レッスン感想 797
空間芸術。音と音とのあいだで、その人の個性が出るということ。とても心に残った。声を出していないとき、休符のときも常にリズムを感じていることが大切だと思った。少しでも気を抜いてしまうと、そのあとのフレーズにダラッとした気持ちが出てしまう。
あくまで掘っていくのは自分の足もとだということ。ただそこを掘り進んでいくこと。つまり、一流の穴があるとする。それを見てその穴の中に入り、この穴はすばらしい。こんな穴がありますよと宣伝してもしようがない。また、一流の穴に向かって掘っていくのも間違っている。そんなことをしているから、穴の中にどっぷり浸かってしまって、出れなくなったり、掘っていく方向が曲がっていって、穴が不自然でいびつなものになる。また、自分の穴を一流の真似をしてそっくりに掘ってもダメだ。あくまで参考にすること。一流の穴の掘り方を見て盗むこと。どうしてその穴を掘ったのか。その穴でないといけないのか。その穴のにおい、味、空気の感じ、風を感じて生かすこと。それを知るにはその深さまで自分の穴を掘っていかないとダメで同じ深さのことしかわからない。でも、一流の穴は果てしなく深く、私もそこまで掘り進んでその感覚を味わいたい。例え岩のような固さでも逃げないで掘っていくこと。それをやるために体を整えること。直進。直下あるのみ。小さい穴でも深く深くしていくこと。
腹式呼吸がやっぱりまだ身についていない。
たくさん入れることに心うばわれているのだろうか。たくさん入れようとしている。腹式呼吸を体に覚えさせるために、この体にたくさん入れよう、と思うことは捨てよう!もっと腹に入ったか、胸に入っちまったかの感覚だけを鋭くさせよう!
意識は息を吸おうではなく、腹に(入れよう)!仰向けになった状態で腹と胸に手をあて、息でブレスの個所一緒にしながら歌ってみよう。腹に入れる感覚を歌の中で体に覚え、記憶させる。腕の付け根を指で押さえて動くか(胸にも入ってる)、動かないか確認する。
テンションが上がらない。たるんでいる。たるみきっている。歌の中に入れないのは歌のテンションに届かないからなんだ。波を起こそうとする。僕は水面をパシャパシャたたいて波を起こす程度なのかもしれない。一流アーティストは泉を湧き出して根底から動かす。としたら、今日の僕は水面をたたきもせず、遠くからただフゥーフゥーと息を吹きかけているようなものだった。どうしても自分自身を動かせなかった。
声を出す練習と同時に、声を出す前の練習があることを忘れてはいけない。体と集中とテンションなどに「高さ」があって「高い所」から歌に入るということをもっと学んでゆく。声は自分自身を発見する手段になるので、まずは声があってオリジナリティがある(逆ではなく)ことを知る。曲を聞き、感じ、発見することが、とても大事であり、それを元に創造してゆくことである。
あらためて音楽に対する感覚の甘さを指摘された。あれだけ音量で聞かされても、どこをどう判断していいのかわからず。なんとなくは感じる。これかな。と。ただ先生の解説なしではほとんど感じ取っていない現状。
オペラ歌手の歌声について、確かに僕が勘違いして出すような、こもらせたような口先で作った声とは全く違う。深く、するどい。基本的にはポップスと大きな違いはないのか。身体を最大限に使いきっていくとあのもの凄い共鳴をおこすのか。
今はなんだかとまどっている。わかったつもりでやってきて、わかっていなかったことがわかってきて、むずかしさというかすごさ、恐さみたいなものがほんのすこしずつ見えはじめている。一番見失ってはいけないことは、上手に聞かせる技術を磨くことではなくてしなやかで自由な魂と、何としても伝えたいと願うパワー。
フレーズを動かすとはどういうことか。ポイントを押さえてただ動かすだけのことではない気がする。ただことばを並べて強く踏み込んだり、離したりしても気持ちいいと思えない。自分の大きな呼吸の中に全ていれこんでその中でいろいろ動かしてゆくように、もっとからだの中にある感覚の気持ちよさみたいなものだと思う。プロがどれだけ大きな呼吸の中でとらえているかわからないけれど自分のやっていることは違う気がする。1拍目にアクセントを意識して歌ってみたが、相変わらずのっぺりとしている。私自身の進歩としてはのっぺりとしているということが歌ったときにわかったということ。以前はビデオであとから聞いたり、録音したものを聞いたりしなければわからなかった。それと短時間で英語の曲をコピー(コピーになってないが)することが以前はできなかったのができるようになったのは、リズムやアクセントに慣れたということだと思う。どんなに小さいことでも私にフレーズを動かしてゆくということを体でわかるにはもっと呼吸を大きくしていかなければだめだと思う。やればやった分だけ大きくなってゆくと思う。からだでわかることと並行して楽譜から読みとることもやっていきたい。
メリハリをつけること、ヴォリュームをつけることは本当に体が強くなって強い息がはけないと表面に出てこない歌が立体的に聞こえるということはものすごいことだ。このレッスンでは今の自分の力でどうまとめられるかということを試せる。そして他の人がどう歌うのかということも聞ける。ワンフレーズから学ぶこともたくさんあるが全体をみて部分をみることも必要だ。
簡単なこと、単純にみえるものほど奥が深いし、そういう表現は相当裏に隠されたものがなければ難しい。のどを開いている状態が自然になってきたとともに、エネルギーの消耗も激しくなってきた。いろんなところで息吐きをしたり、トレーニングをするのはいいのだが。お腹がすいてしょうがない。食べてばかりじゃトレーニングできないし、かといって食べなきゃ倒れるし、この体を使いこなすにはとことんつきあいを知っていかなければと思う。飽食の日本にいながらいつも空腹な女。
1拍目で踏み込むには4拍目でエネルギーをためておかなければならない。その繰り返しがリズムを生み出すのだと思う。それには大きな呼吸で捉えていなければ点と点のつながりだけでフレーズになってゆかない。声を出し切ったところで初めて何かつかめるという気がした。息の通っていない声は自分でもよくわかる。息がないということは水のない川に葉っぱを流そうとしているようなものかもしれない。
歌うとき、すぐに切り替えて成り切れないといけない。その際、自分のものをきちっと取り出し(そのためには、自分を知る)、その瞬間・瞬間にぴたっとはまれるようにし(そのためにはいろいろなものを振り切って、決めたもので勝負してゆく精神や根性,容認(受け入れ)が必要)凝縮したものを、集中度を高くしてやっていかなくてはならない。年数やってできてくればくる程、練習できなくなることを知り、(例えば30分中3分とか)やれる時間が短くなるので、質を高めないといけない。声(表現)は、素直に出ているかをチェックしてトレーニングすること。今日は、あれこれ考えないで歌った方だが、まだまだ頭と体に頼ってやっているのが見える、ということ。集中度と凝縮度が全然足らないというのが、何となくだが感じる。まだまだ真似ているとり方をしていて、自分を出していないような気がする。フレーズをまわすまでの数分間の煮詰め方,入り方,整理,高め方の自分のレベルが低いと気づく。それ以上に聞き方、感じ方がずっと足らないということにも気づく。
一人の人間が出す最高のもの。それはどんな感情でその歌を歌っているのか。それは一流も二流もない。それはまわりが言うことであって、自分の中で限定することはない。同じ人間同士で勝負すること。人間でみること。見られること。とにかく前に出続けること。その場の失敗なんて大したことではない。失敗しないようにフレーズやっても何も生み出せていないことを心の底まで入れておく。プロと同じテンションを出すこと。これは本当に大変なことかもしれない。それがだせるようになったとき、何かが始まっているかもしれない。「何かわかんないけどすごい」「すごいね、理由なんてないよ」「いや~すごいね」
リズムをたたきながらメロディを歌うという基本のことがまだできていない。しかし、レベルの問題は別として確実に少ない回数でできるようにはなってきたと思う。リズムを気にすれば声は出ず、音程もとれない。音程や声を気にすれば全く違うリズムになっている。こういうことは慣れていけばそれなりにできると思うが、表現することにはならないと思う。リズム感は体の中に入れ込み、音程を巻き込んでゆく声と体の強さを得ること。このレッスンでは手拍子でリズムをとったのだが体全身で感じて手拍子を打たなければ声だって腹から出るわけがないと思った。自分が一つの楽器となり、全身で表現しなくてはだめだ。単純な吐いて、吸ってのリズムなのだが自分がどのくらい吐けるかということを把握していないため、ブレスの位置もいきあたりばったりだし流れも悪いと思う。
自分の今の体のサイズに合わせることがなかなかできない。小さくまとまりすぎては器が広がっていかないし、かといって自分の呼吸以上のことをやろうとすると崩れてしまう。トレーニングで自分の体が日々変わってゆくということが目に見えるわけではないのだが、やはり今の自分を知っていないといつまでも同じような感覚でしか歌えないということになってしまう。一つのフレーズをどう歌えるのか、いろいろなパターンで試してみること。リズムをたたきながらメロディを歌うということもすぐに身につかなくとも少しずつ前進することを目指し続けていくこと。声の出し方、のどを開いて少しでも深いところから息を引っ張ってきて、声をのせてゆく、息もれしないように何度も繰り返しやることで体に覚えさせること。息をストレートにお腹に入れるというより背中の方に吸い込むイメージでやるとへその下の方に入ってゆく。その方が、息を出す支えを感じられる。
体を使えず無理矢理やることは動きを生まない。気持ち→止まっているように見えるが、止めているのではなく、凝縮している。歌を一つにし、歌と一つになる。→ここでできないことは技術(体も含む)の不足である。そこまで行かないと見えない。歌に振り回され、動かされるのでなく主は自分で決めてゆくこと。中心になりきる。埋まってしまわない。動きを提示してゆく。その瞬間瞬間に提示してゆく→踏切を体に覚えさせる(技術)。そして提示するその時には忘れさせる。根性をすえて正面で受け止めて出してゆくしかない。結果がつきつめられるようなレッスンをする。あいまいにすることは積み上がらない。いつまでもゼロである。鋭く出し、自分を知ること。今、自分にできるだけのことをやったことは認められる。大きな世界に力が足りなくても入ってゆく。精神に感覚をつけてゆく。出したものが通用するかどうか→出していてわかるようにしなくてはいけない。勝負強さ→確実に出せる人に通用するということ。結果としての一瞬を確実につかんでゆくこと。全てのカギは集中度。切り取り方も何回もやって練り込む。意図すること→作りものということでなく最初の思い。この意図したことを具現化できるかどうか→これができるできないということ。いろいろなことができ、聞けるようになってくると基準が厳しくなる。→30分の練習の中でも1分間ぐらいしか本当の意味での練習にはならない。とんなにやっても→より表現しようとしたとき→時間が短くなる。質の勉強をすること。なりきった上での力のなさを知る。声もことばも通じることは最終的な目的だが、中軸を出してゆくこと。ここに自らうさんくさいもの(余分)なものをつけてゆかないこと。より正しい1分を厳しく見分け、とってきた人たちのみ残ってゆく世界。ゆがみを正しくする。自分を正しく、素直に聞く。、
力で押して歌い上げるのではなく、ことばを言いきり、息と一致させることで、入れる・離すという動きをつけるということ。音の動きで伝えるということ。ことばを音にするということを学ぶにはシャンソンはわかりやすい。「ハイ」を言いきるということも同じ。基本にかえるということ。出だし・ピークの前のたたみかけ・盛り上げの動きがつくれるか徹底してチェックしてみる。そこで基本と結びつけトレーニングできるかどうか。聞いている感覚と自分でやろうとしているときの感覚は、レッスンの目的とそんなにずれていないのだと思うのだが、やってみてイメージしたようにできない。まず出だしの1音を言う前の体・息が抜けてしまうのがよくわかる。それからサビのところでは、いよいよピークというところで、ぱっと息が体に入らないためにピークにできず、それをごまかそうと力で押そうとして言い切れなくなってしまう。そういう弱点を基本の練習と結びつける。「ハイ」であきてしまうならことばを徹底してやってみようかと思う。この課題は昨年、ことば読みのとき意味を考えるとあまりに暗くなるので嫌になってしまった曲だ(曲の感じも暗いし)。だが女性ヴォーカリストの歌にぞっとするように魅きこまれるような感じがした。サビのたたみかけもそうだが、最後の「ずっと、」を繰り返すところで押さえて、押し殺すようなあと一瞬にクレッシェンドするところが感情と一致していて凄みがあった。
「前に出ていく」の意味が感覚的に捉えられた。それは押し出すとか目を見開くとか前に乗り出すことではなく、からだの中に起こるゲル状に近い電気的なかたまりというか粒子のようものを一緒に何か神経的なものを含めた自分の全部が声の中に出ていく、流入していく感じ。これがわかると、本番というか表現になったら絶対引いてはいけない、どんな小さな抑えた表現の中にもどろーんと自分が(この出ていく自分もつくていくのがオリジナルだと思う。)たっぷり出ていくことだと思う。ちょうど、この気付きが私に届き始めたところだったので、今日、言っていただいたことは大変有り難かった。
一曲全体の構成のなかで、部分的に「捨てる」こともときには大切。エディット・ピアフやオルネラ・ヴァノーニは、捨て方が上手だと思う(ミルバのようにほとんど「捨てない歌手もいる、ボクサーに例えれば連打が強打でくるようなもの)。ただし、一流の歌手が歌った名曲のなかで、最初の1フレーズを捨てているものは、僕の知る限りひとつもない。1フレーズの完成度にこだわること→次のフレーズにつながる「流れ」「勢い」を作ること。イメージは大切だが、頭で考えすぎるのもよくない。1フレーズの器には限界があり、表現すべきことを入れ続けていれば、いつか必ず溢れ出す。溢れだしたものを、次のフレーズへの流れに整えていけばよい。
どんな大曲も、フレーズの集合体である。1フレーズが説得力を持ち、溢れ出たものを次のフレーズへつなげる。すなわち、2フレーズを完成させられるなら、歌のテクニックはそこに尽きるのかもしれない。もちろん、パワーという土台あってのテクニックだし、曲全体の構成はセンスの問題になってくる。レッスン中、フレーズ回しを先生が録音して、聞かせてくれたとき、自己評価は、(自分で言うのも何だけど)音色はキレイ。1フレーズの中で、踏み込むポイントもつかんでる。けれど、インパクトを感じなかった。歌ったフレーズがサビでなかったから、というのとも違う、次のフレーズにつながる「勢い」がないのだ。2フレーズを完成させるには、パワーもテクニックも不充分なのだろう。
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課題曲レッスン
シャンソンの解説がされた。言われてみれば確かにそんな気がする。しかし、こういう機会を得なければ一生考えなかったかもしれないテーマだ。単にその人の「味」や「手法」よりも、もっと生理的に伝わるか否かの「音楽」「音色」「旋律」。身体で理解できるのはまだまだ先になりそうだが。
「かわい恋人にこころのこして」(イブ・モンタン)フレージング〔えりにはなごりの花〜口には戦さの歌〜〕集中力、というよりも、詩も理解せずに声を発していた。死ぬかもしれない戦争にいく歌なのに、庭で背伸びをするようなテンションでいた。全力でやるんだ。大声を出すということではない。あらん限りの思いをそのフレーズにこめてぶつけてみろ。
好き嫌いの問題ではない。確かに最初に流れた日本人ヴォーカルはなんだかたいくつだと感じたが(エコーでごまかしてるような)。ミルバやピアフに感じるのは、何というか、裸の潔さみたいなもの。そういえば変に飾りつけた違和感がない気がする。
スティービー・ワンダーの声も歌い方も気持ちいいくらい明確で、ストレートに心に飛び込んでくる。だからこそ多くの人々に支持されているといえる。しかし、聞くのと歌うのとでは大違いだ。技術的なことはもちろんだが、彼がどういう音の世界で歌っているのかよくわからない。ことばがわからなくてもこれだけまっすぐ心に入ってくる。人に何かを伝えるには声も思いも、まっすぐじゃなければと思う。
Key Of Life 大曲ばかりで、長い曲が多い。ただ一つひとつの曲のテーマ/部品が繰り返されてゆく。だが、それは退屈なものではない。自由に、まるで聞き手の心と彼の心が会話のキャッチボールをリズムよく楽しむように続いてゆく。聞き手が気持よく楽しんだフレーズを受け止めて、自分もその中で動いてゆく。呼吸をしてゆく。音に法則も何もないのかもしれないが、彼の繰り返しながら進んでゆく中には、一つもいらないものがない。全部が彼の呼吸の中で生まれてくる。次々と生まれてくる。水を流すとき、風が吹くとき、坂の上から何かボールのようなものを転がすときのように、複雑なことをどんなに意図的にやっていても、無理なく行きたい方へ行っている(体的にはそうとうな力が使われていても)。たくらまれたことでも何でも。聞き手はあきることなど想像もしない。
「こう来たら、こう行くと決まってくる」と福島先生のレッスンでもよく言われることだが、私は、先生が言われるたびにJazzのフレーズやスティービーの繰り返しを思い出していた(もちろんメインのところでのことを言われていることがほとんどなのだが)。水に飛び込むとき、入水角度や勢いで水面に出ることろまでの全ての水中での動きは決まってしまう。水の圧力と、飛び込んだときの力の中で自分の体のフォルムと筋力で呼吸して前に進みながら、知らぬうちにムダなく水の中を通り抜けてゆく。圧力が減り、浮かび上がるときの解放感と快感。繰り返しのところでは連続で飛び込む、またはバタフライのようにもっと力強く、自由に。水は、音と呼吸の圧力。肉体。自分で自分の生み出した音の中を推進してゆく。進むのも自分。全然自分を自由にしていないな。私は、と気づく。ムダが多すぎるのだ。力じゃない、もちろん筋力も必要だけれど息も絶え絶えにやっと浮かび上がるのは、もがきすぎ、力だけで何とかしようとしているからだ。浮力や自分の体のフォルムや圧力にもっと身を任せることができることが必要なのだけれども、一つでも何か考え始めると溺れてゆく。一つひとつのブレスで飛び込むところから違う。始まる前から沈んでしまっている。うまくはいれたときは、気づくと浮かび上がって(フレーズの最後まで行っている)いることが時たまある。あの感じだろうか。スティービーは、想いや音自体の力で進み続ける。高度な体の基礎と技術で、自分の創り出したあれほど壮大で、厚い音の世界を自分の声一つで動かしてゆく。アクロバット飛行を見るようだ。、
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ステージ実習
『ニュートラル~何でもない私』歌いだしの所を回し終えて先生一言。「これがオーディションなら全員不合格。」皆、奮起して、これでもか!!と言わんばかりのフレージング。聞いてるこちらも身構える。そんな中で、あれっ。と肩透かしをくらったのがSさん。出てきたのが何でもないSさんだったから。すると先生「今のSでニュートラル。±0。」と。何でもない私。オリジナルなもののベース。これがなかなか取り出せないんだ。ゴテゴテと色んなものをくっつけて。だから最初の一言で「何だそりゃ。」とツッコミ入れたくなるぐらいおかしなことをやっている。この何でもない私の延長上に何かしたい私何か伝えたい私が展開してくるのであって、ここに立てない者がいくら音楽的な加工を施しても、小手先でしかあり得ないんだ。そして考えてみれば、歌い出しの最初のフレーズで最大の感動を与えてくれる歌なんか(歌手なんか)普通ないだろ。
一流の歌手だって最初の部分では「うんうん、わかった。それから。」というような、その世界へ引き込んでいく部分のはず。もちろん他の誰でもないオリジナルな私ではあるのだけれど。それにしてもメチャクチャ楽しかった。前に出ていたらきっとギロチン台に首を突っ込んでるような気持ちだっただろうけど。後ろで見ていると、すごくわかりやすかった。ユカイでたまらなかった。最初のSさんのところで、Iさんの+αがあったというのもおもしろかった。そこで場の空気が変わった、色がついたのを感じたから。それを考えると、いかに微妙なあやういところで成り立っているかと思う。当面は自分の中に潜む何でもない自分を取り出すことを最大のテーマにしたい。
少し前まで、歌うということをするためにやらなければいけないことは、要素を積み上げていくことだと思っていた。つまり、声+リズム+耳+etc.みたいにやっていって全て積み重ねたら一つになってそれが作品になっていくと信じていた。でもそれは全然ちがって、積み上げていくというよりロールケーキのように巻いていってそれを切って客に出すということがやっとわかった。さまざまな要素を混ぜて一つのものにする。それを何層にも巻いていって初めて客に出すことができる。1+1=2でなく100+100=1みないなものだ。その1を巻いていくということである。その結果が2,3になる。それをするためには、自分の作品を厳しくチェックし続けるということと、一流の者をより深く聞くことしかない。頭で理解できていること、聞けていることが自分の体で再現できているのか、やれているのか。その繰り返しがとても重要だと思った。
ことばをリアリティをもって言えることが、表現を生む第一歩ということがわかった。だから、ことばの意味をしっかりつかんでいなくてはいけない。決して声だけのもの、一所懸命聞こえるもの、形ばかりにとらわれるときこえるものは表現にならない、ということ。それを当たり前にしてゆく。「音楽的なもの+呼吸+テンション→一本に通るものを作る」ことを当たり前にしてゆく。「前に提示する」ことを当たり前にしてゆく。「心・意図で大きくできる」ので、それらを「音色」を通じてフレーズにしてゆくために、呼吸(息)が足らなければ、それを息吐きなどして身につけてゆく。意図を入れるためには、まず何といっても「曲の解釈」が大事だということがわかった。瞬時にとれるように耳を鍛えてゆくこと。注意することは計算して構えてしまわないようにすること。構えると、音や音楽の動きが死んでしまうらしい。何となくだがわかる。
こわれてもよいから、全力でやってみろという先生のことば。確かに、一人練習中に「これは僕ではない」と感じながら歌ってた瞬間がある。自分の歌を一度まったくの白紙に戻して作ろうと僕は思っていた。先生は「こう歌え」と具体的な一例を挙げたりしていない。そんなことは一言も言ってない。しかし僕の中で、「先生はこういう風なイメージを持っているのではないか」という偶像を勝手に作って、そこに自分を賢明にはめ込もうとしていたのかもしれない。自分の中の何かがズレ始めてきた。考えるほど、悩むほど違う方向へ歩いていた。行儀よくこぎれいに歌おうとしてた。待っているだけじゃ、一生かかっても自分の歌はみつからない。追いかけても完成は見えないかもしれない。間違いを恐れずに、もっと裸にならなきゃだめだ。自分がおもしろいと感じるものを突き詰めていくべきだ。迷って座ってたって何も始まらないじゃないか。「創るのはめんどくさい」ことです。
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勝田表現力アップセミナー感想
アイコンタクトが手の動き一つでぐっと効果的になる。アイコンタクトはその動きと目で相手(聞き手)を引き込むか、納得させられるか素晴らしい技だ。ことばの説明よりも実際それが(ジェスチャ)できることの方がずーっと凄い。1.形(カタ,フォーム)→様→板(桧舞台)この基本が最初はぎこちなくても、とても大切ということ。伝えたいという気持ちの上に伝える技術があると本当にスムーズ。そしてより魅力アップだ。最初はぎこちなくて、なんか恥ずかしい気がしてしまうけれども、そういう意識はいりません。今までの自分は人の目が見れなくて本当に天井の方見たりしてごまかしてたけど、人は目線を合わせなくても自分を見てることが多い。それならそこをうまく利用したい、と思ったのがついに実現しそう。
とにかく先生が自然で、魅力的で素晴らしい。楽しくて。わくわくする。そういう風に人に思われるってすばらしい。アイコンタクトの実習はとにかく体験してみるとわかりやすい。手の平の向き、高さで受ける印象が全く違う。手の平が、きちんと聞き手のお腹の方へ向くこと。近くの人、遠くの人、その時々に合わせて。右・左の手の指にもきちんと意識を持っていく。見ている人が、そこが気にならないということが自然な動きになってきたということ。
今回は前回よりも実習の時間が多くて、スキルアップにつながった。他人事ではない空気が流れて必死につかもうとして前に身を乗り出し気味の自分だった。気持ちも引き締まって、自然と背筋がピンとしていた。先生の生き生きとした動きや表情に引き込まれてか自分もよい顔になっていたと思う。(なんか体の血のめぐりがよかったから。)人の動きがとにかくとても参考になる。
自然な人と不自然な人。カタイ人、やわらかい人。豊かな人、貧困な人。頭でわかっていても体が動かない。これは本当にやってみないとわからないもんだ。実習にしがみついてる人より楽しんでいる人の方が強いな、と思いました。自分は何でか恥ずかしがっている時間がまだあってこれは望ましくない。どんどん心と体を前に出してゆこう。そうしてぎこちなかった手も自然に必要なところへスッと出せたり、体をリラックスさせてスムーズに人の心をつかんでいく。実習は人のを見てるだけじゃダメ。自分はどうやるか常に準備をする。チャンスが来たらすぐ前へ出る。心を開く。心の素直な部分をまっすぐに出していく。人の動き、心の動きも感じて、自分の心も高く引き締めること。とにかくできるようになっていくこと。やるぞ。
勝田氏が教えてくれたこと。体がこう動くから自然な声はこうなる。わかりやすい。歌がなくても動きはやめない。音もおもしろい、映像も、表わしたものも、ニヤリとしてしまう、笑っちまう、なぜだろう。遊んでいるから。思い切り。
曲を読んでみるときもいろいろからだを動かしてみればよい。あのポーズで。きっと助けてくれる。あんなに皆違う男女、楽しい。ポケットのところが顔だ。なぜこんなことが楽しいんだろう。違いがはっきりしている人間がともにいる楽しさだ。