レッスン録 課題曲レッスン 783
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【恋人たち 】
【青空に住もう】
【恋のジプシー (Zingara)】
【少女】
【私の孤独】
【ポプコンの曲】
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【恋人たち 】
ピアフの相手のヴォーカルはシャルル・デュモン。
ヴォーカルの勉強も声の勉強もいろいろやっていくと、複雑になってくると思うのですが、ふまえてもらいたいのは、シャルル・デュモンのバックで歌うエディット・ピアフの声とフレーズ。
そこに共通して流れている部分で、声を楽器としてきちんと奏でていくことです。
そのときに音程、音感、リズムとかいろんな要素がありますが、一番違うのが、音のとらえ方です。オリジナルな声をフレーズとしてどう動かしていくかということです。ややもするとみんな目先や、周りのことに気をとられてしまって本質的なことを逃してしまうのです。
この声の中にあって自分にないものを勉強すると思えばよいでしょう。それが宿るか宿らないか。それは確かに技術的にいうと声量とか声の大きさ、深さ、声域などいろんなことが入りますが、本当はそんなものではないのです。
まずどこか1ヶ所だけでくらべてみましょう。逆にいうとそれだけの音量と声量と高音域、低音域がのっかってくるために、そこの中心にあることを今できる範囲内でとって足りないものを知ることです。
今日の私の体は、聞いていてわかるとおり、ボロボロです。こうボロボロになって声量が使えない、声域が使えない、声が使えないときにどうなるのかと、そこで失われない部分が本質的なものです。
それは音でも声でもそうです。だから、声の調子が悪いくらいで表現が逃げるのは本物ではないのです。そういうのに、こういう授業は、最適でしょう。
「あなたの」
音が同じでそろえてつくっている人たちと、音をとっていって言葉で仮名でおきかえないといけないようにやっている人たちとの差をみます。
なるだけ音なり線なりに置き換え理解していくのです。
自分のはわかりにくくとも、他の人のを聞いてみたときに、「あなたの」とことばでなくイメージで聞こえるか、ということとともに、その音フレーズの大きさを考えてみましょう。
必要なのは呼吸の大きさですが、呼吸の大きさといっても具体的ではないから、一つの音を、最初からどのぐらいのイメージをもって描きそこで体と使うかです。
大きく使おうとしない限り、体というのは動く必要もないし、動いてこないわけです。☆
それを自分ができなくても他の人がそれに近づいていると思えば、そこで勉強していけばよいと思います。
「ふたりの心は涙できくだろう」
声のでない声域ではありません。ここでオリジナルの声のものをきちんとつないでいくことです。音程の方にいって声そらしたら流れがでてこない。線でとらえるということはそういうことです。
フランス語はどうでもよいのですが、「タラララー タラララー タラララー タラーララー」というベースがあって、それをこれだけの大きさにしないといけないわけです。そこに練り込まないといけない。
非常に難しいのですが、ただそのことの基本的なところに、高音域がのっているのです。
そこで「きくーだろう」としてしまったらもうのらなくなるのです。それは感覚の間違いです。
発声の間違いより、発声をそういうふうに感覚してしまうことが問題です。耳でとらえたときに(ドミレド)ととろうとしているから間違いなのです。その下にある流れを読み込むことです。
「タタタタァァァー」という感覚というのを直していかないと、コールユ・ブンゲンみたいになってしまいます。わからなかったら階名でよんでみればよいというのはコールユ・ブンゲンの世界です。
半音ぐらいの繰り返しですから、慣れてください。
声のポジションが同じところにきていないとできません。
「ふたり」の「ふ」が難しい言葉なので、それで離してしまう人もいます。
「ふた りのー」では、音楽のフレーズにしていきます。
それが「タラララー」に対して「タ ラーララー」だとしたらここのところで、それだけ体を使ってフェルマータをかけないと表現が逃げてしまいます。
オリジナルの声をそこで「ハイ ララ」とりだし、その「ハイハイハイハイ」この最後の「ふたりの」の「の」になったときに、「ふ」と「の」が同じ音になるということです。
だから上がった音に強弱をつけるというよりは、最後の音にきちんとつけていけばよいわけです。
これはリズムからいうと「タラララー」最後の音です。この最後の音がきちんとダウンビートできまっていないと、「ふたりのーこころはー」となります。こんなのは、感覚的な間違いなのです。
そういうところが劣っている人はもっと聞くしかないです。
聞いて感想を書いてみてそれがいかに読みとれていないのかを、会報か何かで同じものを聞いてもっと違うふうに読んでいる人をみて、それを勉強していかないと一生変わらないのです。
プロの歌い手でもそのぐらいのレベルで歌っているのが、日本の場合ほとんどです。
そういうことに気づいてもらうとよいと思います。
「あなたは いつでも えがおでこたえる」
私のとらえ方とみんなのとらえ方と違うところは、線でどこまでとらえられるかということです。
その線を動かすのに、最初は体がいります。
「タアアアー タアアアー タアアアー タアアアー」ここまでノンブレスなわけです。
そこで自分の線を動かす。自分の呼吸と一体させていく。私が体や息を使ってやっていることは、みんなにとってみたら、かなりきついはずなのです。それが楽になっていることは、練習になっていないのです。だから体と使って声を覚えていく、あるいは声をだすことで体を鍛えていくことに結びつきます。☆
それとともに音の感覚が必要です。何でそういうふうに体に声をつけないといけないかというと、体に声をつけなければ「あなたはいつでも」ここでしかいえなくなってしまうのです。
「えーがおで」と、どうやっても嘘になってしまいます。何もでてこなくなってしまう。
ここの音を入れていく感覚です。線があって、その中で表現というのをこうやって練り込み、少なくとも仮名みたいな表現の感覚を切らないといけません。
それは徐々に体に叩き込んでいってください。そうでないと音楽は複雑になりすぎて、体はどこにも使えなくなってしまいます。そして歌うときは感覚が体を従えるのです。
いろいろと聞いてみたら勉強になると思います。音楽的にとれている人、フレーズが音楽的に動かせている人、そういう人に限って声がきちんとついていかない。声がきちんとでる人に関しては、今度は音楽的にもっていけないことも多い。大体、両パターンになってしまうのです。これはわかると思います。
声が大きく「ハイ」とか「ララ」でいえる人に限って声に負ってしまうから、歌ったときにバランス悪くなってしまう。そうかといって小さな声で器用に歌えている人は、一つの声に対して説得力があるかというとなくなってしまう。大体、どっちかになってしまうのです。
その両方のよいところをやらないといけないわけです。しかし、どちらを優先するかというと一見遠回りの基本の方なのです。
基本的はきちんとオリジナルの声をつけてそれに体を使う。そうしたら体は結びついてきます。
体がついてきたら動かせるようになります。一番困るのは器用に歌えている人で、音が先に宿っていてその方向にひっぱられてしまう場合です。
アマチュアのピアノと同じで音は叩いていても、その音で伝えていない。伝えることを忘れて、上すべりになってしまう。そうすると1年たっても2年たってもあんまり変わらないのです。器用なまま自分のパターンである程度聞かせられてしまうから、逆に自分の体に宿らなくなってしまう。
だから順番としては体のしんどい方で、表現をきちんと全身で引き受けることからやることです。体はあとからつくれません。
あとは慣れです。こういうものの課題を何回も何回もフレーズの中で自分でやってみることです。
単純にいうとどこに人間が惹きつけられるところなのか、どうやれば同じフレーズがより効果的に言葉で伝わるのか、フレーズで伝わるのか、それを徹底してやらないといけないです。
答えというのはその人その人によって違います。バランスも違い呼吸の大きさも当然違います。逆にいうとひっぱられてはいけないわけです。ひっぱられて、足元すくわれているわけです。
今のバンドのヴォーカルはおよそ、そうです。次にどういくかわからないように興味をもたせることで、表現は緊張を保ちます。
しかし歌い手はこういきたい。もっというなら、私はステージ実習で聞いているのでなく楽しんでいたいのです。そうなるものをそこで示す。その場を、ある種の緊張とリラックスにおいて、リードしていく。☆
それが歌い手の客とのコミュニケーションであり、真のライブなのです。
そういうことはトータルのセンスと、その人がそのことをどう伝えようかと徹していることの練りこみの上に成立します。実際の原曲の感覚と変えるのでなく、変わっていくのです。☆
最初のところの「あなたは」の「あ」のあとにアクセントをおいています。「あーなたは」これで1つのフレーズにしています。「え」をシンコペーションさせ前にもってきている。これは全部次の動きをだすための伏線になっているわけです。
私がデュモンは読みこめるけれど、ピアフは読みこめないというのは、それがすごく複雑なわけです。複雑だけれど体の感覚ですから。こっちが計算してそれをまねしても作品にならないわけです。くずれてしまうわけです。
そうさせてしまう人たちを天才というわけです。そこの勉強はできなくても、そういう動かし方から音の感覚とか、作品になっている、なっていないことを学ぶことです。
ピアフが読んだら電話帳でも歌になるといわれています。そういう人から学べることというのは無限にあるはずです。それとそういう国がきちんと作品としてだしているところの音の感覚です。これは世界に通用しないというレベルのものではありません。
「こいに おびえる わたしの このむねに」
いろんな出し方があります。ただ、その人がそのことを伝えよう、こういう感覚で伝えようというのを、音の感覚と言葉の感覚と両方で同時にもってくることから、何が自分でできるかは知っていかないといけない。
一番だめなのは体や心がさぼっていたら、それは伝わらないということです。どこもさぼってはいけないのです。だから難しいわけです。みんなにとったら、音がバンバンバンとぶつかっているみたいですが、こういうのが音の世界の感情表現です。
音を楽器的にしてトランペットだったらこう吹くという楽器的な感じです。日本人は楽器的な感じで音を受けないのですが、これは自らの体が声の楽器であることを知らないからです。
初めて聞く人にとっては、不作法に聞こえるのかも知れないですが、この繊細さこそが世界的に共通な感情表現なのです。
「あなたの あかるい わらいは ふたりの こころに」
「タァァァ タァァァ タァァァ タァァァ」と自分の中で音楽を流しておく。
そのイメージがないとつくれないわけです。基本的にその音の置き方で決まるわけです。
声量ではありません。大切なことは言葉が伝わること、音のイメージがきちんと伝わることそのためにです。そうしたら自分の中の呼吸でとること、そしてそれをきちんと入れておくことです。そこで作品にしようと思ったときに、体の力に息のコントロール力といった馬力がいるわけです。
みんなが不慣れなのは、こういう音で動かしていくものに対する音の感覚、リズム、そして一番難しいのは言葉の動かし方です。
日本語の場合どうしても日本語にしてしまうところで、「あ な た の」となってしまいます。しかし、体と使おうと思ったらもっと単純に考えるしかないです。4つあわせてそれで1つのフレーズぐらいにと考え、そこまでのことを流しておく。
カンツォーネであろうが、シャンソンであろうと同じです。そこは感覚の問題、イメージの問題の方が大きいです。そのイメージを声であらわそうとしたときに声がついていかない、音を音がつながらないとかとなって声の問題になります。
いろんな学び方ありますが、ジャズとかシャンソンというのはかなり自由に動かせますから、その中で自分のフレーズを知ることです。まず言葉でしっかりよんでみること。その言葉のところでポジションをきちんとつかまえ、それからそれをひとまとめにして、4つなら4つの構成を考えてみます。そしてそれに音がついたときになるだけはずれないようにすることです。
音にはずれないのではなくて、そのフレージングの流れにはずれないこと。そこで一本線がとおっていたら、その上でいろんなことをやってもよいということです。だから一貫性というのがなくてはいけない。
歌というのは声の方向性が大切でそれがないと緊張感がゆるんでいる、一本調子になっている、たらたらしている、あるいは呼吸と一致していないということになります。非常に単純にとらえていけばよいわけです。単純な上で置き換えをしていく。だから下のベースの部分はきちんともっていないと。そこに体を惜しんでしまうとなかなかできなくなってきます。
こういう課題をいくつかやってみてください。言葉にしても音にしても、1つ1つのフレーズのつくり方が非常に大きいです。日本人というのは1フレーズずつぐらい歌っていますが、むこうの人は8フレーズぐらいで1つにしています。要は「あなたは~愛の歌を」まで完全に保っているわけです。
その上で効果的にブレスを入れるだけです。ブレスでつないでいるわけではない。そういうこともよく聞いていけばわかると思います。そうでないと違うところにでて3つとか4つにバラバラになってしまうわけです。そうすると歌の統一感とか、盛り上げをもっていこうといってもやっぱり難しくなります。それとともにきちんとしぼりこんで表現していくことです。こういうことを勉強してみてください。
「あなたの」
それを次につなげていくことをやります。言葉でもいっていますが、このときに「あなたの」「うたを」「きくとき」という感覚ではないのですね。歌の場合、違うのは高音域になってきたら、必ずしもことば優先に「あーなたの」、「あなーたの」とやらなくてもいろいろな音のフレーズの動かし方が出てきます。
これは教えるとか教えないではなくて、自分で決めていくしかないわけです。いろんな声があってもよいと思います。フレーズの大きさ、歌の大きさというのもそういうことです。楽譜でとってたままで歌ったら短いままでおわってしまいます。
「ふたりの こころは なみだで きくだろう」
これも低いところですが、体を使ってきちんと表現してつなげていかないといけません。あまり日本語にわけて考えないことです。4つのフレーズを流れないようにします。そのかわりヴォリュームをきちんとつけてやっていかないと、流れがちになってしまいます。
基本というのはきちんと声をとって、その声をたやさないように。すみをたっぷりつけて、それできちんと動かしていくということです。練習するときには、ここでできること以上に大きな声は歌にでてこないし、逆にここでできる密度以上に濃いものを本番のときだけだそうとしても、それは無理なわけです。本番では練っていたものがどう発酵するかを楽しむことです。
集中力とかということでいうとあいまいになってしまいますが、その言葉を自分の中に入れてコントロールしているところの感覚を感じにしないとだめですよね。まわりのレベルが高くないと、どうしてもテンションがおちますが、伝えるということがどんな授業でも当然問われています。そうするとそこで自分でやって、このフレーズだけになったときに伝わっているか、伝わっていないかです。そこで表現で格闘していかないといけません。
そのために基本が必要です。あるいはその基本のものをどうフレーズにしていくかの2つが必要です。言葉で「ふたりの こころは なみだで きくだろう」とやってみたときに、伝えたという感じが自分の中に入らないし、身も入らなければなりません。これは低音部だからかえって難しいのかも知れないのですが、それを自分で動かしていかないといけないのです。
まず音がとまっていたらだめです。音がとまっているというのは、音楽にするときだけ歌っている人のことです。声のよしあしではなく、イメージです。そのイメージというのを一流のヴォーカリストはだしています。だしているのを学ぶ才能が問われるのでしょう。
ところが多くの人が自分の歌ではなくしてしまうわけです。それでは歌にはならない。その上で言葉を動かしていったり、音を動かしていったりしないといけない。そういうことを見本はきちんとやっているわけです。その前にそこに体を使ったり、もっと心を使わないとだめです。楽すぎます。疲れればよいのではなく、それだけのものをそこでだしていない以上、客が感じられるわけないでしょう。体力ないとだめなのです。
1つのフレーズ1秒の中にピアフが100、みんなが1では声が歌を伝えっこないということです。
だから「き く だろう」などとやって許せてしまうわけです。もし「く」で表現力がなくなったと思ったら、絶対、息を惜しまないはずです。そうしたらその音というのは身についてくるわけです。
でもそういうことに格闘している人は、本当に数人だけです。
「ハイ」と「ララ」とか「ハイハイハイ」でそろえるということではわかっていても、それは何のためにやるのかということがわからない、歌のときに自分の体を使わなくても、体がそうなっていてでるためにやるわけです。
高音の問題とか母音をそろえるという問題も、本来そこから解決できないといけないのです。みんなができているところでさえ歌になるとできていない。表現できていないというのは正しいやり方があるのではなくて、表現ができているか、できていないかです。
だから、そのことを自分に対して敏感になって厳しくなるしかありません。体も宿るし、息が宿らない方がおかしいでしょう。それが耳がすぐれて音からとれる人もいても、そういう人たちはなかなか難しいのです。そうしたら理屈で考え、自分のやったことを自分できちんとふまえることです。
「ふたりのー こころはー なみだでー きくだろうー」は、誰でもよめます。
半音で3度の中でできています。声量がないとか、音域がないという言い訳はできないわけです。少なくともみんなの場合、セリフで「ハイ」とか「ララ」といったら大きな音がでる何がないのかといったらコントロール力です。
できないからだめということではなくて、できないところはできない理由があるから、それに気づいていくことです。いろいろな声の出方をしても、自分でそれで許せてしまっている。それは基準の問題です。みんなの評価をみると他人に対してとても甘いのです。
特別ライブ実習など出ている人の完成度からいったら、あの日にやったものというのは、完成度が低いのに、声の力があって音楽を流す力があるから、そんなことが全然わからないぼんくらのままで聞いてしまう。
音楽的に全然聞いていないわけです。表現のいきごみとか、熱といった部分で評価は、ライブですからそれでよいのですが、トレーニングのところで目指す部分ではありません。
あなた方が表現していこうと思ったら、自分たちで身につけないといけないところで、ここで教えていることではないわけです。
ここで教えていることは精神論でも生き方でも自己啓発でもなくて、声のことをきちんと深め、それをきちんととりだし、音声の表現技術にして提示することです。みんながどんな価値感をもって、いろいろな意味を精神的にもつけても、全部音なのです。
いつも、結果から問うていけばよいということです。その結果で声がでるようになったら、そういうこともマスターできてきているのです。そういうことをマスターできていないと結果がでないからです。集中力つけろとか、体力つけろといわなくても、3分間そういう歌い方ができていたら、集中力をもっているし、体力もついているということです。
というのは歌を歌うために、あるいは音声で表現するためにやっているわけです。そのときにこういうものを聞いたときに、その差を感じることとその差を埋めることをメニュにしてください。
「あなたは いつでも えがおで こたえる」
こういう低音の部分、あるいは中間音に入る部分は言葉でわからなくなったら考えてみればよいのです。それからフレーズは自分で計算して決めていかないことです。息をきちんとまって表わしていくことです。これは言葉の表現も同じです。ここでアカペラで伴奏つけないでやっているのは、それがでやすいようにしているわけです。悪い意味で歌い上げてしまわないことです。
「あなたはー いつでもー」これでも歌になりますが何にも伝わらないわけです。自分の中で「あなたはー」の中で動かしていく。自分の体と一致させていく。そのときに音楽のフレーズがのみこめない、音域がのみこめないということであれば、より大きく息をしておかないといけないのです。この3度ぐらいの中で全ての基本があります。
「あなたの あかるい わらいは ふたりの こころに」
オリジナルの声というのはそれが動かしやすい声なのです。自分の体に宿っているところの声ですから。たとえばみんなが「ハイ」とやっていながら、「あなたのー あかるいー」。これで音楽がでてきます。ヴォーカリストはそういう感覚のある人がフレーズですが、ここで「ハイ」といえることが大切です。
「あなたの」といえる。「あ な た の」というところででてくるどんなひびきも、胸の方のひびきであろうが頭のひびきであろうが、その人がそれをきちんと前にとりだしていたら歌は生きるのですから、それを限定するなということです。
声楽とかクラッシックの場合はそれを遠くにひびかせることにもっていきますが、ポップスはマイクがあります。やってはいけないことは、それが何回やってもばらばらになるとか、自分でコントロールできないということではまずのいです。音楽的なフレーズを器用につくれてしまう人ほど、「あなたのー あかるいー」という側にいってしまうわけです。
体が動いてきていない、息が動いてきていない。体と息を動かそうとしたら、「あなたの」「あかるい」という感じになって音楽にならないわけです。だからいそいでしまう人は必ずフレーズの方を先にとって、「あなたの」「あかるい」と息を入れてやっている人は音楽にならない。そこをつきつめていかないとだめです。
両方必要です。より完全にコントロールするためには、体でしかコントロールできません。手先で投げても同じ問題というのは解決できません。そこの上にでてくるわけです。声というのは誰でもそうなってきているのでしょう。宿ってきたら風邪くらいひいていても、普通の話す声がどんなにきつくても歌になったときに宿っているものはでてくるわけです。あまり影響ないのです。人間の体はそうなっています。
のど声で歌っていたり、表面で歌っていたら話す声がつまったらもうだめでしょう。かぜでのどをやられたら何にもでてこなくなってしまうわけです。確かにベストの声はでないのかもしれないですが、そういうときは音におきかえればよいわけです。声がきちんと聞こえなくても「ター ラー ラー」で、どういうふうに奏でるかということです。それを素直にとりだせば伝わります。
それ以上のことをやってしまうと、自分で計算してやったところがみえて嘘になってしまう。前にだそうときちんと表現しようと思っていることです。それが動きにくいから息を吐いたり、柔軟をしたり、「ハイ」とやってみるのです。
「ハイ」がのどにかかっていなくて、体からひびいてでているのは、そこの「ハイハイハイハイハイハイハイ」がベースです。音楽ではなくとも基本です。それで体が使える線とか、体が動く線をきちんとふまえ、ふみこむところはよみこむ。より浮かすところは浮かす、強弱のポイントみたいなものを、きちんととっていけばよいわけです。全部をおして歌う場合というのもあり、比較的シャンソンのこういう歌はおしています。
そんなにおすと真面目できつい歌になりますがそれでそういうときがあってもよいと思います。歌い上げなくたって歌は成り立つものですが、トレーニングでは、体とつけてコントロールする感覚を研ぎ澄ませていくことです。のどの感覚とか口先の感覚ではなく、全身全霊で捉えます。発音がはっきりして、その線がきちんとでている上で動かしていかないといけません。声がないところに口を動かしてやってみたって、それは全部死んでいる声での言葉ですね。
そういうことをもう少しできている、やったところでできたと思ったところを、今の基準でみて、相当、乱れている部分も多いと思いますが、何回も繰り返すことです。
よく考えてほしいのは、一流の選手ほど、基本のことは、人の数倍、一流になってからもさらにやっているということです。歌っていくとやはり乱れます。息と体とかそういうことも含めて自分の勝手な感覚になってしまう。あきられやすくなったり、新鮮味がなくなってきたりします。
そういうときは基本に戻るしかないわけです。そうしたら基本に宿っているものがでてきます。それとともに、こういう音楽の中に入りこんで試してみることです。何が違うのでしょうか。特に緊張感とか緊迫感とか説得性みたいなことは、とことんにつめていってよいと思います。
日本語で難しければむこうの言葉でもよい。そういうことを徹底してやっていく時期が必要です。1オクターブから2オクターブのことも大切ですが、3音から半オクターブにわたる曲でどのぐらいヴォリューム感やメリハリをつけ歌を大きくできるかみたいなことを徹底してやっていくとよいと思います。
それをへないで1オクターブ半に入ってしまうと、入り方だけで、ほとんど聞く気をなくしてしまいます。ということは、その前が歌えていないということです。そこではもう音が動いていないといけないのです。
一流のものを聞いていくと統一している。完全にコントロールして使っているわけです。上のラまでだせるわけです。第一線に今の年齢までいる力は衰えていないのです。それは基本ができていればできる、衰えないということです。
表現意欲も違います。なんやかんや世界中の事件や人たちをまきこんで、それを歌にして歌い上げていますよね。そのときその時代のものをやっている日本だと、どうしてもナツメロ、昔の歌を歌っているという感じになります。
そこのベースのところをもう一度やってみましょう。こういう音の動かし方、ゆらし方、どこまでやったら言葉の世界、どこまでやったら音楽の世界、歌になるのかを自分にフィードバックして、自分に対する自分の基準を厳しくしていくのです。
まだまだ可能性があると思います。1曲を100回、1000回歌うのは大変ですが、1フレーズだったら1000回ぐらい歌えます。1000回のうち1回しっかり守っておくことで自分がやったことが何かわかってきます。伝えたという感じがあるフレーズ、録音したもので聞いてみて伝わるというのをつかんでいくことです。自分でさえそう思わないものを人前にだしても、それは無理な話です。そのことをもっとやっていくことで他の人のも勉強できると思います。
いろんな個性の人がいるので、いろんなものを聞いていろんなものをまねて、いろんな感覚も柔軟にして待つのです。大きく歌のイメージをつくるということは、日本の歌を聞いているよりは、洋楽の方がよいと思います。オペラもよいと思います。
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【青空に住もう】
無理に分けたらのことですが、旋律に言葉をのせていくのと言葉から入るの二通りがあります。
単調にやっても、計算が見えてしまうと一本の線からはみだしてしまいます。二オクターブもある曲ではできるだけ声を使わないというのが基本です。その方が聞こえてくるのです。
最小で最大の効果をあげるのです。声を張り上げる方が楽ですが十の体を持ちながら、一に体を絞り込むのはもっと大変です。伝わるときは心も体も使っているのです。伝わったらよいのです。
出だしのところで体でキープしなければならない。体の段階にもよります。できていない人は旋律でもなんでも押し出していけば最低限伝わります。
それから言葉の読み込みです。
「幸せが消えたときでも」
曲の線からいうと、おかしいというものがありました。伝わるということを考えたときに、そうはならないと思います。
言葉の問題ですが、「幸せが」をつめている人が多かったのですが、それでよいと思います。「とき」で大きくつくっておいて配分を自分で考えて下さい。
「とき」に対する「でも」のおき方に注意して下さい。
次のフレーズのことを考えたら、深くに入れた方がよいと思います。ビルラはこういう曲に関してはとても繊細です。三つのフレーズの中で、盛り上がりをつくり、言葉の練り込みをつくり、提示して引き上げることをしています。ここだけで一つの音楽を作ってしまうのです。
声に関しては感覚と体が変わらない以上どうしようもない。皆にとっては、そのことがあたりまえになっているはずですから、より先のことをやっています。問題はそれをどうトレーニングに取り込むかということです。
歌は伝えることです。どんなに声が出るプロの人でも伝えるために音楽的な処理をしていきますが、無駄がない。ヴォイストレーニングは歌と離して考えてもよいと思います。
今は意識して声や体を使っています。それを意識しないでもいろいろな種類の声を取り出せるようにするのです。実際のライブでは感覚的なものが柱になります。それが働くようにするのです。
ヴォイストレーニングでは、自分のいろいろな声を試してみるのです。歌は完成的です。トレーニングでは器をつくっておくのです。
最初は意識して息を吐くこと、体を動かすことです。それができたら、意識して声をとる、音をとることでの高音発声というやり方から入るとよくないのです。
表現から決めていくことがポップスの特徴的なところだと思います。感覚が優先したときでも一体感が自然に動いていることが大切です。声の中で迷ってくるのが当然だと思いますが、どれが正しいかということより、そのことを自分で区別して下さい。それがトレーニングの目的であって、舞台と違うところです。
意識は全部伝える方向に行かなければいけません。トレーニングを裏切ることもおきてきますが、それはよいのです。ただ、練習不足です。トレーニングの中で自分の体・声・表現ということを考え、つかむ努力をしていないからです。
ここにいれば声は出るようになりますが、それだけでは意味がありません。最小限で最大伝えることを全てにおいて考えていかなければいけない。なるだけ無駄なく。そうすれば、プロの人と同様個性に代わるものが出てくると思うのです。
ステージでは意識に声が伴っていればよいということです。ステージは音楽であればイメージや感性が必要です。感覚を研ぎ澄ますしかないのです。ボールが来たときに動けるようにしなくてはいけない。だから部分的な意識は抜かなければいけない。トレーニングのときにその動きを意識して覚えるのです。自分で、体の力を抜いていながら、体が動く状態をステージでも出せるようにして下さい。
ステージで歌う時、先に形を作ってしまってはダメです。日本ではそれで通用してしまいますが、トレーニングの中では、器を広げていかなくてはいけない。基本のやり方は人それぞれ違うので、自分のやり方をわからなければいけないし、そのことをわかったら、こういうことに対して自分で問うてみる。
それから調整の仕方です。その人がどうしたいのかということを個人的に私も見ていますが、それを声、ヴォイストレーニングの中に出していくことです。
トレーニングは過程であって歌はそれを切り取るものです。その意味でその時期にふさわしい歌をもっとシビアに選んでこなければならない。体や心にきいてみて、どうしたいか決める。それから、自分を客観視して、聞いている人がどう聞いているかを見る。そこまでステージ実習・ライブ実習を使えている人は少ないです。
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【恋のジプシー (Zingara)】
表現でゆさぶっていかないと、音の世界はつくれません。そこから考えると、声の問題というのは、わずかなものです。声がどんなに出なかろうが、それに直接、影響を受けるということは、ポップスの場合、ほとんどありません。大切なことは根本的なところがわかっているかどうかです。
根本というのはその人の魂がどれだけ叫んでいるかということです。そこでのど声だとか、声の善し悪しを問うべきではないのです。
クセをとることが同時に個性をとることになるのではなく、徹底して個を突き詰めるために必要です。他人にまかせてはいけないことなのです。自分をごまかさず、自分に戻って下さい。自分を否定して、他の世界や他の人の土俵でやろうとしたら無理です。まねするなというのはそういうことです。
一つの世界をつくった人のまねはできないのです。なぜそういうクセをつけて歌いたいのかというところを考えればよいのです。その本質的なところは残さなければいけないということはあっても半端にマネをするとダメです。
ジャンニ・モランディは、“Zingara”のところの輝きを出したい。それを伝えるために他のところを全部ゆさぶって持っていっています。魂の叫びが一ヶ所に出ている。内容も歌詞もそこに持ってくる。
これは音楽の世界,楽器の世界でのみ許されることもあるともいえる特徴です。ただし、そこを間違うとただスケールが小さくなってしまいます。このマネはできませんが、学べるところは多いと思います。魂の叫び,パワー,表現力があれば、歌なんてなくても持っていけてしまうのです。
(「この手をみてジンガラ(ドシレドソミ・ミミレー)」)
ポップスの練習でいえば、このフレーズが1オクターブありますが、それを完全にしていくことだけでよいのです。このフレーズを何回も繰り返していれば、体も声もついてくる。
ただ、これを聞いたときにどこまでとらえられるかで心のままに広がっていかないと、自分で決めつけてしまう恐れがあります。
ここのヴォイスのトレーニングというのは、やり方があるわけではなく、やってみてやれなかったらやれるところまで戻ってやってみるということの繰り返しです。☆
だから、きちんととらえたものをもう一度放り出している、このような歌を手本にするとよいのです。
つくりものらしくなったり、しっくりこないというのは、才能の差とかいうのではなく、とらえる感覚とそれにあわせて体が動き出すということです。その2つは磨くことです。
この歌でわからなければ別の曲を聞いてみる。一曲を完全にマスターするということは大切です。フレーズをいくつも練習して気付いていかなければなりません。
声だけを聞いてそれを直すというのは対処的なやり方です。この曲はのどにかかっていようが、その動きの中に放って勢いがついてしまっているから持っていけるのです。
状況の勢いをつくるのが一番大切です。動くところまでつくるのが難しいなら、動きをつくっている人のものにあわせてやってみるのが勉強です。
発声というのは、その動きのところでやります。声と歌の中に入っている世界と表現を出す世界というのは全く違うのです。魂が消えてしまったら何にもなりません。自分がその気にならなければ、歌はでてきません。やっていかなければいけないことは、ポップスにおいては、クセでもなんでもよいから、作品にするということです。
どう感じられ、どう感じさせられるかが第一です。正確にやれるとか、上手い人に似てくれば上達した訳ではないのです。上手い人は自分を知ってやっているのですから、まねをしてもダメなのです。どうとらえているか、どう選択したかということが問われます。そのために発声があるのです。表現が間違っていることを声での言い訳にしないことです。声楽も間違えて勉強してしまうとそうなります。
ポップスの場合、基本の練習、つまり感覚と体を変えていくことしかないのです。それはステージの練習と同じで、それしかいらないということになります。そのことが練習の中でできていてはじめて基本の練習といえるのです。神経をどの一点にもっていくかということです。
作品を聞いても声の差だけしかとらえない人がいますが、そんなものではないのですね。人が死にものぐるいでやっていることに人はダメだといいません。そこに一所懸命がみえないから、いっているのです。そうはいっても、だんだん表現に込める思いがカルチャースクールのようにもなってきました。
ここではレクチャーでいったことを日々、実践しているのです。学び方に関してはなるべくレールに乗るようにしているのですが、自分で聞いて、感じて、それと同じテンションで体が動いて表現になればよい世界だと思って下さい。
しかし、2つくらい条件はあります。1つはクセのある声が体の原理に反していたとしても、皆さんが聞いているようなヴォーカルはクセとアクで個性を匂わせているようなものです。
それでもコントロールできるところまで体と感覚を磨いてきたから伝わるのです。
最初に“正しい”声に直されるということは、あなたのいいものが全部なくなってしまうということです。声の出し方が伸びるように正すのです。正しいくやりなさいといっているのは、自分をわかりなさい、ということなのです。
1つのフレーズをやったときにその人間がどう受け止めて、その人間がどう伝えようとしているかの線を出していくのが大切です。声ができていないからできないということではありません。同じテンションを持ち、何が聞こえてくるかを聞くべきです。
同じレベルのことをやるのに時間がかかります。皆が同じレベルでだせないのは自分の声、フレーズについて何も知らない、そういうことに関してとるところが違うのですね。楽譜をとっているだけなのです。それを崩さないとダメです。それがまず1つです。
確かにここでは声楽的な発声もしています。それは材料の1つで、それだけで極めていくとしたら、それはそれで大変な感覚が必要になります。歌そのものも日本では叙情性を出す方向になります。
教えられてしまうことに日本のポップスのレベルが低い原因があります。レベルを超せる人は自分の体にあった覚え方をしています。
それから授業そのものの進展についてですが、音楽基礎でやっていることとかについては、勉強するから待ってくれという人が多いのですが、死にもの狂いで、その課題をクリアしていかないと、2年どころか20年かかってもできないということです。
四分音符や、二拍三連のようなことを1カ月,2カ月,半年,1年もひきずっているのです。それはスタートラインに立つ以前の問題です。15,6歳で音大に入るなら皆持っていることです。
音楽家の耳を持って下さい。持っていたらどうこうなるということではないのです。音楽の中で生活していたら問題にならないようなものです。
大切なものは、こういう歌の中から学ぶのです。だから、育った人を見てみればよいのです。育った人はリズム打ち練習などしていません。歌から入って、出てきたものをそれで補強している訳です。
ここではコードを考えて、構成を練っているというようなことは成されていません。ただゆらしているだけです。サビのところを輝かせるために全部動きをつけてゆらしていっています。思いきり反動をつけて出し、落とす。それだけの流れですね。
こういう音楽の中では加速しているものに対してどう動かしていくかということなのです。全然感覚が違うのです。それが一番難しいのです。
最初、動くところが難しいのですが、そこばかり練習しても仕方ないですね。加速をつけたものを盗むのです。それが歌のほとんど全部なのです。そこにつけていくのがフレーズです。
オリジナルな声よりも、フレーズが優先されます。声そのものに対して正解はありません。もっといえば歌っているときにその人が歌っている理由がみられれば通用するのです。
その辺の勉強の仕方を間違えてしまうとダメです。「ハイ・ララ」は、それだけでは何の意味もないでしょう。差があることをわかるためにやっているだけです。技術と計算だけでは歌は成り立ちませんね。
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(村上進とジリオラ・チンクエッティの「愛は限りなく」比較)
魂みたいなものが聞こえてこないと伝わらない。歌をこえないと仕方ないのです。
チンクエッティは10代でここまで出せます。何が違うか聞いてみて下さい。
楽譜がなくてもよいのですが、音楽のルール,リズム,旋律,強弱を捉えます。結果としてアクセントがどこにくるかという動きがないと自分で勝手に解釈しても通じません。
歌を壊すときは壊すなりのセンスが必要になります。声や技術が聞こえてしまうのでは歌はダメなのです。日本人でそれらを持っている人はそれが前に出てしまいがちです。説明しすぎるわけです。そのため、気持ちと音が一つにならない場合が非常に多いのです。ポップスの人がそうなるのはあまりよいことではありません。
音色、リズムをどう出すかが問われています。音色というのはある意味ではクセです。どこかで踏みとどまるところを持っていれば、聞かせられます。声,技術が確立されていなくても、テンションとインパクトと統一するところのセンスがあれば、声,技術がかくれ、まとまるわけです。大切なのは一つになれるということです。
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【少女】
体,心が動いていたらよい声も技術なのであって、止まっているところで声を出してみて、その声が良くても歌には何の関係もないのです。かえってそのよい声がその人の個性をくずしてしまうことが多いのです。動いているところではクラシックの声もポップスの声もないのです。
大切なことは、オリジナルの声よりフレーズを持たないとダメだということと、思いの出ているクセはよいということです。インパクトとテンションでクセを通用させるところまでもっていくことです。加えて音の置き方,言葉のセンスですね。自分の魂が動いている歌をうたうために何が重要か考えてみて下さい。
魂が自分の声の中で動いていればよいのです。日本の場合、セッションし、ぶつけていってわからせるのとは違って、説明しなくてはならないので遅れてしまいがちです。
いつもいっているとおり、基本に戻ればよいのです。
この課題でも一拍目と三拍目を強めて、かつテンポ感があればきちんと止まっていく訳です。その上で崩したり、フレーズをつけたり、速くしたり、シンコペーションをかけていくのはよいのですが、そうしないと、ここでは、この音の変化が楽しめなくなってしまいます。
言葉の世界に持っていくのはよいのですが、曲が展開しているものは、きちんと一つづつおとをとどめていった方がよいですね。バックにあるリズムが動いていないとダメです。
(「恋する日はまだ遠く恋する日を待ちかねて恋を知らぬ胸をただときめかす
(シドシシド・シシレドシ・シドシシド・シシレドシ・ラシララシ・ララドシラ・ラソソラシ)」)
つくった後に“恋する”の“こ”にどう入るか、その後の“こ”にどう入るかというところに自分の音と言葉の感覚を出していくのです。こういう歌の場合、バリエーションがいくつもあります。
しかし、踏まなければいけないところは踏まないといけません。何百回も繰り返していたら、感覚が宿って来そうなものですね。次にまた変化していきます。
(「恋の歌にあこがれて恋のあまい口づけと恋する人をゆめみるおとめよ
(シドシシド・シシレドシ・シドシシド・シシレドシ・ラシララシ・ララドシラ・ラララシ)」)
自分でコード進行をとらえて好きにフレーズを作ってみるのですが、伴奏をみてわかるとおり、基本的に変えられません。分散和音でしかも八分音符で、メロディをたどっている伴奏がついているので、基本的には楽譜通り歌う。
息のスピードを変え、言葉としては均等においていく。イタリア語でやっている人はとても楽なはずです。その中で微妙に動かせます。“恋の”というのと“ピアユラ”というのでは全く違いますね。
日本語でやるときもあまり端折って、バタバタしても、もたついてもダメです。
テヌートで歌っていく歌です。ある意味で響きです。最後のところへいくと消化不良になりかねない難しい曲です。音の繰り返しのおもしろさを出していくことです。あまり主張しすぎるとよくないです。それで新しさをだそうとするのは難しいです。やはり線を作っていくことです。
(「トゥセイコメメクアンドベラ バンビーナ・セイベッラケノンサイトットケロケアイ
(ミラシドレ・ミソファミレ・レミシ・ミララ・シドレ・ミソファミ・レミミ)」)
こういう歌の場合もう少し突き放してやることです。日本語でやるとフレーズをつないでいく傾向にあるのですが、基本的には“トゥセイ”をいうわけではなくて、その間をいうのです。いわないところでどれくらい深みに入れるかということが、大切です。
フレーズ,息は流れていてもよいのですが、ことばを流すなといつもいっています。おもしろい題材ではないかと思います。ソルフェージュがわりに音をみたら取れるくらいになってもよいのではないでしょうか。
最初に音,リズムはおさえて、そこからレッスンが開始するようにしないと一時間の中で一曲は無理ですね。こういうものは自分の中で練り直して、自分のフレーズをみつけるのがよいと思います。
こういう単調な曲ほど人の味が出るので、勉強になると思います。
音の置き方,はめ方,積み上げ方のおもしろさは、こんなものです。
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【私の孤独】
(「あれはあれでいい」レレレーレレファ♭ミミ)
ことばで伝えられなければ音で伝わるはずがないのです。楽譜を音に置き換えるだけではダメです。動きをつくるのです。最初に自分の動かしやすいポジションをとることです。
高いところになるほど、強く、体を使うようにして下さい。
それから、ドドドードドミレレレよりドーミレーくらいに短くとらえていくことです。
コードの音でとらえていくことです。この方が自由に動かせます。
そのとき、どこで踏み込むか、ということです。
日本語だと、最初の「あ」で入れることが多いです。
まず強弱を考え、一つにすることです。
そのとき、どういう音色を出すのかを体で調整する、
どのように音楽の表現にするかです。体からはずれないことです。
(「あれはあれでいい」レレレーレレファ♭ミミ)
早口でいうことではないのです。体を整えて出して下さい。思いきり出すときには日本語でも音をわけていわないと思います。発声練習では、音を出すまでの感覚が動いていないと、声が出にくいです。自分が声を出すまでに息を吐いておくことです。
息から声にしていきます。今やろうとすると、体の変なところに力が入りますが、なるべく流れをとって、おいて出すのです。一番のポイントは声にしようと思わないことです。計算すると、出遅れたりします。
(「あれは」レレレ)
歌の出だしが入れなくなるのも、こういう問題です。あまり自分で計算すればするほど、体は働かなくなります。今は今なりによい体の状態をつくっておいて下さい。定着させるのが大変です。
今度は言葉で音を動かしていくことをやります。方向性、一貫性がなく、体から息が通っていないと、いろいろ細かいことをしなくてはならなくなる。すると聞いていても退屈になります。
(「どんな時でも(ミ♭ミ♭ミ♭ーミミ♭レ♭レ♭)」)
表現する自分の声と意志が一致すれば音声は出てきます。それをきちんと追求していかないと、オリジナルの声などわかりません。雰囲気だけとってもダメです。口先でやるのを一回やめること。今、自分に出せる声をよくみて出すのです。口先の響きをやめるのです。
体に入った声を、響かせるという点ではここの考えは、声楽の考えと同じです。今やって欲しいのは、息や体を鍛えて、条件を整えることです。最初は体をつくることを日課にしていって下さい。
言葉とフレーズの勉強をしてみましょう。
この曲から雰囲気的なものをのぞいて、基本のところでとらえてもらえばよいと思います。フレーズとして自分の呼吸でやってみて下さい。
(「あれはあれでいい僕のそばに(シ♭シ♭シ♭・シ♭シ♭シ♭レド・ドシ♭ドシ♭ラソラ)」)
きちんとおさまっている人はおさまっています。歌い上げるなといっているのはこういうフレーズです。息を吸って吐いたくらいで終わればよいのです。計算が出てはダメです。
音色が出ていて、それがどう展開するか、それが引きつけるか引きつけないかです。
次の動きに引っ張っていきます。ある意味でシンプルでなくてはいけない。特に「い」に気をつけて下さい。正しくこだわりすぎです。つかむところはつかむくらいでよいのです。
流れからはみ出さないようにする方が大切です。
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「そして親父は」
ニコラ・ベイラックの曲です。とらえたものを展開させているだけで、リズムが速くなってもそれを出して伝えているだけです。リズムの勉強によいでしょう。
(「ララ…(ラシレ♭・ラシレ♭・ラシレ♭・ラ♭ラシ・ラ♭ラシ・ラ♭ラシ♭・ソ♭ラ♭ラ・ソ♭ラ♭ラソ♭ラ♭ラ♭ソ♭ラ♭ラ・ソ♭ラ♭ラ・ソ♭ラレ♭シレ♭シ )」
音が取れる取れないの問題ではなく、踏み込んでどこに強拍をおいて、フレーズを展開するかということです。ラでやると難しいのかもしれません。ことばでやるとわかりやすい曲です。一拍目と三拍目で入るという進行で、途中でリズムが変わり、後半でまた変わります。
最後にどう展開させるかが一つのセンスのようになると思います。
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【ポプコンの曲】
合宿にいってない人もいると思いますが、違うフレーズも若干入れてやっていきたいと思います。
なるだけたくさんのフレーズを回したいと思います。他の人が一つのものを解釈して一つのステージにするために、どういうプロセスを経ているかをみながら勉強して自分でもその制限を破っていって下さい。
歌というのは入っては出ていかないとダメです。入り続けているのでは歌えません。完全にものにしたと思ってはまたすてて、全部忘れて、また新しい感覚でやっていきましょう。
いくつの声やフレーズに出会うか、その数、発見したところを三分の中に凝縮させるのです。
入っていってわからなくなるのは、自分でよいと思ったもので決めつけてしまうからです。決めつけた時より古くなってしまうのですから、新鮮に聞こえなくなります。新たな試みができなくなります。常に場,時,間,聞いている人も違うのですから、同じ歌が出る方が難しいのです。
私はポプコンと同時代を生きていましたので、リアルで聞いていました。当時はあまり評価していなかったのです。しかし今思えばそれは、ことばの主張やフレージングの特徴,言葉の内容においては磨かれている。それから曲のつくり方が大きいです。
甲斐よしひろさんや世良正則さんくらいまでは、リズムを声に入れていました。ヴォーカルが全て引き受けた上にやっていました。リズム感が言葉の置き方や、フレーズのつくり方になっていたのです。
ロックがある以上ロックのリズムが入っていなくてはなりません。そんなことも感じながらやってみて下さい。
数をこなす方向でやっていきたいと思います。歌詞,リズム,フレーズをつくり替えてもかまいませんが、一度その世界を踏んだ上で変えて下さい。
最初は“フラれ気分でロックンロール”です。いつも最少で最大の効果をあげるようにいっています。できるところだけでよいのです。しかし、長くとるなら最大で見せなければなりません。
(「たかがロックンロール、されどロックンロール、ふわふつぎはリズムにのせバカげた恋を笑うの」(シシラ♭シシレ♭シ・シシラ♭シシレ♭シ・シシシシーシシーララソ♭ラーララーラ♭ラ♭ラ♭ラ♭ソ♭ソ♭ミラ♭ーソ♭ソ♭))
次に「傷心」
(「今までなんども恋をしただけどあなたとなら」(ラ♭ソ♭ラ♭ラ♭・ラ♭ソ♭ラ♭ラ・シ♭レ♭シ♭ファ♭ミ♭・ミ♭レ♭ミ♭ミ♭レ♭ミ♭ミ♭ーレ♭ミ♭))
やってみればわかると思いますが、自分の方向性がテンションの高い部分において、体と心と息が一致しないのです。声自体がでているということよりも、それが一致していないとダメです。
本当のことをいうと、長いフレーズをやるのは練習になるけれど、正しくとらないと問題がずれていくだけです。メリハリというのは気持ちのピークのことです。それが三分でも多くの人はもたないです。
三分の中で、休むところがあるから次に入れるのです。それをどこにもっていくのかということを、ことば,音,音色の世界で一致させることです。
気持ちと声と音楽のピークがばらばらになってしまう人が多いです。声がある人は逆に難しいです。
日本の歌い手に多いのですが、盛り上がりのピークを過ぎてから声が朗々と出たりします。
最少で最大の効果というものを向こうの人はよく考えています。
体で歌っている人に対し、頭で考えて歌っても仕方ないです。体と精神が一体になれるか、なれないかということでとらえて下さい。発声の問題ではないのです。ただ、ここまで入り込むことが普通の人には難しいでしょう。
皆の場合、フレーズや音しか見えなくなってしまうのです。歌っている人は、後半にどういうフレーズが来るか考えなくとも、こう伝えたいという気持ちがあって、それを一番効果的に出すようにしているのです。
距離の感覚が全く違います。みているところが違うのです。皆の場合、三分間全部を一所懸命やってしまって、全体的にはバラバラだったりします。方向がみえていないのです。みえていたら、もっと力が抜けてもいいし、抜いても、説得力が消えないはずです(抜くとの抜けるのは違います)。
こういうのはオリジナルの声というより、オリジナルなフレーズです。よくステージ実習などでまな板に乗っちゃうからダメだといっていますが、こういう歌には正しいとか正しくないとかはなく、一つしかないのです。誰も口を挟めない。そこまでの作品を本来問うのが、ステージ実習,ライブ実習のステージです。「あそこをこうしたらいい」とか、人にいわれてしまうとだめなのです。
(「だけどたがいに違うこと考えていた(レドレレ・レドレレ・ミソーシラ・ララーファラ・ラシー」)
一致性というのが一番大切なことで、声を伝えても仕方ないのです。音で伝えられる人はそれでもよいのですが、こういうのは言葉でとらえた方がよいと思います。自分の中で一致させないと歌詞を読んだだけで終わってしまいます。
恨み、つらみでこの歌詞をつくっている。そこまで戻らなくてはいけない。具体的に思い浮かべなさいということではありません。音色の中に気持ちのものを出していかなければならないので、トランペットやサックスより難しいのです。
単にドロドロにすればよいという訳でもありません。この辺はポップスの中でも参考になると思います。次は「愛をこころに」です。覚えやすいので歌う人が一番多かったです。
音大出の人で、声楽的な歌い方で入っています。歌の大きさを学ぶにはよいと思います。
2番をやりましょう。
(「愛がそこにあるならば僕に教えて欲しい」
(ミレミレド#シシシラシドラシドドーラララシドレー))
点でやれば動きがわかりますが、後にいくほど歌えなくなります。感覚と体について、2点あります。まずそれがどう受け止められたかということ。それに対して、楽器として体が動かないというのは、技術の問題です。これくらいのフレーズで、体力,集中力がもたないのは、音楽が入っていないのです。だからフレーズも動いていない。音色も入らなければいけないのです。
たとえば「ならば」のあたりは非常に盛り上がってきます。にぎる,はなすということを学んで下さい。曲をきいている間にイメージをつくるのです。どうとらえたらよいかがわかるでしょう。この中で何が起きているのかを体で聞き込んで下さい。皆が思っているような表層のところでこれが歌われているのではないのです。
ほんの少しの違いで、方向が定まったり、インパクトを持ったりします。「なら」のところで入れているから、「愛が」のところで扱っても通じるのです。おさえるところをおさえていたら、遊びでも許されます。遊ぶ部分も作らなければいけない。そのときどこをとり、どこを捨てるかを常に考えなくてはならないのです。
次は「酒持ってこい」という曲です。
ハスキーな声です。だけど、こういう人に対して、声や体を獲得している人は何で勝負できているか考えてみて下さい。表現力としてこれより劣るのであれば何も生かされていないのです。ギリギリのところでやって、ひっかかる部分を直していくことで、ポップスの場合、歌となると思います。変にまねをして、のどをつぶさないようにして下さい。
(「いいさ朝まで(ラ♭ソ♭ラ♭ラ♭ラ♭ミ♭ミ♭レ♭)」)
半分くらい練習になってくるのですが、それをきちんと自分の中でみていけばよいと思います。音色,リズム,フレーズがはいらなければいけない。
次は「出来事」という曲です。昔の歌謡曲の歌い方そっくりです。それを築き上げた人達です。「さよならの世界」です。何も考えないで歌っていますね。声があればよいと思います。入り方の練習をしておきましょう。
(「いつの日かきみの胸に(ファファミ♭ファファラ♭ラ♭ラ♭ファミ♭)」)
「いつの日か」に対し、「きみの胸に」をどうつかうかを考えても仕方がないけれど、よく聞いて下さい。その先のことを考えて下さい。
ことばの世界をどれだけ音に置き換えていくかで、日本人の感覚や、日本語や感性、あるいはそれらをこえて、音にしたら世界に伝わるような何かがあるのかということを考えて下さい。
ポプコンのヴォーカリストは技術的に足りないものが多いに関わらず自分で世界を創り出しています。
(「I Shall Never Ever Broken Toあなたのその瞳が忘れられない寂しさにこれを歌うよ
(ファソラ♭ーラ♭ラ♭ラ♭ーラ♭ラ♭ーソソ・ソラ♭シ♭シ♭シ♭シ♭シ♭ーシ♭シ♭ラ♭シ♭ラ♭・ファ・ソラ♭・ソラ♭ラ・ラ♭ラ♭ソ・ラ・シ♭ードー)」)
フレーズの一番基本的な課題です。インパクト,ノリ,パンチが必要です。でなければ快い流れが必要です。このフレーズでは「めて」のところで入れる。いつもいっていることですが、まず一つでとらえて下さい。息の流れによって聞こえてくる感覚が全く違ってきます。
根っこのところでとらえていかないといけません。音量,音感,リズムは表面で入ってくるものですが、演奏者がみえたものをださなければいけない。絵にしても絵のタッチではなく、その人が何をみてタッチしたかということが大切なのです。どうとらえたかという感覚の部分を勉強して下さい。
向こうの昔のロックやパンクのヴォーカリストは音感,リズム感が鋭いです。文化の違いはあるのでしょうが、その歌の奥にあるものを学んだ方がはやいと思います。
気付くためにやらなければいけない。声量や技術ではないのです。
ただ基本的な音感,リズム感は当然必要になります。こういう人達はそれだけ多く聞いているのです。