一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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投稿   838

 

 

「日本語が乱れてきている!」とあちこちで囁かれていますが、それは同時に「声が乱れている」という事と関連があるのでは、と思っているのです。私も、年齢も意識してますが、声に関心を持ちましたので、普段のトーンも非常に落ち着いたものになりつつあり、すると、時に、自分でもびっくりするくらいよい日本語が出ることがあります。なるほど、今の女子高生の流行り言葉は、あの声ゆえにうまれたのだなと考えられる。落ち着いた声だと、あの流行り言葉は言いづらい。言葉が先だったのか、声が先だったのかはわかりませんが。先生が著書で書かれていますが、「精神は声に宿る」という話を考えれば、美しい日本語が日常だった昔の歌や映画が美しいのはあたりまえなのですね。かといって“昔はよかったんだね”と薄っぺらに言うのではなく、これから私たち軽い世代の人間が何をしていくかという事。こんな私たち世代も、年を重ねてきて、自分の生まれた国の良さ、美しさを見直す時期にきている。それを私たちなりにどう受け継いでどう伝えるべきか、真剣に考えねばならないと思っている。

 

先日、歌舞伎を観に行ったのだが、若手が大勢出演していて驚いた。彼らは日本を背負っている。彼らがやらなければ誰もできない。そんな世界で生きている若い人たちを目の前にして、自分には何ができるのか考えさせられた。と同時に、歌を歌うことは、決してそれだけではなく、(人前に出るものは何でも)時代と歴史をかい潜って現れる、やっぱりひとつの文化なのだなと思った。

 

方言を話す人も少なくなっていると言います。もちろんコミュニケーションの面で標準語化されてきているのかもしれませんが、中には、「恥ずかしい」という理由でやめてしまう(方言を)人も多い。そもそも“東京人”なんていないに近いのだから、その風潮がおかしい。こんな時代なのだから、そろそろ言葉でせめて和ぐような空気になってほしいと願う。私の両親が東北(岩手の宮古)出身なので、祖母は、その地を出たこともない東北弁の95才。やはり、その位ですとさすがに話してることが何が何だかわかりません。そうなると困ることも出てきますが、私は人間国宝だなぁと思います。人間が文化になってしまっている。私は残念ながらその貴重な方言をほとんど受け継がずにきてしまいましたが、ややもすると簡単に、一挙になくなってしまうかもしれないこの方言の文化を、喜んで受け入れる時代になってほしいなあと思う。そして自分でももう一度自分の体で吸収したさまざまな文化を思い出し、どんな形でか、時代に貢献できたら…と考えている。

 

ある音楽家の著書にかいてあったこと。右手と左手の能力の違いをつくったのは自分。右手はいつも使っているからいろんなことができる。左手は使わなかったから不器用。単純な話。能力の違いというのは鍛えたか鍛えなかったかということ。人は誰もが同じものを与えられる可能性を秘めている。

 

伝えたいから歌うんだろ。

そのわくわくを大切に。

自分がイメージしないものは伝わらない。

 

ウイスキーのコマーシャルで小錦が歌っているものがある。「うまい」と思った。スモウのプロであってプロの歌い手ではないのに。しかもあんなに楽しそうに歌えている。ぼくの歌はスモウ取りの歌にも劣っていると思うと落ち込んでしまいそうになる。

 

子供が大声で「おかあさーん」と叫ぶ。だいたいそういう声はよく通る。響き渡る、雑踏の中にいても、あっても浮かび上がる。それはなぜか。ただ「伝えたい」から。呼ばずにおれなくて呼ぶ。そこに聞き手はひっつかえる。その子供のその声のうまいへたなんて聞いちゃいない。なぜ通るのか。本当に伝えたい時は人間の体は自然と腹から出るようになっている、ということか。子供は腹から出そう、ポジションとって出そうなどとは考える訳もなく。本当に伝えたいこと、か。子供が「おかあさーん」と叫ぶ、それに匹敵する叫ぶ理由が自分の中にあればいいということか。

 

 

【鳥になれば】

 

今すぐあなたのもとに行ける

声も聞こえる

何をみているのかもわかる

苦しみを想像することができる

でも

でも、なぐさめてあげることは…

どうすればいい…

目の前でどんな美しいコースでとんでみせたって

心は晴れまい

鳥になれば

どこにでもついていける

声も聞こえる

何が嬉しいのかがわかる

でも

でも、一緒に笑ってあげてうれしさを倍にしてあげることは…

どうすればいい…

ひっくり返っておちてみるか

目にもとまるまい

 

結局何もしてあげられない

会いたさだけで鳥になりたいというわがままへの

それはしっぺ返しか

…でも

愛しい人を抱き締める姿をみたら

どうする。

焼鳥になるかもしれない

その日はそのまま帰る

傷をいやして

また飛んでいくだろう

ただ

ただ

会いたいがために

そう

鳥になって歌をうたおう

苦しい時その苦しみは和らぐだろうか

嬉しい時その喜びは増すだろうか

耳を傾けてもらえなかったらどうする。

その日はそのまま帰る

のどをみがいて

また飛んでいくだろう

ただ

ただ

微笑んでもらうために

 

 

ワールドカップについて書かれたコメントの掲示をみて、ハッとした。「技を磨き合うより身内のコミュニケーションを大切にする方が優先される」まさに今自分が陥っていることではないか!そして、それを指摘されなければ気付かない自分に気付いた時、また愕然とした。最近、トレーニングしていても何となく声を出して終わっている。汗をかいて体から発声していても、注意深く自分の声を判断し、正確に基本をやっていない。「いつもこの程度でプレーしている」という言葉が心に突き刺さった。思わず掲示のこれらの箇所に赤線でチェックを入れたくなったほどだ。「ベースになる技術と戦術を完璧に身につけた“裸”の自分があるから応用がきく」

しかし、ここではたとえベースがなくても「裸」になることがまず第一に要求される。裸にならなければ表現の前提となるエチュード(感情を外に出すこと)すら出てこないからだ。

考えてみると、前期ライブでは、一瞬裸になれたからこそアドリブが自然に出てきた。あの時は「もっと表現したい」という想いが心の底からわきあがってきて、「あの一瞬」が生まれたのだ。しかし、今の自分は再び裸になることを放棄して、また殻に閉じこもってしまっている。裸になれないのは、自信がないからか。いや、それよりも自分で裸になろうという意志がなかったのだろう。今の自分がどれだけのレベルで発声ができ、フレージングで技術をもっていても、裸にならなければ自分の個性は出てこないし、自分を超えることもできない。「自分を突き放す=“裸”になる」ことを“勇気”を出して意識しよう。「自分」が出せなければ、何も生まれてこないのだから。 

 

私には何もなくてそれでも歌が好きで歌いたいと思い真剣でしたが、今思うと、ここに来れば何とかなると、心のどこかで思っていたのかも知れません。その時点でもう甘えていたし、甘かったのだと思います。はじめの頃は、体を使い息、そして声をつくるのに一所懸命でした。今でも、体・息・声についてはトレーニングするしかないのだとわかっています。でも、「歌う」ということは違うのだとひしひしと感じるのです。もちろん歌ってゆくことは大事です。でも根本は、自分の中にあるものなのだと思うのです。本来、ここに来るのに、自分で精一杯つめてきて、自分の世界というものをもっているということが前提であるのに、私には何もありませんでした。

毎日毎日のトレーニングの積み重ねから出てくるものもありますが、根本のところが何もないのです。涙がでました。心が何かに振動して想いが声となって出てくるのに、ここ何年かの間、何と無関心で、ほんの少しの感動しかなかったのだろう。生きている限り、この世のありとあらゆるものとつながっているのに、好きなものにしか心を向けなくて、片寄っていて。こんなことでよく表現する立場にまわろうとしたものだと、ばかみたいに思えてきます。

 

ヴォーカリストは、普通の人以上に、そして作詞・作曲者の想いも含めて何百万倍もの想いを伝えなければ本物ではないのです。それが、私は一曲も伝えることができずにここにいる。一曲どころか一言も。だからレッスンも、先生方が本来そんな事は最初にあるはずのものから作り、出せるようにしていこうとしなければならなくなってしまう。また、悩んでいる事やつまづいている所が、レッスンで解決に向かう時もあるが、結局そこで、ああそうなのかと、つらい所から抜けられる分、満足してしまっている気がする。近くに住んでいて、何回もレッスンにこれるから甘くなっているところもある。

ここで得たものを持って帰って、つめてきて出し、という作業を本当にやっているだろうか。どこかで気が抜けてしまっているのではないか。レッスンに答えを求めているのではないか。ステージ実習という場も、その日までに曲を覚え、ちょっと感情を込めて歌うというものになってしまっている。そんな簡単なものじゃない。一曲をもって、それをどこまで深められ、自分のものにできるか。今の自分の精一杯でぶつかっているか。そうやって曲が増えそれを持ってやっていけるかなんだと思う。完璧などなく、常に変化してゆく。

 

「歌う」というのは、全身の神経が研ぎ澄まされ集中し、今の私であったらワンフレーズだけでへとへとになってしまう。それだけ神経を使う。私は、人より不器用な分、やらなければなりません。どんなやり方でも。そして、自分を追い込んで。ホントに数曲を持って、一番始めからしよう。この曲を全力でつめていけるか。また、生きている一秒一秒をもっと感じて、常に神経をゆきわたらせ、自分の中身を育てる。そう思ったとき、そしてできるうちにできることを精一杯しよう。全ては自分なのだと思う。いろんなものを見て、体験して…トレーニングして、つらいと思っていても、全て本物への過程だと思うと、ワクワクするし、楽しいし。チェックが甘くなったり、鈍らないよう本当に集中しなければ…と思います。

 

歌は語るのだと思う。歌われているのではなく、語られている。言葉を伝える。本当に自分のものとなった言葉。音は感情の現れ。そして音の世界の中で、すべての物事を感覚できる。「ハイ」を「言葉」をもっとつめよう。頭で考えてわかろうとしてもわからない。やってみることだ。自分でなんでもやってみて、感覚し、おちてくる。体と息と声と、インスピレーション・イマジネーションの世界。

 

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イベント   839

 

 

 

【プレBV座(三人ライブ) Vol.1選曲リスト】

 

 

No.1「Love Ballad」(L.T.D)

大甘のバラードですが、いろんな人がカバーしている名曲です。曲に負けないよう自分なりの歌になればと思います。

No.2「Ain't No Mountain High Enough」(スタンダード)

とってもポジティブで、元気なアップテンポの曲です。つきすすむ力強さが出せればと思います。

No.3「His Eye Is On The Sparrow」(ゴスペル)

とっても、ピースフルな歌です。三拍子がうまくとれるか心配ですが、とてもゴスペルチックで、その気持ちが出せるか、神に語りかけるように歌いたいです。

No.4「Turn Your Love Around」(ジョージ・ベンソン

とても都会的な匂いのする歌です。さらっと歌えるかが勝負です。発声練習みたいにならないで歌いたい。

No.5「In Your Eyes」(ジェフリー・オズボーン)

2オクターブある歌なのですが、それを感じさせないで歌えるかなぁ。とてもドラマチックなバラードです。昔から大好きな歌でした。

No.6「Never Should've Let You Go」(たぶん、HI-FIVE

ビートのある、ミディアムバラードで、今っぽい感じで表現できるかが楽しみです。

 

 

No.1「コメ・プリマ」(トニー・ダララ)

原曲のイメージを離れ、しっとりと色っぽく歌いたい。あまり大きくない曲。しっかり自分の中に入れてしまいたい。

No.2「クアンド・クアンド・クアンド」(エミリオ・ペリコーリ)

リズムと動きで遊びたい。どれだけ自由に動きまわれるかがポイント。テーマは若々しさ。

No.3「黒いワシ」(バルバラ

今回2曲、大曲で勝負。その1つ。ドラマティックに語りたい。同じメロディがくり返される中で、どれだけ展開できるかがポイント。ワシとともに、自由に空をとび回れ!!

No.4「インシエメ」(ミーナ)

太陽の光のようなあたたかさ、やさしさ。そんなものを表現したい。スケールが大きいけれども、決して力でもっていかないように歌いたい。

No.5「失われた小鳥たち」(ミルヴァ with ピアソラ

大曲2曲目。ドラマティックに歌いたい。力強くはばたきたい。無限のかなたへ。長くあたためてきた思い入れの強い曲。自分の存在すべてを、この曲にのせて伝えたい。

No.6「テネシー・ワルツ」(サム・クック

「わんぱくでもいい。たくましく育て。」型をぶち壊すぐらいのエネルギーをそのまま表現したい。自分の中にある熱いものをすべてぶちまけたい。

 

 

No.1「買物ブギ」(笠置シヅ子

「8時だよ! 全員集合」のオープニングで、いかりや長介が「オーッス!」と呼びかけるあの勢いでステージにあがるために選んだ曲。ブギと言いつつ、チャンバラのBGMもどきの節回しまでとび出す、いかがわしさも好き。

No.2「浜辺の歌」

ハワイの言葉で、この歌が浜辺で歌われるのを聞いた。何の異和感もなく美しかった。教科書の中に、求めもしないのに与えられたごちそうの中に、本当にきれいな宝物を見過ごしてきたのかもしれないと思った。

No.3「ホーハイ節~津軽ツアー」(矢野顕子

こういうメロディやリズムには、訳=わけもなく血が騒ぐ。日本人であることをことさらに意識するつもりはないが、音から音へうつるときのこの気分のよさはいったい何なのだろう。謎だ。

No.4「夜空ノムコウ」(SMAP

世のおばさん達がそうであるように、私はスマップが好きだ。彼らの歌には本当にいい歌がたくさんある。そして不思議なことにそれらは、歌うのが彼らでなくてもやっぱりいい歌なのである。

No.5「ケ・セラ・セラ」

子供に、しかも女の子に「私は将来きれいになれるかしら」と聞かれて、「ま、なるようにしかなんないわよ」と答えられるお母さんは、相当にファンキーで素敵だ。つまり、そういう大人になりましょうねというお話。

No.6「あした」

最初に歌った曲。オリジナルを歌うことの意味は4年たってますますわからなくなってきている。普遍へ至る道は二つ。磨き上げて完全に抽象化するか、とことん私の中へ入り込むか。宙ぶらりんの自分。

 

 

 

 

 

【Vol2.選曲リスト】

 

 

No.1「6時が鳴る時、私はブエノスアイレスで死ぬだろう」(アストル・ピアソラ

タンゴの巨匠、アストル・ピアソラの代表曲、6時が鳴る時、私はブエノ スアイレスで死ぬだろう、という曲名の通り、愛するということに絶望し、死を選ぶという究極の自滅的な歌。6時の鐘の音を聞くのが恐くなる。

No.2「3001年のプレリュード」(アストル・ピアソラ

1970年に作られた歌で、死が直面している人の狂気をえぐり取ったような激しさがある。この曲の中で使われている、Rinasceroという語は、生まれ変わるという意味で私も自分の気持ちを追い込み歌いたい。

No.3「ダニー・ボーイ」

自分にとって大切な人を失うとき、失った人を思い起こすとき、あまりの自分の孤独感から、戻らないのを知りながら、その人の名を呼んでしまったり、その人の残像にしがみついたりしてしまったりする。この曲は、時が戻らないのを知りながら、その時にすがりついてしまう人間の人間らしい歌である。

No.4「パダン・パダン」(エディット・ピアフ

エディット・ピアフの代表曲の一つ。パダン・パダンと近づき、どうしても消したいような暗い過去のことを再び思い起こさせてしまう足音についての歌。軽快な三拍子がこの曲の音楽的な魅力となっている。

No.5「道化師万才」(エディット・ピアフ

人々を笑いの渦で包み込み、子供や女性に大人気のある一人のピエロが、ステージの裏での絶望的で孤独な生活に苦しみ、次第に狂人と化し、最後には、テントのてっぺんから飛び降り自殺をしてしまうという歌。

No.6「愛の讃歌」(エディット・ピアフ

エディット・ピアフが、飛行機事故で亡くなった恋人のために書いた歌。多くの愛の歌を歌っているシャンソンの中でも、大曲中の大曲。他者依存的な歌だが、絶望感の中にも、愛し愛されることを望んでしまう人間らしい歌。

 

No.1「I Feel The Earth Move」(キャロル・キング

きちがいじみた気分を言いたいのに何曲かあったが、訳詞の空が落ちてくるっていうのにひかれた。昔は天変地異の日々など自分には考えられないと思っていた。だから、歌えなかったのだろうと今は思う。

No.2「12階のこいびと」(松任谷由実

ありふれた曲で無理なフランス語がついている。そういうのに自分を入れていって動かそうとすることがおもしろい。どうも歌が重たくなるので、理由を探りながらいろいろやっていたものの一つ。

No.3「Japaneggae(ジャパネゲエ)」(サザンオールスターズ

愛苦ねば=I could neverのように桑田さんのセンスで変な歌詞がついている。字面を見るとまだわかるが。曲として会心のできなのではと思う勢い。私はメロディとイメージで勝負する。

No.4「I'm Not Givin' You Up」(グロリア・エステファン

私にとって有利ではない英語を選ぶときは、必ずどこかに、入っていきたい音がある。それが取り出せない以上、単に不利になるばかり。創唱者はキューバの人で情緒たっぷり。曲を壊さずに、そこから離れることが苦しかった。

No.5「影を慕いて」(藤山一郎 他)

時代を超えることが難しかった。子供の頃、親がよく聞いていて変に体に入っている分、古くさくてたまらない。音に対して自分を開いていくのに、まだとても苦労してしまう。ひばりさんの歌には泣かされる。私も私になる。

No.6「Ride On Time」(山下達郎

歌によって、メロディだったりことばだったり、解釈のしかただったり、つかみたい部分は違うけど、たまにこういう全部に感じるやつもある。そういう歌ほど、ひとりよがりになることも知ってる。そうならないように。

 

No.1「Pledging My Love」(フランク・デル)

いろんなヴォーカルが歌っているが、私が好きなのは、男性2人のデュエットバージョン。特にフランク・デルの低音の響きが魅力。本来は上で誰かにハモってもらえるのがベスト。

No.2「To Be Loved」(ジャッキー・ウィルソン)

ジャッキー・ウィルソンが'60年代にヒットさせた名曲。アカペラグループとして有名なパーズエイジョンズがコピーしている。メインヴォーカルがアカペラで独唱しているのを聞き、お気に入りの1曲となった。

No.3「負けちまってゴメンナ!」(今村謹行)

高校時代、野球をしていた時に応援してくれた人たちに贈った曲。初めて人前で歌い出した曲でもある。久しく歌っていなかったが、夏が来るたびに甲子園をめざしていた頃を思い出すので、たまにはこういう曲も。

No.4「Amazing Grace」(。)

いつ、どこで聞いても感動できる曲。いろんな人が歌っていて、どれがいいとは言えないが、私なりのアメージング・グレイスにしたい。結婚式でも歌われる曲。

No.5「It Is Well With My Soul」(ポー・ウィリアムス)

マイ・フェイバリット・ゴスペルソングのうちの一つ。初めて聞いたときにぜひ歌いたいと思った。ちなみに少々、歌詞は違うが、マヘリア・ジャクソンもこの曲を歌っている。

No.6「Backfeild In Motion」(。)

1~5曲目とはちょっと変えて、手拍子がきそうなノリのよい曲。'60年代ソウル。これも本来は男性3人のデュエットソング。エンディングの曲ということで、楽しく明るく歌いたい。