Be Artist 歌と作品の間 781
日本人の歌い手の最大の不利な点は、観客の不在である。
観客は批評家でもあり、そのレベルが高くならなければ、歌い手のレベルも上がらない。
スポーツなど、ある条件のもと、天才が表われ、その水準を一機にあげる。
これは、音楽のなかでもしばしば行なわれることである。
しかるにこの国では、その音楽が一般の人に入っていないのだから、歌い手は音声の世界のまえに芝居、構成、舞台演、はては踊りやルックス、スタイル、ファッションまでに精力を使わなくてはいけない。
それは音声の表現のなかでも通じる。観客にこび、やたら高く出し、飾りや小手先の技術を披露することを強いられる(基礎のない若手漫才師が高い声のトーンで走って出てくるのと同じである)。
批評をするより実践せよといわれそうだが、これでは、おかど違いである。
未開の地に、ポラロイドカメラをもっていくと、あなたは、ヒーローになれるだろう。しかし、それはあなたの作品の力でなく、日本のメーカーの力だ。でも根付くことはあるまい。すぐ余興にもならなくなる。ポラロイドカメラでとりっぱなしで人に配っているレベルで、自分のとった写真がなんたるかも見ず、作品の質もかわらず、何を実践しているつもりなのだろう。これと同じことだ。
ここは、基準はつけても価値観は押し付けていない。
イマジネーションのかけらもない人の頭には、歌というと3分間、1オクターブ半にわたり、ことばをメロディにつけ、伴奏をお決まりのギター、ベース、ドラム、キーボードでマイクをつけたもの以外に思い浮かばないらしい。
だから、頑強なまでに私もそういう形で楽しむことを拒まざるをえなくなる。
いっそ、ゼロからつくったらどうか。
私がいつも歌っていることが、どうしてわからないのだろうか。
あとは場に応じ、目的に応じ、お客に応じ、自由に変化するものである。
その瞬間を切りとったのが、歌という作品だ。
その動きの基本を学ぶのがフレーズである。
つまり、トレーニングでやるべきことは、歌い手の作品のもつべき、みえない感覚に踏み込み、それを拡大して取り出すことだ。
そこで、そういうことのみえない初心者には、よみこみ拡大する必要のないカンツォーネなどを与える。これがわかるのに、早い人で2年かかる。
ヴォーカリストなら、作詞作曲もわざわざつくらなくとも、そこで行なえばよい。スタンダードがあれば充分である。たくさん詩や曲を書けば、何かになっているわけではない。人生など、生涯一作品で充分すぎて、おつりがくる。それができたら、多作すればよい。
もちろん、つくることとできることは違う。天才でもなければ、たくさんつくらないと、一つもまともにできない。だから、たくさんつくってみるだけで、そのうちのほとんどは残らない。残る価値がない。そういうものを、自分だけに抱えている気になっているのを、ど素人という。
いくら、本やビデオを吸収し栄養にしても、どんなに感動し感激しても、それを他に働きかけることに活かせなくては仕方がない。だから、人のものを読むひまがあれば書くべきだし、聴くひまがあれば話すべきだ。
それを伝えることだ。それが伝わらないから考え、さらにいろんなものから吸収していくいくことになるわけだ。
だから、本質が見抜けなければ、やがて動けなくなる。
たとえ力がなく、能力、才能がなくとも、ないものを精一杯、出して、人のために使っている人よりも、才能も実力もあるのに、そういう人を認めず、そういう人のやっている活動もできていない己を恥じぬ傲慢さをプライドと思う人が多いのが、この日本という国だ。
自分のことに専念しかしていない人は、誰にも認められまい。
自ら、さらされ、そこで開き直り、自分の作品の世界に人を巻き込んでいくのが、アーティスト精神だ。そうでないから、人生も開けず、何事も思うようにいかない。
そこでは人にどう働きかけ、どう伝えているかがすべてである。
勉学やトレーニングに励むものは、そのためであることを忘れてはならない。
そのことは将来、力をつけ、より大きく人に働きかけられるために許された猶予期間なのである。
そこに人はあなたを待っているのであり、一日も欠かさず、少しでも早くその力をつけなくてはいけない。
それを忘れたとき、あなたは結果として誰に、ではなく自分に負けるのである。
今でもできることがたくさんあるはずなのに、それを先に伸ばしてまで、一所懸命やる理由は、
唯一、満を持して機を待つためだけである。
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【特別ライブ実習について】 781
必要な授業に必要な人間がでているというのが理想です。新しく入った人と接していると、来る人が求める要望にもある程度答えていかなければならないと思っています。
どこかで二通りにわけなければいけないことは考えていました。
授業や制度はいつも変わるかもしれません。根本的な考え方はそこにどんな人間がいるかに基づくのです。よい生徒がいれば先生などいらないのです。ただある程度、役割を分担した方がよいうというだけです。
上のクラスを見ることも勉強になります。今日のステージをみて、わかっている人、いない人がわかると思います。又、自分はわかっているのかを問うてください。わかっているものを提示しても仕方ない、わからないものを出して欲しい。本質的なものは、他の人がわかるものではないのです。
完成度が上がってもわかりにくいのです。示せるか示せないかということです。わからなくても、きちんと示せばよい。できた、できないという勝負などするべきではないのです。やったことができているということが条件です。楽しんでもらえればそれでよいのです。
ここでは、他の人の舞台裏のプロセスを見ることができます。プロセスですが、そういうところで見て下さい。わかったと思ってからどれだけ踏みしめてきたかの世界だと思うのです。人にゆだねてはいけない。上に見えるところより、その下にどれだけの根をはっているか、それが見えればどこでもやっていけると思います。
変えていいもの、変えてはいけないものを今日のステージで学んで下さい。ここでオープンでやることはまだ難しいことなのですが、お客さんが真剣に聴けない以上意味がないのです。
後は任せますので楽しんで下さい。
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子供は天才である。大人になるに連れ、凡夫になる。
しかし、子供は世界を知らない。自分で価値づけられない。
そのことを学び、創造する人をアーティストという。