一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

オリエンテーション  831

オリエンテーション 831

 

 以前は、個人レッスンが中心で、週に1回くらいグループレッスンをやっていました。その当時は、ほとんど歌う現場をもっている人だったので、楽譜や、楽典などの基本的なことはやっていませんでした。

 私の主旨としても、できないことに関してのみ、やっていくというものだからです。

 できないことの1つは、声づくりで、これは、何よりも将来の自分の声が読めないからです。その意味では、今はいろいろなメニューが多くなりましたが、基本的なことは何も変わってきていません。今後も変わらないと思います。

 

 ここは、自由にオープンしていた方がよいと思っています。いろんな人がいてこそ学べるからです。ただ、習っている人たちに対して、ここが約束しているような効果が出せなくなりかねないことには、厳しく対処していきます。ものの習い方、身につけ方を知っている人が少なくなったということと、そこまで音楽が入っていない人が多くなってきたからです。

 

 音1つ理解できないのに、ポップスを聞いて「その通りに歌いなさい」と言ってもできません。全くわからない場合は、楽器や音大のようなノウハウから入るのも一つの有効な手段だと思います。習う人が多様化してくるにしたがって、いろいろなタイプの先生も必要になってくるでしょう。多くの人がやり続けることによってわかってくることもあるでしょう。ということで、結果的に今の形になっています。

 理想は、あくまで理想としてあり、これは変わっていないし、今後も変わらないでしょう。しかし、現実に対応することが必要です。理想のことをやるためには、受ける人の方も理想的なレベルのところにいかなくてはいけないのですが、現実には、いる人に合わせて体制を整えていかないといけません。

 

 

 ここは2年制と言っていますが、2年過ぎたら「いないでくれ」「出ても構わない」「まだ残っていてもいい」など、私の自由にさせてもらっています。2年間に関しては、契約書などをとると、皆さんが辞められないと思うかもしれませんが、これは私が追い出せないという契約です。「よほど¥規約に反しないかぎり、どうであっても2年はいてもよい」ということです。その人の才能や可能性は、すぐにはわからないからです。

 

 制度が複雑になったのは、全部オンしていくからです。要は、週1回しかなかったレッスンが、それだけでは足らないということで、リズム、音程などが加わり、今では毎日のように入っています。しかも、発表のとして、本来は自分でやるべきステージも加えてきました。

 

 たくさん出たら、たくさん身につくわけではありませんが、これから身につけようとする人の意欲は買います。スタジオが立派になって、いろいろな先生がいて、いろいろなカリキュラムがあると、ややもすると今の大学や専門学校のようにそこに居たら何かを得られるのだろうと間違えられかねません。毎日行くことによって、何かが出てくるような錯覚に陥るかもしれません。確かに場は人を育てるのでわからなくとも、くり返しそこに立ち続けることは大きな秘訣です。

 

 

 本来は1人で全部やらなければいけないことを、幾らかのお金で、この場を利用しているのです。福島英や講師自身の学び方を見せているのです。

 そのお金で、一般で借りられない教材や、海外でないと手にはいらないものなどを買っています。自分だけで学ぼうとしたら、とても多くのコストがかかります。それを私自身やまわりの人が学んだこと、学んでいることも含めて、ここはオープンに提供している場です。これで高いと思う人は、まだまだ利用できていないということです。

 

 私なり、皆さんの先輩なりが置いていってくれた、そして、同時においていっている、いろいろな財産を有効に生かしてください。

 ここでも10年前週に1回、貸スタジオを使っていた頃に比べると、いろいろと整ってきました。今でも京都では、月に3回借りている状況でやっています。だから悪いというわけではありません。

 

 人間は不思議なもので与える方の環境がどんなに整っていても、そこで本人がとることができなければ、その意識を強く持っていなければ、効果もあがらなくなってしまいます。何もない時の方が、伸びる人材がでます。そういう人材が来るからです。ここも、今は何もないとも言えることを大切にしていきたいのです。

 

 

 何もなければ、何かあった方がよいと言うのでいろいろなものを整えていくことができます。全部使えばよいのですが、でも使いきれない。そういう豊かさのなかで、あなたたちは弱く育てられました。まわりが過保護にすると、だんだん個人の能力がなくなってきてしまうのです。

 歌の世界、声を使って表現していく世界は、少なくとも音声で表現していく舞台である限り、自分の力しか通用しないところです。力のあるなし、才能は、どれだけそれを学べるかということです。要は、学び続けていけば、絶対に伸びていくのです。

 

 少なくとも私が見ていて、日本では、そんなことを10年どころか2年さえ続かない人ばかりです。ここを見ていてさえそう思います。皆「歌が好きで、世界で活躍したい」と、最初、大きなことは書いてきます。それを本当に自分自身で信じられますか。信じるためには、それだけやらないと実感できないはずです。

 

 しかし、2年、経たないうちに実際のレッスンにもあまり出なくなります。戦いの場を自ら放棄するのです。

 出なくても上達できれば、よいでしょう。自分でレッスンをやっていればよいのです。自分なりに試みて、ここに来ることさえ時間の無駄だと思えるようなことでやれば1番よいのですが、どうもそうではないようです。ここで毎日やるレッスン以上のことは長期的にみると、そう簡単にはできないのです。

 そういう場合には、人並み以上のことをやれることを目的にして、通い続けることです。力がなければレッスンで人前に出なくてはいけません。

 

 

 これから、時代も変わっていくと、どこで生きていても厳しくなっていくと思います。今でも会社員であろうが、他の商売をやっている人であろうが、そんなに甘いものではなくなるでしょう。お客さんがどんな人かはわかりませんが、それを引き受けて歌う人、あるいは、表現する人というのは、それ以上のことを、少なくとも音楽や歌の分野でやっていなければだめなのは言うまでもありません。

 

 歌にもいろいろな捉え方があります。仕事を一所懸命やっていて、歌でストレスを解消したりするのもよいと思います。ただ、それは歌や声で表現していくことを本業でやっていくことは全く違います。本業を中途半端にしてしまったら、何の意味もありません。時間もお金も無駄で、歳だけとっていきます。生きた時間は、必ずキャリアに変えていくことです。歌を仕事にしたいなら天職にすることです。

 

 私は、その人が音楽に接していること、歌を歌うことをやっているから、すごい、かっこよいなどとは思いません。かっこ悪い人ばかりだからです。そこで何ができているかということが大切です。そこに時間がかかります。その時間の中でどれだけのことをやっていけるかということと、他の人に対してどうこうではなく、自分の中に対してその時間をきちんと使っていかないといけません。

 

 

 最初に言っておきたいことは、ここは、いろいろなものがありますが、あくまでそれは場としてあるというだけです。とても漠然とした言い方かもしれませんが、その場の中で皆さんが、そういうものを取り入れ、生き生きと出していかないと自分たちの表現になんらプラスになっていきません。

 表現することは、人に対して何かを伝えていくことです。自分から取り出して外に出さないといけません。そのためには、人の数倍のパワーも集中力もいるのです。それが何であるかということを見つめていかないといけません。そこの部分は、何事にも共通しているので、そこでやっていける基準を覚えていくことです。

 

 毎日の生活の中で、生活自体が音楽や歌にかかわっていないということはどうでもよいのです。ビデオやCDをみて、“勉強している”つもりでいるより、よほどましです。歌うことも、表現することも、人間の生きていく活動の1面です。生活と違うものをつくってみようというものではありません。ただし、その場合、その中から切り出さないといけません。生活の中にも、ものすごく悲しい時、うれしい時、すごくびっくりすることが起きるでしょう。それを3分間に凝縮してそれだけを緻密に構成して出していくことが歌の世界です。

 

 生きている以上、誰にでも素質も才能もあると思います。ただ、それを意図的に、自分が意識した瞬間に取り出すことです。コンスタンスにいつでも取り出せ、いつでも保持できるには、力が必要なのです。日常とそんなにかけ離れたことをやるものではなく、むしろ皆さんの中に、はいっていることを出すのです。それを確実に人前で取り出すために、とても多くの条件が必要なのです。

 その1つが声、音声で伝えるということで、ここでは、声ということからつかむようにしています。それが最初の課題です。

 

 

 そのために、自分のオリジナルの声を知ることです。これはつくっていくのではありません。皆さんの中にあるのです。あっても、完全に取り出せないから、きちんと取り出せるようにしていくのです。

 次に、いろいろな音楽的要素にも関わっていかないといけません。「自分たちで好きなものを聞いて、それを歌っていくのだ」というところでやることは誰でもやっているのです。皆がやらないことをやれということでなく、皆がやっていることは当然やらなければいけないのですが、それ以上のことをやるということです。

 

 ここでは、皆が触れていないような音楽や、リズム、音の感覚などいろいろなものを取り上げています。それが合う、合わないでなく、学んでいくうちに、何か結びついてくるものであると、もう1つ大きく捉えてください。すぐに合うことは期待していません。

 いろいろなレッスンがあると、自分がわかりやすいもの、すぐに身についてしまうような気になるものばかりを選びがちです。それは高校生や中学生ならよいと思います。1、2年で目標にいくという世界なら充分ですが、生涯かけていくのなら、それは誰でもやれているゆえ、ワンステップの半分にもならないのです。

 

 全くわけのわからないところからやれと言っても無理でしょう。ただ、もし、ある程度、音楽をやったと言うのであれば、わけのわかっていることをやっても仕方ありません。こういう世界は奥が深く、わけのわからないことがあって、そこから何か伝わってくるものが、もっと大きなものであると認めることです。

 もし認められないのであれば、自分で同じ様なことをやってみて、テープで録ってみて、聞いてみる。あるいは、誰かに聞かせてみて、そこで判断基準をつけていくことです。人に伝わってなんぼのものです。それが、自分でわかるようにしていってチェックしていくことでしか、学べないからです。

 ここは、基本として必要なものが場の中にあります。与えるものが全部あるとまではいいませんが、とる人がとり方によっては、それをヒントに自分で他のところから材料を仕入れたり、他の勉強をするのに基本となるものとしておいてあります。そこから、選んで、組み立てて、好きに出していくのが1番よいのです。ただ、あまりにたくさんあると、皆さんも迷いがきますので、いくつかは限定しています。

 

 

 

○本を読みメニューをつくる

 

信じられない話ですが、私の本を渡しても本も読んでいない、本に書いてあるようなことに質問する人がいます。これは、時間の無駄と、もっと学んでいる人たちが迷惑なことです。当然、わからないことは、質問してもよいでしょう。どんどん質問していくべきだとは思うのですが、それがただ、ことばのやり取りで終わっていることも少なくありません。

 

 自分のあり方は、どこでも選べるのです。ただ、自由というものは、自分で使えなければ、かえって不自由なものです。自由なメニューをつくるのに、不自由なメニューがいるのです。

 

 最初は週に1回だけ、本でも一緒に読んでいくような、あるレベル以上の人たちから言うと面度臭くなってしまうものでも、基本です。高校生や、全く音楽をやっていない人から見れば、何か習った気になるものからスタートです。そういう方法で軌道にのせるところまで、引っぱることです。しかし、これだけでは、進めていくと、いつまでたっても人前に出たときに何も歌えないというようなことになりかねないので、気をつけることです。

 

 

○制度と自主性

 

ここに来た時点での力の差は、かなりあります。それぞれよいところもあれば、弱いところもあります。これを全て、同じレベルに整えるというのは無理なことです。2年くらいでは埋らない差があります。プロでバリバリやっている人と、1回も人前でも歌ったことがない、自分でもあまり歌ったことがないという人たちもいます。しかし、その差は、ほとんどドングリの背比べのようなもので、単に慣れているか、器用かどうかということが多いだけで、共に、商品にならないという面からみたら同じことです。

 大切なことは、そんなところでの差を気にすることよりも、自分がもっと大きな力をつけることを考えてください。

 

 ここは、たくさんの人が、はいってきます。その中で、しっかりと学べている人は3割くらいです。あとの5割は、学んでいるつもりでいます。2割は、いつの間にかあまり出てこなくなります。

 認められないうちに出なくなるのは負けです。いないとまわりがわかるくらいでないと、どこでもやってはいけません。

 

 私がうるさく注意しているので、間違って入ってくる人は少なくなっています。他のところにいくよりはよいだろうくらいで来ている人も少なくなりました。どこに行っても、自分を生かせばよいのです。ここはそれだけ自由があり、自分が全てを選んでいくということで、自主制を尊重しています。いろいろな制度は、あくまで皆さんのいろいろな面の弱さを助けるためにあるのです。制度に、助けられないように、うまくここを利用して、ここをよりよく使えるようにしていって欲しいと思います。

 2年間、24回の発表があって、その発表に中でよくなっていくことを望みます。何を学んでいけばよいのか、本当に通用するためには何が違うのかを学べる最初の2年間であって欲しいものです。そうしたら、ここを出た後にも伸びていけます。

 

 

 2年経ったら、自分で考えていたよりもすごいヴォーカルになれていたということは、たぶんないでしょう。そんなに甘い世界ではありません。自分で見えたところまでしか行けません。そのために必要なことは、まず、人よりも音やその裏、本質の世界が見えることです。これが難しいのです。

 

 ここは研究所です。発表会があっても、研究のための舞台であり、自分を知るために他の人もよく見ることです。他の人と一緒にやるというのも、皆で何か一緒にやればよいということではありません。実際に歌がうまくなろうが、うまくなかろうが、とにかく自分の中で音の世界が見えるようになっていくことです。そのために、いろいろなものがあるということです。

 

 ここに来る前にもいろいろなことを書いて、ここでも多くの提出物を書かされます。しかし、やらされているうちは、だめなのです。これが日常となり、その中でもっともっとやってくるようになることです。他の人がやらないところまで踏み込んだことだけが、力となっていきます。その他にもレポートを出すような人しか、この世界は残っていきません。一つひとつのことに対して、常に要求されること以上のことをきちんと返していくことです。その姿勢が、評価されるための前提です。

 

 

○倍返し

 

歌で生きるのだったら、歌が仕事になるのです。期待されている以上のことをきちんと返していくということができていたら、絶対に道は開けています。

 例えば合宿のアンケートが3枚あるとします。さらに何十枚も書いてくるような人たちが何人もいるのです。そうでない人は、少なくともそういう人たちに少しずつでも差がつけられているということです。この一日の差が重なっていく、それが全てです。

 

 もちろん、出すことに自己満足をして、とにかく書けばよいという形でいい加減に出しているようでは仕方ありません。選別もせずにたくさん出せばよいと人に読めないような字で出している人もいる、何を考えているのでしょうか、何もわかっていないことをアピールしてどうするのでしょう。

 そのことができていけばできていくほど、自分が何を表現しなければいけないのかとか、自分がどう歌わなければいけないのかというというヒントになっていきます。その形も練り上げられてきます。

 ここでも最初に来たときは、いろいろなものをつくらされます。

具体的な課題があるのは1ヵ月目だけです。

 

 2ヵ月目からは、ほとんどありません。先生方も、授業の中でやってきなさいとは言いませんが、こういうことが必要だと言っているはずです。言われているうちは、まだお客さんです。遠方から来て、授業にあまり来れない人もたくさんいますので、一部会報に載せています。その中で、たとえ出れなくても、そういうものを聞いて、どんどん自分から書いてくる人たちもいるのです。

 

 

 わけのわからない世界ですから、「自分で書いておけばよい」「出さなくてもよい」「書かなくてもわかっていればよい」という言いわけをすぐつくってしまいます。しかし、私たちが見ることができるのは、出されたものだけです。その人が頭の中で考えていようが、悩んでいようが、外に対して出されなければ、表現されたことにはなりません。まして、人の心を動かしたということにはならないのです。歌がすごいという人は、すでにその毎日のプロセスがすごいのです。そしたらそうでない人の歌がそうでないのはあたりまえでしょう。

 

 本当のことを言うと、ウジウジしたことをいくら書いていてもだめなのです。それで、自分でどうしようと考えたということがなければコミミュニケーションにもなりません。相手に何も与えないからです。しかし、それでもなにも書けないよりは、マシだと思います。やがて、そのことに気づくからです。

 会報は、皆さんのアテンダンスなどを40~50枚につき、1つくらいを載せています。会報に載せる文章は、いろいろな意味がありますが、それでも名前が並んでくるということは、普通の人よりも少しは勉強ができているということです。あるいは、勉強ができていなくても、そのことが書き表せるということです。

 

 歌も人前でやったときに、退屈させてしまう歌が多い中で、何か引きつけるものがある、そういったものが出せることが、最初の取っ掛かりになります。それを出すことに焦点を絞っていかないといけません。

 

 

○問い続ける

 

 歌で問えない時期には、声でも、ことばでも、書いたことでも何でもよいのですから、そういうもので問い続ける生活をつくっていくことです。これが、アーティスト活動のベースだからです。

 いろいろなところで、何をやってきたにしても、ここは素振りをするところであると同時にその下地をきちんとつくっていくということです。逆に言うと、いろいろな生き方がある中で、こういうもので生きていこうとしたときに、どこかで覚悟を決めることです。

 

 そこから一時、抜けられないということでもよいと思います。そういうものが下地にはいっていたら、いろいろな世界にとんでいけます。何も歌っていくだけが人生ではありません。

 表現には、いろいろな表現があります。ただ、表現し続ける人間には、その必然性が生じてなくてはいけません。それには、どこかで下地をつくって、自分自身、逃げられないようにしていくしかありません。

 

本質的なもの、真理に対面し続けることです。歌うことも、ものを書くことも、ほとんどの人は、やらなくても生きていけます。いつも取っ組みあうのは大変なことです。しかし、その真理に触れたら、それをなくては生きるのが難しくなります。仕事にして、一生それにつき合っていくということは、遊びでやることとは全く別です。必ず他の人とのコミュニケーションが必要になってきます。自分がどんなによい作品をノートに書いていても、どんなによい歌を陰で歌っていても、誰も必要としてはくれません。皆が求める前に、見せつづけなければ、当然わかりません。そこまでは、問えるようにしているのです。そして、そのうち一瞬でそれを示せるようになるのです。

 

 

 求めるということは、同時に表現するということです。歌うことでお客さんを呼んでおいて、呼んだお客さんに歌う。書いたものを出して、それを読ませて、また読ませ、書く。2つの働きが必要です。それが全ての中に、含まれているのです。歌を歌っても、最初にインパクトや、伝えようとするパワーがなければ誰も聞こうとは、思いません。聞いているうちに心地よくなり、もっとおもしろいことが起きるという期待が出てくること。そういうリピートのなかで確実にオンすることを繰り返されなければだめです。そうしたら、続けていけます。

 

 ここにあることの1ヵ月目にやるべきことが、2年間かかってやれている人がどのくらいいるでしょう。やったから、やれていないのによいと思っているのでは困ります。たくさんのものがあるのに、ないと思っているのはもっと困ります。2年目、3年目の人も、1ヵ月目に戻ることです。それをしないから伸び悩むのです。

 

 本当にやっていくために必要な表現は、この1ヵ月目の3分間のモノローグで、全て問われているのです。

 

 

○自分の練習帳をつくる

 

この練習帳が、毎月、自分のことを見つめていったら、変わっていくはずです。ところが、1ヵ月目が終わったら、使わなくなって、2ヵ月目になったら、新しいことしかやらないのです。新しいことをやることはよいのですが、基本をくり返しやらないと、いつまでたっても本当の技術は身につきません。その繰り返しのみが、力となってオンします。あなたの練習帳・メニューは成長していますか。

 

Q「毎回、1回のレッスンが完結していって、どう進んでいくのでしょうか」

 レッスンは進みません。皆さんが進むかどうかです。皆さんがレッスンを進めていくべきなのに、あまりに進まないから私がたまに少し進めているのです。それをできていると勘違いするのは、甚だしいことです。先に道筋を示すことで、今やることの必要性をより強く確認していきます。