ためる 151
何ごとにも“ため”るときがある。
“ためなくてはいけない”ときがある。
外に出たいと思っていても、
じっと自分のなかに力を満ちさせる時期がある。
外を走り回って、誰にも相手にされないけど、
走り回らなくてはいけないときもある。
じっと、やったことが発酵してくるまで、
待つことの長さと
そこで得られるものの真実味を感じて欲しい。
そんなときであればこそ、大きな実をつける準備ができる。
人が認めようと認めまいとひたすらやるべき自分がある。
そのときに得られるものの数や量は、
生涯のどんなときよりも豊かなのに、
当人もまわりもなかなか気づかない。
本当の実とは何で、豊かさとは何であるか。
問うてみるとよい。
一見、華やかなのに嘘であるものは、
いつも、いたたまれない。
本当に華やかなものには、裏がある、
匂いがある、余裕がある、得体も知れぬ深さがある。
いろんな人がいる
いろんな想いがある
いろんなことがでてくる
そこにいろんな意味がある
誰よりも自分自身にメリークリスマス!
乾杯をしてください。
ー
統括と今後の方向について
本当の力について
一部の人には伝わり、全体に伝わらないのは二重の手間なので、
日頃の質問に統括する形で、お答えしておきたい。
あまりに程度の低いレベルでの迷いが多く、
仕方がないとは思いつつ、余計な親心から。
アーティストを目指すのであれば、自分の力のみ頼って欲しい。
そこまでは、ただ黙々とやるのみである。
その力がついた人には、いろいろなことをしてあげられるというのではない。
その力がついた人は一人でいろんなことが、すでにできるようになっている。
私はそのなかで見るべきところを見ているつもりである。
声に対しての基準と同じく、こういうことについては、とてもよく見える。
ときたま子供みたいな(とはいっても日本人は皆、子供みたいなものだから、
皆さんだけの責任ではないが)質問や意見がくる。
ここはアーティストの集まる場だから、そのつもりでいて欲しいと、言った。
それにも関わらず、一部の人は、まじめなだけにアーティストになり切れていない。
まじめなだけに…まじめなだけでは、だめなのである。
では何か、力があるか、どこまでつけていけるかなのだ。
この力とは、歌の力以上に、その人の人間としての力が含まれている。
多くの成功者は、単に技術がすぐれていただけではない。
会う人にどうしても“力になりたい”と思わせ、巻き込んでいった。
本人が何をどう一所懸命なのかが、伝わらなくては誰も勤いてくれない。
世の中の人の多くは、新しい才能や若い人の可能性には、協力的である。
だから、認められないとしたら、本人の責任以外の何物でもない。
本当の力というものをここでもう一度考えて欲しい。
一人の人間に評価されることの価値。
口が先に立つ人間は私は好きではない。
私に評価されようがされまいが、そんなことは大したことではない。
私にさえ評価されなければ、どこへ行っても通用しないであろうし、
それは、明らかであったように思う。
まずは、目の前の一人の人間に評価されることが、
どのくらい意味のあることか知ることだ。
そうでない人は、こういう世界に縁のなかった人だと思う。
同じく縁のない人の条件をあげると次のような人である。
他の人の責任にして、批判ばかりする人
一つのことを持続できない人
徒党に加わる人
金銭的、時間的にルーズな人
アーティストであれば、自分が全てを動かして生きていなくてはいけないし、
少なくとも、その姿勢を固持しなくてはいけない。
ここがどうであれ、世の中がどうあれ、
自らがそれら周辺のものを
すべてプラスの方向に変える器がなくてはならない。
ここまで来る道のりが遠いとか
レッスンの変更があるとか、
そんなことで士気が変わるようでは困る。
アーティストの世界が
練習の状況くらいで左右されるものであってはおかしい。
やるべき人はどういう状況でもやっている。
そういう人たちだけが生き残り、やっていける世界である。
個人的な意見はともかく、
私たちは、こう思っていますという論調では、何も伝わらない。
小中学生である。民主主義の教育の弊害である。
“平等に”と“自由に”とは両立するものではない。
誰にも頼まれていないことを意見しても何にも生まれない。
多数決で文化が生まれると思っている“まじめな”人には、申し訳ないが、
アーティストとは、個人の力なのである。
千人のアマチュアより、
一人のアーティストの方がパワーをもつのである。
本当のよき人間関係は、力のある者同士で働く。
スタジオ一つ、その場にくるたびに精神を入れて欲しい。
ここでは、出席も遅刻も途中退出も自由にしている。
それはアーティスト精神を信頼し、最大の努力をして遅れたり、
より価値ある使い方があるなら、途中退出も自由であってもよいということだ。
いい加減にサボるのなら、襟を正すべきであろう。
顔をみれば精神状態がわかるし、
声を聞けばどのくらいのことをやっているのかわかる。
徒党についても、代表は立派であっても
連なる人は賢明でないことが多い。
次のようなことを聞いてくる人も、
こういう世界で生きていきたいのなら、
今日から心して生きるようにした方がよい。
将来的にどうすればよいか
ジャンルの転向をすべきかどうか
自分の個性とはなにか
何をどう歌えばよいのか
次のようなことをしない人にも
私は必要最低限のことしか要求していないので、
反応の芳しくない人には、がっかりしている。
必修に出ない人
課題を出さない人
キャンセル連絡のない人
連絡をしない人
技術や上達の程度を云々するのは、こういう当たり前のことができてからである。
うまい人はいくらでもいるが、それだけでは、まわりは協力してくれない。
だから私は、この世界でやれるかは、この二年で、およそわかる。
毎日しっかりしたことをやっていない人ほど、
人に尋ねたりするものである。
本気でやっていれば、
そんなに安易に人に聞けない。また聞かない。
不安を口に出して人にうなづいてもらい安心する愚かさ。
愚かな人は、それを聞いて自分もだと安心する。
こんなところで慰め合ってどうする。
賢明な人は、「そんなこと言っていないで練習したら」と言ったところで、
そういう人には意味ないとわかっているから、
同情して聞いたふりしている。
黙っていても辞めていく人に関わる時間は惜しいと思いながら。
ここは、少なくとも“あいつには負けられない”と
相互に刺激しあう場であって欲しい。
上をみて欲しい。
同じく、ここや他人のことをどうこう言う人は、
自分で価値を見つけられない、
あるいは自分の価値ないから言う。
そういうことは、私にはいくら話されてもよいが、
本人のためにもならないし、新しく入ってきた人には、
それこそハタ迷惑なことなので、ここで注意しておく。
何よりも本人のためによくない。
そういう人は、必修の授業にもあまり出なくなる。
きちんとやっている人ほど一言も言わない。
ここがよいも悪いもなく、ここにいる以上、
ここを自分で自分のためによくしようと頑張っている。
人間は弱いものである。
つまらぬことを聞くと話が広まり、伝わる。
ときおり寂しく思うことがある。
私自身は皆に必要がなければここなど、
いつ、つぶしてもよいと思っている。
残るべき人が残ってくれたら、
これほどよいことはないと思っている。
何を言われても気にならない。
ここに書いているのは、
きちんとやれている人をのぞくと、
ほとんどの人がきちんとやれないうちに迷いを生じ、
効果が上がらなくなるからで、かわいそうだと思うからである。
迷ったら、こういうものは効果が出にくくなるし、習得も無駄に時間がかかる。
私は全員、アーティストとして生きて欲しく願っている。
しかし、それを拒む生き方をしているのが当人であればどうしようもない。
もったいないことである。
だから結果として、数パーセントの人しかやっていけない世界となる。
誰でも可能性があるのに、なぜ自分で自分の可能性をつぶすのか。
今までの日本の企業社会はサラリーマンが平等とか自由といっても、
何とか収益があり、その配分にあずかることができるのでやってこれた。
アーティストの世界はそうはいかない。
芸を身につけるまでは、金も時間も自らが投資している。
回収できぬようにして時間も金も損するのは自分自身なのである。
今、大切なことは力をつけること
アーティスト気分の人には五百人集められるかと自問して欲しい。
五百人集まったらできることは、五百人集められる力があるときにはすでについている。
また、その力のある人なら、どんな人でも対等に相手にしてくれる。
一人で五十名も集める力、満足させられる力がなくて、何が歌いたいのか。
カラオケ好きの社長の方がアーティストとしてもまだましである。
オーディションに合格してデビューしてやっていけるようなパターンは、
むしろ特殊と考えた方がよい。若い上にルックスに余程自信がなければ難しい。
それはタレントの世界であり、アーティストの世界とは異なる。
付言するならば、私でも毎月二回くらいであれば二百〜三百人は集められる。
二百人集めるには、その五倍、あまり親しくないなら十倍の知りあいがないと難しい。
ひとまわりも違わない私のできることができなくて、どこがアーティストなのだろう。
もちろん、人数はどうでもよい。大切なのは内容である。
十人でも呼び(たとえ、二、三人でもよい)、
満足させられたら、これは大変なものである。
「ここのスタジオでやってみたら」
そう質問すると、本物か偽物かわかる。
「こんなとこで…?」
と思う人が大半なら悲しい。
場所がよいから設備がよいから、客がすでに集まっているからやるのか。
相手に動かされるのではなく、自分で動かすことだ。
客が一人ではできない、やる気がないという人は、顔を洗ってきてほしい。
そういう人には、少なくとも私は便宜をはかるつもりはない。
そうして誰にも支持されず、やはり無理だったと終わってしまう。
それを決めていってるのか、その人の行動なのである。
認められること、それを大切にして欲しい。
私も慈悲心がでてきたので、
アーティストというのが
二年いてもわからない人には、肩を叩こうかと思っている。
おたがいに損だからである。
夢をどう見ても、それは勝手であるが、
行動のできない人に、どうこう言われても困る。
大体、提出せよ、出席せよと言うことには、
きちんと応じることが当然、
提出したものは、私の授業以外に関してもチェックしている。
この程度のことが負担になるには、何もできる器がない。
忙しい、疲れた-それは誰でも同じである。
その言葉を口にしたときから、仕事はこなくなる。
道は閉ざされる。
今から上っていこうとしているときに
そういうことを一度口にしたら終わりである。
命がけでやっている人がいる世界では通用しない。
昔は欠席も未提出もそれ以上のことを
やっているであろうという前提でみていた。
しかし、やっている人は、全てやっているのがわかった。
自分の活動にさしつかえがでる、などという人は、
いつも時間も余力もあるときに
アーティストの活動が行われると思っているのだろう。
それはお嬢さんお坊ちゃん芸である。
本当にやるべきものをもっている人は、
どんなに忙しくなってもやり遂げるものであり、
時間を配分しなくてはできないような人には、何も生まれない。
まずは、パワーがすべてだ。
「迷って歌をやっている」なら歌をやめなさい。
命がけでやっている人のいる世界で、そんな寝言は通用しない。
いつまでもそう考えるから、一歩も踏み出せない。
「ここのスタジオでライブをやったら」
「やれない」そんな人はどこでも通用しない。
店やバンドやプロモーターが音楽が整っていないから、
できないというのなら、もはやアーティストではない。
タレント事務所に行った方がよい。
才能…そんなものがある人なら、毎年、何万人もでてくる。
かわいい子、かっこよい子、スタイルのよい子、
それだけの人には私は飽き飽きしている。
昔、来ていた子で、当時は大した才能もなかったが、
夜遅くまで飲み屋でバイトして、
そのお客さんをファンにして何十人も集め、
毎週コンサー卜をやってメジャーになった子もいた。
自分で動かず、人の用意した客の前で
歌おうなんて考える、
その安易さ。
少なくともここにいる人には行動せずして、
くだらぬグチばかり言う人になってもらいたくない。
あっという間に2年はすぎる。
来年もしっかりといきましょう。