レクチャー 842
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レクチャー
レクチャー②③
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自分の表現というのは、自分がよければよいのです。本人が満足して、お客さんも満足してそこで成り立っている世界であれば、外からとやかくいうことはありません。
皆さんがここに来られたのは、自分に何か足りないと思われたからだと思います。
残念なのは、いろいろな話を聞いたり、少々、実践したりしても、結局、自分のやり方しかないと思ってしまうことです。そうなると、また自分の中に入っていき、自分の身を預けなくなります。
学び方として、どこかに一時、身を預けることです。
スポーツでも力をつけるには必ず、誰かに見てもらいどこかの場で、自分の力を試すというプロセスをとります。
人についてやれといっているのではないのです。ただ自分で学び方を変えていかないと学べないということをいっているのです。
ここにあるエッセンスに関しては、このレクチャーで、判断してもらいます。
このことでわかる人が来てくれればよい、というスタンスでやっています。
わかろうとしなくてもよいのです。
あとでわかることがあるかもしれないし、価値観が別の世界かもしれません。
しかしせっかくの機会ですから、できるだけ白紙になって聞いてください。
声、歌、音楽について、感想を書いていただきます。
選曲に意味はないです。ここのなかで使うこともあります。
どれくらい書けるか試してください。
アレンジや歌詞などについては、この主旨とはずれますので不要です。
(イヴァ・ザニッキ、クラウディオ・ビルラ、尾崎紀世彦、マヘリア・ジャクソン、ジョルジア)
ここはヴォーカル志望の人ばかりが来ているわけではありません。日本では話し手のヴォイストレーニングはほとんど行われていませんが、声はよくなっても話がうまくなるというのは別だと思います。歌も同じです。
ここでは、声の力をつけるために必要になる根本のことをやります。
同じ力をどう見せるか、というノウハウのようなものは大切ですが、第二義のものとしています。その場も、ステージ実習として、おいています。
ここでは歌を教えることはやっていません。
プロというのはそのことがわかっている人のことです。そういう人たちに対して、その表現世界に干渉する気はありません。
絶対音感に関しては、不必要です。いろいろなものを聞いているときにジャマなこともあるのです。私は、演奏を聞いていても固定ドで聞いてしまうので、切るのに苦労しました。
もう一つ悪いところは正しくとりすぎることです。本当のヴォーカルの音はずれています。それが個性であり、ヴォーカルの音色です。それを頭で考えてしまうから音はとっていても表現にならず、聞いていても退屈で不快になってしまう場合が多いのです。
もっと優先しなくてはいけないことがあるにも関わらず、それができてしまうがゆえにそれでよいと思い、もっと大切なことがおろそかになってしまう。絶対音感もないよりはあった方がよい。
でも、習得している人には捨てなさい、ということです。
ポップスの場合、相対音感があれば譜読みもできます。必要ないと思います。
高いところが出にくいことに対しては、早くやらなければならないときは、ひびきに逃がします。難なく聞かせるためです。しかし、ここでは高音でも基本で処理できなければ論外なので、それを徹底してマスターしていくことを優先します。高い音が出ればよいということではなく、表現ということで考えていくのですから、その必要性からをもう一度、身につけていくということです。
トレーニングと実際の舞台を取り違えないでください。実際の舞台ではトレーニングを見せるわけではありません。本来、それは体の中に全部入っていなくてはいけないので、ヴォイストレーニングの必要性が出てくるのです。何かを表現するための発声です。別の場で行うということです。☆
発声らしきものがステージで出たら負けです。ヴォイストレーニングも同じです。ステージでトレーニングをやっていると思われたら、場違いです。
体に入っていたら表現になる。そこを転倒して考える人が多いのです。
歌うには別のものが必要です。トレーニングは声を出せるようにするものです。声を出していることがトレーニングだと思っている人が多すぎます。☆
日本のヴォイストレーニングは、どうも違います。トレーナーの質が違います。どこでも徹底して基本をやります。日本は劇団でも、声は弱いと思います。
日本のヴォイストレーナーにつくくらいなら、外国に1年くらいいた方が数倍よいと思っていました。
私がいっていることは、日本でいうから価値がつくのであって、外国へ行ったら、そんなことを考えなくてはいけないのか、という常識です。
教え方の違いという以前に、教えることと、受けることは切り離されているわけではないのです。日本では教えられる立場から抜け出せなくなります。
本を出しているのも、こういう活動をしているのも、実績を出しているからで、人材が育たなくてはいけない。私は、ただ歌いたいだけに来る人に興味はありません。誰かに何かを伝えにくる人でないと意味がないからです。
伝える努力をしない人が多すぎるのです。
音楽にはルールはないけれど、基準があります。歌を本当にやっていくのならそれがわかっていた方がよいでしょう。
私の基準でいうと、本当に育つ人は、ここを使い切っていく2~3年に1人です。
発声とか歌唱力という問題ではないのです。その人が歌や、音楽と出会って他の人を出会わせてきたかどうかです。
よい歌を聞いて、「好きだ」というくらいの出会い方ではないのです。それはファンとしての出会い方です。
ここ2、3年、受け入れを難しくしています。中途半端にできることではないし、やってもらいたくないからです。このレクチャーも、オーディションを兼ねています。
実際の歌でやらないのは、日本では努力をしているヴォーカリストがあまりいないため、努力で超せてしまうからです。天性でやれてしまう人が努力をしないのです。それでよいとまわりでもてはやされるからです。そういう人はここではなく、タレントスクールに行った方がよいでしょう。目的が違うのです。
声、音楽、表現といった音声表現をやりたい人に役立ててもらいたいのです。
先生がよいとか、悪いとかいう考え自体もおかしいのです。どういう場やどんな人に自分が活かせるかどうかなのです。
結局ヴォーカルというのは、自分の状況を引き受けるしかないのです。それから、その状況を変えるということしかやり方はありません。全部、自分で勉強できて何かわかるというものではないのです。
あまりに単純にマニュアル化しようとしすぎます。そんなものがないところから生まれてくるから歌だし、ステージになるのです。プロセスを大切にすること、それしかないです。
どこで習っているか、ということは意味がないのです。きちんと歌えるようになった人は誰よりもやっていた、という事実があるだけです。だからトレーニングになるのです。
世界のレベルの才能であれば18才で決まっているものかもしれません。しかし、そうでない人がそれを問うても仕方ないでしょう。
サッカーの選手でも同じで、一番努力した人がトップになっているわけではないですね。でも少なくとも、努力というのはそれだけの量と時間は必ず問われます。
日本のヴォーカルで早期教育ということを問われると、そこは比べようがない。だから、今の自分の状況を受け入れるしかないのです。自分が見えていることをやったかやっていないかということが大きいのです。
自分の力がついていけば、だんだん、才能のある人しかいない世界になってきます。そういう人たちに対して何を出せるのか。そうしたら、その人以上のことをやったという自信が自分にない以上、何も出せないでしょう。歌が一声出したら、すぐ比べられてしまうのです。ここはまず最低限の量・時間ということに根ざしています。トレーニングはそういうものです。
ここは2年制です。しかし学んでいったらどこよりも壁が速くたくさんくるはずです。10年分のことをやるのですから、5~10倍の苦労がかかってきます。一つのことを精神集中して一瞬で伝えようとしたら、汗をかくし、自分が高まるほど、壁は来ます。これでいいや、と思ったときには落ちていきます。ここは2年までは責任を持ちますが、それ以降に関してはその人がよほど要求しないと伸びることに責任を持てません。歌に対して、そこまでの必要性がある人はほとんどいないのです。
歌は好きな人が歌うわけではなく、選ばれた人が歌うのです。それは誰かが選ぶのではなく、その人が選ぶのです。この世界に音楽と抱き合って生きている人は2通りです。誰よりも好きな人です。それから、それがないと生きられない人です。上手・下手ではなく、それが日々のパンのようになっている人です。そういう人しか残りません。
まずトレーニングというのは自分がどうであるかということを知らなくてはいけません。楽器をやっている人はわかります。しかしヴォーカルは不鮮明です。だからまず、自分がどこにいるのかをハッキリさせることです。そして、次にどこに行くのか、それを知らなくてはいけません。そのあいだにはギャップがあります。そこの問題をきちんとクリアにしていくことです。
トレーニングに関しては、私は、やって伸びないトレーニングは認めません。他のトレーニングは先にごまかしてしまうから伸びないのです。物事には基本というものがあります。しかし、ステージとそれを混同しさせてはいけません。人前で何かを表現し伝えようとしたときにトレーニングができているかどうかなど考えながらやらないでしょう。このときに考えないために、考える場としたトレーニングが必要なのです。
すごいノウハウというのがあると思っているかもしれませんが、そんなものは意味がありません。ここでは、そういうPRを排しています。身につけた人にその力があったということです。
人間技でないことを軽々やっている人に近づこうとして、そんなものをつくった、環境を場を与えるということです。
私が歌わないのも、歌は一つの人間の表現したものにすぎないのです。いろんな手法があります。
声というのは一人ひとり違います。だから、私にあてはまったことが、皆にあてはまるということはないのです。歌いたい世界も違えば、伝えたいことも違います。だから、ノウハウというなら、その人その人によって違ってくるのです。ここでは共通して持つべきもの(本質)のところで伝たえようとしています。
自分の中でどの声が正しいかわからないという質問がたくさんありました。迷っているうちは判断する能力がないか、その声は全部よくないということです。
高められていくと、迷いはなくなります。
出せないうちは迷い、しかし、出していって気づくしかないのです。
歌い手に関しても好き嫌いはあっても、絶対的な差は感じられるはずです。優れているものとそうでないものがある世界なんだということはわかってください。
それを否定するのなら、自分一人でやるしかありません。
声優の仕事の現場でも、何にでも応用できる基本の力が問われます。ディレクターなどのさまざまな要求に即時、対応できなければいけないからです。
外国ではステージのレベルによって、客の態度がハッキリ変わります。心から感動できるものでないと価値を認めません。
日本には厳しい客がいません。日本の場合、よい客は、なんでも受け入れて応援してくれる客でしょう。というより、そういうステージがほとんどありません。
それはヴォーカルに対する音の扱われ方にも表れています。エコーをかけていきます。
音声のイメージがあって、これが歌だというものが、わかっていた時代は過ぎてしまいました。
これは音楽を選ぼうとする以前の問題です。
最近入ってくる人はそれがわかっていない。表現というのはどういうものか、そういう根本的なことさえわかっていないのです。
自分が好きなヴォーカリストがいるとします。そうしたら、そのヴォーカリストにはなれないということ、なる必要はない、なってはいけないということに気付かなくてはいけません。
基本ができているヴォーカリストを練習のための参考にすることはできますが、そうでないところの才能でやっているヴォーカリストを追っていても無駄です。
ヴォーカルは総合力(ステージの力)です。
外国では人前に立ったら、アイドルでも1曲で人を感動させることが条件です。日本ではそういうステージが一流の人でも少ないですね。どこの部分がプロとしてやれているのかをきちんとみなくてはいけないのです。
歌、表現をやるとき、一番欠けてはいけないのがテンション、場、そしてその中で感性が働いていかないといけない。自分が気持ちよく歌うことと、人前で何かができるということは違います。音楽というのは自分の感性や感覚を相手に伝えるためにやります。そしてトレーニングはそれを助けるためにやるのです。
ヴォーカルのことを長期的に考えられるのであればまず身体のことをやってください。そこからはずれるものに関してはおかしいと思えることが判断の前提です。
どのヴォーカリストがよいということはいいません。ただ学びやすいヴォーカリストと、学びにくいヴォーカリストがいるということです。
ここは音声で表現する舞台です。だから声優もここに来てやることが多くあります。
ここでは出てきた音声でしか表現として認められません。ここは、ここでしかできないことをやっています。
外国と日本では目的が違うのだと思います。
一流のヴォーカリストと同じステージに立ってみて、へたでもよいから侵されない世界を提示することが大切です。誰かに近づけていくことではありません。
ここではノウハウを与える代わりに材料を与えています。自分のことを自分で勉強するとき、声ほどわかりにくい世界はないからです。でも人の声を真剣に聞いていると、音に対する感覚が磨かれていくのです。
トレーニングにしても、その先が見えていて、トレーニングを楽しめる人でないとよくないです。そうでないなら、すぐに歌っていればよいのです。この歌をどう歌ったら無難に聞こえるかということは教えていません。それなら、カラオケ教室に行った方がよいからです。
ここでは基準を徹底して教えています。それからほとんどの人が歌いたいといっていながら、自分で、どう歌いたいかをわかっていません。自分と自分のことを知っていないとよくないです。
ノウハウがあって、発声を習得していけば歌う力が高まっていくということではありません。伝えたいことと、その前提がないとなり立っていかない。
今の2年間はそれを見ています。精一杯のことをやればいろいろ見えてきます。2年間のあいだに学び方や方向を見ていけばよいと思います。
たとえば「ハイ」ということばを4回声に出してみて1回でもかすれたら、条件に合わない。舞台に出る人は3分間で2オクターブの歌で表現をします。そんな人がたった4回の「ハイ」をいう中でひっかかるはずがないのです。少なくともこの条件がある。ところが日本でプロだといわれているような人はそれができない人がほとんどです。
それを区別していきます。中間音でそれができないのに、高音でできるはずがありません。声優さん、役者さんも台詞一つで舞台をガラリと変えるのです。そういうときの声を続かせて出せないのであればそれ以前の問題です。それはきちんと続けていく上にしかオンしていかないのです。
日本のカラオケのチャンピオンなどはそれをエコーでフォローしています。リズム感や音感がないのでなく、厳しい基準がないのです。練習した時間や、レパートリーの数は関係ありません。
音楽というのはなくても生きていけるものです。日本で音楽をやっているプロの人たちでも、何かをお客さんに与えているから成り立っているのです。しかし、その何かを勘違いしてはいけない。それが自分が目指せるものなのかどうかをしっかりと判断することです。
よく「プロになりたい」といいますが、プロというのがどういうことなのか考えないと、20才のときは場があっても、30才になったら誰にも聞いてもらえなくなります。自分の中で思っている力と外の力を区別しておくことです。何が自分の武器になるかということを徹底して考えるのです。
声にも原理があります。楽器としての一番よい使い方があるのです。それが基本です。そこから、次に調律という問題が生じます。トレーニングはここで終わってしまう人が多いのですが、演奏が大切です。このレベルを高くするために、先の2つの条件が問われるのです。このためにはとても高い集中力が問われます。それから、スポーツとはまた違った運動神経、反射神経が問われます。
歌の世界では技術でカバーできるところもありますが、それはきちんと作っていかないとできません。これが感覚の部分です。
ヴォイストレーニングはこの感覚を変えることによってしか、成り立ってきません。感覚が変わってくると、今まで見えなかったことや、聞こえなかったことが見え、聞こえるようになってきます。そういう感覚に反応して、体が動くことが大切です。そのためにトレーニングをするのです。たとえば声量や声域を求める人が多いのですが、表現ですからインパクトとパワーが問われます。
よく空手の話を例に挙げるのですが、私より力の弱い女の人が空手という型を覚えたら、私にはできない板を割るようなことができるようになるでしょう。それは何かというと、力が強くなったというより、自分の全身の力をある1点に対して最大限に一瞬働かせるやり方を覚えたのです。これは人間の力の最大に働く原理に合っているのです。
毎日のトレーニングにとりくむ意識はとても大切です。芸事は才能というより、自分一人でとことんやったという自信によってしか身についていかないものです。上にいけば才能のある人しかいなくなります。そうしたら、経験やその量や質しか自分を支えるものはなくなってきます。
体ができてきてもそこで急いで逃げ道を見出すようになるとよくありません。体を使うこと、息を吐くこと、大きな声を出すことが目的ではありません。目的は表現活動にあるのです。
そうしたら、一つの声をどのように使っていかなければいけないか、どうすれば相手に心地よく働きかけるか、という伝えるところが大切になります。スポーツはタイムが落ちたり、敵に負けたりしてトレーニングの成果が不充分であることが示されますが、歌の場合、一般的にそれがないから、どんどん甘くなってしまうのです。
きちんとヴォーカリストが育っているところには厳しい客が必要です。満足するもの、感動するものしか聞かない人に評価をもらうようになることです。
ここではシャンソン、カンツォーネを学びやすいため使用しています。これらの曲をレパートリーにしても意味はありません。でも、その頃の人たちのレコーディングの仕方などは、今ほど複雑に加工していないためプロの体の条件が読みやすいのです。
ポピュラーの音楽が発生してきた経緯も学べます。まず感覚を変えていくことです。だから自分一人では聞かないようなものをここではかけています。ここではそれを問うていかないと基準ができてこないのです。ヴォーカルに基準などは本来必要ないのです。ただ学んでいくのなら、プロセスにおいて、基準をつけていかないとうまく学べないのです。
私はここだけでも3~4千曲の歌を聞いています。その中で涙を流しそうになる曲が10曲くらいはあるのです。その中で、3、4曲は当人の努力や、人柄がにじみでて同情をかうというものです。これでは芸術的な表現とはよべないのです。だから、音楽的に評価できるのは、残りの3~4曲くらいです。でもそれがあるからここを続けているようなものです。
それがなくなったら、舞台だけになってしまうかもしれません。舞台は人を楽しませるものですから、また、その基準がわってきます。
レクチャーでは、ある程度本質的なことを伝えておかなくてはいけない。かといってあまり厳しく言い過ぎてもよくありません。これは舞台と同じです。
歌の部分では教えられない、ということです。なぜかというと、人の歌い方を真似したら、その人より下手な歌い手になってしまう。ただ、声を出すこと、基本のことに関しては共通します。そこでは力の差がハッキリ出ます。
歌の世界になると、それがごまかされてきますが、それを曖昧にしてはいけません。先生の歌を聞いてみて、タッチを勉強するのはよいのですが、それを真似るのは同じことになってしまいます。それは素人や、カラオケの中では伝わるかも知れません。でもその人は自立してできない。
ここでは自己投資をするようにいっています。そして、それを生かすためには、それだけのことをやらなくてはいけない。状況を自分で変えていかなくてはいけないのです。
ここでは一つのレッスンに出たら、1枚感想を書いて提出させています。体にはまだ反映されていなくても、その人がどう気付いたかが書かれています。
トレーニングは気付いて、発見する、あるいは発明するということの繰り返しです。それは同時に歌の世界のことなのです。そのプロセスを何回も繰り返していくのです。
私の役割はここのテンションを下げないことです。テンションが下がると想像や表現をどう出そうかという感覚が働かなくなります。ここのトレーニングとか、レッスンの内容よりもする。場があるということが大切なのです。そしてその場を生かすことが何より大切です。それには力がいるので、力をつけるのです。
そこで表現していくことです。世界の一流のお手本から学びつつも、自分はどう出すのかということを考えなくてはいけません。基準が高いところにある人たちは、そこまでいける可能性があるというだけよいと思います。
書くということはとても大切なです。それも一つの材料です。同じレッスンを受けても100とれる人、1しかとれない人がいます。いろいろなことをやってきたりいろいろなことを考えてきた人は自分ならこうしようというようにわかってくるのです。
そうでないと、禅問答のようにとらえてしまってわからない。わかろうとするのが無理で私にもわからないことがたくさんあります。伝えるときにも、見えないものの力で、見えなく伝えているのです。
本に書けることばなどはしょせん活字にしかならないものです。人や場を判断する時にしっかりと考えを持っておくことです。
当然そこで成り立つことは仕事として成り立つこととして行われているわけで、それができている人は、その裏にバックボーンを持っているのです。その深さで判断しないとよくないです。ことばは書いた瞬間にウソになります。でもないよりはあった方がよいだろうということで、本も書いています。
ヴォイストレーニングの課題に入っていくことにします。一言でいうなら、コントロールです。声域を広げるためとか、高音のためとか、声量のため、というのは全て副次的なものです。それ自体が目的ではありません。このために必要ないくつかの条件が声の芯やポジションといった問題です。
ことばの感覚からです。一つにとらえるということが大切になります。ヴォイストレーニングはあるフレーズを何回、繰り返しても声がかすれないようにすることです。
日本語でいうと「こ・と・ば」となりますが、表現しようとすると3つにわかれなくなります。さっきの「ハイ」「ラララ」も切れ切れに、声を逃がしているだけでは表現にも練習にもなりません。
私は外国人の友人と話すときには、これくらいの声量で話します。これ以下の声で話すと、聞こえないからです。でも日本でこれくらいの声だと、うるさいと感じられてしまいます。日本人は声をセーブして使うことになりがちです。音声で表現することを拒んでいる社会に生まれてきたと思えばよいでしょう。
外国語であれば言語を習得する中で学べることが日本はそういう環境であるがためにできません。外国人は自分の声をテープにとって聞いてみても、不快だとは感じません。でも日本人は自分の声に違和感がある。外国人は親のことばを何回も聞いて発音して覚えていきます。耳から入ってきたものをそのまま認識して出していくのです。
「ハーッ」と深く体から吐いた息がそのままセンテンスとして使われていきます。これだけの息を吐いていると、当然リズムになっていくのです。
日本はそういうのがありません。日本では、俳句にしても「ふ・る・い・け・や…」という感じで切れ切れになりがちです。エイトビートでも強弱がついていないのです。これについての理論的なことは、「人に好かれる声になる」という本に書いています。
日本で一番よくないのは、パブリックなスピーキングがなく、プライベートなスピーキングが完全に音声表現から離れてしまうことです。根本的に音声での表現を避けてきているのです。人を動かす、人を説得するときに、軽い、かん高い声では役に立たないでしょう。しかし、トークも歌にもそういう声を使う人が日本には多いです。目的を変えていかないとよくないですね。
彼ら(外国人)は呼吸の中にもことばが全て入っていきます。だから日本人がバラバラに発音するより凝縮され、つまっていくのです。日本人はそういう息が聞こえません。1音1音が聞こえなくなるという特徴性があるようです。日本語のことばは子音がついていも母音で終わっています。
子音というのはアタック音です。こんなに母音が多いのは、日本語とポリネシア語くらいです。アタック音(子音)というのはお腹を使う、息を使うわけです。それがことばの基本になっている。だから、とても切れがよいです。日本人が英語のポップスなどを歌うと、伸ばしすぎることが多いです。一つでとらえていないからです。
日本人は音程練習みたいなものが歌だと思っているようですがそれは間違いです。歌というのは、ことばや歌を通して、ことばや歌を伝えることではありません。音楽であればもっと抽象化されて、イメージで持っていくのです。彼らの場合、言語があって、音楽があるのです。アクセントがそのままリズムになっていく。だから言語から入っていくのがわかりやすいのです。1回、日本人の感覚を切るのが、日本人のやり方です。
向こうの人は、同じ母音でも相当深いポジションをとって発音しています。日本人の「アイウエオ」はほとんど体を使わないで、口の中だけで作れてしまいます。つまりあまりかつ舌や発音トレーニングはやらないことです。腹話術のように一つでとらえるのです。外国人はあまり表情を動かさなくてもしゃべれます。だから、トレーニングをするほど間違ってしまう場合があります。
アナウンサーや声優のトレーニングは2年くらいで終わります。そういうことで、どうなるかというと、声のことがないがために、あるようにみせようとする技術を身につけるのです。口はきれいに早く動く。それでなんとか発音をカバーしているのです。きちんとした役者さんであれば、口を動かさなくても体で伝えられます。
よい伝達というのは、誰にも気持ちがよく、正しい技術を伝えることです。
表現というのは、相手を動かすことです。
その人の我を入いることもあります。ともかくも受け手に何の感情も起こさないのでは、仕方ないですね。まず、自分はこうやりたいのだということを示すことです。
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レクチャー
ここの利用の仕方について、実際、レッスンに出るとき、どうするのか、終わったあとにどうするのかをお話しします。レクチャーのとき、お話ししましたが、皆さんにとって、「何でこんなに無意味なことをやるのだろう」ということも、2年やったあとで、ああいうことをやったから力がついた、ということもあるのです。
もともとは、日本人に足りないものを考えていったときに、生まれてきたものが、ここのトレーニングです。☆
ですから、簡単には対応できなくて、あたりまえなのです。歌うためのレッスンもおいていますが、ここでは音声を表現とする舞台をやろうと思って始めたものです。だから声優や役者の人も多くいます。
他のスクールと違うのは、全て自主的な意志でやってもらっています。表現の活動のため、ですから、ノルマをこなすようにやらせていると成り立たなくなってくるのです。
本人の中から何かやりたいものが出てきて、音声を使ってみる。それから表現の仕方を勉強していく。こういうことが全部含まれています。
これはカルチャー教室やカラオケ教室ならいらないことです。
身体と感覚を使うということは難しいことで、自分の体を知り尽くしていかないといけない。感覚を鋭くしていかないといけない。声の表現の世界は、深いです。
わからなくなったら、表現の世界に戻ってください。
ここも、お客さんや理解してくれる人をつくるため、徐々に一般的なものを使い初めて、今はこういうかたちになっています。
このようにサービスや、設備などが充実してくると、消費者との関係になりがちです。
これを排するのに、けっこう余計な力を使わざるを得ないのです。
生徒というのは、お客さんとしているわけではありません。ここを利用できるだけ利用して、自分の力になるように使い切ってもらいたいのです。自立するための自己投資です。
私自身、皆さんの何倍も、ここに出資しています。
あらゆる声の教材や資料を揃えたりしています。日本でこれだけ教材がそろっているところは、ないでしょう。声(音声表現)に関して、世界中のものを集めています。
ここがあって、そこを皆さんがただ通うのではありません。ここで研究するのは紛れもなく皆さん自身です。私自身もここで勉強するために、ここを構えているのです。
そこを理解して頂けると、なぜ、ここにたくさんの材料があって、いろんな人がいるのか、どうして全て自分で決めて利用していかないといけないかということがわかると思います。
日本人は自分で決めていくということが不得意です。でもこの世界で生きている人は、全てに関して決めていかなくてはいけないのです。
それがあまりに不得意なために、私がフォーマットをたくさん作らなくてはいけないのです。
このように人が大勢になると、いろいろな考え方、価値観のずれが出てくるのですが、ここをサービス業のようにとらえられてしまうと、とても難しいと思います。自らを修める道場のようにとらえてほしいと思います。
事務的なことやサービス面においては他のスクールより不満な点はあるかもしれません。でも、きちんと目的を持ってもらうと、ここほど自由にきちんと学んでいけるところはないのではないでしょうか。
過去の経験から必要なものだけを残しています。
最初にいいましたが、テンションややる気がないところに創造的なことができるわけがない。そういうものに反するものは、なくしていっています。
レッスンのときにうまくできる、できないなど、ではないのです。これから先につながっていくことはできるだけ長い目で見ています。そのための最初の2年間だと思ってください。
ここで続けていくのも自分の意志です。続けていく以上いろいろなものをたくさん受け取ってもらえればよいのです。これが一方的に与えられると思っていたらよくないです。職人の世界のようなものです。
ここに2年間いて、1しかとれない人もいれば千くらいとれる人もいる。千くらいとれている人は自分の他の活動に置いてまた千も一万もとれます。そこの差がいかに大きいのかということをどこかの時点で早く気づいてもらえればよいと思います。
ほとんどの人は0か1の力です。あるかないかくらいです。ある人は千か一万くらいあってプロとなってやっていく。この差は普通の人にはほとんど見えません。「なにかうまいなあ」と思うところにはものすごい差があります。それを埋めていくためのトレーニングであり、トレーニング期間なのです。
そのことを2年間継続してやってほしい。何か迷ったことがあれば自分たちで考えて、こちらに出してくれればよいと思います。ここを動かしているのはここに来ている人たちです。しかし、本当の意味でここを動かしている人は5~10人です。それが表現ができる人たちです。
そういう意味ではシビアな世界です。その活動がここに対して皆さんが与えていけることであり、同時に受け取っていけることなのです。
入った時点で、けっこうな実力差、経験の差はあります。でも私から見ると、ほとんど大したことのない差にしか過ぎないのです。
まず他の人はどうであれ、自分の中で伸びてください。
伸び率が一番よいのは初心者の人たちです。この伸び率を常にキープしていくことです。これが50点くらいになってくると難しくなります。
身体や感覚を磨いていかないと、そこを超えられなくなるのです。
学べなくなったらここで研究する意味はないので、そこの時点で外に問いなさい、と私はいっています。ライブをやっていけばよい。目的が定まらずにトレーニングをしている時期があってもよいです。
昨年の自分に対して、きちんと伸びていくことが大切です。
2年というのは、一つのことをやっていく人たちがどっぷりつかるときの2年です。ただの2年ではありません。
それが皆さんのここでの2年になるかどうかはわかりません。いろいろな意味での2年になると思いますが、プロや一流の人は、10年以上のものを持っています。10年たたないと、本当の意味では人の前に立てない。海外になるともっと厳しくて、20、30年たってはじめてプロで一流と呼ばれます。
最初は感覚と体を徹底して変えていて、あとの残りは、そういうものを確実にする努力をしているのです。この辺が知識とは違います。2年間で皆同じことが得られるわけではないし、それが理想でもない。
大切なのは、この2年間でたった一回でよいから、これだ、というものをつかむことです。そうしたら3年後から、そのことを確実にすることによって、自分の世界が見えてきます。
体や感覚のことを勉強することは、何回かのとても大きな気づきを得るためにやるのです。得られない場合もあるし、小さな気づきばかりのときもある。でもそういうことで変わってくれば、それでよいのです。変わることが大切です。
私のレッスンを教科書通りやらないのはどうしてか、というと、そのときに一番大切なことは感じたままにつかむことだからです。まさにライブです。表向きのことをいろいろやってみても、何もできないのです。
そんなことをやっていたら一年間くらい何もできなくなってしまう。それでもかまいません。そんなものが自然にできるためにもっと大きなものをつかまなくてはいけない。それが先に述べた知識を学ぶようにはいかないということです。
気づいたことをアテンダンスシートに書いていくことによって、同じレベルの学習を次の年にはしなくてもよくなります。コミュニケーションの手段にもなります。
本当は音声の世界でやってもらいたいのです。しかし、その力がない、なら学んでいくという一つのプロセスとして書いたものを提出する。
こちら側もコミュニケーションしやすい。会報もそこにたくさん載っている人は、舞台ではまだできないかもしれない。でもその人の中で世界がどんどんできてくる。そのことによって将来できる可能性が高くなるということです。
ここにいて2年間のあいだに、歌はうまくならなくてもよいから、可能性を精一杯大きくしてほしい。そうしたら、道筋がみえてきます。
2年で勝負しようと思ったら、アイドルかタレントの世界です。即興的なトレーニングをしてデビューして、使い捨てられる。そういうことは、ここの第一の目的ではありません。もっと音や表現という深い世界に接していってもらいたいと思います。
迷いがあるままでやっていくと、燃え尽きてしまいます。このような形で人が集まっていても、10年後に残っている人は2人か3人くらいです。本人の中でそのことをあきらめていくいろいろな理由を考えついてあきらめていってしまう。最初にやることをやらなくてはあきらめざるを得ないのです。
ここの誰もやっていないくらいの努力をしていけば、ここに相当、大きな足跡を残せるでしょう。自分の足跡をきちんと刻んでいくということはとても大切なことなのです。
プロであれ、アマチュアであれ、あとでやれた人というのは、そのプロセスの中でもきちんとしたものをおとしていっています。
その場所その場所で自分を生きることをやっています。
声にも歌にも客にも、形にしばられたステージなど、おもしろくはないでしょう。
皆さんの舞台での表現がよりよくなることも期待していますが、それより、可能性を伸ばすための毎日をきちんと送っていってほしいと思います。
ここに来るだけでどうこうなるものではないです、2年たったら2年の中でやれている人というのはドップリと浸かっています。24時間、他のことをなにもせずにトレーニングをにとりこめた人というのはいません。皆、仕事や学業などをこなしながらやっています。そんなことはやめる理由にはなりません。自分なりに逃げ道をふさいで専念してもらえばよいと思います。
ここに来たら、他の人の真似をしないことです。よいところはどんどん見習ってほしいですが、真似することを最終的な目的にしないでください。自分の体や心をきちんと知っていくことです。
舞台で今は伝えられなくても、本当に思っていたら伝わるようになります。ほとんどの人が何を表現したらよいかわからない。どう出せばよいかわからない。歌をどう解釈したらよいかわからない。その次元で終わってしまうのです。ここでも9割はそうです。何のために人の前に出たかったのか、その問いをまず自分に投げかけてください。
人の前に出ること、後ろに隠れないということ。スタジオレコーディング専門のミュージシャンは別として、ここは舞台を前提にしています。音声で表現するということはリアルタイムです。どうせ人前に出るのなら、練習のときから人前に出ていた方がよいのです。
グループレッスンの中にいるということは人前です。その中で人の後ろにいる、ながめているというのであれば、お客さんにしかすぎないのです。ですから、ここで見学は特別なとき以外、ありません。
できなくともよいのです。できたら卒業です。できないからここに来ているのです。
なのに日本人の美徳のままか、前に出ない人が多いのです。
前に出ることがあたりまえの世界です。後ろにいるのは、でないのは、自分の生きている時間に対する後退です。
練習の場だから、出てよいのです。それが許されているのです。どんどん失敗してください。挑戦して経験を増やしていくことです。
それから群れないことです。力をつけたら人がまわりに集まってきます。
ここに来て刺激のある友達と出会いたいという人がいますが、本当に刺激のある友達というのは、それを求める人を拒みます。自分がまず力をつけなくてはいけない、自分の時間が大切だからです。
余程余裕のある人か引退して自分の何かを伝えていきたい人以外は、そうでない人に時間を奪われたくはないのです。だから、力のない人が友達になれるのは力のない人です。あるいは、力があると思いあがっている人です。お互いに甘くなっていきます。
ロビーにたむろしているような人は、半年後、1年後いなくなります。
ここには特殊な人が来ているように錯覚する人がいるのですが、そうでもありません。ここは誰でも入れるところです。ここに来たこと自体には、何の価値もないのです。
力というのは舞台に出ていない限り誰も認めてくれません。ここに何年在籍したからといって、どこかで認められるわけではない。ここの人たちのライブを見るより3倍の時間をかけて他のプロの作品を見ていないと、自分の売りものや、武器がわからなくなってくるのです。そうしたら誰も買ってくれません。自分でわかっていないものを他の人が見つけるというのは、難しいことです。それから、他の人が見つけても、自分がわかっていなければ、そのことをできないはずです。きちんとしたビジョンを持つと、自分のものが洗練されてきます。この世界はとても洗練が極まった世界です。
ここに来て、友達がたくさんできるのはよいのですが、それは小学生・中学生と同じです。周りにいる人と友達になるだけです。
こういう世界では才能と才能が結びつく。だから大きいことや楽しいことができるわけです。
皆で何かやろうなんて考えなくても、たった一人の人がすごいことをやってくれたら、それだけで全て成り立ちます。何年かに一人出る。たった一人の人になったら、皆まっていてくれます。それは皆さんがこれからの2年間をどのように使われるか、ということだと思います。
今日いっているような前提が崩れてしまうと、全体も一人ひとりもダラダラしてきます。それで時間もお金も惜しくなってくる。挫折する。そういうパターンにならないようにしてください。
それを楽しんで努力して出していくことを日常の中に組み入れていくことです。
変わっていく自分を見ているおもしろさというのが支えるようにしてください。
そして、そのことをできるかどうかを問う2年間であってもよいと思います。
ここのよいところは、皆さんがどんなに一所懸命やってもその何倍もやっている人がいるということです。そういう人たちは、口ではいわないで作品で勝負しています。
勉強の仕方は、何もわからなくてもよいから、自分の足元にきちんと落ちてきていることです。
今までおそらく20~30%の力でしかやっていない。それを100%にしてやってみて、一流と比べてみてください。たいしたことはできていない。そうわかったら、そのままではよくないとわかります。
今まではアマチュアの中で自分が活躍できていたかもしれないけど、プロの中で、それがわかっていてやっていく世界とは違うのです。
アマチュアというのは、自分で何をやっているのかわからないのです。だから、つくれません。
自分の一番の価値を伝えることができるのがプロです。だから基準をわかってこないと仕方がないのです。そのためには、音声で表現されている舞台の中に完全に入ってしまうこと。入ってその中で取り出してくる。そして提示していかないといけない。
そういうことを何回もやっていると一瞬、ワープしてしまうのです。同じ人間ですから、同じことができるのです。
毎回、毎回感覚が鋭くなっていくということはなくて、何かの瞬間に入っていける、乗り移ったようにそのことができる。自分を離れてしまうのです。そのことは他の人にも共通に伝わるようになるのです。
今の日本の音楽界では自分で力を持つことと、それを認められるように出すことが難しいことです。そういうことも含めて勉強していってください。
ここでは材料を与えて、当人が考えてつくり出すという姿勢をとっています。
発声法なんかがわけのわからなくなるような舞台をここでやってほしい。
声を勉強している人たちが、基準を狂わされてしまうようなものを、です。
個人の世界ですから、自分で自分のことを引き受けることです。よいものを創り出してください。
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レクチャー ②と③
歌というのはバラバラにして勉強しようとしたら何年やってもうまくならなし、わけがわからなくなるだけです。なるだけ単純に考えてください。自分が歌ったものが生きていればよいのです。生きている、というのはその音を聞いたら元気が出るということです。
自分の歌をテープに録音してみて、どのフレーズが生きているのか考えてみればよいと思います。要は、人に通用しないということは甘くなっているということです。ずれていってしまいます。その人の世界でよいというだけでは、伸び悩んでいきます。
音声である以上、音程やことばからとろうとしないことです。そこから入ると、今日の課題もとても難しくなります。全部とって、まじめに歌おうとするからうまくいかない。一番大切なものは何か、それを取って示すことです。歌とはそういうもので、それがハッキリしない歌はいくら聞いてもおもしろくない。伝わりません。
結局、抱え込みすぎるのです。すべてのレッスンは自ら問うために利用していかなくてはいけない。それは生きた表現を生み出すためです。そのためには自分が生きているのか、死んでいるのかわかっていないといけない。ここでは自分の好きではないこともやらされます。
それが悪い面に出てしまうなら、海岸でも行って歌っている方がよいですね。
ここは、海岸で歌っている人が、「僕は海でしか歌えねえ」とひとりよがりになってしまうから、ここに「海」をもってこいという場です。人を判断できる耳を作っていくことと、自分のこともフィードバックしていこうという場です。海に向かってやっていてもわかりません。
何か優れたものを基準におくと、それが早くわかるようになります。下手なのばかり聞いている中で、自分だけうまくなるのは難しいです。死んでいる表現を自分が出しているときは、おもしろくないはずです。だから練習のおもしろさをあまり知らないのだと思います。
自分の直観の中で、音楽の不確かさや不安定さを許していかなくてはいけません。自分で決めてしまったものは、自分以上の表現にはなりません。そこが一番の問題です。体に聞くしかないのです。その体というのは基本ですから、きちんと整えておかなくてはいけない。ヴォイストレーニングというのは体を整えるためにするものです。
全部が体に入っていかないとよくないと思います。このくらいやれば通用するだろう、とか、自分で自分を限定している人が多いです。それはとんでもない話で、日本の劇団で主役やっている人だってそんな風には思いません。人前に立ち続ける人のテンションや、その感覚が入っていないと、ことばも、音も、表現も弁解すればするほどゆがんでしまいます。そこを気をつけないといけない。
ここにいる人でも20、30代になると、60代のような顔になって、そんな表現の仕方をする人がいるのですが、10代のテンションを落としたら、どこの世界もダメです。40、50代で第一線にいる人の顔つきを見てください。プロのいっていること、行動力を見てください。10代の人間よりタフです。年齢で左右されるものではないのです。それができなくなってしまったときが、引退なのです。表現の世界に人様に迷惑をかけてまでいてはいけないのです。そうなりたくなければ、表現で自分を生かし、生きるとうことをやっていかないといけないと思います。
ステージ実習でやった課題であるにも関わらず、そのあと、何をしていたのかという感じです。勉強の仕方としてよくないです。100メニューとかいろいろ出してくれるのはよいのですが、あれが特別になってはいけないのです。少なくとも、今日声が出ていると感じた人は一人いるかいないかくらいです。それが半分くらいいるのがここのはずだったので、少し愕然としています。格好つけてやっていく音楽もあるのですが、基本をそこで押さえていかないといけない。
できてやらないのはよいのです。しかしできなければダメです。その一瞬できればそれでよいのです。ただ、できているか、いないかは確認しないといけない。そのうちできなくなってしまうかもしれない。やる方も聞く方も神経を使うことです。できないわけではなくて、そのことが楽しくてやっているわけです。だからまず、はまってください。そしてはまっただけではダメで、そこから抜け出して、自分の作品を提示するということです。
声、音程、リズムに関しては、全部時間がかかります。時間をかけたくないなら、表現をやることです。テンションが落ちたところに、そういうものをどんなに勉強してみても、それは出てきません。
このクラスであれば他の人の5倍くらいテンションが高くて、他の連中が目障りでたまらないくらいで普通ではないかと思います。日本の劇団でも、こんなものではありません。これではカルチャー教室だと思います。もっと集約することをこの場でやっていってください。声が出ればよいというものではありませんが、出なくてもよいということではありません。
声楽家でもテンションの高さと集中力がないと、声を強く大きくしても歌としておさまりがつかなくなります。徹底して体を使っていくのであれば、きつく弦を張っておかないといけません。そこが甘くなると伸びないと思います。
舞台ができるということは、どこに立たされても、その瞬間に気持ちを整理して切り換えられること、そこに入れることです。すぐ泣いたり、笑ったりするのが役者ですが、歌い手もそれに近いところがあります。最初の出だしからテンションも感覚も全然違っているのです。それだけのことを起こすにはそこまで持っている気分を捨てなくてはいけないのです。
そういうことでいうと、歌も演技です。演じて伝えようとしている自分がいて、一方で冷静に見て考えている自分がいる、それを一致させていくために体を強くしたり、音を入れていくのがトレーニングです。
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ステージ実習という一つのイベントについて、どうしてそこで評価されないのか考えてください。それなら一ヶ所でよいからキラリとするところを作っていくことです。それは自分でつくるしかないのです。そのためにも自分よりやれている人が何に気づいて、出しているかということに対して気づいていくことです。
基本は、呼吸で同じものがきちんと回って、その回っている中でインパクトを入れていったり、放したり、という感覚がある。それが一番大きなベースです。それが一つとその上に乗ったところでの変化です。音楽である以上解放させ、与えていかなければいけない。そこに、頭で考えたのではなく、気分よくも工夫して実験していくことです。これが一番難しいです。人はこれをセンス、才能と呼びます。しかし、磨いていくものです。
ベースで回っているものがないと上に乗せるものが全部ウソになってしまいます。また、、ベースがせっかく回っているときに、上で適当にやることを覚えてしまうとベースが小さくなったり、回り出さなくなって、崩れた人もたくさん見てきました。ここを出て、自分で練習しなくなるとそうなってしまいます。加工すればするほど、ベースなことが支えになってきます。
プロにもよい作品、そうでない作品があります。でもベースを絶対にはずさないから、標準以下になることがないのです。安全策でもあるのです。調子がどんなに悪くても、ステージがなんとかできてしまうというのは、ベースの部分ができているからです。そして調子がよいときにはもっと奇跡的なことをどんどん起こすのです。
奇跡的なところとふれあうのがヴォーカルの一番楽しいことだと思います。そのためにベースをやりながらも解放しておかなくてはいけないのです。狭くなって、自分の中で回っている。そんなものをやってはいけないということです。自分の中で回っているのはあたりまえで、それを外に常に問うていくことで、回っているのを確認するくらいで丁度よいくらいです。
おもいきりやると、人間には限界があるのでまとまってくるのです。☆
そこがキラッと光っていればよいのです。
限界のところで接点をつけていくものです。だから、何通りも歌えるということはそんなにないと思います。それにも気づいていくことです。それを練習していたら、歌いにくい歌が与えられても、自分なりに囲うことができます。ただそのやり方を自分で間違った方向にやってしまわないことです。
一番心配なのはベースの部分がおろそかになっていて、加工の仕方に中心がいっているのではないかということです。それは本当の意味での加工ではありません。そこをしっかりとしてください。死んでいるところにいくら加工を加えてもダメです。
生きている表現を精一杯出して、その呼吸の流れの中で、少しだし足り引いたりするのは効果的に効いてきますが、体の流れに反したやり方は不快感にしかならないのです。観客の不快感の前にまず、歌い手が不快感を感じなければおかしいはずです。きちんと勉強して、そこの感覚を正していくことです。
スランプにはいってわけがわからないという人は、こういう機会に楽器の勉強をした方がよいかもしれません。楽器の世界で名人といわれている人は同じ曲をひいたときに、何が違うのかというところを見てください。それでもわからない人は、中学生や小学生の演奏会に行ってみるとよいですね。ちゃんと弾けているのに何がダメなのか、プロとの違いをみるのです。勉強の材料も身近にたくさんあります。
私が学生の頃からおいかけている人にピアソラという人がいます。すっかりブームになりましたが、バンドネオンも完全な音の世界で、彼のは全世界に通用するものです。その分野の楽器を世界に広めたというのは、普通の人ではないのです。
それは何なのかを聞いてください。あまり楽器に興味がない人も多いのですが、楽器を聞いた方がわかりやすいです。今日のも、音として聞けばもっとわかりやすかったと思います。
歌になるといろいろなごまかしや、その人のキャラクターやスタンスによって評価がわかれてきます。しかしそれをやってしまうと私も評価できなくなるので、根本的には音になるところをことばより優先させています。