一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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音楽と私 ルバートとの出会い rubato,broaden,Free Tempoというのは、いわゆる一定の速度記号と違って、自分の自由に演奏してください、ということです。それも、好きにひとつの速さで演奏するのではなくて、変化をつけたりしてその楽曲を表現する、ということです。

私は、子供のころからピアノを習っていましたが、あれはもう大人になって初めてアメリカ人のピアノ教師についたときのことです。先生は、私にいつもrubato !!rubato!!と、言うのでした。

先生の言うrubatoは私の考えていたものよりもっと深かったのです。それにはまず、音楽を感じなければなりませんでした。音楽を感じてその感情のままにまかせて、ゆるやかに変化させながら演奏するということでした。

ただ、4拍子を均等に、正確に1-2-3-4と4等分するのではなく、1-2--3-4、1,2--3,4、1-2-3-4-、1-2-3---4-というように自分の世界を造りあげてそれを表現するということでした。とにかく、音楽を感じて、自分の表現をするまでは先には進めませんでした。それが、私を聞いて楽しめるピアニス卜と言われるように育てたのでした。

ところが、それは私の中のピアノ演奏を全く違うものにしてしまいました。最近では、普通にテンポが設定されてある楽曲のテンポをキープするのも難しくなってしまいました。それで、超基本であるテンポキープができないピアニストになってしまって、そういう意味では「ヘタクソ」な演奏をしてしまいがちになってしまいましたが、rubatoを通して自分の創作性を更に引き出してくれた先生にはどんなに感謝しても足りません。ベートーヴェンピアノソナタも、rubatoで弾いてしまいがちな私。

 

 

ブルーノー卜のジョージ・ベンソン いいバイトがないかと探していて、ブルーノートを思いついた。ソウルのモータウン、スポーツのマガジン・スクエア・ガーデン、ジャズのブルーノートだ。面接にはかなり気負ってのぞんだが、以外にあっさりと決まった。

なんと働き始めて三日目。アーティストはジョージベンソンなのであった。他のスタッフは「いそがしくなる」と言って冷めていたが、ぼくは子供のようにワクワクしていた。

ベンソンといえば、アコースティックなギターサウンドで、つとに有名だが、本格派のソウルシンガーとしても定評のある人だ。レイ・チャールズ並の超大物アーティストということでゲバ評は相当なものだったらしい。

さて、初日、私が出勤するとリハーサルはすでに始まっていた。心構えをする間もなく、いきなりベンソンが大声で笑っているのである。そこで何をするのかなと思い、しばし注目していると他のメンバーがアンフォゲッタブルを演奏しだしたのだ。

ナタリーコールとその父、ナットキングコールが歌ったこの名曲は、昨年ヒットして、嫌というほど耳にしたので、ベンソンがいかに歌いこなすのか、定着しきっているナットキングコールのイメージをどう彼なりに表現するのか、邪道だけど比較するつもりで聞いていた。

ところが、である。彼が最初の1フレーズを囁やいたとたん、そういうこちらの心づもりが一瞬にしてふっとんでしまったのだった。非常に言葉にしにくい感覚なので困るのだが、「ふっとぶ」というのが最も近いだろう。正にそんな感じだった。

ベンソンの歌、ベンソンのアンフォゲッタブル、それ以外のものは何も思い出させてくれないのである。あまく、それでいて殺那。深く、それでいて爽やかである。技術に全く不安を感じないから表現の世界に没頭できる。

余談だが、この時、私は確信した。プロの世界において「未熟さは個性ではない」と。

結局、最初からパンチをくらって、私は興奮し通しだったが、リハの最後にそれを上回るショックが待っていた。リハが終わり、ベンソンはマイクから離れ、パーカッション担当の白人と何やら話していた。そして、ふと彼は「ジョージア…」と冗談ぽく歌うそぶりを見せた。たまたま、まだピアノのメンバーが座っていて、すかさずべンソンのおふざけに合わせたのである。

ジョージア・オンマイマインド」(1930年〉ルイ・アームストロングレイ・チャールズ、そして近年ではマイケル・ボルトンの名唱で知られるあの不朽の名作である。(現在、缶『ジョージア』のCMに使われている)あれをベンソンは、ノンマイクで歌ってくれたのだ。

私は、これに関して感想は言うまい。いや、言えないのだ。ただ一つだけ言えるとすれば、本当に洗練された人間の声というのはすばらしい、ということ。これに尽きる。実際に聞くと理屈なんて「ふっとんで」しまうのだ。当の本人もひたすら幸せそうに自分の歌を堪能していた。「理屈を言うな、聞け!」と言わんばかりなのだ。

果たして、本当に理屈はないのか?

ヴォイストレーニングの必要性は?

皆さん、気になりますか。ご安心を。私は通訳の人に頼んで、この点をちゃんとたずねていただきました。彼は「ヴォイストレーニングは必要ですか?」との問いに対して、こう答えたそうです。

「Of course!!」

その日、私は一日中、客にばれぬよう息ばかり吐いておりました。スランプ脱出です。

家に帰って、ジョージアを歌ってみましたが、どうもね、あの歌が私に合わないらしい。