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「創造的であるためには、名人芸をみせるのがすべてじゃない。何を語るかの問題だ。どう語るかじゃない。」(パコ・デ・ルシア)
自分の書いてること、いってることに疑問を持ったときに出会った文章。
生涯。生涯私が気づかずに終わることは星の数ほどある。それはわかっている。自分にひきつけて考える、それを維持できるか、でいないか。持ち続ける。続ける。どうやって。素敵だ、
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クッションがない。ストレートすぎる、お客さんに受けない。出発点が本人が楽しもうとしていないのだろうか。エリカ・バドゥ:司会の人とかけ合いをする。「才能をくれた神様に感謝します。」か。
ポーラ・コール:不思議な歌声。一枚紗をかけた様な。エリカ・バトゥとギターの人:緊張を解く二人の歌、そして楽しませる。
すごい地道、時間かけて動き回っていた、という。10代と20代が同じ土俵で競う。日本での何にあたるだろ。
フェイスヒルのデュエット:二人がいる意味、雰囲気がふんわりする、余韻の中にいる。話の中にやっぱり笑いがあると俄然生き生きする。
松田さんの生音はものすごく素直でクリア。キーンと通っている。
アメリカのFree Jazz全盛の時の人。ESPレーベルとかでおもしろいのいっぱい出てる。中でも「GHOST」は本当にいい曲。音を狂うほど多く羅列して音に溶ける、ムダな音を恐れずソウルを出してる。
これは本当にすべてのギターもってうたう奴が聴くべきCD。「カモン イン My キッチン」は十字、それを聞く人は皆涙を流して聞いたそうだ。ぼくも22の頃、必死にギターをコピーした。
You're goneいつまでも歌い続ける声はどこまで届くだろう。今君に逢いたい。」
いちばん感動した曲は「Way Over Yonder。」これから勉強してゆくうちに、こういったアルバムをもっと深いところで感じとれることを身につけたい。
バーデン・パウエル&ヴィニシウス・ヂ・モライスの「アフロ・サンバ」
ものすごくいい。ヴィニシウスの文字通りアフロで原始的なヴォーカルとクアルテート・エン・シーの神秘的なコーラスを野性的に彩るバーデンのガット・ギター本当に。アフロ・サンバとはいい得て妙である。
いったい人間の声帯というのはどういう器官なんでしょうねと尋ねられて「案外、性器なのかもしれませんよ」などと答えるあたり、さすがは何億人にひとりという天性の声帯を持つカウンターテナーである。
MTVネットワークス・インターナショナル社長ウィリアム・ローディが語る
「MTV 東京は世界の若者文化のリーダー格、マドンナ級のスターが生まれる可能性も」これは読まない訳にはいかない。かいつまんで書き留めておく
この本(A・L・ウィリアムズ著)を読み終えこそしなかったものの7~8割は読む(今夜突然、後輩が数年ぶりに訪ねに来てくれて、読書中断、明日にでも読み終えたい)。「危険」という詩が印象的だったので、自己を啓発する意味でも書き留めておこう。 笑えば、愚か者と思われるかもしれない。泣けば、めめしい奴だと思われるかもしれない。他人に手を差し伸べれば、厄介事に巻き込まれるかもしれない。喜怒哀楽を表わせば、自分の本性までさらしかねない。夢を語れば、他人にもみくちゃにされてはかなく消えかねない。愛することには、失恋の危険がつきまとう。生きることには、死の危険が、求めることには、失望の危険が、挑戦することには、失敗の危険がつきまとう。しかし危険は冒さなければならない。人生最大の悲惨は、何一つとして危険を冒さないことにある。危険を冒さぬ人は、何も成し得ず、何も手に入れられず、何もない人生を送る。 危険に身をさらさなければ、苦しみや憂いは避け得ても、学び、変革し、成長し、愛し、生きていくことができない。危険に対して及び腰でいる人は、自由を剥奪された奴隷のようなものだ。 危険を冒す者だけが、自由に人生を生きられる。それからも。危険(ていうかまあ少なくとも。冒険かな。)は冒し続けないとね。
バーデン・パウエル&ヴィニシウス・ヂ・モライス「アフロ・サンバ」
アントニオ・カルロス・ジョビン&エリス・レジーナ「ばらに降る雨」
ジルベルト・ジル&ジョルジ・ベン「ブラジリアン ホット・デュオ」