一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

ステージとライブの実習とは    791

ステージとライブの実習とは     791

 

 

かつてのライブ実習がマンネリ化してきたせいもあって、

今年は後半からノミネート制にして、2・3カ月に一回オープンにしています。

なぜ一般オープンにしないかというと、そういう気にならないからです。

 

かつて、レッスンを見ていて、歌でも聞きたく思い、ステージ実習が始まり、

伴奏をも加えたくて、ライブ実習となりました。そして、もっと回数を、で増えてきました。

私のこの心が世の中だとすれば、私の心がもっと、でなくなれば、当然、機会は、減ります。

それが、世の中というものです。ここが、世の中より甘くてよいのでしょうか。

 

一部で機会を減らしたことへの批判もあるようですが、

ここのレッスンにライブがついているなどとは、記していません。

これは、ここでのことでなく、世の動き、私の心の動きなのです。

むしろ、批判すべきは、先輩たちがそうして獲得してきた機会を

失わせた自身でしょう。

 

 

私のこの心を曲げて、形式だけを維持しようとするなら、

その辺のスクールの発表会や自腹を切って集客するようなライブハウスの運営と同じになります。

それでよいのかと、尋ねたいです。

 

主宰者の私さえ聞きたくないものを

ここの仲間や一般の人が心から聞きたいと思いますか。

ここで通じたら、どこでも通じるという基準を失うなら、

ここの存在意義も、ここにあなたの存在意義もありません。

 

どこでも通じる力があれば、それは、公園や体育館などで、

歌など期待していないような一般の人の前で、歌えばよいのです。

歌ったら、大きな拍手と、アンコールがくるでしょう。

人だかりができるでしょう。それが、求めるべき実力でしょう。

 

 

真の歌は、そういったもののはずです。

そうでなければ、お金を払っては、聞いてもらうことになり、

聞く人の時間を奪うことになるのです。

そうではなく逆に、価値ある時間を与える、

それこそがあなたたちのめざすアーティストではなかったでしょうか。

 

一流のアーティストは、何もプロフェッショナルな演奏家と上質な舞台で

歌うからすごいわけではないのです。どこで歌ってみてもすごいのです。

 

ここのステージは、それを一曲か二曲で、そのなかの一つのフレーズでも

やってみようということでした。

ただ気持ちよく歌いたいなら、カラオケにいきなさい。

ここは、一流のアーティストとの接点を一瞬でもつける、

経験することをめざす時空なのです。

 

 

作品というのは、レッスンでもそうですが、ライブでは、

なおさら、一つの場の雰囲気というのが大切になります。

客が甘いと、アーティストも、だんだんごまかし飾るようになります。

客が厳しくて、アーティストよりも、勉強していたら、それは通じません。

いつも、全力でやることです。客の求めるものの上をいくことです。

それには、常に自分より上の人たちのものを学べる力がなければなりません。

 

だから客も勉強しなければならないでしょう。

ここは勉強しているアーティストと客がいるので、厳しい場です。

長年、いる人もいるわけですから、昔の方がよかったなどと比較されることもあります。

 

実習の場合、課題曲も与えられます。比較とオリジナリティの発掘のためです。

ライブ実習は、いつものステージより音響や伴奏がつくのですが、同じ場でやるということに変わりは ありません。それを使いこなせず、助けられる、つまりごまかしになっているなら、中止は当然です。

そういう意味で、気づかないのは、鈍感すぎます。

この場をどのように、これまでの人が変えてきたのかということをみてください。

 

 

ここで完全な作品レベルとなれば、ライブを公開していくでしょう。

CDもつくって売ってもかまいません。すべて、あなたのものです。

今は、仲間になりたい人を募集したりもできるわけです。

客としての勉強もしていないとわからないでしょう。

ただ、そういう人は、募集せずとも、このように、

よいヴォーカルのいない国では、ひっぱりだこでしょう。

 

一人ひとりの違いがあって、その差を埋めるのはけっこう大変だというのも、

同じ場でずっと続けているからわかるのです。

日頃、客の立場でみていたら、盛り上げ方がうまいプロなどは、いくらでもいるわけです。

それに劣ってよいことはないのです。

世に出ていけないのは、出ていけるだけのものがないということです。

 

ここだから通用する価値観なんてものはありません。

ただ、音や耳の世界に対して、若い人たちの感性も変わってきているし、

学んでいるプロセスも違ってきている。

それに対し確かな基準をもつためにこういうところで作品を出していくことで、

学んでいってください。

 

 

私は、ここで研究に価値が出せる人であれば、ライブステージは当然、レッスンに来たときも、

こちらがお金を払ってもよいと思っています。

歌だってそうですよね。

お客さんが払うのと、出演者が払うのでは、価値が逆転しているわけです。

 

お金が得られたら、それで食べていけます。

お金を払うのなら、それをどこかで稼がなくてはいけない。全く反対です。

 

話すよりも、ライブをみせて、歌を聞かせた方が早いです。

ただ、歌になると、価値判断というのは、非常に難しいのです。

応用だからです。

誰かが好きであっても、もう一人は大嫌いだ、と。

だから声のところまでおりてくるしかないわけです。

 

 

歌えるということよりも、ステージがメインの目的で来られている方も多いようです。

そこで、好き嫌いの好みなどで左右されない絶対的な基準を

私は声そのものでみせているつもりです。これは世界に通じる基礎として、です。

 

私は、いつも客としてもみてしまえることを意図しています。

しかし、皆さんはステージ側に立ったとき、

何をするのかということで考えてください。

常にステージ側からみる姿勢をつけていってください。

 

オープンのライブ実習は、上の人も呼んでいますので参考にしてください。

だいたい出したお金の3倍くらいを返すような活動をしていたら、続けられます。

それはもちろん、曲数や時間ではないのです。

 

 

新たな創作をを出すのは、大変なバクチです。

お客さんがどのように感じたかを聞けることは、とても大切です。

シビアに意見をいってくれる人がいることは幸せなことです。

 

人によって感じ方も違うので、私も勉強になります。

音響、照明など、この場づくりというのは、いつも難しいですが、

最低限のセッティングをしています。

 

ここはアカペラでやるには大変、理想的だからです。

自分の声が響いて、よくわかる。

マイクを使うと難しいですね。

タイプがいろいろと違うので音響の方で、何とか調整していますが難しいものです。

 

 

舞台ですから好きにやればよいのです。

一曲の中に命を入れ、一回狂って死ぬ、ということをやれば、一曲終わるわけです。

これはテクニックではなくパワーです。

そしたら、どんなにへたでもお客さんは許してくれます。

 

やりすぎると、つくりものにもみえますが、まずは徹底してつくるものなのです。

つくりものが本物に見えてくる瞬間を練習でつかんで、ここで出さなくてはいけない。

そのときに、自分が燃えていなければいけない。

 

その熱くなったものが舞台に立ったとき、伝える方向に働かなければいけない。

これが前提です。細かい技術など、誰も見ていません。

 

 

この場では違いを知ることです。

アーティストは誰一人として同じものはありません。

プロになるほど、違っていくものです。大人になるプロセスと似ています。

 

表情、音の処理など、同じにしようとして練習しないことです。

全部違うからよいのです。全部同じになってきたら危ないというより、ウソに近づいているわけです。

 

深め方の違いです。深ければ本当になっていきます。

自分の中で基準をきちんと持ち、外に預けるな、ということです。

それを今回みたいなステージの中から見つけていってください。

 

 

単に違えばよいというのではないのです。

そこに何かが通っていないと、人を説得するわけにはいきません。

人前に立ってやるためには、それをつかんでいかないといけないのです。

 

歌というのは、一回入り込むことです。自分を殺してでも、その世界に同化しなければいけない。

そこに、はまったままではいけませんから、

そこで自分が感じたこと、自分がどうしたいか、何をいいたいか、

ということを示していけばよいでしょう。

 

その作業は、ほとんどの場合、雑です。

どうしようもないなら、突き放して歌えばよいわけです。

前にライブハウスでやったことがありました。

3時間の予定が1時間近く余ってしまったので、一人あたりの曲数やトークの数を増やしました。

そういうことの準備を日頃からやっておいてください。

場に立ったとき、時間を止めること、価値づけることを常に考えていればよいと思います。

 

 

 

最近の質疑応答    

 

1.「トレーニングをしていて、歌がおもしろくなくなってきたが、これではよくないと思いますか」

 

おもしろいことは、悪いことではないでしょう。

おもしろいかおもしろくないで、進退を決めるというなら、まだその世界に入っていないからです。

プロの選手とファンの違いです。

「なぜ、やろうとしたのか」「どうして、続けるのか」

それはおもしろいからにほかならないのですが、このおもしろいかどうかでは、

ファンが、ちょうどグランドに出てみたくらいの感覚です。

本当のおもしろさは、ずっと先にあるのです。

 

 

2.「トレーニングに専念するのに、ステージ実習などのステージは休みたいのだが」

 

歌1、2曲でのステージ実習、ライブ実習くらいのことは、トレーニングの一環と考えましょう。

そこでの結果が充分にできないから、レッスンがあるのでしょう。問い続けることです。

気分や迷いで、あるいは、どんな理由でも前に出ることをしないとき、それは老いたことに等しいのです。

誰も待っていないから自分から出るしかない時期から受け身になっていては、先は厳しいようです。多分、先はありません。そこで出れないから、やれなくなるのです。

たかだか、ここで左右されるくらいのパワーでは、生涯できることもしれています。

ここでやることくらい、早く楽しめるようになりましょう。

 

 

3.「皆とやるよりも一人でやりたいし、じっくりとやりたいのですが」

 

皆、ちっぽけなプライドで、自分をかばってばかりいるのですが、自分をさらして、そこからなんぼの世界です。どこにでも出ていくタレントやお笑いの人のテンションを見習ってください。

本当にその道で力をつけて世に出ていく人は、学ぶ姿勢や考え方ができています。

自分のやった年月やキャリアや地位などに関わらず、いつも初心に戻り、一からものごとをつくり始められるのです。どんな人の前にも、いつでも出られるし、そこでキャリアをつめるのです。

それが童心であり、ものごとをやっていく上で、もっとも大切にしなくてはいけないことです。

いつでも、つくり出せる、その力と自信をもてるような毎日を過ごしてください。

一人での練習はあたりまえ、あとは、どれだけ、他の人にまみれるからでしょう。

 

 

 

 私は、ここで優秀な人たちをたくさん見てきました。

歌のうまい人、声のよい人、すぐれた感覚をもつ人、根性は誰にも負けない人、そして、その後の歩みも、です。成功したり、メジャーになった人は、必ずしも、ここでの優秀な人たちではありませんでした。多くの才能が本人の気づかないちっぽけなおごりやプライドでだめになったのも、たくさん見てきました。

 

また逆に、何もないことを知って努力し続けた人が、自分の世界を得ていくのを見て、本当に無心、白紙にする心の大切さを知りました。プロになりたいと本当に思った人がプロになり、世界で活躍したいと本気で思った人だけがそれを実践していったのです。もちろん、それは、ここの力ではなく、本人の力です。

 素直であることは、器を大きくする条件です。

うまくいかないと思ったら、自分に欠けているものがあり、それをみつめて直す努力をしないといけません。

 

 

 また、仲よくつきあっていく相手によって、だめになっていく例もたくさんみました。

でも、それは、その人が、その人の分相応に身近なところで選んでいっているわけですから、それをもってよしあしを言えるものではないのですが、ここで鼓舞されて、その気になったところではよいのですが、ここを出たら、やはり、元に戻ってしまう人が大部分です。

 

まさに私の述べたワークショップの例と同じです。ここの力でできていることを自分の力と勘違いしてしまうのです。

 

大体、私が思うようになっていきました。

それは、ここに、いつも述べていたことが、どこまで保てたかです。

大体が最初の2年でマックスになり、その後、まわりに認められると、そこから逸れていくのです。

 

 

その凡たる精神や作品をみて、がっかりとさせられます。

そういうことが、うまく“大人”になる方法では、あるのでしょう。

そんなにすぐ、老いたいのですか。もう充分、アーティストとしての人生を味わいましたか。

 

 私が残念に思うのは、「ヴォーカルになりたい」という人も、本当のプロの意識をもてたら、必ずやっていけるのに、自分でやれなくしているということです。他の分野に比べてプロ中のプロの心構えのある人がいないだけのことです。高校生のクラブ活動のトレーニングレベルで音(ね)を上げる人ばかりです 二十代や三十代であきらめても、あと、その2倍以上も人生はあるのですよ。

思う存分、やりましたか。

 外ばかりに目がいき、内に、自分と戦わないところに何を創ろうとしているのでしょう。

 

 

 私は今、ここの皆といるときが、一番、孤独でもあります。

「皆とやる」といえるあなたが、うらやましくあります。

 

また、こういう質問への答えを述べるのは、自分の作品をつくるよりも孤独です。

作品は、待つ人の顔がみえます。

 

こういうスタンスや考え方の違いを明らかにする言動は、スタートを切れない人の耳にも、私の心に、きついことです。

しかし、それも表現への責任です。

おたがいに一歩ずつでも歩もうではありませんか。