一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レッスン録 課題曲 34646字 823

課題曲レッスン   823

 

ーー

 

黒い鷲

リリーマルレーン

素敵なあなた

ル・ネオン

バラはあこがれ

そして親父は

失われた恋

スローバラード

傷心

ダスティンホフマンになれなかったよ

セ・シ・ボン

あなたとランデブー

 

ーー

 

 

「黒い鷲」

 

バルバラの“黒いワシ”という曲です。

 歌詞は「いつか忘れたけどある日目が覚めると大きな空がさけて黒いワシが飛んできたの」この黒いワシというのが全てを象徴しています。

 

 「雲へ翼広げて空へ丸い輪をかき、羽根の音も重く私のそばおりてきたの/わたしのひとみはルビー、2つの翼黒く王子様のようなマントつけておりてきたの/肩にとまりながらほほにほほよせて、耳のそばで熱くあえぎながらささやいた/いつか忘れたけどある日目が覚めると大きな空がさけて黒いワシが飛んできたの/僕と帰ろうよいつも夢をみてた小さなときのように星をとりに夜の空へ/僕と帰ろうよ雲にのって、太陽を見に行こうと誘いかけてくれた」

 

 ここから大きなサビに入ります。「やがてかなしそうにワシは消えた空へ」それで、「いつか忘れたけどある日おりてきたの、空がさけてとんできたの/いつか忘れたけどある日おりてきたの、空がさけてとんできたの、とんできたの、とんできたの、とんできたの……」これは岩谷時子さんの日本語歌詞です。5分の大曲です。日本人はこういう音感はほとんどとれないですね。

 

 

(「いつか忘れたけど

(ソ♯ファ♯ミ・ソ♯ラシシファ♯ファ♯ー)」)

 

大切なことは、音楽に限らず、この文句をいうのに「いつかわすれたーけどー」としか考えていなければそうとしか出ません。

 技術の前にできることというのは結構あるのです。ただそれをきちんと取り出すときに技量が必要で、そのためにトレーニングするのです。

 

「いつか…」というところで決まってしまうのですが、小さく思いを込めていえばよいということではありません。息の流れを予め用意しておくのです。「いつか」というのは難しいことばです。そういうときは「ハイ」の中に入れて出すことです。それを調整していきます。息を動かしていくという感覚が働かないとよくありません。その前に自分の中で動かしていなくてはいけません。

 

 

 ことばが働きかけていないというのでは困ります。歌い手は、その歌を与えられたときに、音の世界にどう作詞作曲していくかというのが歌い手の才能です。ことばは何でもよいのですが、そこのところの感覚を少なくとも伴奏や作曲の中から精一杯とって、作詞者、作曲者が意図した以上のものを入れていかなくてはいけません。

 

 

(「いつか忘れたけど

(ソ♯フ♯ァミソ♯ラシシファ♯ファ♯ー)」)

 

 動きをつかんでいってください。次の「ある日」が入ることによって変わってきます。いきなり半オクターブに上がるのは、この曲の難しいところです。2度目の方向づけをしないといけない。同じにかぶせられる人はかぶせてよいと思います。

 

(「いつか忘れたけどある日目が覚めると

(ソ♯ファ♯ミソ♯ラシシファ♯ファ♯ー・ラド♯ファ♯ラソ♯ファ♯ド♯ソ♯ド♯)」)

 

 この辺になると難しいです。4つのことを4つで歌おうと考えないでください。

 昨日のライブ実習を聞いても、そんなとこをみせなければ、へたなところがわからないというところを真正面に正直に歌ってしまうわけです。へたなところは自分でわかっていればよいのですが、それを人にみせてはいけないし、その必要はありません。より強く表現するところに集中しないから分散してしまうのです。

 

 

 メリハリの付け方一つにしても相当違います。単純ですが、その踏み込みの強さや音の処理の仕方は彼女の中では完全です。それをまねするのではなく、それにかわる自分の音を置いていくのです。その中でどこがポイントで、自分ならどう出すか、という創作をしなくてはいけません。人の歌の歌詞でもそうです。こっちにエネルギーがいかないといけないのにいまだに歌いこなしている場合が多い。

 

 歌との格闘を終えてこなければいけません。途中でもよいのですが、そこでもっと、捨てるものを捨てないとよくありません。ステージは練習と違って、違和感を感じるものを全て捨てて、そこで残っている感覚が対応できればよいのです。そうしないと自分の練習が狭くなってしまいます。

 

 

深さというのは1の人が2やろうとすると、絶対無理がかかります。その2は3にいくための2です。だから、歌えるところまでひかないとけないというのもあるのです。1の人が歌えることというのは1くらいしかないのです。そのところでやっておきながら、2で得たものをどこかに出せばよいのです。

ところが2が完成のように思うと、2のところでやろうとしていたことが3にいくときの障害になってしまいます。より確実に2をとろうとすることが3にいくきっかけをなくしてしまうことになる。どんどん捨てていかなければいけないというのはそういうことです。

新しく出てきたものが、必ずしも正しいわけではないのですが、声が出てきたり、いろいろな勉強をしたり、曲を聞くほど自分が方向を示さないと、声も歌もとどまらず難しくなっていきます。難しくなれば失敗です。

 

 カラオケ程度にしか声が出なかったら、リズムの移動もことばの言い方もできません。音に届かせるということができたかどうかだけです。カラオケはそういうことで成否を問い発展してきたわけですが、歌の場合はそうではありません。

 少しイメージを変えます。音楽を音の世界の中で解放するときに、ステージ、歌の中でかえって不自由になってかたまってしまうのがトレーニング中の姿だと思います。こういう方向でいきたくないのなら、音の世界にいきなりもっていくための、勢いや発想が必要になります。

息でコントロールしなければいけないのはそのためです。息のところでの感覚、スピード、使い方で、全部をコントロールしていかなくてはいけません。

 

 全ての芸事もそうだと思いますが、均等にとってはいけないのです。バラバラになってしまいます。それを一つにコントロールするのに強靭な体が必要になります。集中力もです。この歌い方をまねるのではなく、このあとについている演奏の方を参考に入れていってください。

ルイ・アームストロングの曲をかける)

 音楽の奏者は必ずやる前に歌えといわれます。歌ってみて、イメージや情景をどう思い浮かべるかということを歌詞をつけてやる。歌い手は逆のことをやっていますが、両方できる人はそれが一致するわけでわかりやすいです。

 

 

(「スキャット(シ♭シレ♭ミ♭シミ♭シミ♭シミ♭ー)」)

 

 こういうところで最初のスピードや感覚を磨いた方が早いのかもしれません。

 

スキャット(シ♭シレ♭ミ♭シミ♭シミ♭シミ・シ♭シレ♭ミ♭シミ♭シシ♭ミソ♭ー)」)

 

 ステージで固くなってしまってもいけないので、シンプルに捉えることが必要です。あまりことばだけでやるとバラバラになってしまいます。本来ヴォーカリストはいろいろな要素を自分の体を通じて統合させて自分の作品として出すのです。その統合の感覚がはたらかないので、呼吸が苦しそうにみえてしまいます。あとはイマジネーションの問題ですね。

 

 

 

 

 

ーー

 

リリー・マルレーン

 

 

 次の曲は本当はマレーネ・ディートリッヒでやりたいのですが、声のことをでわかりやすくするため、ミルバで聞いてください。 5番まである長い歌です。

 

「ガラス窓に灯がともり、今日も街に夜が来る/いつもの酒場で陽気に騒いでいるリリー・マルレーン/男たちに囲まれて熱い胸おどらせる/気ままな娘よ陽気な皆のあこがれリリー・マルレーン/お前の赤い唇に男たちは夢をみた/夜明けが来るまで全てを忘れさせるリリー・マルレーン

 

4番が「ガラス窓に灯がともり男たちはいくさに出る/酒場のかたすみ一人で眠ってるリリー・マルレーン

5番は「明日はすぎ人は去り、おまえを愛した男たちは戦場の片すみ、静かに眠っているリリー・マルレーン」という歌です。もともとは、ララ・アンデルセンの曲で、日本では加藤登紀子さんが歌っています。

 

 

 (「ガラス窓に灯がともり

(ラーララシ♭ドラ・シ♭ーシ♭シ♭シ♭ファミー)」)

 

そのまままねしないでほしいのです。まねにもならないまねをしないでください。基本が身についていっているかというのを、少し応用したものをやって、その動きができるかどうかでチェックします。

 歌の世界では今までやってきているわけですから、そんなに難しいことではないはずです。

それがなぜ難しいことやおかしなことになるかというと、まわりの人がそんなふうにやっても自分でおかしいと思わないし、直そうとしないでまねているだけだからです。それではレッスンにもならないのです。

 歌い手のスタンスがみえない歌というのは一番情けない歌です。レッスンも同じでその人のスタンスがそこにみえないといけません。他の人のを聞いておかしいと思ってしまうのにどうしてそうやるのでしょうか。1回で直してください。

 

 入門科と①というのは、最近は横並びだという気がします。2、3年いて、表現ができる人は入って何カ月かはまわりの人とも口をきかず、自分で考えてやっています。自分のことに一所懸命なら、他人に左右されるものではないはずです。

感覚が鈍っているところではなにもできません。声や体の問題ではありません。プロの感覚や、格、雰囲気やステージングというのは自分の体にたたきこんでおかないと、2までみて2まで努力して終わりということになりかねません。声をつくっても感覚がそれでは、もてあますだけです。1しか感性がない人に2の声は使えません。

 

 それはタレントさんのヴォーカリストやカラオケのうまい人などの受けるのとは違う部分です。歌や音楽の才能で勝負していくのであれば、そんなに鈍いところではよくありません。半年たって半年分のことができている人はとても少ないのです。努力している人は多いのですが、なにか勘違いしている。感覚を磨く場です。鋭くさせるのに、どのくらいの準備と復習が必要か、ということです。1曲やるだけでプロが3カ月かけてやる課題を1時間かけているのです。それをやることによって鈍くなるのであれば、音をつけてなどできなくなります。私はなるべく深いところから取り出してやりたいのですが。イマジネーションが働かないのでしょうね。音に対して働かないどころか、ことばに対して働かないというのではどうしようかと思います。

 

 

(「ガラス窓に灯がともり」(ことばで))

 

 バルバラは夜のステージのために朝7時半から行く。そこは彼女の生きるところなのですから。

 あなた方は前日までいろいろやってくるのでしょうが、ステージ実習、ライブ実習当日どの気持ちできているのでしょうか。

待ち時間があるときに、くだらないことを喋っているのではなく、その世界をつくっていくこと、集中したテンションに入ることに時間をかけることです。ステージがあったら曲を覚え、そのことに専念しなくてはいけない。その余力は世に出る前につくるしかないのです。

 

 カラオケの人たちでも歌いこなし方など工夫しています。歌い方を努力しろというのではない。それはここにいればどうにかなるという問題ではありません。皆さんのうち優秀な一人くらいしかうちの平均レベルの2、3年目にもいかないのです。レベルが落ちているというより、学ぶ場での感覚が鈍っている。器用な人は器用だし、声は大きく出ていますが、そのことを表現することに対して煮詰められていない。そのことは1年、2年でできることではないですが、死にものぐるいでやれば少しは早くわかってくるかもしれない。みえていないことを少なくとも感じていかなければいけない。

 

12月のライブを見てもちょっとした差です。でもその少しの差を出すのに裏にどのくらいの取りくむ部分が必要かというのを感じてください。

 一所懸命やっているというのはわかるのですが、トレーニングを一所懸命やってもよくありません。汗流すのを楽しんでも仕方ない。作品を作らないといけない。それは「いつかとこか」でなくいつも「今、ここで」なのです。

 

 

 

 

 

ーー

 

 「素敵なあなた」

 

ドメンコ・モドゥーニョの曲です。

こういうものを聞くとプロの力がわかるでしょう。

 ステージ実習でもライブ実習でも基準をつけてみてください。サッチモの曲もやりましたが出だしからパワーと気力が違っている。声域の問題ではありません。その人のものが出ていないからダメなのです。自分を知らないと仕方ないですね。

 

 こういう曲は慣れていないから、難しいかもしれませんが、皆のように雰囲気のところだけとると、息も体もとまるし、感覚もなくなってしまいます。

 

「すてきな恋人」というとき、いろいろな音色が出せるはずですから、これをまねることはありません。

 

 

(「すてきな

(ファ♯ミレド♯シシ♭)」)

 

どこで抑え、どこで盛り上げ、寸法をつめたらよいか、それならこの音色をどこで出すか。こういうことを即座に考えなくてはいけません。それを考えていることさえ、みえません。

 要はただ生きていてもダメで、作品を作らないといけない。作品として作られたものからその人の生き方がみえるものです。自分の中でそれをつくっていかなければいけない。

 

世の中のことにどれくらい関心を持っているかということは、今すぐに問うことではなくとも、そのことに機敏に生きているところにその表現が出てこないと何の新鮮味もありません。この通りに歌えても何の意味もないわけです。置き換えるなら、置き換えるだけの自分が必要です。

 

それを歌い手であれば声、音楽の世界で把握していく。そこを掘り下げたところにしか表現はないのです。自分のことば、声で伝わることを歌で伝わるようにすることです。そのためにここをどう利用するか。そこを間違わないようにしないとカルチャー教室になってしまいます。

 

 

 とはいえ、やればやる程、難しい世界です。でも煮詰めていかないと仕方ない。音程、リズム、声は前提です。より煮詰める。やっている人はここでは一時、目立ちません。あるとき頭角を表す。一番やっている人は、ここに来て自分の時間の中で精一杯いろいろやってきたことを問うて試し、課題をもって帰ります。そういうことで蓄積しています。それが勉強です。ここは単なる入り口、チェックするポイントです。

 

 外に出してみて、中にフィードバックする。だから、中の勉強を今はたくさん積まなくてはいけない。声やことばを大事にするのなら、ロビーで喋って時間を無駄にしないはずです。音の世界に鋭くなってください。

 

今日のライブのヴォーカルも3人3様、厳しい世界を持っています。そうでないと人前に立てないし、人も認めません。そのことを忘れないようにしてください。ここで認められてはじめて、ここに入ったと考えてもらってよいと思います。

 

 

 

 

 

ーー

 

「ル・ネオン」

 

日本語でも向こうの歌詞でもどちらでもやりやすい方を選んでやってください。

 

(「ルネオンルネオンかがやく街

(ミ♭ミ♭ソ・ミ♭ミ♭ラ♭・ミ♭ミ♭ミ♭シ♭・ミ♭ミ♭)」)

(「わきおこるざわめき うずをまくひとごみ

(ミ♭ミ♭ミ♭ソミ♭・ミ♭ミ♭ラ♭ドミ♭ミ♭シ♭・ソ♭ファミ♭ミ♭ー)」)

次が複雑です。

 

(「はてしない大都会ちっぽけなこの僕僕僕僕はただ

(ミ♭ミ♭ミ♭ソミ♭・ミ♭ミ♭ミ♭ラ♭ド・ミ♭ミ♭ミ♭シ♭レ・ソ♭ファミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ミソミ♭)」

全て1拍あけて入って、「ただ」の「た」の音だけが1拍目に速く入っています。

 

(「むなしく(ミ♭ミ♭ミ♭ラ♭)」)

2番になると「僕」が2つ消えています。

バラードのところをやってみましょう。

 

(「アンファンシュテーム・エーソリティー

(レレレドー・ミミミレーファ)」)

この辺はポピュラーのおもしろいところでどういう音色を出すか、どういう方向で入るか、どういうスタンスに立つかということで決まってきます。スタンスがみえない歌というのは理解しにくいです。それから声で張らないことです。呼吸で完全にコントロールしてください。

 

(「アンファンシュテーム・エーソリティー・アレベルージ・オゾデュホー

(街角をさまよって夜もすからさがそう)

(+レレレドー・ミミミレー)」)

 

 歌はアップテンポとスローテンポの部分でできていました。エレキなどの音もこういうところから入ってきました。こういう音と、自分の声の接点をどうつけていくかというところでやっていけばよいと思います。呼吸さえきちんと流れていたら、どんなやり方もそんなに間違えません。それが声に流れてしまったり、声のところで操作しようとすると、計算が出てしまい、落ち着くところに落ち着かなくなります。

 

だから、息できちんと決めていくことです。何回もきいて勉強できると思います。単純に捉えながら、やってみてください。感覚だけでつかんで復習してください。音をとるかことばをとるかというのは日本語の場合難しいです。向こうの場合はことばが、韻を踏んで同時にできてくるので有利です。

 

 

 1、2回かけたときにそのテンションと集中力で、すぐ入れるのであればかなりプロに近いレベルです。何回もかけて聴くのは、外からみて基準をつくっていくことが大切だからです。そしてそのなかからその一瞬をどう取り出すかということが大切です。自分がその感覚やテンションに入れば人間はそんなに違わないもので、乗り移ったようにできるときがあるのです。自分に見えるところまでしか人間はいけないものです。プロのヴォーカリストの歌い方を自分の体で体得しようとするのは無理です。全然違うものですから。そうしたら、そうなったときの体の状態を直感していくしかない。5~10年後、そんな体になるのだということです。

 

 しかしこれを表面上でまねしてしまったらのど声になります。絶対につぶしてしまう。そうではなく、この中に働いているもっと大きな力を感じてそれを出すということです。

 ヴォーカルは実績を積み重ねてできるというものではありません。1年間で見えたいうのがあって、それを確実に出すために3年も5年もかかるのです。

 逆にそれが見えるから努力できるのです。今やって欲しいのは、体で、そのときの感覚を取り出すことです。そういうことをやってきた人を見ると参考になると思うのです。

 

音楽に慣れてくると、それを取り出す努力よりも、それをこなす技術が身についてきます。ステージだと客がいるからもっと違うやり方をします。それは練習ではなく、失敗してはいけないから。その場でうまくこなしているということです。そちらをたくさんやらない方がよい。失敗してもよいからより確実に深くとれるところをオリジナルのフレーズにしていくことです。だからシンプルになっているのが正しいということです。

 きちんと入れていけば全部一つに聞こえるはずです。その一つにしたものの中から聞こえないものが飛んでくるのです。そこを勉強してみてください。

 

 

 (「ル・ネオン ル・ネオン(ミ♭ミ♭ソ・ミ♭ミ♭ラ)」)

 

 単純な課題ですが、全部の要素が入っています。日本人は高低感覚で捉えます。外人は「オン」2つの置き方で決まってきます。「ハイ」でやると「ハーイーハーイー」ではなく「~ハイ~ハイ」というふうに踏み込んでいきます。

 スタンダードな曲から入り、原曲からどう変わっているか、またそれを自分はどう変えるかということを考えてみてください。自分独自の音感が出てしまいます。展開する音がどこまで預けられるかを問います。音楽が入ったら預けられますが、そうでないと、自分で勝手につくってしまうでしょう。

 

 より強くきちんと握っておくことによってより天上、地底の差をつけていく。そこに生命力が宿っていくのが音の不思議なところです。ヴォーカルですから鐘の音のように響けばよいわけではない。音の世界に純化するというか、身を委ねて、もう一度、人間の表現として取り出すということをしないといけない。いろいろな問題があるにせよ、一箇所がきちんと決まっていれば、その一箇所に対して全部持っていってつくるのです。

 

このあいだ、ステージ実習、ライブ実習でいいましたが、歌の中で1回死ぬということです。ピークがあってそこまで高まり、静まっていく。それがなくて、繰り返す歌もあります。でも体のことを知ったりフレーズを知っていくためには、こういう形の方がわかりやすいと思います。いわゆるエクスタシーです。

 

 

 日本人と外国人を比べてみても仕方ないのですが、最低限のベースというものがあります。それは何回も何回も聞いている中で、理屈でなく学んでしかありません。自分の歌っている歌がもう少し向こうのものと関わりがったり、最新のJ・Popsを歌う人は、やはり感覚のところまで同じところにいかないと1曲もちません。

 

ある時期、それが一致していたり、それが出せる人がいるのですが、どこかで前に出なくなる。その問題がいつも続いているような感じがします。これだけ人数がいて、1割くらいしか、それに近いことができません。同じことは期待していませんが違いをわかってください。

新しい人がその辺のカラオケの人たちと同じく、テンポが同じ中で「ル・ネ・オ・ンー」とゆっくり歌っているのは、遅れているわけです。不快です。でも自分がそれに気づいていたら直ってきます。毎回注意しても距離が読めないのだと思います。視野が狭い中でも、どれだけ視野を広くみるかです。

 

これを4つで数えられる人と、8つで数えられる人、16、32で数えられる人がいます。64になるとビートの意味がなくなってくるのでここまで読み込む必要はありませんが、日本の音楽を含めそれが感覚として受け止められている上で、体として対応できないというレベルであればまだよいのですが、感覚として入っていない場合はそれをまず勉強することです。それが1曲の歌の中で現れてくるのだと思います。

 

 

 日頃のリズムや音程、練習と関わっているのですが、フレーズを音色で出していこうと思ったときに、拍を1、2、3、4と打ってみることで限定されてしまいますよ。そこにフランス語の単語を並べるという感覚でやっていけたら、日本語でやるのと変わりません。むしろ、日本語でやった方が複雑でないだけよいのです。

 

今は歌詞も楽譜も、私たちは聞いたら口ずさむしかなかったのです。あとでみると単語も楽譜もメチャメチャ、でも人間の感覚で取って、その方が正しいこともあるのです。楽譜に書かれている通りに勉強するのは基本です。当然アダモのフレーズのとり方や、クセをまねる必要はありません。

 

ただ音楽をスタートさせるということを彼はしているわけです。それを自分の拍の感覚でおさめていくと、そのときに遅れます。だから、こういうライブ的な実習では、それを考えることがその時点で遅れてしまう。反射的にとらなくてはいけないし、反射的に起こることを引き受けていかなくてはいけない。それでないと、自分の呼吸や表現というものはわかりません。

 

 

理詰めで考えていく部分もある程度は必要です。ただそれを全部崩してみて、出たものを認めていかなければいけない。出た中でどれが優れていて、どれがそうでないのかという基準でステージは見られます。何を動かしているかをきいてみてください。

 

リズム通りにとっていったらこのフレーズは出てきません。でもリズムは入っているわけです。リズムを入れなさいという勉強であれば1年目に終わってなければいけない。終わらない人は徹底してWをやればよいと思います。

 

音楽はいつも4つで切っていくとわかりやすいのですが、練習のポイントは4~5つ目のフレーズです。1番目のフレーズを聞くと、4番目まで読めます。5番目にどう出すかというのは8フレーズまで決めます。だからよく、「4、5」とか「8、9」のフレーズの練習をします。あるいは「1、4、5」「1、8、9」のことばをいう練習をよくやります。フレーズをもっていける間を全部はぶいて流れを出すような練習を入れるのです。

 

 

 (「ル・ネオン ルネオン輝く街わきおこる

(ミ♭ミ♭ソ・ミ♭ミ♭ラ・ミ♭ミ♭ミ♭シ♭・ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ソミ♭)」)

 

 発声と歌は同じだと私は考えています。正しい発声すぎるとおもしろみがないから、それをゆがめたり歪ませて表現を強調しているのが歌です。だから、そこに各自の呼吸に合わせたフレーズなどといった個人的な趣向があります。それを徹底してやればおもしろい世界になってきます。発声の世界はそんなにおもしろくなくて、それを繰り返し、確実にとれるところでやります。型のようなものです。

 

ただ、ここでいっている歌は型のところを踏まえた上で出てくるものです。本来はできてしまったものの中に型が入っていればよいのです。この歌にも型があります。その人間の呼吸や声、演奏のスタイルにあっているから、違和感を感じない。むしろ新鮮である。ベースが入っていなくて、体がついていかないから計算が働いてしまって、おかしくなってしまう。聞いていて不快ですね。それは自分の体の中で正していかなくてはいけない。

 

発声練習、ヴォイスジムもそうですが、声を出せばよいというものではない。大切なのは、声をきちんと出す。それは状態をつくってやること。それを確認するために声を出す。それは自分の感覚が鋭くない限りどうしようもないのです。よくテンションのことをいいますが、その一瞬で声を調整しようとするときは、極限の集中状態にならないといけない。と同時にリラックスできていないといけない。

それと同時にそのことに関する技術をもっていないといけない。技術の部分はあとでついてきますが、感覚のところで間違っていたら、それ以上にはなりません。

 どこが歌の感覚の中で必要なのか、それをまず捉えていくことです。

 

 

 

 日本語でやってみます。日本語らしくなくてもよいので、音色を生かすことです。外国語の音のニュアンスを大切にしてもらった方がよいです。声量のあるなしはスピードのあるなしです。こういう歌は全て踏み込みが速いので体と同時にとらないといけない。

 

響かせたりとか考えたりする余裕もないわけです。そこの中から出てくる音色というものを自分の中ですぐに把握して捉えていかないといけない。でもよく聞いてみると、ちゃんと組み立ててあるのです。どこで強弱をつけるかということですね。最初の4行で決まってくるものですが、その辺をくみ取ってください。

 

 日本語になると「うずをまく」あたりでシャウトするのが難しいです。「ひと」「はてしない」「とかい」というのも発音しにくい。日本語としてタ・サ行が出てくると難しいです。「あきれた」「アメリカ」「悪魔」「おそろしい」など3番の歌詞はやりやすいですね。

 

 

 (「アメリカあきれたあくまのでんごくおそろしい

(ミミラ♭ミ・ミミラレ♭・ミミシミ♭・ソソ♭ミミー・ミミミラ♭ミ)」)

 

 日本語でやるとき、4つにおいていくとまずいです。「あーきれた」とか「あーくまの」という風にのばすのはよいのですが、フランス語でやると、4つに分かれていない。日本語は4つに割れるものですが、自分の中で音色を使えていかなくてはいけない。日本語のノリにしてしまうとつまらなくなります。フランス語だとその通りにしてもおもしろくなるのです。フランス語の中でも動いていますから。ただ音をとっているというだけにならないようにしてください。3番目が全て踏み込みになりますから。一番最初も強く出せます。ただ1拍目はあまりずらしすぎない方がよいでしょう。もう少し長いフレーズで考えてみてください。

 

 (「おそろしい街だがすばらしいニューヨーク

(ミミミラ♭ミ・ミミラレ♭・ミミミシミ♭・ソソ♭ミミー)」)

 

 100でもっていければよいのですが、全部合わせて100くらいしかないなら、この中で起承転結を作らないとよくありません。そういう場合、ある程度最初から出さないとよくありません。もし落とすのであれば「街だが」あたりで落とし、「すばらしい」のところで次の方向を打ち出して「ニューヨーク」で結ぶ。それで次の「ルネオン」とからんできます。ただ押しまくるのなら、ややこしい小細工をしないでもよいと思うのです。その辺が練り込みとかの感覚が重要になります。自分の呼吸を配分しないと仕方ないです。

 

 (「アメリカあきれたあくまのてんごく/おそろしい街だがすばらしいニューヨーク 

ルネオン(同上+ミミソ♭)」)

 

 15~20秒くらいのフレーズですが、このことを10倍の時間やらなければいけない世界です。やらなければいけないことはその中でメリハリをつくったりするとき、どこで握っておくかです。どこかでつかむところに、息・体の力を集中させる。そういうところが1~2ヶ所でよいわけです。均等になってくるとりお客さんの耳には、右から左に抜けていきます。上に響かせたり、踏み込んだ理りと、いろいろなやり方があります。結局踏み込みと放すところのまと地の差が大きければ大きいほど連続してたたみかけてくるわけです。

 

音の世界で勝負するというのはそういうことです。左右に動かすというのはだんだんできてきますが、上下にゆれてきて、そっちの大きさの方が大きくなること。こういうもので練習すればよいと思います。あとは自分たちの曲になったとき、これの10倍のことをきちんと配分してやる。日本の曲だとこれくらいですが普通、ロックやヘビメタ・パンクなどは全部そのはずです。それくらいの体の強さ、テンションの高さを持って欲しい。それがあった上で引いていくのはよいのです。

 

アダモも声量があるわけではないし、しわがれた声ですが、これだけ何かが伝わるというのは体の使い方とか、フレージングの刻み方のうまさというのがあると思います。練習しやすい曲です。このレベルのことで、自分の呼吸、音色、フレーズをいくつかつくっておけばよいと思います。だいたい高いところで降りてこないようなフレーズをやったら、どこかでさぼらないといけない。抜き方をおぼえていかないといけません。いつもいうことですが、吸う息の速さ、それをキープすること、それを吐き出す意識のスピード、それが崩れてしまうとよくありません。

 

 

 

 

ーー

 

「バラはあこがれ」

 

((ことば)この街からも見放されて君はさむい風の吹く中をひとりさびしくのぞみのない身であてのない旅にでかける だけど大切なのはバラの花を夢見ることさ…)

 歌というのはバンドや照明がついて曇らされていますが、本当はこういうことばについている音、リズムが抽象化され、音色として働きかけられるかということです。役者さんも、音色、雰囲気、息づかい、顔の表情などで表現し、ことばはその状況が準備されているから入ってきます。全身でやるというのはそういうことです。

 

音色を消して一流のヴォーカリストのビデオを見ていると、声は関係なくとも成り立っています。だから、ステージということを常に意識していないといけません。トレーニングもそのためにやるのですから、目的なしに練習を積んでも何にもならない。それが何に使われるのかということを感じていなくてはいけません。それが足元からやっていけるところです。足元を見ないのが一番困ります。

 

例えば、このフレーズをきちんというためにはそれだけの準備が必要です。こういう場所でそれができない限り、ステージではできません。ここで出したことがその人の力です。今考えて欲しいのは、自分の口から出したものは、表現なのだから、それに関して責任を持つ、そこに想いを入れる。それが入っていない以上練習になっていないと思ってください。

 

 

 ここだから時間はみています。しかし、絶対的な条件があってそのことを求めていないとよくありません。必要に応じてしか身につかない。それも他の人に対して働きかけるという基準でみていなければ、自己陶酔の一人よがりの世界になります。毎日、全力を使って出せ、というのはそういうことです。いえなかったとか、失敗したとかいうのであれば、練習すればよい。まず自分の課題をあぶり出さなければいけないということです。

 

今だと、「何もないし、ないなら、ないで、それでよいんじゃないですか」という感じですが、それで歌や表現が通じるわけがないし、劇団でも通じるわけでもない。それをクリアにしていくことです。それができない人は、それができるような精神状態、体力、集中力をここで取り出せるように日々トレーニングすること、そこから勉強してみてください。

 

そうでないと、入り口に入らないまま2~3年たってしまいます。実際のステージというのはどんなに日頃勉強していようが出たものに対してしか判断されません。出たものに対して、何が入っているか、自分がどう入れられているか、何が足りないのか、それを追求しなければいけません。そうしたら、「このせりふを読みなさい」といったとき、そのようなことばになるはずがありません。その辺は日々のトレーニングできちんとやってください。

 

 

 皆が100%出して、ようやくここの次のレッスンに入れます。今の皆の状況では、意識を変えるだけで3~5倍声も表現も出るはずです。自分を追い込むというイマジネーションがない人は、向いていないです。そういうものに対応できないといけない。

 

ヴォイストレーニングも目的はいろいろな声があって、それを伝えるために、イメージして、感情や音色のところからパッと入り、それを取り出せるということです。歌や、ステージの世界も同じで、曲や音の感覚が瞬時に入って、それに自分を加えて何か出せるということです。それらを日々取り組むことです。聞いているだけ、発しているだけでは何にもなりません。

 

 自分のレベルに応じたトレーニングをやればよいと思います。ただもったいないのです。皆、いろいろなことを表現できるにも関わらず出てきたレベルがこれでは、能書きだけのトレーニングでしかない。音の世界や、もっとおもしろいことができないのです。もっとできるはずのものを自分の中でセーブしてしまってできないくせがつくのは、よくありません。

 

 

 

先生方とは、個対個のつもりでやってください。私が群れるなとか、まわりといっしょにやるなといっているのは、まわりに絶対合わせるな、ということです。それなら、高校の劇団にでもいった方がよいです。その方がまだ元気があります。自分が飛び抜けて異常であたりまえだと思ってください。

 

今のうちのような平均的かつ普通の人たちばかりにおいては、なにをあいつは一所懸命やっているのか、ばかみたいと思われることが条件です。それが2年続いたら何とかなってきます。そうじゃない人は、もともとレッスンに入ってないわけです。そういう一人になってください。

 

 他の人の世界とは違うのでしょうが、私のまわりはそういう人たちばかりです。時間はみますが、それは当人ができることを100%やっていることが条件です。先生の最も厳しい面に対していくことです。

 

 

 

ーー

 

「そして親父は」

 

 (「そして親父はまだ上京してきたところ少しは人間性の残っていたこの街に/まだ人々は未来について話すことを知っていた。たとえ人々は疲れていても/

(ラシド♯ラシド♯ラシド♯ソ♯ラシソ♯ラシソ♯ラシファ♯ソ♯ラファ♯ソラファ♯レラファ♯ソ♯ラファソ♯ラファ♯ソ♯ラド♯シド♯シ/ラシド♯ラシド♯ラシド♯ソ♯ラシソ♯ラシソ♯ラシファ♯ソ♯ラファ♯ソ♯ラファ♯ソ♯ラレド♯シシシラソ♯ファ♯ソ♯ラ)」)

 

 歌というのはこういうのが3~5分続くわけです。根本的なところなので、今さらいうことでもないのでしょうが、見えないところをみえなくてもよいから出していかなくてはいけないということです。それからスピードについてもこういう曲で打つ瞬間前に入り切れない。日本人として慣れていないスピードだからです。入るときに深いところで声にならないとできない。息が声になるわけだから、結びつきができていないといけない。でも間に合わないから浮かせてしまう。体の動きが直接声に反映していない。

 

それから見えないところ、というのはこれを全部歌わなくてもよい。踏み込みの深さのところです。ここから放してどれくらいもたせるかで、見えないところというのは、放したあとの方向づけです。日本人のように均等にとっていくと、全部歌わないといけなくなり遊ぶ時間がなくなるわけです。

 それを部分的につくると全部違う方向にいってしまうので、流れが必要になります。声の中で動きをつくる。それが前提であって、そのたびに動かしていたら、小刻みな歌になってしまう。

 

 

 スピードというのは、日本人の場合、早口になるだけです。情感を出すと重くなる。そういうものではない。重いものがスピードをもって動くということは、もとから動いている。動かしているところから加速が加わるだけ。一瞬止まっているように見えるのですが、そうではない。こういう条件を叶えていくときに体というものが必要になってきます。きちんとしたところでとれていないものをいくら響かせてみても通用しない。

 

 皆、声がないから歌えないとか、きれいに響かないとかいうのですが、ポピュラーでこういう条件を満たしている人は少ないはずです。特にハイトーンじゃないところでそういうことをしている人はいません。そこでハイトーンの音色を求めても仕方ない。だから中間音域で上の響きを使ってみたり、上をあけたりするときれいに響きます。でも、何もできない。その上にもいけないし、方向性も示せない。動けない。

 正確であることを狙って、正確にやるのは歌ではない。それはベースであってもその正確さをどうはずしていくかということです。カウントは正確に打っていかなければいけないけれど、それは動かして戻すためです。それも含めて流れの中でもっていかないと結局何も出てこない。

 音を心地よくずらせるというのは、ミュージシャンの才能です。でもずらしたあと、みな楽譜にも戻しているわけです。

 

 

 計算臭さなどどこにも出ていません。計算で成り立っているにも関わらず、感覚におきかわっているので、感覚、呼吸のいくままにいったところが、全部正解になっているのです。それをわざわざつくっていこうとする人が多いのです。特殊な声をつくって覚えていけば歌になるというわけではない。そういう人の歌はきれいですが、それだけです。技術と歌が結びつかないということです。

 大切なことは表現することであって、こういう計算は流れの中でされるものだから、あてようとしたときに間違えてしまう。トレーニングの場でなければ計算してはいけないのです。考えた瞬間に体は働かなくなる。

 

 自分のはまるパターンからそれると足りない部分が目立ってくるわけです。それはそれで、ここが勉強の場だからよいわけです。ここに正解があるとか、誰かが教えてくれて、それをまねればよいとかいう考え方がおかしいのです。それではウソになります。一流といわれる人たちのどこが何に似ているかということです。誰にも似ていない。声楽家がみたら否定するような声を出しているわけです。それをまねようとした時点で、2流、3流だと私は思っています。それはどうしようもないこだわりから生まれます。その人がよければそれでよいと思います。

 

 ステージをみればわかると思います。何かウソ臭いもの、地に足が付いていないもの。そこを自分でごまかさないことです。歌の音声の中で表現していこうとするなら、音に耳を傾けることと、自分の呼吸を取り入れることをやるその。量が絶対的に足りないだけです。それがキツくなったら、皆逃げようとする。5~10年やってから比べてみればよいと思います。

 根本のところを間違ってはいけない。皆偉い先生がいうとそう思ってしまうのですが、伝わっているかいないか、自分で聞いてみるとよい。そのことさえできない場合は、どうしようもないです。

 

 

 

やって欲しいところは見えないところをきちんと捉えて欲しいということ。見えるところはわかりやすい。みえるところはまねしてはいけないということです。

桑田佳祐さんの歌い方をまねしてはいけない。でも彼からは感覚の部分などたくさん学ぶところがあります。それを学べたら、全く違うものが出てくるはずなのです。その声や、表面に出てきたものを学んではいけない。楽器が違う、使い方も違う。そういうことを常に見つめることです。同じ物がでてきたら、嘘なのです。ところがそれを教えることだと思うのが日本のトレーナーです。自分の中にしか正解はありません。それが待てなくなったら負けです。

 

 だからもう一度「ハイ」に戻ったり、「決定版ヴォイストレーニング」などに書かれていることを今に組み立ててやってください。2年たつとできていると思う人がいるのですが、そうではない。1年くらいでもすごいステージをする人もいる。それが出てから2年~3年は必要なわけです。もっと、自分の感覚を大切にして欲しいと思います。

 

 いろいろなヴォーカルがいますが、日本人は狭い範囲内のヴォーカルしか聞いていないのです。こういう曲を聞くとうまいかへたなのかわからなくとも、何回も聞いていくと、洗練された一つのスタイルがあるとわかってくる。そういう部分を知り洗練させていくことです。

 皆は余分なものが多すぎるのです。発声というのは何かを得ていくことではなく、とっていくことです。歌もステージも同じで、欲張るほど自分の歌を邪魔する要素が出てくるから、体を鍛えたり、感覚を鋭くすることでシンプルに直していくしかない。部分的なところで直したらよくありません。

 

 

 歌い方をまねるのは参考にはなるけど、そこに入っていって、出て来れない人が多いわけです。歌がちょっと歌えたり、うまい人に限って、例えばアメリカの歌い方に似せて歌っていくのが上達だと思い込んでしまう。それは桑田さんに近くなることがうまいというのと変わらないのです。そして、その人のより能力が出る状態からは離れていくと思います。時間がたって、破綻します。日本歳が年をとってパワフルに歌えないのは、最初からはずれているのだと思うのです。体力の問題もあります。向こうの人は体力をキープするのに努力しています。

 

 ヴォイストレーニングで自分の一番よい状態を感じることイコール歌の中で感じることであって、何が特殊なことがそこにおこるわけでもない。それより、ことばをきちんと伝えること。音の世界にも基本にもどってやってみてください。

 

 “濃味”というのも褒めことばです。何かがそこに出ているわけです。それを、5番、10番まで歌おうと変わらないというパワーで歌っていないと、頼りないと思われたら伝わらなくなります。よい面、悪い面両方あります。ただ音色が出るというのはよいことだと思います。それは1フレーズの歌の中で自分でテープに録音して聞いてみればよいと思います。誰でもどこかにとりえがあるわけで、それをきちんと煮詰めていかないとよくありません。もっと削ぎ落としていくことです。ことばも雑に伸ばして声を使いすぎています。もっと凝縮したところで強く表現してあとは遊ぶ、放すことです。そうしないと余裕が生まれてこないでしょう。

 

 

 

 

ーー

 

「失われた恋」

 

 (「きえた恋、すぎていった私のあの恋

(ミーミーミミレレドシラシ・ミラシドレミファミー)」)

 

 シャンソンならどう処理すればよいのかはわかりませんが、基本的なやり方というのがあります。歌おうとすると大変です。そのために構成というのをつけていくし、速度も変えていくのです。ここで流れができて、のっているのであれば、「ターア・ターア」くらいでよいのです。速度的につまってくるところに対して放していく、というバランスをどこかでとっていくことです。その辺は感覚です。

 

要はその動かし方です。

「タア・アア・ターアア・タアアアアアアー」では、このフレーズはきついですね。この寸法をそのままあてはめなくてよいです。自分で大きく感じて出していくことです。体の流れの力を借りて方向を見せる。粘りを持っておいて出す。こういう単調な歌はその感情移入や、音への移行がなければもたなくなってきます。

 

 (「きえた恋(ミーミーミミレ)」)

 

 音は大きく出してもかまいませんが、声をとりにいってはいけません。宿らなくなってきます。踏み込みというのは心をとりにいくことです。音声の世界の中でそのことが匂うように持っていくのです。音声の世界というのはそれを象徴していくわけですから、それを音で表してみて、どれにあてはまるか、自分がどうしたいか、何ができるかということを常に問うことです。皆は声で音をとっているだけです。何も考えていない。それですむ場合もありますが、こういう曲だとここでの時間の感覚になります。イマジネーションの世界です。音声をまねても仕方ありません。時間の感覚をまねて欲しい。

 

 (「昔の恋歌(ミラドミシラソ♯ラ)わびしく(レレレレシ)」)

 

 ことばから、メロディ、感覚、リズムからフレーズに転換するところですから、まず当人の意識がそのように変わらなければよくありません。ですから発声装置みたいになってはいけません。「むかしの」ときちんと読まなければいけないのに、ガタガタしているのです。

 

 フレーズのイメージに乗せるために、その前におとせなくてはいけない。単純に聞こえている人はまだよいと思います。「ターア」という中での、ベース、リズム、音色の動かし方です。あまり歌い上げたり、声で持っていくのもよくないのです。その音声イメージをつくっておかなくてはいけない。楽譜が進んでいくのに対し歌は遅れていきます。感覚のことですよ。

 

実際歌は遅れませんが。大きくとれる人は大きくとって、その中の核となるところをとっていく。両方やらないといけません。核のところを音色や、リズムでもっていかなくてはいけない。そのためには拡大していけばよいのです。でもそんなに簡単なことではないでしょうね。

 

 

 

 

 

ーー

 

「スローバラード」

 

 (「悪い(ミファ♯ミ)」)

 

 こういうフレーズはひとつひとつが完全に完結していながら、同時に流れをつくっています。「悪い」といったとき「予感の」というところにすでに心はいっています。人の心にきちんと届くところというのは大きく出しているかとか響かせているかとかそういうことではありません。声がはずれていようが表現が出ていればよいのです。こういうシャウト系ブルース系で歌っている人はいろいろいますが、それを頭で

 

計算してスタイルという形でつくっているのでそこまでで終わってしまうのです。

 スタイルをつくることと、それにとらわれてしまわないことは難しいものです。

 

アメリカ」というときに、自分で出そうと思ったら出せない。だから伝えようとするためにスタイルを使う。でもスタイルを使ったが最後、その中にはまっていってしまう。この辺は常に考えなくてはいけないことです。

 

 

 (「悪い予感の(ミファ♯ミ・ミミミソー)」)

 

 最初に完成を狙うのではなく、器を大きくしていくということです。人それぞれのやり方があります。声が出たらやった気がする人がいる。それは、そういう段階ですのでそれを続ければよいと思う。でも声は出なくてもいろいろなものを詰められた、と思ったら、それこそ一番失ってはいけないことなのです。そこを握らないと何も宿ってこないからです。体にまず宿らしていくことです。今までたくさん聞いてきた曲を耳で聞いてきているのでなく、体で取り出す。そのときに何をとるかです。

 

自分のフレーズであってフレーズでないような状態をつくってください。発声練習というのはそれがわかっている人にはよいのです。でも9割がたわからないでやっています。だから、のどをこわしてもよいし、声が出なくなってもよいから、最初に何か動かせるところのものをまず確実に捉えることです。

そこから2年かかってのどを治せばよいのです。それがないと、きれいに歌えるようになるのですが何も出てこないです。いつも評価のまな板に乗せるような歌を歌うなといいますがそういうことです。

 

 

 

 

 

ーー

 

「傷心」

 

 これは合宿でセレクトした人が多かった曲ですが、聞いてみてさっきいったことがどういうことか考えてください。

 Aメロの部分でサビへ向かうための緊張感を聞き手に与えます。歌は技術とか音感を大切にとかいわれますが、まずそこをつかむこと、そして音声に移し変えて0.1秒も遅らせずにスタートさせなければならない。だからものすごく力がいる。そのことを確実にやろうとするがために常に保守的になってしまうのです。しかし、大失敗するよりは確実にやる歌い方を覚えていく。

 

 いつもいうことですが、ここでやってみていろいろ注意を受けて、またやってみて、また注意を受けて、ということではよくありません。自分でわからなければいけない。歌でもことばでもそうですが、少なくともあなた方の日常でことばで人に伝えていることはあるはずです。そして歌を聞いて、そこから何か伝わってくるということ。それができるためにどういう要素があるかということをとらなければいけない。

 

私はこの歌も歌い方も好きではないけど、課題として適切だろうと思うのは、少なくとも歌い手がその状況に、体で入っている。皆にその能力をすぐには求めませんが練習している中で、イマジネーションを働かせることが必要だし、もっと大切なことはイマジネーションを聞いている人間に浮かぶように伝えることです。プロのヴォーカリストは最低限、その条件を備えています。

 

 

声、呼吸はそういうことがわかっていてはじめて練習になる、ということです。だから、いろいろな歌を聞いて、その上に自分のものを何を乗せるかということを考えることです。「ハイ」とか「ララ」とかやっているのは、体や声の状態を整えることです。時間がもったいないのですが、そうしないとここの場も成り立たない。

 

 それから、皆の中でまだ不足している音楽的なイマジネーションや感覚をあるところまで持っていくのにかなり大きめに音楽をかけています。その体の状態になったときに、そこまでの流れを全部切ってしまって、歌ってみても何の意味もない。表現というのはイマジネーションの世界です。

 

その人の中にイメージがなければよくありません。スポーツも同じです。どう思い浮かべるかというのがあってはじめてどう出たいかというのがある。それが欠けている人は声のことをやっても伝える声にはなっていかない。

 

 

 

 

ーー

 

ダスティン・ホフマンになれなかったよ」

 

(「テレビの(ソファミ♭ミ♭)」)

 

 日本語で「テレビの」といえている人が歌になると「テ・レ・ビのー」となってしまうのは歌い手の表現力の問題です。そこですでに「テレビの名画劇場でジョンとメリーを観たよ」ということを伝える気持ちがないからいけない。音の世界ですから役者さんのように、それをありありと思い浮かべてすぐ出そうというものではなく、もうワンクッション音を介して出す。そこまでいかなくてもよいですから、今はことばとして伝わることを勉強してください。自分でやってみて、その中で自分の呼吸や声がきちんと入ったかどうかは一ヶ月目からやって欲しいことです。

 

音はピアノやトランペットの世界と同じです。ワンクッションおいて抽象化させていく。象徴化と考えてもよい。ここでことばを与えるということはオリジナルの声をきちんと取り出すことの上に、ということです。その声でそのままやるのではなく、ことばとして動くように出す。そのとき、想いや風景、イメージを入れる。これが全くないのです。いろいろなものを感情移入したり、イメージしたりして、それが出てこないのは、技術的な問題ですからあとでなんとかなります。しかし、表現するときにそれらが欠けていたら、自分で解決していくしかありません。そういう世界は自分で持つしかないのです。

 

 アテンダンスもそれを育てるために伝えようとして書いているはずです。でも伝わっていないものがほとんどです。字が汚いと読む気がしませんが、それは声の技術に通じるもので、内容がよければ読みます。でも内容をすぐに作れというのは無理ですから、自分の中で勉強してもらうしかない。

 歌い手はこの内容があってもなくてもよい。この作用を拡大してくれればよい。しかし、学ぶときには内容をつくりましょう。ほとんどの人は逆です。歌を長くやっていて、歌への想いというのはあるのだけどことばにしたとき、半分以上失ってしまう。それでは歌に入ったら命が入っていないということになります。思い入れのないアテンダンスがあなたのやる気のなさを表わしています。

 

 

 何か自分に働きかける歌の力を数倍にして返していくということをやらないと勉強になりません。雰囲気や癖はまねなくてよいです。「テ・レ・ビ・の・め・い・が・げ・き・じょ・う・で」というのはどう考えても音楽にならない。何も動かしてないわけです。文字に何も入れないまま音にしていっただけです。日本語はそうなりやすいことばです。役者はそこに変化をつけていきます。特に音楽にしていくのなら、これを線として、描いて、この描き方がオリジナルフレーズといっていますが、これはことばでも同じです。その人特有の節回しというのがあります。

 

そこに共通の要素がある。少なくともこの中で一つの呼吸がとれていること。トレーニングをやっていると、皆、部分的に考えるのだけど、こういうものは、最終的により伝えよう、より正確に、強く、美しく、何かを与えようと思ったときに働いてくる体の動きそのものなのです。ぎりぎりでやっている人にはわかってきます。たとえば、自分は1秒できるけど、3秒できないといこと。それは時間が解決してくれます。

 

ところが感覚がまだわかっていない人は直しようがないのです。自分でそのイメージや感覚は入っても声を出したら声がついてこないという問題はよいのです。これを音で捉えるということは非常に難しい。「テ・レ・ビ・のー」となってしまう。だからことばから入ればよい。「テレビの」、これで一つです。一つで捉えてみてから音をつける。きちんと分けていく。自分の体でキープしなければいけないことが難しいだけで、そうでなければ誰でもできます。

 

 

こういうことができるかどうかということと、ステージがうまいかどうかということとは違います。

 こういうことができなくても、ステージがうまい人はいます。でもステージをよりよくしようとしたら、こういうことにたどりつくのです。そこからステージもまた学ばないといけないのです。

 

 体の条件や感覚をそこまで入れて置いたら、あとは「テレビの」と一つでいうだけでよいのです。きちんと入り、きちんと終わること。だから頭の方にインパクトやパワーがいきます。1拍目につくるわけではありません。「の」のあたりは、いっていません。外人の歌い方は皆が思っているより相当速いし、鋭く入っているし、強いです。どこかで集めていて、どこかで放している。こういうメリハリでやっていかないと表現は成立しません。喋っていても同じです。

 

 今は少なくとも感覚的にそう捉えていて、体の感覚が用意される期間として①はあるわけです。それの一端でも出ればよいと思います。1フレーズで評価は決まります。

 「名画」のあたりでスピードが変わっていますね。時間を動かすというのは、そういうことです。均等にリズムを刻んでいても、そこに入ってくる音は動かしていかないといけません。自分の体の中で回っているから聞けるわけです。1フレーズで終わってしまわないことです。歌っているところしか見えていないからそうなるのです。必ず次の方向を示していかないといけない。

 

 

(「テレビの名画(ソファミ♭ミ♭ー・ミ♭ファソファミ♭レミ♭ファー)」)

 

 このフレーズで「ジョンとメリーを観たよ」くらいまで歌うと考えてください。そこから何が聞こえてきたか考えてみればよいのです。応用をやってみましょう。

 

(「僕のまわりわりだけ(ドドレミ♭レミ♭ミ♭ー)」)

 

 ①、②、新入懇というのはこういう要素がないわけです。でも③あたりできる人もそのねらいに伴ったテンションやリラックスの感覚みたいなものが落ち着いてしまっている。落ち着くのとリラックスは同じことではありません。、それが声に現れ、音楽に現れる。発声は音声として前に出さないといけないから、パワーやインパクトを伴わないのでは困ります。

 

「ハイ」から「ララ」につなげていくと音楽になってくる。フレーズができる。だからといって引っ込んでよいわけではない。要素でわけると、音の感覚。音程というより音感、あるいはその音をどう捉えていくか、それからリズム。それが音色という形で見えてくるわけですが、全て一つにしなさい。ということです。それには心も体も含まれてきます。感覚と体の問題です。

 

 新入懇や①をみれば何であんな変な英語で歌っているのだろうと思うかもしれません。日本人ですから仕方ないことですし、日本人としてとれる体というギリギリのところがあると思います。でも音楽の状態に入ったらそうではないです。ここでやっている「ハイ」とか「ララ」とかいうトレーニングはどの歌の分野でも通じる基本になってこないとおかしいと思います。

今の段階でいえばリズムがとれていないということですが、もっといえばその前の感覚がとれていない。その結果、体が変わらないのです。3分間の歌になると落ち着いているだけの歌になってしまいます。

 

 

 

 

 

 

ーー

 

「セ・シ・ボン」

 

 

 (「ハイ・セ」)

 正しいものは非常に単純です。「ハイ」に対して「セー」となったりする、その感覚自体がおかしいのです。きちんとつかめていて、動いていることが大切です。同じ体でやっているのに違うものが出てくるのは、感覚ややろうとする意図がおかしいわけです。それは本人が気づいていくしかない。だからこういうグループの中で、他人と比べてみて、それと同じことが自分にもおきていると考えればよいわけです。全部操作が入って、複雑にしてしまっています。

 

 (「ハ・イ・セ・シ」)

 応用のようなものです。これが「ハイ・セ・シ」だと歌にならない。「ハイ・セ…シ…」ここのところでフレーズができてきたらそのまま歌になってきます。皆間違っているのはそういうことをつかまないから、「セー・シーボーン」という感じで歌ってしまう。こんな広がったものを踏み込んだり動かしたりはできない。あてていくのが精一杯になります。必ずきちんと声にするところ「ハイ」と「セ」できちんと入ること。集中力が欠けていて、体がコントロールできていないとできません。もう一度やってみましょう。

 

 (「セ・シ・ボン(ことば)、セ・シ・ボン(ミミ♭レ)」)

なるだけ余計な響きをとること。それはあとで応用する分にはよいのですが、こんな低音の普通のところでやることではない。それが少しわかってきたら、これにアクセントをつけていく。「セシボン」「セシーボン」「セシボン」という風に、簡単にというと体の配分です。強いところにたくさん配分するということばはないのです。

 

音楽の強さというのは速さです。「セ」という音がどれくらい速く入れるかということです。そのことがでいるためには、まず体に空気がきちんと流れていなくてはいけない。用意ができないのですね。「ボン」といいたいわけで、前の方にアクセントがつくわけではないですね。

 「セ」で開かないようにやってみてください。

 

 (「セ・シ・ボン(ミミ♭レ)」)

捉えて欲しいのは、1フレーズの出し方に対して次のフレーズをどう出すかということです。

 

 

 ルイ・アームストロングも音楽的にフレーズをどう動かすかとかつくるかということはかなりよくわかると思います。声も楽器だと思えば楽器と区別する必要はありません。やはり最初のところで極めておかないとよくありません。コメントをすると、そんなことはわかっている、それをどうするのか、といわれるのですが、それはわかっていないのです。

 

多分、スポーツで何回もコーチに同じことをいわれる当人たちは、わかっているつもりなのです。でもわからないわけです。そのことがトレーニングの一番の目的になります。わかっていることと、できないことです。もっと選ばなければよくありません。曲も、出だし一つにしても単純に考えればよいのですが、余分なものばかりくっつけてしまわないこと。いろいろなことを受け継ぎすぎて、歌の中でバタバタしてしまう。ある意味では歌は突き放して好きに歌えばよいのです。好きに歌ったものが深いところに入っていく、というだけの話です。

 

 違うところで難しく考え過ぎていて、一番肝心なところで深いところにいけないでいる。それは感覚のことですから、いくら聞いてもわからない場合、ことばで考えたり、音楽家がいっているような発言を読んでみたりすることも必要である気がします。もっと音と戯れたりしてください。それが見えないとステージはきついですよね。歌で拘束されてガチガチになってしまったら、歌も大変だし、自分も大変です。それを解放するために歌うわけです。

 

 

全部「~すべき」となってしまって、本来やりたくてやっていくことなのに、それが失なわれている感じがします。作品はみせに来ているのだけど、これが作品だ、というのが見えない。一所懸命は出ている。ウソは消されている。でも形だけで実がないのです。取り出さなければいけないのは、その人間かもしれませんが、その人間が作り出さなければいけません。そのことをこういう練習の中で作り出していくしかないです。これを勉強しようと考えること自体がおかしいのです。参考にすればよいのです。完全にコピーして写すという勉強の仕方もあるでしょうが、どこかでそのレベルは超えなくてはいけないでしょう。

 

 (「スキャット(ラシ♭シレ♭ラレ♭ラレ♭ラレ♭ー)」)

 こういうものをやるとわかります。音楽に取り組む姿勢とか、音楽観とかだけではなく、何を目的にしているのかなども含めて。音楽的なメロディに入る前にこういう音色やリズム、フレージングがあって、人がキャッチするのですが、それができないということは何が欠けているかということを勉強していかないといけないのです。

 

 トレーニングということであれば今のでもよいのですが、それは家でやっておくことで、ここでは何度もできませんからそこで自分が思っているところのスタイルに組み直して、自分の一番出せるところ、キーや声のことよりも、ストレートに表現して、最低限の伝えるベースをつくるわけです。もっとわかりやすくいうと、フレーズの中の自分の呼吸や感覚のようなものを、太い脈絡のようなものとして、きちんとしたところにおいていかなければいけない。これがいつもやっていることで、感覚でとるということです。誰かにいわれた通りやるということがおかしいのです。

 

 

 そのポイントというか置くところの感覚自体が間違っている。方向が間違っているのです。自分のことをフィードバックするという作業をしていないわけです。ステージ実習でやる一曲を8~10フレーズでやりなさいというスタンスでレッスンをやっています。ここでのレッスンでそれなりの表現力を獲得しないとよくありません。1人でやっていたら独りよがりになってしまうことが、グループでやると正されてくるはずです。そのために場があります。最初の一ヶ月~半年は自分しか見えなくて仕方ありませんが、その中に何があるのか見ていく時期に入らないとまとまっていきません。

 余分なものをつけ加えすぎてもいけない。いろいろな声や感覚をいくつも出そうとするからいけない。もっと単純にする。たかだかこのくらいじゃないか、と思えば余裕が出たり遊びが聞こえてくるのです。それが歌い手の引き付ける要素になるのです。

 

 フレーズはフレーズで勉強します。何回も何回も一つのフレーズをやる。一つの曲を覚えたら終わりではない。プロの歌をまねしてみて、絶対に違和感があるところ、自分でもっていけないところ、それを自分が歌うときにわかるということ。テープで聞いたときに合っていないというところが相当見えます。1曲を全く同じにコピーできるところまで何回も何回もやってみて、何カ所かはピタッとくるところがあるはずなのです。そこはポイントとなる共通な部分に落ちているわけです。あとはどんどん嘘になる。歌い手は歌をまねることでなく、作品をつくることをやらなくてはいけない。だから作れたところというのは、そのポイントを捉えた上で何でつないでいくかということです。そこまでがベースで練習する前の用意です。

 

 自分がはずしてはいけないところをきちんと整えておく。人前に立って、おかしくないというところまでをきちんと打っておく。その先のことを練習の中でやっていかないと覚えたか、覚えていないか、というそのレベルで終わってしまいます。覚えるということはいろいろなものを加えていくことですが、それを全部捨てないとよくありません。それをやらないで歌えてしまうのがおかしいのです。逆にいうと、そこで歌えるということはどういうことなのか、それをやはり徹底して煮詰めてくると選曲だってもっとシビアになるし、課題曲だって、課題として歌うということにはならないはずです。人によって入りやすいか、入りにくいか、ということはありますが、でも何かの部分でベースがあればそれが出てきます。

 

 

 

 

 

ーー

 

「黒い鷲」

 

 

 バルバラです。

 だいぶ差があります。煮詰めなければいけないということは最初のフレーズで勝負はついているということです。その人の中の想像的なものが働いてないからおかしくなるのです。「いつか」というだけで、どれだけ考えなければいけないか。毎回「できなかった」とか反省するのはよいのですが、1行目をきちんとできるようにしてこないと、そういうところできちんと基準を合わせていかないとよくありません。プロと比べてみて、何が違うかわからなくてもまず違うということがわかることです。この辺は基本的な問題ですが「い」も「つ」も「か」も難しいです。「忘れたけど」までは、ことばの問題。次の「ある日」から展開が変わりますから、これをどう置くかでニュアンスが変わってきます。またポイントは絶対はずさないで戻れるようにしてください。

 

 (「いつか忘れたけどある日目が覚めると

(ラソファ・ラシド♭ドソソ・シ♭レソ・シ♭ラソ・レラレ)」)

 

 これで1オクターブあります。歌というのは構成があるので逆に簡単になっていきます。それにきちんとのっかっていくからです。これが繰り返される難しい曲ですが、サビに入ると楽です。

 声が出れば歌が歌えるほど安易ではないと思いますが、全部が揃わないと歌として勝負できないというのではないのです。歌っている人は足りないところでギリギリ出しているわけです。余裕を持って出している人はいないです。全ての条件が満ちてできるようになると考えるよりも、今の条件で充分できるはずなのです。できるはずなのにそれができないのは感覚が鈍い、あるいは想いが足りない、集中力がないという、もっと根本的な問題です。その上で音楽を聞いて吸収しておかなければいけません。

 

 

 イマジネーションが足りないということに尽きます。

 皆さんは入門①なので細かいことはいいませんが、習い事というのは、第一に取りくむレベルの問題です。出だしのわずか1秒で決まってしまいます。だから、1の感覚しかない人が、2やろうとしたらものすごい無理がおきます。トレーニングではそれを2にしていく。腕立てが10回しかできないとき、30回やろうとすると、それ以上のことがみれない人は30回の中で完成してしまうのです。2をより確実にやろうとする無理な力を入れるがために、そこで3に持っていく伏線がひかれないのです。一番よいのは最初に100をみてしまうことです。それがみえないときは少しずつやっていきます。

 

自分がやってきたことはキャリアにもなりますが、そのことをやってきたということはそのことしかできていないという意味でもあります。そこでできていることにより、可能性を限定していることも多いのです。声を深くとろうと思っても普通の人は浅くしかとれない。それを深くしてわざと喋ってみる。それはトレーニングになるけれども体はぎこちなくなるし、不自然なことがおきます。しかしそれを何度も正しくくり返していたらその状態があたり前になります。

 

 ところが感性がなかったりすると、正しくくり返せない。トレーニングをすることによってわき道にそれてしまう。体も使えず、感性も鈍くなっているのに、そのことだけに神経がいってしまっている、そういう時期があってもよいのですが、それを繰り返さないことです。より強い体、より鋭い感覚でより深いところをとっていかないといけないのです。これにはきりがないものです。歌でも同じです。

 

 

 外に表現してみたときにできていない。あるいは一人ではできるが、人前に立ったらできない。それはできていないわけですから、それをフィードバックする。応用と基本が結びついていかなければ意味がないのです。ここでライブ実習やステージ実習をおいているのは、外に出すことによって内を深めるためです。その深まりがあるレベルを超えると、外も内もあまりないのです。内なる力が少ないと、いろいろな飾りが外に必要になります。それはヴォーカリスト以外の人が受け持つ部分でもあります。でも歌より+αをつけて手早く勝負したいという人は、それでよいと思います。

 

 トレーニングとステージとのバランスが一番難しいです。一年間トレーニングをやるから人前ではやりません、というのは逃げ以外の何でもないのです。そういうのは10年やってスランプになって2年休むとかならともかく、1、2年のレベルでそんなことをしても仕方ありません。外に出てきたものでしか判断できません。そこに何らかの真実味があるから成り立つのでしょう。

 

 ここで使っている歌い手のよいのは、自分一人できちんと保てる舞台ができているかチェックできることです。そのノウハウはその人の中にしかありません。今の時代を生きている人に、勉強しなければいけない要素はたくさんあります。皆がかわいそうなのはそういうステージをタイムリーにみられないことです。ここのステージ実習や、ライブ実習のステージをやるときにこういう人のステージは参考になります。

 

 

ーー

 

「あなたとランデブー」

 

おてんとさまなんか 僕はありがたいと思わない

その光をとりあげてもかまわない 僕はあなたとランデブー

僕の好きな光とは あなたの目の光 あとは僕には興味なし

僕はあなたとランデブー

僕が欲しいのはあなたの心 あとはなにもいらない あなたと2人

おてんとさまなんかなくとも 僕はかまわない

お金なんかなくとも僕は平気

僕が欲しいものはあなたの心 あとはなんにもいらない あなたと2人

 

 

 大して深い歌詞ではありませんが、歌というのはそんなもので、そこから何を引き出すかが歌い手にとって大切なのです。自分にどのくらいの力があるのかというのは、こういうものを表現したときにしかみえません。

 

セリフの読み方だけで、舞台度胸、慣れ、その人の可能性がかいまみることができます。2年、3年かかっても可能性を広げればよいのです。完成度など、今から問う必要はない。ことばが聞こえてきて、そこで心が動かない、体が熱くもならないなら、何年やってもよくありません。一番大切なのはイマジネーションです。

 

 感覚や体がそういう状態になっていないのに、ことばを言ってもよくありません。誰でも間違えなく読むことはできます。しかしことばと出会わなければいけません。読み込んで、心を動かすのも練習の場です。

 

 

 ここで出ているものは、キーワードです。

例えばこの詞では“光”がそうですね。そういうことを読んでわかることです。それをどう変えて出そうかとか、回っているあいだに考えて作らないといけません。

 

与えられたものをこなせばなんとかなると思っていますが、そんなことなら誰でもできます。劇団ならもっとうまくやります。むしろ、自分でつくるために、この材料を使うのです。自分の状態をそこまで出し切ってください。出しすぎて失敗することはありません。

 

 今度は音の動きをもって聞いて、体で読み込んでいってください。感覚と心がなかなか動かないですが、何が表現かということを考えてください。

 

 

(「おてんと様なんか僕はありがたいと思わない。

(ド♯ド♯ド♯シド♯シラシ・ド♯ラド♯・レド♯レミファ)」)

 

 どう創り出しているかというのが問われます。伝わらなくてはいけない。伝える努力をすることです。音程はずれたり、ことばをいい損ねたりすることより大切なことです。そこに体と感覚が流れていないと、最初の時点で失敗です。

 

(「お金なんかなくとも僕は平気

(ファ♯ファ♯ラソ♯ミファ♯ソ♯ラソ♯ファ♯ミ・レミレファ♯ミレド♯)」)

 

 

 こういう試みの中で何が違うことができるか、何を納得させられるかということです。慣れてないと、まねするだけの時期も必要だと思います。大切なことは、1回1回何が得られたか、そして、それを浸透させることです。

 影響を受けて、何か残るものがあります。それが音楽性になり、不意な事態が起きてもそういう形で行動できるような感覚や体になっていくのです。こういうレッスンは見えないもので、それを積み重ねていくしかありません。レッスンの善し悪しというより、皆の体と心の善し悪しです。歌にしろ何にしろ創らなければいけません。そちらの方にポジティブになっていないといけません。今、4行を与えられたら、どういうふうに組み立てればよいかということを考えなくてはいけないのです。

 

今日はじめて来た人も慣れてください。程度の高いレッスンで、ここで5、6年いる人が対応できるかどうか、ということですが、いろいろな曲を聞いて、慣れていってください。いろいろなレッスンをうまく活用してください。

 

 「ナ」の音を入れて、音の流れをよくしたものです。単純なので、間をもたせるのが大切です。左は、ことばがたくさんあるのでリズムと音の流れをしっかりとって、ことばが速く聞けないように乗せていくのです。だから、かなり凝縮して、開くということが必要になります。

 

 

点で置き換えるだけではよくありません。だから自分で置き換えるのです。心を使えば口は動きます。どこかで余裕も生まれ時間も長く感じることができる。当人がそういう感覚で動かしていない限り、バタバタとしか客には聞こえません。+αの効果より、踏まえることを踏まえてください。

 

 ことばの力を捉える力がないのです。“おてんとさまの光”がない。その次に“好きな光”というのが出てきて、それは“あなたの目の光”となって、最後までつながっているのです。そういうことを意識して、その中で、世界を捉え、裏にあるものを読んで再構成していくのがことばの中の作り方です。右側にいくと少し曖昧になりますから、またそれを左側、そのまた左側というように読み込んでいくのです。自分の中を読み込むのです。自分の歌いたい歌のスタイルがないと、歌えないのです。

 

 こういう歌はリズムや音色、フレーズで持たせていきます。大切なのはことばで100通りつくって、その中から選ぶことです。同じくリズム、音、フレージングの中でそれをやっているのか、ということです。自分のスタイルを持っている人は自分に近づいていきますが、自分でもう一度それを疑わないといけません。この曲に対して、そのスタイルの取り方でよいのか。オーディションになると、得意なスタイルでやっていかないといけない。奇をてらった冒険はあまりできない。でもそれでもやるべきです。

 

 

 トータルとして、そういう学び方をしていくことです。それを創り出して、“光”の意味が他の人にはいえないような“光”になって違いが出せて、その違いをわからせてはじめて、歌に出会い、お客さんにも出会わせたということです。

 もちろんここでいっているのはことばの問題です。詩人だったらそれでよいわけです。歌い手は、音声、リズム、しぐさ、表情などトータルで伝えないといけない。その練習のプロセス、練習をしてきたかということは見えません。歌ってきたんだ、というのはわかりますが、見たいのは表現です。

 

その人が何の違いを出したかということです。その違いをどう納得させているか、です。詩も絵も同じです。それが表現です。同じことをいっていたら表現にはならないでしょう。違うことをいっていたら、皆聞かない。その接点をつけていかなくてはならないのです。それは大変なことなのです。

 ただ、歌の場合は、それをことばでやらなくてもよい。音の世界でギリギリやることです。作詞、作曲、ステージ、アレンジをやってみましょう。

 

 シナトラは画面で観る人だと思いました。ゲストもよいのですが、全て入っていますね。声がよいとかいうので聞け人はたくさんいますが、Showとかエンターテイメントということで舞台をどう運ぶか、体の動き、曲によってどう変えるかも大切です。向こうの人たちは舞台でみなければわからない人も多いですね。スタンダード曲も歌っていました。

フンパーディンクの「そして今は」を聞いてみます。いろいろな言語で一つの歌を聞くのはよいことです。 シナトラのリズムは案外、フンパーティングと似ているのです。それが共通の部分ですね。絶対はずさないように歌っています。何でもないのでしょうが、共通のところをはずしていないので、こういうシンプルな歌の時に似ている部分が出てくるようです。

 

 

 ジョルジュ・ブラッサンズの代表曲です。(「あなたとランデブー」)シャンソンを使っているのは、ポジションがわかりやすいからです。1オクターブ声がきちんとあるということはどういうことなのかがわかります。

 

日本語の歌詞を韻を踏んでつくった言葉でやりましょう。もっていきやすいし、日本語のリズムをくずしやすい。「な」や「なん」、「なく」などは、それだけリズムをはずしやすいのです。

(「その光がなくともあなたとランデブー(ファ♯ファ♯ラソ♯ミファ♯ソ♯・ラソ♯ファ♯ミ・レミレファ♯ミレド♯)」)

(「ぼくがほしいのはあなたの眼の光(ド♯ド♯ド♯ミレド♯シレファ♯・ド♯ド♯ド♯ミレド♯ファ♯)」)

(「あとは僕には興味ないあなたランデブー(ド♯ド♯ド♯ミレド♯シレファ♯・シシド♯レド♯シラ)」)

 

 ここはエンディングなので当然終わりに落ちがつきます。他のところにとらわれすぎているようです。リズムを出すには流れを作らなければいけない。そこにどうおいていくかということです。動いていなければいけない。この歌い手は始まる前にその動きをつくっている。絶対的な要素と、自分がかえていく方がよい要素があります。

その中でリズムをどう捉えるかというのが違っていくわけです。共通のリズムをみつけて、リズムをつくっていく。日本人でリズムを作りながら歌っている人は本当に少ない。例えば、ことばをたくさん入れたとき、速く聞こえてしまうのは、リズムと全然別のところで口をパクパクさせているからです。

 

 

リズムというのは、その中でいくつことばを入れてみても、問題がおきるものではないのです。だから流れを閉ざしてしまうといけません。あまり短いと流れが見えないこともあるので4行にしてみましょう。4つで切ることもおかしいので、これを2つくらいで捉えてみてください。

レーニングではなるべく大きくフレーズをとってください。その流れを作らないまま、加工に入ってはいけないし、計算を働かせるまえに大きな流れをつくっておかないとのっていかない。これは歌うよりも、この中で構成をきかせるというふうに考えてください。自分でつくるという行為があまりはいっていないようです。大きめ大きめにつくってください。

 

(「おてんとさまなんかなくともかまわない/その光がなくともあなたとランデブー(ド♯ド♯ド♯シ♯ド♯シラシ・ド♯ラド♯レド♯レミ/ファ♯ファ♯ーラソ♯ミファ♯ソ♯ラソ♯ファ♯ミ・レミレファ♯ミレド♯)」)

 

 フレーズの作り方には2つポイントがあります。フレーズを入れ込んで放していくことです。日本人はどうしても単調なフレーズになりがちです。どういう形で出すかということを計算して出していく。深さのない歌を4番までやられたんじゃどうしようもない。それは、つくっていかなければいけない。ことばをつくっていくより、リズム、音色、フレーズをつくっていくことです。後半の部分をやってみます。

 

 

(「ぼくの好きな光とはヤキモチやきのあなたの眼の光/あとは僕には興味なしあなたとランデブー(ド♯ド♯ド♯ミレド♯シレファ♯・ド♯ド♯ド♯ミレド♯ファ♯/ド♯ド♯ド♯ミレド♯シレファ♯シシド♯レド♯シラ)」)

 

ことばはどうでもよいのですが、そんなことより音楽として音に出会って、それを表現していくとはどういうことかを考えることです。皆、3分間の歌の中で歌うことで精一杯になってしまうのですが、こういう形で一つに捉え、動きを作りだし、音色をおいていくということをしなければいけない。ことばが回らないとかいうことも全部そうです。

 

「やきもちやきのあなたの眼の光」というのも、全部16ビートでとっていくとことばがつまってしまうので、「やきもちやきの」を32や、64でとっておいて、「あなたの」や「眼の光」で余裕をもたせるようにして、抑揚をつけていかないと点だけのものになってしまいます。ことばとして切ってはいけないのです。

 

 

 その流れの中でことばがよく聞こえなくても、音楽としてはもちます。ほとんどの聞き手はことばなどは聞いていません。「おてんとさま」とか「あなたと一緒」これくらいが伝われば充分なのです。それが伝わってはじめて物語として理解してもらえます。プロレベルなら、最初からきちんと伝えなくてはいけませんが、キィとなることばをきちんと浮き出させることくらいはやってください。

曲は必ずそういう作りになっています。その作り方をふんで、まず共通の部分を捉えていく。だから動かしていくことです。ことばでいって、音の方で流れをつくってみる。そんなことを100パターンずつくらいやれば必ず自分にピタッとしたものが出てきます。それではじめて1フレーズできた、ということです。単に歌って終わりというのではよくありません。お客さんはその1フレーズの裏にどれくらいのものがあるかということにお金を払ってきているわけです。

 

これらは練習の回数ではないわけです。斬新な発想や、それを支えるための技術が必要になります。ステージや歌で無駄をやらないためにはトレーニングで多くの無駄をやっておくことです。こういうものは、マイナスをできるだけ少なくして、プラスのところを出していけばもつわけです。

 

この歌を聞いてもおもしろいとは思いませんよね。でも早く終われ、とは思わない。それが大切なのです。とりあえずもっている。それが力です。そこに自分のものを入れていく。あまり名曲やスタンダードナンバーでやるより、つまらないと思う曲を活かすためにどうやってみるかを試みるとよいかもしれませんね。歌はどこの国でもいっていることに大差はないのです。

だから、そのことをどう見せるかということです。リズムをきちんと捉えてやっていかないと、歌い手にならないですね。

 もっと語りの練習をするべきだと思います。ことばを読んでいって、その呼吸をなるべく歌に残していく。それがマイナスを防ぐことになります。あとは張れるところは張ってみたり、リズムを動かすところは動かす。何百通りものフレーズを考えて練習してくるのが力です。考えすぎても進まなくなりますが、それを動きで補ってみてください。

 

 

 

ーー

その他

 

 

 20才以上の人になると、1回みたステージで全て判断されます。それが自己の世界です。

そういう意味でもライブ実習、この次のクリスマスライブを見てください。

 

 エルトン・ジョンはここ1~2年また、よくなってきました。歌がうまいわけではないのですが、ダイアナさんのは売れていますね。

(「Take my bleath away」)

3分あればこれだけのことができるということです。

 

フンパーティングの新しいCD、あまりよくないのですが、課題曲で出したものです。

(「そして今は」「Kind of Hush」をかける)

来日したとき、会いに行きました。全盛期は過ぎ、バックのコーラスの2人がとてもうまかったです。

にしても、この辺のヴォーカルは、ライブがさすがです。

 

 シナトラは、何がよいのか全くわからなかった。ライブとともに、スクリーンでみる人です。それは少したってからわかったわけです。

シナトラのビデオを12時間くらいみていて、いろいろ学ぶことがありました。

プレスリービートルズとは違い、アメリカで帝王といわれるのがどういうことなのか。

考えてみてください。