レクチャー 832
ーー
○基本トレーニング
レクチャー2【とりくみ②③】
ーー
○基本トレーニング
空手や柔道の道場でもプロレベル、黒帯の人も来るでしょう。しかし、プロだからと言って、すぐに取っ組み合いをしないでしょう。準備運動、柔軟をして、基本の型からやるでしょう。正しいトレーニングをするためにです。基本というものはそういうものです。瞬時に入れる状態をより確実に安全に整えるのです。
そういうことを忘れてしまったら、ここにいても意味がありません。多くの人は、最初の1年くらいの間はアテンダンスをびっしり書いて、2年目、3年目になったら書かなくなってきます。
本当のことを言うと、2年目、3年目から勉強ができるようになってくるのに、1番勉強のできるときに勉強しなくなっていくのです。
それは、その人が、自分で自分を見切っているのです。それを他の人が助けるすべはありません。
表現できていくということは、どんどん書きたいこと、歌いたいこと、歌えることがでてきて、できてくるということです。
1年目に、表現し尽くした、書き尽くした、歌い尽くしたなどと言っていたら2年目はありません。そういう意味で、何かが進んでいったり、1年、2年と、いろいろと新しいものが与えられるわけではありません。
歌や声に必要なものは、私の1回のレッスンの中でほとんど含まれて与えています。どのレッスンでも、その中で1年どころか、一生かかって必要なものを1回のなかでやっています。しかし、そのことを、皆一生かかってもできないまま終ってしまうわけです。第一に本当の意味で、本気でやろうとしていないからです。
それは多くの場合、1番基本の点を見ていないからです。
基本は本当にシンプルです。講演会で「つめたい」などの例を私が出していると思いますが、あれが1年経って完全にできていますか。それだけです。それは、1ヵ月目の課題ですが、1年を目標に与えています。それもできていないところに、何も、のっかっていきません。
発信するということは、形にして表わすということです。それをあらゆる機会を捉えてやってください。
いろいろなレッスンにたくさん出て、きちっと見て、問うていければよいと思います。要は、3年後、5年後にどういうところにいるのかでしょう。自分で可能性を見切って何がおもしろいのでしょう。一流の人は、やれていることが一流なのでなく、そのプロセスで一つひとつの壁を乗り越えることにおいて、一流の努力家であるということです。
○プロのトレーニング
本人の吸入するパワーが強ければ、たかだか2年です。何かをやっていく人であれば、ここを生かそうとして2年たった頃から、どんどんパワーがあまって出てきておかしくないくらいだと思います。それを、ここに頼りたくないとか、一人でやれるといって、放り投げてしまう人も多いのですが、それで、やれた人などいません。しかし、私がわざわざ引き止める必要もないから出すのです。
制度に支えられるのではなく、自分がとことん利用していくということになれば、ここのシステムはとても簡単に捉えられてくるはずです。要は、どれに出ても自分に最高に生かせばよいのだというだけのことです。しかも「先生の言う通りに学びなさい」と、言っていません。自分の出したいものに対して、先生を使っていかなければいけません。これが学び方、ここの2年間の過ごし方だと思っています。
最初は「何をやればよいのかわからない」でよいと思います。「どう書けばよいのかわからない」というようなことからだと思います。そういうところで、きちんと学べている人も何割かいます。それを見せています。そういう人たちを参考にしてください。
しかし、そういう人たち以下のパワーになってはいけないということです。そこで最低限です。それができている人たちの中のそのまた何割かが歌なり声なりを身につけたり、あるいは、表現の世界に進んでいきます。そこまでやっていない人は、効果が出ないでしょう。それで、「ここにいたのに何で効果がでないのか」といっても、それはあたりまえでしょう。やっていないのですから。
やったという基準がどこかと言うと、ここで皆さんに見えているところでは最高にやっていると思う人たちが、最低のレベルにあるくらいのところです。プロは、それ以上のことを必ずやってきています。量と言うよりも、むしろ、質や求めている目的の部分でとても高いレベルなのです。それは、何年か先からしかスタートしません。多くの人は、それまでに放り出すのです。
皆さんは、まだできるのか、できないのかわからないような実感で来ていますが、できなければ嘘だというところまでやれば、人間、必ずできるものなのです。必要なところが必要な分だけ身につくということはそういうことです。
○上達のために
大切なことは、それだけの必要性を自分の中に見つけられるかどうかということです。「何か歌をやりたい」「ステージに立ってみたい」というくらいでは、無理なのです。「ここまでやった自分がステージに立たないのはおかしい」「自分を認めない客がいるのは変だ」と思い込めるところまでやらない限りは、そういう状態にならないくらいに思うことです。
それでも、「だって、こんなにやったのに」という人の10倍、プロはやっているのです。人の10倍くらいやれば、人の2倍くらいは身につきます。人の2倍くらい身についていたら、人が少しはうまいと思ってくれます。
人よりも少しうまいというところが、普通の人には見えません。あるいは、ときたま見えてもそんなことばで片づけてしまいます。わずかそれだけの差をつくるのに、どれだけの時間がかかるかということです。ただ、長くやればよいというわけではありませんから、また、難しいのです。
入った人には、必ず伸びてやった分、元を取れるようにして欲しいと思います。そのために1つひとつのものを大きく捉えていって欲しいと思います。
一つひとつの判断、言動にあなたの心構え、生き方、判断力、全てが問われているのです。
プロの世界であれば、こんなものはつくってはくれません。自分で自主トレに行ったら、自分で参加して問う、自分でまとめて、自分で考えて、自分で課題をつくって次のときまでにやらなければいけません。ここは、まだ最初のメニューまでは、つくってくれます。それがどれほど大切な材料か、わかってください。
○問いをつくる
プロとは問いを作る人です。皆さんは問いが作ないから私が問いをつくって、答えやすくしているのです。だから、問うたことに答えていても仕方がないのです。それはできてあたりまえなのです。自分でできなければ意味がありません。問題は問うことです。ここを出るまでに、自分でやれるようになればよいのです。
大切なことは、問いに対して答えた。それで終ったと思わないことです。そこから問い始めなければいけません。そういう問いを始めた人のみが、上達していきます。
アテンダンスでも、一枚一枚は、書いたからといってもどうってことないのです。しかし、書かないよりも、よいからやってみる。千枚くらいで、ちょっとした力になってくるでしょう。
最初よりは、ずいぶんとよく書けるようになるでしょう。そのくらいのパワーもないのではどうしようもないのですが、書いたところで終ったと思わないでください。自分で書いて、自分で気づいたことをどうやって克服するか、克服したところを実際のレッスンなり、発表の場で出せなければ、そこまでのことも認められません。そのために書くのです。
ここは、プロの世界の舞台と何が違うかといったら、時間を見ていることです。ここでは、今できないことは、仕方がないと待ちます。しかし、プロなら、それで終りです。即戦力にならなければ、次から声はかかりません。ここでは、じっくりと自分をみて、できる方向にもっていけばよいのです。そこが根本的に違います。
ですから、やり方を間違えないことです。すぐに、通じなければいけないと思うと、通じるような形からつくらなければいけなくなります。皆さんが力がないにもかかわらず、形をつける方に目を行かせないことが私の良心です。
力がないのだったら、こちらで補ってアレンジしたり、歌の問い合わせのような処理をするのはよくありません。まず、本人がそれを気づくまで、待たなくてはなりません。
基本を身につけなければいけない時期に、そういうことはやってはいけないのです。マイクを渡す、プロの伴奏をつける。そうしたら、あなた方は、できた気になってしまう。しかし、それは、言うまでもなく、あなたでなくても、もう少し器用な人なら皆、もっとうまくできるのです。
上達とは関係ありません。いつまでもそうなら、力がつきません。1回どこかに無理して出してもらっても、それで終りです。
○表現は人を巻き込む
ここでは、たった1人でどれだけのことができるかを、まず、問いなさい。
それで、ここにいる人に認められるようになれば、マイクを渡したいとまわりが思います。そこで100人まで声がとぶでしょう。バンドをつけたら500人に伝わるでしょう。アレンジャーをつけたら、日本中に伝わるかもしれません。これが、トレーニングで上達していく流れです。
その人が伸びていって、それだけの表現を出していたら、まわりはそれを助けたくなります。何とかその人を生かしたくなります。これは、日本のCD会社のプロデューサーが人を見つけてくることとは全然違うのです。それだけの力を自分につけて、まわりを動かしていきなさいということです。その力がなければ、所詮、ここにいようが、ここを出ようが、やっていけません。
しかし、自分の可能性を2年くらいで問わないでください。1年で歌がうまくなって、2年でいろいろなステージができることが1つの理想かもしれませんが、仮にそうならなかったからと言ってもだめだということではありません。求めることが大きければ、時間もかかるのです。その可能性をきちっとつないでいくことです。
可能性をつないでいくためには、自分自身がわからないといけません。自分に何があり、それをどう出せばよいのかがです。世界中の歌を、全部、一流に歌えるということは、必要はありません。自分が絶対に勝負できるところ、世界の一流のヴォーカルが来ても、それに負けないで勝負できるものをたった1つでいいから見つけることです。
それだけに力を集中してつけていったほうがよいです。全ての分野に関してオールラウンドにきれいに歌えても、ジュークボックスと同じで、何の意味もありません。また、その人でなければ歌えない、その人でなければできないというような分野がなければ、弱いものです。
自分を知り、同時に知ったことを音声で表現していく舞台にどう結びつけるかということです。学び方は、難しいかもしれませんが、学べている人が、ここにも何人かはいます。
学べている人が必ずしもやれている人ではありませんが、やれた人というのは、学べている人なのです。それだけの内面の世界と自分をきちっと見つめてやっているからです。本当にそのレベルになれば、何も書かなくてもよいのです。書く代わりに心で歌えばよいのです。
歌い手ですから。役者であれば、演じればよいのです。
レポートは、最初にそれが音声としてできないから、日本語で字くらいは書けるというところで、書いたものを比べて見るところから学ぶわけです。
「同じものを聞いたのに、こんなに深く読んでいる人もいる。同じレッスンなのに、こんなところから、こんなことを感じている」
「僕は全然読めていない。ほとんど、すごかったしか書けない」
それがわかったら、そこに学び方のコツがあるのです。基準をつけることと、自分の力を知ることです。そういう世界が見えないと、自分の世界も見えてきません。人並みにやっていたら、人並みで終ります。それに関しては、皆さんに期待するしかありません。
◯3つのこと
毎回言っていることですが、全員が全員ともできていくわけではありません。
ということは、どうしてなのでしょうか。
いつも最初に3つだけ言っています。これが守れなくなるからです。1番目は、人の後ろに隠れるな、とにかく、最終的に人前に出ていかないといけないのです。後ろで参加しているその他大勢のエキストラのようなことをしていても仕方ありません。悪役であろうが、何であろうがとにかく前にでてやっていくということです。
こういう表現の世界では、自分で場を確保しない限り、場はなくなっていきます。どうせ、どこかの時点で人前に出なければいけないのであれば、ここにはいってきた時点から人の後ろに隠れないことです。人前に出て、恥をかいてもよいのです。出続けることがキャリアになります。
2番目は、他の人をまねないこと。他人のフレーズは、その人にとってはオリジナルでよいものでも、あなたにとっての正解ではありません。まねると、悪いクセがつきます。いろいろな人が、見本を見せてくれるのはありがたいことです。しかし、それは、どういうタッチがあるのかとかいう一例です。
なるべく個性をいれないで、基本的な部分から、自分のタッチがどういうタッチなのかというものを考えていくことが大切です。優れた人の声や歌のフレーズのつくり方を参考にすることはよいのですが、それをそのまままねてみても何にもなりません。常にそこで考えてください。自分はその音楽を聞いてみてどこを受け止めたか、その受け止めたところをどういうふうに変えていきたいのか。そういうことが閃かないうちは、表現できません。
表現のトレーニングというものは、それに気づいてやることです。同時に自分を出すことです。でも、自分を出すことを「こうだ」と決めつけても空回りにしか過ぎません。その中に、入らないといけません。はいって音楽の基本的な要素、この音が来るのだったら、きっと次にはこの音が来るのだろうとかいうことが、何となく体で分かって、何となく自分の曲をつくる前のベースのものがはいっていなくてはいけません。それは先ほど言った、下地につながります。
3番目は、これも誤解されることを承知で言いますが、群れないということです。皆さんが10人の同志をつくっても、こういう世界では、あなた以外の9人は、いずれやっていかないと思ってください。今、皆さんがやることは山ほどあります。それをやるには、時間が本当に足らないはずです。時間を全て音楽にかけなさいということではありません。仕事も学業も大切なことだと思います。しかし、要は、とりくむ時間の意識を鈍らせないことです。
表現するときにきちっとしなければいけないから、日常生活もだらだらせずに、学ぶのも気を張ってものを観る。1日の中で緊迫感、緊張感がないのであれば、表現のときによいものが出てこないのです。日本人はどうしても群れて、人づき合いのため、自分を曲げてやらなければいけないことが多すぎるようです。学校でも会社でもそうでしょう。しかし、そこでは、まとめる人がよほどまともでないと、だらだらとなります。厳しさに支えられたものでないと、通じません。
私は、こういうやる気のない人の群れを批判する暇も必要もないので放っています。やらない人ほどよくしゃべるのは、どの世界も同じです。不安だから仲間をつくるのです。それで群れるのは、同じ類で、残念ながら、どこでも9割近くの人がそうなのです。人と異なるもの、人と違うものが出てきて、はじめて認められるのに、人と同じように動いて安心するのはただのお客さんです。たとえ、ここの9割がそうなっても、私は個を表現できる1割いや自分一人でもやっていくのですから、安易なコミュニケーション(師弟とか同窓生とか)を期待しても無駄です。
ーー
レクチャー2【とりくみ②③】
あまり安易な方に流れると、自分のことが最後までわからないまま終わってしまいますよ。自由というのは自分で獲得していかなくてはいけません。皆のアンケートを読んでいると、結局いっていることは「やさしくしてくれ」ということです。授業もわかりやすくて、舞台も整えてくれたらよいものを出します、という考えがあるようです。私は否定しませんが、うちが得意なとこでではないし、私に興味がないことです。そんなものでできるものですか。客寄せにはなるのかもしれませんが、何にもならないです。
私は、厳しい先生に育てられたので、それが出てしまうのかもしれないけど、それはあなたがたが一人でできないところなのです。細かいことを教えなてもらわくても、歌が歌えればよいのです。教える、教えないということではなく、その場での戦いなのです。そのときに相手が土俵に乗ってこなければよいものにはなりません。難しく考えすぎているのではないでしょうか。
ステージというのは一つの思想です。だから、思想を持たない人はいずれ去っていきます。思想をつくる努力をしなければいけない。自分が何か出したいというのは、何かに対して出したいのだろうし、何か出せば通用するというのは幼稚園レベルで、そうではなくて、基準をきちんと満たさないといけない。基準というのは人がやっている、いっているようなことをやらないとういことです。
それは、お金をとってやることではない。でも、なぜかそういうことに価値があるように錯覚しているような人が多いようです。
私は最初に一番難しいことをやったから、あとのことが学べていきました。きのうも、この曲を授業でやったのですが、できないと決め、そこまで、基準を自分で下げてしまうというのはどういうことなのか、ということです。伸びる人というのはその先の世界が入っている人です。
絶対前提があるのです。先が見えないと、「ハイ」とか、「ララ」もできない。それが難しいということがわからないから、先のことをやって知っていくのです。だから、今日のような曲をやってみると、他の曲が簡単にみえてくるのです。できなくてよいわけです。
研究生が上がってこなくてはいけないので、先生に基準を下げないようお願いしている。皆、できないことだから教わっている。だから先生にもわかりやすいところまで降りてきて教えてくれ、という。でも。本当にそうなのか。そこまでやっていないからできないだけでとりくんでいないのです。
本当に歌いたいというつもりだけの人なら、先輩との接点さえつけられないのであれば、習い事として、楽しくやれるところでやった方がよいと思います。
20代前後で、どういう歌を歌えばよいかわからないという人がいますが、その迷いは一生続くと思います。わかっているという人も怪しいと私は思います。今、大きなステージで歌えないというと嘆く人は、どうして、それが今手に入らないか考えてください。そこにきちんとした理由があります。自分で自分の才能をきちんとつかんでやっている人しかやっていけないわけです。
内面的なものをきちんと積み重ねるかどうかです。自分というのは教育などから生まれるわけではなく、自分の立場をきちんと作っていったら、いろんなことのがふりかかってきます。そうしたら、それをぬぐい去らないといけない。自分で明確に他を区別していくことでしか生まれてこない。
ロックのアーティストの残している言葉を読んでみてください。少なくとも音楽だけやっていたらでてくることばではない。音楽はことば以上に抽象化されたものです。ことば以上に難しい。そこの葛藤を自分で入れてこないと、とても人前で出せるものにはなりません。
本当のものを作ろうとすると、10年くらいかかります。2、3年でできたという人は、どこかがものすごくできていて、その他の部分が落ちている場合が多い。それでやっていければ、それはそれでよいのですが、先が続かなくなるのは、他を見ないでいってしまうからです。音楽は総合的なものです。いろいろなものから学んでください。
アーティストというものはサブカルチャーに属する人で、中心にいるのがおかしいわけです。専門学校も、大学もそうではないところで成り立っているのは、決してよくありません。
yくんがいろいろな切り抜きを送ってくれるのですが、ここに森監督のものがあります。
「しかし今の日本はそういうプロを評価しない風潮がではじめている。職人といわれている人は、皆それぞれの分野のプロで、芸においてプロだ。それを評価できるプロがだんだん少なくなってきているのではないだろうか。プロの仕事が疎んじられ、ニセモノがはばをきかせる社会になってしまえば、誰もつらい思いをしてプロであり続けようとは思わなくなる。プロ野球もサッカーも、相撲も消えてなくなる。その場限りの軽薄な笑いや悪いノリ、足の引っ張り合いだけが支配する社会は帝国主義の暗い時代と同じくらいつまらないものになるのではないか。」
今は経済的に潤っていますが、そうでないと、日本は軍国主義のファシズムになってしまうでしょう。ただいつも、1%は本質を見られる人がいて、それがない社会は社会ではないですね。悪い意味での未来社会になります。日本は、現実的に頭で考えるという訓練をつまないでやっていきますから、今の60代、70代がいなくなってしまうと、とてもあぶない気がします。彼らは、人を殺したり、殺されたりという体験を唯一くぐり抜けています。よかれ悪しかれ常識的なのです。
もう一つダイエーの会長のものです。「新しいものは従来の考え方からすればいかがわしいものだ。そういう意味では既存の常識に逆らわないことが文化になるともいえる。プロフェッショナルな精神を失っているものはプロとはいえない。“プロフェッショナル”という言葉の意味は公言するほどの意味を持っていることである。従ってプロとは、この仕事ができます、といえる程のスキルを身につけ、自ら稼げる人のことをいうのだ。」ダイエーや中内功氏がよいかどうかは別にして、社長とはアーティストのようなもので、今は守りについている人が多いのですが、立ち上げときは皆、すごかったのです。
皆で仲よくやっていくにはいろいろなやり方があります。日本人というのは簡単で、役職を与えて家元でもくんでいったら、いくらでも安定していく。その代わり創始者を越せなくなります。そろそろ私も、全部は引き受けられなくなっているので、切り捨てていこうと思っています。
そしてきちんと公言していこうと思います。というのは、講演会でいろいろいってみても、実際、皆さんがやるときに結びつかないのですね。私は音声に込められたものを聞きたくて、この場を必要としているのであって、それ以外の何も必要としないということです。
昨日もいいましたが、難しいものをやれば、少しくらい難しくても簡単に思えてくる。だから勉強になるのです。今、曲をかけましたが17分くらいです。そのあいだに皆が何をしていたかは見ていませんが、プロの人(歌い手)と過ごした時間のあとに何をしなければいけないか。ここに来て、いろいろな人の声をを聞くのはよいですが、参考にするだけではよくありません。上のクラスと下のクラスに差があるとは思えません。ただ、学び方の差というものがあって、同じものを聞いたときにそれが出てきます。どこで読み込めるか、読み込めないか、それがフレーズに出てくるのです。
コンコーネやコールユーブンゲンなどをやることは目的ではありません。一流の歌手と同じ舞台に立ったときに、何が出せるのかです。何が勝負できるのか、そこから入るべきです。だから、この歌手と同じように歌えても何の意味もないことがわかるのです。いつもその接点が見えているかどうかなのです。それに対してコンコーネやコールユーブンゲンなどをやることが役立つかもしれない。だから、ここのヴォイスのトレーニングも一つの方法として、もっと声の根本的なところを捉えるものです。
なぜコンコーネなどがこちらで使われているかというと、ピアノのバイエルと同じで、向こうから音楽を輸入したときに、生徒が習いやすいのではなく、教える人間が教えやすいから、それが使われたのです。もとは教師用のテキストです。
与えられたものはどんなに優れていても、音で与えられたものを自分が聞いて、体で味わおうという主体的な姿勢にはかないません。そこでため込んだものを、どう出すかということは自分が考えないとよくありません。聞いたプロのヴォーカリストの表現に対応する自分の表現を煮詰めるところから、声も、歌も考えなければいけない。
いろいろな曲を覚え、いろいろな人のステージを見るというのは勉強になりますが、それだけならたくさん生きている人が優れているわけです。何も聞かなくても優れたものを出せる人はいる。
でも、できていく人はたった一つを深く聞いているのですね、
ここではいろいろな曲を使っていますが、あまり自分が好きでないような曲を好きにさせるような歌い方というのは何なのかということを自分で見つけていくことです。ここでもたまによいフレーズが出ますが、それを当人が気づいていなくてはどうしようもありません。
もう、それはわからないといけない。わかるということは、それだけ準備し、待っていないといけないのです。そして出したら、それを離さない。そして練り込み、作っていく。そこから本当のレッスンです。でもそれがなぜかこういうものにつかる人がいないわけです。水につかるだけではダメで、自分で泳ぎださなくてはいけない。そのためにどうするかです。
アーティストの力があれば、こういうレッスンの中で、感覚として何か入っていくのですね。自分が出したときに足りないものがある、それは何なのか。音程や、技術などではない。もっと根本的なものです。
ライブ実習をオープンにしていきますが、オープンにすると観客がダラダラしてしまうのです。すると、ステージもだらだらしてしまう。そうならないようによい客を入れたいと思っています。よい客というのは、アーティストが油断できない客のことです。
入ったばかりの人だと、何もかもすごいと思ったり、自分が聞いてきたものと比べて下らないと思ったり、使えないのです。使っていきたいのならまず、自分の耳を鍛えることです。置き換えて、自分だったらどうやるかというのをやると同時にその人のよさというのが必ず見えるはずです。
そういうことを常に自分の中で駆け引きしていないと、歌(表現)の世界の中では分かりません。声の世界というのはもう少し簡単です。楽に大きな声が出るならそれでよいし、あと、音程やリズムといった最低限のことがこなせるかどうかです。
いろいろなレッスンがたくさんあるのはよいことです。ただそれに出るとき、目的を忘れないで欲しい。自分たちで使っていかないといけない。声が出たからといって、よい歌が歌えるようになるわけではありません。でも、そのレッスンに出るのなら、それなりに取り組んでいかないといけません。それは誰のためでもなく、皆のためだからです。
そういうことに気づくために、ここでは一流のものをかけています。そのステージに立ち続けることをしてください。イメージの中でよいのです。そういう取り組みができていたら、出したものがすぐに、プロのものになるということです。
この課題に対抗できることがった1フレーズでもできたら、それを何らかのかたちで見せる構成をわずか3分の中でどう組み立てるかという2つだけなのです。そんなに難しい世界ではない。でも、そこに目的意識を持ち、それを煮詰めながら毎日のトレーニングをやっていないと、何年たってもその人には降りてきません。
皆がヴォーカルになりたかったのはあるアーティストを聞いてどこかのフレーズに感動したというのが多いと思います。少なくとも音からこの世界に入ろうと思った人なら、そこにものすごいヒントがあります。なぜ他のアーティストのものを聞いているのに、ある一人のアーティストにしか魅かれないのか、というのは、ものすごくオリジナリティ性と結びついている。だからといって真似してはいけない。そうではなくてそれにつながる何かを自分で出してこなければいけない。こういう曲をフレーズで回したとき、真似ではなく、その人の何か、そこで入ったリズムや音の感覚が出てきます。それはとても新鮮なもので、他の人に伝わるものです。だからそいう勉強の仕方をしていってください。
ポップスは、その感覚が入っていて、自分の体が楽器としてそれに対応できれば歌です。それ以上の難しいものではありません。でもそれは大変なことでそのことにとりくんでいる間に、コンコーネやコールユーブンゲンは終わってしまいます。それくらいのものです。しかし、譜読みの力が弱いというのは、ポップスの楽器をやっていない人に多いのですが…。そういうことでいえば、もっと私生活に合ったような音楽史を確認してみることです。何が自分に入っていて、何が入っていないか。どう組み合わせれば出せるか。そこからしか出てこないです。日々トレーニングを発見し、発明していって欲しいと思います。何もかも、ここのパターンがあってやらせているわけではありません。
よく、プロデュースをして欲しいという要望が多いのですが、私がプロデュースをやると2~3人くらいは付いてこれても、、他はダメでしょうね。他の音楽学校や事務所で人が育たないかのは、プロデュースを頭に置いているからです。なぜか、芸よりお客さん本位なのです。そうすると、お客さんに受けるようにしようとしますから、全部考え方が変わってくる。ただ唯一、外国のお客さんにまで受けるようにしよう、というところまでやっていったら別でしょうが。しかし外国というのは大変なところで、ここで優れていても、それが小学生くらいというレベルです。単なるone of themで何の差もつけられないくらいです。だからこそまがいものをやってはいけません。日本もよくなればよいのですが、変わるのを待っているのが客で、変えていくのがアーティストです。変えていってください。
課題についてですが、あまりことばに捕らわれないでください。ことばがついているのは、「ラー」や「ター」などで歌える方が難しい場合もあるからです。これをレパートリーにするわけではないので、音に言葉がのせられている、と捉えるくらいで充分です。
一流のものをきちんと聞いている中で、そこの空気や呼吸、フレーズの感覚を勉強していってください。単語をどう動かして次の単語につなげているか。そういう世界が見えてこないといけない。それを自分でどう置いていくか、ということになると逆に自分のことを知っていないと、自分の音色やパターンを知っていないとよくありません。日頃そういうことができていないといけないし、そういう耳で聞いていないといけない。どうしても他人事のように聞いてしまうわけです。
そうではなく、そのことの中から自分の力や才能を発見していくのです。それには自分の好きなことばかりやってもわからないわけです。
全部気に入っている、でも誰にも通用しない。ならない自分の土俵にもってきて、その中で呼吸していくことです。何回も何回も聞きまくっていたら、そういう呼吸になってくるのです。そういう感覚になってきてはじめて、そういう音色や、感覚が出てくる。うまい人たちは絶対どこかでそれを入れているのです。
こういう曲で自分の距離を知ってください。もっと軽く歌っている曲では距離がわからなくなってしまう。それほど難しいことはない。プロが一所懸命歌っているものを聞いて、というよりそういうものが聞こえてくる曲を選び、それに対して置き換えていくのです。そういう曲はたいていおもしろくないことが多いです。音楽は、もっと余裕があって心地よい方がよいですから。でも、その前の段階として、それまでの踏み込みというのは必要です。それを補ってください。聴力が少しアップしてもまたそれをキープするために聴き続けてください。
一流のヴォーカルの声を大きな音で聞けるという環境にここは恵まれていると思います。こういう曲を聞いたとき、どうすればよいか、というのは、この中に入るということです。同じレベルのことはできなかったとしても、自分が同じレベルのステージを与えられたら、何ができるのだろう。そのとき、自分の出しものがなければ、そのステージは、いつまでたってもこないです。
そのステージをどこに設定するか、皆をみていると下から積み上げていけばよいという感じです。しかし一流のステージというものを知って積み重ねていかないと、次元が違うままで終わってしまいます。こういうプロの人たちも、5~7オクターブ出せるわけではない。例外的な人もいますが、1~2オクターブの中で歌っているのです。それでもこれだけの違いが出せる。その中に入るにはテンションや、体の動き、音やリズムの感覚、練り込みや放し方、そういうものを自分で引き受けた上で、自分ならどの色を出せるのか、そういうことを常に問うていかなくてはいけません。
真似ても仕方ないのです。ただ、これを聞いたとき、自分がそれに必要な音楽的要素を全部とっていなくてはいけない。ルールはあります。そのとき、自分が何の色を出すかということをたえず問うていなくてはいけません。
講師の一番才能のあるところでレッスンができたらよいのですが、今は1/10くらいでやっているのでしょう。皆と、彼らは、そこまで時間をかけていないか、かけているの差はあっても、それを取るというところでは1対1で対せるはずなのです。やってみたら、1/10しかできなかった、それならよいのですが、そうでなくて、1/10を積み重ねていけばいつかはできると思っていたら、永遠にかないません。
コンコーネというのは、音大に行っている人はやっているし、コールユーブンゲンも18歳までにマスターしている。それを念頭においてください。でも世界のヴォーカリストはああいったものをやらなくても、そのまま歌ってやっていけているのです。そういうことでいうと、50曲歌ってみて、気づいたらよいという方法もあり、その中の3曲でよいからもっと学べればよい。
その3曲を深く学ぶために、残り47曲があるというくらいに考えておかないとよくありません。そこのことを常に考えておかないと、トレーニングのためのトレーニングに終わりがちです。フレーズ回しのとき、なんとか真似できたからといって、何の創造性もないのです。大切なことは、それを題材にして、自分がどう組み立てるかということです。それで、失敗してもそれは試みているのであればよいのです。その期間として、ここでの2年間があるのです。
声や表現の世界では、やるだけやってみて、全然無駄だったとか、この1年は何だったのか、ということの繰り返しです。だから、たかだかコールユーブンゲンなどでつまづいていたら、表現や声のことはできてこないような気がします。その辺をもう少し考えてください。講師が本気にならないとできないくらいの授業に皆が引き込んでいくこと、これが必要です。先生がどれくらい与えようと思っていても、取る方にどれくらいの力があるかということです。
勉強とは相対的なものです。音楽と結びついていないから、W検が難しくなったりするのです。上のグレードの人たちも入った人たちと大して変わらないのですね。それは読譜力の差ではなく、日頃の取り組みの慣れや、甘さが出てきてしまうのです。こういう曲をきちんと聞いて、それが体に入っていたら、成績が伸びていかないわけがないのです。
皆にとっては、ここにおいているたくさんの授業は統合されていない。統合するのは自分であって、それが先に進んでいないから出てこない。トレーニングに対しての考えは、トレーニングしたから何かが出てくるのではなくて、何かやっていくときに全然足りないからそこにトレーニングがついていく、というものです。それを問うていかないといけない。
オリジナルのフレーズの勉強というのはまさにそういうものです。その感覚、呼吸を勉強する。課題を使うことによって、音声が入ってくればよい。努力していると、入門科で3つくらいしか聞こえてこない単語が、一つひとつ全部聞こえてくるはずです。黒板をみなくても聞こえてくるのです。それはイタリア語に慣れたとか、語学の勉強をしているということではないのです。耳の問題です。その辺が、勉強が実を結んでいるか、いないかという部分です。
一流の手本に対して、どこまでアプローチでいるか、あるいは、そのアプローチを超えて何を出せるか。一流の基準に対して、自分がたった一秒で何か自分がはみ出したものを出せたら価値があるのです。それを見つける。見つけるためには待たないといけません。そうすると、それが出たときにわかります。私にもわかりますが、声と違って歌の場合は本人がつかんでわかっていないと、周囲の人がいくら「それだよ」といっても、放してしまう。
本人が定着させていかないとモノにならない。そういう財産や武器をどう持っているか。それを持っていたら課題曲が来たとき、ある程度曲を組み立てられるのです。その材料としていろいろ聞いているはずです。でも、聞いている、で終わっている人がいますね。聞いてわからない人が多いから、書けといっているのです。書けばもう少し入ります。そういう勉強の仕方で、同じ時間を過ごすのも相当違います。
歌えている人は、1曲の中から多くのことを学び、自分の体で表現につなげたからできるのです。そこの感覚を鋭くしていかなくてはいけません。
5年くらい前はプロの存在が目立たなかったくらいでした。皆、ここへ来る前に音楽をたたき込まれているからなのです。今は、ここでたたき込んでいるので、どうしても時間がかかります。それから聞く音楽の種類が違うというのもあります。ここに来て1~3ヶ月くらいでやることを2年で取り組んでもらえば、終わっているのです。体で聞いて、それを感じて、組み替えて出すということ。
声の統一のこと、モノトーク、朗読のこと、アテンダンス(書く)こと。自分のカルテつくり。それが自分の勝負できる材料ですね。自分が心を動かされてきたものは、きちんとつかまえておく必要があります。毎日やっているこういう授業でいつもいっていることです。うまくいかない、さぼっている、と思う人は、ここに入会してからの手順をもう一度踏んでもらえばよいと思います。
どんどん深めないと、勉強していくことにならない。それが止まったら、卒業だと、私はいっています。こういうものは本人が求めるところまでしか伸びません。ただ基準のところで求めておけば自分の中でプロになれます。その基準を持つことです。
ー
【特別レッスン】
ギター、ピアノ、ドラムの人が正しく演奏できたからといって、何かの価値が出たとは絶対思わないのに、ヴォーカルはなぜそれが最終的な目標になってしまうのでしょうか。正しく歌えたって何の意味もないのに。音楽になっていないということです。当人で完結していなくて、ピアノに乗っかって歌っている歌というのは、ピアニストの技量の中です。ことばはついているかもしれないけど、音楽としては邪魔していることにしかならないのです。
歌というのは単純なものです。単純なことを単純にするために体を全部入れておかなくてはいけません。ここの2年間というのは、基本的な考え方をつくること、全体を見ること、それが問われます。足元をみても、授業に入ってから息を吐いても仕方ありません。それは家でやってくることで大切なのはテンション、神経や感覚です。それを研ぎすませること、そういう場合にそれをきちんと出せることです。プロの人が1~2フレーズにどれくらいの時間と、神経を費やしているのかわからないうちは練習は成り立たちません。アドバイザーの授業もいわれていることをそのまま聞いているだけでは仕方ない。できた人というのは共通して持っている部分があるわけで、それを学びやすい人から学んでください。
大切なことはやはり結果から問われるものだから、結果から出せばよい。そこで反省しなければいけないのです。自分が何をやっているのかわからないというのがアマチュアです。プロはそれがわかっていて、失敗したら改める。その辺が違います。足元ばかり見てトレーニングしていたらよくありません。表現したものから問うていくしかない。観客は表現の部分しかみていないのです。
歌はスポーツと違って、力をそのまま出してもよくありませんね。センスを鋭くし、神経を研ぎすませること、体を持つことです。
自分のスタンスとしての音楽性を、こういう歌を与えられたときにどう取り組んでくるかということですが、今まで自分が歌ってこなかった歌の中から発掘していくとよいと思います。絶対触れないものを取り込んでみる。それができないと、誰も認めてくれません。
好きなものを好きに歌っても誰も認めません。好きなものを好きに歌うことほど、難しいことはないのです。基準が甘くなります。嫌いなものをぶつけてみて、そ音楽にできなければ、音楽が入っていないと考えられてしまう。世界で認められているものは認めなければいけないというより、踏まなければいけないと思います。それをやめてしまうと、何が勉強なのかわからなくなってしまいます。
感じて欲しいことは簡単に聞こえるものを歌ってみる。でも歌ってみたら結構難しい。そうすると感覚のところで入れていないものがまだあるのです。それは根本的に癖がついているわけですから、それをきちんと飛ばす練習をどこかでしてこないといけません。
ミルバの歌の根本にはどういう感覚があるのか、そこを探っていくことです。探ってもわからなくても、自分との違いを考えていく。
プロの中に入るためには何が条件なのかというのが一番大きなポイントだと思います。一番簡単な見分け方は、1時間、2時間、それを歌ってその曲がもつかということだと思います。あまりに、歌い上げ、つくり上げられたものは、計算されたうまさが目立って、あまり長時間聞きたいと思わないと思う。シンプルにそのことをやろうとしたら、そのことが目立ってしまうので、そういうプロセスを踏むのはよいと思うのです。
ただ、日本の歌手はそれが集約されないまま歌っていることが多い。結局聞き様の問題だと思います。集約された時間をどう持つかです。舞台やステージの時間というのはとても集約されています。プロになると日本の場合、場がゆるんでしまい、客自体が音楽を真剣に聞いていません。
日本の客は応援しながら殺していくので一番気をつけないといけない。うまく歌えていても、全然足りないのだ、というくらいのハングリーさで歌っていたら上達していくものです。
向こうの国と違うのは、批評家がいないということです。それから、音楽が、国民性、民族性に入っていないというのがつらいところです。沖縄あたりから節をかりてこないと古来伝来のものが出せない。しょせんネイティブにはなりきれないわけです。向こうでいわれているオールディズの人は皆現役でやっています。日本だと、本当に懐かしのメロディ(なつメロ)になってしまう。体力の差といえばそこまでですが、切り替えを感覚的にやって作品を取り出すことをやってください。
日本の歌い手の「過ぎ去りし青春の日々」という曲を聞いてもらいました。声楽というのは世界共通で、声楽でやっている人たちが得てきたものは、全くの初心者がやると10年以上かかるものです。ポピュラーの成功している人たちはそれを一旦捨てた人たちです。それをしないと、極めきれていない声楽家特有の嫌らしい歌い方になる人が少なくありません。
どうしてこういう歌い方になるかというのはおそらく日本らしさだと思います。私達の上の世代が求め、感じるようにやってきたわけです。そうでない人もいますが、殆どの場合、こういう人たちが手本となり、育てていった。これは歌謡曲の分野でも同じことです。型通りに歌えたらよいという感じです。日本人は上手っぽいものに弱いのです。どんどんうまく歌おうとしていくところに間違いが生じるのではないかと思います。
ー
「過ぎ去りし青春の日々」
日本人のものと比べてみてください。日本ではあの程度で第一線にいられる。何が悪いというより、音楽になっていないのです。声楽を勉強するところまでは正しいのですが、そこからポップスに入ってやっていくところで、ポップスの要素が何も入らないのです。声楽からみるとポップスはとても簡単にみえるようなので、声に癖をどんどんつけていくのです。
その癖はいかにも日本風なものです。それは時代的なもので、当時では正解だったと思います。ただ、今の若い人たちに働きかけないというところで、何か欠けている。古いものであっても、我々の心に働きかけるものは働きかけています。その差をみつめていけばもう少しわかると思います。もう少しわかりやすいものです。
声を出す練習ばかりしても仕方ないです。それもしなくてはいけませんが、課題に入ります。呼吸と音というのは一体になります。歌というのはそこからはみ出てはいけません。歌い手以外は皆わかっていることなのですが、そうでない世界が日本にはできているようです。その辺を感じてもらえばよいです。
シンプルに聞こえるのは歌い手がうまいからです。耳ざわりなものがたくさん入ってきたら歌にはなりません。歌い手が音楽の邪魔をしてはいけない。楽器として歌い手が体を使うのもあたりまえのことです。伸ばすところはシャンソン特有のビブラートが入っているので、あまり真似ない方がよいと思います。音として、体を使うくらいに考えてください。
自分の時間を使うとき、なるだけ一流のものを聞きなさいというのは、そのテンションをきちんと捉えることからです。それと同じ声がでるわけでもないし、出す必要もないのです。テンションをあげるといったら、大声を出す人がいますが、それとは全然違う。一つの密度のようなもので、小さな声でもかまわない。ただ表現ということに共通の特徴というのがあって、それを全身で考えて出していく。
プロセスはそれぞれ違います。ただそこにスキがあってはいけない。プロが汗をかいてやっていることを、アマチュアが汗もかかないでやるというのは絶対におかしい。体を動かして汗をかくというより、それだけの精神集中をすることによってプロ以上にやる。プロが遊びでやっていることをアマチュアは真剣にやらないと、同じテンションにはなれません。
そういうときにできてくるテンションの中で発声器官を理解していかないといけない。頭で理解してもよくありません。自分で表現していくということになればそんなに細かいことはわからなくてもよいのです。ただ、それを自分で感じて、自分の中でどうなるのか。なり切るしかないのです。
昔の人たちは相当なり切って声を出し、その結果、声を壊したりもしていますが、逆にいうと、そのテンションはキープできるのです。その後に時間をかけていくと自分のものになっていく場合があります。難しいのはテンションをあげてなり切ったときに自分を置き去りにしてしまうところです。そのとき、自分を維持することが一番難しい。その前の前提がくずれてしまうと練習が成り立たなくなります。
このクラスの中でも随分と差はあるのですが、半年、1年たつと逆転もおきてきます。元々大した差ではないからです。最初にしなくてはいけないことは考え方をつくることと、こういうことに関しては全身で受け止めること。それがものすごく難しいです。やれてしまう人もいるのですが、場の雰囲気がダラダラしていたり、全員がダラダラした作品を出していくと、そうである人もそうなりがちです。それは自分の試練として受け取ってください。
いろいろなものを与えられたら何かが出てくるというのではなく、自分でとった分しかでてきません。細かいことは確かにいろいろありますが、もっと大切なものをとらないうちにそれを気にしていても、全部複雑になりかねない。歌えている人間がそんな複雑なことをしているか、見てみればよいでしょう。発声がよりできる人、才能がある人がどういう歩みをたどったか調べてみればはっきりします。
最初に全身で捉えた人しか最終的に残っていない。小綺麗に、器用にやることを1年目では問うていません。ここの3~4年目の人たちのステージだって相当雑です。もちろん雑なままで終わってはいけない。でも、そのテンションの中で全身で一致することを覚えていて、そのあとできちんと学んでいけば、それはきちんとした表現になっていきます。優先順を忘れないでください。体が声より優先します。むしろ、それより気の方が優先します。
声は時間がかかります。一番よい感覚のときの、一番よいものをきちんと受け止めなくてはならない。ほとんどの人はその体験が何回かしかなく、そのまま放り投げてしまう。それが出ても気づかない。どうも足元を見てサッカーボールを蹴ることばかりしている。そうではなく、全身を使ったという感覚で「ボールが飛んだ」というところからスタートするのです。要はそのボールがゴールに入らないのがまずいだけで、それは練習すればよい。それを足の角度でどっちにいくかなんて考えていても何にもならないのです。ファインプレーというのは感覚でなされています。体で覚えていかないと、特に呼吸という問題から、できなくなります。それがきちんと音にはまっていて、そこから音が創造できているということが、音楽としての最低条件です。
日本人の歌は呼吸が小さくて伴奏にポンポンとおいていく場合が多いです。それくらいの体力が日本人のベースなのだと思います。それ以上のリズムのものをこなそうと思ったら、それでは、全然無理なのです。その辺は基本の体力というより気力の問題だと思います。その切り替えがきちんとできることです。
今、皆あまりやれない、やれないのはどうしてかというとコートの外からゲームを見ているという感じだからです。自分一人で聞くのと違って、ここではもう少し入り込めるはずです。自分で歌いたくなるまで待たなくてはいけない。そのときに見えるものはとても大切なものです。一見遠回りのようですが、できないときの時間というのを大切にしてください。
ためずに歌い出したら、その人の歌にはなりません。そこで何割もアップできません。何倍も伸びるというのは、最初の時期が決め手になります。ここで今しているところが、3、4年後に努力していたらオンしてきますし、そうでなければあまり意味のなかったこととなります。それなら自分なりに歌っていればよい。トレーニングなどをして歌わなければよい。何がトレーニングになるかということを知ることと、自分が何ができるのかということを知ることです。それが難しいと思います。最後まで難しいです。
今日の特別は、ことば、音、表現になるときということです。解説なしで本当は進みたいのですが、聞きわける練習と歌う勉強をしてください。劇団ステージ形式で行うというのは、誰が中心になるのかがわかりにくいので、前を使ってみようということです。半分はイヤートレーニングです。自分がしていないものに対し、できている人を見て見当をつけていくことです。一番よいのは、自分でそれを実感できる感覚のところでつめられればよいと思います。
新しいものでやろうかと思ったのですが、慣れていないと思うので、ステージ実習の課題曲からとってやってみて、あまりにうまくいかないようであれば変えます。日本語の歌でやってみます。課題の目的としては、場における一つの目的をつける必要があります。