課題曲レッスン
【氷雨 スローバラード】
練習ですから、それを計算して補正しながらやるという方法はあります。でも、補正する部分をあまり計算に持っていくと、計算が見えてしまいます。歌うな、といっていますが、何もやっていないときに音色とフレーズだけが出てきて、何か伝わってくるというのが一番よいのです。それ以上の動きをあまり加えない方がよいです。それが共通の要素です。これをやるために体や呼吸が必要なのです。
出だしが遅れています。そういうことは、オリジナルの声とか、フレーズでやる課題ではないのです。フレーズの感覚のベースの部分をこういうところからとっていかなくてはいけません。はずしてはいけない点というのがあります。その人の体の呼吸や、大きさ(フレーズの考え方)と似てきます。その上に出てくる色にその人のオリジナルがあります。
だから凝縮したり、急に離してみたりすればよいということではなく、その音自体は伴奏の上に乗っているわけです。全然違うものを作ってよいわけではありません。ベースにあるところの感覚そのものを置き換えても構わないのですが、伴奏の人たちが持つ感覚の共通のベースというのはあるわけです。それを踏まえていけば一番わかりやすいです。メロディからの歌い方と、ことばからの歌い方を一回分解してやること。フレーズをシンプルに捉えてみて、動かしていくことです。
もう一回やってみましょう。
(「外は冬の雨まだやまぬ(レファラレド♯レド♯レドシ♭ラシ♭ラ)」)
歌が退屈になってしまうのは全部お客さんがなぞれてしまうからなのです。一つになっていないと、どんなにきれいに声が出てきても全部その呼吸が捉えられてしまうのです。日本のプロの人でもきちんと聞かせられる人は一つでとっています。でも多くの人は、振り付けでごまかすようになってきました。
英語などの向こうの言語はきちんと拍があって、ことばが一つひとつ入ります。日本語のように切れ切れになりません。自分の呼吸に合わせていかなくてはいけない。普通音楽というのは、ことばがわからなくても、その人の音色と、どう展開させるかのフレーズで人を心地よくしたり元気にしたりするわけです。そこから離れていくようなことをしないことです。自分の呼吸の中で回っていなければ伝わらないです。
それでは逆のことをやってみましょう。第一拍目にアクセントをつけてやってみてください。それでやっても動かせる人は動かせると思います。最低4つで聞かせるということです。
(フレーズ「外は ふゆの あめ まだ やまぬ」)
体で常に読み込んでいる場合はどこを強調してもおかしくならないのです。ただ変わらない人の中には全然踏み込めないから変わらない、というのもあります。逆に計算でフレーズを作ったり、体が伴っていないときは、できなくなってしまいます。
一番まずいのは何をやっても変わらない人、次にまずいのはひっかかってしまう人、計算に体がついていかないのです。本来、どこにアクセントをつけても同じです。ただアクセントが聞こえてこないと仕方ないですね。フレーズの勉強というのは、どう置いていくかということになりますから、そのあとのフレーズとの関連も重要になります。
もう一度戻して、自分の息で言い切るようにやってみます。一つにしていく、自分の寸法がこのくらいだとしたら、歌はもっと大きく出せる。これくらいの感じでやってみてください。
(フレーズ「外は冬の雨まだ止まぬ」)
きちんと捉えなければいけないということです。一つの音をきちんと捉え、線として展開していく。原則的に戻るのであれば、「ハイ」「ライ」のところできちんととっていくことです。単純に体一つで捉え、そこからフレーズの展開を考えていく。いくら声が出て、正確に歌ったとしてもそこに歌が見れてこないのです。
歌というのは、自分の体の中の呼吸が見えて、感覚と一致したときに出てくるので、その人の呼吸が見えてこないとダメです。それが見えてきたら、どんなフレーズでもよいのです。その人がやりたいフレーズが見えてくるわけです。日本の歌の場合、歌うところまでが歌になっていますのであまりそういうことをやりませんが、流れ自体を壊していろいろやってみても、自分の体から離れてしまったのではよくないです。大きな動きが体できちんと作れている上のことで、許されている中で作っていかなくてはいけません。
最近、歌を動かしているのが、頭で動かしている場合が多いです。だから、全然一致しない。狙っているのが見えてしまいますから。もっと自分の体の中で読み込んでいって、その音声をきちんと取り出すのです。流れの方向自体を変えるのはよくないです。間合いというものがあります。これが単純すぎるのです、見えてしまうのです。
練習の段階でやって欲しいことは「ハイ」といったら、この「ハイ」に対して、線自体がかすれていようが、声が伴わなかろうが、それを押して出ていくようなフレーズを作っていくことです。ことば、メロディということを最初理解しますね。それを1回、体に落とす。それをフレーズとして展開するのです。音からフレーズに。フレーズというのは呼吸です。それで出ていくということです。出すとき、体力がいるから、それをキープさせるとともに、それを正確にとっていくということです。
ポップスにはいろいろな出し方があるので、実験していくとよいのですが、基本をはずしてしまってはいけないということです。冒険するのはよいのですが。
(フレーズ「外は冬の雨まだ止まぬ」)
一番ベースのところでいうと、「外は」といっているときに、離れてしまうと体に入らなくなります。そこで声を一番確実に押さえなくてはいけません。「外は」の「は」のところです。楽器というのは音が出るところで前もって調整していかないと、音を出しながら調整するというのは無理な話です。できる人は元に線を作っておいてそこに落としていく。
まず「外は」というのがきちんと言えるということ、それから、その後の展開をきちんと見ていくことです。ことばでやってみましょう。「冬の雨」といってみて、メロディをつけてみましょう。
(「冬の雨」「冬の雨(レド♯レド♯レ)」)
「ふ」で伸ばしてもどこで伸ばしてもよいのですが、ことばから起こせていませんね。声がないところで声を作ろうとしているので、いろいろな音色が出てしまうのです。調整できなくて出てきた音色ですね。「ハイ」といってみて「冬の雨」といえるところ、つまり「ふ」であろうが、「ゆ」であろうが深いところでとらなくてはいけません。
「ふ、ゆ、の、あ、め」ではなく、「ふーめー」くらいにとっていく。こういう歌を歌わせると皆、日本の感覚でとってしまうから、口の中でやってしまうわけです。のどのところで作ってしまうから音色が次に展開していかない。ことばの歌にはなるけれども、音としての歌にならない。声量、声域もとれなくなってしまう。最初から体で揺るがしていくことをやってみることです。
それでは和田アキコさんので、かけます。これはことばとフレーズの世界です。分解前の世界ですね。(「あの鐘をならすのはあなた」)ことばのフレーズでもっていっています。
(「Ya-Yaあのときを忘れない」)
研究生が歌うとこれで充分ですが、彼女の中ではこれで7割くらいでしょうか。
あとの3割は一致していない。計算が違っているわけです。自分の歌じゃないからよいわけですが、優れたヴォーカルであれば100使うことをわかっているわけです。そうじゃないと、その世界に入っていきません。音を出していく世界にね。彼女が持っているリズムなどは、向こうのものなので、こういうものを歌わせるとけっこうよいです。
(「スローバラード」)
こういう曲になると、彼女の個性的なクセが解けていくのです。解けていかないとよいものは出てこないのです。これの一番最初の部分は計算して入れているけれど、和田アキコの色が出ているうちは大したことはないのです。個人の歌ですから。
もっといえば、全力を使える歌を選曲しなければいけないのだけど、本当はどんな歌でも全力で全体を使えます。そうすると一つになるわけです。それがプロセスです。これは100の力を使わないとできません。踏み込んだ後のところで、甘くなっていますが、1回踏み込めば歌はもちます。
自分の寸法をきちんとみること、自分で一致させること、これが一番大切です。ギリギリ出しているところでは、自分が100だしているところで音楽がフレーズに何を感じて、どこが音、音程的に動いていくのか、それを自分の楽器でやってみる。その音の中に入っていかないから、出てこないのです。違うことをやってたり、考えてやっているというのはわかるのですが、そこで見切られるんです。
自分の体の中でオリジナルの声を、オリジナルのフレーズにしていくことです。どこが心に訴えかけてくるかというと、潰してる声、主張していない声のところで皆聞くわけです。主張させようと思えばできます。でも全力を使っているから主張できないわけです。主張できなくなったところに感情移入していくわけです。
「悪い」といっているところは日本人が理解しやすい音色です。和田アキコ、というところが見えて、私は好きではないです。それに対し、「も」や「ない」のところは共通の部分です。そして和田アキコが消えていても、彼女であることには違いないわけです。この後、少し集中度が欠けていますが、彼女が持っている体の呼吸には合っています。そこを追求していかないと、余計な力が入ったり、解放されなかったりします。歌い手が解放されないのに、聞き手が解放されるわけはありません。つかまないうちに解放もありません。
フレーズの練習をするときは皆、声をきれいに出したり、きれいに音をとることにいってしまうのですが、それがインパクトを持ってパワフルに伝えられるということは、そのフレーズがきちんと体で捉えられていることとともに、より、そこに自分で感じられることです。ベースに戻りなさい、というのはそういうことです。
その音をどう動かしていくかという中で、その中でピッタリとは合わなくても、近いものが出てくるわけです。その中にしか音楽は宿りません。それを力を入れてやるとのどが閉まってきたり、音色が出なくなったりします。それを動かしていくという練習をしなくてはなりません。このくらいのフレーズの練習でよいから、それを自分の中でつかむことです。体でつかむのは少しずつできてきていると思います。だから今度は音色でつかめばよいのです。すると、はまるのと、はまらないのが出てきますね。
合宿で何をやっていたか思い浮かべればよいです。思いきり、体を使って声を出し、その中で音色を探っていくわけです。それができると、ここがおかしい、とかそういうチェックを全部していかなければならないのです。そのときに、それが自分の体の寸法と合っていたら、わかりやすいのです。一番中心にある声のところで流れを作っていくわけです。それにことばが乗らなくてもよいのです。あとでつけていけばよいですしね。
(「悪い予感のかけらもないさ
(ミファ♯ミ・レミミソー・ミミミファ♯ー・ラララファ♯ー)」)
これが一つになっていて、そのひとつの中から何らかの主張なり、音色なり、効果なりが出ているかいないかです。一つになっていないと出ようがないわけです。ほとんど4つに聞こえてしまっている。その一つの中で起きることは全部正しいわけです。それが響きすぎても、かすれても、のど声だったとしても、そんなに間違わないのです。
動きを作っていますから、逆に味になる場合もある。ところがそれがバラバラであったり、自分の計算の中で4つに切れてしまっていたら、体の動きが止まってしまいますから、音楽も止まるわけです。スポーツでもそうですが、乗っているとき、勝っているときは、自然に動いていて、そこにボールが来たりするわけです。ボールを取りに行くわけではないのです。動いているところに来るわけです。まずい、と思った瞬間に失敗しているわけでです。自分の動きの中にそういう感覚があるわけです。
音楽だって同じで、それが3分間流れていない以上、そこで作ろうというのは無理があるわけです。フレーズ練習というのは、それを聞いていることの中で、体に流しておいて、その感覚の上に体が溶け込んでいかなくてはいけない。そこで「わ・る・いー」と歌ってみたって、遅れているわけです。
今やって欲しいのは、一つにつかみ、自分の体の寸法を確認すること。それを最大限、音楽的に処理するため、音楽として聞こえるため、歌でもことばでもセリフでもよいし、叫びでもよい。舞台になるように聞こえる表現ならよいわけです。それが表現として成るためにどうすればよいのかです。
歌というのは、プロの人でも2、3割の力でやっているものだと思います。特に日本では、。でもきちんと歌っている人は、何曲かのどこかを100%でやるわけです。そこがトレーニングでやるべきところなのです。1フレーズの中でもっと凝縮させないと1曲持たないです。複雑すぎるのです。余計な計算が働いて、余計な効果を練っているために、もっと楽に結果として出てくる結果を殺しているのです。不自然なのです。
それと勢いですね。よかったところとか、悪かったところとかを感じさせないでやっていくのも一つの方法です。突っ走ってしまえばよいのです。突き放して歌っても、その中に入って歌ってもよいのですが、本当は両方の要素が必要です。課題曲と関係なく、その課題の中に入って、その中で感じたものを自分の音色として、フレーズで取り出していく。
その瞬間が一つにならないのですね。それは多分練習の中で一つになることをやっていないからだと思います。歌と一つになるのは大変なことですよ。余程調子のよいときで、そういうことがあるかないかです。歌は、それを一ヶ所で出さなくてはいけない。他のところはそれを持たせなくてはいけない。声楽家でも同じように声を出しているようでいて、声のピークというか、ポイントははずしてはいけない。他のところはマイクをつけないように歌っていくわけです。
ヴォイストレーニングというのは、それを1時間やって、それを1回出して確認して終わる、ということをやるべきです。単に長くやっても仕方ありません。最初は計算すればよいのですが、きちんとやれているときは計算も消えています。素振りと似てきますね。きちんとできたときには、全部の力が抜けているはずです。体に聞いてみて、体が取り出せる状態を作るしかないわけです。いつも皆が負けるのは集中していない場合がほとんどです。気をつけてください。もっと大切に一瞬一瞬を取り扱うことです。
数打ちゃ当たるという練習も中に入れておくべきだとは思います。これがよい、と思っても、自分でいろいろな冒険をしてみればよいと思います。しかし、冒険して選んだものに対して、自分で感覚を持っておかなくてはいけない。人はこういうところで納得するんだろうな、ということです。
ライブとはそういう場ですよね。うまくいかなければ何でそういうことが起きたのか、いろいろな原因があると思います。
ある一人のヴォーカルを聞いていくと、その人に根本的なものとして入っている音楽、リズム、音感、ことば、フレーズの感覚などが出てくるわけです。出てくるようにしていかなくてはいけない。そこで力がなければ入れていかなくてはいけませんし、ある程度入れたら出していかなくてはいけない。
問題なのは動かしているところから、離れないものは歌にならないのです。楽譜をつなげているだけです。ある音を取ったときに、その音が自然と動き出すところから持っていかなくてはいけない。自分が動かすのではなく、その中から動きが出てきて、その動きが伴奏を含め一致していく。
そこにその人固有のズレや距離が出てきます。計算したら計算したところまでしかいきません。ベースだけでやっている音楽はよいものであれば音楽でなくなってくる。楽器の世界ではあたりまえのことですが、歌の世界はそうでなくとも、歌といわれてしまうのですね。
大切なことは、そこで起きたことを受け入れてそこで出せるものを常に持ってこれる人は、そのレベルを超えて、さらに上のことができるからでしょうね。人生の中で何度か起きることですが、それが常に取り出せる人が私はヴォーカルだと思っています。レッスンが短いので計算の中で終わってしまうかもしれないですが、できるだけやってみてください。
(「悪い予感のかけらもないさ」)
このフレーズのピークのところで、展開していかなくてはいけません。展開の仕方はどうでもよいのですが、これできちんと変えれること。これで半分ダメですね。それから気持ちが切れないこと。入った瞬間に終わっている人がほとんどですね。残り3、4割入れる人がいますが、入ったものをキープする。のっかって歌っているだけならどうしようもないのです。ここから飛びだ出たものにしか表現はないのです。難しいのは、悪い意味での計算、声の練り込みだけで終わってしまい、なかなか解放にいかないことです。
声楽家は「の」や「も」のところで語尾を完全にピーンと響かせて勝負しますが、ポップスの場合は響かせない方が相手に伝わる場合もあります。それはスタイルですね。フレーズというのは、次のフレーズに移るために完成されていかなければいけません。
一番欠けているのは、ピークのところまでもっていけないことです。声量よりも、精神的なものや、テンションが問われます。密度の中で集約していかなくてはいけない。それがあって、次に開放されて進んでいく。むしろ映画であったり、ドラマであった方がわかりやすいですけれどね。
条件としては、最初にきちんと引き付けること。4つのフレーズが気持ち的に切れないこと。それから、4つが均等に置かれないこと。本当にあたりまえの条件ですが、なかなか満たせないですね。どれかとるとどれかが捨てられているようです。きちんと歌えている人は必ずその条件のようにありますね。自分のはよくわからないでしょうけど、人のを聞いて、そういう感じをわかってもらったらよいと思います。これそのものはコピーしない方がよいと思います。
このフレーズに限らずですが、このフレーズが他のフレーズより難しいのは作らなければいけないからです。音そのものをとっていって、ロングトーンで伸ばせなくてはいけないこと。それから声の芯。オリジナルな声はなくてもオリジナルなフレーズがあれば、日本の歌は歌いこなせます。できないな、と思ったら、自分のフレーズに持ち込んでしまったらそれなりのところまで持っていくことはできる。でも、もし、そこに何かをたくさん置いていきたいとか、そこだけでわからせたいという歌い方をする人にとってみたら、そこまで自由になるためには、オリジナルな声のところできちんととっていないとダメなんです。
ほとんど、ポップスというのはいい加減な声で歌っています。外国人のヴォーカルはうまい意味で使い分けていますね。全部オリジナルな声でやっているとは、思いませんが、動きの方を優先している場合には少々声が死んだところで、いろいろなひずみが来たり、またそれを楽しむだけの余裕があります。そして、すぐ戻れるわけです。100回くらいやったら、1回はそれに近いことが出てくると思います。それを1回目に出すことができればよいのですが、できなければやはり曲の中で気づいていくしかない。
リズム、音感、ことばなどに気づいていかなくてはいけない。たとえば、これは、和田アキコさんのアルバムですが、人の曲も入っている。それをなぜ選曲をしたかということ。それから本人が判断を間違っていることは随分ありますよね。好きだから歌う、というのは大きな理由ですが、それが歌い手に全然合っていなかったりする。処理の仕方が間違っている場合、色が合ってなかったり…。ただ色のことでいえば、気に入らなければそこにいろいろなものを入れてくればよいわけです。こういう分野に入ってくるとややこしくなります。
アダモというのは、シンプルですね。意志で持っていけるところまでの歌でよいわけです。そういう方向をとる人はそれでもよいと思います。理想的な発声ではないのかもしれないけれど、それで2オクターブとって歌える。
(「ル・ネオン」)
(「ル・ネオン・ル・ネオン(ファ♯ファ♯ラ♯・ファ♯ファシ)」)
こういうのは基本ですね。アクセントは全て「オン」についています。アクセントをどう置き、その部分で踏み込めているかどうかが問われます。先に進まなくてはいけないのですが、置かないと流れてしまいます。「…オン……オン」くらいで捉えておいて、「オン」と「オン」を気持ちのところで同じにしていかないといけない応用編です。「アメリカ…」というのが最後にありました。これはアメリカのネオンを歌った曲です。
同じテンポで止まってなくてはいけないし、流れていないといけない。ここでもう展開があるわけです。このテンポでずっと流れていくわけです。この曲を聞いて、同じテンションで声が出てくるかどうかわからない。だけど、逆にそうではないときに出てくることもないということです。それを変に情緒とか、フレージングとかを計算してしまうと、ダラダラしてくる。素人とプロの歌が一見してわかるのは、退屈か、そうではないかということです。何もつくり出していないと退屈でしょう。その人間がそれだけ盛り込んでいかないとダメですね。その辺の状態を作ってでないと声は出てこないと思ってください。
きれいにレガートで持っていくやり方もありますが、それはそれで別の意味で高いテンションが必要になります。少しでも気がそれたら、声は変わってしまいます。ポップスは声の技術的なところが弱くても、表現のことで雑だとか、荒っぽい、ということはありません。ただ、体や息でもっていったり、音だけの世界でいえば、クラシックほど厳密なものではないのがおもしろいと思います。
これらの2つのフレーズから何を感じるのか、そこで飛び出ていかないと、次につながっていかなくて難しいです。3分間歌うというのは非常に大変なことなのだとわかって練習してもらえばよいと思います。
いろいろなタイプの学び方があります。思いついたことをいってみて、それが皆の中に組み込めるようであれば、とりなさい、ということです。本当の授業とはそんなものです。押し付けない。私は毎日トレーニングをしていましたが、1年で一回か二回くらい本当に大切な瞬間があります。毎日のトレーニングは、それがわかるかわからないかということのためにやるものです。今はやがてそういうのがわかるような準備として入れていますので、今日の授業で何がわかって、何がわからなかった、といってみても仕方ないです。2、3年たったら、結局何もわかってなかったんだということがわかってくるのです。それでよいわけです。
勉強の仕方を②のレベルくらいでいっておきます。今日とりあげる和田アキコさんのアルバムにはオリジナルナンバー、それから他の人の曲、そしてスタンダードナンバーがあります。これらの曲の中で勉強しなくてはいけないのはその人の中にどんなリズム、音感、ことば、フレーズが入っているかということです。これは小さいときから聞いたものが入っているわけです。皆も自分のそれをきちんと確認しなくてはなりません。それから、必ずしも入ったものが出てくるわけではないのです。本当であれば、ここをきちんと見つめて、入っているものを見つめて、作り出したもの、これが一致しているとよいわけです。ポップスのヴォーカルは、曲の全部をプロ並に歌える必要はないのです。自分のスタイルに合う曲1曲だけをすごく歌えたらよいところから始まる分野です。
だから、自分のことを知らないで何が作り出せるのか、ということです。聞いてみて全然足りないと思ったら、自分で入れていくしかありません。2年くらいでは入りません。聞き方もあります。そのプロセスをどうとるかということを常に自分で問うていかなければなりません。
オリジナルのフレーズがあればよいといっていますが、この曲を聞いて、和田アキコらしいな、と思うようなところがあれば、それは本人の意志や計算でもっていっているところです。意志はなければいけませんが、それが計算で出ているうちは歌になりません。技術を伴わせようとすると、今度はこっちが飛んでしまうわけです。それが全部体に宿っていかなければいけません。
ここでやっていくことは、本当に声が動きたいように動くところに作品が乗ることです。これはギリギリの状態なわけです。自分と音楽の接点です。自分のやりたいようにやれば音楽からはずれていく。音楽を重視すると自分はどこにも出てこない。すると、一致するところというのは最初は本当に1つか2つなんです。それが決まったときに、その人の歌だとわかるのです。
10年やったら今よりもたくさん出るということではないのです。ある時期にものすごくたくさん出ます。それをきちんと固定して、その上に行ける人と、それが最後になり、あとは歌いこなしてしまう人が出てきますね。これは環境によるところが多いですね。
楽譜があって、それをただ弾くのではありません。メロディがついていて、それをヴォーカルがどう創れるかです。課題からいうと、どこを創るかをやっていくことです。アマチュア選曲は、好きなものを歌っているようですが、プロの選曲は歌えるもの、創れるものを選んでいくことです。
このヴォイスのトレーニングで一番やっていることは、オリジナルの声です。要は体を意識しなくて、出てくるような声です。息をハッと吐いたら、それが声になってしまう。これも同じことです。持っていなければ解放できないわけです。日本人でも歌っている人はカラオケに行けば解放して歌っています。それで、オリジナルのフレーズにならないのは、まずは声が理想的に使える状態になっていないからです。
ここで「ハイ」と「ララ」で説明していますが、「ハイ」に対して、「ララ」というのは解放の練習です。「イ」の後半からそうなっているわけです。その「ハイ」というところは、声の芯、ポジション、つかむところです。
それから、時間を止めるところ、話や落語でも同じですが、練り込むところです。これがないことには解放してもわからないのです。止めるというのは動きの中にあるのです。止まってから、動くわけではない。逆にいつもいつも動いていればよいわけでもない。ある程度動いているわけです。きちんと握れない以上、勝手に動いてくれないわけです。これが動くのは意志の力にもよります。でも実際、気持ちよく歌えたときは、そこから離れていくわけです。離れると恐くなりますから、押さえようとか、もっと声を出そうとか、違う方向に考えてしまうのです。そうするといつまでたってもうまく歌えないのです。それ以上のものにならないということです。
和田さんの歌い方をいろいろと聞いて、その中に入っているリズム、ことばとは何なのかを考える。そして自分が同じものをやってみたときにどう違いが出るのか、一人ひとり全部違います。
他人の曲というのは、「Ya Ya~あのときを忘れない」ですが、皆がイメージして、和田さんがどう歌うのか、それに対して実際、和田さんがどう歌ったか、それに対してなくしてしまった点はなにか、そのかわり獲得できた点は何なのか。どちらが優れているかということは言えませんが、作品として見たときに、どちらがよいか、ということは結構わかってくるのです。
自分で曲を創っている人は、その人のリズムや音感の上でやっています。ヴォーカリストは、曲を与えられたとき、自分の音感、リズム、ことばなどを使ってもう一度作詞、作曲をしなければなりません。ここをはずしたとか、このリズムがとれなかったからといって、失敗することはありません。ただ動かし方がその人に合っていないときは、いくら音や歌詞を間違えなくても、作品にならないのです。そういうところで判断していかなくてはいけません。その行為をやめてしまったら、人前では出せなくなります。創られるということをこの場ではテンションと集中力を与えてやっています
。アダモは声はよくないかもしれません。しかし、そこでのテンションや集中力の高さを見習って欲しいでのす。それは何よりも彼が“今”を歌っているからです。声が動き出していて、何かがそこに落ちていく、それで音楽になっているときの、歌い手の集中力、テンションというのはとても高いです。それが3分間、ライブなら何曲も続くわけです。そのテンションや集中力を保てないところにそういう声が出てくることはありません。声は出ても、動かせる声になりません。その条件を整えていかなければいけません。