一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レクチャー1 プロのトレーニングのために 18946字  792

プロのトレーニングのために  792

 

 

○体力と感性

 

 誰にも同じものを与えて覚えさせていくということは、知識の正誤をチェックすることで判断できる世界でない限り、無効です。

 

ヴォイストレーニングのやり方も人によっていろいろと違います。最初のうちは、すぐに伸びなくてよいと思います。伸びるだけの器をつけていくことが大切です。

 

何もしないと体力はどんどん落ちていきますので、それだけ可能性がなくなります。可能性がなくなる方向にしてはいけません。まずは、体力づくりから始めましょう。

 

 

 もう一つは感性です。こればかりは、できるだけよいものに触れて感動しまくるような経験を積むしかありません。

 

最初はよいものばかりを見て、その次につまらないけれども売れているものも含めて全部、見ていくことです。そのうち、つまらないものが売れていることも、そこに理由があるということがわかります。

 

忠告をするなら、好きなロックや日本のポップスばかりをまねていると結局、振り回されるのです。今やつくられすぎている部分が多いからです。

それに対して、何十年もたっていて、これは一流の歌だと誰もに思われるものを使った方が基準がはっきりとします。作品としてのよしあしよりも、学ぶ見本としての深さ、使いやすさです。

 

 

 頭で考えることはあまりよくないのですが、簡単に説明します。

体があって、横を向いていると思ってください。私は、クラシックのように「ひびき」に「あてる」という考えをあまりとっていません。何十年もトレーニングをして体ができた人が、そこでの感覚でやっていることを、その感覚そのものからは、とれないからです。

 

たとえば「ひびきをここにあててごらん」と言われ、それを感じて練習することも確かに一つの方法です。しかし、同じ体でない限り、ひびきをあてようとするのは、のどをあててしまったり、全然コントロールの足らない息であてようとするために、無理が生じます。

 

それをやるのであれば、相当の時間をかけなければいけません。声楽のトップレベルの人たちがやっていることを、ポピュラーでの初心者が同じことで追うことは、無理です。まずは自分のできる範囲内でやっていくことです。

 

 

○声楽より役者のトレーニン

 

 私は、日本人を見る限り、声楽よりも、劇団などの役者のトレーニングの方が、2年、3年で、声が強くなっている、そういう部分から入ることをお勧めしてきました。

 

声楽家の場合は、声楽を志願している人の何百人に一人くらいしか、そうなりませんが、役者の場合は、かなりの確率で、強い声が身についていくのです。

 

レーニングの成果でみると、早くて確実といえます。歌から入らず、声から入るのです。歌をやっていても声はなかなか変わりませんが、役者をやっていたら3年、5年で声が変わってくるというのだったら、そこまで早めにいって、パワフルな声をもって、歌や音楽に進んだ方が、ポピュラーの場合でいうなら、よいと思うのです。

 

 

○大曲から始めよう

 

 ここでの課題曲は、ギャップを知ってもらうために、まずは、大曲から与えています。

体を使わないと歌えない、それだけ息を吐かないと歌えないことが、いやでも思い知らされるような曲がふさわしいからです。

 

 もちろん、歌えなくてよいのです。歌えたら、即、卒業です。

それを知ったら、半オクターブくらいのフレーズで徹底的に基礎の発声から歌唱を身につけます。1オクターブの歌が、3年くらいで歌えたら上出来という厳しい基準です。

 

そして、上達するほど、1オクターブくらいの曲自体がシンプルなもので問うことになります。ということは、その人がオリジナリティを出さなければ歌にならないという意味で難しいのです。

 

 

2オクターブ近くある歌の方が、最初から最後まで歌えれば、曲が勝手に盛り上がって、1曲が終わるということでは、簡単かもしれません。だいたい2オクターブもあるとがんばりますから、何かが伝わります。

 

ところが、1オクターブくらいの名曲というのは、歌い出したら、そのまま終わってしまうのです。

最初から一瞬も気を抜かないで、伝え続けないといけませんので、大変です。伝える何があるのかが問われます。

 

ただ、日本人にとってみたら、その声域が表現できるということ自体で大変なので、まず声域の問題に対して、難度をなくしていくのです。

 

 

○内部感覚と奥行き

 

 そういったなかで考えて欲しいことは、楽器と同じように音を捉えていくことです。たとえばピアノでも見るだけ触るだけではわかりません。触って、音を出し、音色を感じとることです。

イマジネーションを走らせるのであれば、一流の人たちが弾いているところの感覚、それの内部の感覚を捉えることです。

 

最初は、声を出すことよりも、その感覚を入れるということです。音量をあげて聴きましょう。息づかいまで聞き取りましょう。

 

歌というものを目の前で捉えて、そこで何かをやろうとしては、伸びないからです。歌には、奥行きや深さがあるのです。やっている自分をコントロールしている自分が後ろにいます。

 

 

自分のなかで出ている声が前にひびいたり、きちんとあたっていることは結果にすぎません。目的ではないのです。そこに意識があるのではなく、それを完全に統御している人間が後ろにいるわけです。

そういう感覚というものは、スポーツにも例えられると思います。

 

バスケットボールも、優秀な選手というのは、ドリブルをしていても足もとに目がいっているわけではありませんし、意識もいっていないはずです。捉えているのは、トータルでの感覚です。流れとも言えるかもしれません。

 

優れたプレーというものは、すべて感覚です。自分が体の部分を意識しなくてはできないということは、プレーができていないということなのです。だからこそ、部分のことは部分のことで徹底してトレーニングでやっていかないといけないのです。

 

 

○リラックスと脱力

 

 息を吐いていくことも、筋肉を鍛えたりすることも、ヴォーカルにとって体をうまく使えるようにしていく要素です。

バスケットでいうなら、シュートを何本も何本も打っていたら腕が強くなっていったり、ものすごく疲れてきたりして、力の抜き方というものを覚えます。素振りも同じで、そこから自分のフォームができてきます。

 

 ところが、声というのは、そう簡単にはいかないのです。

声帯は、筋肉といっても直接的に鍛えられるものではないのです。鍛えられてはいきますが、無駄に力を入れないように、ていねいに接していかないといけません。

 

 ですから、声楽家も、最初はリラックスを教えられるのです。しかし、それでは、5年、10年かからなければなりませんし、その教えられたことによって、多分、教えている声楽家以上にはならないのです。若い人でも、声楽家に何年もついている人もいますが、ほとんど超せないのです。

 

 

それは、練習量も違うし、意識も違うということもありますが、結局、それを見本で、そこを到達点にしているからです。目標設定において、無理だということです。どうせなら、パヴァロッティドミンゴなどをめざして勉強していくことです。

 

 野球を覚えようと思って隣のおじさんが朝野球をしているからといって、それを見て練習する人などいません。ところが、日本の場合は、往々にして、歌の世界でそういうことが行なわれています。

ここの生徒にも、同じ生徒のライブなど行く暇があれば、一流のアーティストのに行けといっていますが。そんなところでつるんでしまっていると、伸びないのです。

 

 その時間に一流を聞いてトレーニングしている人に抜かれていくわけです。

それだけ一流を聞いている人がいないし、一流の一流たるところも聞けないから、本当に学べる人が、あまりいないのです。

 

 

○他人の声から学ぶ

 

 まず、一人で主体的に学ばなければなりません。他の人を利用するということは、あくまでそういう人の出したもので学べるものを取り入れていくのです。それは、反面教師にもなります。

 

それとともに、人間を知っていくことです。皆さんが知ってきた人間というのは、たぶん一面的なものです。どれだけの声をもっていて、一人の人間がどれだけの声を出せているのかを知り、それを自分にも求めることです。

 

すべてフィードバックして、自分の中にいったいどんな声があるのだろう、どういうものを伝えるためには、どれがどのように使えるのだろうと考えてください。

体はパーツになっているわけではありませんから、区分けができるわけではありません。

 

 

○基準をもつ

 

 学び方というものは、そうやって少しでもことばで区切っていって、何らかの基準をはっきりさせていくことです。そうでないと、3年たっても学んだような学んでいないようなことになってしまいます。

 

本当のことを言うと、10年単位でじんわりと浸透してきたものが、しぜんと出てくるのがよいのです。しぜんだからです。

ただ、それは、理想で、必ずしも皆がうまくいくわけではありません。

 

 それでできるのであれば全員が一流の歌い手になれるのです。

なれる、なれないというの違いがどこかにあるわけです。もちろん、外国人でもあるのです。

すると、それをどうつかむか、どう出せるかというところに才能が問われるわけです。センスの問題もあります。

 

 

 最近の日本の歌の場合は、何を歌っているのか、ことばからよくわかりません。声も荒れてしまうような歌い手も多いです。いや、荒れるほどのパワーも出さずに歌っているともいえます。

 

一応、ベースのことをプロといわれるところまでやれば、少なくとも自分の中に声は宿ってきます。

世に出ていけるか、出ていけないかは、日本の音楽業界がそういうものに対応していません。別の問題になります。ともかくも、そこから、ようやく練習になるということです。声や音と出会うのに時間がかかるのです。

 

ですから、自分の基準をもたなければいけません。それがなかなか、難しいのです。器用に練習ができたり、トレーニングができているつもりの人ほど、独りよがり、無法に走ってしまいます。あるいは、好きなヴォーカルがいて、それのまねに終始してしまう。

 

 

歌というものはそうではなく、伝えることですから、その人の言いたいことや、生きざま、どういうものに感動して、自分はどういうふうに取り出したかという世界を表現するものです。

ですから、表現を集団だからできるということではないのです。

 

表現できた人が集団になることはありますが、すべて個です。

ですから全部、個として対していってよいのです。

 

私にしても、ここでグループとして向き合う必要を感じません。

個々の歌い手に対しても、そうだと思います。

 

 

○大局からつかむ

 

 いろいろな学び方、教え方があり、それにどうやって気づいていって、どうやって身につけていくかです。スポーツや芸術などの学び方を参考にすればよいのです。

 

希望したら、すぐにここに入ることができたわけですが、芸人だったら、なかなか入門できないのです。ということは、入っても、まだ入門していないのです。

そうしたら、その間にいろいろなものが宿ってきます。その間にもいろいろなものを勉強します。

 

常連で甲子園に出場しているようなところでは、ベンチにも最初は入れません。試合どころか、練習にさえ出してもらえません。半年くらいはそうです。外から見ます。

では、そのときにサボっているのか、練習になっていないのかといったら、そのときが一番、練習になっているのです。いや、勉強に。

 

 

要は、それだけのエネルギーが内にたまるということでもみることができます。

この世界は、こうなっているんだということがわかります。

内に入っても外にいるから、批判性をもち、基準ができるのです。

 

それがいきなり練習でプレーに入ってしまったら、わからないのです。

野球部員が9人しかいないからといって、1年生からレギュラーになり、すぐに試合には出られて毎週、試合に出れたとしても、最初は強いのでしょうが、でも、2、3年後に最終的に負けるのです。

 

何が一番違うかというと、何か起きたときです。伝統のあるところというのは、自信があることと共に、そういうところで培われたもの、下積みがあります。みえないところにノウハウがあるのです。

 

 

想定外の何かが起きたときに対処できます。最低限で犠牲を少なくして、リカバーできます。それは、自分たちで、そのことを見ることができるからです。

 

 たとえば、一つ失敗してもレギャラーを外されるという厳しいところであれば、一瞬の気のゆるみが、こういうことにつながって、こうだと、先輩の痛みが自分たちの痛みにもつながっているわけです。自分が痛みを受けていなくてもです。

 ところが、そうでないところでは安心感もあり、何となくそれでいけるというところもあるのです。相手にあたって、こてんぱんに負けるまでわからないのですが、そのときには遅いのです。

 

スポーツの場合は、まだ勝敗の結果がはっきりしています。これは、歌い手ばかりではなく、タレントさんを見てもですが、若く世の中に出るような人たちは、結局、痛みなしには得られないということが率直な感想です。若く出て、こてんぱんにやられると伸びるのです。

向こうのことばで言うと、No pain no gainです。

 

 

○No give no take

 

 それと同じでプロの世界は、No give no takeです。与えなければ得られない。あたりまえです。

与えたら、次に得られるかもしれないということです。10回与えたら、1回くらい得られます。だから、10回与えていけばよいのです。

 

私も10人に与えたら、一人くらい生き残るかもしれない。それでよいのです。それを、10人が10人といっていると、少しは長く続いても、誰も残らなくなってしまいます。

ここには長くいてくれるかもしれないけど、その世界に一人も残らないなら意味がないのです。

 

そこが皆さんの場合は、一番大きいでしょう。、今まで人間の中でもまれるというような体験や、比較して基準をつけて、自分でゲットしていくようなことは、かなり特殊な人たちではないと経てきていませんから、難しいでしょう。

 

 

 歌い手になることは、特殊なのです。ヴォーカリストというものは、才能です。

だめな人間が、どんなにやってもだめかもしれないのです。ただ、まずそこまでやらないことには、問えないのです。ですから、そこまでやっていけばよいでしょう。そこまでやっていくと、いろいろな意味で豊かになる世界だと思います。

 

さらに歌い手は、現実に生きているのです。歌がうまくても、現実を見ない人がいますが、それはそれで歌が好きだったらよいのですが、現実を見る手段として歌を、あるいは声を、ことばを通して欲しいものです。

 

シンガーソングライターっぽく歌っている人はいくらでもいるのです。

現実離れしている詞を書いているのだったら、そのへんの若い人たちにうけそうな、軽薄な詞を書いていた方が、うけるだけマシです。中途半端なものでは通用しません。

 

 

○最下音とその転換共鳴

 

 最初の部分は、だいたい胸のところです。胸のところからより深いところに入っていきます。

最下音というものは自分が一番、低いところでとれる音域です。

女性の場合は、そういう発声をしてこないとわかりにくい人もいます。ただ、誰でも出せるところです。私が話しているところは、そのポジションに近いところです。

 

それが、歌になったところ、そのままオリジナルの声を歌にしているところが、胸の中心でとっているところです。ここで1年、2年、ねばれと言っています。

役者で深い声をしているところが、下の延長上にあるようなポジションです。

これが、上のところにひびきがしぜんにいきます。

 

「ハイ」と言った私の声はかなり深いのです。

「ハイ」「ライ」と、押さえたり押しつけたところでやっているわけではありません。

のどは、はずさないといけないのです。

「ハイ」がそのまま、深く入ると、共鳴で浮いてくるというわけです。

 

 

○のど声、つくり声をなくす

 

 中音域になると、上下同時に共鳴する感覚になってきます。

高音域というものは、ポピュラーの場合は、どこまで使うかとなってきます。

ここで、2年間、かためることは、1オクターブまでで充分です。

その上のとり方、ハイトーンには、いろいろな音色があって、その人をみてみないとわかりません。

ここでも、いろいろなパターンがあります。日本人のハイトーンの出し方は、けっこう狭められています。昔から、やわらかくて素人の民謡から出てきたようなものが多いです。

 

 

そうでなければ、今のJ-POPのように、のどの負担を避けて浮かせていて、いわば、つくった声で高いところにもっていくため、ファルセットと切り替えがしやすい加工したものです。

これは、音響での加工を前提としたようなもので、かつての男性アイドル、ジャニーズなどが代表ですが、そうした生声ではありません。田原俊彦さんの声ですね。

アカペラでは、通用しません。海外に行っても、声そのものの実力としては認められにくいでしょう。ある意味で発声の原理から、それているからです。コントロールと再生、痛めにくいということで見た場合です。

 

それを使うために、のどを痛めて低い音の方もそれてきます。音感やリズムも確実には定まりません。使いすぎると、喉の状態が悪くなります。

従って、演歌よりも甘くなっています。

今の演歌もずいぶん甘くなってきていますが。

 

 

音感がよいとかリズム感がよいというものは、聞いていて気持ちがよいものです。それは、単純にわかります。美空ひばりさんを聞いていて、何かおかしいなとは思いません。リズム、音程がおかしいとも思いませんが、専門家でもなければ、リズムがよい、音程がよいとも思いません。

 

ところが、カラオ大会などのチャンピオンなどとは、完全に異なる力があるのです。同じ声のなかで、この格の違いは何なのだと思うのです。それらは、総合力、みえないところの違いなのですが、一つひとつ分析したら、声は音波ですから、音をいかに正しくとっているかという分析はできるのです。

 

でも、その音というものがピアノの音に対して、あてているというものではないのです。自分でつくっているのです。ここで狙いたいことも、そういうことです。

 

 

あてている音というものは、ヴォーカルには使えないのです。あてている声は、つくっている声と同じで、みえてしまうのです。

それが全部、一体となって入ってこないといけません。線でとれというのは、そういうことです。

 

コールユ・ブンゲン、コンコーネなどで、正確さを補強するのを否定はしません。

けれど、そうした発声練習が10分の1のトレーニングになるくらいに、10分の9のことをやらなければいけないということです。

 

ほとんどの人は、発声にリズムや音程を練習すると他のことをやらなくてよいと思っているのです。そんなことではないのです。その上で、さらに10倍のことをトレーニングしなければいけません。

音程やリズムも、あてるのでなく、あたるところまで必要です。

 

 

 すると、音源を聞いてもすぐに16フレーズくらいにとれるようにはなると思います。

そうでないのなら、何もできていないということです。

 

楽譜が読めるだけでは、なんともなりません。台本を理解したからといって、セリフや演技がOKにはならないでしょう。先ほど述べた通り、10分の1の力で楽譜くらい読めるくらいに勉強しておきましょう。

 

人と合わせていった場合、プロになってから苦労します。そのくらいはやっておくべきでしょう。どうしても苦手な場合は、楽器を一つくらい覚えておけば、将来的によいと思います。

 

 

 いきなり入ることは難しいでしょうから、「ギターよ」と、ことばで言ってみてください。

「ハイ」となるべく大きな声で、思い切り言ってみてください。一致しますか。

常にステージだと思ってください。あなたの声で、よい材料を他の人に与えなければいけません。自分の表現という実感を得ていかないといけません。

 

「ギターよ あの人に 伝えておくれ」

ことばでも歌でも同じです。それを歌ったあとに、まわりの人が何も思わないのだったら、それは歌えていないのです。声が出ているだけ、言葉が理解されるだけでは、仕方がないのです。

ただ、今は自分のことを確認するために、とりあえず声を出してみてください。

「ハイ」だけで構いません。

 

 なるべく体全体で捉えてください。頭で考えて、いろいろ出そうとしているのですが、その分、体が伴っていません。それを、だんだん一体化していくのです。

少なくとも半年くらいかかると思いますが、なるべく操作をしないことです。

 

 

操作が具体的にどういうものかというと、「ハ」「イ」や「ハイッ」などです。

今まで「ハイ」と言おうとするためには、二つの音を出さなければいけないと「ハ」と「イ」をつなげていました。どこかで勉強してきた人ほど、発音として明確に分けていると思います。

 

そうではなく、耳で捉えて体に入れて、そのまま「ハイ」と言うのです。使っていくのは、呼吸だけです。先ほど述べた通り、その先のことも含めて、すべてです。

音程の練習やリズムの練習になると、どうしても音程だけとる、リズムだけとるとなってきますが、最終的には一体にならないとまとまって出ません。「ハイ」だけでもう一度、やってみてください。

 

 

○トレーニングの条件を絞り込む

 

 日本語の場合は、大きく出そうすると高くなったり伸びたりしがちです。

高くしてさらに大きくするので、急に難しくなります。

 

ですから、基準をきちんとつけるということであれば、条件は一つずつ変えていくことです。☆

たとえば、「ハイ」ということに対して、「ハァーイ」とやったら、これは長くなって高くなって、「ハ」と「イ」が分かれているのです。それを統一してとなると、5つくらいの総合課題です。ずいぶんと難しくなるわけです。

 

そうしたら、同じところでまず、長くするとか同じところで強くするとかに絞ることでしょう。なるべく条件を一度に変えて、複雑に難しくしないことです。

 

 

 なぜ、大きくできないかというと、大きくしようとしたときに条件が変わるからです。たとえば、ゆるい球がきたときに、バットでうまく当てていたのに、もっと強く振ってください、遠くに飛ばしてくださいと言われたら、今度は大きく振らないといけません。大きく振ろうということに慣れていない人はそこで崩れてしまいます。フォームが維持できないのです。

 

「ハイ」と大きく言わなければいけないとしたら、もっと息を用意しなければいけないのです。そこで無理すると、肩やあごが動き、それを使おうとして「ハイ」とやったときに、バラバラに動くのです。こういうことが、次の呼吸を邪魔してしまうのです。

 

これは、最初は仕方ありません。そういうことに慣れていくしかないのです。

慣れるまでは、量をやっていくしかありません。

姿勢を一つ保つことでも、2年、3年かかりますから、難しいのです。

スポーツや踊りをみればわかるでしょう。

柔道でも何でも、小学生と中学生では、初心者と中級者では、姿勢一つを見たら違うのです。

 

 

○口のなかでつくらない

 

 もう一度、「ハイ」をやってみてください。

 それを体でつくるということは、逆に言うと、なるべく口の中でつくらないということです。口の中でつくると、何かと邪魔なノイズもつきます。違う音が加わるのがわかるでしょう。

 

他人のものは、わかりやすいのですが、自分のものは最初はわかりにくいものです。わからなくて構いません。まわりの人が体を使えるようになってきたら、自分が体を使えていないということが、感覚的にわかるようになります。

 それとともに、息だけは入るとか、出せる、体だけは動くなど、いろいろなタイプがいます。これは、今までの生活の中で、息をどのくらい使ってきたかということでも違います。

 

姿勢一つでもそうです。ダンスやヨガなどをやってきた人の方が対応しやすいでしょう。全然やってきていない人は、なぜ、この姿勢で悪いのかと悪いことがわからないでしょう。

わからないから、出た声で判断をしていくしかありません。出た声がひっかからないことです。もっと単純なことを言うと、今やっている基本の練習というものは、仮にここで100回やっても、1時間続けてやっても、全く変わらないようにできるということが条件です。

 

 

 

○ベターな声をとり出す

 

 姿勢も息の出し方にしても同じです。だからといって、ロボットのように「ハイ」「ハイ」「ハイ」「ハイ」と自動的な機械音になるのは、違っているということです。固いのは頭と感性のまひ状態です。

 そうではなく、体で受けとめるのです。ある意味では、鋭く、やわらかいということです。きちっと捉えている。捉えていて、変に力が入っていなければ、やわらかいのです。どんなプレーでもそうです。力でやっていくというものは、通用しません。かたや、力で投げてもよくありません。

 

 しかし、素人の場合は、力で投げた方が、力一杯、振った方が飛ぶように思うのです。そういう段階があってもよいのですが、のどの場合は壊してしまいます。それをバランスを取りながら、自分の体で支えてあげることです。

 

 体を前屈させて「ハイ」と言ってみてください。最初は、背中を下までもってきてから、肩の力を抜いてみてください。3ヵ月くらいたったら、たとえば膝を曲げるなど、自分でやりやすいように変わってきても構いません。

 

 

あごはひいてください。あまり、頭を下げると血がのぼりますので、気をつけてください。足は少し開くとよいでしょう。この姿勢で、お腹の動きを感じてください。横や後ろの部分です。

この状態で、息を「ハ」「ハ」「ハ」「ハ」と吐くと、前よりも横が少し動きます。手を当ててみるとわかるでしょう。あまり触りすぎていても、肩が動いてしまうので、その点は気をつけてください。

 

 これをやったからといって、お腹の横が動いて、すぐに声が出るというわけではありませんが、日頃から動かしておくと、少しでも声を出したり息を吐いたりするときに、横にもつながりやすいのです。

声楽家や声ができている人は、お腹の横やうしろが動きます。これを何回も何回もやっていると足がつっぱったりしますが、そのときにふしぜんなことになっていたらおかしいので、足を曲げたり、体を伸ばしてみたりして直してください。

 

体をいじめるトレーニングではありません。息を吐いていくうちに苦しくなって、くらくらとすると危ないので、最初は休みながらやってください。そのへんは、その人の体力や今までの経験によりますので、一概には言えません。

 

 

○息と体とリラックス

 

 そこから深い息を吐きます。息とお腹が結びつきます。慣れない動作をしていると、いろいろなところに力が入りますから、常にほぐすようにした方がよいです。

しかし、ほぐしながらはできませんので、何か一つやってみて、固まっていると思ったら、そこでほぐすことです。

 

いつも動いているだけが、よいわけではないのです。声もそうです。出しながら考えてみてもだめなのです。まず、考えるだけ考えてみて、用意しておいて、それから出してみる。そのときは、もう思い切り出すしかありません。いちいち修正していたら、変なクセばかりついていきます。やるときは、やるしかないのです。やり終わったあとに、今のはおかしかったからあごをひいてみようとか、直すのです。その迷いがあると、いつまでたっても身につきません。

 

 迷いながら練習している人も、多いようです。声を出すときに、迷うということは、うまく働かなくなることです。間違っていようが、一度出したのなら、最後まで責任をもつしかないのです。

よく歌を歌う前に「ゴホンゴホン」とやる人がいますが、それもクセになってしまいます。

それをやらないと、落ち着かなくなってしまう。そのことはよいことではなくて、逆にのどを痛めたり、のどに負担がくるのです。ですから、思い切りやってみてください。

 

 

 体を曲げてみて、もう一度「ハイ」をやりましょう。息で「ハイ」とつけて、声で「ハイ」と出すのです。

「ハイ」と言っていくなかで、のどに負担のない声を見つけていってください。息を吐くときにも、なるべく深くなっていけばよいのですが、口の中が乾くのはよくありません。

 

声帯も乾いてあまりよい状態ではなくなります。どうしてもふしぜんなときは、休んで少しくらい湿らすことでしょう。ただ、私は人工的に何かを加えることは好きではありません。自分の唾液が一番よいはずです。

 

少し吐き方を考えて、間を空けるなどしてみてください。のどがカラカラになったところで声を出そうと言っても、それは無理です。最初は、どうしてもそういう状態になりやすいものです。さらに、スタジオは、だいたい乾燥していますから、尚さらです。

 

 

 最初に考えて欲しいことは、すぐに声が出なくてもよいですから、それをやることによって、自分の体がこう動いている、体と息はこんな感じなんだという内部に関する感覚、あるいは、足先から頭の先までをリアルに感じとってください。何か特別のことをやらなければ、人は意識しません。だから、こういうことをやります。

 

 ところが、歌い手がやることは、弾かれているものに合わせて声を出すわけではなく、それを自分の体で表現するのです。それが一つの表われとして声になって送られるのです。そのときの表情や体などの動きが内側でとれていなければ、当然、歌も死んでしまうわけです。泣いた顔になって、初めて泣いた声が出ることと同じです。

 

 トレーニングというものは、表情トレーニングなどもそうですが、バカみたいなものでも、そんなことができることを意識するためにやるのです。気の長い話です。

 

 

いろいろな面で、続けていると、それに適した体になってくるのです。毎日やっていたら、それだけ早くなるし、1日休んだら、それだけ遅くなります。

今、何をやればよいのかわからないということであっても続けます。だからこそ続けたらよいのです。ー

 

ただし、声を痛めるようなトレーニングだったら、やらない方がよいです。

体を鍛えたり、息を強くしていくことだけに専念した方がよほどよいことです。

 

声に関しては、今のように「ハイ」でも「ライ」でもよいでしょう。自分の体全体が共鳴してきて、歌には使えないかもしれないけれど、この声だったら8時間使ってもかれないだろうという、一つの強さ、安定したところをもつことをめざしてください。

 

 

 そうすれば、どんなに変なことをやったとしても、そこに戻せば、もとに戻れます。安定したところの基本がないままに、進んでしまうから、間違ったときに、あるとき声がでなくなってしまったり、全然うまくいかなくなってしまったりするのです。

 

 大切なことは、自分の体を知りながら、自分の中にある声と、その声はどうやったら出るのか、s知っていくことです。それとともに、今出している声があっているのか間違っているのか、いや、どのくらいに優れているのを意識していくことです。

 

 言ってみれば、初心者の発声などは、すべて間違っている以前の問題なのです。合っているのでしたら、トレーニングをする必要がありません。これも、どこに基準をおくかで違ってきます。

声の大きさやよい悪いではなくて、基本的に体の結びつきを考えてみてください。

 

 

初心者で合格という基準は、体が結びついていて声が出ていることです。男性の場合、今まで低い声や大きな声で話していた人は、比較的、有利です。そうではない人にしてみれば、半年くらいのギャップがあるように感じられるでしょう。

 

そこをきちんと直していかないといけません。ですから、本格的に歌に入るのは、遅くなってしまいますが、歌に関しては、音感やリズム感を学びながら、よい歌を聞いてください。それを一ヵ所でもよいですから、自分の内部の感覚で、再現まではいかなくても「これって、こうつかんでいて、こうなっているんだ」と、自分の感覚の中に受けとめていってください。

 

 

 発声教室やヴォイストレーニングをやるようになると、却って間違えてしまう人も多いのです。

ここでは、本音で言っているので、判断としては一時、わからなくなるでしょう。

ただ、どこかの教室で「毎回、わかってきました」というのは、だいたい、大した力にならないことです。

 

先生もやっている人も安易に上達を考えているのです。そんな右上がりのノウハウはありません。

そんなものがあれば、そこで学べばよいのです。何の苦労もしません。

真の上達が、何でそうではないかというと、人前で価値を問えることをめざすからです。

そのことで、試行錯誤をしなければいけないこと、一人ひとりが違うからです。

 

私も皆さんの声は瞬時に判断できても、体から出てくる本当の音色は、半年くらいかからないとわかりません。本当のことを言うと、最低で2年間は欲しいところです。マスターでなく、自分で学べるようになるところまでで、です。

2年間みたら、3年後、4年後に会ったときに、調整することはできます。

それだけ変わっていくもので、深いものです。

 

 

基準というものは、きちんとあります。今やって欲しいことは、根本的、本質的なことです。

たとえば、スポーツの試合、本番では、サッカーなら、ボールを蹴って、ドリブルやパスして、シュートでゴールに入れればよい。しかし、ゲームの本質は、そんなものではありません。

 

バスケットでも、カゴに入れたらよい。サッカーと違い、手を使えます。

ところが、実際、コートに入ったら何も動けなくなってしまうのです。

 

何が必要かというと、これは、できるだけ相手に邪魔されないエリアに自分が出る、陣取りゲームだという本質を捉えることです。となると、全員の動きが肌でわかる感覚と、うしろを見なくても、きたボールをとって、ゴールへ動けること、そういう感覚と実際の身体能力です。☆

 

 

 

その感覚や身体能力が大切なのですが、いきなりゲームに入って、できるることではありません。

それを外から見て、客観的に判断する時間と、それをワンツーワンやスリーオンスリーなどシミュレートで覚えていく時間が必要なのです。もちろん、トレーニングのための時間もです。

 

声や歌も同じことです。声を出して、言葉にして、リズム、音程をとればよいのでも、誰かの歌うのをまねしてマスターすればよいのではないのです。☆

 

それを急いでしまうとよくありません。

そこでは本当にじっくりやってください。

見ようみまねのプレーが一部の歌唱のレベルですが、ダンスや演習でもたせることもあるでしょう。

これでは、あくまで声、歌唱から見ていきます。

 

 

 課題曲や課題のモノトークが、そういうメニューの一つです。

優秀な人は、モノトークを10回読んで、できるかもしれません。しかし、それをあえて1000回、自分ができないと思って練習するのが本当に優秀な人、学べる人です。

 

100回もやったら、ほぼ覚えられるでしょう。覚えることや間違えなくいうことが目的ではありません。

こなせたらよいのではなく、伝えられるかです。

 

問題は、常にそれをやっているときに何を得られていくかということです。どれだけあとで応用できるだけものをつけるかが基本のトレーニングです。

一つ与えられたときに、それを千回でも一万回でも真剣にやったところで、他の人が気づかないものをどれだけ気づくかという勝負になってくるのです。

 

 

 最初は、ゆっくりやっていきます。ある時期、難しいことが入るレッスンをやりますが、どれがよいレッスン、悪いレッスンではなく、皆さんのなかでどう組み込んでいくかです。こちらが決めてしまわない方がよいのです。

 

性格もあれば、急いでやりたい人もいるでしょうし、間違っていてもよいから、体の力で思いっきり出したいという人もいます。いくところまでいけばよいのです。

間違えても、のどが痛くなって気づくでしょうし、大きな過ちになるまえに何とかします。それも一つの経験です。もちろん、トレーナーがついたら、それは避けさせるでしょう。

 

プロだったら、皆、安全に歌えてきたかというと、そんなことはありません。喉を壊して、それを治す経験をしてきているから、プロでいられるという人も多いのです。気力が勝ってしまったら、壊します。

スポーツでも、他の人よりも力づくルにいこうとすればそうなるでしょう。それを恐れ、あれもだめ、これもだめでは、変わりません。

何年たっても、味も素っけもない歌で終わってしまうのです。

 

 

 本当に、自分に自信をもてるようになって欲しいものです。そのためには、誰よりも練習した、しかも中身の濃い練習をしたという実感が一番です。それのきっかけをここはもたらします。

 

他の人の10倍、間違っていてもそれだけやれば誰よりも身につくだろうくらいに考えて、やればよいのです。最初は、よくわからないうちは、量の勝負だと思います。

 

そういう感覚で、今までとは違う、ここで出せる作品として仕上げてください。

 

 

歌を1フレーズずつ学ぶのではなく、1曲単位で捉えるのです。

1時間のレッスンのなかで、新しい曲を与えられて、何かを出せることは、今は、ものすごく難しいことかもしれません。

 

でも一流のプロなら、それなりにこなせる、そうであれば、そこに挑み続けるのです。目標を下げてはなりません。☆

続けていったら、それなりにこなせるところまでは、できるようになるのです。

 

最初は、間違えるし、音程もとれない、リズムもとれないという状態です。カンツォーネシャンソンなどで不慣れなものは、メロディさえとれないでしょう。

外国語の発音と同じくらい、リズムやメロディも難しいものと知ることからです。☆

 

 

わからないから、レッスンに出ないのではなく、だから、よいレッスン、最高のレッスンだと思ってください。☆

そこまでのギャップを最初に与えられるようなレッスンの場は他にあまりありません。役者なら、いきなり舞台にあげるような荒療法でしょう。

 

それに対応できない限り、真の能力がついていないです。何より、そこまでのレベルにいっていないことがわかるのです。これがわかることが重要です。☆

 

ですから、難しいレッスンや厳しいレッスンは、なるべく出てください。できることなど期待していません。できるようなら、即、卒業だからです。多くのレッスンメニューは、それを支えるものです。

 

 

 レッスンでも、これをやれ、これはだめと制限されてやっていくものではありません。皆さんのなかでイマジネーションを膨らませて、つくっていくものです。そのつくり方をレッスンで伝えているのです。

 

他の人はこうやっているけれども、私はこうやっていくと打ち出していくことが、創造的な表現への取り組みです。その方法論を学んでください。☆

 

そこは、なるべく自由にやっていきたいと思っています。それができないと、そこから期待以上のものが出ないと、おもしろくもなんともありません。

 

 

理想の創造的なレッスンとそのためのレッスンと、その二つをきちっと使い分けていってください。

とにかく、最初は、私の方がずっと待っている段階です。

 

今の皆さんの体の固さと息を吐く弱さでは、どこにいってもたいしたことはできません。せいぜい「ハイ」や「ライ」です。

そこで、半オクターブできるということでしたら、声は宿ってきます。それからでよいのです。

 

そういう人たちは、歌のレッスンに入ってしまえばよいのです。

今度は、歌から、オリジナルのフレーズに挑み、自分の何が出てくるのかを学べばよいのです。

 

 

 ここは、単純に言って、2つのノウハウがあると思います。

まず、オリジナルの個性に関するノウハウです。

 

今の日本人の普通の人の声はともかくとして、自分の中に突き詰めていって、完全に体が使えれば、空手と同じようにそういう声が取り出せるというところです。

 

これは、役者や声優が、ここに学びに来ている根本的な理由だと思います。歌手からすると、すぐに歌うのでなく、役者の身体、言語能力を得てから、歌えということになります。

 

 

もう一つは、その声でなければ、処理できないリズムや音感などの複雑なものをシンプルに捉えてパッと出せるフレーズです。これは、その人の呼吸でなければよくありません。

 

ですから、全員が同じということはあり得ません。全員が同じようになるということは、全員が普通、適当、犠牲になっているということです。

合唱団のように、トータルのバランスで誰かに合わせているのです。

 

自分のものを突き詰めていかなければいけません。自分の声も知らなければいけません。

最初は、私の方がわかっているとしても、そのうち、自分の声については、自分で知らなければいけないのです。それを両方やっていかなければいけません。

 

 

私もこなせない、いや、つくるのですから、私のと同じは、ダメなのです。あなたのではないからです。

どんなにレベルが低くても、あなたのが出てくればよいともいえます。

オリジナリティが価値です。そして、オリジナリティこそ何にでも勝ちます。いや、争う必要さえない。

 

レッスンで年に何回か感心するときがあります。英語やフランス語などでフレーズコピーするのが、簡単にできて、私自身、聞き取れないのをできるほど耳がよい人や発音のよい人もいるからです。また、独自のフレーズが出てくることもあります。私がまねできるものは、ここでは価値がないのです。☆

 

つまり、私が教えている場ではないのです。いつも、私が最低限、私以上にできることが基準、私がここにいるのは、そのためといってきました。

それでも私は声づくりに10年以上、すべてを傾けてきたので、私レベルの声には、簡単になれません。でも歌手は歌やステージで勝負、プロの歌手や芸人の、その経験に私が叶うはずもないのです。ですから、教えるのは、声、歌唱にまで広げているのは、結果を声で問うのは難しいからです。⭐️

 

 

 私のレッスンは、オリジナルのフレーズを中心にやっています。一流作品の一フレーズとの違いに学び、創造するためです。

 

声は時間が、かかるからです。また、声というのでは、結果やプロセスが、武術の型のようにわかりにくい、いや、一般の人に伝わりにくい。武術なら、試合が一番わかりやすいでしょう。セリフや歌にして、伝わるかが判断できるし、実際にそこで実力が問われます。

 

何年でできるという保証はできません。

声は、歌唱や演技に必要なところまで身につけたらよいのです。自分で決めてよいのです。

何回とか何ヶ月で誰もができるというようなカルチャー教室ではありません。

 

 

「ハイ」だったら、半年、あまり声を使ってこなかった人の場合は5年かかってもよいと思っています。ただ、できてきたのだったら、できたなりに使っていかなければいけないのです。

いつまでたっても球拾い、キャッチボールでは仕方ないのです。

 

それを試合でなくても、模擬試合、簡単なシミュレーションで出して、どこまで通じるかということを考えながらギャップを埋めていきます。

 

どこがよくて、どこが日本的にクセをつけていているのかを知るのです。どこが外国でも通用するのかは、1曲の中でも分析できるのです。そのような感覚が、自分に入らない限り、自分の歌に関しても客観的にはみれません。

 

 

なるべく、聞く機会、そして、その判断基準を考えていってください。

これは、歌における価値観のことを言っているわけではありません。

私自身は、価値観を外しています。

 

自分の価値観を言うときは、「私は嫌いだけれども、ここは優れている」と、ことわります。それは、そのうちわかってくるでしょう。私、そして、この研究所は、どこよりも公平だと思っています。

 

 わかりにくい人は、昭和30年代、40年代の日本の歌から入ってもらいたいです。世界でいうと、戦後、ピークは、1960年代です。

 

 

皆さんにおすすめしている歌唱フレーズの中から、学んでください。

今、フィットしなくても、声と体と息の強化ということを考えて、自分に移し変えるようにしていくことです。そのイメージで練習していってください。

 

 今までやっていたこと、聞いていた声、出していた声も、そんなにベストなところでは使っていないのですから、それを変える、バージョンアップするのです。

今まで聞いていた声より、よい声、いや、魅力的な声を、です。

 

オペラでもなんでもよいですから、今までよりもたくさん一流のものを聞いてください。

できれば、今まで使っていた声よりも、深い声をたくさん使うのです。

めざす声というものは、いくら話していても疲れない、のどが開いていて、体から出ている声です。

皆さんが「ハイ」と言ったとき、どこにも引っかからない声と比較的、近い声です。

 

 

 今、なぜそれができないかというと、息、体が支えられないからです。

合理的にコントロールされて使われていないからです。

 

これは、どんなにスポーツをやっていても共通してわかることです。

ベテランと初心者では、まったく違います。どんなスポーツ選手でも、他の競技は、すぐにできません。もちろん、共通しているところでは、有利です。マスターもスポーツしていない人より有利です。現役ならなおさらでしょう。

 

私もスポーツはやっていましたが、若いときでも、本格的な声楽のレッスンでは、初めは15分くらいでめまいがしてきました。最初は、10分でも大変だと言われましたが、本当に10分が大変でした。

それは、姿勢をキープして、すべてをその声に集中して出すからです。

 

 

スポーツとは、筋肉の使い方も違います。

とにかく息を吐けるようにしておいてください。どんなに息を吐いても、この中で誰にも負けないくらいになってきたら、2年くらいたったときに、それなりのところにいくと思います。

 

 息の吐く力、コントロール力は、最後まで問題です。

日本人ヴォーカリストも、向こうの人たちに比べたら、浅く弱いです。

 

平常のペースで、向こうがプロの歌い手、こちらはアマチュアの初心者のようなギャップ、息でそれだけの差があります。

 

 

これは、言語の差からです。英語やイタリア語のように、息を使わなければいけないような言語を日本語の場合は必要としていません。民族の差といえます。

 

ですから、そんなところをやってみてください。レッスンでは、単純に体の動きを感じるということと、息から声にするということでよいです。そのことを続けてください。

 

それから柔軟体操です。体を柔らかくしておいてください。姿勢に関しても、通用すると思います。

何かが宿ってきたら、外側からみても立派に見えてきます。顔も輝いて見えます。

そういうふうになってください。