつかり毎日やっております。毎日続けることによって、なんでも自信がつくことをマスターした感じをえられました。体がどんなしんどい時でも続けております。 

 

 

このトレーニングを行うようになってから、“声を出す”ということがすごく難しいことだと思いました。自分の個性、気持ちを相手に伝えるために、自分の声を作るというのは、大切なことだと思います。テープで自分の声らしくない声を聞くと、私はいつも“相手に聞こえているのと同じように自分の声を判断できればいいのに”と思います。

“よい声とはどんな声か”と考えても、うけとめ方はひとさまざまですよね。声というのは生まれつきのものではないと思います。これから大切なことは、やはりなによりもトレーニングすることです。

しっかりがんばっていきたいです。

 

 

 歌に関することだけに限らず、どんなトレーニングにおいても、目的意識があるのとないのとでは、同じ時間をかけても、その重みが全然違います。理屈ではそうわかっていたのに、今までの私はむしろ後者のほうでした。周りの人についていくだけで精一杯だったのです。でもそれは本当に最初のうちだけで、実際は私のなかに甘えかものすごくあったのだと思います。

例えば、前日にあんなにきちんとできたのにという音が次の日に全然とれなかったり、課題がレガー卜の練習だった時、レガー卜練習以前に息そのものが続かなかったりしただけで「どうして出来ないの」と自分に腹をたてて、すぐに投げやりになっていました。また、時間の使い方がとても下手で、部活やバイトで夜十一時過ぎに家について疲れているときなど、テキパキと密度の濃い練習をして、さっさと眠ればいいのに(ちなみに朝五時起床の生活なので、ただでさえ早く眠らなきゃいけない)、ついだらだらとして自分の首をしめていました。

これらのことから「どうして出来ないの」と言うだけなら誰でも簡単だけど、そこからああしようこうしようとせずに、投げやりになっていたこと、そして疲れているからといって楽をしようという気持ちがどこかにあったこと、この二つの点において甘えがあったと思います。

 

この前、家で低音域の課題を復習していたら、今まで自分でも聞いたことがないような太い声が出て、とてもびっくりしてしまいました。その時、とても下腹から背中にかけての部分を使った気がしたので、慌ててその感覚を忘れないように何度か繰り返したら汗が出るほど体が熱くなって、でもすぐ疲れて続きませんでした。出てきた声が、まるで自分のものではなく、「食べた直後だったら気持ち悪くなってだだろうな」というくらい、お腹にぐっときたものだったのです。もし办したら大変うぬぼれた考えですが、体から声を出すきっかけのようなものがつかめたのかなと思いました。同時に「これと比べたら、今まで私がやってきたことなんて、ちっとも練習のうちに入らないな」とも思いました。

 

今の時期が、なんらかの意味で重要なポイント(良い意味でも悪い意味でも一種の変わり日みたいな)じやないかと思います。今までは全部間違った方向だったかもしれないし、また仮に正しかったにせよ、これからもっともっと新しい課題が生まれてくると思います。私がすべきことは、ただそれらを謙虚に受け入れ、一つ一つクリアしていくだけだろうと、最近気づきました。そして、それが一番難しいのだということも。

 

 

早速ここに来て良かったと感じている。ここを選んだ理由は、はっきりしてました。その辺の音楽スクールに通う気はさらさらなかった。サギも多いし…。ここに決めたのは、楽譜売場で立ち読みした本。今までこんなのなかった。明らかに他と逢ってた。これでいいんだ、もう“確信”である。それは言わずもがなの、福島英先生著“ロックヴォーカル”シリーズ。財宝を堀り当てた気分で“基本講座”と“実践講座”と“実力派宣言”をまとめ買いしてしまった。帰りの電車で読み出すと衝撃の嵐だった。

この先生の着眼点は本質だ!そもそも私は外国人と日本人の声の違いを中学にならないうちから意識し始め、その頃は“外国人は声が大きく日本人は声が小さい”程度の認識だったけど、英語が好きだったし、そのうち様々な違いに気づきだし、そしてあまりにも大違いだと思うものの、先生が書かれたあそこまでの文章を創っていく労力もなく体の感じでここまで来てしまった。洋楽ばかり聞いてたし、FENも流しつばなしだったので、英語の楽しさもイヤなことも味わってきた。しかし日本語の良さはもちろんあるのだけど、やっぱり声は大きいほうがいい。コミュニケイトするにもボソボソ言ってるようだと誤解が起きやすい。日本人でも—そんな想いが見事に結集されていたのがあの本の内容だった。エネルギーが違う—体から出しているから—歌そのものの練習よりも体を創る、バッチリじゃないですか!

 

私が影響を受けたアーティストはたくさんいるが、飛び抜けて自分の根底からゆさぶってくれたのがデヴィット・ボウィ。“自己の表現”というと、まさにその人の個性、いろんなパターンがある。感情にまかす、陰うつに歌う等。彼の埸合は、大抵どこかにそうやって放出する自己を消し去って、あるキャラクターを演じるのが表現手段でした。音のほうも負けずに、とてつもなく魅力的で日常を完全に逸脱した世界を展開してくれる。詞にしても、初期の哲学・普遍的に繰り広げられた言葉やCYGNETT COMMITTIYはどうしようもなく私を泣かせ遠くへ連れてった。

 

QUOKSANDでは「自分を過信するな。死ぬまで“何かが解る”ということはないのだよ」と言っている。彼がまだ二十五歳前のことだ。そしてご存知の方も多いスターダム時代になるのだが、このキャラクターを創るというのは多かれ少なかれアーティストにとって不可欠な行為で、度をこすと自分の目指したものに殉死してしまうわけだが、そのくらいの情熱が魂を燃やすものだし、危険な美学ともいう。ジャニス・ジョップリンやジムモリソンのようになるまえにBOWIEはきわどいところで“生還”したが、生き残った者の苦労もまた想像を絶するものがある。どちらもROCKだと思う。

私の求めている姿勢は、“本物に誠実である” ということ。私がROCKだと感じるものは、ロックをやっている人だけのことじゃなく、思想家や騎手やレスラー、そして身近にいる人だったりする。反対にカッコだけロックで、たらたらやって何もない人とかは認めない。

今までロックばかり聞いて(他のジャンルにまわすお金がなかったので)いたのだが、“ヴォーカル入門”のテープにはいろんな種類の音楽が入ってて、気づいたのはやっぱりジャンルに関係なく、魂のこもった歌は人を魅きつけるということ。

これから、もっとできるかぎり幅広く聞巻きい。ちなみに付け足していうと、デヴィットボウイの声は、いわゆる“つくり声”なので、その点の手本としてはよいものかどうかわからない。

 

 

あるオーディションを受けたのがばれて「おまえなんかが歌手になれるわけがない」と簡単に偉そうに言われたのが梅しくて…。だから上手になって認めてもらえる自信をつけたいと考えているのです。こういうと意地をはっているだけと思われてしまうかもしれません。でも幼い頃からの夢をあきらめるほど、やわな心ではないのです。今は「誰かのために歌う」のではなくて「自分のために歌う」「好きなことをしていたい」というわがままでいようと思っています。「なんで歌いたいの。」「プロのヴォーカリストになりたいから」なんて答えは、とりあえず今は私には必要のない言葉です。

 

 

最近、考え込んでしまう。考えると歌えなくなる…から考えないようにしようと思っていることがあります。ひとつは誰かと比べられること。そもそも誰がうまい下手とか好き嫌いとかはそれぞれ人によって違うと思うんです。アドバイスはききますけど、上とか下とか言ってしまうのは変だと思います。ただ上をみると不安になるし、下をみると自分が情けなく思えることが私自身あるので、あまり強く言えないんです。つまり「私はあの人より上だ(うまい)」とか比べてしまっているんです。

ふたつめは自分は楽器が何もできないこと。バンドでの練習でわからないことがいっぱいなんです。ひとりっきりになってるなあと感じることがあります。自分の歌しかわからず、もどかしいときもあります。やっぱり楽器の基礎知識くらい知っておくべきでしょうか。皆さんのなかで「私も楽器はできない」って人がいたら聞いてみたいです。歌うだけだったけど、楽器を始めたらこう変わった—というようなことがあれば是非教えていただきたいと思います。みっつめは自分がどんな歌を歌いたいのか自分でもよくわからないこと。ジャンルで区別するつもりはありません。洋楽なんて聞きはじめたばかりですし。

ただ自分の声が低めだということもあって、声が出ないときなど、「もっと思いきり歌いたい」と思ってしまいます。単なるわがままかもしれないし、気持ちの持ちようでどうにかなるのかもしれません。今はコピーばかりでLINDBERGなどやっていますが、何か物足りないんです。練習は楽しいし、LINDBERGは好きなんですけど…。みっつとも自分次第なんでしょうけど。考え出したらとまらないので考えないようにしているけど考えてしまう、という悪循環な今日このごろです。

 

プレスリーを観ました。自分の生まれる数年前の人をこんなふうに観るのは不思議でした。知っている曲は確か“Don’t be cruel”だったと思います。すごい有名な人らしいのに名前しか知らなかったのは残念でしたが、またこれで賢くなった気がしました。ブレスリーの、歌のところどころに見せてくれた笑顔が何だかとても素敵でした。歌っていることが、本当に喜び楽しみであるかのような…。

私はいつもうつむき加滅で目もつむってしまうので、これから顔にも表情がつけられたらいいなあと思いました。

 

ひとりごと 僕は何も話すことができない。

人生はいつ始まるのかということをこの頃考える。

僕は、人生以前は終わったが人生が始まったという実感はまだない。

人生以前と人生との狭間で、羊水の中、もがき苦しんでいる。僕はまだ目覚めたばかりだ。

僕は難しく考え過ぎる。

「本当は簡単なことさ。」

素直さがいかに大事なことか自然なままで生きることがいかに大切なことか。

だが自然にといわれても、自然な姿というものがどんなものか僕にはそもそもそれがわからない。素直に生きるということは僕にとって全く考えられない世界だった。僕は現代社会の不幸な産物かもしれない。それならいっそのこと、「俺は不幸だーっ!」と叫んでみるのも一つの手か。

 

「歌のスケールがこじんまりとしています。」という福島先生の指摘は、今の僕自身を象徴している。

僕は恐れているのだ。何を?笑われることか、批判されることか、「ダメだねぇ」という母親の声か。

ああ、黙っていると暗闇に吸い込まれてしまいそうだ。

僕は語らねばならない。語るにはどれだけの力がいるだろう。

幼い頃、僕の鈍さを笑った母の影がちらつく。

 

 

「彼は奴隸でありながら『気概』をもち、自尊心と尊厳を、そして単なる奴隸以上の生をめざす欲望とを持ち合わせていた。彼の『気概』は仕事への誇りや自然の『ほとんど無価値な物質』を巧みに扱って、自分ならではの作品に変える力に対する自負心にあらわれている。また、それは彼が自由に関して抱く理念にもあらわれている。彼はこの『気概』のおかげで自分の価値や尊厳が他人に認められるはるか以前から価値と尊厳のある自由の存在の可能性を頭のなかで思い描くようになった。…

歴史を前進させた原動力は、このような奴隸側の認知へのたえまない欲望であり、決して主君の側の怠惰な自己満足や相も変わらぬ独りよがりの性格ではないのである。」(F・フクヤマ「歴史の終わり」)

 

 「人はあらゆる自由を許されたとき、みずからの不可解な限定と、その自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由ではありえない。なぜなら人間は生きており、また死なねばならず、そして人間は考えるからだ。」(「墜落論」坂口安吾)

 

 

 「何もかもだめだ」

そう思う時は

いつも空がない

空を失くしたとき

あなたはどうしますか?

 LOVE YOURSELF

 IT'S YOUR LIFE

 

 

ここまでを振り返って ここで学び始めました。ここに来る前にヴォーカルスクールでレッスンを受けていましたが、満足できず、こちらへ移りました。

これまでヴォイストレーニングはもとより様々なカリキュラムを受けてきました。また他の塾生の人たちからの剌激を受けたりしながら、いろいろ啓発されてきたと思います。

とりわけ「歌は自己表現の手段」という考え方は、それまでの自分の歌に対する考え方を一変させたといっても過言ではないと思います。例えば、選曲に当たっても、当初はメロディのきれいな曲、ノリのよい曲、有名な曲等、楽曲そのもののよさを基準にして選んでいました。

しかし最近は、今の自分の考えや感じ方に近い曲はないだろうかとか、昔経験した楽しいことや苦しいことなどを思い出してみて、そういうときの気持ちを表すような曲にはどんな曲があるだろうかというように、選ぶ基準か変わってきたような気がします。

ただ「歌で自分を表現する」ということは難しいことだと思います。歌の技術もさることながら、それ以前に何を表現したいのかを明確にしなければなりません。そのためには自分をもっと知らせなければならないと思います。

いずれにせよ、ここで学べるということは自分にとって大変有意義であり、またそれが許される条件(時間、経済、距離等)が整っていることに感謝したいと思います。

日々の雑用に追われるなかで、ここは創造性を養うための貴重な“場”ではないかと思う今日この頃であります。

 

 

心の栄養 映画館で映画を観る機会は、ここ最近めっきり減って、年に二〜三本程度でしょうか。ビデオ化されている作品であれば借りてきて観る本数はもっと多いのですが。

そんなおり、黒澤明監督の最新作「まあだだよ」を観に映画館へ足を連びました。

これは素蹟らしい映画でした。スリルやアクション、どんでんがえしなど一切ありませんが、淡々としたストーリーのなかで随所に感動的なシーンやセリフが散りばめられていました。

内容に少し触れると、舞台は昭和の初め、内田百聞(ひやっけん)という、かって大学講師をしていた文筆家と彼の教え子たちとの心の交流を描いた作品です。

黒澤監督の作品はこれで三十本目ということですが、私はそのうち五本しか観ていません。また今回の作品についても予備知識はほとんどありませんでした。(所ジョージが出るとのことでコメディ映画かなとも思っていました)興味があったのは、数多くの名作を生み、世界的名声を得ている“巨匠”が八十歳を過ぎた現在、どのような作品を作り上げたのかという点でした。そのように少し構えて映画館へ乗り込んだ私を全く意に介することなく(当たり前か)、圧倒的な映像美と感動で健在ぶりを示してくれました。と同時に、本当に心から感勤できる対象に出会えば、こんなにも心が動かされるものかと、ふと日常のなかで忘れかけていたものを再発見したようで何かとても爽やかな気持ちになって映画館を後にしました。

せっかくですので印象的だった“先生”のセリフを—「自分にとって本当に大切なもの、好きなものを見つけてください。そしてそのもののために努力しなさい。それはきっと心のこもった立派な仕事になるでしょう。」

 

 

海外に触れて思うこと 私が小さい頃、毎週欠かさず見ていたテレビ番組は“兼高かおる 世界の旅”だった。確か毎週日曜日の朝十時頃から放映されていた超長寿番組だったと思う。これを見ながら朝食を食べるというのかほとんど習慣となっていて、これを欠かすと一週間が始まらないという気さえした。

何がそんなに好きだったかというと、自分とは顔と肌の色も言葉も生活習慣も違う人たちが、この同じ地球にはたくさんいるのだという新鮮な驚きと興味を与えてくれたからだった。そんなことから、将来は日本以外の外国と接するようなことがしたいと自然に思うようになった。

で結局、コミュニケーション手段の重要なものの一つである“言葉”を勉強しようと思った。英語以外のものもと、大学のときは英語以外で一番身近だったイタリア語を勉強し、二十歳のとき初めてイタリアに行った。一ヶ月程フィレンツェでホームステイをし、その後一ヶ月程フランスやスペインを一人でまわった。その時が私にとっての初めての外国体験であったが、楽しさもさることながら、ショックを受けたことも多かった。

ここでそれを説明しようとすると恐らく何ページにもなってしまうだろうからやめておくが、一言でいうと彼らと自分の生き方の違いに結構ショックを受けたということだ。いろいろな人と出会って、話したり一緒に過ごすうちに、いかに彼らが人生を深く生き、それに反していかに自分がのほほんとしているか…。恐らくそれが私にとって初めて本当の意味で挫折感を味わった経験だったと思う。

卒業前にも、ゆっくりと休みがとれるうちにと、友だちになったイタリア人やスペイン人の家を渡り歩き(結構、ずうずうしい性格なので)、彼らと生活を共にしながら、彼らが意味ある生活、あるいは人生を送っているのは何故なのかと考えていた。(もちろん彼らの全員がそうだというわけではありませんが)別にこれだ!という答えが見つかったわけではないが、要するに彼らは私よりも精神的にオトナであり、人間的に深みのある人たちだということに気づいた。

ルネッサンス期のヨーロッパで、何人もの画家に繰り返し描かれていたテーマに“Varity (空虚、あるいは虚栄心)”というものがあった。だいたい構図は決まっていて、金髪の美しい女性がこちらに背を向け、鏡の前に座り、その豊かな髪をくしですくというものであるが、鏡に映る彼女の顔はガイコツという実にコワーイものなのである。

まぁ一言でいうと、学生時代ヨーロッパに行って教えられたことは、先の絵のように、人には外面的なものと内面的なものがあって、どちらを大切にするかはその人次第なのであるが、本当に人生のなかで大事なのは内面的なものであるよ、ということだった。会社に入って働くようになってからも、運よく欧米やアジアの各国をまわることができ、本当にいろいろなことを考えさせられた。特にタイで体験したことは、今でも私の心に強く残っているし、これを読む人にもちょっとは考えてもらいたいことなので書くことにする。

それはパタヤでのセミナーを終えてバンコクへ戻る車中での出来事だった。その日は土曜日で(東南アジアではまだほとんどの会社が土曜日も半日働いている)午前中の仕事を終えたあと、仕事仲間のマレーシア人と現地の会社で働くタイ人と私の三人で、パタヤの象の曲芸をやっている観光名所に行った。(これが結構おもしろい!)バンコクへ車で戻る途中、何回か車を止めて露店街を歩いたり、めずらしい果物を買って食べたりした。私たちは年齢が近いこともあって、結構おしゃべりをしながら楽しく過ごした。(ただしタイ人は象のようにおとなしく、もっぱら会話をするのは私とマレーシア人だった)仕事の話や音楽の話、あれやこれやと話をし、ある時私がふと「でも最近はアジアも生活レベルが向上して…」と言ったあと、彼が急にまじめな顔になって「やっぱり君もそうだね。“アジア”って言っているなかに日本は含めないんだ。」

本当にショックだった。仕事とはいえアジアの国をまわるうちに私は本当にそれらの国やそこに住む人が好きになり、もっと多くのことが知りたいと思っていた矢先だった。自分も日本もアジアの一員なのだと実感した…。いや、でも本当はそうでなかったのかもしれない。どこか無意職のうちに日本は他よりも進んでいてエラいんだというような気持ちが働いていたんだと思う。それを先のマレーシア人は敏感に感じとったのだった。

人間には根本的に恐らく差別意識というものが多かれ少なかれあるのだと思う。(ごくまれにそうでない人もいるかもしれないが)それは仕方のないこととして、問題は人とつきあうときにどうそれを自分でコントロールするかだと思う。別に海外に出なくても対せねばならぬ問題はたくさんあって、外国人労働者在日韓国人問題などもその例である。

人の価値は人権や生活レベルや頭のよさで決まるものではない。

私の会社でもよく「いや〜、いろんなところへ行ったけど、やっぱり日本が一番いいよ。便利だしきれいだし…。」とか「やっぱり日本人がいいねぇ。外国人はわからんよ。」とか言う人かいて、まぁそれはそれでいいんだけれど、それだけではもういけない状況に私たちはいるんではないだろうか。

 

私は最初、仕事を通じて世界のいろいろな人と接したいと思っていたけれど、思うところあって、今は踊りや歌といった表現活動に重点を移し始めた。仕事もそれはそれでおもしろいのだけれど、何か人の心に伝えることのできることがしたいと思うようになった。もちろん歌も踊りもまだまだ未熟ではなるが、まあ一歩一歩階段を昇るように進んでいこうと思っている。

私的なことになるが、最近うれしいことがあったので一つ。

発表会のときにここからの何人かの人に来ていただいた。この紙面を借りて、もう一度お礼を言わせてください。本当にありがとうございました。当日はあいにくの雨にもかかわらず、千三百人以上ものお客さんに集まってもらえた。(本当に素人の時代ですねぇ)それだけの人の前で、群舞なら何度かやったことがあるが、今回はソロに初挑戦した。自分でソロをやると決めてからニヶ月間いろいろ苦労を重ねながら練習してきた。(結構、体力的にもきつく、四時間のしごきを受けたあと、四月に出たら途中で気分が悪くなり早退してしまいました。ごめんなさい。)中でも本当に苦労したのが表現で、今回でよーくわかったことは、自分が伝えたいことを、見ている人に感じてもらえるということは並大抵のことではないということだった。無心になっている自分とは別の冷静な自分も必要なのだ。それをいやというほどわからせてくれた“鬼演出家”に感謝したい。(でも本当はとてもナイーブで尊敬するアーティス卜の一人です。彼は自らも世界的に活躍する舞踏家です)

当日の出来はいろいろ不満の残る点も多くあり、それほどよかったとは思わなかったが、それまでに努力したこと、自分の今のレベルを考えると、まぁこんなもんだろうと思った。会が終わったあと、何人かの友人が楽屋まで尋ねてくれたが、なかに見知らぬスペイン人が一人いた。彼は私の踊りをとても気に入ってくれて、偶然に共通の友人がいたということもあって、わざわざ楽屋を尋ねてくれたのだった。索直にうれしかった。まだまだ人を感勘させるような踊りはできないが、これから続けていく上で大きな励みの一つになるだろう。もちろん歌のほうもがんばります。

 

 

「あっ、まただ。」

大切そうにマンガ本を抱え、空いている座席に腰掛けるが早いか、

必死になって読みあさるサラリーマン、学生…。年齢なんて関係ない。バカまる出し。

いい加減にしてくれ。

これ以上、日本の恥をさらすな。

「あっ、こいつもだ。」

平気で痰や唾を吐く。

誰の道なのか。

おまえのか?

みんなが歩くところだろう。

舗装されてんだぞ、土じゃないんだ。

かっこいいつもり?

どうせ吐くなら上を向いてやれ、バカ

「あっ、この女もだ。」

外人を見ると、すぐ後ろをついて歩く。

海外では日本車のダンピング、国内は日本人女のダンピング

今や世界中、性に狂ったイエローキャブで溢れている。

「あっ、やっぱり男もだ。」

白人女には何もいえないくせに、アジア人だといきなり横柄になる。

それも酒の力を借りて…。

自分の魅力のなさを金でごまかすな。

すべてが劣等感の襄返し。

男も女もからっぽ。

節操おも何もありゃしない。

「あーっ、絶望だ。」

この国の政治家といわれる人々。

前例がないから出来ないだと…。

前例で政治が出来るなら子どもにだって出来るさ。

六十のじじいをニューリーダーなんて呼ぶな。ばからしい。

「あーっ、やっぱりだめだ。」

この国の人間。

他の国では今この時にも数え切れない子供たちがひと切れのパンも食べられずに死んでいるというのにグルメだ何だとほざいている。

有名な人が着ている服を〇〇さんルックなどといって、みんなで同じ格好をする。

自分というものを持とうとしない。持てない。精神的幼児集団。

「あーっ、嘘ばっかりだ。」

本物なんて何ひとつない。

世界に誇れるものなんて何もない。

政治も経済も文化も、本当の意味で世界に通用するものなんて何もない。

器用であるのをいいことに、何から何まで自分の都合にあわせて作りかえる。

うわべだけはそのままにして…。

姑息、欺瞞、無責任…もううんざりだ。

「あーっ、やっぱりそうか。」

あーっ、やっぱりそうか。

あーっ、やっぱり俺もそうか。

あーっ、やっぱりそうなんだ…うんざり。

 

 

現在三つの夢をもっている。その三つが何か?ということはあえてここでは書かないが、三つの夢の実現へ向けてがんばっていこうと思っている。三十歳を一つの区切りとし、三十歳までの残でどれだけのことができるか、自分の可能性を信じて挑戦していきたい。現在の自分の生活を果たして打破できるか?それは全て自分の努力次第だと思っている。今度は決して中途半端にはしない!

 

 

エクストリーム 

ライブ籃賞記 日本武道館で行われたエクストリームのライブレポー卜を簡単にお届けします。

このバンドは、あのエアロスミスを輩出したボストン出身のバンドであり、エアロスミスやクイーンといったバンドの影響も受けっつ独自のサウンド・メイキングを持つ素暗らしいバンドです。自らを「ファンク・メタル・バンド」と名乗っている通り、ファンク系のグルーブ感にメタル系の重量感を加え、さらにはメロディアスな曲調のサウンドに仕上がっています。

この日のライブもしょっぱなからファンを十分満足させる内容であり、中盤にはドラマ仕立ての展開もあり、飽きのこない熱いライブでした。全ての曲はギタリストのヌーノ・ベってンコー卜の書き下ろしであり、今後の曲にも十分期待が持てそうです。

 

 

何故、歌を歌うんだろうへ(私の歴史)俺は歌が好きなわけではない。鼻歌をよく歌ったり、カラオケに行ったりという嗜好的な楽しみもまるで見あたらない。

「よくわからないけど好きなんだ」という気分や感情の問題でもない。何故、自分が歌なんてという意外感がいまだにある。子供の頃から歌が好きなわけでもなく、まわりの環境に影響されたというわけでもない。俺が自分の声を初めて使ったのは(学校の合唱以外で)、大学に入ってからで十九歳のときだ。自分の歌をラジカセに吹き込むためであった。人の歌、人の曲をコピーすることにまるで興味がなく、むしろ面倒くさかった。子供は砂場で、木くずや石ころを動物や車にして遊んでしまう。それと同じで自分の手に届く範囲で、自分のレベルで好きなように遊びはじめた。手元にはエレキギターとラジカセがある。ギターはレコードを聞いて自分もやってみたいという、よくある若者の衝動で買ったものだ。(しかも楽器店に行くのが恥ずかしくて通信販売で)

弾き方がわからず、ペンで弦をたたいて遊んだ。ラジカセにつないでアームでヴィヴラー卜をかけるとエレキっぽくて感動した。とりあえず六弦(E)を押さえてフレーズらしきものをこさえてみた。イントロはペンでたたき、のってきたところでフレーズらしきものを六弦で二、三音出す。十分ぐらい録音した。当時、心酔していたキングクリムゾンのつもりであった。(マジ)いきなり家にやってきたギターでそんなことをする兄に、第は一般的な口調で「作曲の才能ないね。」と言った。

数日間、これ以上の進歩もなく、ギターって何故六本もそれぞれ違う音の弦があるんだろう、面倒くさくて弾けやしないと思い、やめた。高校生の頃だった。

それからしばらくたって大学一年の夏、実家からギターを送ってもらい、また遊び始めた。(同じクラスの人たちがバンドをやっていたため、気になった)

六弦だけでも曲を作れるという気がしたのはパンクを聞いてからだった。当時心酔していたスターリンのように二種類のフレーズをつくりさえすれば曲になる。タイトルは「おら津軽」(俺の田舎は青森)。Aメロは方言の連発、サビは“おら津軽!” とシャウト、これだった。同じ方法論で「親子競演」(銭湯に行く親子の話)、「南極マジンガー」、「交合様」(一絃の開放も使用)などたくさんつくった。そして決定的な曲の作り方のインパクトを与えてくれたのは“アインシュテユルツェンデ・ノイバウンテン”だった。よくわからないノイズのなかで、ぶつぶつ呪文のように叫ぶ。何でもありか!これなら俺もこわくない。俺はギターを裏返し、スプリングをピックでこすりはじきながら、お経のような声を出した。

「血の寺」「井戸」「橋」「落武者」とすぐできた。バンド名をつけよう。

私の最初のバンドはこうして生まれた。

 そして十九歳、最初のステージ。人前で初めて歌ったのは「落武者」。

スローハードコアナンバーで、白塗りメイク、裸足、ずぶ濡れ髪で演った。会場は氷になった。場所がよくわからなかったが、大学のサークル、フォーク研に入って最初のことであった。

しかし私は一生やるつもりなのだ。

現在は「七味」「酢」「赤座」「道楽」「黒人和尚」「蔵」「門」「生生首いきなまくび」「焼尼」「男汁」「泉」と曲も増えた。

そして二十歳頃、もっと音楽性を追求する自分にとって最も大切なバンド(バンド名は現在保留)をはじめた。この歌は自分のアイデンティティソングだ。この歌は最も自分らしいし、他の誰も歌えないだろう。

例えばクリムゾンのスターレス、ジョンのイマジンなんかと同じで、その人だけがもつメッセージというのがある。私のテーマはレナード・コーエンと同じで「自分の魂を救うことに興味がある」。そしてどうやらそれは自分がつくらなければならないし、自分で歌わなければならないものだと気が付いた(もちろん広い意味で力バーも含む)。

私の場合は音楽であり歌だった。しかたがなく、何故かはわからないが歌だった。私は欲望を歌う。

 そして謎と祈りを歌う。歌おうとしている。多分、愛の歌が一番多いと思う。

今、私は技術的にはたいへん未熟だ。自分に対する恥ずかしさと信頼感とか入り混じっている。だが自分に何かが与えられていることだけは確信している。

現在、私に最も影響を与えているニック・ケイブとマイケル・ギラ(スワンズ)を聞いていると妥協だけはしたくないと思う。入口も出口もない。ラディゲ風にいうのなら「音楽の悪魔」が私の中にあるのだ。金も愛もないが、少なくとも私には私の歌がある。(もちろん金も愛もほしい)

 

 

 

梅雨入り記念特番『河合隼雄

 

新緑の手節だ(と思う)。街は、既に春の裝いだ(とっくに)。夏は、もう目の前だ(ミニ・スカー卜…)。

少年、老い易く、学、成り疑し。…そこで、『河合隼雄』である。河合隼雄…?誰?

うーむ…難しい質問だ。『宮崎駿』…でないことは確かだ。

まあ、本はいっぱい出ているから、興味ある人は読めばいい。(恐いもん知らずだ)

ところは、神奈川大学十一号館11-11講堂。“春季・連続文化講演会”題して、「価値観と多神論」。

こりゃまた、大上段に構えたもんである。

…まあ、かいつまんでいえば、日本人と西洋人の論理的思考のバックグラウンドの相違ってなことになるんだけれど…。まあ、いい。とりあえず、このおやじのどこがすごいか。

まず、河合隼雄は…じじいである。

見てくれは、恐い。

目の下なんか、もう、苫小牧クマ牧場状態である。

が…、言葉は真実に溢れている。言ったことに含みはない。

なにより聞く者に言葉の垣根を作らせない。

おかしな専門用語を持ち出さないのは言うにおよばず、言いたいことを、聞きやすい表現で、たわいないことを言うように、何でもないことを言うように、的確に伝えていく。

これは、なんにしても、すごい“技”なのである。

 並ではない。

重厚な“思惟”“思想”が、人々に語られるべく、充分に考え抜かれた末の“平易”な言葉として表現される…言い替えれば、“思考”が“話し言葉”に翻訳されている。

そこには、人知れぬ試行錯誤が、隠されている。それが証拠に、立て板に水のごとく喋っているように見えて、その実、ポイントとなる話の転換点にくると、聞いている者の違和感を誘うほどの“間”をとって、自分の言わんとすることを、自ら“再確認”している姿が、垣間見られたのである。

なんにしても、ただもんではない。

 しかし、この“河合隼雄”にも弱点はある。

“関西弁”だ。

いくら偉そうなことを言っても、どうにもおちゃらけて聞こえてしまう。

ただの、そこいらの親父と化してしまう。

こいつは、いかんともしがたい。

が、そこは“河合隼雄”である。

だてに、京大のセンセを長いことやっていない。(長いこと京大のセンセをやっていたのである)

間抜けでは、小生意気な学生諸氏に侮られてしまう。

そこで“技”その二、である。

『毒をもって毒を制す。』

『関西弁をもって関西人を制す。』

つまり、言うなれば、“明石家さんま”には、どうがんばっても“標準語”は喋れないということなのである。

自分のもちものでない道具を使ってでは、己れの持ち味は、表わせない。

自分のものを使ってこそ、はじめて良い仕事ができる。

当たり前のようでいて、なかなか難しい。

まして、その道具が“両刃の刃”であるなら、なおさらである。

これは、もはや、使い込むしかない。

私たちは、往々にして、自らのオに溺れ、その手段ばかりひけらかして、死に急ぎがちである。

その到達点が、決して安寧であろうはずもないことを知りながら、現われるものにばかり気を集中して、一気呵成にその階段を駆け上ろうとする。

手段はあくまで方法であって、目的ではないということなど、もう百年も前から言われているというのに。

同じ間違いを何度も繰り返す。何度も何度も。

だから、僕らは、“じじい”に学ばなくてほならない。

 死に絶えてしまった、古き良き時代の日本人を、今こそ血眼になって捜し出さなくてはならない。

西に河合隼雄ありと聞けば、行ってそのご高説を賜り、東に春風亭柳昇ありと聞けば、行ってその高座を仰ぎ見る。

たやすいことだ。誰にでもできる。疑わず、侮らず、謙虚に、相見える。やりなさい。

…というところで、まあ、今回は、お説教めいて終わってしまうわけだが…じゃあ、一体“河合隼雄”ってなんだったの?という疑問には、やはり、一応、答えておかねばならないでしょうか。ここは、やっぱり。…まあ、一応、若者をやっていて、ちょこっと人生なんてものに悩んじやったりしたことのある人だったら、まあ、名前ぐらいは知っといたほうが、いろいろ、あとあと役にたつんではないかなあ、というくらいのもんなんですけどもね。この際、まあ、一冊ぐらいこの叔父さんの書いた本を読んでおくのも、話のたねにはなるんじゃないかなあ…というところで。

 

 

「美しい女」とは何か?そして「美しい音楽」それは妙に肌寒いある夏の日のこと。私は初めて柔軟の授業に出ました。そこには女の子たちがいっぱいいました。で、彼女たちのおしゃべりが耳に入って来たのです。その中に足の障害を訴えている子がいたんですよ。(うーん、やっぱり魚の目ってはっきり書いちゃ失礼だよな)原因は、ハイヒールを履くからなんだそうです。他の女の子たちも「そうなのよねえ、私も足幅広くて…」と悩まされているみたいでした。(勝手に題材に使ってごめんなさいね、可愛らしかったあなたがた)

どうして女性はハイヒールを履くのでしょうか。健康に悪いと知りつつ。外反母趾まっしぐら。ま、問題のない人もいるんでしょうが。私も足幅が広いんですよ。靴選びには苦労してます。「皮はすぐ伸びますから」なんて言われてちょっときつめの靴を買ってみるともう最悪。ああ、我慢の挙げ句、ムダになってしまったお金。最近、ようやく社会にも本当の健康とは何かという考えが浸透し始め、ウォーキングシューズやサンダル、下駄がブームです。ちなみに私は夏は素足にサンダルで押し通してます。

ところが…女の人たちにとっては、そういうわけにはいかんのですよね。通信販売の専門誌「通販生活」の大ヒット商品は「ヤコフォー厶」と言う幅の広い革靴なんですが、誌上体験&アンケー卜によると、女性は「確かに楽、だけど…」と消極的です。「やっぱり女らしく見せたいという意地がある」のだそうですよ。確かに、スニーカーと違ってトータルなコーディー卜の確立していないこの手の大靴を普通の服と一緒に履いた女性の写真は、お世辞にも女らしいとは言えませんでした。

あれ…?私はどうしてその姿を『女らしくない』と思ったのでしょうか。

「そりゃあねぇ、足がきれいに見えるし、実際、本当に細くなるって言うしぃ。やっぱ、かっこいいじゃん。あなただって本当はそう思ってるでしょ。」というハイヒール弁護派の声が聞こえてきます。いえいえ、決して私はハイヒールが格好よくない、と言ってるのではないのです。それどころか、ある種類の女の人のだったら、ひざまずいて舐めたっていい(?)とさえ思ってます。

われわれはいったいどうしてハイヒールを履いた女の人を「大人っぽい」「女らしい」「セクシーだ」と思ってしまうのでしょうか。中国では女は小さい足がいいということで、「纏足」(てんそく)と言って小さいころから足を縛って奇形にしてしまってたんですね。逃げないようにする、活動の自由を奪う目的なんだそうですけど(それ以外にも理由はありそうだ)さすがに今はやって無いようですが。

それにしても女性は体に悪そうな様々なものをなんで身にまとうのでしょうかね。蟻のようにウエストの細い女の人、子供生めるのかねえ。と心配になってしまいますが(ならない、ならない)、男達はやっぱりそういう細身のボディコン女に、何故だかふらふらと惹かれてしまうんだな、これが。どうしてなんでしょ。と、前ふりはここまで。この記事のテーマに取り掛かります。前に出てきた疑問。

私はどうしてその女性の写真を『女らしくない』と判断する事ができたのでしょうか。

『女らしくない』とか、『女らしい』とか判断するためには、私が『女らしい』とはどういうことなのかを知っていなければなりません。これ敢行すると、或るものを『美しい』とか『美しくない』しくないと言うためには、私達は『美』の観念を持っていなければならない、ということになります。私達は美しいとはどういうことなのか知っている。だから、美についての意見を述べることができる、あるものが美しいか醜いかを判定することができる、ということなのです。どうして知ってるんですか。

「そんなのねえ、誰だって知ってるわよ。あったりまえじゃない。」

「いつどこで知ったんだよ。」

「生まれつきみんな持ってんのよ」

「でもね、例えば、マリリン・モンローもさ、未開部族の土人たち(注・これは差別用語です)にとってはブス(これもやばいかな。)に見えるっていうし」

「うーん、じゃあ、人種によって美の基準は違うのよ」

「でも日本の男はやっぱり巨乳の金髪美人に弱いけどね。(おいおい)東洋美人ってアメリカの雑誌とかではなんか変な扱いされてるような気もするし(こいつどんな雑誌見とるんじゃ)、と思うとシャーデーみたいなかっこいい黒人女もいるし」

「文化水準の発達にもよるのかしら…環境っていうのもあるんじゃない。」

「俺たちの中でも、A子がいいって言う奴もいれば、『えーっ、どこがーっ、あいつXXじゃん』って言う奴もいるし…趣味ってみんなそれぞれちがうじゃん。ほら、『蓼食う虫も好き好き』って言うだろ」

「でも、美人は美人よ、やっぱり」

「そーなんだよなー、誰が見ても美人ってやっぱりいるよなー」

われわれは、音楽の善し悪しをどこでどうやって判断していますか。われわれには、ある人の歌を判断する資格がありますか。

果して「普遍的な永遠の美」は存在するのでしょうか。

それとも、美は私達が誰かに教えられてきたもの、各人の心の中だけにあるものなのでしょうか。