ステージ実習コメント 784
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【 オーディションコメント】6班別
【ステージ実習】
【ライブ実習】
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【 オーディションコメント】6班別
<感じたこと>
安全志向、守り、以前の日本のサッカーみたいだ。意欲か技術か何をみせるのかはっきりさせること。
声と気持ちと体の一致した歌がみられなかった。
これまでになく低不調、どうしたのだろうか。
1.それぞれがマイペース、自己完結、悪くはないがよくもない。
2.パワー、インパクト、新鮮さ、技術
3.体力、気力がない
4.出演に客に満足を与えようとする気迫ない
5.トレーニングみたい
6.緊迫感、テンションない
7.オーディション用の歌い方。 ステージがみたい
8.無難なだけ過去のをみせているだけ
9.体と声と空気が動いていない
10.止まっている
11.選曲の必然性がない
12.安定性ねらいなら、マイナスだけの評価
13.工夫ない
14.「もう一曲」とはいえない
15.人前で歌う歌ではない
16.思いがない
17.歌っているだけ流れている
18.発表会みたい
19.気持ち、はやって、歌がおくれるか歌が先走り、気持ち、のっていない(声も同じ)
何か、トレーニングの課題をみつけにきているような気がした。選曲ミスに加え、練習台にのったまま出てきた感じ、自己完結していて、開かれていない。前に出て、ため息など不要。全然、客が目に入っていない。音楽、曲、歌が聞こえてこない。プレッシャーに弱い。
ヴォーカルのテンションの高さでなく、オーディションの場の高さというのでは、アピールの方向違うのではないか。目があっていない。
「言いたいこと、感じていることが歌になっているか」その人のなかにある音楽、ことばの世界がどのくらいにじみ出てくるか。歌に歌う理由、どう歌いたいかが集約されていること、呼吸、集約、出し方。
まず、今年は、初めて資格を与えたのに、入門、①で受ける人が少ないのに驚いた。
経験や技術不足で次回を待っても、その次回は、常に今回を経ていないとないものだ。未だに、お客さん(生徒)気分で、ステージ側に立てないのだろうか。
今から、すべての場やチャンスを活かすパワーがなくて何ができるのだろうか。残念を超えて、いったい何のためにトレーニングをやりたいのかを疑う。
(仕方ないので、来年度からお稽古事、趣味のための発声コースをつくるつもりである)
私たち、審査にあたるもの(4人)は観客代表であり、ステージで歌と出会うために来ている。
トレーニングをみたいのではない(技術や技量は、毎日のトレーニングで知っているし、さして期待していない)。それを超える熱い思い、12/23にかける執念を問いたかった。
(これは、この場、そして私たちに限らず、プロのオーディションもステージもそうであろう)。
所詮、私たち(ひいては客に)眠く、お腹がすいたなどということを思わせてしまうだけのものだった。そういった点では、オーディションをやった意味がなかった。
どちらにしても、きっと君らの多くは歌がそれなりに好きで、
まじめに歌おうととりくんでいるのだろう。
しかし、本当に死ぬほど好きで本当にものにしたいと思っていないから、
トレーニングも楽しくないし、身にもつかないのではなかろうか。
そろそろ無目的に歌をいじくりまわす悪趣味を抜けたらどうか。
まだ、自分を歌を、ステージを観ていない。
いつまで形だけのことをやっているのか。
反省という言い訳を掲げるのか。
そんなことに君の人生をかけるに値するのか。
同じ観客不在でも、自分の意見と思いをもって、
駅の階段で歌っている奴らの方がまだましだ。
(いったい、この日のためにどれだけの作業をしてきたのか。)。
それにしても、力があるのに恵まれていないとか、
誰より努力したと胸をはって言い切ってステージをできる人が少ない。
ステージとそこまでの日々に、すべてをかけてはいないのだろうか。
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【ステージ実習】
総評をします。年齢やキャリアと違うところでもっとできることがあるのではないかという気がします。私は授業にフィードバックするため、ステージ実習のステージを細かく見ています。
悪くないことでいうと、ウソが取れてきている。
歌っている人ほど、ウソが取れてくると歌えなくなってくるので、それに変わるものを作っていく必要があります。作っていくというよりも、もともとあるものをきちんと見ていくのです。
それがまたクセにいかないようにすることが大切です。
ステージとトレーニングは分けてみています。一曲くらいはまじめなところで持っているのですが、その中で感じられることが少し鈍いと思います。鈍い真面目さというのはよくないです。
逆にウソだらけのものは、それなりに作品になりますが、いつまでもそれで歌っているだろうというのが見えてしまうのです。先の可能性がないのなら、その歌を今気に入ってくれる人を見つけて、歌うしかないでしょう。
根本的に欠けているのは、まだまだ、体力、気力です。それがステージに対して集約されていないことです。日常的な体力差というのとは、違います。
一日に一回舞台を自分でセッティングすることです。その延長上にしか、音声での表現はありませんから。いつも物足りないのは、そこがわかっていないことです。
自分の言動や表現が一体何を投げかけているのか、そういうことがわかっていない。絶えず自分ややったことが何だったのかということを考えて下さい。
これからビデオを見てそういうことを考えましょう。歌をおさえて、そこから何か引き出すというよりは、翻弄されている感じです、
そこから何を出そうとしているかということです。
歌の中に生きているということ、立体感、伝えることを見せて下さい。出そうとしているのならよいのですが、その格闘を一切していないということです。与えられたものとしてこなすだけで精一杯のようです。
昔と、今の歌はずれることがありますが、音色なら音色、リズムならリズム、フレーズならフレーズと、何か感じて、感じたものを伝えなければいけません。その人のタイプによって応用しやすい曲,しにくい曲などはあると思います。
しかし、とらえることの本質が違ってはダメです。すべて自分がここで何事かをやる、ということの上にあります。読み込み、音の感覚をつかみ、それをどう展開するかということです。一つ一つの歌詞を受け止めてきたかどうかです。自分の言葉の定義でリニューアルさせてこなければならない。今日のステージにはスタイルが見えません。
歌というのは今まで生きた中で得たものをきちんと出していかなければいけないし、ここに何年いたかではないのです。それが集約されて、舞台になっていきます。舞台でじぶんのよい顔、よいところを見せられたらやっていく意味もあると思います。
20歳を過ぎたら年齢の差で比較しません。ただ、人生を織り込んでいかないと、技術だけでも小さい頃からやってきた人達に勝てないのです。形からではなくて心があれば違う意味であるところまでいけるかもしれない。心からそうなっていないというのが一番の問題です。そういうことに対して鈍いですね。
一つの歌を歌うとき、そのフレーズに対してわかっている人はいいのですが、そうでない今の段階においては、それだけ迷ってなければいけないのです。格闘したり、自分が何を出したいかが盛り込まれていないと歌が生きてこないです。歌は死んでいるのですから、あなた方が生き返らせなければいけないのです。
ビデオを見て、表情や自分の動きにも関心を持ってみて下さい。できる人に対しては、自分の何が足りないのかを見つめて下さい。舞台に立ったときは2分でも3分でもその間主人公でいなければいけない。周りがそう要請するのです。出し続けないといけない。
はやくスタートラインに立って下さい。一回でわからなかったら三回目でわかってもよいのです。体力や気力をある時点に集中させて出すことが苦手のようです。できていると気というのに自分の体がついてきています。上手く歌えていると思ってもそういうことが上手くいかないと、乱れていることがある場合が多い。そういうことは自分でわかりにくいのです。
ことばは自分の中のイメージを導き出すキーワードであって、それをキーワードのまま歌ってみても仕方ないのです。
歌というのはうまれつき歌えるものではなくて、才能があるといわれるような人は、その前に必ず踏んでいるのです。楽器も同じです。聞いていくことと出していくことをやらなければいけない。この世界ではどこかのレベルまでいったら才能というものがあるということです。
ここでいわれていることであればキャリアです。それが足りないと思う人はここで体や感覚のことをやる。才能の差ではないのです。ほとんどの人は、歌はスポーツのような勝負事とは違うと思っているので、伸びないのです。プロになって伸びる人たちも少ないです。そういう意味で10年以上の努力ができている人が少ない国です。
向こうでは、40、50才になっても別の意味でよいものができてくるのです。それが人生の可能性です。この2年間の中で、体のこと、感覚のことなど、どう優先順位をつけてやっていくかということです。体,心が入らない練習は、練習としてカウントしない方がよいですね。
まだステージをやった方がよいかもしれません。
自分を追い込んでいって全力を出す状態にすることが大切です。自分の中に鳥肌が立つようなところで感じるしかないでしょうね。そこでその状態をつくり、体が条件的に反応できなければならない。出だしのところでたきつけられるか、どうかというのはそういうところにあると思います。
理由がなくても歌えると思いますが、修業しないといけないです。ですから、ステージ実習やライブ実習などを利用して場数を踏んでいって欲しい。全身で表現していくことをみせていくのです。自分だったらどうやるのかというのを見せて下さい。
“自分”があれば、次はどう伝えるかです。気に入らない人の歌い方を反面教師のようにして、自分にあてはめてみればよいのです。ステージ実習はどんどん討ち死にをして気付いていってもらえればよい。同じレベルで討ち死にしているのでなく考えながら、全力で突っかかってこないとダメです。
やる前よりも、やった後に課題が突きつけられてこなければいけない。停滞した流れを打ち破れることが力です。もっと背伸びしてよいと思います。自分の表現を出せば出すほど、他のものは許せなくなってくるのです。自分が歌っていれば一番幸せになるのをどのレベルでやれるかということです。
アイデアや発想が問われます。一曲でやるということはそれだけ気力や熱意が問われます。皆一曲で食べていっているのです。一曲自分の曲が持てるというのは大きいことです。体と心の問題を考えてみて下さい。考え方を磨いていくということが大切だと思います。
できないと決めつけてしまうのは、なぜか考えてみると、できるくらいにやれていないというのも原因ですが、できるまで時間がかかるのだとわかればそれをどう詰めていくかということを一つのステップで気付けます。毎回のレッスンでどんどん身につくということはなくて、一年やってその中の一回気付いたらそれをキープしていくことが大切です。
そのために数をこなすということです。基準を持っている人であれば回数そのものは問わない。普通の人は、何回も繰り返すことによってしか気付けない。より正しく、鋭くしていくために練り直すのであり、甘えになったりしていくとダメです。
客にはリラックスしてもらってもよいのですが、作品の中でリラックスしたらダメです。自分でマニュアルを作っていくのです。そのストレスや緊張感を持ってやっていくのです。
技術が伴ってくると自信になってきますが、本人がだらだらしていて、相手に伝わるものなどありません。マニュアルにとらわれないで、そこから自分がどういう工夫をするかということです。これがスタートです。
自分が立って、自分の最高のことができる場所や時間に対して敬意を払っていくことです。それを雑に考えるくらいなら、もっと別のことを大切にすればよいのです。自分が歌っているその場がステージなのです。時間の話ではなく内容的,気持ち的な話です。
ここでも材料を提供するようにといっています。その人の存在感があれば歌なんて無条件で聞いてもらえます。媚びになったらダメです。自分が生きてきて、心を揺さぶられた経験、それとここのステージとを切り離してしまうからいけないのです。それが集大成されたものがここに出なければいけない。勝手に出る訳ではないので、ある程度集めていかなければいけません。感性や作品を磨くというのはそういうことです。歌というのは、その人のポリシーを問われていくものです。
選曲に関しても、どれだけの曲の中から、その自由曲を選んできたのかということも見えないです。そういうことは今からやっておかないとダメです。2年後、3年後のために課題曲,自由曲をマスターしていくのです。50曲できたら49曲はおちてしまうと考えて下さい。
そういう中で厳選されたものを出していかなければならない。この辺の差は3年目くらいでものすごくついています。たくさん曲を覚えていればよいというのではなく、日頃のそういうことのつみ重ねです。声が出たり、音楽がかかったらそういうことができるのではなく、今からやっていくことです。年齢のない世界ですから、キャリアをどのように積んでいくのかということです。
人間は弱いときにしか感じられませんから、自分の弱いところを大切にしなければならない。そういうところが全部みえてくるから面白いのです。底の底まで見えてしまいます。でも、本当に底が見えてしまう人の歌は通用しません脱皮することです。
日常の中で変身してみることもよいかもしれませんね。そういうものが反映してくるのです。自分のことを知っていくことです。人に伝える以上、瞬間的なパワーが問われます。それを絞り出すようなことをやらないと難しいと思います。
表情などどのようにして使っているか見て下さい。音響よりも、その人間を見て下さい。
歌い手の役割というのはお客さんを元気にさせることです。何か目覚めさせるということです。ポップスに関してはそういう意味で単純なものです。だから単純にできた人はよかったのではないかと思います。打ち上げていかなければいけません。曲でムードをつくるためにもある程度パワフルなものを選曲していった方が有利かもしれません。
舞台に関しては大きな舞台で歌う歌、小さな舞台で歌う歌があります。ここの場合は、ここの観客より、壁の向こうに歌え、といっています。言葉の世界はあまり伝わらなかったのですが、その他の音色やリズム,表情等が伝わればそれでよかったと思います。あとはこのペースを保って下さい。
自分の中であふれてくるものを問うことをいろいろなところでしているかどうかということです。②クラスはある程度、硬い殻が取れてきています。自分で少しずつ歩いているうちはまだ間違った方向には行かないと思います。その辺がものになるには時間がかかるかもしれませんが自信を持って欲しいと思います。
今の音楽の市場というのは観客がいるようでいて、いないのです。だから、やはりつくるしかないのです。そのためにはパワーが必要です。要は自分の足元をきちんと掘っていくことです。オリジナルというものはわからないもので、評価しにくいです。ただ、キラキラするものがあればそれを一つかかえて、その完成度だけをより高めて欲しい。そのときパワーを犠牲にしていよいということではありません。
歌をまとめようとか、働きかけようとかそっちの方向に行くと足元ではないところにいってしまします。ウソさえ消してしまえば、一歩,二歩踏み出せる。そいう意味で②のところはおもしろいと思います。③④クラスになるとなぜそれが停滞するのかというと、迷うからです。違う意味のウソになっていくのです。歌や音楽に正解を求めないで欲しいと思います。
人が感動するときには、その背後に必ずパワーが支配していて、その信頼関係が結ばれて、そのときに溜息をついてみたり、フッと抜いてみたりしたときに動くのであって、最初から狙ったってダメです。人を参考にするというのは大切ですが、主体性を持って自分で煮詰めていくことです。人を利用してもよいのですが、それに預けるな、ということをいっておきたいと思います。
リアリティが出ないというのは、より基本のことができていないからです。ウソを正解にしてしまわないで下さい。自分の足元を煮詰めることをしないで、周囲に目がいってしまう。そこでそれらしいものを見つける。それっぽいことは出せるかもしれませんが、私から見たら方向違いのものです。
自分自身に場をキープできるエネルギーがなくなってくると、他のものの方がよく見えてきます。自分を煮詰めるために、多くの人や歌、そしてこういう舞台をきちんと利用してほしい。ようやくスタートラインなのだから、自分でチェックしていかないとすぐ周りに押しつぶされてしまいます。
皆が観ているアーティストが見に来ていると思えば、まねもできないし、そういうときに何ができるのかということを、そろそろ自分のキラキラした部分と結びつけてやっていくことです。そういう人達と境界をつくり壁を作っていると、自分の能力を下げたところでコントロールするようになってしまします。プロになれる人はそういう限界をはずす努力をしているけれど、あまりそういうことを見ないというか、言葉の中で考えていない人が多いような気がします。熱中すれば時間も寝食も忘れてしまいますが、そいうことです。
アメリカに行っているトレーナーがいっていたことですが、「上をみて、上に昇ろうということがおかしい。それを考えた時から進めなくなる」より自分であり続けなければよいということです。それが一番難しいのだと思います。
フレーズ一つにしても、「ハイ」ということにしても、洗練していくことです。それは2年も3年もたって声が完成されたら入れるのかというとそういうことではないのです。やはり存在感を問うていくことです。歌に出会う、音に出会うとい経験を積んでいったら少しここで存在感が出てくる。それを、どこの世界でも積んでいくことです。好き嫌いを超えて人を感じさせたらよいのです。
今は一歩二歩のところですから、そんなに大きく間違うこともないでしょう。自分を突き詰めていけば感覚が洗練され、体が強くなることにより、よけいなものが落ちていくはずです。声を強く出せといっていますが、邪魔をとっていくことです。自分のキラキラ輝くものをパワーで出すことです。それがたとえ汚いものでも量があればすごいです。芸術の世界はそんなものです。ただそれが洗練されていないとダメです。
観客をどう想定するかということが難しい問題になっています。プロセスが問えない観客の間で受けたとしても、3年後にそのファンはいなくなってしまいます。特に東京の場合は観客が大人になっていきませんから、難しいものです。そこで自分の観客を想定してやることが大切になります。独りよがりの世界を作ってもらってかまいません。だれにも受け入れられるようなものを目指さないことです。それ以上のことができるのに、そこで皆自分でやめてしまいます。
音楽や言葉との出会いを確実なものにつなげていって欲しい。そのとき、外に正解を求めるのではなく、自分の中にあるものを発掘させるために、いろいろな音楽を聞いて、それを自分に置き換えていくことです。そのときどう感じるかということです。
それなりに落ちついて渋みが出てくるのはよいのですが、気をつけないと先がみえなくなりますよ。練り込むのならよいですが、一つのスタイルに入ることは同時に抜けられなくなるので常に新しい可能性を探って下さい。はまってしまうと、やっているときはバランスが取れていてよいのですが、だんだん抜けられなくなります。若いパワーが出せる人がきたときにタジタジとならにようにして下さい。
ここはアカペラとしての響きがよいのですが、音響が難しいです。場所によっても響き方が違うことがあります。渋みというのは見えないところが出てきているわけである意味ではよいと思います。よい歌というのはそのフレーズ、その歌が終わってから何を残すかです。部分は必ず次の展開を意図している訳です。歌全体だって、歌が何曲かあれば部分になります。何かの表現をしおわって、何かでてきたら全体ですし。
ギリギリに絞り込んで一番効果的に見えないところで伝えられる“ため”、の長さです。ここでは動かすのが歌だといっていますが、歌わされているだけではダメです。動いていることを前提として、そこから何が出てくるかというところからの勝負です。ポップスはリズムが動いていますが、声楽家というのは息がもともと動いているのです。ポップスで体を動かさないでリズムを出すのは難しいと思います。
発声は基本ですが出るところをよりやっていくしかないので、歌から決めて行くしかないと思います。歌と発声とあまり分けてしまうとダメです。発声がどんなにできたって、意味がないということがわかると思うのです。歌い手はズレの部分で個性を作っていくわけです。正確におさえるだけでは、何もそこにつくり出せないわけです。
今日の歌を聞いてみても、作品としてわかるのが一番いいですね。このスタンスで完成させて、全体としても部分としても一つにみえるようにする。材料と、組立が見えてしまうのはよくないです。
そういうところに呼吸や支えが必要になります。そういう意味で原点に戻ればよいのです。音楽的環境として、ここには観客がいるわけですから、それに対してどう指し示すかというのは、他の舞台にいくより難しくないです。ここは見えないものを出していくにもわかりやすいと思います。そこでもっと自分のものを完成させておかかないと本来、マイクや伴奏、音響などをつけてはいけないし、あろうがなかろうが、違うものがひらめいてきます。あとはあまり渋みにはまりこまないで下さい。やはり元気さというのも必要です。
声だけでもっていける歌を歌うのは簡単ですが、そうじゃない歌はできない、狙いが違うのですね。3分間を完全に制御するという感覚の方が大切です。体力気力だけでは何ともならないものがあります。見えないところを感じ、見えないところを見えないままに出していくところでやることです。美空ひばりはこちらの予想を裏切った歌を作っていきます。普通の人も何回かそういう経験はあるはずです。でもそれを間違いだと思って引っ込めてしまう人が多いのです。本当はその先にその人の作品があるのです。自分の体が自由になったときの感覚は違います。
トレーニングは意識して、自分の体にできる範囲でやるのですから、そのときの感覚は出にくいものですね。軽すぎるくらいに感じるときに出ている声の方が本当なのです。それは自分の感覚でしか言いようがありません。しかし誰もができるわけではなく、基本に戻れる人達だけができてくるのです。歌の時は出ている声がより見えないものに働いていくのであれば、それでよいし、その方が自然です。
感覚がないときに上の響きに当てていったりするというのは、他のものを全部捨ててそこに固定することです。もっと自由に動きだしたときに変えていかなければならない。固定観念をどんどんはずして下さい。そのときそのときにできることにより、判断も変わってきます。歌というのはいつもいっているように崖からおちるときのような感覚で作っていくしかないのです。何千回歌ったらできるということではないのです。
アイデアや発想の勝負です。おもしろいものは出ているけれど、本当のものとか、見えないものを練り込むような努力をしないと、通用しません。そこで働きかけている力をとらえて、自分の作品の中で分析していくことです。
今日は歌い手の中で完結しているようなものもありました。アカペラの場合、その中で完結してしまうのも一つのやり方かも知れません。
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【ライブ実習】
少しかたちをかえて、公開にしたり、②③④クラスを縦割りにしています。刺激を与える意味もあります。ようやく新しい体勢に慣れてきました。
今年も、去年のように特別ライブ実習を行おうと思います。
私が外に公開せざるを得なくなったら、そう動いていきます。外に出せないから出さないのです。
よりオリジナルなもの、より新しいもの、より真実なものをやろうとするほど、それを説得させるために、ある意味で完璧さ、絶対的なパワー、インパクトが問われます。まずパワーやインパクトがなければ仕方ないのです。あとでのびるかどうかを見ているわけです。
そういう意味では今回も途中まで、まどろっこしかったような気がします。いっていることはいつも同じです。少し慣れてくると曲の雰囲気とか曲調を出そうとしてしまうのですが、雰囲気というのは出そうとして出るものではないのです。出てしまうものであって、それは歌のそれではなく、その人間のものなのです。そんなところで誰かのものをとってきたり、それっぽい音楽らしいものをとってきても、本来の魅力であるオリジナルなものやパワフルなものを壊してしまいます。それは小細工というものです。
大きな動きの中では効き目がありますが、それらを殺してまで、やるべきものではない。方向性をきちんと定めて、フレーズを作らなければいけないのですが、そっちに頭がいくと、最初から息が入らない、間が合わない。体はその人それぞれの寸法がありますから、それ以上のものは出てきません。全て構成しなくてはいけないのではなく、終わったときに構成されているという風になっていなくてはならない。
前半は、ピアニストのピアノしか聞こえませんでした。いろいろなアレンジがありますが、ピアニストが客と創り出していく世界にヴォーカルが全く反応できていないというのは音楽以前、歌以前の問題です。厳しいことをいうと、こわしてしまっている。ここでいろいろな音楽を扱い、フレーズを回しているのは、音楽の感覚にひらかれていて、その場で反応できるだけの力を磨くためです。
本質的なものを見失わないで、よいところだけを学んでいく。どこか音楽にしなければいけない、どこに価値をつけていくかということです。言葉でも、声でもよいのですが、できれば音で働かせていく世界がなければいけない。それは分析しなくても、心地よいか悪いかというだけです。
ピアニストは音色とフレーズを出しているわけです。それに対して何を出していくか。ヴォーカルは、それを先読みして、急に上げたり、下げたりしてその動きの差をお客さんに感じさせて作って行かなければいけない。同じだったらダメです。同じようにだったらまだしも、それと無関心に歌うのは、言葉をおいていくということはまた違うのです。よけいなことが多すぎるのです。
もっと単純にしないと聞いている方が疲れます。迷っているものは全部抜かさなければいけない。大きな体の流れを壊さないことです。体で1フレーズめ入れた人はかなり少ないです。1フレーズ目でひきつけないものは、その先はないと思って下さい。感覚に敏感になって下さい。ピアニストが入ったときには歌に入っていないといけない。歌の出だしで入っていると、遅れます。
“枯葉”で何を歌ったのかがわからなかったし、残らなかった。曲の良さとか音の表現ということよりも、何をいったのか、どんなストーリーなのかもわからなかった。顔を上げてみたいとも思わなかった。それは、その時点で終わっているわけです。技術にいくのは最後になっていくべきです。技術は大切ですが、それがついていないところの雰囲気は大切です。
魅きつけないと意味がない。歌っている人が多すぎて、感覚を伝えなければダメなんです。そういう練習をしていない人が多いようです。その人の世界をどう展開するかということをやっていって下さい。上手に歌おうと思わず、上や下の人を見るのではなく、自分を見なければいけない。
人間そのものを勉強して下さい。オリジナリティ,才能などです。それを消すことが上達ではないです。手先で弾くピアノのようなものにとらわれていると、歌は全部壊れてしまいます。自分の雰囲気だけで聞かせられる人は体が完全に裏切らない状態になった人たちだけです。そうでなければ、パワーやインパクトを入れないと、伝わらないです。
私でも、声に気を入れないと伝わりません。当人が入り込まなければダメです。そこで凝縮したものが、いつも問われます。でないと音を声に置き換えただけで終わってしまいます。これしかないという表現で出さないと、伝わりません。特に“枯葉”はそういう曲だと思います。
ブツ切れにならないようにして下さい。空気が吸えなくなったら、そこで終わりです。呼吸が止まると、何も起きなくなります。その辺の柔軟性や反射等が自分の歌に出ていません。甘ったれたり、こびたら最低です。当人がそう思っていなくても、体が動こうとしないと優等性的な歌い方になってしまいます。
ライブ実習では伴奏のうねりや、呼吸と自分の歌の世界とをどう織りなしていくかということ問うています。その辺の駆け引きというか、使えるものは全部使って、よりプラスに生かして下さい。表現するのなら、過剰にしていかなければならない。才能というのは残っていくものです。そういう人は、出られる場所を逃さないで出ていきます。レッスンでも舞台でもそうです。そこで一歩引いた人はそれまでだと私は思っています。
人間は必要としなければ身に付かないし、やったぶんだけ出てくる、というだけのことです。自分の才能のあるところをきちんと見つめて、世に問える形になるまで、もっていくところに努力すべきです。だからそれだけ、その人の思想や、考え方,価値観が問われてきます。
日々の精神的なものや、思想がこういうステージのハリや厳しさにでてくるものです。技術は向上させていかなければなりません。それから音が生まれるときを、どう受け止めて、どうつくっていくかということが大切になります。
世の人が認めるレベルというのは、上手い下手よりもその人の迫力です。歌になったら、それを感覚として出さなければいけませんから、それを磨いていくプロというのは、何を人に与えられるかということで練習します。自分の歌をテープで聞いたりして、よくわかっていかなくてはいけない。
「壁の風景になるな」といっています。歌を歌って終わってしまうと思わないことです。もっと人間のことを学ばなければいけない。最初の5年でみえるところはみえる。いろいろなことを誤っても、あと5年くらいで確立する。しかし、大切なのはそこからなのです。意味がなくなってから意味が生じるからです。感覚というのは見えない。見えないところが見えてくるのではなく、見えないものが見えないまま出てくるのです。そこにすごく時間がかかります。
たとえば話の内容がどうだったということではないのです。その人間を信じさせる力というのは、違うところから出てきます。そこを固めないと本当はダメなのです。歌って伝えるのではなく、歌わないで伝えるのです。そこが全部抜けていたら、アイドルと同じです。音のところしか歌っていない。音を伝えるということは、音がなっていないところで伝えるということです。音がなることで音のならないところが見えなくなる。だから感じる。
一つの動きで伝わるものです。たった三分間です。、自分の皮膚の感覚を入れようとしたら人間は入れられるものです。歌がダラッとしていて、人様にそれ以上の感動を与えられるというのはおかしな話です。実力というのは信じさせる力です。自分の過去を振り返って、絶対できると思ったことはできる。できないというのは、必ず努力がたりないだけです。できる人は運や、才能ではなく、そういうことをそれだけやているということです。その瞬間のテンション,表現力,モティベートがなければ、生きている意味もない。一流の人間というのは、歌い方や時間のかける度合いで計れるものではありません。時間は助けてくれるのですが、みているところがずれていたり、やっているところがずれていてもダメです。
もっと大切なのは行くところです。こういうものを研究所や人様に任せないことです。音楽性や才能で日本人で勝負出できている人は少ないです。楽器の人はうまい人が日本にもごろごろいますが、ヴォーカルは他の要素が入ることによって、音楽的な要素は弱くなってくる。
もちろん他の要素が入ってそれでできるのであれば、それで問題ないと思います。必要なものは何なのかということをもっと考えなくてはいけない。それが皆同じではないのでおもしろいのです。1年半や2年でも、それがみえるのですが、それを伸ばす手段が難しいのです。
当人が自分の体が理想通りに動く瞬間を覚えていてもその延長のことがそこでできるかというと当人がその感覚をよみがえらせる努力をしないとダメなのです。息を吐いたり、体づくり、音楽の勉強もきちんとやっていたら悪くなるはずがないのです。それと基準をきちんとみるということです。
私には10人くらいの基準があるのです。自分がわからないものに出会ったとき、客観視するのに役立ちます。いろいろ勉強すれば持てるはずです。
声だけでも、歌だけでもダメです。たとえばミルバがこのステージに来たらどうするか。だけど自分は違う、それをミルバが観たら何というか、考えてみればよいのです。何人かのヴォーカリストをきちんと入れていけば本質的なものをはずすということはなくなる。自分でそうやるはずだったものがステージにもっていくと、その問題自体、曖昧になっていく。だから音楽基礎などの授業もあった方がよいのです。
本当のトレーニングというのは全部が終わったと思ってはじめて、トレーニングになってくるようなものです。努力してあるレベル以上の選手になれば、すぐにできてしまうといった天才型の人間よりも安定してきます。天才は自分がなぜ成り上がったのかというプロセスがないので、くずれるのもはやいです。いいも悪いもないのですが、結果として歌い手であれば、歌の中によいものを込めるべきです。
それが出せる人はそれだけやっているのです。時間の問題ではありません。見えているところが違うのです。きちんとみえたものを、次に確実にして取り出せるようにするというプロセスが必要です。
ステージは小さくならないように、気をつけて下さい。一曲,二曲で問われるものはどんなに小さい歌でも、その人間が前に出ていなければ印象に残りません。終わってからどういうふうにするのかを考えて下さい。歌と自分との距離があっては、人ごとのような感じがします。