一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レクチャー2オリジナリティ、入門基本講座 QA20042字 812

レクチャー2

【オリジナリティについて】

 

 歌は、その3分間を1つに捉え、ぐっと飲み込まないといけません。大きく捉えて1曲を1つにして心にいれてから、表現することです。

 

 たとえば、音がドからソまではねているということは、本当はソまでではなく、もっと上まではねたいのだけれど、バランスを考えて、ソまでで止まっている。音が3拍伸びているということは、本当は、10拍でも、20拍でも伸ばしたいのだけれども、全体からみて、3拍でそのことを伝えているかもしれないというようなことで歌を感じ、歌ととことん会話してくることです。

 

考えることです。その上で、全部が、無駄一つないギリギリの構成で音楽は成り立っているのです。イメージはそこで聞こえる音声より、ずっと大きく豊かなものです。

 そこに、音にあてようとか、拍をとろうなど、甘ったれた感覚でヴォーカルがはいってもだめです。

新鮮な感覚で、その曲を捉えて、新鮮な感覚のまま、素直に自然にどう出せばよいのかということを常に問うことです。素直に、自然にやろうと思うと、絶対に矛盾が起きてきます。

そうしたら、それを解決するために、どうしていけばよいかということが課題なのです。

決して「こう変えたら、なんとかなる」と頭で考えてみて、その歌い方に決めつけてしまって、つくりあげていくものではありません。

 

 

 オリジナリティということを間違えないようにしてください。

まず、一つの歌自体がオリジナリティを持っているわけです。曲もことばも、曲の進行もアレンジもそれぞれに、オリジナルなものは持っています。

それぞれの気持ちを全部くんで、その上で自分がやりたいものに方向をつけていくことです。

一人ひとりの人間もオリジナリティを持っています。その上で、歌という作品にでてくるオリジナリティがあります。

 

 いろいろな工夫をすることはよいのですが、自分の体、呼吸といったものをよく知り、その上にのせることです。

 たとえば、こう行って、次にこうつなぐというのが丸見えではいけません。

 

プロは、同じようにしているようにみえて、こういうふうにやっておいて、ここからこうつないでいるという感覚的にみえない部分をたくさんもって入れているのです。

 

みえないところで勝負しています。そのことによって、歌が大きくなったり、そこで濃くなったりするのです。だから、間があっても、皆さんがコピーするときのように、ここに間があいているから1、2の3拍目ではいるという表面的な練習とは、全然違うのです。

 

 

 自分の感覚の中で、その方向だけをみていたら「プロは3拍あけるけれども、わたしの呼吸だったら1拍半が限度」などと、表現力から、いつ、入るかが決まってくるのです。

 

 そういうことは、自分の寸法に合った歌として、自分の体や表現がわかって、はじめて変わるのです。なにもオペラの歌い手や、世界のトップクラスのプロの人達と同じことをすぐやりなさいということではありません。寸法に合っていないと、ちぐはぐで、うまく作品になりません。

だからこそ、自分をもっと大きくするために、体や感覚をつくることです。☆

 

そして、スピードが必要です。スピードは、非常に大切な要素です。スピードをいれこんで、どこかでためという貯金をつくっておかないと、ゆっくりと余裕をもって歌えません。

つまり、密度を濃くするということです。

そういう意味では、圧縮することです。圧縮するから、次にホワッとおけるのです。

これを雰囲気としてホワッとしたところばかりを全部とっていたら、歌になりません。もっと実験していくべきだと思います。

 

 

 歌は、難しいものです。特に日本語でやったときに、まともに歌えるような曲は、なかなかはありません。それに対しては、どう取り組むかということを考えることです。

一曲全部歌おうなどとは考えないで、まず、一つを活かすために、捨てるところを捨てていかないとだめです。捨てるところは、マイナスにならないようにキープしてください。

 

 2オクターブ近い歌、あるいは、サビの部分が連続して高音になってくると、勝負できるところを絞りこんでいって、そこに向けて展開していくことが必要です。それが終ったら、何とか1番よい余韻を残して、終らせることです。

 

 最後のところで、わざわざロングトーンで壊して終わらせるようなことはやめなければいけません。その場でそうなってしまったのは、仕方ありませんが、練習のときからできないことがわかっていたら「ここだけでできるかもしれない」ということは、ありません。

 

 

たまに、奇跡が起きるかもしれません。

でも、いつも、それをあてにしていても仕方ありませんので、やはり、体や感覚をとじっくりと相談して、考えるべきだと思います。やってみて失敗する分にはかまいません。

しかし、できたら、やる前のところで失敗しておくことです。さらに傷口を深めることを最後にやってはだめということです。

 

 歌は、最後で決まります。少々、盛り上がりが悪かったり、最初のれなくても、最後に行くにしたがって伝わるようになればよいのです。

10曲あっても、最後の2曲、3曲で、大半が決まってくるというのがステージです。

でも、人間の心理面としては、たった一曲でも挽回できるのです。

 

 「何か違う」「舞台だな」「この人には手をつけられない」「このままずっとみたい」とか、

何かのおちをつけないといけません。

「中途半端だな」という印象をもたれるのは、よくありません。

 つくられたものだったら「そこまでしっかりとつくられたのか」というものをみせればよいのです。

アイドルも、それでやっています。

その徹底さ、一貫性は、何よりも大切なことだと思います。

 

 

 

 

 

 

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【入門基本講座】

 

○ことばと感覚

 

 「にぎって、はなす」というような感覚は、ことばでやりとりができるわけではありません。自分の中でその感覚を得るまでは、そのことばを考えなくてもよいと思います。何かのときに、こういう表現でわかることもあると思ってください。

 

こういう感覚というのは、トレーナーもことばをそろえているわけではありません。主観的なものです。同じことができても、それをそういうようなことばで表現しない人もいれば、そう思わない人もいます。

 

「にぎって、はなす」ということがわかっても、そういうことがそのことばと結びつかない人もいます。それは正しい、正しくないということではなく、同じことができていても、ある人は「にぎって、はなす」といっているかもしれませんし、そうではない人は、「踏み入れて浮かす」などと、いうのかもしれません。そういうことばを使わない場合もあります。あまりことばにとらわれないでよいと思います。

 

 

 実際、私の使うことばの中は、プロ野球でいうと、「おしりで打て」「腰で打て」ということと同じで、何かがわかった感覚から、そういう言葉を発見し伝えていくわけです。

同じことをやっていてもそのことばを使わない人もいるわけです。

そういう部類のものなので、ことばがわからないということは、やっている人に聞いてみると「何年もやっていればわかる」というでしょう。

その感覚と、そのことばが結びついた人は、そういうことばを使いますし、そのことばでないものと結びつく人もいます。

 

 「にぎる」ということばでも、いろいろな人のいろいろなイメージがあるのです。それが最初にわからないのは、あたりまえのことです。

 それを歌って見本を見せると、それを正しいと思って、まねてしまうところで間違ってしまいます。

結局、単純なことでいうと「こういう表現をする人間も世の中にはいる」ということを認めればよいのです。それ以上のものではありません。

 

 それに代わる自分のフレーズがどういうことなのかを、ことばとして発見していくのです。ことばはなくても構いません。ことばというものは、いった瞬間に、間違いになります。しかし、伝えるために、何かを使わないとだめなときもあります。初歩的な段階のときにはやむをえないのです。

 

 

 皆さんに説明したり、話すことも本当はあまり意味はないのですが、ただそれがきっかけになって気づく人もいます。何か自分の中でわかったといってもほとんどその気になるだけなのですが、本当にそういうときがあるので必要なのです。理屈は単純なトレーニングを続けるために必要です。

 

 本当は、本物を聞いたときに、体感できて、それが出せるというところでしかトレーニングは成り立ちません。ただ、ポップスにとっては、それが大切なことなので、いろいろな説明の仕方をしています。その部分、たとえば「はい」を「にぎって、はなす」とか、「はい らら」というものが、「にぎって、はなす」感覚とかいえば、説明すれば説明するほど、部分的になってしまうのです。

 

こういうものは、あまり深くは追い詰めないで、自分の中で置き換えていくしかありません。「「はい」の場合は、これがにぎるで、これがはなすなんだ。」「この歌の場合は、これがにぎるで、これがはなすなんだ」と頭から決めつけていくと、間違いがもっと大きくなっていきます。

 

 

 

○ヴォーカルと声量

 

 ライブハウスの音量は、ヴォーカルを聞かせるものであれば、ドラムの音量を合わせます。それからヴォーカルの音量、次にギターとベースです。ギターもベースも上げられるだけ上げたら、声が聞こえないのはあたりまえです。電気の楽器に音量で勝てるわけがありません。

 

ヴォーカルを聞かせるのであれば、まわりを下げることです。ただ、ヴォーカリストが聞かせられる力がないから、ギターやベース、ドラムの力で、トータルな音楽の力を出しているのです。

 

日本と外国のプロデュースのもので、同じ曲を比べますが、日本の場合は、必ず他のもののトーンを柔らかくして(TerebleとBaseを目一杯かけて)、そこにヴォーカルを入れて聞きやすくしています。向こうは、セッションと考えていますから、ぶつけ合いで声が勝るべきなのです。日本人の場合は、ほとんどの場合、歌をぶつけても楽器で消えてしまいます。

 

 

 バンドで自分がヴォーカルをやるのであれば、音量を抑えさせなければなりません。

バンドの中でヴォーカリストが声だけでなく、発言力が弱いのでは成り立ちません。

音もわかっていない、音程も狂うというようなら、それでよいというパートはありません。

 

日本の場合は、お客さんはトータルとしての音を聞きたいのです。

へたなヴォーカリストが前に出て、他の音を全部おとしてしまったら、ライブにならないからでしょう。

 

向こうは必ずヴォーカルの線を出していきます。ヴォーカルだけでも聞ける音楽をつくっておいて、それをより効果的にするのに伴奏をいれていく。だから伴奏というのです。

ギターの場合は、ヴォーカルとリードを取り合う場合があります。基本的にベースやドラムの場合は、ソロ以外はトータルの補助役をするものです。とはいっても全部合わせてサウンドです。

 

 

○先に進めつつ、気づき、できないところを戻って補う

 

 音感、音程の練習と、発声の練習は本来、同じものの別面です。しかし、音感、リズム、音程のトレーニング中は、声のことに関して、あまり、みていないはずです。

初心者は、両方のことを求めれば、どちらもできないでしょう。

本当のことをいえば、その状態では歌えません。

正しい発声において、正しい音がとれていないと、歌ったときにその声がでてこないからです。

 

 例え、1つか2つの音はきちんと出ても、実際、歌ってみたときに原理的に望ましい声をまったく使わないで、終わらざるをおえない場合が大部分であり、いわば違う声(つくった声)でなければ歌えないでしょう。

だから2年間、役者のレベルのトレーニングをやってからでないと、歌えないのが現状です。

 ただ、できないことをやってみて、そこで早目に必要とする感覚をいれ、歌はこうなっているということを知る勉強も必要なのでやむをえなくいれているのです。

 

 1年目から音響を入れるのは、考えものです。手助けが、ごまかしを助長するからです。☆

力がない人にとって、マイクをいれる、伴奏をいれるということは、力がない分、そこに補ってもらう部分がはいってきてしまうのでトータルの力はよくなりますが、それは本当に自分の力がついたことにはなりません。いつもごまかしているから、わからなくなります。

 

 

○声から音へ

 

 優秀なバンドがつけば、ヴォーカルに声の力がなくてもよくなるとしたら、そこでやれていることはCDのジャケットのようにビジュアル面でのアピールだけです。音楽面では、彼等の演奏を邪魔しないように、引いて音を壊さないようなことだけになってしまいます。結局、ヴォーカルはいらないということになってしまいます。

 

 しかしバンドのプレーヤーに対して、音楽をつくろうとしたら、よほどの力が必要だということです。ヴォーカリストは、バックを従えていなくてはいけません。自分の呼吸に合わせてピアニストを動かすくらいの感覚でないとできないのです。

 

ほとんどの人は、のっかっているだけです。それは、本当はその段階ではまだピアニストをつけてはいけないということです。

 

 

 声楽の分野などでは、声から音にすることを徹底しているわけですが、ポップスの場合は力が足らない分を先生がレベルダウンして、何かで補い助けます。全部で合わせて、素人のレベルよりもよくなっていたら「まぁいい」ということです。

 

それを許すので、もっと伸びる人もそれ以上、伸びない方向に行ってしまいます。

停滞しているのならよいのですが、マイナスの方向に行ってしまい、歌い慣れだけしていくのです。

 そういうことなら、その辺のライブハウスで歌っている人の方がましですから、やらないことでしょう。

 

 発声からいうのであれば、出ないキーに関しては、1オクターブ下げることが1番よいでしょう。のどに負担がなければ、ファルセットを使っても、裏声を使ってもよいと思います。

のどの状態をよくしておくということの方が声を出すことよりも大切です。

 

 

○声量

 

 基本的に声を大きく出した方がトレーニングがやりやすいし、わかりやすいです。

ということで出すだけです。声量、共鳴が絶対条件となるクラシックとは違います。

クラシックも本当の意味でいうと、声量で決まるのではないのです。しかし、最低限でも、遠くにまでひびかないといけません。ホールでオーケストラと行うからです。

 

声量というものは、何ホーンでもより大きく出せればよいということではなく、本当はどれだけ、発声の原理にもとづいて効率よくコントロールできるかということです。

 

 ただ、小さな声しかでない人に対して、大きな声がでる人の方がその原理をうまく使っていることは確かで、その中に表現も入りやすいでしょう。

 

 

小さな声で表現するということは、難しいのは、くせのつけ方のようなものを先に覚えてしまいがちだからです。それに対し、大きな声は単純に体の原理がきちんとできていなければ出ません。

 

 単純にいうと、人よりも2倍大きな声が出れば、人が1音しか出せないものを3音くらいで同じ感覚で出せます。同じ感覚で出せる器が大きくなるということが、大切です。それが確実に調整できるようになる秘訣だからです。

 

 声量というものは、相対的なものです。自分の中で自分の声という楽器が、どのくらい使われているかを知ることです。ポップスの場合は、自分が出せるもののマックスを求め、そのなかで聞いてる人間にとってどう聞こえるかということが問題です。声量そのものを目指すということは意味がありません。しかし、トレーニングの結果として声量がついてくることでしょう。

 

 

○のどの負担

 

 「のどをはずす」、「のどを開く」ということは、これもイメージの問題です。

最初、のどに負担がくるのは仕方ないでしょう。これまでのどを開く、のどをはずすというような感覚で声を出していないために、わかりません。

 

しかし、ほとんどの人の場合は、声をしっかりと聞いていないのです。これがもっと大きな問題でしょう。体も鍛え、声の出る原理も少しは頭でわかるようになります。

そこから、普通、外国人であれば相当な量を相当なスピードで話していますが、それを効率のよく量をこなすようにしていくということです。

 

 ですから、声そのものより、声の状態の方が大切です。息で話してもよいのです。しかし、それだけの結びつきができていないと、のどが疲れます。

のどをはずす、のどを開くというのも1つの比喩にしかすぎません。

のどははずれませんし、常にのどは使われています。それをはずしてやるということは、たとえば、バッターが腕で打ってはいけない、ピッチャーが腕で投げてはいけないということと同じです。全体の感覚でコントロールしているようにならないとやれないということです。

 

 

 歌になると、のどを使ったり、部分的な使い方で音色を出したりもします。どう聞かせるかが問われます。それに対してヴォイストレーニングというものは、どう出すかということです。

いわば素振りの練習です。実際の試合になったら、状況に応じ変化し転じなくてはなりません。

バランスを崩してポンと当たってヒットになっても、試合はヒットになればよいのです。

 

レーニングは、そこでバランスが崩れたことを意識して、直し、対応していくわけです。そんなことは実践しながらは、いちいち問うてられません。

きちんと素振り通りにやったからといって三振していても仕方がないのです。

状態を整え、それをコントロールできるが基本を身につけることから、もっとも大切なのです。

 そういう部分がスポーツよりも顕著にでます。感覚的なものです。

 

歌という表現は、音楽的な完成度の方を問わなければいけません。のどがはずれていない、声がしっかり出ているということを確認しているような歌などおもしろくもありません。

歌にも表現にもなりません。そのことをわけて行わなければいけないのです。

 

 

 のどをはずす、のどを開くということよりも、むしろ、のどに負担をかけてはいけないと考えてください。

 負担をかけてはいけないといっても負担がかかってしまうものです。のどに負担がかからなくなれば、かなりのレベルの人だと思います。

負担をかけないで発声ができる人はほとんどいないでしょう。せめて、負担がかかってもよいから、なるべく負担が残らないようにしていく、累積しないように切り替えられるようにしていくことが大切です。

 

感情を入れて表現すると、必ずのどに負担をかけます。本当に感情を入れて、真剣に相手に何かを伝えようとしたら、声は朗々とでません。伝える方を優先しないといけません。大切なことは、それが3分もたないといけない、ひいては、10曲くらいはもたないといけないということです。

 

 それはその時期ごとに考えるべきことです。多くの人は3ヵ月経ったらのどがはずれ、半年経ったら全然負担がないように思っているようですが、そんなに単純なものではないのです。これだけで、声楽でいうと音大に4~5年くらいのキャリアになります。これも感覚的なものです。

1年くらい経つとできたような気になってしまう人も多いのです。本当は、できていないのができたと本人が思っていることが多いのです。その経験を重ねていくということは大切なことです。自分なりにそれはわかっていけばよいと思います。

 

 

○息の支えとリラックス

 

 中音から、高音になると肩や首に力が入ってくる人が多いようです。本当のトレーニングからいうと急ぎすぎるからです。先を見ておかないとトレーニングは成り立ちません。だから高いところも行います。

 

 たとえば、皆さんに絶対に問題が起こらないようにトレーニングをやりなさいといったら、半年間のトレーニングは息吐きだけです。ほとんどの人が息吐きの意味もわからなくなってやめてしまうでしょう。それがわかる人は本当に少ないでしょう。

そういう人は、1年、2年と経ったらもっと息吐きのトレーニングをしっかりとするはずです。そのことが、いかに足らないかがわかってくるからです。

 

 それだけ深い息を吐けると、声に結びついて、初めて他の人との差が出てくるのです。

 ここに来ている人でも、練習の質が深まってくる人は少ないものです。それどころか最初に吐いていた息でさえ、吐かなくなって、音にあてていくこと=逃げていくことを覚えて、できなくなっていくのです。

 

 

 できないことがでてきたら、その前のところでできていなくてはいけないことがしっかりとできていないということだけなのです。中音キーで問題が起きるのは、低音ができていないということです。

 

そこで首や肩に力が入るということは、まったく声を出していない状態で息を吐こうとしても、息を吐いたときに首と肩に力が入り、次に息を吐いたときには力が入らなくなっても声にしたときには入ります。

 そういうことと同じ繰り返しのステップがあるのです。中音で楽に出るようになったが、高音になると首や肩に力が入ってしまうとしたら、高音のところでそれをはずそうとしても難しいので、その前に戻れということです。

 

それを戻らないで、くせをつけて問題をそらせて解決したつもりになってしまうのです。中音域のところで変に力が入っていることが解決せず、そのままにどんどんと悪いクセがのってくるのです。

 

 

○表現のためのトレーニングであること

 

 ブレスヴォイストレーニングは、全てを1音(もしくは1フレーズ)ずつにわけてチェックしています。どこかに力が入っているかは、音の方からわかります。その人の体をみていると、声を聞くだけで、その人の感覚や体がどう働いているか、そこにどう力が入っているかがわかります。

 

 それをいくら外側から変えようとしてみても、結局、その音を出したときに、邪魔をしてしまいます。それを感覚を正して、とっていくしかないのです。

 

 発声というものは、それを邪魔しているものを取り除くことです。ただ、その邪魔が何であるか、何でそういうことが起きるのかを自分の体の中でわかっていかないといけません。

 しかし、非常に単純なことです。

 

 

 ドレミまでは出るが、ファソラで問題が起きる。そうしたら、そのドレミが次のレベルで求められるところまで、できていないのです。1つの声の中で考えるのです。できていないものにできていないものを重ねるから、難しくなるのです。

難しくなったところでクセをつけ、そのクセの上にクセをつけていく。こういうことが起きるのは、たった1音から3音くらいの中でのどをはずしたり、表現したりすることをきちんと勉強していないからです。

 

 しっかりと勉強していたら、たとえ、出ている声でも使えない声、表現に使えない声はわかってくるはずです。もちろんそのことをわかるのに、3年はかかります。よいものを聞くことでわかってきます。しかし、聞いても結びつけられないことも少なくありません。

それと聞いたという気分になっているだけです。本当に聞いていたら、そこでわかることです。これを本当にわかっている人が少ないということがわかってきました。

 

 同じ歌を歌って、プロとは全く違うように聞こえるということは、全然できていないということであたりまえです。ところが、それでできている気になっているというそのいい加減さは一体どこからくるのでしょうか。振りつけ通り、間違えずに踊れることと、踊りで表現するのは、全く次元の違うことでしょう。自分を見ることができていない、そのまえに、自分を知ることができていないのです。そうしたらトレーニングは成り立ちません。

 

 

○トレーニング成立の条件

 

 トレーニングというものは、自分ができていることをきちんと把握することから始まります。それには、できていないことを把握する必要があります。できていないことはできないのですから、今できている中でよりできるところがどこなのかをつかみ、それを確実に出し、可能性を大きくしていくことです。

 

その日に、たとえば、声出しを100回やって、その中でどれがよいのかわからないと本当はトレーニングにはなりません。大切なことは、その100回の中で1番よいものがでたら、それを100回全てとはいいませんが、まず、100回の内、10回は出せるようにやっていくのです。

 

 きちんと伝えることを念頭に音をとり出していかないといけません。音感やリズムも同じです。それをやるためには、とても時間がかかるので、先のことを知っておかないといけないのです。

 裏声や、ファルセットをやってみるのも、もしかしたら、人によってはそういうものが何かのきっかけになったり、後で応用できてきたりするかもしれないからです。

 

 

○歌に学ぶ

 

 ここまでの段階にきたら、次はこれに取り組めと決まりのある世界ではないのです。

基本のトレーニングには時間がかかるので、表現から先のことを決めていくことです。そのために、段階があってもいろいろとやってみるのです。

 

 たかだか、3分の歌です。それをやってみて何が足らないかと気づいてみて、また基本に戻る。そのときに本当は体や息のことができていない。だからいろいろな問題が起きてくる。

でも、体と息のことができるまで、他のことを全部やらないでやれば、体と息のことだけは完璧にできるかといったら、たぶんできません。

 

 歌も同じです。何で声が身につかないかといったら、歌のことがわかっていないからです。しかし、歌に触れないで、声のことだけわかって、声だけででるようになったら、歌が歌えるように、あるいは、声の技術が身につくようになるかといったら、たぶん、難しいと思います。

ポップスの場合は、歌に対して求められることが大きくなってきて、初めて声ということがどういうものなのかということもわかります。そして、自分がどう出さないといけないということもわかるのです。

 

 

 一流の歌をとことん聞いて、それに対してチャレンジしていきましょう。そのときにどこまでのことができているか、できていないかを常に問うのです。それに耐えうる教材が、一流の教材です。

 

エディット・ピアフの歌を、聞いても、最初はちんぷんかんぷんでしょう。そこでわからない世界がある、ぜんぜん自分のできないことをやれているような人がいるのだということをどこかで感じていくことです。

すると少しはわかるようになります。2年、3年経ってくると、わかってくるという可能性があるということです。

 

 すべては、可能性です。世界の一流と呼ばれるアーティストが魅かれたものを、そこに感じられること、これがスタートラインです。

 その可能性は、当人が自ら求めてないと開けません。うまくなりたければ、そこまでに必要な量を自分に与えなくてはいけないのです。

 

 

○本当に必要なこと

 

 今までいろんな人達が研究所に来て、声が身についたとか、身につかないと、いろいろなことをいって、辞めていったり、続けていったりしています。

その人に本当に必要なことは、身につくと思います。

 

理想や目標レベルが高いほど、時間がかかります。

必要性が低い人は、低いレベルでしか身についていないということです。

 

あんなふうに歌いたいと思っても、自分がそのレベルでしか歌えないとしたら、それだけの必要性を自分がもっていない場合がほとんどです。

本当にそれを持って求めている人であれば、時間をかけて待てるからです。

時間をかけないで、欲しいものが身につくということはありません。これは、どんな歌い手でもそうです。

 

 何もしていないのに歌がうまい人がいたとしたら、それはそれまでの中に気がつかないうちに何かが入っていたのです。そして、出していたのです。

小さなころから人よりも大きな声を出していた経験が多かったかもしれません。音楽が入っていたかもしれません。それが全部、総合力として表われてきます。

つまり、入っているものしか、出てこないからです。

もちろん、そこに、プラスして感情表現のようなものもはいります。しかし、まずは自分に入っていて出ていないものをしっかり出すことが大切です。

 

 

○感受性

 

 感受性があるとか、人よりも全く敏感だから歌い手に向いているとかいう人がいますが、そのことと実際のステージでやることとは違います。歌い手の感受性は、そういうこととは、あまり関係ありません。他の人よりも、自分の経験が声に反映されてくるとしたら、声の技術ができているからです。

 

たとえば、ピアノがまったく弾けない人がどんなに感受性があるからといって、一所懸命弾いてもお客さんには伝わりません。声が出ない人は、ことばを音声では伝えられません。技術がない限り、表現からは問えないのです。

 

 ヴォイストレーニングは逃げてしまうとだめです。いかにも自分はできるように思っていると、できないということを知っていてがんばっている人に、やがて抜かれてしまいます。

 

 

○息と声

 

 のどをはずすということをやってみましょう。

順番に息を「ハイ」という感じで吐いていってください。

のど、首、肩など他の部分が動かないようにします。

 

息を広がるように吐いた人は、違っています。日常の息をただ力で強くして吐いているのです。とはいっても必要な息が日常の中で吐けていないから、トレーニングをするのです。

 体を動かさないように注意した人は、生きていくには、その息で充分です。

日常の息しか吐けていないのです。これはあたりまえです。日常の息は体を動かさないで吐けているのです(というか、日常に不自由のないレベルで使っています)。

 

 ですから、そのままではトレーニングにならないのです。トレーニングは不しぜんになっても日常の息以上のところでやるのです。「ハ〜イ」といったときに、余計なところに力が入ってしまいます。

そうなるのが悪いのであって、息が悪いのではありません。息も当然のことながら、整っている状態にしていくのです。ここで大切なことは、その息を動かさないで日常に出せていたときのように出せるようになることを体に教えていかなければいけないのです。

 

 

 歌でも同じことがいえます。皆さんの「ドミソミド」は、表情も息もありません。体はリラックスできていません。声量がなく、音質が保てていません。そうしたら、これはトレーニングにはなっていません。

 

これでよいというところまでいけば、そこで歌うことになりますので、それまでに基本を正しく身につけておくことがたいせつです。そうであれば歌っているうちにのびてきます。

 

しかしこのように結びつくためには5~6年は必要です。多くの人は、できていないのにできたつもりで、そこで歌いくずしていきます。そこで、卒業です。これで声はよいと思ったら、それ以上伸びようがありません。

 

 

多くの人は、この半オクターブでのいい加減さを見過ごし、さらに1オクターブを荒っぽくつくっていくのです。もちろん、これが間違いというのは、その人が正しくトレーニングをしたときに出てくるベストの声に比べてのことです。

 

そのときの声としては間違いとはいいようもないし、まして、表現を問われるのなら、今、扱える声で対応するしかないからです。このことが本当の基本の身につかない大きな原因となっています。

 それを踏み込んでいくと、体がついてきて声が動き出します。

 

そのプロセスをヴォイストレーニングとすべきなのです。(ところが多くの場合、先に述べたその場しのぎの声をいかに無難に歌という形にあてはめていくかをヴォイストレーニングとして行ないます。体がついて、動くことでも正しいことと間違っていることがあります。まったく動かさないで「ドミソミド」では踏み込んだ音が出せるわけがありません。

 ですから、まともなヴォーカリストは表現するときは、体が動いているのです。クラシックの場合は、比較的動かさないのですが、ポップスの場合は息づかいから音色も含めて表現になってきます。

 

 

○フォームづくり

 

 スポーツなどと同じように、プロのレベルでやりたい人は、とにかく最初は大きくつくっていくことが必要です。

たとえば、バッティングでも大きく振ると余計なところに力が入ったりボールに当たらなかったりしますから、必ず間違います。そのことでしめるところをしめ、シャープに振る感覚を覚えて、それが正しくピタッと合うようにしていかないといけません。目的は、バットを振ることではなく、打つことなのです。

 

ただ打つのでなく、ヒットさせることです。ピッチングでも、一流の人が振りかぶって投げているということは、そこに投げることに対し、体が最小限で最大に使える原理があるからです。それは、9イニングまで100球以上、正しく投げないといけないわけで、ストライクが入ればよいというレベルとは目標が違うのです。

 

 ところが、歌ではほとんどの人は、声がでればよいということが目標になっています。それは、ピッチャーが投げたらストライクがはいればよいという目標と同じです。やらなければいけないことは、ゲームに耐えられる力をつけるということです。ストライクが入る、入らないはあとでもよいことです。

 

まず、それだけのスピードがなくてはいけません。130キロ出せないと、土台、何にものれないのです。130キロ出せるスピードには、全身を使うしかありません。そういう形で覚えていくのです。全身を使ったときに乱れることはあたりまえですが、それをコントロールする力、それがピタッと決まるのであってこそ、やがて、すべてがまとまってきます。

 

 

○ポイント

 ポピュラーのトレーニングは、できていないと思えるのなら卒業はなくて、できていると思ったら卒業ということです。自分の目的のレベルに追いついたら、歌っていけばよいのです。トレーニングをしなくても、歌は、歌でも歌えるでしょう。

 

 ここで学ぶことは音楽的な感性の伴う体です。ヴォーカリストは、歌を声で構成して最大に相手の心に働きかけるところにおとしこんでいくのです。それをフレーズで展開するのです。

 

 最初は歌のうまさよりも、こういう基本的なことをやるときに、その息がすぐに用意できるかどうかが大切です。きちんとやっている人はコントロールできて、1つの声が確実に取り出せるのです。そこまでに2年間はかかります。

 

 

 のどをはずすということも、普通で話しているときでさえのどを使っているとしたら、普通で話しているときの息や体の支えではできないと考えればよいのです。

 

「体からつかむ」「腰から打つ」という感覚がどうやったら得られるかということです。どうやったらしぜんに出せるかです。しぜんにといってもだらだらとしていてはだめです。入れるところにはきちんと力を保たなければいけません。そのポイントがあるのです。

 

それが、スポーツの場合と同じコツです。それは他の人が教えられるものではなく、自分でやってつかんでいくしかありません。やっては、今のはどうなのかとフィードバックしてきます。最初は見当をつけて覚えていくしかありません。

 

 

 その判断を、間違う場合もあります。あまりに間違っている場合は、トレーナーが注意しますが、そのときにも、どこを優先するかによります。音域を優先する場合、音感を優先する場合、いろいろとあります。

 

たとえば、初心者は音程やリズムのチェックのときの声の出し方と、歌うときの声の出し方とでは全然違います。本来は、これが一致しないと使い物になりません。それには時間がかかることです。

いくつもの要素がバラバラのうちは、一つに出せません。だから、一つのなかにすべて入れていくのです。

 

逆にいうと、そういうことができないのに歌えている人が、どのようにやっているのかということを考えれば、日本の場合は、ほとんど声のパワーやメリハリ、声量というものを捨てて、音楽的にまとめています。それだけ正しい判断もトレーニングも大変なことでもあるのです。

 

 

○個性

 

 息で「ハイ」その後に声で「ハイ」といってみてください。

 声楽的なやり方では、指導の順番として、小ぶりにシャープに振るところからやること多いのですが、(これは声-息-体の結びつきのことです)それをやってしまうと、誰の声も皆、似てきます。つまり声楽の条件のもとに同じように揃ってしまいます。

 

 「ヴォイストレーニングを教わってしまうと、今までのナチュラルな声が壊れて声楽っぽい、いかにもクラシックっぽい声になってしまわないか」と聞かれます。

ほとんどのヴォーカルスクールに行くと、まじめで熱心な人ほどそうなるでしょう。

 

声楽の先生がその一つの基準だけで教えているからです。声楽に対しては、受ける側がそれだけの度量がないと、それをプラスに働かせられるのは、難しいといえます。

声楽家は、ややもすると声のひびきや輝きといった魅力のみに判断をおきます。しかし、ほとんどの一流といわれるポピュラーヴォーカリストの声は、それにかなっていないはずです。(ただし、声の判断や声にするところまでの原理は、同じだと私は思っています。)

 

 

 結局、最初にやらなければいけないことは、体が先に動いてしまう、息が浅くなってしまう、変なところで衝動がはいる、音色がおかしくなるなど、いろいろな欠点があるのは認めた上で、自分のよいところのあることを知っていくことです。

そのときに、悪いところを潰してしまうことだけに専念してしまうと、よいところも同時に潰れてしまうことが多いのです。それでは、あたりまえの人になるために、トレーニングしていることになります。

 

どれかがものになるところまで、黙って見ていくしかありません。そこまで行って初めて、悪いところが直せたり調整できるのです。声にのっかったような歌にならないように注意することです。

 最初に伸びるところを見ないで、悪いところを直してしまうと「何も悪いところはなくなった。でも何なの」というような歌になってしまいます。

何年もかかって、まるで音大に受かっただけのレベルになってしまいます。そういうやり方では、10年以上かけても、音大に入学する人にかなわないでおわってしまうのです。

 

 どんな人にも、それぞれ個性なり、後で芽を出すかもしれないオリジナリティのきっかけとなるものが必ずあります。それは、一見まわりの人では理解できなかったり、これが欠点だと思うところにあるということの方が多いのです。

そういうことでいうと、たとえば、鏡を見てみて他の人は動いていないに、自分はどうしても動いてしまうといって、そのことが悪いわけではないのです。そこから、それよりよいものが出てくればよいのです。

 

 むしろ、その方を見ていかないといけません。他人との差異を拡大していくことが表現です。特にポップスの世界は長所短所も含めての表現になっていきます。「自分は声を出すときにどうしてもこうなってしまう」といっても、そういうスタイルで歌っているヴォーカリストもいるのです。

ただ、バランスを間違っていたらだめだということで、集中力の強さと勘やセンスが問われます。よいところが、他の欠点をも受け入れさせてしまうパワーが必要なのです。

 

 そうなったときに、バランスの取り方は、よほど自分を知らないと難しいということです。

王貞治氏のように、1本足で打とうとしたら、2本足の人よりも安定、つまり、努力しなければいけないということです。しかし、結局、その苦労を引き受けた人しか先に行けないということもわかっていますから、課題をつきつけて苦労させてあげることが、その人がやっていける力をつけさせることに、ほかならないのです。

 

 

○気づきと超えること

 

 人が物事をあるレベル以上にやっていくには、情念のようなものがなければいけません。

習い事は、ワンステップ、ツーステップ、のようにトントン拍子で進むように考えているようですが、芸事というのはそんなものではありません。どこかでつかんだときにいつか、全部できて1つ上にいくのです。

 

 「ある音がどうしてもでない」としても、それだけの準備ができていたら、その音が出た次の瞬間からそのレベルの音はクリアできるのです。

しかし、ほとんどの人はそこまでの準備ができていないので、その音がたまに出ても気づかなかったり、しばらくしたら、また戻ってしまいます。

 

そのことが起きていてもわからないので、間違うのです。

ただ高いところが出ればそれでよいと思って、本人が満足してしまうので、ものになりません。

1、2ヵ月も経ったら、あるいは、ライブハウスでちょっと歌ってみたら全然出なくなるのです。

それは、その前のところまでが全然できていないためで、本当にものにしたのではないからです。これでは何の意味もありません。自分の課題をしっかりと絞り込んでいくことが大切です。

 

 

○空調

 

 冷房、暖房の問題も、タバコと同じです。

実際の舞台では、照明もあり、乾燥して暑すぎるところが、ほとんどです。

ヴォーカリストが1番熱くなっているわけですから、ヴォーカルで調度よい温度は客席では寒くなります。そのくらいに耐える強さが必要です。

 

うまい、へた、よい声、悪い声というまえに、温度や湿度がどうであろうと、1時間出しても大丈夫な声、体力、集中力が必要です。

 

 スポーツ選手でも、どんなコンディションでも試合をしなければいけません。

暑い国から来た人は暑いところで有利ですし、寒い国から来た人は、寒いところでは有利です。

自分のことを知って、自分の予防策を立てることです。

のどが弱い人達は、その人なりに苦労して発声を身につけていきます。予防策を構じていくためにも、いろいろな環境でやってみた方がよいといえます。

 

 

○体調

 

 ベストの状態で練習できることは理想ですが、本番でいつもベストの状態ということはありません。ワーストの状態でやらなければいけないこともあります。

眠れなかった、食べられなかったという状態でもやらなければいけません。

そこで出たものが結局、実力です。

 

 舞台ということであれば、ある時間に人前に出なくてはいけないのです。ちょっとのことでも左右されないコンディションをつくっておかなければいけません。

 

経験を重ね、よくないときにはどうすればよいのかということを学んでいくしかないでしょう。

 

 

○タバコ

 

 タバコは、練習中であればやめるべきです。ヴォーカルが中心であればそうでしょう。吸わない人の、のどに悪いのです。タバコを吸わなければできないというのは、いい訳以外の何でもありません。

 

体が楽器であるヴォーカリストは、スポーツ選手に悪いことは同じと思えばよいのです。一時代前はポピュラー音楽にはタバコはつきものでした。もうもうとしたライブハウスでやることもあります。そこで、むせてしまうヴォーカリストはやれませんでした。

 

そういうところでやろうとしたら、それは慣れるしかありません。人様の土俵でやる分には、耐えるしかありません。音響が悪いといっても、すべて音響設備を取り替えられません。

 

 

 ただ、できる範囲内で自分の力が一番出るように環境を整えなければいけません。

自分ののどのためなら、そういうところでやることを拒否しても、守らなければいけないことです。

 

ここもタバコは全部禁止にしています。力関係もありますが、その人がどういう価値観でやるかということではないでしょうか。

 のどを大切にしていて、のどが弱いという人に空気のよくないところは、練習をするのによいところではありません。空気がきれいなところでやった方がよいに決まっています。(だからといって、そうでなければ歌えないといっていても仕方がないのですが)

 

ギターやドラムはのどで歌いませんので、その環境でよくとも、ヴォーカリストの場合は、てきめんに影響があります。特にトレーニング途中の人達に関してはよくありません。そういう人は声楽家のトレーニング環境を見習った方が、よいと思います。

 

 

○レッスン

 

 レッスンというのは、常に全力で取り組むことが必要です。

そうでなければ、そこでストップです。

いつも「やり直してこい」です。

 

1回休むと、次は会ってくれないくらいでよいのです。

次に行ったときに挽回して、その次になったらやっとみてくれるくらいでよいと思います。

1回のレッスンを無駄にしたら、その後の2回、意味はなくなる。それくらいの心構えが必要です。

 

 自分ができるところまでやってこない人に対して、誰も何の施しようもありません。

やさしいだけの先生ではうまくはなれません。

どうしてかというと、教えられてしまうだけだからです。

自分で判断し、築いていくことが大切です。

レッスンにおいてそれなしでは、上達は限られ、作品も成り立たなくなるからです。

 

 

 

 

 

 

 

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トレーナー

レクチャー

●Q&A  by トレーナーii

 

 

Q:英語で将来作詞、歌唱したいと思います。私としては、ネイティブかと思われるようになるまで発声、発音練習(インターFMを聞く、英語シャワーの環境をつくる)して、英語を使って詞心を表すことができるように、英語の著書や特に最近の人なども含めてCDのジャケットを読んで詩をあらゆる角度から読んでいこうと思っています。できるだけ早くできるようになりたいと思っていますが、何かもしアドバイスがありましたら教えてください。また、外国人の歌手の普段の歌声と会話、会話声からどのように歌声になっていくのか、声の響きを10年弱で変えていこうと思っています。しかしそのようになる前に先に人前で唱わなければならなくなるので、(ライブ活動や自主制作をはじめるつもりです。)その期間の声の調整はどのようにしたらよいでしょうか。

 

A:英語をネイティブにしている人とつきあい、彼らに対して歌うこと。

 

 

Q:グループレッスンの中では、先生方はその声がよい方向へいっているのか、悪い方向にいっているのか、ハッキリいってくれません。最終的に答えはもちろん自分で気持ちよいか、気持ち悪いかなど自分で判断していくしかないとは思いますが、もっとアドバイスを増やしてもらえないでしょうか。

 

A:1.声の判断力をまず自分なりにつける。その上でアドバイスを待つ。

2.声と音楽性、歌の相性もある。

3.歌と声の判断は譲ってはいけない自分の音楽の命であり、基準を知りわかるのを待つことである。まず、自分で考えることである。

 

 

Q:独習でヴォイストレーニングを3年間やりました。声自体はすごくよくなってきたし、歌の中でコントロールもすごくしやすくなってきて、トレーニングの大事さをすごく実感していますが、声の器をもっと広げるにはもっと時間がかかるでしょうか。(高・低、息の長さなど)限界はやっぱりありますか。

 

A:1.限界はあるが、それを知ってどうするか。

2.限界を広げるか、または限界の中で質をよくする。

3.声の判断にあたるところまでやってはじめて判断する意味がある。

ボールを扱うトレーニングをするにも、何度もシュートするのは自分でやる。そして、プレイの中で見てもらう。するとその動き一つでわかる。

 

Q:歌っているときに考えることは?感情を込めるということは?

 

A:伝えること、与えることが大切。客と自分の期待に応え、舞台、演出二重演じている自分(ペルソナ=パーソナリティ)をコントロールする。

 

 

Q:所内の人づきあいについて

 

A:小学校でも友だちできる。親友もできる。その場でできる近所縁というのは、動物と同じレベル。才能縁をめざせ。古今東西の人と対話せよ。

 

 

Q:一つの課題をクリアするのに通っているだけだと、ヒントを得るきっかけにはなるけど、どうしても的を絞りきれずに練習時間もより多く使ってしまうと思う。少ないメニュを使いこなせという意味があったが、実際他の人や先生方の毎日の練習方法の例など教えてください。

 

A:より多く使ってけっこう。そのレベルだからです。時間をかけないと、わかりません。

 

 

Q:(バンドで演奏中)音程が上下するときにポジションがずれるのか、集中力が足りないのか、ずれてしまいます。ギターを弾きながらすべてが同時進行している中の一つを気にしてしまうと、それが気になってしょうがなくなってしまいます。よいコツがあったら教えてください。

A:表現時においてこのような内省は必要ない。切りかえること。

 

 

Q:音楽を聞くことについてどう判断するか。

 

A:多くの人は労少なくして人に動かされるのを心地よいと感じる。でも、表現者は結局自分がどう動きたいかどう動かしたいかである。人に動かされることも動きに入れこんでいくのである。

 

Q:レッスン中にあがってしまい、実力がだせない。息を前にあてて吐こうとすると、のどが渇く。

 

A:レッスン中にあがってしまうのは、慣れるしかない。回数をこなすこと。それから、自分で納得するまでのトレーニングをしないまま、レッスンに参加すると、自信がなくて緊張するので、個人練習をつむこと。のどが乾かないようにするためには、深い息を吐くこと。浅いまま、口の中に息があたっていたり、息もれした息を吐いているとのどが乾く。

 

 

Q:高音が出るようになりたい。ゴスペルのような感じの歌が歌いたい。普段の練習方法は、頬を引き上げて顔にひびかせる練習。

 

A:まず、裏声か頭声で高音を練習する前に自分が出やすいところ(中間音、中低音)の声にパワーをつける練習をしましょう。それから、そのからだの感覚(腰の感覚)のまま、高音を出す練習をしましょう。