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ゆるまず、たゆまず、しなやかに。
「Vocalist」と「Singer」の違いってナンだろう?と考えてみました。「Vocalist」という言葉の響きには、何か普遍的なものが根本的に流れているような感じがします。「Singer」は聞く人の好みに左右されることがあっても、「Vocalist」には人間の底辺に有る、共通なもの(それは魂と呼ばれるものなのかもしれませんが…)を呼びさますパワーがあるんだと思います。だから、言葉の壁を越えて誰もが感動できる「何か」が「Vocalist」には秘められているのではないかと思うのデス。アンドレア・ボッチェリを聞いてそう思いました。
知り合いのLiveが多くてあちこちに見に行くけど、よく思うことは、演奏も歌もすごく上手なのに、そして詞も“ああ、伝えたいことがたくさんあるんだろうな”ということを言っているのに、客ものらないし、なにか冷たいものを感じるときがある。なぜだろうとずっと考えている。以前ちょっと注意されたけど、やはり見ている人に愛情を持ってないからだろうかと、また考えた。でもそれは違う。私自身みる側になって、感じてみると、そういう人達の音楽、メッセージを主張するというよりは、自分たちの“頭のよさ”みたいなものを主張しているようで、だから自分自身で客と自分を差別し、壁を作っている。今後、私も注意してみようと思う。
以前も、先生の声について書きましたが、今日、また、すごさをひしひしと感じました。今まで私は息はきに重点を置きトレーニングしてき、確かに入塾当初よりはまともになってきたようですが実は、体を使うことに一所懸命で、逆に息はひっこんでしまっていました、言葉をゆっくりと息で言ってみるとそれがすごくよくわかります。母音が「ア」はわりと前に出しやすいのですが、「イ」「オ」「ウ」になると首すじから頭、肩にかけて力がぐっと入ってしまって、息は前へと進んでいません。すごく不自然な感じ。だから声にも効率よくなんて結びつかないし、息が大きく太くきちんと吐けないという事は体も使えていないということです。体・息・声の結びつきがつかめていないのです。(もうすぐ1年たつというのにまったく情けなくてくやしくなります。)
先生が私達に話しをしてくださって、語尾に「ね」をつけられると思うのですが、今日、その「ね」が見えてしまいました。他の言葉もまるでマイクを通しているかのようによく響いて、聞いていてとても心地よいのですが、「ね」は先生の体から息にのって、ポッと軽やかに口の20~30cm先にありました。それは体・息・声とバラバラではなく全てがまとまってそこにあるかのようでした。なんだかそんな感じがとてもして、先生が「~ネ」と言われるたびに私はそこに引きつけられてしまうのです。
結局は、フレーズも体と息を十分によく使って音が言葉にのってくるような。そして点をつないだこういういろいろな感覚なのだろうと思いました。どこで入れてどこで動きとして浮いてくるのか言葉から集中してみていかなければいけませんし、また人に伝えなければ。
私は最近(といっても少し前ですが)本物の赤ちゃんを見る機会があって、すごく感動しました。ここ十何年、実際に見るということはなかったので、本に赤ちゃんのように泣いてみようとあっても自分のイメージでしかなくて(TVや本でみる)、でも本物って、ほんとに全身をふるわせて、それが生きているあかしのように、細胞の一つ一つがさけんでいるようでした。まるで、ゴスペル歌手のようです。その声は口からでているのではなく、全身から発せられていました。自分が赤ちゃんだった頃の事なんて、全く憶えていませんが、でも確かにああやって何かを発していたのは確かです。もう一度、戻ってみたいです。
具体的に“わかっていなかった”ことが、わかったことが1つあった。奥にあるものをとりにゆくという普段レッスンで福島先生がおっしゃることの中には歌い手と曲を一回切りはなした上でもう一度その関係も含めてベースのものをとる、ということも含まれるということ。今までやたら抽象的な部分でしかそのことをとらえていなかった。わかったからといって、できるとは限らない典型的なものであるが。少しでもできるようにやってゆこう。、
ユーミンも中島みゆきも高橋竹山もそうなろうとしてなったわけではなく、表現しようとしていたらその結果そうなっただけである。竹山は家庭の事情もあって食うためにやっていた所もあるようだけれど、結局伝えたいことがあったり、伝えなきゃ生きていけないという所にしか表現はでてこない。これはすごいものだとはじめから決めつけて聞いてはだめだ。同じ人間がやっているということを前提としないと。だからこそその差を感じられるし、埋めようとしたくなるし自分のいたらなさを知ることができ、人を超えたものを知ることができる。
オペラの声とポピュラーの声の違い。錦織健のオペラの声は、本当にどこから出ているのかわからないような声だった。ロックの声はもちろん、声量なんかはそこらの歌手の比ではないが、なんかもったりしていていやだった。語尾に「イェー」とかつけるのは、余った声の処理に困って、ごまかしているみたいでもともと嫌いなのだが、その奇妙な余裕と声質が一定なのと、あとリズムの問題だろうが、わからない。なんか「声」を披露されてる感じ。
アンドレア・ボッティチェリのオペラとポピュラーの聞き比べをしたが、オペラは声が均等で輝かしく、つやが有り、胸から頭にかけて、柔らかく向かってくる感じ。ポピュラーは息づかいがわかり、声の肌ざわりがあり、いろいろな声、生きもののような感じで、こちらの方がやはり私を動かす。また美空ひばりの歌は、びらびらと伸ばすのがなければ、声質自体は好きなもの。息の量が多くて、その処理のためにああいう歌い方をするのかなという感じ。3/4くらいの息で歌っているような余裕がある。時折出る、声の中の玉のようなものがいい。音楽を聞くとき、1番自分が欲しているもの、それは、胸を貫くような音、あるいは、体の縦の線にぶつかって、胸、腹、足の裏にまで響く音であることを再発見した。
もっともっと変わらないといけないと思う。他のスゴイ人に本やテレビでふれて「覚醒」させてもらっていなくてはすぐに心のひだがうまってしまい、熱が下がってしまう自分が情けないと思う。外からの刺激を与えつづけなくても、自分で自分の目を覚まし続け、走り続けなくてはいけないのに。
なだいなだ氏も北杜夫氏も鬱病のむきがあるらしい。そして永井豪氏は自分の妄想を作品で吐きだしてしまわないと狂いそうだったのでマンガ家になったらしい。その他創造的な業績を残した人で精神的に異なったものをもっていた人は古今東西例をあげればきりがない。しかし私は彼らが単に病んでいたというわけではないと思うのだ。通常、普通だと思われている精神状態は精神の中のほんの1部にすぎないと思う。そして精神を多く解放したものは、いわゆる「狂っている」面も持つことになる。変人扱いされるかもしないが、もっともっと自分を解放しなくてはならない。そのためには変わることを止められない。
初ライブの時の感じを毎日色々なふうに思い返しています。記憶がうすれていかず、逆に歌に対する勉強をするごとにあざやかに細分化されてゆく。この学校に入ってからも、その時には理解出来なかった色々な言葉が、2・3日してからふと思いあたったりする。忘れる量より気づく量が多く、急に昔の事が理解出来たりする。歌だけでなく、人の気持ちとか。勉強するというのはこういう事でもあるのかなと、さえわたってゆく感じに喜びを覚えています。何にも見えなかった頃のこと(わずか1週間前)を思うと、本当にああ勉強しに来てよかった。と感謝しています。それにしても、「何にも教えてくれない学校だ!!」とつくづく思います。自分の頭で考えないとダメなんですね!!!難しいですが、頑張ってゆきますのでどうぞよろしくお願い致します。
ライブは3人とも個性がバラバラで聞きごたえがあった。さすが、自分の得意とするものを知っていて、方向性があったので、よい意味でまとまっていたステージだった。それぞれその得意とする音楽性が1本あって、ヴァラエティな選曲をしていたにもかかわらず、その人の時間(色)になっていた。よく、ヴァラエティな選曲をして、ステージ自体バラツキが出て、結局そのまま終わった…という知ろうとライブをたまに見かけることがありますが、さすが、それがなかった。自分を知ってるなここの人達は…と思い、また嬉しくなった。
ステージとして練ってるなーと思ったのは、kさん。多分シナリオを作っていてほぼ、その通りにいったのではないかと思う。無駄な動き、視線、話がなかった。けれど、ちゃんと観客に届いている。距離を作るのが非常にうまい。媚びず、かといって客を無視してない。けれど、なんか遠くにいる感じ。きっと演技も上手な人なんだなーと思った。ラストの曲の前に言っていたことが非常に強く心に残った。
「この日が来て欲しいなーと思っていたが、でも来てほしくないなーと思った。長かった。」と。この「長かった」には、自身がちらりと見え、胸が熱くなった。続けてる人は、本当にカッコイイ。何であれ、カッコイイ。
自分を知り、自分の音楽を探り、それを正直に発表が出せる場がここにある。それを受け止めてくれる人間がここにはいる。なんて幸せ者なんだ。私は。幸せを通り越して贅沢だ。先生は寛大だ。とは言うものの、やはり孤独の戦いなのだ。自分がいざライブを演るとしたら、どれだけのものを出せるだろうか。また聞きたいと思わせることが出来るだろうか。この盾がなかったら自分は残れるか? 歌える場所を作り出せるか?誰かに、どこに向かって歌うか?その時は1人だ。
今は猶予期間なんだという先生の言葉が胸に突き刺さってくる。
今回のようなライブに備えて曲を考えていて思った。最近自由曲を選ぶ時もそうなのだが、以前に比べて聞く曲はかなり増えているのに、歌いたい曲はなかなかない。滅多にないので、たまーに出会う一曲の重さの重要性をひしひし感じる。自分の言いたいこと、それが乗ってるメロディーがマッチしたものではないと受け付けない。なので、自由曲も、まだ課題曲の感覚で、勉強のために歌ってみたい…というレベル。もちろん気に入った曲なのだが、魂がさわぐような曲は、少ないものなんだと感じる。そういうものは、正直に、好きなので歌っています…と思うことにしている。わざとらしく感情移入させてもウソっぽさは伝わってしまう。好きなら好きでいいな、と。それもひとつの情熱だ。但し、歌っている孤独を感じてしまう歌は、やはり、人に聞かせてはならない。“何か違うかなぁ”と思うと、集中力を欠き、歌っていて凄く孤独を感じる。その反対に、情熱を持っていた歌でさえ、そう感じる事がある。そうなると、その時、心の変化で、新たな歌に巡り会えればよいが、何もなくなってしまった時が一番怖い。そんな事を繰り返していくと、やはり長いスタンスで見なくては絶対やっていけないなと思う。その繰り返しの中、変化の中でも残っていく“何か”がきっと先生の言う“本質”なのかなぁ。その本質がわからなければ、せっかくの運もきっと見逃すだろう。
何かに書いてありましたが、アーティストが成功する3ヶ条。1に実力、2に根性、3に運だそうです。私はまず、実力(技術)という基本を学ばなければならない。が、身になる技術、ここで学んでいるような基本の技術を取得できなければ、きっと“出てってやるゾ!”という根性は生まれない。ウソで固められたものは、根性が継続しない。そして、運にも気付けない。この3ヶ条は、見る人によっては簡単に見えてしまうかもしれないが、紛れもない事実で、これを深くえぐったものを、ブレス・ヴォイスは学ばせてくれている。これだけ歌を勉強している人間がいるにも関わらず、「外に出せないから出さないんです」という厳しい世界・けれど、今、勉強しているこの期間、私には非常に充実している人生のように思える。「10年経ったらできていた…そんな稀有な存在になりたくはないのか」という問いに、私は「はい。なりたいです。」と答える。凄くカッコイイ、理想の姿だと思う。そうなった人間って、きっと、執念とか、変な執着とか、きっとないんだろうなぁ。だけど、凄く、人間っぽくて優しい顔立ちなんだろうなぁ。まるで仏様のように…。
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おすすめ
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『生きがいをもって生きる』
グレッグ・アンダーソン著、大和書房の中で、理想+奉仕×情熱=使命という式。ある人からこんな話を聞いたことがあります。それは…人は生まれてきたとき、赤ちゃんの時は、両手を握っている。けれども、人は死んだとき、手は開かれている…と…。つまり、人は誰もが自分の使命をその手に持って生まれ、そしてその使命が果たされた時(死ぬ時)その人の手は開かれるということだそうです。人って、自分の使命って一体何だ?と思うのデス。
書いた本を2冊読んだ。
「将来すらも今責任をもつ、いつかできるなどと言わないことだ。将来できるやつは今もできるはず」「美しいもの、うまいだけのものなどおもしろくも何ともない」「1瞬にすべてをかける」などテレビでカメラマンのカノウテンメイ(漢字がわかりません)が同じようなこといっていた。「実存をかけることができるか」わかりやすく言えば体張れるかどうかだ。また、「プロのスポーツ選手は生きざまをみせなくてはいけない」とも言っていた。
ANI DIFRANCOのLIVE
どこまでがMCでどこまでが歌なのかわからない言葉の魔術師のような人だった…。本当にわからないのだ。MCだと思われる間(演奏がないので)リズムをこっちが、その前の曲のまま打っていると、そのリズムのまま演奏が始まってしまうのだ。だから“やっぱり歌なのか?”と思ってしまう…なんかそれってすごい。そしてけっこうまちがえているのだが、そのまちがいも本当にまちがえたのか、それともわざとなのか、区別がつかない。(実際一緒にいった友人は「あれってわざとでしょ」と言ってた。だからわざとなのかも?とも思ってしまう。)どっちにしろそれもすごい。多分私が思うにリズムがLiveの間中1回も狂わないのだと思う。リズムの空気がある。とにかくアナウンスがなってもずーっとアンコールの拍手は止まらない程のいいLiveだった。
アリソン・モイエ
『レインダンシング』を聞く。そもそも、自分は声が低いヴォーカリストが好きだと思っていたのですが、この久しぶりに聞くアリソンの声は実は「低い」のではなく「太い」のだということに気付いたのでありました。「太く」て「芯」がある声だったのですネ。
ロンドンのスタジアムでのイベントに参加した時のドキュメンタリーをやっていた。他に参加していたのは世界で一線で活躍しているミュージシャン。観客も出演者も日本人「矢沢永吉」を知らない。その中で一歩も引く所なく堂々たるステージだった。世界の壁を感じながらも自分の意志・意見ははっきりと伝えていた。「一線で活躍している人はすごい。一線にいる事がすごいという意味ではなくてそこにたどり着くまでに様々な経験・苦しみ・悲しみ・喜び・怒りそれを乗り越えてきている。そういう過程がなければ一線にはなれない。」と彼は感じたそうだ。
主演の舞台「葵上」「卒塔婆小町」を観に行ってきた。思っていたより背は高くないのだが、その存在感はすごく、他の俳優が台詞を言っている時でさえ、美輪さんから目を離せなかった。声の使い方(声色、抑揚、笑い声、叫び声…)、立ち居ふるまい、視点すべてにスキがない。舞台の中の人物を演じていながら、まるで観ている私たちにその人物を会わせてくれているような錯覚すら与えてしまう。これが表現するということなのだと思う。
プロ野球選手の門田
名言ということで「鏡が私の恩師だ」といっていた。どんなことでも何かを変えたい、ものにしたいと思えば自分を知ること。1つ1つに集中してつめることが大切だという点では同じだ。鏡をみなくても今自分はどうなってると体でわかるぐらい鏡をみて研究したい。口あけ方で出てくる息が全くちがう。でもどれがいいのかまだわからない。
最近イタリアで流行っているミュージックビデオのコーナーがあって中々おもしろいです。イタリア人が日本語で話しているので、音楽的日本語のイメージトレーニングにもなりますし、それにしても一緒にやている。日本人の女の子の声は浅い!
“LA'cryme Christt”
楽曲と詩の世界が独特。ステージングという面からは自分たちの世界を表現しきるまでにいたってないが次のステップがたのしみなバンド。“マネの世界”ではないところがいい。
「狂言と声」
「1姿2顔34がなくて5に声」に納得。そしてトレーニングでは1声2顔34がなくて5に姿の姿勢がいいのではと思う。これでもうその人のほとんどがわかってしまう。(怖いことだ)やっぱりstageでは1声を発するまでで勝負が決まってしまうと思った。そして声を体得(っつーのか?)するには日々の生活をきちんと地に足をつけてしっかり生きることだ、と最近は自分なりに思っている。そして日々生きてるって難しい〜。
「フィンガルの洞穴」
僕はこの曲を聞いてイメージしたものは、人と人との内面の葛藤のようなものでした。その後のトレーナーの解説によるとこの曲の作者はフィンガルの洞穴周辺の自然の移り変わりを表現したものだと言っていましたが、僕にはフィンガルの洞穴そのものが暗く深遠な人間の精神のように思えました。
「人間が好きアマゾン先住民からの伝言」
(福音館書店、長倉洋海著)という写真集。人間にとって大事なことが一杯つまっている。『人間がいま、姿をけしても、地球も宇宙もなにごともなかったように、つづいていく。森と野豚とヤマアザラシが「そんな生きものがいたね」と話すかもしれない』人間は特別だと思っていても、自然から見たら単に地球上の生き物の一種。自然にとっては一番厄介な生き物かもしれない。
世界のどこにも風が吹いている。世界のどこにも水がわいている。
いたるところに青い空気と水晶のような海。
いたるところに青い空気と水晶のような海。
イギリス出身のインド系女性ヴォーカリストであるシーラ・チャンドラの「ウィーヴィング・マイ・アンセスターズ・ヴォイシス~遠き彼方の記憶を呼び覚ます10の歌声」というアルバム。
「スピーキング・イン・タング・」「・」で聞けるキューバのヴォーカル・サンプリングばりの超絶パーカッション・ヴォイスといい、あるいはその他のいくつかの曲で聞けるアイルランドのエンヤばりの清廉ヒーリング・ヴォイスといい、正に他の追随を許さない歌唱力である(参考に‥‥否、スゴ過ぎて参考にはならないなあ。)。そしてこれも買いそびれていたジェーンズ・アディクションのインディーズ時代のライヴ・アルバム「ジェーンズ・アディクション」とメジャー・デビュー・アルバム「ナッシングス・ショッキング」も購入する。ペリー・ファレルのエキセントリック・ヴォイスにはシビれる。
ロック評論家、福田一郎さんいわく「日本の場合はレコード会社もメディアも、売れ筋横並び音楽の一極集中で、健全な棲み分けさえまだ出来ていません。世代を超えてエンターテインメントを提供しようという自覚が、残念ながら音楽業界にはまだまだ足りませんね」というまあ今はその通りかもしれないけれどもそのうち変わってくるでしょう。
「年齢超える力が音楽にはある」という現在72歳になるブルース・シンガー/ギタリスト、B.B.キング(ストーンズやクラプトンをつかまえて“若い連中”だなんて‥‥。)のありがたいお言葉を「年齢、性別、人種といった偏見や差別を超越しているところが音楽の偉大さなんだよ。プレーしている時がすべてから自由になれる瞬間なんだ。体力の限界を感じるのは階段を上る時だな。さすがに辛いこともある(※が、これはまあ今どきの若い“ジベタリアン”も辛がっていたりするから、まあ関係ないでしょう。)。いつまで続けるつもりかって? だから、ずっとやるんだよ。引退するのは死んでから5年後か10年後でいいんじゃないか」と、本当にありがたいお言葉であった。
創刊1周年記念特集20世紀ヒット伝説(音楽編)
「日本のロックをつくった100人 これが20世紀音楽シーンの全系譜」
興味深い。どれほどオリジナルに見えるアーティストも、例外なく前の世代の音楽に影響を受けているという訳で、更に言うと、サラブレッドの祖先が3頭の馬にいきつくように、日本の音楽産業の祖もたどっていけば、すべて3人の「神」、ボブ・ディラン、ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズに到達する訳である。が、この全系譜を見てて少し気になった部分は、ビートルズから佐野元春さんというつながり。もちろん元春さんにとってはビートルズの影響も大きいとは思うけれども、でもこれはボブ・ディランから佐野元春さんでしょう(ディランと元春さんの間にブルース・スプリングスティーンが入ったらもっと分かりやすいと思うけれどもね)。ちなみにディランにもビートルズにもストーンズにもつながってない山下達郎さんは米国オールドミュージックからビーチ・ボーイズそして70年初頭ソウル(カーティス・メイフィールドとかアイズレー・ブラザーズとか)にはつながっているのでしょう(全系譜では省かれているけれどもね)。
ではGLAY、ミスチル、スピッツのサウンド遺伝子はどこから来たか? ミスチルはディラン系ニューフォーク(浜田省吾さんや甲斐バンド)+ビートルズ系バンドサウンド(サザンオールスターズ)という国内遺伝子融合型であるとされているけれども、あとはやっぱりディランとビートルズの両方のセンスを兼ね備えたエルヴィス・コステロやもしかしたらこのバンドからの影響が一番大きいかもしれないのU2のサウンド遺伝子を、ミスチルには強く感じてしまう。GLAYはものすごーく日本語ロック正統継承してると思う。スピッツは突然変異型とされているけれども、個人的にはAOR的もっと言うとイーグルスやスティーリー・ダン的な遺伝子を、スピッツには感じてしまうのだけれども、でもこれはちょっと的外れのようにも思えなくもないので、強くは主張しないでおこうと思う。。
「大研究21世紀型スターの条件」
シャ乱Qのつんく氏も意外にも(失礼)それなりのことを言っているので、最後に書き留めておきたい「長く生き続けることだけを考えるのなら、じっと我慢することですよ。波風立てず。知名度があるなら、そこそこやっていれば20年は食えるでしょうから。でもロックミュージシャンとして名前を残そうとすれば、いつ消えてもいいという覚悟、勝負すべき時に思い切って勝負する勇気、だめな時には我慢できる忍耐力。この3つが必要だと思います。やっぱりいい音楽をつくれば、必ず残る。ビートルズだって、当時のテレビで、お笑い番組やトーク番組に随分出てるんですよ。でもそれは、調べれば記録は残っているけど、誰の記憶にも残っていない。残ったのは音楽だけ。ストーンズだって、女性問題で相当スキャンダルを起こしたけど、結局残っているのは音楽です。だから僕らがバラエティ番組に出て馬鹿なことをやろうが、長い目で見れば、何の支障もない。僕らはミュージシャンですから」。
村上龍さんはまず「去年のアジア最終予選は見る方から言えば一つの物語になっていて、非常に興味深かった。試合そのものに関しては不満の残る部分が少なくなかったが、あの最終予選のシリーズを通して、日本のサッカーにとどまらず、日本スポーツ全体のこと、メディア、日本人のメンタリティ、日本の組織論など、いろいろなことを考えることができた」て言うんやな。とりあえず、日本スポーツ全体、もっと言うたら日本全体、メディアも、日本人のメンタリティも、そして日本の組織(言うたらサッカー協会だけやない日本政府から大蔵省、地方の役所に至るまであらゆる組織)も皆が旧弊な体質でどうしようもないみたいな感じなんやと。これはサッカーっていうスポーツがワールドワイドなスポーツで常に外国いうのを意識せなあかんスポーツやから、余計見えてくることなんやろうな。その辺りのことはサッカー以上にワールドワイドな長野五輪でも言えることなんやろうけれども、これは龍さんも次のような感じで言うてるわ「長野五輪でジャンプの船木和喜がラージヒルで金メダルを取った後の記者会見で『日本人で初めて個人で一大会で複数のメダルを取った気持ちはどうか』と聞かれ、こう答えた。『日本人初の‥‥という言い方には、反発を感じる。そんな言い方ばかりしているから日本の中で芽が出ないスポーツがあるのだ』と。日本という文脈の中で安穏と生きているメディアの人間と、敵地(欧州)に乗り込んで言語や食事といったハンディキャップを乗り越えて戦っているアスリートとの間に存在する、非常に大きなギャップを象徴するようなシーンだった」。まあ日本の旧弊的/閉鎖的体質に関しては置いとくとして、結局の話、「日本のジャンプ陣やスピードスケート陣にしても、スキーやスケートの本場ヨーロッパを脅かす存在にまで成長したのは、ワールドカップにほぼ全戦参加するようになってからのことである。サッカーの選手は日本の外へ出るべきだ」ていう龍さんの言葉だけは確かやとも思うし、そしてこれはサッカーの選手だけやない、もちろんミュージシャン/ヴォーカリストも、日本だけで甘んじるんやなくて日本の外へ出るべきや!ってことなんやと思うわ。
石井恒氏による「アジアライヴ・ドリーム」というテレビ番組のミニ・レヴュー。
「日本と他のアジア諸国のアーティスト計16組が一堂に会したライヴが2月22日にNHKホールで行なわれ、その模様が後日放映された。当日、生でそのライヴを観たのだが、観客が日本人アーティストだけでなく、アジアのアーティストにも、ちゃんと声援を送り、始終会場の雰囲気はよかった」ものの「途中で、日本人ヴォーカリストに限って一様な特徴があることに気付いた。みんな歌い方が単調で表情に乏しいのだ。発声も直線的でコブシなんて全然ないし、悔しいほど歌にふくらみが欠けていた。TMレヴォリューションとル・クプルは下手ではないが、歌に何もこもってない。上手いはずの藤井フミヤ(Fブラッドとして参加)も押しばっかりで引きがない」と、石井氏は指摘していて、これは「音楽的なルーツがこの日の日本の歌手にはまったく感じられない」あたりに問題があるのではという(おまけに「歌に心がこもってないから、薄っぺらく聞こえ」たとも)。やっぱり確固たる音楽的ルーツっていうのがものすごく重要になってくるのかなと
(まったく別のページで高橋健太郎さんが、カエターノ・ヴェローゾの「リーヴロ」が、素晴しく時空を越えた音楽であると思わせるのは、ひとつには、カエターノの歌声の中にボサノヴァが、確実に聞こえてくるからでもある、などと指摘しているのも同じこと(カエターノの音楽的ルーツは言うまでもなくボサノヴァである)なのであろう)。
「ミュージック・マガジン」特集「21世紀をGET! 100人が選ぶ90年代のベスト・アルバム100」がもう最高に読み応え充分な特集ということになるのであろう。
90年代のベスト・アルバム第1位は、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」、確かに90年代のベスト・アルバム第1位としてこれほどふさわしいアルバムはないであろう。以下、第2位ユッスー・ンドゥール「セット」、第3位ベック「オディレイ」‥‥と、90年代のベスト・アルバムが続く。で、ここでせっかくなので。
91年11月24日のフレディ・マーキュリーの死去、これは僕にとっては本当に言葉にならないぐらい衝撃的であった。ただ一つ言えること=僕もフレディのようになりたい!という思いがより一層強くなったことだけは断言したい(90年代に発表されたオリジナル・アルバムは2枚あるけれども、これはフレディの遺言と言っていい最期の傑作「イニュエンドゥ」は余りにも壮絶で悲し過ぎるので、彼の死後4年の歳月を経て発表された文字通り天国からのメッセージのようにポジティヴな「メイド・イン・ヘヴン」を、ベスト・アルバムとして挙げておきたい)。
90年代最初に僕が夢中になったバンドと言えば、レッド・ホット・チリ・ペッパーズにリヴィング・カラーにそしてジェーンズ・アディクションという、正にその当時ロス暴動なんかもあった時代を反映するようなロックを演っていたバンドであった(もちろん今も夢中ではあるけれどもね)。いわゆる“ミクスチャー・ロック”“ブラック・ロック”あるいは“オルタナティヴ・ロック”などと呼ばれていた(まあもっと厳密に言うのであれば“ジェームズ・ブラウンやマイルス・デイヴィスやジミ・ヘンドリックスやあるいはマルコム・X(!)らの影響下にあるファンキーでヘヴィ・メタリックなボディ・ミュージック”と、僕は言いたい)彼らのロック・サウンドは、とりあえず僕も目指すところである
・クイーン 「メイド・イン・ヘヴン」(1995年)
・レッド・ホット・チリ・ペッパーズ 「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」(1991年)
・リヴィング・カラー 「タイムズ・アップ」(1990年)
・ジェーンズ・アディクション 「リテュアル・デ・ロ・ハビテュアル」(1990年)
・U2 「アクトン・ベイビー」(1991年)
・ジャミロクワイ 「Travelling Without Moving ~ジャミロクワイと旅に出よう~」(1996年)
・ビョーク 「ポスト」(1995年)
・ピーター・ウルフ 「ロング・ライン」(1996年)
・オーネット・コールマン&プライム・タイム 「トーン・ダイアリング」(1995年)
・カエターノ・ヴェローゾ 「リーヴロ」(1997年)
ジョンの「イマジン」の歌い出しのアラが酷かったので歌いまくることに→ビリーの「オネスティ」→「素顔のままで」→スティーヴィーの「サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」→「汚れた街」→ジュディ・ガーランドの「虹の彼方に」→U2の「終わりなき旅」→ストーンズの「サティスファクション」→ジョビンの「フェリシダージ」 が、この曲は声の小さいところに意識が行かない、それならイタリア歌曲だ→「アマリッリ」→「私を泣かせてください」→達郎さんの「スパークル」→「土曜日の恋人」あー、日本語だから抜けてないところがよく分かるなあ→クイーンの「ウイ・ウィル・ロック・ユー」→「ウイ・アー・ザ・チャンピオンズ」→「ドント・ストップ・ミー・ナウ」→ポリスの「孤独のメッセージ」♪(アイム)センディン・アウト・アン・SOS(を何度も何度もリフレイン)→そして再びイタリア/カンツォーネの「オー・ソレ・ミオ」を、時折ロングトーンやフレージングや更にはバリ島のケチャを交えながらアカペラで30分ほど声を出しまくる&歌を歌いまくる。
「ナンバー」
清水選手のインタビューを読み返してみると「34秒台は高速リンクのカルガリーへ行けば出せると思う。33秒台になってくると今度は氷が耐えられないらしいんですよ。氷が割れてしまって。でも僕は自分で限界を作らない。限界を作ってしまうとそこで止まってしまうんです。僕の意識レベルでは1000mでは1分8秒台、500mでは34秒台になっている。ただし、数字は目標として設定しますが、それを毎日の練習で意識してやっているわけではありません。感覚として持っているけど、それより一日一日の練習をしっかりやる」なんてことを言っているけれども、身長161cmの若き小さな巨人清水宏保選手には、本当に大したものだと思うばかりであるし、本当に教えられることばかりである。やっぱり限界を作ってはいけない、人間の可能性って無限にあるのだなと、教えられてしまった。
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「ボノ語録」(スーザン・ブラック著)
俺が見たいのはみんながルール・ブックを燃やすところさ。特定の音楽だけを好きにならなくちゃいけないと書いてあるルール・ブックをね。もっと視野を広げるべきだよ。アフリカ音楽とか、エスニック・フロントではすごい音楽シーンが起こってる。俺は特にアイルランドの伝統的な音楽に興味があるね。と同時に、偉大なポップ・ミュージックってものがあるのは確信している。だけどそれだけじゃなく、もっと何かを音楽に求めているんだ。プラスαがほしい。ハートとソウルがね。思い上がってると聞こえるのは嫌だけれど、真実は両刃の剣でね。シンガーが本当に心で感じているものを歌ってるかそうじゃないかはすぐ分かる。全然違うよ。世の中にはもっともらしいポップ・ソングが氾濫してて、ちょっと泣けてしまうこともあるけど、「ラッシー」とか「大草原の小さな家」を見るようなものでね。分かるだろ、本物の感情じゃない。表層にある感情なんだ。本当の真実は、シンガーが彼の内側から来るものを語り始めた時に現れるので、それは、たちまち君の内部に影響を与える。それが偉大な音楽なのであって、ナイスな音楽なんかとはまるで違うよ。(1982年)
U2の始まりでいちばん重要なことは、俺たちが4人のミュージシャンである前に4人の人間だったってことだ。結成の頃は楽器が全然弾けなかった。ドラム・キットの周りにバンドを作ってたわけだけど、ステージの上はひどい混乱だった。毎晩、もう辞めたいと思ったよ。だけど朝になると、さあまたやろうぜって気になったんだ。
U2は流行じゃない。流行りものになんかなりたくない。流行るってことは廃れるってことだから。(1982年)
「ディザイヤー」では野心を描いた。‥‥バンドをやろうぜっていう野心をね。バンドをやるのは世界を救おうと思うからじゃない。自分のため、ストリートから抜け出すためなんだ。群集の中に埋もれるより、群集に向かって演奏したいと思うのさ。そのことは白状しときたいよ。どうもU2のピュアな動機ばかりが注目されるきらいがあるけど、俺たちがバンドを始めたのはいちばん不純な動機からなんだぜ。学校がうんざりだったからだよ。工場で働きたくなかったし、政府のために働くのだってごめんだった。学校の教師にも、軍人にも、とにかく何にもなりたくなかったんだ。誰だって間違った理由からバンドを始めるんだよ。正しい理由からじゃなくてね。(1988年)
俺はさながらピエロだね。人をステージに呼び寄せてさ‥‥。鉄砂の中に磁石を置くようなものだ。そうやって彼らが集まると食事の時間さ。自分が持っているものを彼らに与えてやるんだ。俺たちが与えて彼らが見る。もちろん、俺たちはすべてを与え尽くすんだ。そうして彼らの感情を動かすことができる。だから俺たちはとても感受性の強い観客を持っているんだよ。気づいてくれる人たちなんだ。いいかい。俺はステージの上ではヒーローかもしれない。だけどステージを降りたら全然ヒーローなんかじゃないんだよ。だからこのヒーローのイメージ、ロックンロールって感じを大事にしなくちゃいけないんだ。本当のところは、後でファンに会ったりすると口がきけないんだよ。恥ずかしくってさ。(1979年)
俺はただのミュージシャンだ。そこらへんのバーのカウンターにいる連中と少しも変わりゃしない。ヒーローじゃないんだ。ロックンローラーだ。腐ってるんだ。俺はやってることに対して金をもらい過ぎてる。もちろん、金なんかもらわなくたってやるぜ。分かるかい? 君たちはヒーローを求めている。君たちは‥‥、メディアは、ヒーローを作り出そうとしている。でも俺がこれは仕事なんだって言ったら、きっと俺を殺すだろう。だから、今言ったことは撤回するよ。(1992年)
癒しの効果がない音楽は好きじゃない。コンサートに来た人たちにイライラしたまま帰って欲しくないんだ。ポジティヴになって、前より自由に感じて帰って行って欲しい。世の中は暗く見えるかもしれないけれど、いつだって希望はあるんだから。(1983年)
14歳だからって馬鹿にしちゃいけない。俺はその歳にジョン・レノンを聞いて、物の見方が変わったからね。だから、14歳の子がどっかのグループじゃなくU2に来てくれるのはとても嬉しいよ。(1988年)
本当にパワフルな音楽は自然に出来上がるものだ。無理やり作り出されるものじゃない。ただ出てくるんだ。(1980年)
ロックンロールの反逆というお決まりの表現は、今ではジョークになっているね。すごく保守的だよ。いかにロックンロールの反逆児として振舞うかというルール・ブックが書けそうだ。反逆は心の中で始まるものなんだ。外に出て怒鳴ったり、髪を赤く染めたりすることが必ずしも危険の暗示とは限らないよ。(1982年)
俺だって間抜けじゃないよ。ロックンロール・ミュージックの不毛性には気づいているよ。だけど、そのパワーにも気づいているんだ。
どうして何でも細かく切って分類してしまうんだ? どうして全部持つことができないんだよ! どうしてロックンロールは、エルヴィスのようにダンスし、ヴァン・モリソンのごとく歌い、シュープリームスのように歩いてジョン・レノンのように話し、クラッシュのように叫んでキース・ムーンのようにドラムを叩き、なおかつジミ・ヘンドリックスのようにギターを弾くことができないんだ? どうしてだよ。
俺にとって金はそんなに重要じゃないなんて言うのは、無礼で無知なんだろうね。お金を持っていない多くの人にはとても大切なものだからね。俺には金があってラッキーだとは思っている。金があることを神に感謝しているよ。
キース・リチャーズがギターを持つと顔のシワが全部消えてしまうっていうのは面白いね。だけど俺は彼のシワにこそ興味がある。思春期前のロックンローラーより、荒波をくぐり抜けてきた人たちの方を面白いと思うんだ。俺は昔、パンクに、「自分が何を言ってるのか分かっちゃいないが、とにかく俺は話すぜ」って態度に興味があった。だけど今の俺はこういう人たちにずっと関心があるね。(1987年)
俺たちは、初期のツアーの頃、LAで、殺人の脅迫を受けた。警察はすごく警戒していた。誰かがU2のオフィスに銃器許可証を送りつけてきて、その人物は既にツアー会場に入っているものと警察は考えたんだね。不意にステージの上が警官だらけになって、すごく嫌だった。俺はそんなことが起こるとは思ってなかったし、実際何も起こらなかったんだ。笑い飛ばしてやったよ。ブルース・ブラザーズみたいにさ。「俺たちゃ神の使いで、まだ使命は終わってないぞ」ってね。でも2日目の夜、出番直前に警官がやって来て、間違えてたって言うんだ。奴は今夜やって来る!って。笑いがピタッと止まったよ。今や、俺たちはあらゆる人種差別主義者の侮辱を受けるようになっている。マーティン・ルーサー・キングについての歌を書いてるからね。左派からはアムネスティ・インターナショナル・ツアーのことでよく思われていないし。どこへ行っても狂信集団のターゲットなんだ。それでその2日目の夜、ステージの上で「プライド」を歌いながら、「やるとしたらこの曲の間だろう」と思った。ステージに身をかがめて目をつぶり、一瞬、脅迫のことが心をよぎった。目を開けたら、アダムが俺にかぶさるように立っているのが見えた。俺と群集の間をさえぎるようにしてね。すごく、すごくいい瞬間だった‥‥。卑劣な野郎は決して好きになれない。(1987年)
TVをつければ、そこにアメリカがある。俺たちは皆、その意味でアメリカに住んでいるんだ。聞く音楽もたいていアメリカのものだし‥‥。アメリカはただ7億の人間が住んでいるというだけの国じゃない。ヴィム・ヴェンダースが言っていたよ。「アメリカは私たちの潜在意識を植民地にしている」ってね。アメリカはどこにでもある。だから、どうやって俺の身体から追い出せるって言うんだ? (1991年)
世間では、俺がキング牧師やガンジー、イエス・キリストといった人たちに魅かれるのは、ある意味で俺が聖人だからだと考えてるようだね。実のところ、俺がそういう平和の使者に魅かれる本当の理由は、俺が割れたガラス瓶を持った男だからなんだ。俺はそういうふうに育ってきて、それで暴力を軽蔑している。暴力を軽蔑するのはそれが俺の中にあるからで、だからこそ暴力に背を向けた人たちに魅かれるんだよ。(1987年)
まだ、ほんとうに作りたいレコードを作っていない。もちろん、いつか作るつもりでいるし、今もそのつもりだ。言っておくけど、80年代で終わるバンドの話じゃないよ。ようやく見えてきたんだ。(1988年)
俺たちは今やっていることにすごく真剣なんだ。そうじゃないふりをしてるだけさ。(1992年)
世間が俺たちに辟易するまで音楽を作り続けてやるんだ。何も気にしないよ。失うものなんてないからね。(1988年)
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