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何なのだろう。情趣のある表現をする人だからだろうか、それは心の問題もあるが、声や技術においても効果を生み出しているはずだ。映像が見えてくる。このI coverthe water front"という歌だからなのか。とにかくこの曲は、彼女の歌は温度湿度まで感じられる。雑念のない集中力をもった歌い方をしているからだろう。彼女のなかに情景と世界がしっかりあって、ある程度、客観性をもってくれてもいるのかも。それにしても、冒頭のフレーズを歌ってみたら、サラッと聴こえるのに、かなり体を使い息の踏み込みがあった。大きく伝わる表現の源って、こんなところにもあるのかなーと思った。
ライブを観てきました。両方とも歌詞観が大好きなんですよね。かなり夢想家入ってる奴ね。ヴィジュアル系の中でもこのバンドのヴォーカルはかなりいい発声してると思うんですけど。Eins:Vierはブリティッシュ・ポップなのか?もろ日本節だと思うけど。SHAZNAむかついた。それに熱狂するファン達も許せないけど。けどばっかり言ってるけど。Eins:Vierですわ。メタリカ、ラクリマ・クリスティー
シンニード・オコナー
前から気になっていたので「蒼い囁き」という彼女のアルバムを購入。なんだか彼女の声を聞いていると水の奥底で、注ぎ込む光の乱反射をただ呆然と眺めているような気分にさせられる。特に「フイール・ソー・ディファレント」や「愛の哀しみ」などバラード系を聴いているとそんな気分になる。歌詞の対訳など見るだけ野暮に思える。
リッチー・バイラーク
PianoSolo彼自身の音楽は聴いたことがない。彼の関わってきた人には私の好きなミュージシャンが多い。Pianoの即興演奏には関心がある。勉強していきたい。その時期、この芸術館で開催されている「日本の夏1960~69」を観ることも楽しみにしてる。この時代の日本を今学びたいと思っている。
武道館、音楽の歴史を見に行く気持ちがしてます。
ボサノバのイベント ジョイスとイヴァン・リンスのデュエットが素晴らしかった。優しく、深く包み込んでくれる歌声。人の声が、どんな楽器よりも優れた楽器だと初めて思った。
ミシェル・ペトルチアーニ(P)
Blue Noteにて3年ぶりくらいの来日。あこがれの人。
Carol King
最近のお気に入りです。彼女のTAPESTORY”というアルバムを購入しました。一番よかったのは「So Far Way」という曲。音域も自分に近いものがあるし、スタンダードふうなものが多いので、ぜひ挑戦してみようと思っ
ています。
木下順二「夕鶴」
つう"を演じるのは坂東玉三郎。長年の女形アレルギーから僕を救ってくれた人である。ある日、与ひょうは矢で射られた鶴を助けてやった。すると数日後、美しい女つう”が女房にして欲しいとやってきた。つう"はただ与ひょうの喜ぶ顔が見たくて「鶴の千羽織り」を作ってやる。その美しい布は、都で売れば大金になる。「惣ど」と「ず」にそそのかされた与ひょうは(根が善良なのに)だんだん欲に目がくらんでいくのだった。
玉三郎は、小児麻痺の影響で右足が少し不自由らしいのだが、そんな気配は全く見せない。ときどき無重力状態出からだが横滑りするような不思議な動きを見せる(冒頭の登場シーンがそうだった)。あんな動き始めてみた。重力を感じさせないのだ。この世のものとは思えん。男が女を演じるわけだから、声にしても、裏声に近い不自然な出し方になる。しかし、ちゃんと音色が出ていたし、感情表現はさすがである。玉三郎の前は、山本安英さんという女優が37年間(!)にわたりつう”を演じていたそうだが、玉三郎にとっても当たり役になりそうな気がする。女形は女ではない。つう”は鶴の化身であって人間ではない。このあたり、虚構と虚構が見事に融合していくと思うのだが。玉三郎の舞台を見ていて、シルヴィ・ギエムのバレエを思い出した。彼女の表現力・存在感は他を圧倒していて、まわりのダンサーはついていくのが精一杯なのだ。(ついていっているだけエライ!さすがはロイヤルバレエ団)。「夕鶴」に出てくる他の役者も悪くはないが、玉三郎は遥かに格が上なのだ。歌舞伎役者とバレエダンサーを同列に論じるのは無理があるが、表現者として玉三郎もシルヴィ・ギエムもすう十年に一人の人だと思う。与表を演じたのは渡辺徹。あのコロコロした体型を見ていると農民というより庄屋みたい。舞台で演じるには声のパワーがやや不足。そうした部分を差し引いても、与ひょうの好人物ぶりが良く出ていたと思う。あまり重要ではないのかもしれないけど、与ひょうがお金儲けについて話すと"つう”は意味がわからず、「何だか私の知らない言葉」に聞こえ、与ひょうが思いやりを込めて優しく話したときだけ意味が通じる、そんな設定になっていた。この設定が妙に気になって今も胸に残っている。古典は現代にも相通じるから、古典として生き残ったのだと言う。
「夕鶴」を観ていると、バブルの頃の日本を思い出さずにはいられなかった。オイラは財テクともブランド品とも縁がなかったので、詳しい事情は知らない。ただ根は善良なはずの与ひょう傷ついた鶴を助けた人)が惣どや運ずにそそのかされて、欲に目がくらんでいく有り様は、多くの日本人がたどった道だったのだろうか。惣どやずの性格設定を見てみると、惣どは正真正銘の悪党で、ずは未来の与表の成れの果てに見えなくもない(わずかに良心が残っている)。経済が最盛期を迎えた国で、財テクブームが起きた例は珍しくない。オランダでは珍しい球根ひとつに家一軒の値段がつき、イギリスでは「宴のあとは悪魔がほほえむ」ということわざが生まれた。アメリカではウォール街の大暴落が起きて世界恐慌の引き金となり、第2次世界大戦の遠因ともなった。そして日本でも21世紀には中国で同じ様な事が起こるのだろうか。ある人がたずねた、「富に限界はあるのか?」聞かれたその人は答えました、「富の限界は富に満足するところにあります。しかし人間は満足する事を知らず、ひたすら富を追い求め、ついにはわが身を滅ぼしてしまう。あるいはこれが富の限界かもしれません。」これ、いつの時代の話だと思います?古代中国、春秋時代の箱者、斉の垣公が賢臣と名高い管件に尋ねたときのやりとりです。歴史を振り返ると、人間性は違い、本能は弱まり、技術は進歩してきた。そんな印象がある。トータルではあまり変わっていないのだろうか。違いがあるとすればこめた憎しみが同じでも、石斧を振り回すのとミサイルをぶっ放すのでは、与えるイメージが違うということか。成功は、富や権力や名声で計られる。幸せは、心で感じるもの。成功と幸せは一致することもあるが、同じものではない。つう”は幸せを求めていた。そんなつう”だから与ひょうがお金儲けについて話しても「何だか私の知らな「い言葉」にきこえたのだろう。与ひょうは二百両と引き替えにつう”と幸せを失った。つう”は与ひょうとなら幸せになれると思っていたのに。多くの羽を失い、よろめきなが空高く去っていった。成功を収めるより幸せをつかむ方がずっと難しいのだろうか?
著書「紫の履歴書」を読んだ。昭和43年までのことということで、ずいぶん以前のことなのだと驚いた。TVなどで観る姿のもう30年近くも前のことなのかと。彼のStageを観たが、そこで彼が語り、歌っていたことの真実が、こういうことだったのかと理解できた。本当に若くてひたすら生き、歌いながら、彼がつかみとってきたことの大きさ、重さが、読むものに、あなたはどう生きているか?”と1つの啓示のごとく突き刺さるようだった。彼は、決して特例ではなくて、人間として、正直に生きていけば彼のようになるんじゃないかそう思える。たまたま、彼が傾倒したのが芸術だった、それが彼の人間性とFeelingを最も正直に発揮できるものだったということでは?それにしても、自分の過去を、こんなに鮮明に覚えているというだけで、凄いと思う。
本の中で、美輪さんが握りの人間の思惑で、世界が悪い方向へ傾いてしまうことに人々は気づかなければというようなことを訴えていたが、その言葉で思い出したメッセージ本を紹介します。「地球はわが身体~イタリアのアッシジから世界の首脳に送った緊急メッセージ集~('95)」澤田高というアッシジ在の牧師さんが、主に核の使用をはじめ、もの凄いスピードで地球が自滅へと向かっていることに対し、世界各国の首脳に直接送ったメッセージと助安由吉さんのとても、ダイレクトな詩、地球の素晴らしい写真が収められたずっしりと重い1冊。世の中には、自分と同じ気持ちの人がいて、それに向かって大きな動きをしている人がいることを知り、本当にうれしくたのもしく、又、自分の力の小ささ、自分の人生のあやふやさを思い知らされた1冊でした。答えが出ないことを、必死でその答えを求めて戦うこと”その時、私が決意したことでした。半年以上前に読みましたが今の私には、こんな気持ちがあのときと同じレベルで持っていない。決して忘れてはいけないこと、決して目を閉ざして、避けてはいけないことと、戦うことを今改めて決意し直したい。<人であることから、逃げることはできないのと同じことなのだから。
ミック
生命がしなやかにリズムを刻んでゆくのが具体的に見え”てしまう。生命のエネルギーが躍動している。もちろん抑えられたというか、研ぎ済まされたものはあるのだけれど、お定まりのかっこつけのいつものアクションでさえ200%かっこいいヘロヘロでヤクやけしちゃったことがあろうが何しようが、もう絶対音楽のことでは徹底的にやってきた人だよなと改めて思います。(当たり前なんですけどね)ミックも要するに俺も基本的には未だに熱心な音楽ファンの一人だ”と言ってますし。キースの言葉は一見熱くてキースらしくないけれど、実はムチャクチャキースっぽくて気に入ったものがあります。"Rockほどきわめればきわめるほど追求欲をかき立ててくれるものは他にはない。単に自分の表現テクを向上させるだけじゃどうしても達することの出来ない、聖域みたいな所があらゆるところにある。頭でっかちの理論詰め作戦でも駄目。もっと本能的、プリミティブな部分で感応して掴みとれる以外ないんだよ”やってきた人の言葉だから、結果出してきた人の言葉だから言葉面だけじゃなく凄いと思います。、
彼の曲は中・高生の時かそういえば知っている。しかしCDと無縁だと自分で思っていたのでちゃんと聴いたことがない。Honestyもいいし、初期の頃の彼の歌の優しい感じに包まれたい。
「The夜もヒッパレ」
歌番組。最新チャートを他の人が歌うという番組なのですが、尾崎紀世彦など歌のうまい人が多数出ていて面白い。なかでも日系ペルー(?)人のアルベルト城間が本当にうまい。声量の豊かさ、声のハリ、発声は、ずっとよかった。つまらないヒット曲でも、彼が歌うといい歌に聞こえるのは不思議だ。
ロビー・ロバートソン(ザ・バンド)
彼はブルースのあるワンフレーズのギターに感動してどうしてもそれが弾きたくて指のまめのうえにまめができ血だらけになるほど練習したそうです。そしてもっとギターが弾きたくて、弾けるようになりたくて毎日12時間、目がさめたらギターを持ち寝る直前まで離さないくらい練習したといいます。だけどそれは全く苦労や努力ではなく好きなことだから嬉しかったそうです。すごい人というのはどんな面においてもやっぱりすごいのだと思いました。感動してしまいます。何かの本に書いてありました。才能というものは後からついてくるのだと。
Billy Porter
聞いてみると結構よかったです。ゴスペル出身だと思われる、歌いまわしは、歌のうまさをたっぷり聞ける感じです。何でこういう人は売れないのだろう。
Kenny Hamber
This is R&B”というアルバムがおすすめです。太ったオヤジですが、聞かせてくれるっていう感じがあります。ハスキーで太い声で、スロー、ミディアム、アップとすべてハマっています。久々にうまい人の歌を聞きました。やっぱり、黒人はこうでなくてはと思いました。
Tania Maria
彼女と一緒にやっているSteve Thornton(パーカッション)という人が好きです。
「Very well」というアルバムに入っている「Sunset on Mt.Pelee」という曲がすごくいいです。コード進行が素晴らしくジャズならではだなと思います。
ブライアン・フェリー
「マレーナ・アンド・レア・トラックス」
「ヴィニ・ライリー」(の再販版?)ポール・ディアノの新しいCDアルバム
ドロレスケーン
(アイルランド女性歌手)大自然を感じさせる声、歌い方。メルセデスソーサもそうだけど彼女の声や歌い方は神がかっているように聴こえるのに対してドロレスの声は大平原に優しい風を巻き起こすような声なのだ。以前は外人の声が皆同じように聴こえたりしたのだが今では少しずついろんな言葉で違いを言えるようになってきた。音楽を愛している人の声って押しつけがましいところが何もない。ただそこにいて自然の中に溶け込んでいる感じがする。
ルクプルの日だまりの歌
こういう曲があります。メロディーの美しい曲だと思っていましたが、先日、ラジオでクラシックギター一本に乗せて歌っているのを聴きました。オーケストラに乗せたものより、情感こもっていて、良いものだと思います。
ラストアルバム「スターカーズライブフロムトーキョー」このアルバムを最後にヴォーカルのデビットカバーデールは、ソロとしてブルースシンガーになってしまうらしい。このアルバムでも過去の名曲をブルースフィーリングにアレンジして、ヴォーカルとアコースティックギター一本で演奏したライブ録音。
Soulful Oldies Hits Selection”
感情のこもった歌が沢山入っています。
ジョーン・アーマトレーディン
カリブ海生まれの英国個人女性がお勧めです。
クリスティーナ
(グラシェラ・スサーナの姉妹だそうですが)フォルクローレのヴォーカルですが、彼女の歌い方・表現のバリエーションの広さには圧倒されます。声が強い!フォルセットもよく使いますが胸で、強く強く響かせていたりソプラノ歌手のように美しく聞かせたり。又、まるでケーナの様な声(音?)で歌ったり。彼女がもうこの世にいないことが残念でなりません。クリスティーナを聞くと、本当に「歌」って自由で、羽が生えているみたいだと思わされる。自分が1つの枠にとらわれ、その中で、うじうじ、ぐちぐちやっているのが、浮き彫りになる。そんなところで、ごちゃごちゃやっていないで、ここまでおいて!”はやく出ておいで!"と、上の方から声をかけられているような気持ちになる。
ベストアルバム「ひとつだけ」アイドル全盛期、バンドブームなど、性急な文化がある一方、その同じ時代のある一面でしっかりとした歴史を刻み流れている、しっかりとしたスタンスを感じます。解説を読んでも、その時代のステキな人々との豊かな関わりを感じます。言葉にもメロディにも日本のポップスの良さ(決して可能性でなく、すでによい)を感じます。こんな人もいるのだ。
「You Are So Beautiful」ジョー・コッカーの声もそうだけど、彼らのハスキー+ダミな声で"beautiful"と歌う(語る)のを聴くと、言葉のイメージと、その声とのギャップがとても想像力をふくらませてくれる。歌詞もとても単純な曲。でも、そのおかげで、聴く側各々にイメージの余地を多大に与えてくれる。こういう曲は、歌い手”自身が本当に問われてくると感じた。
昔作ったブラジルの旅のビデオを入手。(今は廃盤になっている)マリア・ベタ・ニアの歌がすごい。ベーデンパウェルも出てくる。本当に見れて良かった。そのVIDEOを見たら、昔は良さがわからなかったショーロのLPが聞きたくなって、そしてとても好きになった。その音楽の土地の様子やにおい演奏してる雰囲気などを感じると、その音楽にも入り込みやすくなるんだ、と感じた。
ロシア愛唱歌集
ロシアというと日本人はあまり興味ないし音楽も知らない人が多いと思うが、私は、小5・中2の夏を旧ソ連で過ごしたことがあるので私にとってソ連は親しみのある国だ。独特の雰囲気のある国だった。人々は暖かく物質的に豊かでなくても彼らは人間的に豊かだと思った。「カリンカ」や「黒い瞳」「モスクワ郊外の夕べ」を聞きながらとてもなつかしく感じた。
スザンヌ・ベガ・アルバム
Lukaという曲の入っているアルバム。この曲は私が中学生の頃夜のヒットスタジオをラジオで録音したことがあったという思い出の曲。曲名も歌っている人も知らないまま月日が流れていて、最近ラジオで歌手がスザンヌ・ベガだということを知った。その上Lukaの入ってるアルバムも発見。
CARMEN LUNDYのOLD DEVIL MOON”、TUCK&PATTIのONE HAND,ONE HEART
(「ウエストサイド物語」)より”目白のカテドラルでの「マザー・テレサ追悼ミサ」に参加した。献花の間カリタス会のシスター達がずっと賛美歌を歌っていたのだが、聴いているだけで涙が出るくらい澄んだ美しい歌声だった。いつも思うのだがシスター達の歌って本当に純粋で清々しい。
「夜もヒッパレ~」
ダイアナ・キングとWILD~?"が日本人の曲を歌った。ものすごく深いポジションにしっかりした芯のある声で、そうそうこれなのよ”と一人で喜んでいた。Love is all Music”立ったがこんなにいい曲だったけ?と思うほどだった。また、テレ朝ではゴスペラーズがアメリカに行って現地のアーティストと交流するという主旨の番組をやっていた。彼らは日本人にしてはまぁ認められる発声で秘かに頑張ってくれと思っている私だった。彼らは本場のアーティストとのセッション等でやっぱりリズム感が違うなぁ」と言っていた。が、「絶対的なポジションの深さとしっかりした芯のある声が常に出せること」が違うんだよな、と私は感じました。英語を母国語としている人々と差が付く一方だわ。どうすればいいのかしらと思いつつ「I love it」HOLLYWOODと聖子ちゃんのようにつぶやいている私であった。
「コンドルカンキ」というグループのビデオを観ました。メンバーの一人のヴォーカルの人はチャランゴサンポーニャ、パーカッションとほとんどの楽器もこなしつつ歌ってしまう。また、作曲もしてしまうという凄い女性なのです。ビビアーナさんというのですが、とってもカワイイ人で華のある人だなぁとつくづく感心させられます。特にケーナとの掛け合いでデュエットして歌うのがよいです。
Hanson(Middle of Nowhere)
14歳の声とは思えないほど、完成されてしまったような声で、カッコイイです。曲も詩もバラードもあればアップテンポもあり、どれもよくて才能を感じた。アメリカというのは、どこまでも力のある国だと思った。
ボーノ
彼の歌を聴いていると何でこんなに暖かさを感じるのだろうかと思った。シャウトし続けるインパクトではなく歌い終わった後もっと聴きたいという思いを残させるヴォーカリストだ。人間性が歌に現れているんだな。
アレクサンダー・オニール
「Ah~」とか「Oh~」で歌っているのだよ。でも考えてみればことばのなかった大昔、人間は「Ah~」とか「Oh~」で感情表現をしていたわけでその中にうれしさとか悲しみ、怒りがすべてつまっていたのだから同じことだ。芸術の中に音楽というものが位置づけられて価値あるものとされているけれど、歌は日常の中にある人間のしぜんの欲求だと思う。
彼の声はものすごく太くて自分の体の中からあんな声が出てきたら驚くだろうなぁ。でも彼にのりうつった気になるとものすごーく息が深くて自由自在に呼吸をコントロールできて、吐いたと思ったらスッと息が入ってきて、ものすごく気持ちいい。
ホリーコール
そこまですごいとは気付かなかった。でも、注意してやっていると自分が出来ないところは見えてくる。特に何度もやってると、コントロールできているところと逃がしてしまった部分と見えてくる。人のフレーズを聞いて何か感じることが出来るか、人のがすごいと思ったときは、その人はものすごいんだと思え、自分が成長していく材料はここにはたくさんころがっている。
前の自分よりどうなったのか?しっかりチェックする、基本講座にしっかりと書いてある。でも自分は今までそれをしたことがない。声を出すことに自分の声に責任を持たなければいけない。ただ、毎日息を吐いてりゃいいってもんでもない。
アマリアロドリゲス
声は声が太くて音色が暗いが艶がある。出しやすい声をより太くした感じ。ボズ・スキャッグスの歌で「l am Down~」というはじめのフレーズ。何となく浅く高いイメージでとらわれがちだがお腹から深い息に乗せている。
「Back in to your Self~」でも16ビートのリズムやはねるところなど息を吐くことで表現している。これは言われてよく分かった部分である。「I am Down~」のはじめの「I am」も、みんなにフレーズを回すととてもおそく入ってしまっていることが分かる。アカペラで体を入れようとするとそうなってしまうのだろうか?鋭く入るイメージを持ってないと遅れる。そうするとなんとなくダラダラした感じになる。ステージ実習で歌っていて何となくつまらない感じになるのはそういう鋭さがないからかもしれない。
イヴアザニッキ
素晴らしいのは、盛り上げるべき所が必ずしも一番高い音でなくても、音色でしっかり見せ場として作れるところだと思う。期待したところでちゃんと盛り上げてくれる。ピークももってこれる。2オクターブもある曲を苦もなく歌えることからして、私にとってはスゴイし、何でこういう風に出せるのかナ、と今だにいつも思う。「同じ100の力の中でも見せ方が違う」というお話も今日もされていたが、彼女のを聞いてると本当にそう思う。それでも計算したようにギクシャクしないのは、深いところでつかんでおいて、息を吐くことで高低強弱をつける、一つにつかんで同じところでとっているからだと思う。
ファド
すごく古ーいオムニバスを入手したら、ちょっと入りにくい点があったが、“アマリオ・ロドリゲス”という歌手のファドはとても入りやすい。カンツォーネ、シャンソンとも違うけれど、似ているサウンドです。独特の自由さと、何か少しクラシカルな感じもします。とても素敵な歌声、よかったら、是非、聞いてみて下さい。
声明
お坊さんの声明にビックリした。迫力がある。毎日やっていればどんなお坊さんもあんなに声が出るようになるものなのか。「中に入って聞く」=その音のなかに入って聞く。体で音を聞き、音を体で表現する。完成されたものを聞き、そのなかで自分でできそうなものをとり出して、自分のものにする。歌のなかの「喜」「怒」「哀」「楽」を表現するためには、その心をもっていなければいけない。
他の人と別格だということ。何故だろう?想いか?何が違うのか?何が圧倒的なんだろう?どこを切り取ってもその歌い手そのもの。いつでもしぜんなその歌い手そのもの。(気付いたこと)ある意味でのこのバリバリの緊張感が自分にはない。何故?イメージを始まりから最後まで持ち続けられるくらい、しっかり持つということが大変?ポイントだということだろうか。
「ポプコンの曲」
もう技術(考え方)なんてブッとばされた。もう手放しで引きずり込まれた。声を出して泣きたくなるほど想いを満たしている歌だった。森進一の「おふくろさん」を聞いた時にも感じたことだが、もうこの一曲にすべてをかける、というか、この曲のためにのどがさけて歌えなくなってもいい、というくらいの気迫を感じる。
歌声は、高い声、低い声、緩めた声、柔らかい声が次々入れ変わり、短いことばのみの継ぎ合わせから成っていて、それでいてスムーズに表現されていました。Sly &the Family Stoneは、芯の強いよくひびく声でした。悪い声との指摘がありましたが、確かに喉声になっていると思いました。Bessie Smithの声は迫力がありました。トランペットのひびきが美しい曲でしたが、声が負けずに出ていて、曲を通してその迫力が続き、まとまっていることを知りました。
西野式呼吸法
かなりすごかった。気の力だけで大の大人があんなに吹き飛ばされるなんて目に見えないものだけににわかには信じがたい。由美かおるさんのデモンストレーションを見ていると、一連の動きがとても滑らかでしぜんできれいだった。人間の体は小宇宙と言われているが、本当に未知の世界がたくさんあると思う。
ドキュメンタリーをみた。言っていることばが理解できなくて次元の違いを感じた。彼はどんな風に音をききその世界に住んでいるのかと同じ人間ながら違う星に住んでいる人のよう。彼がいっていたことをいくつか、「邪魔をするな全てについて言えること正しくやることを妨げるなこれは愛についても同じ」「ポイントは表面に出しては駄目だ。あるべきところにあればいいんだ」「音はピアニッシモでも表現はフォルテで」「君が感じないところでも大事なことが流れているんだ」人のオペラ歌手が一曲の中でPからFまで50の段階を要求されていた。
釋英勝ハッピーピープル
このまんがは本当におもしろい。いろいろなことをナナメから見るような作者の視点(?)がおもしろくて、ぐっとひきこまれる。読んだあとの後味の悪さ(たまにいいときもあるけど)も好き。3巻目がおススメ。
「日本の誕生」
吉田孝著(岩波新書)。やはり日本は特殊な国か?世界でも稀な万世一系の天皇をいただく特殊な国であり、そこに日本の歴史の本質がある!?過去をふり返って、事実は何か確かめよう。
The Sinpsons
アメリカのアニメだけど、日本語版でビデオが出てる。シンプソン一家のいろんなお話。父:ホーマー、とにかく間抜けなの。しかしサイコーのキャラ。母:マージー、優しく理解そして愛のある母親。兄:バート、超いたずらっ子。悪ガキ。しかしキュート。妹:リサ、頭のいい少女。赤ちゃん:マギー、泣かない強い子。この家族がさざえさんよりもグッと人間に働きかけるいろんな騒動を起こす。ためにもなるし、考えさせられるし、大人向けのマンガだと思う。今ハマってる。
東京ドーム格闘技の試合 グレイシー柔術のヒクソングレイシーとプロレスラーの高田延彦の戦いです。僕はヒクソンのファンです。彼から漂うものや、オーラは「侍」を思わせます。これから死闘があるリングでなんと静かでリラックスしているのか。僕は彼のような男になりたい。
「秘伝」
武術雑誌ですが、その中のDS理論成るものを説いている人物の連載記事は興味深い。どの分野の名人達人(スポーツ,芸術家も含む)も一般の人と違った身体の感覚があり、それを解明し、その感覚をつかむトレーニングをすることにより格段の上達をするというものです。
「クルーベ・ド・ブラジル」
日系ブラジル人とブラジルが好きな人の交流の場。表参道に6畳程のスペースで、様々な人が出入りしてます。ここに行くと4時間くらい平気でおしゃべりしてしまう。陽気で元気な場所です。「人と話すってすごく大切なことなのよね。」とは主催者の女性の言葉。本当にそうだ!と思う。年会費6000円だったかな。ブラジル関係の本やCDも売ってます。食料品も。
K-1グランプリ
戦ってる人よりも、レフリーのすごさに私は目を奪われました。素早い動き!大きな声!頭ははげてても体はすごい!
SPRIGGAN
小学館、皆川亮二のマンガがすごく面白い。超古代文明の遺跡を各国や企業から守特殊工作貝のSFアクション話だが、設定や発想がビックリするくらいすごい絵もとても達者でTRIP感覚が味わえて熱く(?)なってきます。
「ゴッホと四季」展
ゴッホは27歳で画家を目指し、37歳で自ら命を絶つまでに900点という作品を世に残した。その中の12点を観たが、どの絵もその絵に吸い込まれていきそうなほどインパクトがあり、力強いタッチ、それでいて繊細であざやかな色彩だ。言葉で言い表せる事なんて出来ない。何かを強く訴え、絵に生命が宿っているかのように絵に一つ一つが生きている。そんな印象を受けた。母が絵をやっていて、小さい頃画集を見せてもらったとき彼の描く夜の風景月や星が皎々と輝き、風が吹いているような明るい夜の絵に特に強い印象を受けたのを覚えている。今回はまだ観たことのない作品ばかりだったが、彼の絵はその風景が本当に動いていて、実際にその世界に行けそうな気がする。彼が生きている間に売れた絵はたったの1点。しかしゴッホは一つ一つの作品に自分を燃焼させながら絵を描き続けた。私は彼の生き様をほとんど知らないが、それでも絵は時を越えて私に語りかけてくれた。彼の人生や彼の生きた時代、そして彼の愛した自然を。