一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

鑑賞レポート  5719字 816

 

鑑賞レポート  816

 

 

 

ベット・ミドラー)】

 

「男が女を愛する時」「Stay with me」がすごくよかった。「男が女」を後で違う人が歌ったのを聞いたが、全然違う。1つの曲のドラマを全身全霊で生きている。ライブで1曲だけで、倒れてしまっても、それが聞けただけでも、もう充分という感じ。聞く方にも体力がいる。人間自体激しいが、やはりステージ上が最も輝いている。一番生きている。ああいう人間と共に生きると本当に消耗するが、歌手としての存在で、すべてが許される(少なくともその瞬間は)、そういう人間がいるのだ。

 

 

 

【ジャニス】

 

インタビューの中でジャニスは、「歌うときは何も考えない。ただ感じるだけ。」と言っていた。ステージを見れば、それがよくわかる。ステージの上のジャニスは、心のまま叫び、足を踏みならして歌い続ける。計算されたステージではなく歌を、音楽を感じる心がジャニスの体からあふれ出てきて止まらない。誰にも真似の出来ない、ジャニスだけの歌がそこにある。歌っているところから、語りに変わり、聞き入っているというの間にか歌に戻っていた。極めて自然な流れである。心が感じるままに歌わなければああはならない。すばらしい歌手だと思う。私が初めてロックのCDを買ったのが、ジャニスの「18の祈り〜ベスト・オブ・ジャニス」だ。その中の「ベンツが欲しい」の後に入っている、ジャニスの笑い声。少し悲しみを帯びていたような声に、ジャニスがぎゅっと詰まっているようで何度も聞いてしまう…。

 

 

 

高橋竹山

 

「三味線を弾く時、何時も思い出すのは、門付けをして家から家、村から村へ旅をしたこと。」と語っていた。17歳から、お金をもらう為の袋をブラ下げて歩く“門付け”を行っていたそうである。その時代が実に辛い期間であったようだ。目が不自由なのに、ひとりで、雨の日も風の日も、真冬の雪の中でも毎日歩いて移動するなど考えただけでゾッとしてしまう。何しろ、頼れるものが何も無く、演奏が受け入れられなければ食べ物にも困るのだ。風邪など引いてる暇も無い。又、三味線は雨が降る毎、皮が剥げそるそうで、その貼り替え作業も自分で行わなければならない。嫌ながらも、それ以外に生きる道が無く、続けたそうである。戦争中は国賊と呼ばれたこともあるとのこと。その辛さに耐えながら、自分の道を貫いてきたわけである。「人の哀しさ、人のやさしさ、人の温もりを知った。」という彼の一言一言に重みを感じた。弾き慣れた「津軽じょんがら節」等は、眠っていても演奏出来るとのこと。当然目が不自由だから手元を目で確認することもできないが、そんなハンディを越えて、三味線を自分の体の一部と化するほどに弾き込んでいたのだろう。この曲の曲調を知って、弾ける人は竹山氏をのぞいて他に殆どいないと、伝えられている。自分に置き換えてみて、曲の歌詞を覚えるほどに四苦八苦し、単に当てて歌ってしまいがちであり、まだまだ話にならないと恥かしさを覚えた。彼の手元のバチの動きを見ていると、正確にリズムを刻んで音を出しているが、決して機械的でなく、あたたかいタッチが伝わってくる。その秘訣は何か探ろうと、画面を見入った。一音一音に芯がある点では共通するが、微妙な息吹は毎回異なり、そこに彼の人間性が反映しているように思えた。サラッと聞き流す時、全体をとらえてみると整っているが、よく聞くと音に奏者の思いと狙いが込められているのである。キラリと光るものが音に染み付いていた。いかにして、そこまで極めたのか。何千、何万回のトレーニング、実績の上に磨かれてきたのであろう。歌と演奏では異なる分野であるが、後が無い中に自分を放り投げ、一点集中して取り組む姿勢があれば、いつの間にか表現に味わいが加わり、人の心を打つことが出来るようになるのだろうと思えた。多くの誘惑をいかに断ち、一つのことに情熱を傾けることが出来るか、その地道なパワーを私も身に付けたい。番組の最後に「よされ節」について竹山氏自ら語っていた。「この味(津軽の農家の匂いであろう)は誰が何と言っても無くしてはならない。竹山ひとりでも弾き続ける」と。晩年、彼は言葉さえ失いながらも、生涯三味線を離さなかった。こんな気概が彼を引っ張ったのだろう。伝統を大切にしながら、新しい世界を開拓して来た、地味ながら気骨溢れる姿が実に印象的であった。

 

 

 

【オペラ忠臣蔵

 

ソロでやる人と脇役の人とでは声の通りが全然違う。響かせ方と息の量の差か。ソロの人は皆声は通っていたが、特に女性はカン高く何を言っているのかよく分からなかった。声の芯がしっかりしていないためだろう。作品としては、1つの場面でああでもない、こうでもないと最初は見ていてイライラした。現代の情報化社会の流れとあまりにもかけ離れているせいであろうか。しかし作品の中の時間軸に徐々に自分も溶け込んでいくと、人のちょっとした感情の変化とは、取り出して咲かそうとすれば立派な表現の花々になる事に気づかされた。考えてみれば自分もたかだか3分という時間の中にどれだけのものを詰め込めるか、どれだけの時間を費やせるかという事をやっているのである。普通の人に比べたらバカみたいな時間の使い方かもしれない。時間は常に一定に流れているようで人によって時代によってそのときどきの感覚によって大きく変わってくる。たまに別の時代やのどかな地方の時間軸に身をゆだねてみるのもいいと思う。

 

 

 

【辻が花染・久保田一竹】

 

『布に命を入れる人、久保田一竹』

このビデオを見ている間、私はずっと息を飲んでいた。一枚の限られたスペースに描かれた富士山に無限の広がりが感じられたのは何故だろうか。たった一つの山がこんなにも様々な表情を持ち、あらゆる動き、形を見せている。一竹さんは目に映ったものを表しているのではなく、心に映ったものを表している。そしてただの一枚の布に命を入れるのだ。あれだけすばらしいものを作っているのにそういった命の入った布はなかなか出来ないという。見ればその作品が出来上がるまで気の遠くなるような作業が続く。何度も色を重ね、そんな作業が続けられる。“黒”というのはただの“黒”ではなくあらゆる色が重ねられてできた色だ。とても奥深いものがある。350年前の一枚の布に出逢い、その布に秘められた謎を自分の力で解き明かしていき、そこからまた新たなるものを生み出そうとしている。口では簡単に言えるが、実際にこれをやるという事は並大抵の努力ではできないのだ。驚くべきあのエネルギーの源は一体どこからくるのだろうか。「一枚作ったらまたもう一枚作りたくなった」という30枚の連作は圧巻だ。美術館の一番初めに置かれた「太陽」の作品は恐い程せまりくるものがあった。「何にこだわり、何を伝えたいか」ただそれだけだ。一竹さんの場合辻が花染に出逢いその中で表現している。一竹さんが語る言葉の一つ一つにもずしりと重みを感じるのは純粋であり、情熱的な想いがいく層にも重ねられそこに魂が宿っているからだと思う。借りてきたものではなく自分の言葉だ。とどめは最後の言葉で「80才になって自分の世界はまだまだこれからだ」と言う。私のつまらない考えをガシャンとくだかれたような気持ちになった。

 

 

【びんぼう一代】

 

志ん生さんが話している姿は、すごく自然。落語をやっているというよりは、おしゃべりを聞いているようだった。落語を最もおもしろく聞かせてくれた人と言っていたが、本当におもしろかった。夫婦喧嘩のやりとりのところなど、その二人の表情、仕草が見えてきた。話し方(声の抑揚、間)に全く不自然さがないので、すっと引きこまれる。こんなに自然で力の抜けた落語なのに、落語という芸に対しては真剣でいつも全力投球だったという。そういう陰の努力は見せず、ただ客を笑わせている。芸とは人間。この言葉の意味は深い。

 

 

【パトリシア・カース】

 

『ステージは構成次第』凄く素敵。心をこめて。心から歌っている。心のおもむくままに、自由だ。黒メガネかけた黒のシルクハットの人も彼女の存在感にはかなわない。どこに歌ってる?天に?美しい。ステップ踏んでドレスの裾ゆらめかせて体全てが歌っている。全身が。どうにかすると冷たく険しくなる眼、その豊かな表情がスレスレのところでうごめかす。声は全く違う、包み込む、冷たくない、険しくない。心をそっとつかまれていたつもりがずっとひきずられていく。ぐっーとおさえているから逆にそこから滲み出してくる、たっぷりした味わい。本能のままだ。素敵な会場のライティング、木もれ日の集合の様だ。笑うと何てかわいいんだろう。いたずらっぽい視線。「感動で震える、だってみんながそこにいるから」か。こういう感覚で歌っているのか。「物語を始めましょう。」歌うことは物語、話をつむぐこと。そしてそういう構成。凄みをきかす、超カッコイイ!くいついてきそうだ。何故か?訳もわからずそう思う。生き生きしているのだ、言葉がリズムを生み出し。「永遠に愛する人へ」ゆっくり歩く、いすの前に立つ、そして座る、シルエット、うなだれる、そこでライトが消える。凄い拍手だ。酔わせているお客さんを。歌うだけでない、全ての時間を自分の肉体で歌う。ステージにいったんあがったらおりるまでが表現。物語は続く。踊る。裸足だ。横向き、完全に。時々こっちを向く。美しい背中美しい後ろ姿。着替えた、そこもシルエットで演出する。メルシィをいう間がカワイイ。この人の間。しかしかわいい間というのがあるのか。椅子から出したい。あの枠に入れとくにもったいない大きさ。早く出て来て!肩を出す。セクシー!背中から少しずつ脱ぐでもなくからませる。うなる、カッコイイ!舞台では思むくまま。広ーい舞台。動きまわっている訳ではないのに余ってみえない。ゆっくり上着を脱ぎ落とす、神経のはりつめは200%。何ていい姿勢。天に向かい歌い出せる姿勢。カメラの視線いい。ギターの手から彼女を見上げる。彼女の後ろ姿からうごめく拍手をする手。ゆるやかにステージを降りる。踊る、お客さんの一人と踊る、至福の時、何だったんだろう?泣きそうになる、何故?ここまで息を止めさせるのだろうか、踊り終わってやっと解放されるのか?わからない。酔わせるリズムを作り出している。スタンドの下にほのかに照らし出される彼女の顔、そして自ら消す、物語だ。客席のペンライト、そのスロープ加減が実にいい、素晴らしい、ここまでひっくるめてこういうステージがあるのか。ただ歌を並べるのではなく、まずどういうステージにしたいかのイメージがはっきりしている。ステージとして何を伝えたいか。その中で歌がイキイキ息づく。楽しい、鳥肌が立つ。衣服を脱ぐ着ける、何だろう、ステージをおりてからもその手法に多くを語らせる。語らせているのはわかるが何を言いたいのかわからない。彼女の衣装はあのスタイルだ、似合っている、美しさを引き出すデザイン。知ってる?客席に呼びかける。知ってる?次のフレーズ一緒に歌って!さあ、歌って!チョットだけセクシーなダンス。カッコイイ。本能のおもむくまま。ステージでは。でも計算は見せない。4人並んだ、こういう人がいるのか、いけいけドンドン。「ジミー」肩ぐるまされてた女の子が会場の熱気にのって拍手してた、楽しい。後ろ姿で腰くねらせる、とめる、そのまま、またとめる、そのまま。どうすれば自分が美しく、自分のいい所が出るのか知ってるんだ、凄い素敵、スピード、息づまる、こぶしだ、ふんばる、カッコイイ、お客さん立ってる、メリッハリッ。うなり、こぶし、色んな人がやるが何だろう?何で気持ちいいんだろう?オーバーオールのつなぎの人が飲み物持ってくる。彼女とのコントラストが小休止になっていていい。紺?ブルー?の丸いサングラス。表情が変わる。でも、目がみたい。何をねらったんだろう?めがねごしの上目づかいに見る、でもまた元に戻す。目がみたい、落ち着かない。踊るコーラスの人。一人で充分素敵。二人の存在感。「さあ、一緒に踊りましょう!」「一緒に踊りたい?じゃあ立って行くよ!みんな一緒に」「もう疲れちゃったの?みんな一緒に!」自然なコミュニケーション、流れがある、うなる、うなる。踊る、セクシーに。のけぞってうなる。森進一もまっ青だ!語尾あげてバンドのメンバーを紹介する。すごい鼻、キーボードの人。私の鼻を見たら何と思うだろう。踊りながらステージを動く。かわいいなあ!楽しい、実に、そこにもリズムがある。彼女がリズムだ。色っぽく今回は紹介する。紹介する彼女の声が歌。ギターの人とキスしちゃった、どうしてェー?さすがに照れて出てきた、何だったんでしょうねェ。背中向けて一節うなって終わり。実におもしろい。うなる。もう一回うなった。正面向いて、うなる。何だ?すべらかに脱ぐ。ステージは終わった。着替える。哀しいメロディーもう一度なぞる。今回のステージを、今回の物語を。白いドレスを照らし出す色。心を込めて歌う。心を込めて歌え。鳥肌が立つ、鳥肌を立ちせる、生きて、生きて、生きて、生きて。苦しむことで喜ぶことで悲しむことで憎しむことで、歌わせなくたってみんな歌ってる、全身全霊で。立つのがやっと、神様みたい。捧げつくして、まだ歌うの?もう十分だよ!これでもか!ぼかしの山吹色にはさまれて浮かびあがる彼女の歌う姿、美しいカメラの視線。ステージそのままと全く違う。歌を高める。着替えた。今までと違う。「プップッティトゥー」のかわいくて色っぽいこと。「アローン」の「ア」の色っぽいこと。この人なんだナ。脱ぐんだ、ひもから、ギャーア、じゃない、キャー。素敵、四角の胸元のカットも素敵。胸のふくらみが美しい。この、くらいつきそうに歌うのが彼女のよさ。いい。男と女だ。演出。楽しい。止まる。この時間、素晴らしい。この時間が今までの中の何よりもすごいかもしれない。ここを高めるために今までの全てがあるのか!勘どころをガッチリガッチリガチリつかむ演出。