自灯明 771
自分で選ぶということ、選ばれるということ
いつもここは、何かが起こっている場でありたい。
変化を嫌うのは成長をやめることになる。
やる気のある人には、どんどんチャンスを与えたい。
研究所でのチャンスとは、力をつけるチャンス、自己投資のチャンスである。
もっと徹底して、ここを使えるようになるためのチャンスである。
そのために私も自分の時間とお金を誰よりも投資している。
ここの変化を嫌う人は、自問して欲しい。
他から変えられるほどの自分しかないのか。
ここは、誰でも入れる。
しかし、誰でも入れたわけではない。
ここは、誰でも居られる。
しかし、誰でも居られるわけではない。
自分を伸ばそうと思いつづけ、
それを実践する努力をやめたら、
ここはいらなくなる。
それを卒業だという。
学べなくなれば卒業だ。
ここに学んだ足跡をくっきり残し、
さらに学ぶために
本当の卒業をして欲しい。
挑戦できないことは、それをやめたことは、
自分の人生に背を向けたことなのだ。
それでも人は、生きていく。
でも、何のために。
ー
底辺であること、周辺であること
ここは、誰でも入れる。
自分で選び、来ているのだから、
ここにも他の人に比べ、
すぐれているものも、
そうでないものもいる。
だから何だ。
あなたの価値は、業界でのルックス、スタイルのように
他人に決められるものではないだろう。
そこで問われているのは、単に商品価値である。
これは、客が決める。
客に決めさせたくなければ、客を決めろ。
その力が必要だ。
私もずっと、底辺であったから、
中心からみると、いくばくか力がつき、
価値を与えられるようになったであろう今も、
周辺でありつづける努力をしている。
メジャーでないために
他から目を向けられない人を見つめている。
その先に、あなたたちが
手に入れるものというところで見ている。
多くの人は、問わず求めず、それゆえ放してしまう。
自分自身も本当の中心にある真実とは
何かを見据えるために、学ぶことは尽きない。
バブルのように、わかりやすい中心に近づくひまも意味も、
もう人生になくなりつつあるのを感じる。
中心は、中心であるための、華とひきかえの労がある。
しかし、周辺には、それ以上に、そこが中心としてないために、
自らに中心をもつ労がある。
どちらも、大変なことだ。
ただ、底辺、周辺たる人は、
人に求められなくとも努力の中心でなければならない。
底辺、周辺があって、中心もある。
すぐにすぐれない人、
すぐれることのできない人がいる。
それは器用に中心に添えられた人の人生に劣るものではない。
不器用、鈍い、できない、とりえがない。
たとえ、そうであっても、コツコツとクリアしていくことで、
自分の人生を中心にもってくることができる。
これは、中心にいるよりも尊いことである。
そこで人に求められるようになると、華が出てくる。
自分の力以上の力がでてくる。
それはやがて、
かつての中心を周辺にしてしまうほどの力をもつ。
人の世の常である。