一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レッスン感想 13594字  807

レッスン感想  807

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レッスン感想

 

 

②③のクラスにでたら②のクラスより回転がずっと速くてついていくのがやっとの感じだった。歌は多分はじめて聞いた。先生のおっしゃっていたように“強烈”で(個性がすごい)、ついそっちに気をとられてしまう。すごいのは1曲の中ではっきりとその曲の世界を伝えられるところだ(好みではけしてないが)。言葉をとても丁寧に処理していると思った。音やリズムをとるのに精一杯で(他の曲よりずっと音をとるの、リズムをとるのに時間がかかってしまう)全然課題のところまでついていけなかった。“出てきたんじゃないか、伝わったんじゃないか、というカン違い”というのはドキッとした。自分の感覚の中でも感情が先走ると自己満足におちるだけで、実際少しはまともにできたときは決して感情をまともに出す感覚とは違って(でも逆というわけでもなく)なんかシュート入れたときのような感覚,心が持つ一つ別のところにあるような感覚なのだ。(←これってもう打った瞬間、これは入る!と思いますよね、そういう感じかなーと。)これは一番聞いてて聞き苦しいんですよね。自分も本当は体が気持ちよくない。でも、自己満足=表現できたんだ、というカン違いはすごく自分自身しょっちゅうおこすことなので、気をつけていかないといけない。結局、その曲と自分をきちんと客観視していけること、その上で自分を出していける~ということがこれを失くしていけることだろうと思った。

 

①ハー、最後の方に多く息を出す。

②(ハーハー)ハー、息→声、同じ感覚で。最初の息がきちんと吐けていないとだめ。息→声のとき自分の体の感覚が違う感じがする。声の時の方が体を使っていない感じ。

③ハーアー(アィ)、ハーでポジションをとらえ、アー(アィ)でもう一つさらに深いところで。(ポジション一緒だが、横に、体に入れる。)アーの時にもっとスムーズにやること。息を流す。アにいくとき、少し力を抜いた方がスムーズになる。体を深くしたときに自然に声が出るように。

④③の感じでハイをいう。のびずに、短く。ハーイにこれを縮めてハイと深くなるイメージ。言葉としても聞こえるように注意する。体を使おうとすると発音が明確にならなくなる、がどっちも大切。自分の一番正しいImageのハイ+体。Imageがないなら何かを聴いてImageをつかむ。いろいろやらないとわかんないのでいろいろやってみる。そろえていくのもやらないといけない。一致していないのは、結局まだ出来ていないこと。

 

音に合わせてやってみる4/4、音にあわせるととたんにうまくできなくなる。なんだか呼吸がリズムにあわせて上手くできてない感じ。それが原因なのかどうかよくわからないが、リズムに呼吸が遅れている。ブレスの時に、上手く次のハイを言う準備ができていないのか、この1/4の間に深く体を入れることができていない感じ。1回なら、まだ少しは深くとれる感じがするのだが、連続して出来ない。SHOUTハイを足の先まで響きが聞こえるようにしっかり言い切るSHOUT。大きい声を出すわけではない。前に出る、というより深く掘る。高い声を出すときも上にいく感じではなく下にいく感じ。(これは最近やっとイメージできるようになった。だけど中間音のトレーニングのときのみでやっぱり歌や高音のトレーニングになるとどこかへいってしまっているけど。)

 

“あなたと私のこの新しい世界をきっときっと育てよう、愛の光で光で”全部に力を入れて歌ってしまったら、最後までもたない。1節1節、歌い方は違うハズ。歌がバラバラにならないよう、中心をつかむ。シンプルなものに戻す。モノトーンにする。(特に日本語の歌などは、)その後は、身体がフレーズを作る。自分の音色を作る。“うまく歌う”とすることはできるかもしれないが、それではトレーニングでなくなってしまう。一つひとつのフレーズをシンプルにしていく、落とし込みのツメが非常に甘い。集中力がない。

 

③の人達の歌を聴いた。耳に飛び込んでくる人のフレーズは、何の飾りもない非常にシンプルなものだった。どこにも引っかかっていなくて、真っ直ぐな声。そして、ゆっくりと、ワンフレーズに集中して、大事に仕上げる。だからコクがある。シンプルなのに、つまらなくない。考え過ぎてない。表現をしているのかはわからない。けれど、意志がこもってる。だからフレーズが生きてる。そして大きい。私を含めた.②のフレーズまわしでは③と明らかに違うところは、ワン・フレーズのテンポ。②の人々は、テンポが早い。次に次にと焦って歌っている。足元を見ず歌っている。先にくる盛り上がりの部分への不安を抱えながら始まる。③の人たちは、先を見ない。なぜなら、目の前のことを大事に歌うから、先を予想させない。今、一瞬のフレーズだけを人に届くように歌っている。

 

 

「自分の内側でのみ回っている表現」と「聴衆へ、外側へ問いかけている表現」の違いとは。A:「自分の内側で回っていて、それがあふれ出て聴衆へ、外側へ問いかける表現」が理想。

平面的・画一的でない、奥深い表現。

その先を観たい、もっと聴きたいと思わせる表現。(そうでありたい!!)☆一回行っただけでは全部を知れず、全部知ったとしても次に行った時には新しい何かが加わっている「ディズニーランド」と「ピューロランド」の比較はすごく興味深かった。

 

アテンダンスシートは、未来の自分に向けた手紙のつもりで書いている。過去の自分を笑ったり、逆におこられたり、勇気づけられたりすることさえある。ふしぎな関係が生まれた。自分でも思いがけぬような言葉が「ふっ」とわく瞬間がある。引き出される時がある。しばらく描けなかった自分の歌や詩が、ひさしぶりに産み出せそうな予感がする。今の瞬間に思うこと、感じたことをきっとさらけ出していこう。未来の自分が判断するだろう。

人前で歌いはじめたころ、「どうしてみんな他人の歌のリピートを金を払って聴きに行くんだろう」って考えたことがあった。今、あらためて思う。「も一度聴きたい」と思わせる歌を歌おう。

 

出す→練り込む、3拍子なりのアフタービートの中へ。重く捉えておいてふわっと浮かすなどの動きを作ってゆく。動で遊ぶように。音色にしてゆく。明るさ暗さ/重さ軽さetc.とるところと捨てるところ→全部とりにゆこうとするとメリハリがなくなる。捨てるところは、スポーツのワンステップ目前の軽い調整/エンジンふかしのわずかなステップのように捨てて、とるところへ踏み込んでゆく→世界のもの。止まるな。止まっても死なせるな。とどまるな。常に感じてとらえてゆく→色のかわり方。体の感覚を修正すること。→間違っていることを間違っていると感じること。わからなくなってみえなくなる→鈍っていることに気づくこと→基本に戻れ。体で読み込むこと。自分の体と呼吸に戻し、自分の感覚で読み込んだもの(核のところ、一番奥にあるもの)を表現してゆく。、

 

同じクオリティでハイを連続10回→20回→30回。必ず連続で1回でもできなかったらやめる。これってすごいむずかしい。私10回いかなかった。厳しく考えると2回位でやっと。すぐ喉とかにつっかかってしまう。息にきちんとのせられてないから最初の出だしが裏返ったりかすれたりするみたいな気がする。前の日もトレーナーに“声にするタイミングが早い”とアドバイスしてもらったけど、やっぱ急には直んないみたいだ(あたり前か)“準備する速さを身に付ける”こと。すごいむずかしいやっぱり声にあてている感じがすごいするし、リズムもどんどんずれていく。練習するしかないだろう。

 

When the nights~ここではじまるためには(ここですか?)whenからすでに入ってないといけない。全然聞けてないらしい。(When the)nightsみたいに考えてた。言われてから聞けばそう聞こえるんだけど、言われる前はこう聞こえていた。いつもトレーナーが図(!?)にしてくれると“ああこっちだ”と思うんだけど、自分と違う風に聞こえる。最近は、先に自分でCheckして図に書いてから、トレーナーのとあわせてみるようにしてる。(頭の中でと、実際に書くときとそれはレッスンのペースによるけど)たいてい1,2ヶ所違う。足りない、とも言えるけど。これが一致するようになれば、少し良くなるのではと思っているのだけど(まるで小テストしてる感じ)

 

This is the house that Jack built year~速さを感じていないといけないが、それに負けないように体を入れる。リズムを体で感じること、自分でやるとうわー速ぇ~と思うのだけど、聞いているとそう思わない。そこが違い!?I've been really tryin: babyここでどうしても遅れてる。non so mi perche to dico sempre si~歌い出しで調子をつかめないとダメ→私には何がなんなのかよーわからない。悔しいけど。聞いてやった方がいい。自分の感覚に落とし込むとそこからできない。歌い出しで出さなければいけないリズムなんかを考える。音を聞いたときの新鮮な感じ、気持ちを自分が音に出していかないと。作ってやるところとのバランスを。自分で課題曲をやるときも1フレーズずつ確認すべきと思った。だって30分くらいでもうPointとか流れとか、なんかそういうモロモロをすべて忘れている。

 

これでもか!というタメを体の感覚でつかむ。掘っていく感覚~子宮から引っぱられるような感じ、でも上半身は力入っちゃだめ。(力使おうとするとどうしても力んでしまう)コントロールでいない所でやらない。動きながらやったら、少し上半身に力が入りにくくなった。でもそうすると不安定でまた怖い(力いれて出す変なクセがついてるんだろうか)。引っぱりながらうねらせていく。体でちゃんとつかんだものを引っぱっていく。でもひきずられてはいけない。アクセントをヴォリュームでつけていく。しーあーわーせー。

 

①はいでやって1コ1コつかむ②つかんだかんじのまま同じPOINT同じ太さで③そしたらそれを~引っぱってフレーズに「せ」を抜かない「せ」まで責任を持つ←いわれるまで自然に~に抜いていた。いけない。どんな所も自分のコントロールの中で責任をもっていやる。やりやすい言葉をもってきてそれを苦手なものに巻き込む練習をする。Imageをもって、音コトバ、フレーズを動かす練習をしていく。すべて腰でやる。頭で考えない。フレーズの引っぱって~というのか、できるのか、できてないのか、どうなのか。

 

どういうふうに体を使っているのか。Just enough for the city ~yearの所で、最初Cityまででおわていた(あのShoutにびびった為)が、Cityでおわりきれない変さは感じていたがyearをもっと、吐かれて入ってる。吐ききるためにいってる深い所の息でいってるetcで、ああそうかと思った。このyearははずせないフレーズなのだ(おまけではなく)。yearとかになってると+αとつい思いがちだけど。今日もPOINT、POINTが最初の見解とトレーナーが図にかくのとはずいぶん浅く考えててう~んと(?)思った。長い目でフレーズをみて前にくっついていく1つにとらえていくこと。あくまでもイメージだが前をいっちゃう感じでそこ、そこにPOINTではなく。大きくとらえてくっていく感覚。four→walls~上がっている(音)のだけどmelodyとしてでなく重さとしてとらえる。聞いたときの勢いを体と息に結びつける力を養う。安易に音に逃げない。こういう声をしぼりだす体の力だけでもっていく歌、息をずっと吐いて吐いてはききるうたから、息を吐くことの意味を考える。その中で呼吸を整えて、すってはいて、やっていく。

 

レーニングで1番はっきりさせなければいけないことは自分の問題点。ずっと入ったときからこれは言われ続けていることなのに考え出したのはつい最近。ムダだったなぁ。今まで。自分の問題点これがまた全部といえば全部だし、ならその中でも何が特に足りないか考えてみること。これ自分の判断はなかなかむずかしい。

ただ③の人のものを聞いて“あ”と思ったものと自分を較べてみると同じ長さのフレーズなのに時間が速いのが③の人、遅いのが自分。まあダラダラしている、というか、POINTで、変化がないので時間が長く感じるんだと思う。上手く歌おうとか、仕上げようとか、違う所へいかないこと、私は仕上げようとは考えないが、上手く歌わなきゃ、失敗したら嫌だなぁ、というのがいつもどこかにあるかも上半身の緊張にそれがよく表れている“そんなことは忘れろー”とも言って心の2人が争ってるんだけど、今は前者の1人勝ちってところか。

 

なるべくフレーズを大きめに入れ、芯をきちっと出していく。最近ちゃんと自分の頭で考えるようになったらしい。福島先生の言葉は今の私にはわからないことだらけだ。“私の知らない世界”だ、きっと。前は聞いて言葉を覚えて、わかったつもりになってた。自分で逆に説明できないことなんて全部わかってないと気づいた。(それは言葉で、という訳ではないけど)芯をきちっと出していくというのは基本の線(一定ラインのこれはうごかしてもはずれない)のことと一緒か?でもフレーズを大きめに入れるって何?音色をだすときにつけるのではなく余分なものをとってく。これは少しわかる(と思う)私の余分なトコロは何なんだろうこれはわかんない1,2ヶ所踏み込んできちっとはなさない→歌うところを決める。POINT?自分が勝負できるところを知ってるか知らないかの差私が勝負できる所って何なんだろう。

 

 

自分の可能性をみるのも自分を支えるのも自分しかいない。そして先のことなど誰にもわかりはしない。歌をうたうということは目の前の人間に対して自分を主張することだと思う。いろんなスタイルがあるにせよ目の前の人間の存在を無視しては成り立たない。人それぞれ自分のペースというものがある。多くの人はそこを無視して他人のペース、時代の流れにあわせてしまう。そして自分を見失う。やはり長く活動し続けられる人というのは時代の流れと自分のペースをしっかりと握っている人だと思う。活動することとかオリジナルを最初に求めても自分の中が満たされていなければいきづまるだろう。かといって何かを完成させてから活動しようなどといっていたら一生動けず、終わってしまう。自分には才能がなかったといってやめていく人がいるけれどそういう人はそれほどの思いがなかったのだと思う。やりたいとは誰が何といおうとやりたいことだし、ただひとつ自分の心が喜びにあふれていればそれでいいと思う。

 

今私にできることはどんな時にもくずれない基本を身につけること。一生深めてゆくものだろうが、歌につかえる腹式呼吸はまだ全然できていない。声たて、息のはき方(キープ)、瞬時に息が入ってこない。ワンフレーズやるだけで何もできていないことが解る、その曲のリズムかからだの中に入っていること。部分的ではなく大きな流れとしてとらえること。絵でかく線は視覚をたよることができる。そしてこれは使い慣れている。私はまだ音の線をみる(?)ことができていない。自分はどう歌いたいかということが感覚としてわかるにはもっともっと線を書くことをしていかなければみつけられないと思う。人前に立ち続けること以上にその意識を持ち続けることが大切。心構えと取り組み方で全てが決まってゆく。足りないことは山程あるがベースのないところには何ものっていかないということ。時間の使い方と集中力。

 

自分の中にあるものをだんだん大きくしていくこと。今、この場において、この課題においてどうできるか、何を出せるか、その狭い所だけに埋もれてはいけない。もっと自分の人生や願望や情熱や怒りや恐れや悲しみや生命力やそういう大きな流れが見えて、それを感じられて初めて、「今」というものが現れる。MADONNA林英哲では、エネルギーの向かう方向が全く違う。マドンナは観ながら聴きながら叫ばされるが、林英哲はもっと内に来る、エンディングした後叫ぶというより、沈黙が来る。自分が一本杉になって立っている気分になる。林英哲を聴いた後マドンナになれと言われても、難しい。日本人の表現が外に向かいづらいのはこういう感覚からではないか。観ること、聞くことが中心のレッスンの中でどの瞬間もムダにせず、エネルギーを使いきるためには、空気中の全ての振動・音を感じとっって体の芯を揺らすこと、言葉も説明ではなく、音として感じること。

 

このクラスでは『声とことばのレッスン』の「ことば」集を、「胸にひびく声」「普段の声」「頭のてっぺんから出す声」のそれぞれで読ませる。これは、それぞれの高さの声を出すときの響きの位置の感覚をつかみ、歌う時に音をとる際に生かせ、ということだったと、これもきょうのレッスンでわかった。しかし出す声の高さによって響かせている位置が違うことはハッキリわかっているのだが、歌のときはどうしても「中音⇔高音」の移行がうまくいかないのが悩みのタネなのだ。チェンジする音の高さを変えるべきなのか。

 

“伝える”という事。この上に自分だったらどうしたいのかという事がでてくるわけで、伝える気持ちがなければその音には何が流れているの?という事になる。体の動きとか呼吸の事とかそれはそれで大事なことだがではなぜそれをやるのかという事を見失ってはやっている事が何の意味をもつのか。声がでているとか音があっているとかいう事に目がいっていると「で、だから何なん?」という結果になる。音楽で人に伝えるという事はどういう事なのか。言葉で言った方が伝わるのなら音楽じゃなくてもいいじゃないという事になってしまう。どうして心に残るのか、心を打つのか。

 

自分の歌とプロの歌を聴いてみると流れているものが全然違う。自分の歌は言葉を並べて音符でただつないでるだけのものだ。いかに普段体とか呼吸にとらわれているかがわかる。聴く耳もなんだか別の道を歩いている。怒ったり泣いたり笑ったりしているわけだから感情表現ができないわけではないのに、歌になるとただの羅列になってしむのは何故か。無神経すぎる。何かを得ようとすると何かを失ってしまう。でも大切なものは戻っていって取り返さなきゃだめだ。曲を聴いていく中で以前と違った感じを受けたり発見をしたりするとその時は嬉しかったりする。だけれど本当に手ごたえのあるものというのはそんな薄っぺらなものではなくそういったものをどんどんもっともっと積み重ねなければならないものだし、それが自分の身になっていなければならない。そもそもその感覚が確かなものであるかどうかも疑わしい。浅すぎる。もっともっと深めなければならない。

 

ポイントを押さえていれば思っているとおりに動かしていい。自分のスタイルを持っていれば対応できる。→(課題)ポイントを押さえるということを学ぶ。

入れるところはきっちり入れる。ことばから受ける感覚で(入れるところは守り)動かしてみる。いろいろやってみる。その中で自分の感性でぴったりくるものを探し続ける。

まず、ことば→練り込み:これが大切。これができない限り歌への発展もままならない。非常に有意義なレッスンだった。

 

「動かす」というのはこういうことの中から出てくるのかなと思った。他の人と自分のフレーズがこんな違うのは興味深かった。それぞれの動かし方があるという可能性を感じた。普段のレッスンでは大体みんな見本の歌手の出すものにとらわれて、同じようになるが、今日のような課題ではそれどころではないので、自分の思いついたとおりにやっていた。それどころじゃない時の人間は、その人の実力がそのまま出たりするから興味深い。このぐらいのレベルでは1/10ぐらい立ちうちできる。(学んだこと)ことばに左右されないで押さえるところを押さえる。いろいろやってみて、ぴったり感じたところで創っていく。

 

一瞬でフレーズの輪郭をとらえること。それがないと点が定まらない。切れて、ぎこちなくなる。つい頭からベタッと追ってしまうと、そのことがクセになっている動きを呼び起こしてしまうようだ。輪郭がつかめると自然に入れて勢いがつくが、持続できない。今日は自分で不快になることはなかったが、前へ飛んでいかない。もう一歩入り込むテンションと、体が一致しないこと。大きくとらえようとすると、出だしの直前にきちんと“間”を感じられること。フレーズの直前、体の中が静かになるような時があった。そういう時に体が動いていくのだろう。そこでもっと入ってゆくこと。なんでそうしなかったんだろう。急いだり、前を見ずに体当たりするようなことをしない。イメージが死んでしまう。こういうことがズレていると、間がもたないし、計算だけになってしまうこと。流れを感じている中で、つかんだり飛び出したりすることはとてもダイナミックだ。いい風景画は、四角い画用紙に切り取られても、もっと広々したイメージを伝えられる。音の世界でそれをすること。瞬時に反応する体と心が動いていること。待ってる間、聴いてる間、次々に放出しては入ってきている。それが自然であること。流れが見えるとおもしろい。短いあっというまのフレーズの中に自分の体が入っていく余地があるのがわかる。そこにはスキがなくて、入っていくのには集中していて、「こうやって入っていくのだ」という、余地があるのを感じる。でもコントロールするための気迫がないと、はじき出されてしまうと思った。だから力が入ってはいけない。今日聴いたフレーズの金子さんの歌はやけにこういうことがわかりやすかったのでピアフやムスタキも一緒に聴いてみること。

 

出だしのところで拡散していたらあとがつづかない。どこかを決める。難しくない。前に出さないといけない。前の準備。口の中で回さず前に出す。なるたけ言わないでできること(言わないで表現?)を増やす。悲しいとか~♪(2人)を抜け出せるために(悲しい)を入れること~。なんか自分のフレーズ悲しい琴に聞こえた。悲しい琴って何だよ、そりゃあ?もうここで言いたいこととズレてないか?全部やってしまうと体がついていかない。音でなく流れをとること。感覚の違い、体使っているようで声を使っているだけ。声を出しているだけで動きがない。自分で雰囲気をとっていくこと。ネックになるところを作らない。何カ所か押さえてそこを展開していく。自分で直していくこと。人の心をあおるような歌い回しを→常に表現したいならば他人がどうすればひきこまれるのか客観的に冷静に(歌いながらも)分析していかなければいけないと思う。聞き手の気持ちがよめなければいけない。人をひきつけるPOINT、感情、情動。自分の課題曲、自由曲をつくるときはそこから踏み込みをつくっていれていかないといけない。このまえのステージ実習から“踏み込み”ということば“はね返す”という言葉、連発されているが私の石頭、どうも理解できてないみたいですすいません。踏み込みとは、いったい何なのだ。曲をつくるとき①前にだす②体もうごかす③感情を息で読み込むことをもっとやる。(音色の流れ)自分がどこにアイデアを作ってどこを変えてきたか。まとめたものを前に出す。未消化はダメ。いちばんさいしょの音の出だしをとれないと全て台無しになる。本当にそう思う。CDなんかだったらもう聞かないもん。最初の1フレーズで全てがわかってしまうもんだ。最初の1フレーズがよくなかった歌で、よかった歌なんて(私は)聞いたことない。もっといえば歌い出す前に出てきた時、立った時からもう決まる。なんか空気。

 

“現場で逃げないのが③との違い”と言われて反省したこと。その場その場その一瞬で自分の全てを出せない人間にいつか何かできるとでもいうのだろうか。“自分はまだ何もできないから”そりゃ確かにそうかもしれないけど、それとこれとは別問題だ。自分を表現することと独り善がりは全く別のものだ。“自分が気持ちいい→(から)他人も気持ちいい”今はこの図式だとカン違いしそうな自分がいるから、他人が気持ちいい→(から)自分も気持ちよくなれるで考えて(?)→他人が気持ちいい→自分も気持ちいいの(?)の部分の追求をやるべきと思うようになった。

 

“音色”ということをよく考える。私の体の中で今、“音色”ということを“歌わない”ということが共存しきれずにいる。私の中で“音色”を考えるとき(ほとんどひけないが)Violinがある。ソリストのViolinの音色。色や香りを表現したいと思うとき、空気を声にしたいと思うとき。奏でるようなつもりになると声が歌おうとしてしまう。音色を体で調整しようとしてしまう。聴き手を考えた場合、音色で表わすということは“その音色を聴いたとき、その聞き手の中に生まれる反応”を予想してということなのだろうか?

素朴で正直なこと。つくらないこと。なのにやればやる程バラバラなことに今はなってきている。基本のところで出せないということは基本のところができていないというだけでなく、やはり自分のメンタルな部分もあるのではないだろうか。そのレッスンで一番ごちゃごちゃ余計なことをしようとしているのは私だと思うことがある。余計なことをくっつけないと出せないというのはもともとがろくでもないところで隠しだてしているということなように思う。一番どうしようもない奴が自分だとしたらなぜ隠そうとするかというと、どこかでそんなじゃないと思われようとしているということだ。私はこんなんですと出して、自分自身で自分自身のことを解決してゆかないと、どうしようもないのだと思っている。それも私にとっては声のトレーニングに必要なメニュだと考えている。今日はミルバにヒントをもらった。歌うことのたたずみ方をいつもミルバは提示している。そのヒントを生かすも殺すも自分だということだ。、

 

楽譜の本を読んでいたら、いろんな楽語が載っていた。テヌートとかポルタメントのような用語はおなじみだけれども、「愛らしく」(アマービレ)「優美に」(エレガンテ)とか悲しく(ドレンテ)哀れに(ラメントーゾ)。こういうのはよくあるものかもしれないが、このふたつを演奏し分けると思うと自分はなんて無神経に一本調子に歌っているのかと、ガク然とする。もっとすごいのもあって、宗教的に(レリジョーゾ)野性的に(フェローチェ)神秘的に(ミステリオーゾ)作曲者がイメージを伝えるために苦心していろんな言い方するのだと言えばそれまでのことでも、目がさめるように新鮮に感じたと同時に、なんて私は無表情につまらなそうに歌っているのかと思い知らされたわけです。

 

オリンピック(長野)の公式映画をとった人、たぶんマーク・スパンラェルとかいう人のことばを思い出しました。彼は、余計な、解説,アナウンスなどつけず、より少ないことばで映像を見せる。これこそ最大のドキュメント。ドラマだから、あとは見る側の自由な解釈だけだとそう言っていた。確かに日本のTV番組など本当に余計なものだらけでうるさい。とにかく「シンプル」に「そぼくさ」を出したいです。

 

 

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【特別実習アンケート】

 

 

ステージ実習の復習という取り組みは全うな感じ。基本中の基本のレッスン。ただ、これはやっていればこういう企画すらなくなるのだろうか。こういう形で復習することの意味。実際のステージ実習のときどうだったか、もそうだが、同じことをどれくらい繰り返してやって体が思い出しそして記憶し、そして作り出していけるか。

 

あの歌い方がなぜ危ないのか?危ない、とはどういう意味か?(答え急がないこと) 「大きく捉える」4小節の中の一番聞こえる一音、そのあとが実際じゃない考えの中ですら思い描けない。・1フレーズが難しいということ。1曲歌う、ということが旅にで出掛けるようであり、遠く感じる。が、今さらそう感じるということはメロディを追いかけることに終わっていたのではないか。

感覚をできるる限り鋭くしてどれくらい繰り返せるか実際にレッスンの間にそれを感覚できたわけではないが、今感じる。でも、繰り返せたとしてもそれが即生きたフレーズにはならない。この先にあるもの。あまりそういう点では焦らないこと。

 

『英語の曲に慣れよう』まるで解剖のように作業の手順が手にとるようにわかってよかった。英語の曲は自分の場合は忍耐強さだ。・『手順』①ことばの勢いを聞く、ことばのリズムを聞く②行動しながら発音してみる。各単語を忠実に。思いきり。発言の形、キチット出すべきものは出す、かむべきものはかむ。③つながり、流れを感じてみる④形でなく、体から流れが出てくるまで入れる。⑤テープにとって聞いてみる。・『自分の弱点』・ブチブチ切れる、流れがない、みえない。先生がやって見せてくれた。あんななのか!どうして私はああなって先生はああなのか。聞く量,練習量が全く違う、ということ。・その対策1.テープで聞くとき、ことばのリズム,ことばの勢いが聞こえているだろうか、という基準持つ。2.歌わないこと、行動して体につけて読み切ること、造ること。『コツ』前に突っ込む。嫌だ、と思うくらい英語っぽくやってみる。大げさに本物に聞こえるまでやる。『発音それ自体』1.捨てるところも必ず言う→体の動きが止まらないか出てくるし。2.思いきり行動しないと踏み込みを確実にできる。そうやっているように聞こえない。3.口の動きを活発に(意識する)。

 

「今、ここにこうしている自分にどうおとしまえつけた歌を歌っていくつもりか」そういう問題提起が体の中に残り新鮮だった。・自分の歌いたいものと祈りとの位置関係の確認「思うこと」の力を思い知らされる昨今、そういう修業したり、のどちんこがなかったりで出る聞こえない声でではなく、ここでは、どこまでいっても意識のうえでの問題として。祈りと無関係でいたいのか、祈りたいのか。

何を祈りたいのか誰に祈りたいのか、誰のために祈りたいのか。祈るならなぜ祈るのか。・説明会のときに言われた「神様からもらった各々の素晴らしい声に出会う」こと。こういう大事なことを忘れていたことを思い出させてくれた。なぜ忘れたのだろう。

 

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音信

 

代々木のレクチャーでは、先生のお話しを直接聞けましたことが、ほんとうに嬉しく、エネルギーを頂いて帰ってまいりました。私は自分を育てるに必要な時期・環境からそれは許されず、生まれてきて、やるべきことを先にやらなければなりませんでした。ただ今は、村の小学校用務員として、家族とともに平穏な日々を送っています。生まれてきた価値はなににあるか、それは自分の持っている力を生かすことでしょう。生を与えた神からのいただきものを、どんな形でも、充分に生かすことだと私は思っています。(お金はそれについてくるものでしょうか)やりたい事は一生の内のやれる時にやるしかありません。私には今がその時と思っています。自分を抑圧することで自分を殺したいと思った若い頃もありましたが、自分を表現するには、歌があることに気づきました。

 

現在は、先生について(カラオケのですが、)腹式呼吸から教わっています。つかみきれずにいましたら、難しいことではありませんでした。体が空気(大気)を欲しがっているのですから、お腹で息を吸えばよいだけのことでした。鼻からお腹に入れて無理にお腹を膨らますことではなかったのです。必要とするものは体が吸収し、形として、それは鼻の穴から空気がお腹に入ってくるだけのことでした。

先生のおっしゃる通り、呼吸法は体が必要とするもの、体がつくるものでした。大きな声で歌わなければと強く息を出しました。コントロールができていなかったのですね。カセットやCDはボリュームひとつで、大きくも小さくも聞こえました。学ぶことはたくさんあります。もう一年教室に通ってみます。実は、先生のお話や本、文字から得たものを、教室で表現しているだけのような気もしますが、基本ができたら、一流の趣味として胸を張り、歌います。歌は、意欲と魂に喜びをくれます。なんの気遣いもいりません。

 

カンツォーネの曲(声)に魅かれました。すごい、イタリアの曲だとも、こんなものがあることさえ知りませんでした。まねて歌うなと、教室の先生から厳しく言われておりますが、CD(カンツォーネの)を求めよく聞いてみます。いつの日が成果があったら、報告させて下さい。私に吸収する力があれば、表に表れてくるでしょうから。地方に住む私のような者にも先生の本は文字は力強く説いてくれます。どうぞご活躍下さいますようにと心から思います。

 

レクチャーでは福島氏の、歌とその状況等に対する熱意が励みになり、僅かその気になれたと思っています。お話しは、予定よりも時間オーバー気味だったのは、得でした。時が経つと、疲れるくらいのほうが印象に残ったかなとおもいます。

自分では、氏の著書はよく読み、よーく理解している、日曜歌い手のつもりでしたが、レッスンに参加して皆と一緒に声をだすと、自分の声がかなり単調に聞こえ、こりゃ少しは歌を客観視できるきっかけになったつもりでいます。